花連荘の人々

「花連荘」の人々  第9章 「なでしこの間」

第9章 「なでしこの間」

imge283fd8fzikbzj 夏はあっという間に終わりり、二学期になり、いつの間にか僕は志望校を決める時期になっていた。
 今年は予備校の模試でAランクの評価をとっている大学を選ぶ事にした。二度と浪人はしないつもりだった。
 その日、僕は予備校の帰り、茜さんの店の前を通ると、茜さんが店の前に立って、誰かを待っているようだった。茜さんはこの前、やっと部屋を空けてアパートに帰って行ったばかりだ。尤もそれからも良く泊まりにくるのは相変わらずだ。
「しんちゃん、今帰り?」
 茜さんは僕に挨拶代わりに話しかけてくれる。僕もいつもの様に
「うん、そう。茜さんはどうしたの、店は休み?」
 尋ねると茜さんは困った顔をして
「そうなのよ。ビールクーラーが壊れてさ、メーカーの人に見て貰ったら部品が無いと直らないって言うからさ、明日になるんだって、それでウチの人を待ってるのだけどね」
「そうなんだ。じゃあ今日はお休みなんだね」
 僕がそういうと茜さんは僕を横目で見て
「ねえ、あたしウチの人から聞いちゃったの。生みの親のことを。おばさんの親友だったんだってね。なんで今まで黙っていたのかな。その理由が聞きたくない?」
 微妙なことだし、理由と言ってもそりゃあ簡単には言えないだろうとは思う。でも今になって僕に言ったということは茜さんの耳にも入ると判っていたと思うのだ。僕が思っていると茜さんは
「それでね、今日お店休みだから、おばさんに訊こうと想って。それでウチの人としんちゃんにも証人になって欲しいのお願い! 駄目かな……」
 茜さんはちょっと俯いて親指の爪を軽く噛みながら僕に迫った。正直、こういうのに弱いです!
「いいよ、判った。今日は火曜で、店もたぶん暇だろうからつき合いますよ」
 そう返事をすると、茜さんはうれしそうに
「ありがとう! しんちゃん。今度たっぷり可愛がってあげるからね」
 なんて事言うのだろう。聞いた人が笑っているじゃないか。
「じゃ、あとでね」
 そう言って僕は花連荘に帰った。

 花連荘に帰りばあちゃんに言うと
「なんだって、今夜そんなことを訊きに来るって?」
「うん、そう言ってたよ茜さん」
 婆ちゃんは僕からの茜さんの言葉を聞くと
「全く、陣のヤツも適当なこと言って、上手く言いくるめれば良かったんだよ。全く変なところ正直なんだから」
「でも婆ちゃん、あんな大事なこと何で今まで黙っていたの?」
「そりゃ、それが幸子との約束だからさ。自分のことは言わないでくれとね。それに真実なんてこの場合知らない方が幸せだろう。そのまま信じていれば良かったんだよ」
 そうかな? と僕は思う。戸籍も何もかも実の子として育てられるのだから、余計な事は知らない方が良いと言うのも一理あると思ったが、やがて事実が判った時どうするつもりだったのだろう。それが気になった。

 夕方、茜さんと陣さんが誠鮨の鮨折を手にやって来た。
「おはようございます。おばさん、お鮨買って来たから皆で食べようよ」
 さすがに茜さんだ。このような時は、いきなりは言わない。
「ああ来たのかい」
 とばあちゃんは、ややぶっきらぼうな言い方で二人を歓迎した。
 早速、茜さんが慣れた様子で小皿や醤油、それにお茶を入れて食べられる様にする。茜さんは陣さんと婆ちゃんにビヤタンを出して奥の冷蔵庫からビールを出して二人に注ぐ。
「いただきま~す」
 真っ先に茜さんが鮨を一つ口に運ぶ。
「うん! 誠鮨はいい腕してるわ」
 ご機嫌で箸を進めるので僕たちもそれに続いて食べ始める。そして、やがて
「ねえ、おばさん、あたしの生みの親の事教えてくれないかな」
 茜さんは意を決した感じで婆ちゃんに尋ね始めた。
 婆ちゃんは暫く迷っていた様だが、やがてこれも決意した様に語り始めた。
「大体はこの前この子に話した時に陣が聞いていた通りでね。特に追加する事はないんだけどね」
「お母さんの名前はなんて言うの?」
「名前かい……高子、そう青山高子って言う子だった。父親の名は知らないよ。とうとう最後まで言わなかったからね」
「そう、青山高子って言うんだ……お墓は何処にあるの? あたしお墓参りしたい」
「遠いよ、あの子は九州だから亡くなった後は親が遺骨を持って帰ったからね……行ってみたいのかい?」
「ゆくゆくはね。今すぐではないけどね。いつか行ってみたい。それで、あの鞄はどうしたの?」
「あの鞄の生地はねえ。当時あの子は進駐軍のメイドをしていてね。そこの奥さんから貰ったそうなんだ。当時としては上質の生地だから、喜んでねえ。器用なあの子は鞄や巾着や色々なモノを作ったよ」
「そうだったんだ。やっぱりお母さんの手作りだったんだ」
 それから茜さんはお茶にを一口飲んで
「ねえ、もし間違ったら御免なさい。その高子ってもしかしたら、おばさんのことじゃないの?」
 そう言われた時のばあちゃんの表情は恐らく僕が見た最も印象的な表情だったろうと思う。
「バ、バカなこと言うんじゃ無いよ。何処からそんなことが飛びだすんだい。残念ながら、あたしはあんたの親じゃないよ。そうだったらどんなに良いかも知れないけれどね」
 婆ちゃんがそう言っても茜さんは顔色ひとつ変えず
「おばさん、本当に違うの? あたしは今まで密かにおばさんが生みの親だったらどんなに良いかと思っていたの。おばさんこそが本当の親なのではと、何回も思ったわ。もう一度訊くけど、おばさんはあたしの生みの親じゃないの?」
 茜さんの言葉は僕の心にも響いた。陣さんがこの前「同じ人間のような気がする」と言っていたが、僕もそう感じていたのだ。
「わたしだって、あんたが実の娘ならどんなに良いと何度思ったことか知れないよ」
 初めて聞くばあちゃんの本心か…… そのとき、婆ちゃんの眼から一筋の涙が流れ落ち頬を伝わって落ちた。そして
「違うよ、違ううんだ。あたしはあんたの生みの親じゃないんだよ。違うんだ!」
 叫ぶように苦しげに言うと婆ちゃんは、自分の部屋に引きこもってしまった。
「おばさん……」
 茜さんはばあちゃんの後を追って部屋の前まで行って
「おばさん、本当はあたしのお母さんなんでしょう? あたしは事実だけを知りたいの。本当の母親を『おかあさん』と一度でいいから呼んでみたいの」
 それを聞いたばあちゃんは、扉の向こうからは小さな声で
「あかね……ひとつだけ言えるのは、その名前は生みの親がつけてくれたんだよ……」
 僕にはそう聞こえた。茜さんがその婆ちゃんの部屋の前で見つめていると、陣さんが
「そこまでしか真実を言えないと言うことか、辛いな」
 そう言って、茜さんを抱きしめた。

