自作小説

「噺家ものがたり」第13話 目指すもの

 落語関係の雑誌はかっては色々と出ていた。月間「落語」季刊「落語ファン」、月間「演芸」とかあったがどれも休刊か廃刊となってしまっていた。今では不定期に「噺の友」という雑誌が刊行されるだけとなってしまっていた。
 世間では落語ブームとか言われているが、浅いブームなのが判る。かってはコアなファンがそれらを買い支えていたのだが、今のファンはCDも買わず、ネットで済ませてしまう。
「ま、録音したのは高座を記録したものでは無く、その時の会場の雰囲気を高座ごと記録したものに過ぎませんですからね」
 柳生は「まさや」で酒を口にしながら雅也の疑問に答えていた。雅也が出したのは、先日半年ぶりに刊行された「噺の友」だった。
 A4のその雑誌に先日柳生が末広亭で演じた「たちきり」の評論が載っていたのだった。内容は柳生の高座を高く評価しており「以前は只旨いだけの噺家だったが、復帰してからは噺に凄みが加わった」と評されていた。
「それほどじゃありませんよ」
 凄いと褒める雅也に対して柳生は謙遜する。いや本当の気持ちなのだろう。彼の目指す噺は未だ先にあると考えているからだ。
「今日はふぐの刺身を食べて戴きます」
 雅也はそう言って柳生の目の前に網の目の白い皿に綺麗に並べられたふぐを出した。
「冬と言ったらふぐですよね。落語にもふぐを扱った噺があるんですよ」
 柳生の言葉に雅也が反応した
「へえ~。どんな噺なんです?」
「ある旦那の所に出入りの幇間が尋ねて来るんです。丁度ふぐが手に入った所なので食べて行けと言うのですが、お互い万が一の事があれば怖いので誰かに食べさせて大丈夫なのを確認してから食べようと話しが纏まります。そこへ乞食がやって来ます。一旦は追い返したのですが、呼び止めて例のふぐ鍋を与えます。
 幇間が乞食の後をつけて行き、様子を見るとイビキをかいて昼寝しているんです。それを見て大丈夫だと思った旦那と幇間は食べ始めます。食べるとやはり旨いのでたちまち食べ尽くしてしまいます。
『美味かった』と言っていると例の乞食がやって来て
『先ほどのものは、すべてお召し上がりになりましたでしょうか?』と訊くので
『全部食べてしまったからもう無い』と答えます。すると乞食は
『お二人とも大丈夫そうですね。それならユックリと食べさして戴きます』
 と落とす噺なんです。昔は中毒になることが多かったですからね」
 柳生の噺を聴いて雅也は
「ふぐはそれまで食べたものによって毒が出来るんですよね。だから毒にならない餌を食べて育ったふぐは無毒なんですよ」
 思いがけない雅也の言葉に柳生は
「ホントですか! じゃあ今日のふぐは?」
「今日のは養殖です。でもこれには毒があります。そもそも無毒のふぐでも肝は出してはならないと決められていますからね。ふぐの内蔵の管理が厳しいのは同じなんです。でも天然と養殖では身の硬さが違うんです。当然養殖の方が柔らかいのですが、面白い事に身の柔らかい方を好む方もいらっしゃるですよ」
 雅也に言われて刺し身を口に運んで見ると確かに天然に比べると少し柔らかいが、返って旨味が口に広がるのが速いと感じた。
「捨てたものじゃ無いでしょ」
 確かにそう感じた。
「コリコリした食感だけを楽しんで、旨味を感じる前に飲み込んでしまう人もいますからね」
 確かに食感を第一にして、それだけを大事にする人も居ると柳生は思った。
「大体、日本では鮑の水貝のコリコリ感が良いとされていますからね」
 雅也の言葉に頷く柳生だった。
「神山さんだったら、どう食べるでしょうかね?」
 柳生は今日は来ていない神山の事を思った。
