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第6話 同居人 ~カンナの間~

僕が婆ちゃんとフロントを交代して直ぐに茜さんが顔を出した。
「あ、いらっしゃい、いつもの部屋でいいですか?」
僕がそう訊くと茜さんは
「今日は違うのよ。おばさんにお願いがあって来たの」
それを聴いたのか婆ちゃんは自分の部屋からビールの大瓶とビヤタンを2個持って出て来て
「あたしに何の用だい?」
そう言って、茜さんをロビーに座らせビヤタンを置いてビールを並々と注ぐ。
白い泡が盛り上がり、旨そうな音を立てる。
「ま、取り敢えず飲もうや」
そう言ってグラスを合わせて飲み込む
茜さんも喉を鳴らしながら飲み込む。
「ああ、美味しい!」
本当に美味しそうにこの人は飲むと思う。
「で、なんだい、頼みって?」
そう云われて茜さんはちょっと言い難くそうに
「あのね、おばさん。わたしをひと月置いてくれないかな?」
「なんだい、それは。うちはアパートじゃ無いんだがね」
「うん、それは判っているんだけど、実はね私の入ってるアパートがね、改装と言うのかな、最近の言葉だとリ・ニューアルと言うのかな、なんか直すらしいんだよね」
そこまで言って茜さんはビールを口にして
「それで、その間だけ部屋を貸してくれないかな……なんて思って……」
婆ちゃんはビールを飲みながら聴いていたがビヤタンを置いて
「なら仕方ないけど、住めないのかい?」
「うん、その間ガスも電気も止めるんだって……だから……」
「じゃあ、角のカンナの間を使えばいいよ」
「本当!おばさん有難う!本当に恩に着るわ!」
「勘違いしたら困るよ何でもタダで貸す訳じゃ無いんだからね」
「もう、嫌だおばさん、当たり前じゃない。ちゃんと部屋代は払いますよ」
そう言って茜さんは来週からひと月この花蓮荘に住む事になった。
後から婆ちゃんに訊いた処部屋代は通常の半額にしてあげたそうだ
「だって、あの娘からお金を巻き上げる訳には行かないだろう」
それが婆ちゃんの理屈だった。

翌週から本当に茜さんは身の回りの荷物を持って引っ越して来た。
「必要な物は取りに帰れば良いから必要最低限の物だけにしたんだ」
茜さんはそう言って何やら嬉しそうにしている
「何がそんなに嬉しいの?」
僕は上機嫌の茜さんに訊いてみた
「当たり前じゃない。だっておばさんやしんちゃんと同じ屋根の下で暮らすのよ」
まあ、当たり前の事だと思うのだが、もしかして茜さんは本当は寂しがり屋なのかも知れないとその時思った。

でも、身近に居ると、色々な事が分かって来る。
以外と綺麗好きで、部屋の掃除なんかも熱心にやっているそうだ。
それに、これは当たり前だが、料理が得意で台所を借りては料理を作り、僕やばあちゃんと一緒に食べるのが多くなった。
「こうしてると、まるで家族みたいね」
なんて言って喜んでる。
夜遅くだとそこに陣さんも一緒に加わるのだ。

花連荘には相変わらず変わった人がやって来る。
先ほど来た人は女の人で30代ぐらいだろうか?
一人で来て、僕が「後からお連れさんが来ますか?」
と問うと
「いいえ、私だけです。一人では駄目ですか?」
と訊くので僕は
「いいえ、料金さえ払ってくれたら構いません」と言うと安心したように思えた。
この頃の連れ込みはおひとり様お断り、という所がほとんどだったのだ。
だから、一人でも利用できるウチなんかはその面でもお客の利用があったのだ。

女の人を案内して降りてくると、茜さんがフロントに座っていた。
「店番もしてくれるの?」
と冗談を言うと茜さんは
「どこに通したの、今の人?」と真剣に訊いて来るので僕は「菊の間だよ」と答える。
「あのね、おばさんには言わなくてもいいけど、今の人なんかヤバい感じがする」
茜さんはそう言って2階を見つめるのだ。
僕は茜さんに「何がヤバいの?」と訊いてしまう。
そんな変な感じはしなかったからだ。
「なんかね、変に暗かったでしょう。思い詰めてる感じと言うのかな。なんかね」
茜さんも若いけど水商売の人だ。人を見る目は持っていると思う。
「じゃあ、それとなく部屋の前を見回ってみる事にするよ」
「うん、それが良いと思う。じゃあわたしは帰るからね」
「ああ、おやすみなさい」
「おやすみ、しんちゃん」
そう言って茜さんは部屋に帰って行った。

