男女

第8話 命の価値 ~くちなしの間~

   僕が予備校から帰って来ると婆ちゃんは
「お前明日も予備校行くのかい?」
そう訊いてきたので僕は一応もっともらしく
「うん、行くつもりだけど……なんかあるの?」
と訊いてみた処、明日友達と歌舞伎を見に行くのだそうだ。
ついては、留守番件フロントの仕事をして欲しいという事で
「バイト代は5千円だすから」という婆ちゃんの申し出に僕は即決で快諾した。
予備校なんて毎日行かなくても良いのだ。
僕にとっては5千円の方が遥かに大事で、貧乏な予備校生には有難い話である。
婆ちゃんの見に行くのは夜の部なので、夕方に華連荘を出て行った。

「しんちゃ~ん。御飯たべましょう!」
茜さんが台所からロビーに夕飯のおかずを並べて御飯を盛り、僕を手招きして呼ぶ。
茜さんはもうひと月以上経っていて、アポートの改装も終わったのに、未だに出て行かない。
「だって、ここに居ると暖かいんだもん」
それが茜さんの理由だ。
まあ、いいんだけどね。それに何故か婆ちゃんも部屋代を半額にしたままなのだ。
理由は訊いてないけど、急に変えるのも面倒臭いのかも知れない。
「今日はハンバーグよ。好きでしょう!ウチの人も好きなのよ」
そう言って4人のハンバーグを載せたそれぞれのお皿をテーブルに並べる。
お皿にはマッシュポテトと人参が綺麗に飾り切りされて載っている。
こういうのを見ると茜さんは家庭に憧れているのかも知れない。
2階から陣さんも降りて来て3人で夕食を採る。

食べながらなんとなく窓から外を見ると、この花蓮荘の斜め前に電話ボックスがあるのだが、
そこに誰か入った様だった。
今日は昼過ぎからしとしと雨が振り出し、この時間でも止んでいない。
傘が必要か要らないか迷う程度の雨が降り続いている。

ふと視界の隅にオレンジ色の光が目に入る。
「なんだろう」と思いその方向を見ると、電話ボックスからオレンジ色の炎が立ち上がった。
「ボン」という軽い音もしたかも知れない。
「あ、火、電話ボックスで火だ!」
僕は思わず声に出して叫ぶと、陣さんが窓から半身を乗り出して確認している。
茜さんは台所へ行くとバケツに水を汲んで、玄関から急いで電話ボックスへ駆けて行く。
僕も残りのバケツに水を汲んで出て行こうとすると陣さんが
「俺がそれをやるから、電話しろ!”消防と110番に!」
僕は云われた通りに受話器を取るとダイヤルを廻す。
窓越しに見える限りでは、どうやら人が焼身自殺を謀ったようだ。
陣さんが火を消して、人を表に出している。雨に当ててる様だ。
火傷しているだろうと思う。
僕はもうすっかり慣れた調子で電話をして、今度は警察に電話をする。
そして「もしかしたら焼身自殺かも知れない」旨を伝える。
そして僕も電話ボックスへ急いだ。

そいつは男だった。陣さんが
「こいつ頭から石油かぶりやがって、火を付けやがった。そしたら髪の毛が燃えて
服に火が移って熱いもんだから服を脱ぎやがった」
陣さんが早口で説明してくれる。
「止めるくらいならやんなきゃ良かったんだ」
陣さんは茜さんが汲んで来たバケツの水をその男にかけてやる。
男は電話ボックスの外で小雨に打たれながら、膝小僧を抱えて体育座りをしている。
頭はチリチリに焼けて、顔も真っ黒で、人相も判らない。
「かずちゃん、かずちゃん。酷いよ、酷いよ」とぶつぶつ言っている。
陣さんが「こいつ女に振られての自殺か?」
そう言って男の顔を覗き込む。

「きみ、大丈夫?痛く無い?」
茜さんが男に訊くと「はい、少し痛いです」と言って腕を差し出すと、すでに腕は水ぶくれで腫れていた。
「うわあ~これはお医者さんで無いと駄目だわ」
茜さんはそう言って持って来た氷を当ててやるが焼け石に水だった。
気がつくと、女の子が目の前に立っていた。

僕はその顔を見て、先ほど「くちなしの間」に大学生らしき男と入った娘だと思った。
「お客さんの知り合いですか?」
そう僕が訊くと、その娘は引きつった顔で
「知り合いなんかじゃ無いわよ。こんな奴。だから私は迷惑だって何回言えば解るの!」
そう吐き捨てる様に言った。
そう云われてその男は
「だってかずちゃん、急に冷たくなるんだもん。俺、一度でいいから話聞いて欲しくて……」
そう哀願する様に言うと娘は
「だから、私は話なんか無いの!あんたが貯金無くなったら関係が終わるって前から言っていたでしょう」
「だから、だから俺は最後にせめてお礼が言いたくて……」
「だからぁ、それも迷惑なんだよね」
そう言って、男を蹴ろうとした時だった
「ちょっと待ちなよ。あんたおんなじ女として最低だね。男を騙して金を巻き上げるのは構わないけど。騙すなら最後まで気持ち良く騙してやんなよ。それも出来ない小娘なんかこの人に何かする資格なんか無いね」
茜さんが怒りの表情でその娘に言うと流石に貫禄の違いとでも言うのだろうか黙ってしまって花蓮荘に帰って行った。
救急車の音が直ぐ傍まで聞こえてきた。
「あんた、あんな女の為に命を粗末にする事は無いよ。でも命を捨てるくらいなら、何でも出来たと思うけどね……」
茜さんがそう言うと、男は泣きながら礼を言っていた。
救急車が到着して、陣さんや茜さん、それに僕が事件の証言をした。
隊員が「火傷はちょっと酷いですが面積的には大丈夫ですので、命に別状は無いでしょう」
そう言って応急手当てをして貰って救急車に乗り込んだ。