「そうですね。黙って出したら気がつかないかも知れませんね。天然のふぐでも身の柔らかいのはありますからね」
 それを聴いて柳生は落語も演者が色々と考えて演じても、受け手の客が、それを感じられ無ければ何もならないと思った。全てに於いてそうだが、特に落語と料理は似ていると感じた。
「私は料理人として、理想はお客さん一人ひとりに合わせた料理を出せればと思っているのですが現実には難しいです。師匠は理想とする落語の形ってどんなものなのですか?」
 雅也は一度柳生の追求する噺の形を訊いてみたいと考えていた。恐らく神山ならそんな事は訊かないであろうとは思った。何故なら、数多の名人を見て来た彼ならそれぞれが違った特徴を持っていて、そのどれもがオリジナルに溢れており、誰かの二番煎じでは無いことを良く理解しているからだ。
 落語関係の雑誌の編集者として神山はそれだけの資質を持っていると柳生は考えていた。
「そうですね。古典落語はどれも本当に良く出来ています。だから演じるにあたって、自分の考えて簡単に噺を変えないことですかね」
「噺を変えない?」
「そうです。良く落語は大衆芸能だからお客にウケるように変えて行くべきだ。という意見の人が居ます。間違いではありませんが、それだけでは落語が死んでしまいます。お客にウケるだけなら何も落語でなくても良い訳です。漫才でも漫談でもコントでも構わない訳です。でも幾ら爆発的にウケたとしても、それらは残りません。かっての漫才ブームの時の漫才が残っているかと問えばお判りでしょう」
 柳生がここまで己の考えを口にするのは初めてだった。
「勿論、全く変えなくても良いという訳ではありません。変えて行くべきですが、それらは良く考えて、独りよがりではならないと思っています。その意味で個人的にはお客さんの耳に心地よい噺が出来れば良いと思っているんです」
「耳に心地よいとは、深いですね」
 雅也は柳生の真意を理解したみたいだった。
「ふぐの中骨で出汁を取ってありますから、〆に雑炊作りますか?」
「ああいいですね。寒い夜にはピッタリですね」
 小料理「まさや」は静かに更けて行くのだった。

「噺家ものがたり」第12話 葱鮪の殿様

 寒くなると食べたくなる料理に鍋料理がある。入れる材料によって幾らでも変化して行くのが面白い。白菜、キノコ、白身魚やエビ、ホタテ等を入れて鰹と昆布で出汁を取った汁を加えて鍋にすれば「寄せ鍋」となる。
 これに鶏肉を沢山入れれば「鶏すき」とか「水炊き」となる。また、魚を排し、牛肉とか焼き豆腐とか白滝を入れて溶き卵を絡ませて食べれば、すき焼きとなる。
「今日はこちらを食べて戴きます」
 いつものように、仕事が終わった後で寄った「まさや」のカウンターで神山と柳生は雅也が出したものに目を見張った。
「これは……」
 怪訝な顔をする神山に柳生が
「これ小鍋立てですよね。でも中身は……」
 そう言って二人の前に置かれた小さな土鍋の中を覗き込んだ。
「これは葱鮪ですね」
「さすが師匠ですね。そうです葱鮪鍋です」
 少し小さめの土鍋の中には濃い醤油の出汁に幾つもの四角く切られた鮪と筒状になった葱が浮かんでいた。
「熱いうちに食べてください」
 鍋の下には焜炉があって火が焚かれていた。
「燃料が切れると冷めますので」
 雅也に言われて二人は小さめの鍋用のお玉杓子で煮えた鮪と葱を少し深めの取皿にすくった。それを箸で摘み口に入れる。
 柳生は神山が慌てて食べるので
「急ぐと鉄砲で撃たれますよ」
 そんな物騒なことをいう。
「アチチチ!」
 神山が慌てグラスに入っていたビールを口に流し込む
「葱鉄砲に当たりましたね」
 柳生が愉快そうに言うので神山が
