予約していた母の心臓の血管の検査の為に大学病院に赴く。母は、自分の事なのだが、どうやら実感が無いらしい。前回一度行っているので、今回は余裕があるのだろう。検査自体を楽しんでいたみたいだった。
だが、結果は、余り良くはなかった。前回より確実に進行しているとの診察結果で、やはり狭くなっている箇所にステントを入れる事になり、四月の終わり、ゴールデンウイークに入る前に手術の予定が組まれた。
「今ならベッドも空いていますからね」
「先生、簡単に終わるのでしょう?」
母は病気持ちとは思えないような質問をする。
「まあ、今のうちにやっておけば安心です」
それを聞いた母は嬉しそうな顔をした。
手術そのものは簡単に終わり、母の場合は腕からステントを入れたので、事後の処置も短くて済んだ。午前中に手術して、その日の夕方には話が出来た。
「今夜は重湯みたいなお粥だって」
食欲旺盛で不満気な母に
「一応心臓の手術したのだから、当然でしょう。さっき看護師さんに訊いたらすぐに普通の食事が出るみたいよ。後は悪い所無いらしいから」
腎臓や肝臓の検査の値が悪いと、色々とあるそうだが、母の場合は、後は至って健康なのですぐに普通食が出るのだと言う。
やや早めの、その「夕食」を母はぺろりと食べてしまった。本当に重湯にご飯粒が浮かんでいるようなお粥で、物足りなさそうな母の顔が印象的だった。
夜になり娘と息子もやって来て母を喜ばせた。夫は今日から数日出張で来る事は出来ない。それを残念がっていた。両親を亡くした夫は母が義理でも最後の親なのだ。
帰りの車に娘と息子も乗って来たので
「何か食べて帰りましょうよ。帰っても何も無いから」
二人共賛成したので、国道沿いのファミリーレストランに入る。息子がハンバーグを口に運びながら
「でも早いうちで良かったね。友達の親父さんなんか詰まってしまって、何でもドリルみたいなので血管を通したそうだよ」
「うん、先生も言っていたわ、半分は予防みたいなものだって」
娘はグラタンを頬張りながら
「退院しても暫く通院するの?」
「二週間後様子を見せに行って、それからは定期的になるそうよ」
「そうか、それは仕方ないのね。今日も元気そうだったけどね」
わたしが思ったより二人共母の事を心配していた。
家に帰り、わたしはお湯を沸かしてコーヒーを入れてミルクをタップリと入れて口に運ぶ。鼻先をコーヒーの香りがくすぐった。
誰も居ないダイニングに座る。日常生活で何時かはこの様な自分だけの時がやって来るのだろう。それは思ったより早いかも知れないし、遅いかも知れない。
わたしは、娘と息子が病院に来る前に母と話した事を思い出していた。母の病室は三人部屋だったが、他の二人の方は退院する日だったらしく、母と入れ替えのように出て行った。わたしと母の二人だけだったからかも知れない。母が静かに話しだした。
「こんなに簡単に済むのなら、もっと早くやっておけば良かったわ。検査と変わりがなかったわ」
「やっぱり、症状が出ていたのでしょう」
「そうでも無かったけど、たまによ」
「たまでも苦しい時があったのでしょう?」
わたしの問い掛けに母は少し諦めた表情で
「だって心臓なら、すぐに死ねるじゃない。あんた達に迷惑かけないで済みそうだし」
そう言って、悪びれもせずにベッドに寝ていた。
「冗談じゃ無いわよ。そっちは良くても、こっちはそんな事になったら、大変なのよ!」
何の前触れも無く行かれてしまったら、どんなに大変か、この前は夢とは言え、擬似的に体験したばかりだ。
「だから、ちょっとした希望よ。こうなったら良いかな? と言う希望よ」
希望だか何だかたまったものでは無い。たった一人の親に何の前触れも無く行かれた娘の気持ちはどうでもよいのだろうか?
