短編

氷の音

61582_1500720112「カラン!」
 人の居ない静かな店に、グラスの氷が溶ける音が響き渡った。
 その音に気がついて顔を上げると向かいの席に座っていた女性は居なかった。
 薄っすらと漂う彼女の付けていた化粧の香りが物悲しかった。少し前までその女性は僕の彼女だった。
 溶けた氷は彼女が飲んでいたレモンスカッシュの入っていた氷だった。解けてグラスの底に落ちた様が、まるで今の僕の気持ちのようだった。
『何が悪かったのだろうか? 僕には彼女と恋人で居る資格なんか無いのだろうか?』
 そんな想いが心に渦巻く。僕の何が彼女を怒らせてしまったのだろうか?
 怒らせた、と言うのは少し違うかも知れない。彼女は僕の返事を聞く前に席を立ってしまったのだから……。
 交際して、足掛け三年になる。ついさっきまでは順調だったのだ。今年の末には婚約して、来年には結婚する……そんな想いを抱いていた。恐らく彼女の胸の内も、それほど違わないと思っていた。実際、言葉の端々にもそれが伺えたからだ。
「わたしと趣味とどちらが大事?」
 彼女が最後に僕に問うた質問だ。
 僕は直ぐには答えられなかった。だって、彼女と趣味なんて比べられるものでは無いからだ。少なくとも僕の思考回路はそう出来ている。
『大事な彼女と自分が中心の趣味では比べる価値観が違う』
 素直にそう思った。そして答えた
「そんな、比べられないよ」
 重い時間が経過して、彼女が大きなため息をついて席を立ったのだ。そして踵を返して店から出て行ってしまった。「さよなら」と一言だけ残して……。

「どうですかねえ?」
「陳腐だな。五十年前だったら褒められたかもしれんが、今では素人のネット作家でもこれよりマシな文章を書く。お前一応プロの作家なんだから、もう少しマシなものを書いて欲しいな。書き直しだ」
 僕の書いた文章が印刷されたA4の原稿の束を、先輩は無造作に突っ返した。それを受け取って
「次の締切は何時ですか?」
 僕の質問に、咥えていたタバコを灰皿に潰して
「明後日の午前十時だ。それまでに俺が納得出来るモノを書けなかったら、この話は無かった事にして貰うからな。この陳腐な文章じゃ無いけど、溶けて無くなると思いな」
 その言葉を胸にしまって、炎天下の街に出た。自分の部屋には帰りたく無かった。エアコンの調子が悪く、ロクに冷えない部屋で創作はしたく無かった。何処かクラーの効いた場所でこの文章を推敲したかった。
 結局、行きつけの喫茶店に向かう事にする。先輩の勤務している出版社から地下鉄で一駅の場所にある店だ。
 財布を探って見ると持ち合わせが少ない事に気がついた。Suicaの残高は僕が部屋に帰る分しか無かったはずだった。結局、喫茶店まで歩く事にした。距離にして一キロと少し。十五分も歩けば到着するはずだった。
 正直、七月の炎天下に東京の街を歩きたいとは思わない。でも今の僕にはそれしか選択する事が出来なかった。
「いらっしゃいませ」
 聞き慣れた声が迎えてくれた。お金が元心許無いのにこ、の喫茶店に来たのには理由がある。僕はこの店で飲み物を飲める回数券を持っているのだ。メニューの中から五百円以内のものなら回数券で飲めるのだ。回数券の残りは五枚はあったはずだった。
 要するに僕はお金が無いので節約したいのだ。今日、先輩に見せた原稿が採用されたら、原稿料が入るので、楽になるはずだった。取らぬ狸の皮算用では無いが、正直宛てが外れたのだった。
 いつもの席に座って、回数券を見せて「レモンスカッシュ」を頼む。ウエイトレスさんが「かしこまりました」と言って回数券を一枚千切って行った。出されたグラスの水を一口飲む。炎天下を歩いて来た者にとっては心地よい冷たさが喉を通り過ぎる。中に入っていた氷の欠片の一部を口に入れて噛み砕くと一層、その心地よさが増した。
 黒い自分の鞄からポメラを出す。ポメラと言うのはテキストだけを入力出来るツールで簡易パソコンみたいな奴だ。僕は、外で創作をする時はかならずこれを使う。
 ネットに繋がらないので創作に集中出来るのだ。結構愛好者は多く、新機種が出ると話題になる。最近D200という新機種だ出たのだが、少し価格が高いので今の僕には買えない。僕が使っているのは一つ前の機種のD100という機種だ。これも新型が出るので格安になったので買ったものだ。新しい機種はかなり評判が良いみたいだが、今の僕にはこれで充分だ。創作活動においては不便さは感じない。
 出先で、入力して部屋に帰ってPCに移して推敲、校正する。だからポメラさえあれば僕にとっては何処でも書斎になりうるのだった。
「おまちどうさまでした」
 ウエイトレスさんが僕が注文したレモンスカッシュを紙のコースターの上に置いてくれた。
「あ、ありがとうございます!」
 形ばかりの礼を言うと彼女は
「良くわからないけど、お仕事、余り上手くは行って無いみたいですね」
 そんな事を言われてしまった。
「そんな事判るのですか?」
「判りますよ。毎日のように見ていれば」
 ここには、ほぼ毎日来るが、彼女にそんな事まで見られているとは今まで思ってもいなかった。
「それは知りませんでした」
「だって、わたし、先生の作品、結構買ってるんですよ」
「え、僕が作家の端くれだって知っていたのですか? マスコミになんか全く出ないのに……」
「だって著作のカバーの扉に作者近影って載っているじゃありませんか」
 言われて見ればその通りだった。最近は自分の姿を載せない作家も居るが僕はそんな事はしない。というより、そんな事も思いつかなかった。
 半分笑顔を見せながらウエイトレスさんはカウンターの方に帰って行く。その後ろでマスターが笑っていたのが印象的だった。
 二人の笑顔を見て、何か良い作品が書けるような気がした。その時グラスに入ったレモンスカッシュの氷が「カラン」と音を立てた。