 この時のことは今でも、ハッキリと覚えている。良し悪しは別にしても、子供の斡旋という法に触れる事をしている人がいる。公には出来ないし、それを望んでる人もこの世にはいる。法がおかしいのか人の世がおかしいのかは僕には判らない。でも、それを望んで、それで幸せになる人がいるなら、その事によって不幸な人が出なければ、少しは良いかも知れない……僕はそう思う。
 茜さんが僕の肉親かも知れないという疑惑はとうとうハッキリとはしなかったが、茜さんにとってはもっと大事なものを貰ったようだった。それからの茜さんは、
「おばさん」から「おばちゃん」に呼び方が変わり、たまには「おかあさん」としらばっくれて呼ぶ事もあるらしい。

 数年後、陣さんと茜さんの間に子供が出来たのを期に二人は籍を入れた。
「俺みたいなのは世帯持っちゃイケナイんだがな」
 と陣さんが照れていたのが印象的だった。生まれた女の子をばあちゃんは本当に良く孫のように可愛がっていた。
 それから更に数年後、ばあちゃんが脳血栓で倒れた。その時甲斐甲斐しく介護してくれたのは茜さんだった。
 勿論費用は僕の親と叔父が出したが、現実に面倒を見るのは並大抵のことでは無い。
 更に倒れてから一年半後に婆ちゃんはこの世を去った。死ぬ数日前に、涙を流しながら茜さんにお礼を言ったそうだ。その時茜さんは、心の底からばあちゃんに
「お母さん、産んでくれてありがとう」
 と婆ちゃんにお礼を言ったとか。きっと涙もろくなっていた婆ちゃんは泣いたのだろうか、それとも
「あたしはあんたの親じゃないよ」
 とあくまでも言ったのだろうか?
 茜さんに尋ねると
「それは秘密。本当のことは、あたしがお墓まで持って行くから。大事なのはあたしは、おばちゃんが大好きということ」
 そう言って屈託なく笑っていた。

 婆ちゃんの死後、花蓮荘は取り壊され、今ではマンションが立っている。その昔、ほんの三十年前にここで色々な男女の思いが交差したことを殆んどの人は知らない。僕も人の親になり、過去は口にしなくなった。たまに陣さん夫婦と会って話をするぐらいだ。
 でも、口には出せないが、僕の心には何時でもあの時の思い出が詰まっている……僕はあの一年で色々な人と出会い、大事なことを学んだ。そのことは、今でも僕の心に残っている。
 

花連荘の人々  了


なでしこの花言葉……思慕、慕う気持ち

「花連荘」の人々  第8章 「ラベンダーの間」

第8章 「ラベンダーの間」

lavhid_3 梅雨が明けて太陽の季節がやって来た。尤も僕はそんなことには関係ない日々を送っていた。浪人生に夏は関係ないのだ。勉強と平行して花連荘の仕事も真面目にやっていた。日当の中から翌日の昼食代を出していたから、やらざるを得ないという面もあったのだ。
 その日僕が予備校から帰って来てばあちゃんと交代してすぐ、昨夜の女性がフロントにやって来た
「本当に有難う御座いました」
「いいえ、当然の事ですから」
 その人は、顔を出したばあちゃんと僕に何度もお礼を言ってその女性は帰って行った。

 その人は、昨夜日付の変わる少し前に
「一人でもいいいでしょうか?」
 とやって来た。もちろん花蓮荘は、お一人様大歓迎なので当然泊まって戴いた。別に事件になるような事は何も起こらず、泊まった女性は朝早く旅立って行ったのだ。
 それが、その人は僕が婆ちゃんとフロントを交代してすぐに戻って来た。どうやら忘れ物をしたそうだ。僕は昨夜泊まった部屋を開けてあげた。女性は中に入ると、小さな鞄の様なものを見つけて嬉しそうに
「ありました!これ母の形見なんです。本当に有難う御座いました」
 と喜んで帰って行った。