事件はそのあと起こった……

第5話 命の火 ~おおるりの間~

   その日、予備校から帰るとフロントの前のロビーで陣さんと婆ちゃんが何か相談していた。
「じゃあ、兎に角ここに訊いて見てご覧。あたしの名前出しても構わないって言うか名前出せば良いと思うよ」
「そうか……済まない婆さん。恩に着るよ」
そう言って陣さんは封筒を懐から出して置いて行こうとすると婆ちゃんは
「止しなよ。こんなものは要らないよ。そんな余裕があるならあの娘に服の1着でも買ってあげな」
そう言われて陣さんは
「本当に恩に着るぜ」
そう言って振り返り僕に気がつくと
「おう坊主、また婆さんに世話になっちまったよ」
そう言って僕に何かを握らせた。
見ると千円札が皺になって手の平に収まっていた。
「あ、陣さん。有難う!」
僕の声が聞こえたかどうか判らないが陣さんは片手を上げて去って行った。

「陣さんどうしたの?」
僕は婆ちゃんに訊いてみた。
婆ちゃんは煙草をゆっくりと吹かすと溜息をついて
「陣の組織の娘がね。客の子が出来ちまったそうなんだ。それで何処かいい医者はいないか? と言うんでね。幸子の所を紹介したんだ」
それで大体の処は判った。
婆ちゃんの言う幸子と言うのは。佐藤幸子と言う婦人科のお医者さんで、佐藤病院と言う産科、婦人科、放射線科、内科、外科と言う病院の院長だ。
婦人の病気ならお産から乳がんまで何でも見てくれるし手術もする。
近所はおろか遠くまで聞こえた名医と言われている。
もつとも、院長の幸子先生の専門は産科と婦人科だ。
実は婆ちゃんの同級生で、子供の頃から親しくしている。
僕も佐藤病院で生まれたのだ。

「陣さんの組織じゃ知りあいの医者が居ないの?」
僕の問に婆ちゃんは
「ほら、優生保護法が出来てからは、結構うるさいらしいんだよね。それで余りいい顔しないんだそうだ。そこで何処かいい医者は居ないか?と訊かれて紹介したんだよ」
「そうだったんだ……」
僕はそれを訊いてこの前のあの人の事を思い出していた。
帰る時に鼻についた男の匂い……まさかあの人じゃ無いよなと思う。
「亭主持ちでね。亭主以外の子を生む訳には行かないからね」
確かに法外な金額を短時間で稼ぐにはリスクはつきものだけど……
「ああ、その子は陣の言う事だと、ウチを利用した事は無いらしいけどね」
それを聞いて僕は無責任にもほっとしたのだ……

深夜になりフロントを婆ちゃんと交代して業務に付く。
今夜は一部屋を除いてほぼ満室だそうだ。
皆さん頑張ってると言う事だね。
することがないのでラジオの深夜放送をイヤホンで聴いていると、1時を廻った頃に若いアベックがやって来た。
男は大学生ぐらいだろうか、女は若い。僕よりも若いと思った。
高校生か?とも思ったが、深夜来る客は前金で貰う事になっているので、先に勘定をして貰う。
そして唯一開いている「おおるりの間」に案内をする
「ごゆっくり」と言い残して下に降りて来る。
これで今夜は仕事は無くなった。バンザイだ!

およそ日常と言うものは退屈なものだと思っているが、それはこのような商売でも同じで特別に面白い事など滅多に無いのだ。
それから暫くしたある日の事、僕は早めに予備校から帰るとロビーに婆ちゃんと何と佐藤先生が座っていた。
「ああ、先生暫くぶりです」
僕はそう言って挨拶をする。
先生には小学校の頃まで良く診察して貰っていたのだ。
「ああ、しんちゃん!随分大きくなって……街で会っても解ら無いわね」
そう言って笑ってくれた。
「じゃあ、愛子、私は受け入れ先を探してみるから……」
そう言って佐藤先生は帰って行った。
ちなみに愛子とは婆ちゃんの本名で、身内意外は殆んど明らかにしていない。

「先生珍しいね。どうしたの?」
僕は気軽な気持ちで訊いていたのだが、問題は気軽な話では無かった様だ。
「お前、深夜に良く来る若いアベックって知ってるかい?」
「若いアベック? どのくらい?」
「そうさね。男が大学生ぐらいで、女は高校生かな」
僕は何時かの深夜に来た二人連れを思い出した。
「あのアベックだけどね、子供が出来たんだよ。それを知ったらね男が雲隠れしてしまってね」
子供が出来た?
「まあ、男の行方は陣が探してるからいいけどね。問題は出来た子供だよ」
「降ろすの?」
僕は率直に訊いたが、そうは行かない様だった。
「それがねもう四ヶ月過ぎていてね……親にバレてもう大騒ぎさ」
だが、それでなんで婆ちゃんの処に話が来るんだろう?
「その子がね。そいつだけだったら問題は無かったんだがね……」
うん?どういう事だ?
「陣の処で稼いでいたんだよ。まあ、本人は客とはゴム付きでやってたから違うって言ってるんだけどね」
「高校生売春!?いや~現実は進んでる。週刊誌なんかでは女子大生売春って騒いでるのに……」
「驚いているんじゃ無いよ!こっちはおお困りさ」
それで話が婆ちゃんの処に持ち込まれたのか……世の中進んでるな、僕は童貞だってのに……

