風に吹かれて

風に吹かれて 26 (終)

 喬一郎と仙蔵が一緒に飲んだ夜から数日後のことだった。芝居が替わっていて、仙蔵は上野の鈴本の昼席でトリを取っていた。仲入りには圓城が出ている。
 その二日目のことだった。仙蔵が楽屋入りすると圓城が残ってお茶を飲んでいた。
「おや珍しいねぇ」
 仙蔵が圓城に対して軽口を言うと圓城も
「うん、そうだろう。仙ちゃんと話がしたくてさ。初日は何かと忙しいから二日目と決めていたんだ」
 そう言って返した。仙蔵は
「実はそろそろだと思っていたんだ」
 そう言って圓城の言葉を意外とは思っていない感じだった。
「バレてたか」
 圓城がそう言って笑うと仙蔵は隣に座った。そこに前座がお茶を出した。それに口をつけながら
「終わったら何処かで飲むかい?」
 そう誘い水を向けると圓城も
「そう願いますな」
 そう言って再び笑った。

「ま、一杯」
 仙蔵が圓城のグラスに酒を注ぐ、ここは鈴本の近くの仙蔵の行きつけの店だった。
「結構強かったよね?」
 仙蔵がそんなことを言うと
「ま、人並みには」
「馬並みだって?」
 仙蔵は、圓城の返事にそんな軽口を言った。
「落語の未来に乾杯!」
 グラスを重ねて口を着けると圓城が
「次の『古典落語を聴く会』のゲストは圓海アニさんでしょ」
 次の回のゲストの名を口にした
「ああそうだよ。もう告知済みだしな」
「圓海アニさん古典一本槍だけど、実は新作も昔はやっていたんだよね」
 圓城がそう言って兄弟子である圓海のことを語ると仙蔵も
「そういえば聴いた記憶がある。確か俺が前座の頃だったかな」
「うん。末広だか浅草だか忘れたけど、十日のうち二日ぐらいはやっていたんだよね」
「俺が前座の頃、アニさんは既に二つ目で、しかも真打昇進間近だったから覚えている」
「自分は兄弟子だったから良く稽古をつけて貰った。その中には今では誰もやらなくなった新作もあったんだ」
「それは意外だな。復帰してからは古典だけだけどな」
  仙蔵にとって、圓海は別な一門だから内情までは分からない。そんな仙蔵の表情を見ながら圓城は意外なことを口にした。
「実はさ、新しい落語集団というか、落語会をやりたいんだよね」
「新しい落語会?」
 仙蔵の疑問に圓城は
「うん、古典と新作の噺家を選んで固定メンバーでさ」
 そう言って目を輝かせた
「メンバーとか人数は?」
 仙蔵の質問に圓城は
「古典派から三人。新作から三人」
 そう答える
「六人かい?」
「いいや七人。名付けて『七人の噺家』」
「なんだい、『七人の侍』のシャレか」
「まあね」
「もう一人は?」
「両刀遣い」
 圓城はそう言ってニヤリと笑った。仙蔵はそれを聞いて、先日喬一郎に語ったことが上手く圓城に伝わったと感じた。
「だから、古典のメンバーを推薦して欲しいんだ。無論『古典落語を聴く会』の中から」
 仙蔵は、少し考えてから
「そうさな。俺は?」
「当然! 俺も出るから」
 圓城がそう言う
「じゃあ、仙蔵、柳生、遊蔵だな」
 仙蔵の返事に圓城も
「こっちは、圓城、小艶、白鷺となるな」
 そう答えると
「じゃあ両刀は決まりだな」
「喬一郎に出て貰う。彼にはその時々で古典をやって貰ったり、新作をやって貰ったりして貰おうと考えているんだ」
 圓城の案に仙蔵は
「あいつの古典は捨てるには惜しいからな。それにアイツは何時か両方の良い所を受け継いで行くような気がするんだ」
 そう返事をすると
「この前、浅草で一緒だった時に色々と吹き込まれたみたいでね」
「それと知って、こうやって話を持って来たんだろう」
「まあね」
「でも実際はどうするんだい?」
 仙蔵の質問に圓城は
「今やってるそれぞれの会、『古典落語を聴く会』『革命落語会』はそれぞれ二月に一度開いているけど、これを三月に一度に変更する。そして、この『七人の噺家』を半年に一度開くという案を持ってるのだけどね」