「という事さ」
 僕は、相変わらずアパートに帰らない茜さんに語って聞かせた。
「ふううん。形見か、それも鞄ねえ……あたしも持ってるんだ。形見の鞄……あ、形見かどうかは判らないね。あたしの場合は」
 僕は茜さんの言い方が変だったので、訳を尋ねた。
「ねえ、それどういう事?」
「ああ、それはねえ、あたし両親の子じゃないんだよね」
「え、じゃあ、貰いっ子だったの?」
「さあ、そこがハッキリしないんだ」
「どういう事?」
「うん、話すと長いんだけどね……聴く?」
「うん、訊きたい」
「じゃあ……」
僕の言葉に茜さんは話してくれた。
「あのね。実はずっとその二人が本当の親だと親が亡くなるまで思っていたんだよね。とても優しくて、厳しくて、暖かくて……今でも本当の親はその人だと思ってるんだ。でも、交通事故であたしが高校を卒業する寸前に亡くなってね……そしたら、二人の血液型がAとABでね。あたしOじゃない、だからその時にね、
「ああ、あたしはこの親から生まれたんじゃなかったんだって知ったの……」
 茜さんはチェリーに火を点けると軽く吸って白い煙を吐いた。
「それで、遺品を整理していたらね。手作りの粗末な布の鞄が見つかってね。あんまり古いのになんでしまっていたんだろう、って思って中を見たの」
 茜さんはそれから少し作り笑いをして
「あたし宛の母の手紙が入っていてね。それにはあたしが貰われた事情が書いてあったの」
 初めて聞く事実に僕は先を促してしまう。
「なんて書いてあったの?」
「それにはね『茜、実は貴方はわたし達の生んだ子ではありません。高校を卒業して社会に出る時に真実を言おうと二人で相談して決めました。ですからこれを読んでるという事は高校を無事卒業したと言う事ですね。おめでとう!
 当時、わたし達夫婦には子供が出来ず。寂しい思いをしてました。その時にある方から子供の斡旋を受けたのです。そして会ってみると本当に可愛い女の子の赤ちゃんでした。わたし達は直ぐにでも欲しいと返事をしました。そして貴方がわたし達の子になったのです。当時は戦後の混乱時期でしたので戸籍も簡単に変えられました。最もちゃんとした産科のお医者さんが出産証明書を書いてくれたので、誰も疑う人はいませんでした。今まで大事な事を隠していてご免なさい』そう書いてあったわ。今でも一字一句忘れはしない」
「その鞄ってのはなんだったの?」
「ああ、それはね、その手作りの布の鞄にあたしの産着とかオシメとかが入っていて、一言『育てられなくて申し訳ありません。この子を宜しくお願い致します』って書いた紙が入っていたそうよ。だからその鞄は今でも大事に取ってあるんだ。だってたった一つの生みの親のものだからね」
「へええ、見てみたいな」
 僕は出来るなら見てみたかった。そんな僕の要望に茜さんは
「いいわよ、ちゃんとこっちにも持って来てあるから」
 そう言って部屋に取りに上がって行った。
「これよ」
 階段を降りて来た茜さんが見せてくれたのは、本当に粗末な布製の鞄だった。今では布の色も大半が抜けているので元が何色だったのかは良く判らないが、アルファベットの大文字が並んでいる模様だった。戦後の日本のものにしては垢抜けている感じがした。
「もうかなり古いから実用には使えないけどね。これを見るとあたしは、育ててくれた両親と産んでくれた親と一緒に思い出すんだ。でも産んでくれた人は、あくまでも想像だけどね」
そう言って陽気に笑う茜さんだが、実は僕は、その鞄の模様に見覚えがあった。

 それから茜さんが部屋に戻ってしまうと、しばらくして婆ちゃんが起きて来た。
「寝られなかったの?」
 僕が訊くと婆ちゃんは
「まあね。お前茜の鞄見たのかい?」
 僕はばあちゃんが二人の会話を聞いていたので寝られなかったのだと理解した。婆ちゃんは茜さんの鞄を見たことがあるのだろう。
「見たよ。そういえば同じ様なのがウチ、いやここにあったよね」
 僕は先ほどの疑問を婆ちゃんにぶつけてみた
「お前、知っていたのかい」
「うん、まあ見た事があるというだけどね」
「そうかい、当時流行っていた柄でさ、その頃は良く見かけたものだよ」
 そう婆ちゃんは言っていたが、いくら僕が子供でも解る。ただの流行りのものを大事にしまっておくはずがないのだ。茜さんと婆ちゃんは何らかの関係があるのではないだろうか? それに茜さんが言っていた斡旋してくれた人やお医者さんって、まさか佐藤先生ではないのか?
 若しかしたら、茜さんを生んだのは……そこまで考えていると、ばあちゃんは
「茜はあたしの子じゃ無いよ」
 そう先に言われてしまった。これでは自分から関係があると言ってるようなものだ。
「違うの?」
 僕は改めて問い正した。
 婆ちゃんはロビーのソファに腰掛けるとセブンスターを出して火を点けた。紫煙をくゆらせながらため息をつくと
「茜はねえ。当時のあたしの友達の子なのさ。戦後の混乱期だった、その子は不倫の子を宿してね。降ろせと言われたけど、産んでしまったのさ」
「どうして生んだの?」
「その子は肺を病んでいてね。あの頃は皆栄養が悪いから直ぐに結核に掛かってね。いつ死ぬかも判らないから、せめて自分が生きた証拠に子供が出来たなら、せめて産んでおきたいって言ってね。それにストマイなんかは高くて庶民には手がでないじゃ無いか、その時に既に諦めていたんだよ」
「じゃあ……」
「ああ、生んだらお腹で止まっていた病気が一気に全身に廻ってね」
 婆ちゃんはセブンスターの火を消すと僕に向きなおり
「もう解るだろう、後は幸子に頼んでさ……」
「じゃあ、あの同じ柄の巾着は……」
「ああ、その子の形見だよ。あたしも貰ったのさ」