野次馬もかなり居たが、救急車が去って、パトカーもいなくなると次第に居なくなって行った。
その頃だ、婆ちゃんが青い顔をして帰って来た
「大丈夫かい? 駅降りたらさ知り合いが『花蓮荘が火事で孫が火傷で大変で女の子も大変な事になってる』って言うからさ、もう久しぶりに走ってしまったよ」
僕は、今迄の経緯をちゃんと話して婆ちゃんを安心させた。
さすが茜さんの事まで心配するとは婆ちゃんは人が出来ていると思った次第だ。


「御飯食べ損ねたね。皆揃ったからもう一度食べようよ」
茜さんの提案で今度は4人で座ってテーブルに着いた。
「やっぱり4人揃うと味が違うね」
そう言って嬉しそうだった。

それから2階の「くちなしの間」の二人は帰る時も一言も口を利かなかった。
それを見ながら婆ちゃんは
「ほっときな!いずれああ言うのには報いが来るんだよ」
そう言ったのが印象的だった……

第6話 同居人 ~カンナの間~

僕が婆ちゃんとフロントを交代して直ぐに茜さんが顔を出した。
「あ、いらっしゃい、いつもの部屋でいいですか?」
僕がそう訊くと茜さんは
「今日は違うのよ。おばさんにお願いがあって来たの」
それを聴いたのか婆ちゃんは自分の部屋からビールの大瓶とビヤタンを2個持って出て来て
「あたしに何の用だい?」
そう言って、茜さんをロビーに座らせビヤタンを置いてビールを並々と注ぐ。
白い泡が盛り上がり、旨そうな音を立てる。
「ま、取り敢えず飲もうや」
そう言ってグラスを合わせて飲み込む
茜さんも喉を鳴らしながら飲み込む。
「ああ、美味しい!」
本当に美味しそうにこの人は飲むと思う。
「で、なんだい、頼みって?」
そう云われて茜さんはちょっと言い難くそうに
「あのね、おばさん。わたしをひと月置いてくれないかな?」
「なんだい、それは。うちはアパートじゃ無いんだがね」
「うん、それは判っているんだけど、実はね私の入ってるアパートがね、改装と言うのかな、最近の言葉だとリ・ニューアルと言うのかな、なんか直すらしいんだよね」
そこまで言って茜さんはビールを口にして
「それで、その間だけ部屋を貸してくれないかな……なんて思って……」
婆ちゃんはビールを飲みながら聴いていたがビヤタンを置いて
「なら仕方ないけど、住めないのかい?」
「うん、その間ガスも電気も止めるんだって……だから……」
「じゃあ、角のカンナの間を使えばいいよ」
「本当!おばさん有難う!本当に恩に着るわ!」
「勘違いしたら困るよ何でもタダで貸す訳じゃ無いんだからね」
「もう、嫌だおばさん、当たり前じゃない。ちゃんと部屋代は払いますよ」
そう言って茜さんは来週からひと月この花蓮荘に住む事になった。
後から婆ちゃんに訊いた処部屋代は通常の半額にしてあげたそうだ
「だって、あの娘からお金を巻き上げる訳には行かないだろう」
それが婆ちゃんの理屈だった。

翌週から本当に茜さんは身の回りの荷物を持って引っ越して来た。
「必要な物は取りに帰れば良いから必要最低限の物だけにしたんだ」
茜さんはそう言って何やら嬉しそうにしている
「何がそんなに嬉しいの?」
僕は上機嫌の茜さんに訊いてみた
「当たり前じゃない。だっておばさんやしんちゃんと同じ屋根の下で暮らすのよ」
まあ、当たり前の事だと思うのだが、もしかして茜さんは本当は寂しがり屋なのかも知れないとその時思った。

でも、身近に居ると、色々な事が分かって来る。
以外と綺麗好きで、部屋の掃除なんかも熱心にやっているそうだ。
それに、これは当たり前だが、料理が得意で台所を借りては料理を作り、僕やばあちゃんと一緒に食べるのが多くなった。
「こうしてると、まるで家族みたいね」
なんて言って喜んでる。
夜遅くだとそこに陣さんも一緒に加わるのだ。

花連荘には相変わらず変わった人がやって来る。
先ほど来た人は女の人で30代ぐらいだろうか?
一人で来て、僕が「後からお連れさんが来ますか?」
と問うと
「いいえ、私だけです。一人では駄目ですか?」
と訊くので僕は
「いいえ、料金さえ払ってくれたら構いません」と言うと安心したように思えた。
この頃の連れ込みはおひとり様お断り、という所がほとんどだったのだ。
だから、一人でも利用できるウチなんかはその面でもお客の利用があったのだ。

女の人を案内して降りてくると、茜さんがフロントに座っていた。
「店番もしてくれるの?」
と冗談を言うと茜さんは
「どこに通したの、今の人?」と真剣に訊いて来るので僕は「菊の間だよ」と答える。
「あのね、おばさんには言わなくてもいいけど、今の人なんかヤバい感じがする」
茜さんはそう言って2階を見つめるのだ。
僕は茜さんに「何がヤバいの?」と訊いてしまう。
そんな変な感じはしなかったからだ。
「なんかね、変に暗かったでしょう。思い詰めてる感じと言うのかな。なんかね」
茜さんも若いけど水商売の人だ。人を見る目は持っていると思う。
「じゃあ、それとなく部屋の前を見回ってみる事にするよ」
「うん、それが良いと思う。じゃあわたしは帰るからね」
「ああ、おやすみなさい」
「おやすみ、しんちゃん」
そう言って茜さんは部屋に帰って行った。

事件はそのあと起こった……

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