「だって、自分の事が自分で出来る内なら良いけど、出来なくなって、あんた達に迷惑掛けるようにはなりたく無いのよ」
「そうなって、手に負えなくなったら、施設に入れるから大丈夫よ」
「それだって、負担を掛けるでしょう。わたしはそれが嫌なのよ」
親として、出来れば子供の世話にはなりたくないかも知れない。でも、それは仕方ないのでは無いだろうか?
「自分の親がそうなったら、当たり前でしょう。だって親孝行したいと思っているわよ。産んで貰った事がそもそも恩だし」
わたしは自分の思っている事をそのまま母に告げた。
暫く母は黙っていたが、やがて静かに語りだした。
「違うのよ。違うの。今まで言わなかったけど、実はあなたは生まれた時にね、僅かな時間だけど心臓が止まっていたのよ。それを病院の先生始め多くの人が蘇 生させてくれたの。だから、無事に心臓が動き始めた時、心の底から嬉しかった。その時本気で『自分の命と交換してでも良いから助けて下さい!』って祈った わ。おかげ様で助かってちゃんと育ってくれたけどね」
そんな事があったとは知らなかった。父も教えてくれなかったし、母もそうだ。
「なんで今、そんな事言いだしたの?」
わたしの疑問に母は遠くを見つめながら
「だってね。嫁に来て、中々子供が出来なくて、やっと出来たのよ。本当に嬉しかった。その時の喜びは何物にも代え難かったわ。それは、あなたも人の親だから理解出来るでしょう。だからね、恩なんて感じなくても良いのよ。あの時に充分幸せにして貰ったのだから」
わたしは、母の言葉を聞いて、命の繋がりと言う事を強く意識した。これは、わたしが女だったからかも知れない。
誰も居ないダイニングでわたしは母の有り難さを想うのだった。
その後、入院期間中の母は全く病人らしからぬと話題になり、同室の方に元気を分けてあげた感じがした。
結果としてこの手術は家族にとって憂いを取り除けた事で、良かったと思えた。
今年も庭の梅の木にたわわに梅の実が生った。取り入れようと庭に出ると、休みで家に居た娘が
「ねえ、手伝うから、梅酒と梅干しの作り方教えて」
そう言って庭に降りて来た
「どうしたの、急に」
少し意地悪にそんな事を言って恍けてみると
「だって、彼と将来一緒に梅酒を呑みたいし、それに結婚したら彼のお弁当に手作りの梅干しを入れたいのよ。市販品じゃなくて」
そう言って恥ずかしげな顔をした。
「そう、じゃあ基本から教えてあげるわね」
わたしと娘は梅の実を収穫し始めた。
「梅の実をあなたが収穫する事はここに住まないうちは無いと思うけど、一応教えておくわね。表面についている産毛がとれてツルツルになったら収穫するのよ。赤く色が変わってからでも良いけど、わたしは青いうちに収穫するわ」
わたしの言葉を娘は注意深く聞いている。
「赤くなってもいいの?」
「別に構わないけど、青いのがわたしは好きだし、その方がポピュラーだからね」
籠いっぱいに収穫した青梅を台所に運んでヘタを取る
「売っている梅はヘタを取ってあるけど、ウチはちゃんとひとつずつ取るのよ」
判ってはいるだろうが、何気ない事でも教えて行く。気が付いたら、自分が母から教わった通り、同じ事を言っている事に気が付いておかしくなった。
「どうしたの?」
怪訝そうな表情の娘を無視して作業を続ける。
「あなたも、そのうち判るわよ」
出来れば、そうなって欲しいと思う。