 それだけを言うと婆ちゃんは自分の部屋に戻って行った。僕は事実だけを重く受け止めて、その頃の事に想いを馳せた。その時、玄関の陰に陣さんが隠れていたのに気がついた。
「あ、陣さん…‥どうしたの、そんな所に隠れて?」
 僕がそう言うと陣さんは苦笑いしながらフロントにやって来た。
「婆さん寝たか?」
「うん、寝たよ」
「そうか、婆さんありゃ嘘ついてるな」
 陣さんはそう言い切った。何が嘘なのだろう? 僕は陣さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
「そんな顔して俺を睨むなよ坊主!」
 陣さんはロビーに座るとコーラを取り出して、栓を抜き一口、くちをつけた。
「なあ坊主、俺は茜とは長い付き合いだ。アイツの育ての親が交通事故で亡くなって、アイツのところに賠償金やら二人の遺産やらが一気に集まって来た」
 陣さんはコーラの二口目を飲み込むと
「そうなりゃ、その金目当てに良くないのが集まって来るという寸法だ。そんな時に俺はアイツと知り合ったんだ」
 僕は始めて二人の馴れ初めを聞いている。でもそれと婆ちゃんと茜さんの関係とどう繋がるのだろう? それが不思議だった。
「俺は最初そんな事は知らなかったのだが、アイツを取り巻いてる奴らの中に良くない顔見知りがいてな。こいつは、ぼやぼやしてると身ぐるみ剥がされてしまうと思ってな、その金を強制的に預金させたんだ。そして俺を通さないと何も出来ない様にしちまったという寸法さ」
「で、どうなったの?」
「ああ、それで今に至るという訳さ。金は今でも一文も手を付けていない。店も俺の稼ぎで持たせているんだ」
 以外だった。陣さんも組織の一員だから、結構そのあたりは自分の物にしてると思っていたのだ。
「そしてここの馴染みになった時に俺は感じたんだ。茜とばあさんが同じ匂いがするという事を……」
 陣さんは空になった瓶をケースに入れると
「俺のこういう感は外れた事がないんだがな。でもここまで来て婆さんがシラを切る理由が判らんな。ちゃんと名乗りをあげても良いと思うんだがな。戸籍上は他人なんだから、坊主にも迷惑をかけることもないのにな」
 僕は、ばあちゃんと陣さんのどっちが本当のことを言ってるのか、もう判らなかった。
確かに茜さんと婆ちゃんはなんとなく似ている部分もあると僕も感じていた。
「まあ、急ぐ事はない。真実は一つだからな」
 そう言い残して陣さんは部屋に帰ろうとする。僕は慌てて
「陣さん!今の事茜さんには……」
「言うわけ無いだろう。その時は必ずやって来る。慌てなくてもな……」
 陣さんは僕に片目を瞑ると二階へ上がって行った。
 僕は只それを見送るしか無かった……

 
 第八章 ラベンダーの間   了

ラベンダーの花言葉……疑惑

「花連荘」の人々  第7章 「鬼灯の間」

第7章 「鬼灯の間」

hoz-2 そろそろ梅雨も明けようかと天気予報では言っていたが、相変わらずお天気は悪い日が続いていた。そんなある日、僕が夕方予備校から帰って来ると、ロビーでセブンスターを吸っていた婆ちゃんは
「お前明日は予備校行くのかい?」
 そんなことを訊いて来たので、一応もっともらしく
「うん、行くつもりだけど……なにか用事?」
 と尋ねるとばあちゃんは少し嬉しそうに
「明日友達と歌舞伎を見に行くのだよ。だからあたしが出かけている間、交代して欲しいんだよ。勿論タダなんて言わないよ。どうだい、バイト代として五千円だすから」
 そんな条件なら、僕が断ることはない。その場で快諾した。予備校なんて毎日行かなくても良いのだ。僕にとっては五千円の方が遥かに大事で、貧乏な予備校生には有難い話である。
 その日、婆ちゃんの見に行くのは夜の部なので、午後早くに華連荘を出て行った。きっと友達と色々と話もあるのだろう。