                   <了>

年の初めに思うこと

「年の初めに思うこと」

 わたしの家は年が明けると先祖の墓参りをする慣わしになっている。子供の頃はそれが嫌だった。
 何が好きで真冬の寒い中こんな人里離れた山の中にある墓に来なくてはならないのだと、いつも思っていた。母と父に連れられてしぶしぶ来ていたのだ。
 墓に着くとまずは墓掃除。周りの枯れて萎れた雑草を抜いて、近くを流れている小川から水を汲んで来て、墓そのものを綺麗に磨きあげる。日頃来られない不精を心の中で詫びる。せめて綺麗にすることで眠っているご先祖様に詫ているのだと思った。
「こうすると、ご先祖様が喜ぶのよ」
 母が良く言っていた言葉だ。その母も今はここに寝る。
 思えば色々な家のしきたりなどは皆母から教わった。当時は何も思わなかったが、考えると不思議だと気がつく。
 母は他所の家から嫁いで来た人で、わたしと違って、この家の生まれた訳では無かった。それなのに本当に色々な事を知っていた。
「年の暮れの神棚を掃除するのは、そこの家の当主がするんだよ。当主がいない時はそこの家の長男や男の子がするものなのよ」
 よく、そう言っていた。無論父が元気な時はやっていたが、動けなくなるとわたしの夫がそれに代わった。
「次期当主だからな」
 そんなことを言って結構喜んで掃除をしていた。無論当主となった今、数日前に夫は嬉々としてやっていた。
「順ぐりなんだよ。巡ってるのさ。こういうのは」
 夫の言葉で我に帰ると夫は子供と一緒に綺麗に草を取り除いていた。
「水汲んでくるから、子供見ておいてな」
「判った。気をつけてね」
 わたしの言葉にバケツを持った左手では無く右手を挙げると、夫は小川の方に消えて行った。
 わたしは持って来たゴミ袋に山と積まれた雑草を入れる。その間に息子が車からお墓を掃除する道具を出して来た。
「バケツは父さんが持って行ったから雑巾とたわしと……花とお線香は未だいいよね」
「そうね。濡れちゃうから今はまだ車に載せておいてね」
 中学生になる息子はやはり長男という自覚が出て来たのか、色々な家の行事にも手伝ってくれるようになって来た。小学校の頃はお墓に来ても車の中でゲームばかりやっていて、最後のお祈りする時だけ参加していたのだが、変わったものだと思う。