 圓城の案を聴いた仙蔵は
「次の回は会場も抑えてチケットも販売済みだから、その次からだな。そっちだって次のは決まってるんだろう」
 新作派の対応を問うた
「そう、だからこれは早急という訳じゃないんだ。早くても半年後とかね。来年になる可能性の方が高いとは思っている」
「そうか、全ては今からなんだな」
「そう、古典と新作、これがこれからどうなるかは俺達にも少しは責任があるが、所詮、最後までは見届けることなぞ出来やしない」
 圓城の言葉に仙蔵も
「そう、どうなるかは誰にも判らないさ。風に吹かれるままなのさ」
 第三回の「古典落語を聴く会」は盛り上がりを見せた。ゲストの圓海師の熱演もあって盛況だった。そして会の終わりの挨拶で、仙蔵から「七人の噺家」の発表がなされた。
 そしてマスコミは一斉にこれを報道したのだった。
 翌朝、その報道された新聞を眺めながら乾は
「完全に圓城さんにやられましたね。まあ、これでお互いに危機感を持ってくれれば、それで良いのですけどね。落語は危機感を持たないと駄目になります。もうすぐそこまで講談の波が押し寄せているのですから」
 乾はそう言って話題になっていて爆発的な人気を呼んでいる、講談の真打襲名披露の記事を眺めた。


                                                                       <了>


※とりあえず第一部終了ということです

風に吹かれて 25

 会が終わって打ち上げがあるのは何時ものことだが、今日は少し雰囲気が違っていた。メンバーの中に文師が怒って帰ってしまったことが頭にあったからだ。喬一郎が小艶に
「アニさん。この会もどうなるんですかねえ。まさか終わりとか?」
 心細げな喬一郎に小艶は
「ま、大丈夫だとは思うよ。乾先生の後に圓城師と文染師が何か話していたからね」
「何を話していたのでしょうか}
 喬一郎が疑問を口にすると、斜め前に座っていた白鷺が
「師匠は文染師に色々と言ったらしいですよ」
 白鷺は圓城の目的を予め聞かされていたらしい
「色々とは?」
 小艶も興味を持って尋ねる
「一言で言えば『ぼやき居酒屋』じゃ無くて『さよならエニー』をやれば良かったと言ったそうですよ」
「『さよならエニー』って自身の披露興行の時にネタ降ろしをした新しい噺ですよね」
 さすがに喬一郎も知っていた。
 そこへ圓城が遅れて顔を出した。
「いや文染さんを東京駅まで送って行っていてね」
 そう言ってニヤリと笑った圓城の表情を見て喬一郎は
「今白鷺アニさんから聞いたのですが、『さよならエニー』をやってれば良かったと」
 そう尋ねると圓城は
「ああ、そう言ったよ。当たり前じゃないか。芸の出し惜しみはするなと言ったんだ。こっちは皆真剣にやってるんだ。多少実験的な事もやってるけど、これからの新作は今まで通りじゃ駄目だとも言ったな」
 注がれたビールに口をつけると
「俺の噺もそうだけど、今の新作の殆どは古典の手法、構成から抜け出していない。新しいことを語っているように見えて、その実、手法は古典そのものなんだよ。一見新しそうに見えても実は古典で既に使われていた手法だと言う事も数多くあった」
 圓城の言葉に喬一郎は
「でも、古典に使われていない手法というのは、もはや……」
 そう食い下がると
「そう、新しい手法は並大抵ではない。でもいつかは作らなかればならない。それまでは」
「それまでは……?」
 その場に居た、喬一郎、小艶、白鷺が声を揃える。
「古典落語のエキスを新作にも導入するんだよ」
 圓城の言葉に一同は声も出ない