「明日、幸子の所に両親ともども挨拶と相談に行く手はずだけどね」
「どうするんだろう……ねえ婆ちゃん……」
婆ちゃんは暫く煙草をふかしていたが、ポツリと
「幸子の事だから裏の道でやるしか無いだろうね」
「裏の道?」
「ああ、判りやすく言うと斡旋かな」
要するに生まれた子を子供に恵まれない夫婦に斡旋するのだ。
後年、岩手の産科医が同じ事をしていて発覚してマスコミを賑わせたが、この頃から実は行われていたのだ。

その後聞いた限りでは、高校生は病気と言う事で休学し、出産した。
男の子だったそうだが、その子は直ぐにその希望の夫婦に引き取られたそうだ。
条件としては、将来その子が出産するときは必ず佐藤病院を使う事。
これはちゃんとデーターを取っておかないと将来、生まれた子が女の子の場合偶然の力が働いて、もしかの場合があるからだ。
兄妹で恋愛になんてならないとも限らないからだ。
恐らく引き取った夫婦にもその事は言われているだろう。

このような事は滅多に無いのかも知れない
そのホンの氷山の一角に現れた事だが、事実はもっと深い事がきっと行われているのだろう。
ああ、それから、相手の大学生だが、陣さんの組織が見つけたそうだが、ガンとして認め無かったので……その後どうなったかは知らない……多分陣さんの組織が……いやいい加減な事はよそう。
女子高生も「もう未練は無い、私が馬鹿だった」と反省してまともになったそうだ。
いずれ、素知らぬ顔で嫁に行くのだろう……

僕は今夜も花蓮荘のフロントに立つ。

第4話 婆ちゃんの事情~えびの間

 僕の家は戦前はかなり大きな資産家だったそうだ。
この辺も今は家が建ち並んでいるが、その当時は辺り一面の田圃だったとか。
だから我が家は農家の傍ら土地を貸して生計を立てていたそうだ。
そこの一人娘として生まれたのが婆ちゃんで、その昔はなんとか小町とも呼ばれたそうだ。
10代の頃に婿を取らされ家を継がされたのだが、戦争で夫である爺ちゃんが亡くなり子供を残されて結構大変だったらしい。
戦後の農地改革であらかたの土地を手放してしまい、しかも女手で農家は出来ないと思った婆ちゃんは、この花連荘を建てて今の商売を始めたのだ。

「なんでこの商売をはじめたの」と訊いた事があるが
「日銭が入るだろう。だからさ。それに仕入れなんかも要らないしね」
以外と合理的な考えの婆ちゃんらしいと、そのときは思ったものだ。

戦後女手一人で3人の子供を育てた婆ちゃんだが、実はもう長い関係の恋人がいる。
この近くの川沿いにあるある会社の会長だ。
規模的には中企業とも言う存在で、そこの創業者で今は社長を息子さんに譲っている。
かなり早くに奥さんを病気で亡くなされて、それ以来独り身を貫いていたのだが、どういう訳か婆ちゃんと親しくなった。
婆ちゃんは今年還暦だが、会長さんは65くらいだろうか、精力的な感じの人だ。

会長さんは一月に2〜3回ほど花連荘にやって来る。婆ちゃんとの逢瀬を楽しみに来るのだ。
その日は婆ちゃんは朝から機嫌が良い。
まあ、婆ちゃんは孫の僕から見てもかなり若く見えるので、そういう年代の人からはかなり魅力的に見えるのだろうか……

「お前今度の土曜は用無いだろう? フロント代わりにやってくれないか」
そう言って婆ちゃんは僕にフロントの仕事を頼む。
アルバイト代はいつもの3倍だそうだ。
最も3千円だけどね。
その日は朝から婆ちゃんはソワソワしていて、会長さんの好きだというおつまみなんかを作っている。
チーズに板海苔を巻いたり、ガラスの器に氷を入れてそれにキューブ状のレーズンバターを乗せたりしている。
誠鮨から出前も取り寄せている。
「あの人はこれが好きだからね」と用意しているのはジョニ黒だ。
この頃は昔より大分安くはなっていたが、やはり高級ウイスキーの代表ではあった。

