ここ「丸山スタジオ」では今日も撮影が行われていた。ここは民放各社と映画の制作会社が共同出資して新たに設立された撮影スタジオで、映画は勿論、テレビドラマの撮影なども行われている。
 東宝撮影所とか東映撮影所など古くからある撮影所は敷地の中に食堂があるが、この「丸山スタジオ」は撮影に関しては最新の設備が整っているが、それ以外では未だまだなのだ。当然食堂なども無いのでキャストやスタッフは弁当の出前などで済ませていた。
 映画畑出身の高見公造は撮影所内に食堂があるのが、当たり前の感覚なので弁当には前から快く思っていなかった。それが先日の弁当の事件になったのだ。あれ以来公造は昼になると敷地外の食堂に通うようになった。
「しかし高見さん。お昼になると居なくなっちゃうのは何故なんでしょうね」
 共演者の秋庭美乃里の言葉だ。丁度お昼の休憩時間で、お弁当を食べながら親しい者と話をしている。彼女はアイドル上がりだが、若手女優として最近メキメキと売り出して来ていて、その演技力は高く評価されている。
「さあ、でも噂ではこの近くの家に通ってるとか」
 そう言ったのは同じく共演者の若手女優の岩高あやめだ。彼女は美乃里と同じ事務所なので仲が良い。
「え~。通ってるの!?」
「そうだって。そこに愛人か誰か居て、その人にお昼を作らせているという噂よ」
「高見さんて今どきそんな事してるんだ」
 美乃里は、あやめの噂話を信じたみたいだった。
「普通の俳優さんなら無いけど高見さんならやりかねないよね」
 あやめは自分が言った言葉をそのまま自分でも信じ込んだ。
 そこに高見が戻って来た。
「あ、高見さん。戻っていらしたんですね」
 美乃里がそう言うと公造は
「ああ、食べたら用はないからな」
 そう言って休憩所の椅子に腰掛けた。
「あの高見さんのお昼を作ってる人ってどんな人なんですか?」
 今度はあやめが尋ねる
「どんなって言っても十七歳の娘だよ」
「え、愛人が十七歳ですか。それ不味いですよ。犯罪ですよ」
 あやめが驚くと公造は
「ああ? 何言ってんだお前。単に彼女の作った料理を食べてるだけだ」
「それって愛人に作らせているんでしょ?」
 それを聴いた公造は呆れて
「何処でそんな与太話を聞いたんだ。愛人でもなんでもない娘だ。確かに少しは器量よしだが俺とは親子以上に離れているんだからな」
 そう言ったがあ、あやめは
「だから余計に萌えるとか」
「馬鹿!」
 公造はそう言ってあやめの頭を軽く叩くと立ち上がってスタジオの奥に行ってしまった。それを見てあやめは美乃里に
「遠からずという所ね。そのうちフライデーされちゃうよ。それとも文春砲かな」
 そう言って嬉しそうな顔をした。美乃里は、あやめの言った事は関係なく、公造が毎日のように通う所が、そんなに美味しいものを食べさせてくれるのかと言う事の方が興味があった。
『今度こっそりつけてみようかしら』
 そんな事を考えていた。

 その日、美乃里は「丸山スタジオ」以外の仕事が入っていなかった。通常ならドラマの打ち合わせとか取材で都内に帰らないとならないのだが、この日はここだけだった。しかも出番は午前中で終わってしまった。そこで
『高見さんの後を付けるなら今日しかない』
 と思った。その日美乃里は午前の撮影が終わるとマネージャから
「今日はこれでオフです。明日は山手テレビで午前九時です。『今度始まるドラマの打ち合わせです』」
 と言われた。
「ありがとう。じゃお疲れ様」
 美乃里はそう言って私服に着替えてスタジオの門に近くに隠れた。やがて公造が撮影を終えて建物から出て来た。守衛さんに挨拶をして出て行く。美乃里はその後をこっそり追うことにした。
 六~七分も住宅街を歩いただろうか、少し広い道に出た。その通りの反対側にある食堂に公造は向かっていた。美乃里も後を付けるが
「秋庭だろう。さっきから付けているのは」
 食堂の入り口で公造はそう声を掛けた。
「判っていました?」
 物陰から出てきた美乃里の格好は黒いキャップを被って黒縁のメガネを掛けて黒いパーカーを羽織っていた。
「何処から見ても怪しい奴にしか見えん」
「そうですかねぇ~いい線行ってると思っていたんですけど」
 公造は美乃里の言葉を無視して
「俺を付けたのは愛人の家に行く所を見たかったのか?」
 この前の事を持ち出すと
「いいえ。あんな話は信じていませんけど、食道楽の高見さんが毎日通う店ってどんな所か興味がありまして」
「それで後を付けたのか」
「そうです」