「しんちゃ~ん。ごはん食べましょう!」
 その日の晩、茜さんが台所からロビーに夕飯のおかずを並べて御飯を盛り、僕を手招きして呼ぶ。茜さんはそろそろ、ひと月近く経っていて、アポートの改装も終わりそうだというが、未だに出て行く気配はない。まあ、いいんだけどね。僕は茜さんが居てくれた方が実は嬉しから。兄弟のいない僕には何だかお姉さんみたいな感じなのだ。茜さんは茜さんで
「だって、ここは居心地良くて暖かいんだもん」
 そんな理由を言っている。それに何故か婆ちゃんも、ずっと部屋代を半額にしたままなのだ。いや、もしかしたらもっと安くしたかも知れない。理由は訊いてないけど、何か思うことがあるのだろう。
「今日はハンバーグよ。好きでしょう! ウチの人も好きなのよ」
 そう言って四人のハンバーグを載せたそれぞれのお皿をテーブルに並べる。お皿にはデミグラスソースが掛かったハンバーグとマッシュポテト、それに花形に切られた人参が綺麗に飾り切りされて載っている。こういうのを見ると茜さんは家庭に憧れているのかも知れない、なんて思う。茜さんが呼ぶと、二階から陣さんも降りて来て三人で夕食を採る。
「ばあさん居ないとちょっと寂しいな」
 陣さんが珍しくそんなことを言っていた時だった。食べながら、何気なく窓の外を見ると、花蓮荘の斜め前の電話ボックスに、誰か入った。
 今日も昼過ぎから、しとしと雨が降り出し、この時間でも止んでいない。傘が必要か要らないか迷う程度の雨が降り続いている。何気なく見ていると、視界の隅にオレンジ色の光が目に入った。
「あれ? なんだろう」
 その方向を見ると、電話ボックスからオレンジ色の炎が立ち上がった。「ボン」という軽い音もしたかも知れない。
「あ、火、電話ボックスで火事だ!」
 僕は思わず声に出して叫ぶと、陣さんが窓から身を乗り出して確認する。茜さんは台所へ行くとバケツに水を汲んで、玄関から急いで電話ボックスへ目掛けて駆けて行く。
僕も残りのバケツに水を汲んで出て行こうとすると陣さんが
「俺がそれをやるから、電話するんだ! 消防と警察に」
 そうだ、それが大事だと思い直し、陣さんに言われた通りに受話器を取り、ダイヤルを廻す。窓越しに見える限りでは、どうやら人が焼身自殺を謀ったように見えた。陣さんと茜さんがバケツの水を掛けて火を消して、人を電話ボックスの外に出して、体を雨にあてている。恐らく全身火傷しているだろうと思う。雨にあてるのは賢明な策だと思う。
 僕はいまや、すっかり慣れて消防に電話をし、次には警察に電話をする。
 そして「焼身自殺かも知れない」旨を伝える。終わると僕も電話ボックスへ急いだ。
 来て見ると、自殺を計ったのは男だった。陣さんが
「こいつ頭から石油かぶりやがって、火を付けやがった。そしたら髪の毛が燃えて
服に火が移って熱いもんだから服を脱ぎやがった」
 陣さんが早口で一気に説明してくれる。
「止めるくらいならやんなきゃ良かったんだ」
 陣さんは茜さんが汲んで来たバケツの水をその男にかけてやる。男は電話ボックスの外で小雨に打たれながら、膝小僧を抱えて体育座りをしている。頭はチリチリに焦げて、顔も煤で真っ黒で、人相も良く判らない。
「かずちゃん、かずちゃん。酷いよ、酷いよ」
 とぶつぶつ呟いている。陣さんが
「何だこいつ、女に振られての自殺か?」
 そう言って男の顔を覗き込む。脇から茜さんが
「きみ、大丈夫?痛く無い?」
 男に訊くと
「はい、少し痛いです」
 と言って腕を差し出すと、すでに腕は水ぶくれで腫れていた。
「うわあ~これはお医者さんでないと駄目だわね」
 茜さんはそう言って持って来た氷を当ててやるが焼け石に水だった。気がつくと、女の子が目の前に立っていた。
 僕はその顔を見て、先ほど「鬼灯の間」に大学生らしき男と入った女の子だと思った。
「お客さんの知り合いですか?」
 そう尋ねると、その娘は引きつった顔で
「知り合いなんかじゃありません、こんな奴……だから私は迷惑だって何回言えば解るの!」
 吐き捨てる様に言った。そう云われてその男は
「だってかずちゃん、急に冷たくなるんだもん。俺、一度でいいから話聞いて欲しくて……」
 そう哀願する様に言うと娘は
「だから、私は話なんかないの! あんたが貯金なくなったら二人の関係が終わるって、前から言っていたでしょう」
「だから、だから俺は最後にせめてお礼が言いたくて……」
「だからぁ、それも迷惑なんだよね。お金のないあんたには逢う価値なんかないんだから」
 そう言って、何と男を蹴ろうとした時だった
「ちょっと待ちなよ。あんたおんなじ女として最低だね。男を騙して金を巻き上げるのは構わないけど。騙すなら最後まで気持ち良く騙してやんなよ。それも出来ない小娘なんかこの人に何かする資格なんかないね」
 茜さんが怒りの表情でその娘に言うと、流石に貫禄の違いとでも言うのだろうか、黙ってしまってそのまま花蓮荘に帰って行った。救急車の音が直ぐ傍まで聞こえてきた。
「あんた、あんな女の為に命を粗末にする事は無いよ。でも命を捨てるくらいなら、何でも出来たと思うけどね」
 茜さんの言葉に男は泣きながら礼を言っていた。
 救急車が到着して、陣さんや茜さん、それに僕が事件の証言をした。隊員が
「火傷はちょっと酷いですが面積的には大丈夫ですので、命に別状は無いでしょう」
 そう言って応急手当てをして貰って救急車に乗り込んだ。
 野次馬もかなり居たが、救急車が去って、パトカーもいなくなると次第に居なくなって行った。
 その頃だ、婆ちゃんが青い顔をして小走りに帰って来た
「大丈夫かい?  駅降りたら知り合いが『花蓮荘が火事で、孫が大火傷で、女の子も大変な事になってる』って言うからさ、もう久しぶりに走ってしまったよ」
 僕と茜さんは笑いを堪えて、今迄の経緯を話して婆ちゃんを一安心させた。さすが茜さんの事まで心配するとは婆ちゃんは人が出来ているとそのときは思った。
「御飯食べ損ねたね。皆揃ったからもう一度食べようよ」
 茜さんの提案で今度は四人でテーブルに着いた。
「やっぱり四人揃うと味が違うね」
「ああ、さっきは何か足りないと思ったんだよな」
 茜さんと陣さんが同じようなことを言ってばあちゃんを喜ばせた。

翌朝、「鬼灯の間」の二人は帰る時も一言も口を利かなかった。
 それを見ながら婆ちゃんは
「ほっときな! いずれ、ああ言う奴らには報いが来るんだよ」
 そう呟いたのが印象的だった……

 第6章 「鬼灯の間」

ホオズキの花言葉……偽り、ごまかし

「花連荘」の人々  第6章 「弟切草の間」

  第6章 「弟切草の間」

 060803cどうやら梅雨に入ったようだった。ここの所しとしとと雨模様の日が続いている。雨は嫌いではないが、こう続くといい加減に嫌になって来る。
 そんなある日のこと、僕がばあちゃんと交代してすぐに茜さんが顔を出した。
「あ、いらっしゃい、いつもの部屋でいいですか?」
 僕がそう訊くと茜さんは、少し困った顔をして
「今日は違うのよ。おばさんにお願いがあって来たの」
 それが耳に入ったのか、婆ちゃんは自分の部屋からビールの大瓶とビヤタンを二個持って出て来て
「あたしに何の用だい?」
 茜さんをロビーに座らせビヤタンを置いてビールを並々と注いだ。白い泡が盛り上がり、「シュー」と旨そうな音を立てる。
「ま、取り敢えず飲もうよ」
 そう言ってグラスを「カチン」と合わせて飲み込む。茜さんも喉を鳴らしながら飲み込む。
「ああ、美味しい!」
 それを見ていて、本当に美味しそうにこの人は飲むと思う。だから店が繁盛するわけだ。
「で、なんだい、頼みって?」
 ばあちゃんの言葉に茜さんはちょっと言い難くそうに
「あのね、おばさん。わたしをひと月置いてくれないかな?」
「なんだい、それは。うちはアパートじゃないよ」
「うん、それは判っているんだけど、実はね、私の入ってるアパートがね、改装と言うのかな、最近の言葉だとリ・ニューアルと言うのかな、なんか直すらしいんだよね」
 そこまで言って茜さんは再びビールを口にして
「それで、その間だけ部屋を貸してくれないかな、なんて思って頼みに来たの」
 婆ちゃんはビールを飲みながら聞いていたがビヤタンを置いて
「なら仕方ないね、でもアパートには住めないのかい?」
「うん、その間ガスも電気も止まるんだって。それなら暮らせないもの、だからお願い」
「それじゃ仕方ないね、角の部屋を使えばいいよ。あそこなら他の部屋のことも気にならないだろう」
 ばあちゃんの返事を聞いた茜さんは喜びの笑みを浮かべる。
「本当! おばさん有難う。本当に恩に着るわ」
「勘違いしたら困るよ。タダで貸す訳じゃ無いんだからね」
「もう、嫌だおばさん、当たり前じゃない。ちゃんと部屋代は払いますよ」
 そんな訳で、茜さんは来週からひと月の間、この花蓮荘に住む事になった。後から婆ちゃんに訊いた処、部屋代は通常の半額にしてあげたそうだ
「だって、あの娘からお金を巻き上げる訳には行かないだろう」
 それが婆ちゃんの理屈だった。でも僕はその時は他の理由は深くは考えなかった。