「我々が作っている新作落語は、基本的は古典の否定から始まっている。でも実際は古典落語の手法から抜け出せていない訳だ。ならいっそ、新しい手法が見つかるまでは、古典のエキスを導入しようと言う試みさ」
 それまで聞いて喬一郎は自分のやり方に自信を持った。
「古典落語の中には、何時の時代でも変わらない普遍的な価値観が流れている。今までの我々の噺はそれを否定する事から生まれていたが、その選択肢が笑いの幅を狭めてしまっていたと言うことなんんだ」
「全く新しい考えですね」
 小艶が考えながら呟くと
「最終的には文染師も理解してくれたよ」
 そう言ってグラスのビールを空けた。
 翌日の夕刊には第二回の「革命落語会」の模様が記事として載せられていた。神山が書いた記事ではなかったが、内容は神山の考えと、そう隔たってはいなかった。
「昨夜の『革命落語会』は新しい試みが多く試された。普通の落語会であれば、結果を重視する余り、ネタに新鮮味がなく今までウケているネタに走りがちだが、この日のネタはそれぞれが持ち味を出して新しい試みが幾つも試されていた。結果としてみればそれが全て上手く行ったとは言い難いが、この会の目的とすれば大した問題ではないのだろう」
 凡そそんな内容だった。神山はそれを読みながら自分だったら、もう少し辛口に書いたと思った。神山と佐伯はその後、圓城と文染が話した事を知らない。仙蔵にも自分が感じた事を伝えていた。
 
 浅草の昼席の楽屋には喬一郎が入っていた。昼席のトリである。中日を過ぎて新作が二日、古典が三日となっていた。この芝居には仙蔵が仲入りで出ている。通常ならその後の仕事もあり帰ってしまうのだが、六日目の今日は残っていた。目的は喬一郎に会う為である
「おはようございます」
 喬一郎がが楽屋に入って見ると二間続きの楽屋の奥に仙蔵が座っていた。
「おうご苦労様」
「あ、仙蔵師匠」
「なんか色々とあったらしいな。聞いてるぜ」
 仙蔵の言葉に喬一郎は
「まあ、それで……今日終わったらお時間ありますか?」
「そう来ると思っていたんだ。だから暇な今日は残っていたんだよ」
「ありがとうございます!」
  その日、喬一郎は「幇間腹」をやって高座を降りた。そして仙蔵と二人夕暮れの浅草の街に消えて行った。この夜二人が何を話したのかは、当人のみが知るところとなった。

風に吹かれて 24

 圓城の高座が終わり、文染の出囃子「本調子中の舞」が流れ出すと会場からは席を立つ者が現れた。それも数名ではない、少なく数えても十名以上はいると神山は思った。
「おい結構帰るぞ」
 佐伯が驚いて呟くと神山が
「ああ、そうだな。演目が『ぼやき居酒屋』とパンフレットに書かれているからな」
 そう言って帰る客の行動に理解を示した。佐伯は
「おいどういう事だ。それは」
 そう言って神山の考えを尋ねる。
「だって考えても見ろよ。あの演目は東京じゃ柳家ゑん治師匠が得意にしているじゃないか。年中寄席でやっている。有る意味、聞き慣れているんじゃないか」
「だって、本家本元だぜ」
「だから?」
 神山の意外な返答に佐伯は戸惑ってしまった。上方落語協会の会長で、しかも新作をずっと作り続けていて、その作品は二百を超えるとも言われている。そんな噺家が東京で演じるのだ。新作ファンとしてみれば見逃すはずが無いだろうと佐伯は考えたのだ。戸惑っている佐伯に神山は
「こう言っては悪いが、文染師の噺は誰が演じてもある程度は面白い。しかし、どうしても彼でなければと言う噺ではないだろう。それにゑん治師匠の惚けた味わいが彼の作る噺には合ってるんだな。だから、改めて聴く必要が無いと思ったのだろう」
 神山の説明を聞いても佐伯は今ひとつ納得出来なかった。