「今年はやけに水が冷たかったな。山の上では雪が降ったのかな」
 夫がバケツを重そうに持ちながらこちらに歩いて来た。その姿を見てふと父を思い出した。父も毎年『今年の水は冷たい』と言っていた気がする。
 この一角は我が家だけではなく、 我が家がある村落の家の墓が集まっているのだ。だから我が家の他にも二十ほどのお墓があるが、他の家は暮れのうちに来ていた。お墓に備えられた花が枯れている。いずれ我が家のお墓の花も枯れてしまうと思う。
 そんな事に備えて、実は交代でそのようなものを掃除する当番を決めてあるのだ。昨年は我が家の番だったので、息子も一緒に来てやり、それで色々なことを覚えたのだ。
 三人でたわしでお墓を磨いて行くと苔の下から石の模様が見えて来る。何か久しぶりにご先祖さんと対面した気分になった。
 思えば、お墓って亡くなった人のものだけど、実は生きてる我々にも大事で、年に数回こうやって来ると、本当は自分自身と向き合える気がする。
『自分は間違って生きていないだろうか?』
『亡くなってからご先祖様に顔向けの出来ないことをしていないだろうか?』
 そんなことを思ってしまう。特別なことではなく、普段の生活の中で自分がしてきた事を思い出して、この場所で胸を張れるだろうか? それをする為にここに来るのだと判ったのはつい最近のことだ。全く頭の悪さは仕方がないと感じた。
 父も母も特別にわたしに教えはしなかった。いつも一緒に来て、手伝いをするうちに覚えたのだ。きっとそれは連綿と続く営みの中で体験してきた事なのだろう。
 そんな事を思っていたら綺麗になった。息子が車から花束とお線香を持って来る。花束はお墓の両側にある花刺しに立てて、お線香はお線香立てに立てる。そ して三人で拝む。わたしの拝むのは「南無阿弥陀仏」と唱えてからこの平穏な暮らしが続きますようにと祈る。凄い神様でなくても自分のご先祖様に頼むのだか ら、きっと叶うと何となく思っている。
 そして、本当に大事な事……何時かは自分もここに入るのだと言う事を忘れてはいけない。母の言葉を思い出した。
「ゆくゆくは皆入るんだから、大事にしなくては駄目よ」
 その言葉が実感を伴って自分の心に響いて来る。
 わたしもいつかは息子に同じ事を言うのだろうな……言葉が胸に響いた。
 
 見上げると空から白いものが降って来てきた。
「積もらないとは思うが、お参りも済んだし、帰るか」
 夫の言葉に息子も
「そうだね。帰ったらDVDの続きを見るんだ」
 やはり息子は未だ中学生なんだと感じた。あの言葉を伝えるにはもう数十年後になるのだろう。その時わたしは笑顔で息子に言ってやりたい。
 ゴミ袋を積んで車を出す時に振り返ると、沢山のご先祖様が見送ってくれている気がした。


    了

「短編」139期 感想を書いてみました

今日は私が参加している「短編」の感想を書いてみたいと思います。
「短編」とは毎月1000字以内で作品を募集して投票によって優劣を決めるサイトです。
私もここの処、毎月参加しています。殆んど予選落ちですが一度だけ同時優勝させて戴きました。
今期のエントリー作品に短い感想を書いてみました。

#1  「 父にそして母に」  自作なのでパス

#2 「ホワイト・デーにて」 ホワイトデーに告白しようとして失恋した少女の話。後半の授業のシーンがくどい感
じがして、ちょっと「頭でっかち」な感じ。でもあそこでは結構票が入るかも?

#3 「享受」 味噌汁に入れた馬鈴薯を通して別れた妻の事を思い、娘の将来を見据える話。正直こう言う話は好きです。でもこう言う人情噺はあそこでは受けないんだよね……

#4 「面接官雑談中(石編)」 石の面接という設定だがもちろんこれは人間の比喩なのだが、こう言う技巧派があそこでは、受けると思う。煙草の話は本物か偽物かという事。

#5 「ともこ2」 祖父の葬式の時の話、長い小説の一部を切り取って来た様な印象。こう言うのも受ける。私は頭が悪いので、真意を理解するのに時間が掛かる。要するに祖父への想いなのか何なのか良く判らない。という事

#6 「 旺知大学経済学部一般入学試験合否通知」 大学からの不合格の通知を貰った主人公の想い。最後のセリフが幾重にも意味が重なって来る構成。ま、オチですね。悪く無いと思います。

#7 「ばいばい」 人間関係の事を判っている様で全く判っていない男の話。それだけ、最後の捻りも予見出来るから思ったほど凝ってない。

#8 「少年ピラニア」 なかなかハードな展開で、周りの友人らしき人物が皆、悪魔みたいな存在だったと言う話。技巧的に凝っているのだろうけど、個人的にレイプは嫌い。

#9 「中身よ、吠えろ」 この人の書く話はいつも独特の世界。ハマるともの凄いが外すと目も当てられない。で、今回は大当たり! いいですよ! こう言うの好き!