「葱鉄砲って言うのか。熱々の葱を噛んだら中身が飛び出して喉の奥が熱いのなんの。火傷したかも知れないなぁ」
「慌てるからですよ。葱鮪はその熱さも醍醐味なんですよ」
 雅也がカウンターの向こうから語りかける。
「全く『葱鮪の殿様』だな」
 神山はもう一口ビールを飲んで喉を冷やすと二回目の葱鮪に取り掛かった。
「『葱鮪の殿様』って落語があるんですよ」
 少し不思議な顔をした雅也に今度は柳生が説明をする。
「へえ〜どんな噺なんですか?」
 雅也の言葉に柳生が説明を始めた。
「明治時代に、先々代の立川談志師の作を昭和になって古今亭今輔師が直した噺なんですよ」
「へえ〜じゃあ新作なんですか?」
「今は古典となっています。冬になると寄席でも掛かります。筋を言いましょうか?」
「是非!」
 雅也の頼みで柳生が語りだした。
「あるお殿様、三太夫を連れて向島の雪見にお忍びで出掛けました。本郷三丁目から筑波おろしの北風の中、馬に乗って湯島切り通しを下って上野広小路に出てきますと、ここにはバラック建ての煮売り屋が軒を連ねています。
 冬の寒い最中でどの店も、”はま鍋”、”ねぎま”、”深川鍋”などの小鍋仕立ての料理がいい匂いを発していますので、殿様 その匂いにつられて、下々の料理屋だからと止めるのも聞かず、一軒の煮売り屋に入って仕舞います。
 醤油樽を床几(しょうぎ)がわりに座ったが、何を注文して良いのか分かりません。小僧の早口が殿様にはチンプンカンプンで、隣の客が食べているものを見て聞くと”ねぎま”だと言うが、殿様には「にゃ~」としか聞こえません。
 さて、ねぎまが運ばれ見てみると、マグロ は骨や血合いが混ざってぶつ切りで、ネギも青いところも入った小鍋でした。三色で三毛猫の様に殿様には見えたのですが、食べるとネギの芯が鉄砲のように口の中で飛んだので驚き。酒を注文すると、並は36文、ダリは40文で、ダリは灘の生一本だからというので、ダリを頼みます。結局向島には行かず、2本呑んで気持ちよく屋敷に戻ってしまいました。
 家来は、その様な食べ物を食べたと分かると問題になるので、ご内聞にと言う事になったが、こ殿様は味が忘れられぬ有様です。
 ある日、昼の料理の一品だけは殿様の食べたいものを所望できたので、役目の留太夫が聞きに行くと「にゃ~」だと言います。聞き返す事も出来ず悩んでいると、三太夫に「ねぎまの事である」と教えられます。
 料理番も驚いたが気を遣って、マグロは賽の目に切って蒸かして脂ぬきし、ネギは茹でてしまった。それで作った”ねぎま”だから美味い訳はないのです。
「灰色のこれは『にゃ~』ではない」の一言で、ブツのマグロとネギの青いところと白いところの入った 本格的な三毛(ミケ)の”ねぎま”が出来てきた。満足ついでにダリを所望。これも三太夫に聞いて燗を持参。大変ご満足の殿様、
『留太夫、座っていては面白くない。醤油樽をもて』こんな噺なんです」
 柳生が語り終わるのを待っていた神山は
「だから噺と同じ事をしてしまったと言う事なんですよ」
 そう言って笑った。
「お殿様はちゃんとした葱鮪を食べられて良かったですねえ」
 女将がそんな感想を言った。
「だって、『目黒のさんま』のお殿様は結局、焼いたさんまを食べられなかったのでしょう。可哀想ですよ」
 落語の噺なのに真剣にそんな事を言う女将が微笑ましいと柳生は思うのだった。
「大将。これに合う酒はなんだい?」
 神山が雅也に尋ねると
「そうですね。日本酒ですね。それも辛口がいいですね」
 そう言って棚から一本の酒を出して来た。
「『黒松剣菱』です。どの鍋料理にも合いますよ」
「他には」
 今度は柳生が尋ねる