 自分の出囃子が鳴り、高座に出て行こうとした時に十名以上の客が席を立ったのを文染は高座の袖で見てしまった。こんな事はここ暫くは無かったことだった。わざわざ東京まで出て来てこんな屈辱を覚えるとは思わなかったのだ。だが平静を装って高座に向かった。それでも降り注ぐような拍手が起きた。座布団に座り頭を下げる
「え〜トリでございます。何やら御用がある方がいらっしゃるようで、誠に残念でございます。くれぐれも外に出た途端に交通事故に合わないようにお祈り申し上げます」
 目の前の出来事を笑いで返すと会場からもドッと笑い声が起きる。
「お酒と言うものは実に良いものですなぁ。暑い時は良く冷えたビールが美味しいし、寒い時は熱燗で一杯やりたくなりますな」
 早速噺に入って行く。噺はある居酒屋に来た客と店主とのやりとりで進んで行く
「お客さん。それソースですよ」
「え、これソースなの? 冷奴にソースかけちゃった。でもソースって書いてないじゃない」
「いや、赤いキャップは醤油、黄色のキャップはソースと相場が決まっていますよ」
「へえ〜初めて聞いたなぁ。それって全国的に決まってるのかい? 何か法律で決められたの?」
「いや、そういう訳じゃありませんけど、普通はそうなってます」
「普通って何?」
「普通は普通ですよ」
「親父さん。言っちゃ悪いけど、ここ少し灯りの影になっててさ。それに俺老眼だから暗いと良く見えないんだよね」
 何のかんのと言って客は親父に食い下がる
「判りましたよ。サービスして新しいのを出しますから」
 親父が折れてそういうと
「そう、嬉しいなぁ〜」
「じゃそのソースかけた奴こっちで引取りますから」
「え、持って行っちゃうの?」
「ええ、だって食べられないでしょ」
「いいやこれはこれでオツだと思っていたんだよ」
 そんなことを言いながら結局冷奴をふた皿食べてしまう。その他にも色々と絡む。そして
「親父さん。こんな商売してるとストレスが溜まるだろう」
「まあ、そうですねえ」
「俺もなんだよ」
「お客さんは何の商売をなさってるんですか?」
「俺か? 俺も実は居酒屋なんだよ」
 オチを言って座布団を外して
「ありがとうございました。ありがとうございました」
 と頭を下げる姿に被せるように緞帳が降りて行く。でも文染には聴こえていた。オチを言う寸前に客席から小さな声で
『居酒屋』
 と聴こえた事を……。
「お疲れ様でした!」
 高座の袖では白鷺、喬一郎、小艶、圓城が出迎える。文染は青ざめた表情のまま、素通りして自分の楽屋に帰ってしまった。
「何だあれ?」
 小艶が呆然とした表情で呟く。喬一郎も
「何かあったのですかね」
 そう言って不思議がる。白鷺が
「十数名帰ったのがショックだったのですかね?」
 そう疑問を口にすると圓城が
「お前ら気がつかなかったか? 下げを言う前に客席からオチを言われてしまったんだよ。これは噺家としては屈辱だろうさ」
 そう言って真相を解説すると白鷺が
「演目が悪かったですよね。こっちの客は皆知ってるもの」
 そう言ってネタの選定に誤りがあったのだと語った。
「乾先生は?」
 小艶の言葉に圓城が
「顔色変えて楽屋に向かったよ。これから荒れるよ」
 そう言って少し嬉しそうな表情を見せた。それを見て喬一郎は今日、文染を呼んだのは圓城が仕組んだのだと直感した。喬一郎は圓城が何を考えているのかさすがに直ぐには理解出来なかった。
 文染の楽屋では文染が付き人に手伝わせて着物を脱いでいる所だった。そこに乾が駆けつけた
「師匠本当にご苦労様でした」
 取り敢えずそう言うが文染は明らかに腹を立てていることが伺えた
「今日の客の中には礼儀を知らない者がいましたな」
 オチのことだと乾は直ぐに理解した。
「まあ、今日の噺はこちらでもお馴染みの噺ですから」
 乾がそう言って取り繕うと
「それでも口に出さないのが客の最低限の礼儀というものでしょう。違いまっか?」