「なら最初から連れて行ってくれって言いや良いんだ。こんな回りくどい事をして」
「すみません。一緒にいいですか?」
「ここまで来て駄目は無いだろう。それに向こうも商売だしな」
「ありがとうございます」
 こうして二人は「丸山食堂」の扉を開けた。
「いらっしゃいませ~」
 彩果が声をかけた
「おや今日はホールなのか」
 公造が驚くと彩果は
「バイトの人に急用が出来て帰ってしまったので、私が時間までやってるの。今日は何にするの。そちらの方は?」
 少し事務的な言い方に美乃里は
『愛想の無い娘ね。これで商売屋の娘なの?』
 そんな疑問を持った。
「今日の定食は何だい」
 公造が尋ねると彩果は
「豚ロースの生姜焼定食」
 そうそっけなく答えた。
「じゃあ俺はそれ」
「あたしも」
 美乃里もそう言って公造と同じものを注文した。注文を聞くと彩果は厨房に入って行った。それを見て公造の目が輝いたのを美乃里は見逃さなかった。
「あの娘がそんなに美味しいものを作るの? ちょっと信じられないんだけど」
 小さな声で呟くように言うと公造が
「まあ見てろ。驚くことになるから」
 そんな二人の前に店主の親父さんが水の入ったグラスを二人の前に置いた。
「この水飲んでみな」
 美乃里は公造に言われたまま、グラスに口をつけた
「なにこれ! 物凄く柔らかい」
「だろう。超軟水だよ」
 そして彩果が二人の前に生姜焼定食を置いた
「お待ちどうさま」
「おう、ありがとう。ほら食べてみろよ」
 公造は彩果に礼を言って、美乃里に食べるように勧めた。
 美乃里は箸を割って早速、豚肉に手をだした。すると箸で簡単に肉が千切れた。それに驚く美乃里
『何これこんな柔らかい生姜焼初めて』
 箸で挟んで口に持って行く。公造はその美乃里の表情の変化を楽しんでいた。
『もうすぐ驚いて声に出る』
 そう思っていると美乃里が
「こ、このお肉何ですかこれ、物凄く柔らかいです。こんな生姜焼、食べた事ありません。それに味が物凄くジュシーで奥の深い味で……」
 驚いて一気呵成に話出す美乃里に公造は
「彩果、こいつに説明してやってくれ」
 そう頼み込んだ。
「この人、公造の大事な人?」
「共演してる秋庭美乃里だ」
 公造に紹介され美乃里は
「初めまして女優の秋庭美乃里です」
 そう自己紹介をした。すると彩果は
「この食堂の娘の光本彩果です。貴方のドラマは良く見ているわ」
 そう言って口角を上げた。そして
「このロースは、厚さを指定してお肉屋さんに切って貰ってるの。よくある生姜焼用の厚切りだと味は染み込まないし、肉は固くなるし駄目なのよ。かと言って薄切りじゃ話にならない。そこでその中間の厚さを指定して切って貰ってるの」
 公造は柔らかさの秘密が判った気がした。
「この生姜焼はタレに漬け込んでいるタイプね」
 美乃里がそう尋ねると彩果は
「ある程度の厚さがあるから肉は前日の夜に漬け込むの。ベースは醤油、味醂、卸し生姜、それに自家製の梅酒を入れているわ。それに季節によるけど、梨とか林檎をすりおろして入れているわ。漬け込む前に肉の筋を切るのは当然の事ね」
 そう言って当然のような顔をした
「この隠し味は梅酒か……道理で味に奥味があると思った。それに一枚一枚筋を切っているのか」
 公造がそう言うと美乃里が
「高見さんが毎日ここに来る理由が判りました。これだけの味を高校生が作れるなんて思っていなかった」
「高校生じゃなく高専生だけどね」
 彩果がそう言って修正した。
「一つ教えて頂戴。このお店にはどうして高見さんの色紙が飾ってないの? 普通は芸能人が来ると色紙を飾るでしょ。まして高見公造さんだよ。世界的名優の」
 美乃里の疑問に彩果は
「食べるお客さんが誰でも関係ない。私にとっては誰も大事なお客さんだから、差別なんてしない。公造さんだからって駄目なものは駄目だし。出来るものは出来るし。それだけよ。この店の味がお客を呼ぶと考えているの。秋庭さん。貴方だって器量と演技力。どちらが高く評価されたい。顔が綺麗な大根役者が良いの?」
 彩果の言葉に美乃里は
「そうじゃない。私はアイドルが嫌で女優になったの。何時かは演技で多くの人を感動させたいと思っている」
「なら私の考えも判るでしょ。それだけよ」
 彩果はそう言って奥に引っ込んでしまった。呆然とする美乃里の横では公造が嬉しそうに定食を食べている。
「俺が何故ここに通うか判ったろ」
 公造の言葉に静かに頷く美乃里だった
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