「そうですね。個人的な好みですが、『亀の井酒造』の『くどき上手 純吟辛口』ですかね。酸味と辛味のバランスが良いんです」
 雅也はそう言って「黒松剣菱」の封を切って、酒用のグラス二つに酒を注いだ
「さあ試して下ださい」
 雅也に進められて二人はグラスを口にする。透明に僅かに琥珀がかった液体が喉を通って行った。
「今夜は良い夜になりそうだな」
 神山の言葉に三人が頷いた。

「噺家ものがたり」第11話 告白

 半月後、柳生が編集部に顔を出した。手には東北のお菓子を下げていたので、土産を持って来たのだと判った。
「これ編集部の皆さんでお茶請けにでも食べて下さい」
 そう言って土産を神山の机の上に置いた。
「悪いね。気を使わなくても良かったのに」
「でも手ぶらじゃ来づらいですよ」
 そう言って笑った。
「今日はこの後あるの?」
「いいえ。あちこち挨拶回りして、ここが最後なんです。神山さんさえ良ければ、あそこに行こうと思いまして」
 あそこが「まさや」だとは直ぐに判った。
「もうすぐ終業の時間だから待っていてくれ。一本記事を書いたら終わりだから」
 柳生はその言葉に頷いて他の部署に行って来ると編集部を出て行った。
 それから一時間後、二人は編集部を出て「まさや」に向かった。勿論車は置いて出た。
「いらっしゃいませ~」
 女将さんの声に迎えられて、何時ものようにカウンターに座ろうとすると神山が
「奥のテーブルで良い?」
 そう柳生に確認を取った。
「あ、いいですよ」
 そう言って二人は奥の四人掛けのテーブルに座った。神山がこの席を選択したので、柳生は今日の神山の腹の内が推測出来た。
「お通しです」
 女将が持って来たのは薄緑の小鉢よりも更に一回り小さい器に入った鮮やかな緑色の豆だった。
「これ、空豆?」
「はい翡翠豆です」
 雅也の言葉に柳生が
「今の時期で採れるのですか? 空豆というと初夏のものだと思ってました。噺でも豆の出る噺がありますが、『明烏』の甘納豆以外は大体夏の噺です」
「初物なんです。指宿で今頃から採れるんですよ。まあ、ハウス物ですけどね。珍しさだけですけどね。塩で揉んで茹でて皮を剥くと鮮やかな緑の豆が出ます。今の時期は季節的な色で言うと茶色でしょう。だからこんな鮮やかな緑が目の保養になると思いまして」
 神山は雅也の言葉を聴いてなるほどだと思った。味だけではなく目でも楽しませる料理の奥深さを感じた。一方柳生は、料理は落語に通じるものがあると感じたのだった。
「飲み物はそうしますか?」
 女将の言葉に神山が
「そうだな。ビールよりも酒かな。ヒヤで良いよ」
 そう言って日本酒を頼んだ。すると雅也が
「今日は珍しい酒が手に入ったのですよ」
「珍しい酒?」
 今度は柳生が興味を持った
「ええ、京都の伏見の酒なんですが、江戸時代からの酒蔵なんですが、昔から江戸には下らせなかったそうなんです」
「下り物じゃ無いという事か。噺だとくだらないと洒落てしまいますけどね」
 柳生の軽口に雅也は
「余り量を作ってなかったので上方で消費されてしまっていたのです。だから江戸では飲めない酒だったんですね。今でも同じなのですが、たまたま手に入りましてね。それならお二人に是非とも飲んで欲しいと思っていたのですよ」
 二人は素直にありがたいと思った。
「燗でも良いのですが、やはり最初はヒヤで飲んで欲しいと思います」
 雅也はそう言って女将にお銚子を二本持たせた。
「どうぞ」
 受け取ってぐい呑みに酒を注いで口に運ぶ
「うん、何て言うか淡麗辛口とも言うのかな」
 神山の言葉に柳生が
「そうですね。私なんか先日まで北国の濃い酒ばかり飲んでいましたから余計に感じますね」