 普段は東京では標準語を口にするが興奮しているのか関西弁が混じって来る。
「いやまあそれはそうですが……」
「私は、創作落語の家元や!」
 乾や他のメンバーからすれば、あれしきの事で怒るのが意外でもあった。東京の寄席では平気で携帯で会話をするもの。音を切ってくださいと放送してるのに、全く聞かず会話をしてるもの。噺をしてるのに一番前で弁当を食べていて全く高座を見ない者。そんな日常で高座を努めて来た東京の噺家連中からは当たり前の事だったのだ。
 文染の怒りの表情を見て、乾は二度と文染は呼ぶことは無いと心に決めたのだった。
 神山と佐伯は帰り道
「しかし、下げを言う奴が居たとは意外だったな」
 佐伯が感想を言うと神山は
「彼は自分こそが創作落語の第一人者という想いがあるからな。今頃は乾に噛み付いているだろうな」
「若い頃はトラブルメーカーだったとか」
「ああ、早く売れたからな。プロダクションも何も言えなかったんだろう。よくも悪くも、それが今の文染を作った訳だからな」
 神山の言葉に佐伯は
「もう呼ばれることは無いだろうな」
 そういうと神山も
「それだけは確かだな」
 そう言って会場を振り返った。

風に吹かれて 23

 仲入りの休憩に入っていた。神山と佐伯は楽屋に顔を出す。そこには喬一郎、白鷺、小艶が既に着物を脱いでくつろいでいた。
「おや、文染師は楽屋は別ですか?」
 神山はそんな事もあるだろうとは考えていた。文染は自分の芸を安売りしないという方針だと聞いたからだ。落語の世界では、よほどの大物以外は楽屋は同じになる事が多い。それは噺家は芝居等と違い自分の出番に合わせて楽屋入りし、出番が終われば特別な事が無い限りさっさと帰ってしまうのだ。忙しい者は次の仕事に行くからだ。
 神山の微妙な表情を見た喬一郎が傍に寄って来て
「そうなのです。ここは別に楽屋を増やすと別料金になって値段が上がるんですよ。だから圓城師も通常は一緒なんです」
 そう説明をする
「その圓城師は?」
「乾先生と一緒に向こうの楽屋に挨拶に行っています。直ぐに帰って来るとは思いますけど」
 二人のやり取りを聞いて小艶が答えた。その言葉が終わらないうちに圓城が帰って来た
「おや『よみうり版』のお二人じゃないですか。ああ、神山さんはフリーになられたのでしたね」
 そう言って苦笑いをする。佐伯が
「上方の大将は楽屋別ですか?」
 そう言って言葉に多少の皮肉を込めると
「まあ、契約ですからね。でも……」
「でも?」
 神山の言葉に圓城は
「いや、今は言う段階ではありませんでしょう」
 そう言って言葉を濁した。ならばと佐伯が
「今までの三席は皆、解り難いオチでしたね」
 オチの事を尋ねると圓城はため息をつきながら
「出し物が『ぼやき居酒屋』でしょう。あれ、東京でも演じる噺家さんが結構いましてね。オチもバレバレなんです。単純なオチですからね。私は別な噺をと言ったのですが聞き入れてくれませんでしてね。なんせ大物ですから」
 圓城の言葉にはかって東西の盟友とまで言われた関係に変化が来ている事を伺わせた。神山はこの話を長引かせては不味いと思い
「師匠の今日の演目は結構新しいですよね」
 そう言ってこの次に圓城が掛ける演目について尋ねた
「そうですねTXが開通してから作った噺ですからね。TXは私の家の傍を通っているものでしてね。これで何か出来ないかと思って作った噺です。でも関東圏でした通じないんですよ」
 圓城はそう言って穏やかに笑った。
「では楽しみに聴かせて戴きます。今日の会は記事にさせて戴きます」
 そう言って二人は楽屋を後にした。
「向こうにも行くか?」
 佐伯の言葉に神山は
「当然だろう」
 そう言って二人は第二控室に向かった。途中で乾とすれ違う
「おや、お二人。これから文染師匠のところですかな」