 翌週から本当に茜さんは身の回りの荷物を持って引っ越して来た。
「必要な物は取りに帰れば良いから必要最低限の物だけにしたんだ」
 茜さんはそう言って何やら嬉しそうにしている
「何がそんなに嬉しいの?」
 僕は上機嫌の茜さんに訊いてみた
「当たり前じゃない。だっておばさんや、しんちゃんと同じ屋根の下で暮らすのよ」
 そりゃそうだと思う。だって当たり前の事だと思うのだが、もしかして茜さんは本当は寂しがり屋で、賑やかなのが好きなのかも知れないとその時思った。
 それから暮らし始めて、身近に居ると、色々な事が分かって来る。結構綺麗好きで、部屋の掃除なんかも熱心にやっているし、洗濯などもばあちゃんの洗濯機を借りてほぼ毎日する。それに、これは商売上当たり前だが、料理が得意で台所を借りては料理を作り、僕やばあちゃんと一緒に食べるのが多くなった。
「こうしてると、まるで家族みたいね」
 茜さんが作った料理を一緒に食べながら、そんなことを言って喜んでる。さらに、夜遅くだと、そこに陣さんも一緒に加わって四人で更に賑やかになるのだ。

 そうやって茜さんが花連荘で一緒に暮らし始めて少し経った頃、変わった人がやって来た。格好が変わっていたのではなく、その行動が変わっていたのだ。
 その人はで三十代ぐらいの女の人だが、一人で来たので
「後からお連れさんが来ますか?」
 と僕が訊くと
「いいえ、私だけです。一人では駄目ですか?」
 と訊き返すので
「いいえ、料金さえ払ってくれればウチは一向に構いません」
 僕がそう言うと安心したような表情をした。
 この頃の連れ込みはおひとり様お断り、という所がほとんどだったのだ。だから、一人でも利用できるウチなんかはそんなお客さんも結構来ていたので、良くあることだった。
 部屋に女の人を案内して降りてくると、茜さんがフロントに座っていた。どうやら、僕が部屋に入ってお風呂の説明をしてる時に降りて来たみたいだ。
「あれ、店番もしてくれるの?」
 そんな冗談を言うと茜さんは
「どこに通したの、今の人?」
 何だか真剣に訊いて来るので僕は「弟切草の間だよ」と答える。
「あのね、おばさんには言わなくてもいいけど、今の人なんかヤバい感じがする」
 茜さんはそう言って二階に登る階段をを見つめているのだ。どこでみていたのだろう?
「何がヤバいの?」
 あの女の人からは、そんな変な感じはしなかったからだ。
「なんかね、やけに暗かったでしょう。思いつめてる感じに見えたんだけど。なんかね」
 茜さんも水商売の人だ。その辺の人を見る目は持っていると思う。
「じゃあ、それとなく注意してみるよ」
 その時陣さんがやって来たので
「うん、それが良いと思う。じゃあわたしは部屋に帰るからね」
「ああ、おやすみなさい」
「おやすみ、しんちゃん」
 そう言って茜さんと陣さんは部屋に帰って行った。
 事件はそのあと起こった……

 それから僕は数回部屋の前を通ったりして、様子を見ていた。問題でも起こされたくはなかった。警察なんかに突っ込まれて、根掘り葉掘り訊かれたら困ることも多いからだ。
 二時を廻った頃だろうか、茜さんが二階から降りて来て
「しんちゃん、なんか生臭くて変な匂いがするのよ」
 と言うではないか。僕は
「生臭いって魚臭いの?」
 そんな見当違いのことを言っていたら、陣さんも下に降りて来て
「坊主、あの部屋の女の部屋からだぞ匂いは」
 陣さんがこんな事言うのは珍しいので僕は意を決して弟切草の間に行ってみた。先ほど見廻った時は何でも無かったのだが……
 部屋の前迄来ると確かに変な匂いがする。確かに生臭いのだが、魚ではない匂いだ。何だろうと思って耳を澄ませると、何やら微かに声が聞こえる。僕は声を掛けてみた。しかし返事はなく、中からは
「すいません……ごめんなさい」
 そんな声が微かに聞こえる。僕はこれは普通ではないと思い、部屋の襖を開けようとしたが、内側から鍵が掛かっているので開きはしなかった。そこで僕は二枚の襖ごと敷居から外して一気に取り去った。
 そして僕が見た光景は、何と風呂場から持って来たであろう洗面器に右腕を晒し左手でナイフを使って、手首を切って血を貯めている光景だった。
「何してるんですか!」
 そう大声を出して、ナイフを取り上げる。そして、大声で階下の陣さんと茜さんに
「救急車呼んで!自殺!リストカットだ!」
 と叫んだ。
 それを聴いて陣さんが上がって来て、自分の部屋から包帯を持って来て、そして手首を巻くと言うより締め上げる感じで止血する。もう洗面器一杯になろうとした血はどす黒く鈍く光っている。
「人の血って沢山あるとこうなるのか」
 と妙に感心してしまった。
 茜さんが電話してくれたのだろう、救急車のサイレンの音が聴こえ始めた。僕はその音が中々近づか無い感じがしてしまったが、実際はそうでも無かったのだろう。
 やがて、救急車と消防車が到着して救急隊員が弟切草の間に上がって行く。僕は救急車が花蓮荘に来るのは二度目なので前より若干落ち着いていた。陣さんの止血が良かったみたいで命は大丈夫だとの事だったが、
「もしかしたら血液を輸血しないとならなくなるかも知れません」
 そう言うので、僕は
「僕で良ければ構いませんが何型ですか?」
 と尋ねると救急隊員は
「患者さんに聞いたらO型だそうです」
 と言う。僕もO型だと言うと陣さんは
「俺はAだから駄目だな」
 茜さんは「私もOよ」と言う。確か婆ちゃんも同じだったと思い出した。そのうちにパトカーが来て色々と事情を聴いて来るので、僕は見た事をそのまま警察に話した。
 僕はもう十九歳なので、別にこの時間労働していても構わないと陣さんに教えられた。それに家業を手伝っているのは労働に当たらないそうだ。婆ちゃんも起きて来て、責任者なので色々と応対に当たっている。それやこれやで夜が白々と明けて来てしまった。