 そう言って目を細めた
「師匠、北の酒ってどうなの?」
「そうですね。淡麗というより辛口もありますし、濃厚な甘口もあります。地方によって違うんですが、酒自体の個性が強いですね。それと、お燗をした時に美味しく飲めるように調整されているものが多いですね」
 柳生なりの評価を話している時に肴が運ばれた
「わらさの刺し身です」
 わらさは鰤になる前の名前で上方ではハマチと呼ばれる。冬の魚の代表だ。鰤より脂の乗りが少ないが、魚自体の味のバランスが良い。ちなみに重量が10キロを越すと鰤と呼ばれる。
 神山は酒を一口飲んでから、わらさに山葵を乗せて醤油を着けてを口に入れた。そして酒を口に入れる
「これは……」
 驚いた顔を見た柳生も同じ事をしてみた
「あれ……」
 そんな二人の表情を見て雅也が
「料理を引き立てるでしょう。伏見の酒は大体、京料理に合うように作られているんです。京料理の繊細な味を壊さないように調整されているんですよ」
 その言葉に納得する二人だった。
「実はさ、旅に出ている間に『たけの子園』に行ったんだ」
 神山はこの前の行動について話した。「たけのこ園というのは先日神山が訪れた柳生と美律子の出身の施設の名前である。
「園長、いいや今は名誉園長でしたね。お元気でしたか?」
「ああ、達者なものだったよ」
「そうですか、それは良かった」
「そこで一つ判った事があったんだ」
 神山は先日の事を話した。
「美律子さんが卒園した時にお前さんが引き取ったと言う事を初めて知ったよ。そのままプロダクションに行っただと思っていたからね」
「一緒に暮らしたと言っても半年にも満たない期間ですよ」
「でも、プロダクションとの交渉には立ち会ったんだろう」
「そうですね。入門して七年。二つ目になって四年目。歳も二十二歳になってましたからね。業界のことも少しは判っていましたからね」
「親代わりが」
「そんなところです」
「男女の関係は無かったのか」
「私には、全くそんな気はありませんでした。だって赤ん坊の頃にオシメを何回も変えてあげたのですよ。女として見られる訳ないじゃありませんか」
 柳生はため息を吐くと酒を口に運んだ
「じゃあ、その想いは美律子さんだけが思っていたんだな」
「そうです。でもいつ頃から思っていたのかは判りません」
 神山は、想ってる方は常に思っているのだろうが、想われている方は解り難いのだろうと思った。
「まあ、そうだろうな。でも気がついたのはいつ頃なんだい」
 神山の質問に柳生は遠い目をして
「そうですね。いつの間にかという感じですが、告白されたのは彼女が成人した時ですね。寮から出てからです」
「なるほどね」
 納得できる話だった。この点について嘘は無いと思った。
「夜なんか部屋に帰ると待ってるんですよ。終電も終わってるから仕方なく泊まらせるんですが、そんな時に自分の想いを連々と告白しましてね。それが自分の仕事が暇な時には連日でした」
 神山はそこまでだったとは考えていなかった。
「そんなのが続いていた時だったんです。美律子が死にたいと言って来たのは。色々と聴きました。かなりの事まで強制されたそうです。そこで私は、あの時私が美律子の想いを叶えてあげていたら。一度でも美律子を抱いてあげていたら。ここまで思い詰めなかったと思ったのです。だから半分は、私が美律子を追い詰めたのですよ」
 柳生はお銚子から酒を注いで更に口に運んだ。
「それが真相か」
「そうです。単なる同情では無いんです。だから最後に私は美律子の想いを叶えました。男と女として結ばれたのです。彼女は『これで想い残すことは無いわ』と言っていました」