 上機嫌で挨拶をする
「ええ、やはり上方落語協会の会長に、ご挨拶が出来る機会はそうそうありませんので」
「そうですよね。師匠、もう準備出来ていますよ」
「そうですか。では」
 そう言って二人は文染の元に向かった。
「ごめんください」
 そう言って入り口に掛けられた暖簾のくぐると、付き人の弟子に手伝って貰いながら羽織を着ているところだった。
「ああ、これはこれは『東京よみうり版』のお二人。ようこそいらっしゃい!」
 自作のギャグを交えて挨拶を交わした。すぐさま話に入る
「今回はわざわざ東京までいらしたのは何故でしょうか?」
 神山の質問に文染は
「東京には仕事で良く来ていますしね。それに新作落語の会と聴いて自称上方落語随一の新作落語家としてはお誘いを受ければ、そりゃ参加致しますよ」
 そう言って嬉しそうな顔をした。神山は、
『この会に上方落語で最初に呼ばれたのが、嬉しいというよりプライドをくすぐったのだろうな』
 そう思った。なんせプライドの高さは故談志師以上だとも言われている。
「売れてる東京の若手の子達も挨拶に来てくれて、ホンマ嬉しい限りですわ」
「師匠、今日は『ぼやき居酒屋』だそうですね」
 佐伯の質問に文染は
「ええ、ありがたい事に東京でもよく演じられているそうですが、ここは本家本元として披露させて戴こうと思いましてな」
「なるほど。楽しみにさせて戴きます」
 その他にも時候の話等をして楽屋を後にした。席に戻ると後半の開始のブザーが鳴った。
 緞帳が上がり、圓城の出囃子が鳴り出した。大きな拍手に乗って圓城が登場する。
「まってました!」
「たっぷり!」
 おなじみの声がかかる。圓城は座布団に座ると頭を下げて
「え〜後半戦の開始でございます。今日、私はこの会場に来るのに地下鉄に乗って来たのですが、ここ数年で東京の地下鉄も一新しましたね。渋谷なんか銀座線の駅が変わりましてね。もう乗り換えが大変だそうでして。所で、渋谷の銀座線ですが、あれ別に銀座線は高架になっている訳じゃないんです。銀座線自体は地中の同じ深度を走ってるんですよ、でも渋谷が谷の底なのであそこに出て来るそうなんですよ。驚きじゃありませんか。驚きと言えば、あの電気とおたくの都、秋葉原の地中深くに秘密基地のように作られた駅があるんですよ。もうエスカレータを幾度も乗り換えても乗り換えても辿り着かない地中深くに駅が出来たのです。名付けて『つくばエクスプレス』通称TX! 凄いじゃありませんか。茨城の名山のつくばの名を冠した鉄道ですよ。しかもエキスプレス。『急行』ですよ。都内だって普通しか走っていない路線だってあるのに」
 圓城は自分のペースで噺を進めて行く。物語は茨城に出張を命じられたサラリーマンが、茨城に行くのに常磐線かTXか悩み、当日発作的に上野で降りるのを止めて秋葉原まで来てしまう
「しまった。とうとう秋葉まで来てしまった。TXは、よく考えれば御徒町でも乗り換えられた」
 こんなくすぐりを聴いて神山は
「これ関東圏じゃなくて東京近郊しか通用しない噺だぜ。これも挑戦だな」
 そう言って圓城が数多有る噺から、この演目を選んだ目的が透けて見えた気がした。
「7時25分発つくば行き快速。これに乗らなければ……。しかしなんて地中深いんだ。まるで地獄の底に行くみたいだ。エスカレータの降りる先が霞が掛かって見えていない。ホームは更にその下なのか」
 男は長いエスカレータを次々と乗り換えて行くが中々ホームまでは届かない
「ああ、俺は果たして茨城に行けるのだろうか? これなら遠回りでも常磐線に乗れば良かった……そうか柏で野田線、もといアーバンパークラインに乗り換えて……言い慣れないんで舌噛んじゃった」
 ここでワッと笑いが起きる