土曜の11時頃になると黒塗りの車が玄関に横付けされて、中から老年の紳士が降りて来た。
婆ちゃんはいそいそと、出迎えて一緒に2階に上がって行った。
僕はとりあえず、夕方まで留守番をする。

昼を少し過ぎた頃だろうか、常連さんのおじさんがやって来た。僕のいつも居る夜間はあまり来ないが、昼は結構利用してくれるおじさんだ。
この人は、いつも一人でやって来て、相手を呼ぶのだ。

ウチも商売だから、その筋の組織を幾つか知っている。
陣さんをはじめ、紹介してくれる人もかなり居るが、ウチは前にお客から「中間搾取をしているだろう」と言われて婆ちゃんは怒り、それ以来その商売の電話番号を教えるだけにしている。
「呼ぶなら勝手に呼んでちょうだい」と言うスタンスだ。
この常連のおじさんはウチに来る前に電話をして都合をつけてからやって来るのだ。

おじさんを「えびの間」に案内して下に降りて来ると間もなく、めがねを掛けた上品そうな30代の主婦らしき人がやって来た。手には買い物カゴを持っている。
とても知的な感じで、上品な人だと感じた。
買い物カゴを持っていなければ、中学の数学の教師かと思ったくらいだ。
その人がフロントで「あのう、先ほど一人で来られた方……」と言ったので僕はすぐに判り、「こちらです」と言って先ほどの「えびの間」に案内する。

このおじさんが贔屓なのは陣さんの組織がやっている所だそうだ。
おじさん曰く「品ぞろえが良い」のだそうだ。
そんな事を考えていたら、2階から誰か早足で降りて来る。
まさか婆ちゃんじゃ無いよな? と思っていると、さきほどのめがねの人だった。
フロントから見ても息が荒いのが判る。
おまけにブラウスのボタンがちゃんと掛かってないので、胸が開いていて、深い胸の谷間が覗いている。
「着やせするんだな」自然とそう思った。
その人は「はあ、はあ」と本当に息を乱して、髪もやや解れぎみで、僕の視線に気がついたのか、片手で胸元を押さえて「先に帰ります」と言って姿を消した。

その女の人が去った後には、化粧の匂いに女の匂い、それに男の精の匂いが混じった香りがしていた。
「ああまで急いで帰らなくても……」
そう僕なんかは思っていたのだが、小一時間もしたらおじさんが降りて来て精算した。
「ずいぶん急いで帰りましたね」
そう言うと、おじさんは
「いや〜急いで帰らないと、子供と旦那が家で待ってるからだろう」
とニヤニヤしながら言う
「やっぱり主婦だったのですか?」
「主婦って言うなよ人妻だよ! たまらんぜ」
そう言って帰って行った。
昼間は昼間の事情があるのだとそのときは思ったのだ。

夕方になると、会長さんと婆ちゃんが下に降りて来る。
すでに車が迎えに来ている。
ばあちゃんは「それじゃうーさん、また」
そう言って車まで会長さんを送り手を振る。
それを見ながら僕は「婆ちゃん青春してるな」と思うのだった。

それから数日後、僕は予備校の帰りに婆ちゃんに頼まれた品を買いに駅前のスーパーで買い物をしていた時だった。
僕の目の前を、見た人が通り過ぎて行く。
その人は30代の主婦でめがねを掛けていて、まるで「中学の数学の先生」を思わせる人だった。
「あのときの人だ」そう瞬間に判ったが口には出さないし、向こうも知らん顔している。
僕も知らん顔で横目で見ていると、左の手には5歳位の女の子を連れていた。
その光景は幸せそうな親子の風景そのものだった。

僕は黙ってそこを後にした。

第3話 騙される幸せ ~うめの間~

   予備校から帰って来て、一眠りして目が覚めかかっていた頃の時間。
耳に若い女の子の声が入って来た。
「いや〜嫌!変な事しないって言っていたじゃない!」
半分涙の混じって鼻水でもでているんじゃ無いかと思う様な声だった。
寝ぼけ眼でフロントに顔を出すと婆ちゃんが顎で玄関を差す。
そこには、まるで人形ケースから抜け出て来た様な格好の女の子が足をくの字に曲げて床に座り込んでいて、両の手は目に充てられている。
「だって、だって、今日は変んな所には行かないって言っていたのに……」
泣き声で鼻水をすすりながら訴えているのだが、果たして誰に言っているのだろう?
彼氏に一見言って居るように思えるが……
そこまで、起き抜けの頭で考えると婆ちゃんが徐ろに
「あんた、うちは揉め事は困るよ。第一嫌がってるじゃないか。いい男ぶるなら今日は大人しく帰った方が良いんじゃ無いかい」
婆ちゃんは火の点いた煙草を左手に持ちながら呆れた様子でその男に語り掛ける。
男は20代半場だろうか?
対するフランス人形みたいに、頭にカチューシャをして、水色のドレスを身に纏った娘は二十歳前後だろうか。
男が完全にお手上げだと云う感じながらも、あきらめ切れないのか
「だから、休むだけだよ。何にもしないからさ」
こういう所に連れ込む常套句を言っている。
果たして、これを信用する女の娘は居るのだろうか?

