第1話 「野ざらし」

 十月の上旬の昼過ぎ俺は東武浅草駅の前で柳生を待っていた。
「十月の上席なら浅草に出ていますから、都合がいいですよ」
 その柳生の言葉に合わせたのだ。夜席の仲入り前に出る事になっている。トリの次に大事な出番だ。それを見ても彼が席亭や協会で大事にされてるのが判る。
「お待ちどう様」
 不意に声が掛かり振り返ると柳生が自転車に乗っていた。隣にはもう一台自転車があり、弟子の柳星くんが乗っていた。
「近所に贔屓筋がいるんですよ。そこで自転車を二台借りてきました。これで現場を廻りましょう」
 俺はまさか自転車に乗ってやって来るとは思わなかったので面食らっていた。だが冷静になって考えると、細かく短い距離の移動なら自転車の方が楽だと思い直した。
 柳星くんはこれから噺の稽古を付けて貰って夜は寄席の仕事があるそうだ。
「それじゃ失礼します!」
 俺と師匠の柳生に挨拶をして演芸ホールの方向に歩いて行った。
「高座の裏の部屋で稽古するらしいです」
 前座が噺の稽古をする場合はしてくれる師匠や先輩の都合に左右されるのは勿論だが、寄席の中での稽古はポピュラーだ。
「それじゃ行きましょうか」
 柳生の言葉に俺が先になり目の前の吾妻橋を渡って行く。この橋の中程で文七が飛び込もうとして長兵衛が助けるのだ。自転車に乗りながら川面を眺めると吸い込まれそうな感じがする。その視界の中を水上バスが進んで行った。橋をくぐって行く先は浜離宮だろうか……
 橋を渡り、左に曲がる。車に気をつけながら緩やかなカーブを道なりに走ると源森橋の信号だ。ここを左に曲がると墨田公園で右は元は小梅の水戸様の屋敷があったところだ。柳生が横に並んで来て
「隠居の緒方清十郎は三代目春風亭柳好師匠では三廻神社あたりまで行ったと言っていますから、最初はこの辺でも釣りをしたいたんでしょうね」
「野ざらし」という噺は柳生も言ったように、三代目春風亭柳好師が十八番として、一世を風靡した。「唄い調子」と呼ばれるテンポの良い語り口が特徴で、かの黒門町や六代目圓生でさえ認めていて、圓生師に至っては「こちらの協会に欲しい」とまで言ったほどだった。柳好師は芸術協会の所属だったし、柳生にとっては、遠いが同じ一門でもある。
 
 この「野ざらし」を説明しよう……
 ある夜、八五郎が長屋で寝ていると、隣の女嫌いで知られた浪人・尾形清十郎の部屋から女の声が聞こえてくる。
 翌朝、八五郎は、尾形宅に飛び込み、昨夜の事を訊くと。隠居はとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて、のぞいた」と明かされ、呆れたと同時に観念して、「あれは、この世のものではない。向島で釣りをした帰りに、野ざらしのしゃれこうべを見つけ、哀れに思ってそれに酒を振りかけ、手向けの一句を詠むなど、ねんごろに供養したところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれた」と語る。それを聞いた八五郎は興奮した様子で「あんな美人が来てくれるなら、幽霊だってかまわねえ」と叫び、尾形の釣り道具を借り、酒を買って向島へ向かった。
 一騒動の後、釣り場所を確保した八五郎は、釣り糸を垂らしつつ、「サイサイ節」をうなりながら、女の来訪を妄想するひとり語りに没頭しはじめる。しかし夢中になりすぎて、そのうちに、自分の鼻に釣り針を引っかけ、「こんな物が付いてるからいけねぇんだ。取っちまえ」と、釣り針を川に放り込んでしまう。すると見ていた人が
「あの人針無しでやってるよ」