 自殺未遂の人は警察が付き添い病院に送られた。僕は部屋にはいると洗面器に貯まった血を流しに流して、綺麗に洗った。正直こんなものは、もう使いたくはない。きっと婆ちゃんも買い換えると思う。婆ちゃんが
「お前、ご苦労だけどもう一度警察に訊かれるかも知れないから覚悟しておきなね」
 そう忠告してくれる。僕は、取り敢えずそんな事はどうでも良くなっていて、お腹が空いているのに関わらず食欲が湧かなかった。
 それから暫くは何だかんだと落ち着かない日が続いていた。僕も警察の人が来たりして、毎日は予備校には通えなかった。最もこの頃になると、予備校も春の半分も生徒は来ておらず、人気の無い講師の授業はそれは悲惨だった。自殺騒ぎは新聞の地域版の片隅に小さく載ったが、僕は予備校で知り合った友達には家の事は何も話さなかった。今度のことで判ったのは僕とばあちゃんと茜さんがO型の血液型だと判ったことだった。
「茜さんも僕も同じ血液型だったよ。婆ちゃんも同じだよね?」
 そう訊くと婆ちゃんはつまらなさそうに
「お前がOならあたしだって同じだろう! 当たり前じゃ無いか」
 そう言う婆ちゃんだった。
 それから暫くして判った事は、あの自殺未遂の人は亭主に逃げられてから精神的におかしくなり、あちこちで自殺のまね事をしている常習者だったそうだ。でも、今回はかなり本気だったと見えて、かなりの出血にも関わらず、自分からは声を出したりして、騒がなかったので、一応本当の自殺未遂として扱われたそうだ。全く迷惑千万なのでこういう事はやりたければ、自分の家でやって欲しいと思う。
 同じ血液型だと判った茜さんは、増々婆ちゃんと親しさを増した様だ。でも、茜さんと婆ちゃん、やたら仲がいいような感じがする。僕の僻みだろうか……

 第六章 弟切草の間  了


弟切草の花言葉……恨み

この度 「第10回星の砂賞」でこちらにの載せました「出張料理人 雅也」で審査員特別賞を戴きました。応援して戴いた皆様、本当にありがとうございました!

「花連荘」の人々  第5章 「キブシの間」

第5章 「キブシの間」

rev そろそろ梅雨に入るのではないかと天気予報が言い出していて、満更それが嘘ではないと感じさせるほど、憂鬱なお天気が続いていた。僕は今日も早々と予備校を出ると真っ直ぐ花連荘に帰って来た。最近は予習室も一杯になることが多く、今日も帰りがけに覗いたら机と椅子は皆塞がっていたのだ。
 花連荘に帰ると、フロントの前のソファーに陣さんとばあちゃんが座って何か話していた。直感で、どうも人には言えないことらしいと僕でも判った。
「じゃあ、兎に角ここに訊いてご覧。あたしの名前出せば、悪いようにはしないはずだから」
「そうか……本当に済まないばあさん。助かるよ恩に着るよ!」
 陣さんは懐から札入れを出して、そこに入っていた厚味のある封筒を置いて行こうとすると、ばあちゃんは
「止しなよ。こんなものは要らないよ。そんな余裕があるならあの娘に服の1着でも買ってあげな」
 そう言われて陣さんは、嬉しそうな表情をしながら
「本当に恩に着るぜ」
 そんなことを口にしてから、振り返り僕に
「おう坊主、またばあさんに世話になっちまったよ」
 そして僕に近づき、何かを握らせた。見ると千円札が皺になって手の平に収まっていた。
「あ、陣さんありがとう!」
 僕がそう言った時は既に玄関の扉の向こうだった。後ろ姿に僕の声が聞こえたのかは判らないが、片手を上げてくれた気がした。
「陣さん一体どうしたの? なんか随分困っていたみたいだけど」
 僕は婆ちゃんに尋ねると、婆ちゃんはセブンスターをゆっくりと吸うと溜息をついて
「陣の組織の娘がね。客の子が出来ちまったそうなんだ。それで何処かいい医者はいないか? と言うんでね。幸子の所を紹介したんだ」
 それで僕にも大体の処は判った。