「嫌!そんなの嘘だもん!しんちゃん、何時も嘘ばかりだから……」
ええ!僕と同じ名なのかよ……
そう云われた”しんちゃん”は困った顔で
「いつもじゃ無いだろう……この前なんか、納得したのに部屋に入ってから急に気が変わるんだもの……俺なんかすっかりその気になっていたのにさぁ」
「兎に角、今日は嫌なの!嫌と言ったら嫌!」
床に座り込んだまま全く動こうとしない娘に男も諦めたのか
「判ったよ……じゃあ今日は帰ろう」
そう言って女の娘を立たせると婆ちゃんに侘びを言って帰って行った。

その様子を見ていた婆ちゃんは
「困った娘だよ。未だ商売から足を洗って無かったのか」
そう言って煙草を吹かした。
僕にとっては意外だった。どう見てもあの娘は本当に泣いていたし、涙も流していた。
う〜ん処女かどうかは知らないが、このような場所には本当に不慣れな感じがしたのだ。
「婆ちゃん、商売って……何?」
婆ちゃんは俺の方に向き直り、半分笑って
「あれが、あの娘の商売なんだよ。これと見込んだ男に取り入り、じらして金を引き出させるのさ」
「じゃあ、あれは演技?」
「ああ、立派な演技さ」
これは驚いた。じゃああの男は「やらずぶったくり」に合ってるのか?
そんな事が俺の顔に書いてあったのか婆ちゃんは
「まあ。手も握らせ、キスもさせて、服の上からは抱き合ったりしてるだろうよ。もしかしたらBくらいは行ってるかも知れないね」
婆ちゃんBってペッティングのことね……

「それで、金をせびって、出させて、ポイしちゃうの?」
「ああ、基本的にはな。額が多ければ1度くらいはさせるかも知れないがな」
「どれぐらい出させるんだろう?」
「わたしもハッキリとは知らないが、100万はくだらないだろうよ」
「100万!一発100万か……高いな……」
でも、関係を断つって簡単に云うけど、どうするんだろう?
婆ちゃんに訊くと、よくは知らないがと前置きをして
第一に電話番号などは基本的には教えないそうだ。その代わり自分の方から年中電話を掛けるのだそう。
小銭等を何回か借りて、それはきっちりと返すのだそう。
男が貯金や資産があると判ると段々親密さを増して行くのだそうだ。
「兎に角、自分は良い所の生まれと言う事を言って信用させるのさ。そしてカモにするんだよ」
そして上手い話をして、大金を出させて巻き上げる。
更に、金を巻き上げた後は部屋等も引越してしまう。
そこで、男は電話番号も知らなかった事に気がつくのさ。
「でも、用心深い男なら電話番号は訊くでしょう」
「その時は、取次様にある電話の留守番をする会社の番号を云うのさ。良くあるだろう電話1本で幾つもの個人の会社と契約して、電話が掛かって来て「A社ですか?」と訊かれたら「はいA社です」と答え「B社さんですか?」と訊かれれば「はいB社で御座います」と答える所」
それは聞いた事がある。事務所にテーブルと電話しか無いが、掛かって来た内容をその契約してる者に連絡する商売があると云う事を……」
世の中色々な商売があるんものだと感心をする。