 今ではほとんどここで切ってしまうが、この後もあり、八五郎は釣りをあきらめ、アシの間を手でかきわけて骨を探すことにし、なんとか骨を見つけ出すことに成功する。八五郎はふくべの酒を全部それにかけ、自宅の住所を言い聞かせ、「今晩きっとそこに来てくれ」と願う。 この様子を、近くの川面に浮かぶ屋形船の中で聞いていた幇間の新朝(しんちょう)は、仕事欲しさで八五郎宅に乗り込む。
 夜になり、女の幽霊が来ると期待していた八五郎は、新朝を見て驚き、「誰だ」とたずねる。「あたしァ、シンチョウって幇間(タイコ)」
「何、新町の太鼓? ああ、あれは馬の骨だったか」
 と落とすのだが、その昔、浅草新町はかつて多くの太鼓屋が立ち並んでいたし、太鼓には馬の皮が用いられていたのだ。そして「馬の骨」とは素性の判らない者の事で、この噺が三遊亭圓遊によって改作された時はそれで通っていたが、今では全く通じないので演じられないのだ。
 ちなみに元の噺を作ったのは二代目林家正蔵で通称「沢庵の正蔵」と言われ現職の僧侶だったそうだ。この人は「蒟蒻問答」も作っている。
 隅田川の土手を左に見て高速の下を走って行く。土手は桜並木になっていて春はそれは見事だ。そう言えば「百年目」という噺の舞台はこの辺かと思う。なんせこの辺りは噺の舞台にやたらなっているのだ。この企画が流行れば、この辺りも落語の聖地巡りをする者が増えるだろうかと思っていた。
 右手に牛嶋神社を見て通り過ぎ、言問橋を潜るとすぐに三廻神社の赤い鳥居が見える。いつの間にか前を走っていた柳生が自転車を停めて
「お参りして行きましょう。それに写真を撮っておいた方が良いんじゃ無いですか」
 そう言って笑った。確かに数枚は写真も必要なのだ。
 幾つもの赤い鳥居をくぐってお参りを済ませる。
「隠居は吾妻橋を渡って場所を変えながらここまでやって来たんですね。そう距離はありませんけど。ここで問題はこの場所で多聞寺の鐘の音が聞こえるか? という事ですね。まあ、他の師匠なら浅草、金龍山浅草寺なんですがね」
 確かに柳生が参考にしている「野ざらし」は柳好師のだ。これには隠居はここで釣りをしていて、「すわ多門寺の入合の鐘の音が陰に篭ってボ~ンと鳴ったな」と言うセリフがあるのだ。ここで、この上流にある鐘ヶ淵の多門寺まで行ってその距離感を確かめなくてはならない。
 柳生の参拝する写真を撮影して自転車に乗ると
「そこで「長命寺の桜餅」が売ってますから食べて行きましょうよ。名物ですから。今の時期ならこの時間でもあるでしょう」
 「長命寺の桜餅」は流石に俺でも知っている。青いガラス戸を開けると先客が店内で座って桜餅を食べていた。こちらも注文すると杉の入れ物に入ってお茶と一緒に出て来た。餅と呼んでいるが餅の粉を伸ばして平たくしてそれで餡こを巻き、更に塩漬けの桜の葉で包んだものだ。桜色の生地と桜の葉の色が対照的だ。
 早速食べて見る。ここの桜餅は当然本物の塩漬けの桜の葉が使われている。そのまま食べるのが通かと思い店の人に尋ねたら、「桜もちに桜葉の香りは移っているので」と言われた。柳生を見ると残してあり、小さなビニール袋に入れている。
「どうすんだそれ?」
「家でお茶漬けに入れて食べるとこれがイケるんですよ」
 そうなのかと思い俺も真似をする。柳生は俺の分もビニール袋を用意してくれていた。帰ったら薫と二人で半分ずつにしょうと思った。
 桜餅はほんのりと桜の香りと僅かな塩味を感じ餡の甘さが引き立つ感じだ。お茶が美味かった。
 勘定を払って鐘ヶ淵の多聞寺を目指す。長命寺の桜餅を過ぎると墨堤通りに出る。ここを一路北に向かう。暫く行くと明治通りとの交差点だ。左は白鬚橋。右に行くと向島百花園だ。ここを突き進むと左側が塀のような都営団地が続く。何でも震災の時、下町の炎を都心に入れないように建てたのだと言う。中に住んでる人は堪らない。
 やがて道が地下に潜り立体交差になると左に水神大橋、右には鐘ヶ淵の駅が見える。
「ここを右折して最初の信号を左に行きます。実はその道が江戸時代以前からある古道なんですよ」
 柳生が解説してくれるので、ICレコーダーに彼の言った事を吹き込む。あとで記事を書く為だ。柳生の言う古道に入る。なるほど、そう思ってみると道が自然な感じで曲がっていて自転車で漕いでも気分的に楽な感じがする。直線路だと先が長い、等と思ってしまうのだが、これは不思議だ。
「この道はね。水戸道や日光道の脇道、間道だったのですよ。千住宿を通らないでその先に行く道で、今は荒川で切れてしまっていますけど、それ以前はその先で小菅で水戸道に繋がっていたんです。だから結構な人が行来したみたいですね。多聞寺はだから結構当時は有名なお寺だったんですよ」
 そうなのか、だから柳好の噺にも出てきたのか。時代が下がって有名では無くなった多聞寺の代わりに浅草寺が出て来たという訳なんだと俺は理解した。そういえば編集部に江戸時代の道と今の道を重ねて見られるデジタル地図があったと思いだした。帰ったら起動させて確認してみよう……
 多聞寺まではさほどの距離は無かった。門構えからして古風な感じがして趣のあるお寺だった。ここで点いた鐘の音が三廻神社まで届いただろうと実感出来た。
「ご本尊は毘沙門天様だそうで、毘沙門天像は弘法大 師作と伝えられているんですよ」
 柳生の解説を聴き、その詳しさに舌を巻く。俺は境内を散策しながら
「噺を覚える時にやって来たのかい?」
 それを確認しておきたかった。その事も記事に入れるつもりだった。
「ええ、二つ目の頃なんで、遠くなら行けませんけど近くですからね。ここまで来て荒川の土手にも上りました」
 柳生ならそうだろうと思った。誘われてすぐ近くの荒川に向かうと土手と並行して東武線が走っていた。
「この東武線も荒川が出来る前は川の真ん中を走っていたんです。圓遊師がこの噺を作り替えた頃はきっとそうでした。そう思ってこの噺をやっています」
 見ると荒川を船が下流に向かっていた。
「さあ帰りますか! 今日は『野ざらしを』やりますよ」
 そう言った柳生の顔には自信がみなぎっていた。その晩の柳生の「野ざらし」は見事なものだったと記しておく……