「丁寧に水洗いして、綺麗な布巾で良く水気を拭き取るのよ。この広口の梅酒を漬ける瓶を用意しておくのよ。ホームセンターで売っているし、ウチに来れば沢 山あるからあげるわよ。他にはホワイトリカーを一升、それに氷砂糖を一キロね。これは梅一キロに対してだからね。間違わないようにね。それに、ホワイトリ カーじゃなくてもブランデーでも良いのよ。三十五度以上の蒸留酒ならスピリッツなら何でも良いのよ。尤も好みや癖が出るからホワイトリカーが無難なのだけ ど、好みを訊いて作った方が良いわよ。でも他のお酒だと高くつくけどね」
実は転勤先で、何回かブランデーで作った事があるが、確かに美味しいのだが、主人の好みでは無いので止めてしまった。再転勤する時に皆近所の人にあげてしまった。今思えば少し勿体無かったと思う。
今年は豊作だったので、二つ瓶が出来た。
「お嫁に行く時にひとつ持って行きなさい」
そう言うと娘が嬉しそうな顔をした。あの娘にとっての最初の梅酒になるだろう。見上げると五月晴れの空が眩しかった。
エピローグ
娘はこの年の秋に結婚して、翌々年の年明けに長女を出産した。その時の母の喜びはどの様なものだっただろうか。娘も良く我が家にやって来て母を喜ばせた。
その子がやっと言葉をしゃべりだして「ひいばあ」と言った時、涙もろくなっていた母は泣いてしまった。わたしも思わず涙ぐんでしまった。
それから半年後、少しずつ弱くなっていた母は肺炎で結構あっさりと、この世から旅立ってしまった。病院に皆が駆けつけて見送った。
恐らくだが、母は薄れゆく意識の中で皆が傍に居る事は判ったのではないかと思った。最後に娘の子の手を母が握り、母の頬をその子が撫でていたのが印象的だった。
その年の梅干しは予想に反して、いつもどおりの出来だった。悪くはならなかったのだ。これは母があの世から気を使ってくれたのだと理解するようにした。梅干しでさえ、我が家では生かされている気がした。娘も自分で漬けた梅干しを持って来て
「わたしの所も出来は良かったわよ。やはりこれは、おばあちゃんのおかげだと思うな」
差し出した梅干しをひとつ摘むと、それは我が家の味がした。
梅色ごよみ <了>
だが、結果は、余り良くはなかった。前回より確実に進行しているとの診察結果で、やはり狭くなっている箇所にステントを入れる事になり、四月の終わり、ゴールデンウイークに入る前に手術の予定が組まれた。
「今ならベッドも空いていますからね」
「先生、簡単に終わるのでしょう?」
母は病気持ちとは思えないような質問をする。
「まあ、今のうちにやっておけば安心です」
それを聞いた母は嬉しそうな顔をした。
手術そのものは簡単に終わり、母の場合は腕からステントを入れたので、事後の処置も短くて済んだ。午前中に手術して、その日の夕方には話が出来た。
「今夜は重湯みたいなお粥だって」
食欲旺盛で不満気な母に
「一応心臓の手術したのだから、当然でしょう。さっき看護師さんに訊いたらすぐに普通の食事が出るみたいよ。後は悪い所無いらしいから」
腎臓や肝臓の検査の値が悪いと、色々とあるそうだが、母の場合は、後は至って健康なのですぐに普通食が出るのだと言う。
やや早めの、その「夕食」を母はぺろりと食べてしまった。本当に重湯にご飯粒が浮かんでいるようなお粥で、物足りなさそうな母の顔が印象的だった。
夜になり娘と息子もやって来て母を喜ばせた。夫は今日から数日出張で来る事は出来ない。それを残念がっていた。両親を亡くした夫は母が義理でも最後の親なのだ。
帰りの車に娘と息子も乗って来たので
「何か食べて帰りましょうよ。帰っても何も無いから」
二人共賛成したので、国道沿いのファミリーレストランに入る。息子がハンバーグを口に運びながら
「でも早いうちで良かったね。友達の親父さんなんか詰まってしまって、何でもドリルみたいなので血管を通したそうだよ」
「うん、先生も言っていたわ、半分は予防みたいなものだって」