それから幾日か経った日のもう日付が変わろうかという頃だった。
玄関にあの娘があの時と同じ様な格好で、今日は頭に黄色いリボンを付けていて、しかも小走りに走って現れたのだ。
「オバサン、匿ってくれる!」
そう大きな声で婆ちゃんを呼ぶ。
未だ寝ていなかった婆ちゃんは部屋から起きて来て
「どうしたんだい、いったい、顔色変えて」
そう言って煙草を吹かす。
「ああ、オバサン、大変なの、あの人に追われているの。あの人頭にきちゃったらしくて、
『今日と言う今日は絶対お前を離さない』って目がつり上がっちゃって、大変なの。だから逃げてきたんだけど」
婆ちゃんはそれを聞いて、その娘に
「お前、あの彼氏から幾ら引き出したんだい?」
最初はしらばっくれていたが婆ちゃんの貫禄に負けたのか
「うん、今回はちょと多くて300万くらい……」
「ヤリ過ぎだよ。そりゃ……」
「かなぁ〜ついね……」
そうこうしているうちに、この前の彼氏が赤い顔をして走りこんで来た
「洋子は、洋子は居ませんか?」
確かに目が釣り上がっていて、この前とは人相が違う。
娘は婆ちゃんの後ろに隠れていたが、直ぐに見つかり
「洋子、見つけたぞ!」
そう言って、手を掴んで婆ちゃんの後ろから引き出した。
「しんちゃん、御免、悪気があった訳じゃ無いのよ。ちょっと借りただけだから……」
そう言い訳をしていると
「洋子、俺は、お前の事、興信所に頼んで調べて貰ったよ。だからお前がどんな女か知ってる積りだ」
それを聞いてみるみる洋子と云われた娘の顔色が変わる
「しんちゃん……知ってたの……わたしのこと……」
「ああ、知っていたよ。知っててもお前に気に入られたくて、金を都合つけたのさ」
「なんで?どうして?……あんた馬鹿じゃない。わたしがどんな女か知っていて、お金を黙って出していたなんて……」
しんちゃんと云われた男は洋子と言う娘に向かって
「お前の事は生まれから今までのことは全部知っている。それでも俺は本気なんだ。本気でお前の事が……」

「馬鹿、 馬鹿よあんた。いくらモテ無くてもわたしみたいな女を好きになるなんて……」
ロビーに不思議な空気が流れ、"洋子”は真剣に考えていたが、心を決めたみたいで
ロビーの椅子に腰掛け、ハンドバックから煙草を取り出し、使い捨てライターで火を点けた。
口から煙を吐き出すと、
「あんた、わたしが何人の男を知ってるか分かってるの? それでもそんな事言ってるの?」
「そうだと言ったら、どうする?」
洋子と言う娘は目線を”しんちゃん”から外して、斜めの天井を見上げて
「ばか、ほんとう馬鹿なんだから……たった1度寝ただけなのに……」
「洋子、俺と一緒になってくれ。俺は本気なんだ!」
俺はもしかしたら泣き顔を見られるのを嫌って天井を見ているのだと理解した。
”洋子”は直接その返事を言わずに婆ちゃんに
「オバサン、あたし商売から足洗う事にしたよ。そろそろ潮時かも知れないし、こんな馬鹿な人もう現れないかも知れないからさ」
そう言って、”しんちゃん”の方をやや恥ずかしそうに見つめる。
「そうかい、それがいいやね。何時までもする商売じゃ無いからね」
「うん。本当に潮時だと思う……」
その晩二人は「うめの間」に泊まった。

翌朝、僕が予備校へ行く準備をしてると、2階から女の子が降りて来た。
髪はひっつめにして、地味なワンピースを着ている。
「すいません。精算してください」
そう云われたが、はてな?こんな娘は夕べ泊まらなかった。と思っていると
「「うめの間」です」と言うではないか。
僕は驚いてしまった。
全くと言って良い程別人となってしまった洋子さんは
「もう、商売しなくていいからね。普段の格好にしたの。バッグには着替えを持ち歩いていたからね」
そう言って恥ずかしそうに話している。
「お金もね、今回のは未だ手付かずだから、これで何処か部屋でも借りる事に決めたの」
嬉しそうだ。不思議だなと思っていると
「あ、でもね。貰ったお金はもう私のだから、返さないけどね。あの人の為には使うけどね」
精算してお釣りを渡そうとすると
「少ないけど。取っておいて、迷惑掛けたから」
そう言って2階へ上がって行った。

後に婆ちゃんから聞いた処、二人は結婚したそうだ。
でも婆ちゃんが困るのは夫婦喧嘩の度にどちらかが相談にやって来る事だという……

第2話 騙すということ ~いちょうの間~

 花連荘には陣さんや茜さん以外にも常連さんはいる。
さっき入っていった秋山さんもその一人だ。
最も本名は知らないから本当にあの人が秋山某かは知らないが、彼が非合法な事で報酬を得ていて、それで暮らしていたり、組に上納しているのを僕は知っている。

生まれは釜山だそうだ。
生まれて生後何ヶ月かで海峡を渡って両親と兄弟とともにやって来たそうだ。
理由は「食えなかった」から……
正式な生まれた年は知らないが、朝鮮戦争のすぐ後だか最中だったのだろう。
今は陣さんと同じ組の構成員で陣さんを「兄貴」と呼んでいる。

僕が彼を今一好きになれないのは、彼のやってる事が昔だったら女衒と言われる類のものだからだ。
いや、もっと酷いかも知れない……
女の子を何処からか連れて来て、一時は自分のものにする。
それはそのときは、もう本当にお姫様の様に扱い、とても情熱的にする。
最近似たようなのを見たと思ったら、韓流スターが醸し出す雰囲気と同じだと気が付いた。