 神山は柳生の芸が復帰した時に以前より達者になっていたのにはこんな事を体験したからだと納得したのだった。

「噺家ものがたり」第10話 空白

 柳生の北国での興行は盛況だったみたいで、地方紙の夕刊の演芸欄でも紹介されて、かなりの評価を得ていた。神山ぐらいになるとその地方に知り合いが居て、それぞれの地方紙での演芸の記事等を送って貰っている。逆に東京でその地方出身の芸能人等の情報を送っている。
 神山は北海道での口演の模様を書いた記事を読んでいた。ゲストが居るとはいえ、独演会なので柳生は少なくても二席、それも大根多が中心で、中には三席やったところもあった。
「いずれも好評か。人気も芸も鰻登りだな」
 そんな神山の呟きを耳にした同僚の佐伯が
「柳生は今一番聴きたい噺家なんだそうだ。噺が上手くって、仕草に色気があっておまけにイケメン。これで人気が出ない方がおかしいよ」
 確かに佐伯の言う通りで、柳生は噺家以上の人気の出方だった。
「でも、あれで浮いた噂の一つもないんだからな。あの事件が尾を引いてるのかね」
 佐伯それだけを言うと、神山の言葉を聞かすに取材に出てしまった。空いた編集部で神山は考えていた。
『柳生が東京に帰って来たら直接確かめるかどううか』
 素直に告白するとは思えない。もし聞いてもそれは公に出来るものではない。事件は既に処理されてしまってるのだ。
「やはり足を使って調べないと駄目だな」
 神山は自分の仕事を片づけると愛車に乗って都内を西に走らせた。行き先はかって柳生と美津子が十五歳まで過ごした施設だった。確かその施設は私立なので当時の園長が引退したとはいえ、名誉園長として圓にいると柳生から聞いていたのだ。
 直接尋ねても何も得られないかも知れない。でも確かめておきたかった。
 郊外の園を尋ねると幸い名誉園長は在宅していて柳生の知り合いだと言うと逢ってくれた。
 園の応接室で挨拶をする
「はじめまして、演芸情報誌『東京よみうり版』の記者の神山と申します」
「この園の名誉園長をしています。秋山孝子と申します。今日は顕くん。いいえ今は柳生師匠でしたわね。あの子の取材ですか?」
 演芸関係の雑誌だからそう察してくれた。かなりの高齢だが頭は現役だと思った。
「そうなんですよ。彼は今や人見抜群でしてね。現に今は北国を回ってるんですが、何処も人が入りきらないほどなんですよ」
 少しの誇張もなく事実だけを伝える
「そこで、彼が幼い頃はどうだったのかを取材しようと思いました」
 神山がそう言うと名誉園長は
「本当に良かったです。一時は本当に心配したんですよ。この園出身の二人があんな事になるなんて」
 神山が切り出す前に向こうから切り出してくれた。
「あの事件ですか。大変心配なされたでしょう。御察し申し上げます」
「ありがとうございます。なんせここに居る時から兄弟のように育ちましたからねえ、だから美津子ちゃんが酷い仕打ちを受けて自分の事のように感じてしまったのでしょうね」
 この言葉からは新しい情報は得られない。
「いっそのこと二人は一緒になれば良かったのに」
 神山は探りを入れてみた。そう、二人が一緒になれば何の問題も無かったのだ。
「そうなんですよ。でもお互いに男女という想いは薄かった気がします。特に顕くんはその気が薄い子でしたから」
 やはり名誉園長も気が付いていたのかと思った。柳生は総じて女性に余り興味を持たないみたいだからだ。自分の仕事の範囲なので、その事に関しては色々な噂を知っていた。
「でも、美津子さんはどう思っていたのでしょうかね」
 ここが大事だった。ここが否定されれば今までの考えは神山夫婦の妄想で終わってしまう。