「『流山おおたかの森』でも乗り換えられたんだ! しまった! 最悪の選択をしてしまった」
 やっとホームに辿り着いて目的の快速に乗れた。そして「つくば」に到着して改札を出ようとするが警報が鳴って扉が閉まってしまった。
「あれsuicaが使えない! スイカの残高がない。 スイカがない!」
 それを聞いた改札の向こうに居たお百姓さん
「西瓜なら俺が売ってるだよ」
  下げを言って頭を下げると一斉に拍手が起きた。
「しかし、よく茨城県人が怒らないよな。洒落とはいえ」
 佐伯が半分呆れて言うと神山は
「実際の『つくば』の駅前は都会だからな」
「まあ洒落だからな。でも面白かったよ。さすが圓城だと思った」
「次の上方の大将のお手並みを拝見しようじゃないか」
 神山の言葉に佐伯も頷くのだった。会場には文染の出囃子「本調子中の舞」が流れていた。

風に吹かれて 22

 開始のベルが鳴り、白鷺の出囃子が流れて緞帳が上がった。白鷺がテンポ良く出て来て高座の座布団に座り頭を下げる。勿論場内割れんばかりの拍手が鳴っている。
「え〜第二回の革命落語会に来て戴きまして、本当にありがとうございます! もう皆感涙にむせんでおります」
 そう言って挨拶をする。そして
「最近はグルメブームでしてね。かのミシュランも日本料理や鮨などにも星を付けて評価していますね。ご存知かも知れませんが数寄屋橋次郎。凄いですね。日本の首相とアメリカの大統領が行くのですからね」
 そんなマクラから噺に入って行く
「おい、お前、かの数寄屋橋次郎の親父さんの次郎さんと一緒に修行した鮨職人がひっそりと店を開いているのを知ってるか?」
「え、そんな噂は聞いたことあるけど本当なのかい?」
「ああ、俺の趣味は知ってるよな」
「食い道楽だろう……まさか」
「そうさ、遂にその店を突き止めたんだよ」
「それで」
「行くに決まってるだろう。お前、口は固いか?」
「そりゃ言うなと言われれば例え鉛の煮え湯を注がれようとも……」
「大げさなんだよ。秘密を守れるなら連れて行くけどな」
『この秘密と言う言葉。これが人間は好きなんですね。そして殆どが秘密と口にした途端、秘密でなくなるんですね』
 白鷺の地の言葉に笑いが起きる。
『やがて二人はその店に行く事にするのですが……これが大変』
「おい未だなのか。駅降りてから随分歩いたぞ」
「秘密の店だから行く価値があるんだろう。未だ先だよ。テレビじゃバスを降りて、有るのか無いのか判らない寿司屋まで歩く番組があるじゃないか」
「あれはどうぜヤラセだろう」
「それ言ったら番組が終わるぜ」
『やがて峠を幾つも越してやっと目的の店に着きます』
「あった! ここだ見ろ書いてあるじゃないか」
「え、何んて書いてあるんだ」
「『おくやますし』って書いてある」
「ああ、奥山鮨か、着いたなぁ〜」
「早速入ろうぜ」
『ところが店に入るととても鮨屋には見えません』
「鮨屋じゃないのかい?」
 『中に居る人に尋ねますと』
「ええ、ここは普通の家ですよ」
「そんなこと無いだろう、入り口に『奥山鮨』って書いてある」
「ああ、あれですか。あれは表札ですよ」
「表札!」
「はい私の名前です。私、『奥山筋(おくやますじ)と申します』
「奥山筋!」
「はい『し』の所に点々がありますでしょう」
「ああ、そうか筋が違った(道が違ったの意)」
 サゲを言って頭を下げて高座を降りるが、約半分は下げだと気がついてなく、白鷺が頭を下げたので、それと気がついた次第だった。
「こりゃ解り難い下げを持って来たな」
 佐伯の言葉に神山は
「道の事を筋というのは上方では言うけどな」
「上方の大御所に敬意を表したのかい」
「さてね」
 高座では次の喬一郎の出囃子が鳴っている。少し戸惑い気味の会場は、喬一郎が登場すると少し調子を取り戻した。