もう女の子は夢中になり、完全に彼の虜になった頃に、水商売や特殊浴場等に売り飛ばすのだ。
韓流スターに夢中になってるだけでは大した害は無いが、この場合は違う。
もちろん、口ではかわいげのある事を言う。
「親族の借金の保証人になって、破産寸前なんだ、こんな事は言えた義理じゃ無いんだが、少し都合つかないかな?」
なんて言って騙し、貯金を下ろさせ、最後は納得ずくで売られて行くのだ。

茜さんも随分その様な娘を随分見てきたと言う。
「大抵の娘は売られてから連絡が無いので、そこで気が付くんだけどね。自分が騙されていたって……」
きっと、茜さんは、随分見てきたのだろう。
その事を言う時は何時も悲しそうな目をする。
茜さんは実はもの凄い美人で、彼女目当てで店に来る客が大勢いる。
それで、安くもないスナックが大繁盛しているのだ。
陣さんはその売り上げの何割かを組に納めている。
残りは茜さんに自由にさせているみたいだ。
「あたしなんか幸せな方でさ、あの人と出会って無かったらどうなっていたか……」
陣さんの事をあまり詳しくは語ってくれない茜さんだが、彼女が陣さんに惚れているのは確かな様だ。

朝になり8時になると婆ちゃんと交代だ。
僕は起きて来た婆ちゃんに
「秋山さんまだ居るから」
そう伝えて、予備校に行こうとすると、婆ちゃんは俺に3千円持たせて「帰りに誠寿司で上鮨を二人前折り詰めにして来てちょうだい」
そう言いつけられた。
「出前じゃ駄目なの?」
「時間があてにならないから駄目。釣りは小遣いにやるから。それに一つはお前のだからさ」
そう言われて悪くないと思う。
確か上鮨は1200円だったからだ。
僕の分を並みにすれば千円浮く事になる。一晩の賃金分だ。

大きな教室でやる気のない講師の授業を欠伸半分で聴いていると、昨夜の秋山さんの連れて来た娘が思いだされる。
昨夜の娘はなんか、うちにはそぐわない感じがした。
何というか、住む世界が違うと言うか何と言うか……
見た感じも、男を知らないんじゃないか、と僕は思ったくらいだ。
最も僕も女性を知らないけどね……

何の益も無く予備校が終わり僕は帰路につく。
婆ちゃんはあの娘を見ただろうか、何となく胸騒ぎがする。
言いつけ通りに「誠寿司」で上鮨と並鮨をそれぞれ一人前ずつ折りに入れて貰う。
「しんちゃん、片方も上にしておいたよ」
親方が笑いながらおまけをしたくれた事を言ってくれる。
僕は頭を掻きながらお礼を言って折りを受け取る。
「2千円でいいよ」
そう言われ、もう一度お礼を言って料金を払い帰りにつく。
なんか悪いな。親方が来たらおまけするかな、なんて思っていたが、親方がウチなんかに来るはずが無かったと思い笑ってしまう。

家には帰らずに、花蓮荘に寄る。婆ちゃんに頼まれた鮨折を渡すと
「親方おまけしてくれたろう」
端からお見通しだった。
僕は婆ちゃんに秋山さんの事を訊いてみた。
「昼過ぎに帰ったがな。どうかしたのかい」
僕は、胸騒ぎがした事を言ってみた。
婆ちゃんは暫く考えていたが、やがて
「それはな、恐らくあの連れていた娘がそぐわないと思っていたからだろう」
「婆ちゃんも思った?」
「うん、まあな……秋山のやつとんでも無いのを引っ掛けてしまったかもな」
「とんでも無いもの……」
「ああ、そのうち判るじゃろう。さて鮨でも食べて、お前は寝るんじゃろう?」
ああ、そうだった、僕の時間は11時〜翌日の8時までだから、夕方の今から10時過ぎ迄は寝る積りだったのだ。
婆ちゃんと鮨をつまんで、奥の仮眠室で寝かせて貰う……
久しぶりの鮨は旨かった……

目覚ましの音で目を覚ますと10時半を時計が指していた。
フロントに行くと、婆ちゃんと昨日秋山さんが連れていた娘が世間話をしていた。
どうやら、秋山さんに言われてコーラを買いに降りて来たみたいだった。
「それじゃ、失礼します」
そう言ってその娘は浴衣の前を手で合わせてから両方の手にそれぞれコーラを持って2階に上がって行った。
それを見送った婆ちゃんの顔が一転険しくなった。
「どうしたの?」
そう聞いても、黙ったままの婆ちゃんだった。