 婆ちゃんが言った幸子と言うのは。佐藤幸子と言う婦人科のお医者さんで、佐藤病院と言う産科、婦人科、放射線科、内科、外科と言う病院の院長先生だ。
 婦人の病気ならお産から乳がんまで何でも見てくれるし手術もする。近所はおろか遠くまで聞こえた名医と言われている。でも、院長の幸子先生の専門は産科と婦人科だ。
 実は婆ちゃんの小学校の同級生で、子供の頃からの幼なじみなのだ。そして僕も、佐藤病院で生まれたのだ。
「陣さんの組織じゃ、良い医者がいないの?」
「ほら、優生保護法が出来てからは、結構うるさいらしいんだよね。それで余りいい顔しないんだそうだ。それについこの前にも頼んだそうだ。続けてとは困るって言われたそうだよ。そこで、いい医者は居ないか? と訊かれて幸子を紹介したんだよ」
「そうだったんだ……」 
僕は陣さんの組織と聞いて、この前のあの女の人を思い出した。帰る時に鼻についた男の匂い……まさかあの人じゃ無いよなと思って少し胸がざわついた。
「亭主持ちでね。亭主以外の子を生む訳には行かないからね」
 ばあちゃんの言葉で僕の疑惑は膨らんで行く。そりゃ法外な金額を短時間で稼ぐにはリスクはつきものだけど……
「ああ、その子は陣の言うことだと、ウチを利用したことは無いらしいけどね」
 それを聞いて僕は無責任にもほっとしたのだ。
 十一時になりフロントを婆ちゃんと交代して業務に付く。今夜は一部屋を除いて満室だそうだ。皆さん頑張ってると言うことだと思う。することがないので勉強もしないで、ラジオの深夜放送をイヤホンで聴いていると、一時を過ぎた頃に若いアベックがやって来た。
 男は大学生ぐらいだろうか、女は若い。僕よりも若いんじゃないかと思った。多分高校生だろう。客は基本的に前金で貰う事になっているので、先に勘定をして貰う。そして一部屋だけ空いている「キブシの間」に案内をする。
「ごゆっくり」と言い残して下に降りて来る。これで今夜は仕事は無くなった。
 僕の日常なんてこんなもので、毎日面白いことなんか起きないし、事件がある訳でもない。平凡な毎日が続いて行くんだと思った。

 それから暫くしたある日の事、僕はやはり早めに予備校から帰るとロビーに婆ちゃんと何と佐藤先生が座っていた。
「ああ、先生暫くぶりです」
 僕はそう言って挨拶をする。先生には小学校の頃まで良く診察して貰っていたのだ。
「ああ、しんちゃん! 随分大きくなって、これじゃ街で会っても判らないわね」
 佐藤先生はそう言いながら笑ってくれた。
「じゃあ、愛子、私は受け入れ先を探してみるから……」
 ばあちゃんにそう言うと佐藤先生は帰って行った。ちなみに愛子とは婆ちゃんの本名で、身内意外は殆んど明らかにしていない。
「先生珍しいね。一体どうしたの?」
 僕は軽い気持ちで訊いていたのだが、実はは気軽な話では無なかった。
「お前、深夜に良く来る若いアベックって知ってるかい?」
「若いアベック? どのくらい?」
「そうさね。男が大学生ぐらいで、女は高校生かな」
 僕はこの前の深夜に来た二人連れを思い出した。
「ああ、知ってるよ。この前も来たし」
 それを聞いてばあちゃんは
「あのアベックだけどね、子供が出来たんだよ。それを知ったらね、男が雲隠れしてしまってね」
 子供が出来た? それじゃこの前で出来た訳じゃないと思った。
「まあ、男の行方は陣が探してるからいいけどね。問題は出来た子供だよ」
「降ろすの?」
 僕は率直に訊いたが、そうは単純に行かない様だった。
「それがね。生むって聞かないんだよ。それに、親にバレてもう大騒ぎさ。月だって四ヶ月になってると思うしね」
 事情は良く判った。だが、それでなんで婆ちゃんに話が来るんだろう?
「その子がね。そいつだけだったら問題は無かったんだがね、陣の処で稼いでいたんだよ。まあ、本人は客とはちゃんと避妊していたから違うって言ってるんだけどね」
 高校生売春!? いや~現実は進んでる。週刊誌なんかでは女子大生売春って騒いでるのに……
 僕の驚きの表情を見てばあちゃんは
「驚いているんじゃないよ! こっちは大弱りだよ」
 それで話が婆ちゃんの処に持ち込まれたのか。しかし、世の中進んでるのかな、僕は女の子に縁がなく童貞だってのに……
「明日、幸子の所に両親ともども挨拶と相談に行く手はずと決まったんだがね」
 どうするんだろう……僕には想像もつかなかった。婆ちゃんは暫く煙草をふかしていたが、ポツリと
「幸子のことだから裏の道でやるしかないだろうね」
「裏の道?」
「ああ、判りやすく言うと斡旋かな」
 ばあちゃんが説明してくれたことによると、生まれた子を子供に恵まれない夫婦に斡旋するのだ。佐藤先生の所では不妊の治療もしている。世の中には、どうしても子供を欲しい夫婦はいるのだ、そんな夫婦が希望すれば生まれた子をその夫婦の子として、先生が出産証明書を発行するのだ。後年、岩手の産科医が同じ事をしていて発覚してマスコミを賑わせたが、以前からこのようなことは、実は行われていたのだ。

 その後聞いた限りでは、その高校生は病気と言う事で休学し、佐藤病院で出産した。男の子だったそうだが、その子は直ぐにその希望の夫婦に引き取られたそうだ。
 条件としては、将来その子が出産するときは必ず佐藤病院を使う事。これはちゃんとデーターを取っておかないと将来、生まれた子が女の子の場合偶然の力が働いて、もしかの場合があるからだ。兄妹で恋愛になんてならないとも限らないからだ。恐らく引き取った夫婦にも、その事はしっかりと言われているだろう。
 このような事は滅多に無いのかも知れないし、あるいは氷山の一角かも知れない。事実はもっと深いのだろう。そこまでは僕には判らない。
 それから、相手の大学生だが、陣さんの組織が見つけたそうだが、ガンとして自分の子とは認めなかったので……その後どうなったかは知らない……多分陣さんの組織が……いやいい加減な事はよそう。女子高生も
「もう未練は無い、私が馬鹿だった。これからは生まれ変わります」
 と反省してまともになったそうだ。いずれ、素知らぬ顔でどこかに嫁に行くのだろう……

 僕はひとつ大人になり、今夜も花蓮荘のフロントに立つ。


  第5章 キブシの間  了

 キブシの花言葉……出会い、嘘
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