「美津子ちゃんは多分本気だった。だって顕くんが園を出るときに泣いてね。その時の目が八歳だったのに、おんなの目だったのよ。あれは人を愛する事を知っているおんなの目だった。だから、さっきは事件は同情だと言ったけど、それは間違いでは無いけど、それだけでは無かったと思う」
 名誉園長は柳生を本名で呼んだ。
「八歳でおんなですか……」 
「肉体的にはまだまだだけど、心は完全だったのじゃ無いかしらねえ」
 名誉園長の言葉を聞きながらも当時のことを考える。
「彼は卒園してすぐに師匠の所に入門出来たのですか?」
「そうね、その前から寄席の出口で待ち構えていたから、卒園までには決まっていたわ」
「では美津子さんの時はどうしたのですか」
「あの子の時は顕くんが引き取ったのよ」
「え、引き取った?」
「そう。そのころ二つ目になっていたし、成人しれいたから一緒に暮らしたのよ。だから一緒になるものだと思ったの」
 確かにそう思われても仕方ないと思った。
「初めて聞きました」
「今まで誰にも尋ねられなかったから」
 確か石川美津子の経歴では園を卒園後直ぐにプロダクションにスカウされた事になっていたはずだった。
「スカウトされたのは少し経ってからだったと思うわ」
 では、どれぐらいの間一緒に居たのだろうか。確か美津子をスカウトしたプロダクションは十代のうちは寮に住み込みのはずだった。今でもそれは変わらないはずだった。
「卒園する時、美津子ちゃん嬉しそうだったわ」
「一緒に住めるからですか?」
「他に何があるの」
 名誉園長の言葉を胸に仕舞い、礼を言って園を後にした。
 美津子としてみれば、晴れて一緒になれると思ったのだろう。でも実際は自分の思いと違っていた。それもあって、スカウトされたから芸能界に飛び込んだのではと、神山はハンドルを握りながら考えていた。
 少なくとも、美津子と一緒に暮らしていた事だけは確かめたいと思った。

「噺家ものがたり」第9話 秋和良渓谷

 神山は夕食の前に渓谷に降りてみることにした。幸い、旅館から見える位置にあり歩いても訳はない。
 旅館の脇にある階段を下りて行くと程なく渓谷の入り口に到達する。暫く歩いて行くと渓谷の河原の脇に、二本の牛乳瓶が置かれていた。神山はここが心中の現場だと直感した。花が置かれていた跡も確認された。恐らく命日には誰かが花を供えているのだろう。
「ここが現場なら旅館からも見えるわね」
 薫がグルッと周りを見渡して呟く。
「人の来ない時期の観光地を選んだ割りには随分近間でやったという印象だよな」
 閑散期を選択し、平日というわざわざ人の来ない時期を選択しておいて、直ぐに見つかるような場所を選んだのが納得出来なかった。
「あの時、病院では無くここにも来れば良かった」
「それどういうこと?」
 神山の言葉に薫が尋ねる
「事件を聞いてすぐに柳生が収容された病院に行ったんだ。だけどここには来なかった。あの時帰りにでも寄っていれば何か判ったかも知れない」
 だが、それを出来る状況では無かった事も事実だった。
「あの頃って未だスマホとかタブレットとか普及して無かったから情報を伝える手段が限られていたわよね」
 薫の言葉通り、今なら現場から簡単に原稿を送れる。当時も手段が無くはなかったが、今よりも大変だった。事件が起こって緊急で駆けつけた神山にはそんな準備は出来なかったのだ。不意に薫が疑問を口にした
「ねえ、美津子さんは柳生さんのことを、どう思っていたのかしら?」
「はあ? どうって兄弟みたいに思っていたんだろう」
「兄弟なら心中なんかしないと思う」
 その言葉を聞いて神山はハッとした。そうだ、何処の世界に兄弟を道連れに心中する者が居るだろうか。
