テケツのジョニー オイラは少し銀色かかったサバトラの雄猫さ。英語では「silver tabby 」とか言うらしい。大体生まれて一年ぐらいになるかな。生まれて目も開かないうちに捨てられていたところを、ここのテケツの姉さんに拾われたんだ。
 姉さんは、体温の下がったオイラを温めてくれて、猫用のミルクを呑ませてくれた。オイラにとっては命の恩人なんだ。
 なに「テケツ」って何だって?
「テケツ」と言うのは寄席の切符を販売してる窓口のことさ。チケットが訛ったらしい。そう、オイラはこの場末の寄席に住んでる猫なのさ。
 ここは東京の下町。場末と言い換えても良い場所で、二十三区内なのに都心に出るのに一時間近く掛かると言う。親父さんこと、この寄席の席亭が言っていた言葉さ。
 親父さんはいい人で、姉さんが拾って来たオイラを飼うことを許してくれたんだ。何でも
「こいつは招き猫になるから縁起が良いじゃねえか」
 そんな事を言ったらしい。話の判る人なんだ。
 基本的は寄席の営業時間は客席には入らない。オイラが出入りなぞしていたら芸人も客も気が気出ないし、調子も狂うだろうから、客席には入らない。テケツに居るか、それとも好きな芸人が来た時は楽屋で大人しくしているのさ。
 この寄席は上席と中席は噺家協会と噺家芸術協会が交代で芝居を行っている。芝居って言ったって本当の芝居をしてる訳じゃ無い。興業を行っている事を業界では「芝居を打つ」と言うのさ。
 上席は一日から十日まで、中席は十一日から二十日までの期間を言うのさ。その次の二十一日から三十日までの事を下席と言う。他の寄席ではこの期間もどちらかの協会が芝居を行ってるがウチはこの期間は貸席となる。つまり噺家や芸人が借りて独演会をやったり落語会を行ったり。芸人がライブを行ったりするために貸すのだ。三十一日まである時は「余一会」と言ってウチが独自の番組を編成してる。この時は協会に関係なく噺家や芸人が出るのさ。こんな感じで日常は過ぎて行くのさ。

 今席はオイラが認めている噺家の蕎楽亭浮世(きょうらくていうきよ)が出ている。本当は客席で聴きたいが、そこは我慢しなくてはならない。テケツでは客席の模様がモニターされているので、テケツに居れば様子が判るのだ。だけどオイラは浮世に挨拶をしに楽屋に向かう
「あらジョニーどうしたの、何処に行くの?」
 姉さんごめんよ。ちょっと楽屋まで行って来るぜ!
「ああ、楽屋に行くのね。皆さんの邪魔しちゃ駄目よ」
 姉さん。そんなことは判っているぜ。そんなドジはしねえよ。オイラは頭でテケツのドアを開けて楽屋に向かう。この寄席の楽屋は高座の後ろにあるから脇の通路に一度出てから向かう。楽屋の入り口で奇術の照艶斉珠菜(しょうえんさいたまな)とあった。この子は今売りだしの奇術師でたまにだがテレビにも出る。
「あらジョニーじゃない。今日はどうしたの……ああ、浮世兄さんが来てるからね。ジョニーは浮世兄さんが好きだからね」
 珠菜ちゃんよ。勘違いしては困るぜ。オイラが好きなのはテケツの姉さんだけさ。後は好きと言うよりオイラが認めていると言った方が正解だな。浮世はこの先必ず大物になるとオイラは踏んでいるのさ。
 珠菜ちゃんんが楽屋の入り口を開けてくれたので一緒に入る。浮世は鞄から着物を出している所だった。今日は黒紋付に水色の柄の着物らしい。浮世に合ってると思った。オイラが傍に寄ると浮世は
「お、ジョニーか、今日も頑張るから宜しくな」
 そう挨拶をしたのでこちらもひと声鳴いて挨拶を返す
「ニャーン」
 我ながら上手く鳴けてたと思った。
 浮世は着物や長襦袢を衣紋掛けに掛けて吊るすまでオイラは近くに寄らない。それはオイラの毛が着物に移っては困るからだ。浮世にそんな恥は掻かせられない。
 準備が終わると浮世は畳に座る。そして膝にオイラを乗せて背中を撫でながら今日の演目を考えるのが日課になっている。
「ジョニー。今日は何にしようか?」
 ここでオイラが何か言っても仕方ないので黙っていると、やがて考えが纏まったみたいだ。前座が来て着替えの手伝いをする。この時はオイラは少し離れて見ている。着物を来たら高座を降りて着物を脱ぐまで近くには居られない。それぐらいは寄席で暮らす者として理解しているのさ。
「浮世師匠、出番です!」
 前座の声に促されて浮世は楽屋を出て高座に向かう。オイラはテケツに戻って姉さんの膝で今日の浮世の噺を聴く。どうやら今日は「宮戸川」らしい。夏の噺で若い二人が恋に落ちる噺だ。これは若手がやると華があっていい。勿論ベテランにはベテランのやり方があるので、それはそれで悪くはない。
 この噺は浮世に合っているのだろうと感じる。難しい事は判らないが人物が生き生きと感じるのはオイラだけでは無いと思う。姉さんも
「今日の浮世ちゃんはいい出来ねえ」
 そんな事を言いながら一緒に聴いていた。
 浮世の今日の出来は良かったみたいだ。七割ほど入った客席がかなり沸いていたからだ。浮世は昨年に真打になったばかりの若手噺家だ。でもオイラはそのうち良くなり将来は名人と呼ばれると睨んでいるのさ。
 楽屋の出口で待ってると着替え終わり次の仕事場に向かう浮世が出て来た。
「ジョニー。お前を抱くとかならず上手く行くんだ。ありがとうな。また明日な」
 浮世はそう言って寄席を後にした。
 この昼席のトリは三光亭圓友と言って中堅の噺家だ。オイラは噺は余り上手く無いと思っているがテレビに出ているので人気がある。そのおかげでトリが取れるのだ。その圓友が入って来た。売れてる芸人らしくピカピカの格好をしている。そう芸人は汚い格好や地味な格好をしてはならないとされていて、特にそういった連中の事を「ヨゴレ」と言って。余り同業からも好かれない。それは、その連中を誰かに紹介した時に格好が汚かったり、みすぼらしいと紹介し難いからだ。だから芸人は格好にも気を使うのだ。思えば大変だと思うぜ。オイラなんか生まれて一生この格好だからな。
 トリの圓友が終わり打ち出しの太鼓と共にお客が一斉に出て来る。この寄席は昼夜通しなのだが八割以上が昼だけで帰ってしまう。三十分の休憩の後に夜席が始まるのだ。
 お客が帰ってしまった客席をオイラも覗いてみると残っていたのは五人ほどだった。どうやら学生らしい。時間があるのだろうと思った。
 寄席の従業員こと若旦那が入り口に打ち水をして客を呼んでいる。これから夜席が始まる。こうして一日が過ぎて行くのだった。