「え〜お次でございます。今のは歴史的なサゲでしたね」
 喬一郎はそんなことを言って笑いを取る。そして噺に入って行く
 噺は交際している男女の噺で、男が女にプロポーズをするのだが、男は持って回った言い方で
「ステーキが焼けるまでの間に返事をくれれば良いから」
 と言うのだが、女はすぐさま断りの返事をする。男はOKの返事が貰えると思っていたので戸惑ってしまう
「どうして駄目なんだい?」
「だって、あなたはステーキが焼けるまで、って言ったじゃない。そんな短い間に出来る返事なんか無理よ」
「短かったかい? ウエルダンでも?」
「ああ、私ステーキはレアって決めてるの」
 これもよく判らないサゲを言って喬一郎は高座を降りてしまった。
「考えオチか?」
 呆然としてる佐伯に神山は
「まあ一種の考えオチなんだろうな。それにしても今日の出し物は難解なサゲが続くな」
 二人がそんな会話をしていると小艶が高座に座っていた。
「え〜わたしで休憩でございます。トイレタイムまでもう少しでございます」
 そう言って会場の雰囲気を和ませる。
 噺は広尾という街に魅せられた若旦那が夜毎、広尾に繰り出すので、父親の大旦那は困ってしまう
「いいじゃありませんか、広尾に繰り出すぐらい」
 そう言う番頭や母親だが
「馬鹿言いなさい。広尾で散財してごらん。ウチの身代が傾いてしまいます」
 大旦那は元々が吝嗇なので心配をする。そこで息子の若旦那に意見を言うのだが若旦那は
「わたしはねえ。広尾の街が好きなんですよ。お父っあんも一度行ってご覧なさい。街そのものがまるでおとぎの国のような感じなのですよ。どれもこれも洒落ていて素晴らしいのですよ」
 そんなことを言うので
「じゃあ、お前は近くに広尾の街があったらどうする」
「そりゃ傍にあったらそこに行きますよ」
「本当だな」
「本当です!」
 その言葉を聞いた大旦那は出入りの棟梁に店の二階に広尾の街を再現してくれと頼みます。言われた棟梁は広尾に出向いて街を見て回ります
「なるほど、こりゃ若旦那が夢中になるのも無理はねえ。俺でも何だか楽しくなって来るじゃねえか」
 棟梁は街の様子をスケッチして帰り、店の二階に広尾の街を再現します。それを見た若旦那は
「本当じゃないか。まるでそっくり広尾だよ。これならここで良いじゃないか」
 若旦那はすっかり気に入ってしまい連日二階の広尾に通うようになります。でも足りないものに気がつく
「ここは本物と違って綺麗な娘がいないんだよね。本当の広尾を歩いている娘は皆綺麗だからねえ」
 そんなことを言ってる若旦那に棟梁は
「じゃあ誰か知ってる娘を連れてくれば良いじゃないですか」
 そう言うのだが若旦那は
「だってそれは良くないじゃないか。女友達なんか連れて来たら、ブランド品や何か散財してしまうよ。そうなったら親父の雷が落ちるよ」
「それは困りますね」
「だからね。そうなったら」
「そうなったら?」
「きっと親父には内緒だよ」
 小艶がサゲを言って頭を下げる。会場からは嵐のような拍手が降り注いだ。
「お仲入り〜」
 の声が掛かる。ちなみに今回も前座は使わずお茶子さんを頼んである。
「なあ神山、俺には今日の出し物は、意図されたものがあるような気がして来たな」
「意図されたもの?」
 この時神山にも有る考えが浮かんではいたが確信は持てていなかった。
「今日のゲストが文師師だと言う事さ」
 佐伯の言葉を聞いて神山はその意味を理解した。彼も同じことを考えていたからだ。
「つまり、上方の新作の帝王に対する反乱か?」
「反乱というより挑戦に近いんじゃないかな」
 佐伯の分析を耳にして神山は今日の会の不安が杞憂にはならない気がして来ていた。
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