その後11時を過ぎても珍しく婆ちゃんが起きていてテレビなんぞを見ていた時だった。
2階から珍しく秋山さんが降りてきて、ロビーでタバコを吸い始めた。
「連れがタバコの臭いが駄目でね。面倒くさいが仕方ないんだ」
そう言って珍しく少し恥ずかしげにしている様は僕にとっては新鮮だった。
「この人もこんな表情を見せるんだ」
それが素直な感想だった。
何時もは僕らには冷たい事務的な顔しか見せなかったからだ。

そのタバコを吸っている秋山さんに、婆ちゃんが語り掛けた。
「あんた、あの娘は止めた方が良いよ」
いきなりそんな事を言われて、秋山さんは面食らったみたいだった。
「おばさん、俺だって何が何でも売り飛ばす訳じゃないよ」
そう言い返したが、婆ちゃんはそれを聴いて無かったのか
「さっきねえ、ちょっと話したんだけど、あの娘あんたの商売知ってたよ」
「え? 知ってた? どういう事だい。俺はそんな事今回は匂わして無いけどな」
「知っててね、あたしにこう言ったのさ」
『私がきっとあの人を救ってみせます。大丈夫です。話せばきっと分かってくれます』
「そう言ったんだよ……あんた本当に話して無いのかい」
秋山さんは少し考えてから、ポツリと
「いや、今回に限っては言ってないよ……」
「今までの娘は皆一応は知らなくてさ、あんたの芝居を心から信用してさ、時が来たら迎えに来てくれて、一緒になれるってすっかり信じていたけどねえ……」
婆ちゃんは自分もセブンスターを取り出すと、火を点けて軽くふかし、紫煙が立ち上った。

「どこで、拾ったんだい、あの娘」
ソファーに軽く腰掛けながらも婆ちゃんは秋山さんを横目で見据えている。
今までも、婆ちゃんは実は何人かの娘をこっそり逃がしているのだが、それを秋山さんは知ってても黙っているみたいだ。
きっと、自分の構築した世界から目が覚めてしまった娘はどうでも良いのかも知れない。

「先週ね、道を聞かれてさ、聴いたら俺の行く先と近かったから案内したんだ。それが始めさ」
「じゃあ、何時もの様に道ばたで張っていて良いなと思った娘に声を掛けたんじゃ無いんだ」
「そうなんだ、どっちかと言うと俺が声を掛けられた形かな」
婆ちゃんは少し考えていたが
「あんた、あの娘に落とされたんじゃ無いの?」
「え、まさか……いくらなんでも……」
「あの娘の素性は調べたの?」
「いいや、普通にそんな事はしないから。元々非合法だし」
「兎に角あの娘普通の娘じゃ無いよ」
「そうかな、だって俺が初めてだったぞ、そんな娘がなんか考えるか?」
「あんた、あれだけ女をこましていて、未だ判らないのかい。おんなは外観や初めてとかそんな事じゃ無いってね」
言われて、秋山さんは頷いていたが、その娘が迎えに来たので一緒に2階に上がって行った。
婆ちゃんは一言
「あいつ、もう逃げられないね」
そう言うと僕にフロントの番を交代して寝てしまった。

次の日、秋山さんとその娘は一緒に帰っていったが、その日を最後に秋山さんは姿を見せなかった。
暫くして、婆ちゃんが陣さんから聞いた話では

結論から言うと秋山さんは今、韓国の釜山の近郊の町で暮らしているそうだ。
もちろん、あの娘と一緒に、いや、あの娘の一族と一緒にと言った方が良いかも知れない。
彼女は韓国のそのあたりでは知らない者がいない組織の娘で、在日の韓国人の間でも知る人ぞ知るという存在だったそうだ。
つまり、秋山さんは彼女から逃げられずに自分の国に連れ戻されてしまい、周りに自分の親類がいないという環境で暮らしているそうだ。
陣さんは、その時婆ちゃんに
「こっちで育ったり生まれた韓国人が向こうへ行くと結構辛いらしいってさ。あいつも苦労しているみたいだが、それも今迄の罪滅ぼしかな」
そう言って笑っていたそうだ。
婆ちゃんが「よく、組を抜ける事が出来たね」
と聞いた処、彼女の一族が、なんでもハンパない金額を納めて、話を付けたそうだ。

暫く経って、婆ちゃんに下手くそな字で手紙が届いた。
そこには、秋山さんが元気でやってる事や、やはり辛い事がかなりあった事等が書いてあったそうだ。
でも最後に「子供が出来てうれしい」との一文が書いてあったと言う……

婆ちゃんは「初めてあいつの名前を知ったよ」
そう言って笑った。

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