娘はグラタンを頬張りながら
「退院しても暫く通院するの?」
「二週間後様子を見せに行って、それからは定期的になるそうよ」
「そうか、それは仕方ないのね。今日も元気そうだったけどね」
わたしが思ったより二人共母の事を心配していた。
家に帰り、わたしはお湯を沸かしてコーヒーを入れてミルクをタップリと入れて口に運ぶ。鼻先をコーヒーの香りがくすぐった。
誰も居ないダイニングに座る。日常生活で何時かはこの様な自分だけの時がやって来るのだろう。それは思ったより早いかも知れないし、遅いかも知れない。
わたしは、娘と息子が病院に来る前に母と話した事を思い出していた。母の病室は三人部屋だったが、他の二人の方は退院する日だったらしく、母と入れ替えのように出て行った。わたしと母の二人だけだったからかも知れない。母が静かに話しだした。
「こんなに簡単に済むのなら、もっと早くやっておけば良かったわ。検査と変わりがなかったわ」
「やっぱり、症状が出ていたのでしょう」
「そうでも無かったけど、たまによ」
「たまでも苦しい時があったのでしょう?」
わたしの問い掛けに母は少し諦めた表情で
「だって心臓なら、すぐに死ねるじゃない。あんた達に迷惑かけないで済みそうだし」
そう言って、悪びれもせずにベッドに寝ていた。
「冗談じゃ無いわよ。そっちは良くても、こっちはそんな事になったら、大変なのよ!」
何の前触れも無く行かれてしまったら、どんなに大変か、この前は夢とは言え、擬似的に体験したばかりだ。
「だから、ちょっとした希望よ。こうなったら良いかな? と言う希望よ」
希望だか何だかたまったものでは無い。たった一人の親に何の前触れも無く行かれた娘の気持ちはどうでもよいのだろうか?
「だって、自分の事が自分で出来る内なら良いけど、出来なくなって、あんた達に迷惑掛けるようにはなりたく無いのよ」
「そうなって、手に負えなくなったら、施設に入れるから大丈夫よ」
「それだって、負担を掛けるでしょう。わたしはそれが嫌なのよ」
親として、出来れば子供の世話にはなりたくないかも知れない。でも、それは仕方ないのでは無いだろうか?
「自分の親がそうなったら、当たり前でしょう。だって親孝行したいと思っているわよ。産んで貰った事がそもそも恩だし」
わたしは自分の思っている事をそのまま母に告げた。
暫く母は黙っていたが、やがて静かに語りだした。
「違うのよ。違うの。今まで言わなかったけど、実はあなたは生まれた時にね、僅かな時間だけど心臓が止まっていたのよ。それを病院の先生始め多くの人が蘇 生させてくれたの。だから、無事に心臓が動き始めた時、心の底から嬉しかった。その時本気で『自分の命と交換してでも良いから助けて下さい!』って祈った わ。おかげ様で助かってちゃんと育ってくれたけどね」
そんな事があったとは知らなかった。父も教えてくれなかったし、母もそうだ。
「なんで今、そんな事言いだしたの?」
わたしの疑問に母は遠くを見つめながら
「だってね。嫁に来て、中々子供が出来なくて、やっと出来たのよ。本当に嬉しかった。その時の喜びは何物にも代え難かったわ。それは、あなたも人の親だから理解出来るでしょう。だからね、恩なんて感じなくても良いのよ。あの時に充分幸せにして貰ったのだから」
わたしは、母の言葉を聞いて、命の繋がりと言う事を強く意識した。これは、わたしが女だったからかも知れない。
誰も居ないダイニングでわたしは母の有り難さを想うのだった。
その後、入院期間中の母は全く病人らしからぬと話題になり、同室の方に元気を分けてあげた感じがした。
結果としてこの手術は家族にとって憂いを取り除けた事で、良かったと思えた。