#10 「」 亡くなった漁師さんの話。亡くなった友人のために、苦労して鮪を採って来て霊前に供えたと言う話。それ以上でも以下でも無い。

#11 「旅の終わりと始まり」 人の生まれ変わりについての比喩がてんこ盛りの話かと思いきや、最後が単純
で、しかもグロ? なので後味が良く無い。あまり小難しいのを書かれても頭が悪いから理解出来ないですね。

 という訳で今期のエントリーは以上です。投票は誰でも出来ます。酔狂な方は今月30日迄ですので投票してみてください。
 私は、#9「中身よ吠えろ」 なゆら。さんの作品が好きですね。でも私が好きな作品は一度として予選を通った事が無いので、多分……

「短編」と言うサイト

「短編」と言う小説サイトご存知ですか? 
1000字以内で小説を創作して、投稿して月例で優勝を争うサイトです。
優勝しても何も貰えません。
読み手の方(誰でも良いのです)が投票をして、優劣を決めます。

私も少し前から投稿を始めました。
1000字に収めるのは以外と難しいです。
色々と創作して行くと、言葉を大切に感じる様になります。
同じ意味を表す言葉でもその場面にあった深い意味を持つ言葉を選ぶ様になります。
私はここに投稿を始めてから創作に幅が出てきた感じがします。
今日から第138期が始まりました。私も「待つ」と言う話で参加しています。
今期は15作品が集まりました。
いずれも優秀な作品ぞろいです。

136期で私は三人同時ですが優勝させて戴きました。4回目の挑戦でした。
次の137期は予選落ちでした。1票も入りませんでした。難しいです。

と言う訳で今期の作品は不味いので、優勝した作品「あたし」を載せて見ます。

 「あたし」

 世の中の事は、ほとんどは時が経つと忘れてしまう。
あたしは、何時もそうだと思って生きてきた。
憎たらしいとその時思ってもすぐに忘れてしまう。
皆は「それはお前が馬鹿だからだ」と言うけれど、大事な事はちゃんと覚えてる。
ちゃんとバイトだって行ってるしね。
安い時給だけど、皆とも楽しくやっているよ。今は何とかやってると思う。あんまり先を考えても仕方ないしね。
でもね、イザと言う時に備えてお金貯めてるよ。満更馬鹿じゃ無いでしょう?

何時も稔は「お前は楽天的すぎる」と言うんだよ。あたしはアマゾン派、そう言ったら「だからお前は馬鹿なんだ」そう言われてしまった。
全く稔の奴、言いたい事言い過ぎだよ。
何回か寝てあげたのに……
稔とは高校も同じ。あまり大学へ行かない学校だった。
卒業しても働く所なんてありゃしない。自然とバイトの生活になった。

稔と寝ても気持ち良いけど、心が切なくなる。
あたしだってそんなにスタイル良く無いけど、稔だって貧弱な体をしている。
「女は痩せた男に抱かれたがるんだ」なんて言ってるけど、女の子としたなんて聞いたこと無い。
だから、あたしとする時はいつも必死、その時は多少は可愛いいと思うけれど……

あたしは男の人を振ったことは無い。いつも振られてばかり、いつも向こうから「別れてくれ」と言われるだけ。
あたしは心の無い人とはつきあっても仕方ないと思うから、いつでも首を縦に振ってきた。
その時は悲しいけれど、直ぐに治ってしまう。だから皆あたしを馬鹿だと言うのかな?

明日はバイトは休みと思ったら、稔からメールが入った。
「今夜行ってもいいか?」だって……きっと今夜もあたしを抱くんだろうな。
別にいいけど、稔としても安心感はあるんだけどな……何か忘れてる感じがするんだ。

稔は何であたしを抱くのだろう?
彼女がいなくて風俗に行くお金が無いから?
だったらもうやらせてあげないんだ。あたしを風俗代わりにしないで……

本当に幼い頃から話していて、あいつが男の子だという事をふと忘れてしまう事がある。
それを思い出させる為にあたしと稔は寝るのかもしれない。
そういうことにしておこう……深く考えても答えなんて無いんだから。
帰りに稔の好きな缶チューハイを何本か買って帰ろう。
一緒に呑んで、たまにはあいつの話を聞いてやるのも悪くは無いかな。
あしたは休み。
稔と二人、目が腐るほど寝てやるんだ……



お粗末様でした。
興味のあるかたは「短編」へどうぞ
今期も面白い作品で溢れていますよ。


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