「普通なら兄弟が困っていたら、精神的にせよ金銭的にせよ援助して支えてあげるんじゃ無いかしら」
 薫の言う事も一理あると思った。同情して行動を共にするのは筋違いな気がした。
「これは私の直感で、何も確信は無いのだけど、柳生さんは、ああいう人だから判らないけど、美津子さんはきっと柳生さんの事を好きだったのじゃ無いかしらと思ってるの」
 薫は渓谷の景色を眺めながら
「好きな人だけど、相手は自分のことを何とも思っていないと判った時って、女は何を考えるか判らないと思う。私だって孝之さんに同じような素振りをされたらショックだったと思う。歳が少し離れていたから」
 神山は薫の告白を聞いて口角を上げながら
「そんな事はないな。俺はスケベだから最初から好い女だと思っていたさ」
「そうなの? それにしては最初に二人で伊豆の温泉に行った時に抱いてくれなかったじゃない」
「あれは仕事として熱海に行ってそのついでだったからな。だから、その後直ぐにモノにしただろう」
 神山は女って昔の事を良く覚えているものだと改めて実感した。
「そうか、石川美津子はかなり前から柳生の事を意識していたのか!」
 神山の言葉に薫が
「帰ったらちゃんと確認しておいた方が良いと思うな」
 そう言って神山の方を、向き直して言った。
「柳生があいつの言葉通り、妹としてしか見ていなかったら」
「その時は可愛さ余ってとか」
「あるかもな。そうなれば心中というのか。殺人未遂じゃないのか?」
 神山はそれを隠す為に柳生は嘘をついてるかも知れないと思った。
「兎に角、来て良かった。色々と整理出来たよ」
「さ、部屋に帰って夕食食べよう!」
 全ては東京に帰ってからだと思った。
 夕食には地元の食材を使った料理が沢山出された。中でも落ち鮎を薫が気に入って神山の分も食べてしまった。落ち鮎は卵を持っていてそれを唐揚げにしたのを随分気に入ったのだった。
 神山は、酒に口をつけながら、先ほど薫が言った言葉を思い出していた。柳生が何故一緒に死んで行くことに納得したのかと言う理由が「同情」だけでは心許ないと思っていた。人間が幾ら親しくしても、同情だけで死を選択するだろうかと思っていたのだ。だから薫の言葉には納得する部分があった。
 では真相は心中で無ければ何なのだろうか? 自分を振り向いてくれない相手に対して殺意を覚えるかどうか?
「何考えているの? それ食べなければ私が食べちゃうよ」
「あ、ああ食べるよ。食べる」
「ねえ、さっき言った言葉ホント?」
「え、何のことだい」
「私と最初に逢った時の印象」
「ああ、そうさ、俺のモロ好みだと思ったよ。だから後で見かけた時に声を掛けたんだ。その話はもう良いだろう」
「うふふ。何回でも聴きたい!」
 薫はそう言って神山に近づいた。夜がゆっくりと過ぎて行った。
 東京に帰って来て通常の勤務に戻る。本当はすぐにでも柳生に尋ねたいところだが、生憎と柳生は寄席の出番が終わったので、地方公演に出かけていた。北海道から下って青森、岩手、秋田と回る興行だった。何れの会場でも前売り券は完売状態だと言う。
「暫くは無理か」
 神山はその間に柳生に尋ねる質問を整理しようと思った。
 第一に、柳生の美津子に対する気持ち
 第二に、美津子の柳生に対する気持ち
 第三に、当日二人の間でどのような会話がなされたのか。 
 そして、一番大事なのが、美津子に殺意があったのかどうか、だった。
 それを確認しても美津子が亡くなってしまった現在ではどうする事も出来ないが、真相だけは知って置くべきだと思った。そして柳生の心の内も……。
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