今年も庭の梅の木にたわわに梅の実が生った。取り入れようと庭に出ると、休みで家に居た娘が
「ねえ、手伝うから、梅酒と梅干しの作り方教えて」
そう言って庭に降りて来た
「どうしたの、急に」
少し意地悪にそんな事を言って恍けてみると
「だって、彼と将来一緒に梅酒を呑みたいし、それに結婚したら彼のお弁当に手作りの梅干しを入れたいのよ。市販品じゃなくて」
そう言って恥ずかしげな顔をした。
「そう、じゃあ基本から教えてあげるわね」
わたしと娘は梅の実を収穫し始めた。
「梅の実をあなたが収穫する事はここに住まないうちは無いと思うけど、一応教えておくわね。表面についている産毛がとれてツルツルになったら収穫するのよ。赤く色が変わってからでも良いけど、わたしは青いうちに収穫するわ」
わたしの言葉を娘は注意深く聞いている。
「赤くなってもいいの?」
「別に構わないけど、青いのがわたしは好きだし、その方がポピュラーだからね」
籠いっぱいに収穫した青梅を台所に運んでヘタを取る
「売っている梅はヘタを取ってあるけど、ウチはちゃんとひとつずつ取るのよ」
判ってはいるだろうが、何気ない事でも教えて行く。気が付いたら、自分が母から教わった通り、同じ事を言っている事に気が付いておかしくなった。
「どうしたの?」
怪訝そうな表情の娘を無視して作業を続ける。
「あなたも、そのうち判るわよ」
出来れば、そうなって欲しいと思う。
「丁寧に水洗いして、綺麗な布巾で良く水気を拭き取るのよ。この広口の梅酒を漬ける瓶を用意しておくのよ。ホームセンターで売っているし、ウチに来れば沢 山あるからあげるわよ。他にはホワイトリカーを一升、それに氷砂糖を一キロね。これは梅一キロに対してだからね。間違わないようにね。それに、ホワイトリ カーじゃなくてもブランデーでも良いのよ。三十五度以上の蒸留酒ならスピリッツなら何でも良いのよ。尤も好みや癖が出るからホワイトリカーが無難なのだけ ど、好みを訊いて作った方が良いわよ。でも他のお酒だと高くつくけどね」
実は転勤先で、何回かブランデーで作った事があるが、確かに美味しいのだが、主人の好みでは無いので止めてしまった。再転勤する時に皆近所の人にあげてしまった。今思えば少し勿体無かったと思う。
今年は豊作だったので、二つ瓶が出来た。
「お嫁に行く時にひとつ持って行きなさい」
そう言うと娘が嬉しそうな顔をした。あの娘にとっての最初の梅酒になるだろう。見上げると五月晴れの空が眩しかった。
エピローグ
娘はこの年の秋に結婚して、翌々年の年明けに長女を出産した。その時の母の喜びはどの様なものだっただろうか。娘も良く我が家にやって来て母を喜ばせた。
その子がやっと言葉をしゃべりだして「ひいばあ」と言った時、涙もろくなっていた母は泣いてしまった。わたしも思わず涙ぐんでしまった。
それから半年後、少しずつ弱くなっていた母は肺炎で結構あっさりと、この世から旅立ってしまった。病院に皆が駆けつけて見送った。
恐らくだが、母は薄れゆく意識の中で皆が傍に居る事は判ったのではないかと思った。最後に娘の子の手を母が握り、母の頬をその子が撫でていたのが印象的だった。
その年の梅干しは予想に反して、いつもどおりの出来だった。悪くはならなかったのだ。これは母があの世から気を使ってくれたのだと理解するようにした。梅干しでさえ、我が家では生かされている気がした。娘も自分で漬けた梅干しを持って来て
「わたしの所も出来は良かったわよ。やはりこれは、おばあちゃんのおかげだと思うな」
差し出した梅干しをひとつ摘むと、それは我が家の味がした。
梅色ごよみ <了>