小さな家族


 子供の頃からわたしはちょっと変わった子だったらしい。両親に言わせると、わたしは幼い頃から、動物好きで、良く捨て犬や捨て猫を拾って来ては「飼って欲しい」と駄々をこねていたと言う。
 その当時のわたしの家ではペットを飼う事は出来なかった。何故なら民間のアパートでは動物等は飼えなかったからだ。
 両親から「駄目」と言われる度に涙を流して遠くまで捨てに行き、帰りも「ついて来ちゃ駄目だよ!」と言って、目をつぶり泣きがなら思い切り走って帰って来た。
 そんな事を何回繰り返したろうか?ある日、家に帰ると母が嬉しそうに
「信子、お父さんね、家を建てる事になったよ。少し遠い所に引っ越すけど、新しい家に住むんだよ」
 そうわたしに言ってくれたので、わたしは思わず
「じゃあ、犬か、猫飼えるね!?」そう訊いていた。
「勿論だよ、あんたが散歩さえすればね」
 そんな事を言って笑っていたのを覚えている。

 それから半年後にわたし達、棚橋家は新築の家に移り住んだ。そこは、元の街中の便利な環境とは正反対の見る限り田圃と畑と雑木林に囲まれた場所だった。
「とてもペットなんか飼う環境じゃ無いじゃない」
 それがわたしの第一印象だった。
 第一学校へ通うのにも、歩いて三十分以上かかる。何処かへ行くにも、駅まで四十分かかるし、おまけにその駅は1時間に3本しか電車は止まらなくて、街に出るにも乗り換えしないと行けないし、余りの環境の違いに、暮らして行くだけで精一杯だった。

 父は帰りが遅くなって、母も何処かへパートに働きに出ることになった。
 必然的にわたしは家で一人で居る時間が多くなったし、新しい学校の友だちと遊ぼうにも、友達の家まで30分もかかるので、おいそれと遊びにも行けなくなった。
 だから、一人遊びが多くなった。思えばその頃から、よく空想をするようになったのかも知れなかった。
 一人で家にいると、色々な事を考える様になる。特にマンガや小説等を読んだ後で、自分なりの結末を考えてみたり、新たなストーリーを考えたりして楽しんでいた。
 そして、わたしは何時しか強い妄想癖があるような子になっていった。それは、一人っ子のわたしの必然だったのかも知れない。

 そんなわたしが中学に上がる頃に我が家に子猫がやって来た。いや、正確には貰ってくれるように頼まれたのだ。見ると、やっと目が開いたばかりの三毛の子猫だった。
 母のパート先の工場の入口にダンボールに入れて置いてあったらしい。工場のパートさん達が何人か可哀想と言う事で家に持って帰ったのだが、最後に1匹残ってしまったのだそうだ。
 それを母に言わせると、わたしが幼い頃に良く子猫や子犬を拾って来ていたのを思い出したので、持って帰って来たのだと言う。

 正直、わたしは、この頃にはもうそんな思いは無くなっていたのだが、それでも新しい家族が増えるのはわたしは嬉しかった。
 赤ん坊の猫の世話も自分で全てしたし、メス猫だったので、親は「去勢」させないと、と言っていたが、それも受け入れた。
 そんな経緯もあり、子猫にわたしは「ミィ」と名づけ自分のものにした。
 ミィは三毛猫でありながら、耳の先端が白く、そこがなんとも言えない感じで可愛かった。

 やがて、成長するとミィはとんでもない猫に成長した。まるで野生の猫そのものなのだ。
 夏、表で蝉が泣き出すと、家の中で眠っていても、パッと飛び出すと蝉の鳴いてる場所目掛けて一直線に駆けて行き、あっと言う間に木を登り、鳴いていた蝉を捕まえて来るのだ。
 食べはしないが、散々遊んで殺してしまう。そんな事をいつもやっていた。
 ある時などは、木の上に登り何をしているのかと思えば、カラスと喧嘩しているのだ。カラスが足でミィを攻撃しに来るとミィは後ろ足で木の上に立ち、前足でカラスを引っ掻くのだ。
 その結果、カラスは怖がり退散して行く……何とも凄い猫になった。
 当然、人の言う事なんか、聞きやしない。傍若無人ぶりを発揮した……わたしの猫なのに、と何時も思っていた。

 そんなミィも、いよいよ満1歳を迎えようとしていた。
 そう――去勢は十ヶ月から出来るそうだが、わたしは「お誕生日が来るまで待ってて欲しい」と両親に頼み込み、待っていて貰ったのだ。
 その日、病院に連れて行くのは当然わたしの役目で、猫用のバスケットに入れて、病院まで歩いて連れて行く。
ミィはこれからの事が判るのか、必死にバスケットの口を開けようとガリガリやっている。
 中では「フー」とか「ウー」とか言っているけどそんな事では開けられ無い。開けたらお前は何処かへ走って行くに決まってる。そうして二度と帰ってこないだろう。
 そうなったら、寂しいじゃないか……だから絶対に開けないんだよ。そう心に決めて連れて行く……
 きっとこれが犬だったら、また違って鎖に繋げて、思い切り引っ張って、それでも犬は連れて行かれない用にするんだと思う。

 病院で、先生に見せて、何も異常が無いのを確かめると
「一応1週間入院して貰います」
 そう言われ「宜しくお願いします」と言って預けて帰って来た。
 別れる時に、看護婦さんに抱かれながら、わたしを見つめていたのが忘れ無い。まるで「早く迎えに来て」と言ってる様な気がした。
 それから一週間はわたしは、何か忘れ物をしたような毎日を過ごしていた。それは母も、父も同じだったとみて「なんか寂しいわね」と言った母の言葉に象徴されると思う。

 ミィは猫のくせに抱かれるのが嫌い!
 わたしや母にさえ抱かれると嫌々と言うオーラを全開にする。そう三十秒ほどは我慢しているが、それを過ぎると「お義理だからもういいよね」と言う感じでモゾモゾと動き出して腕から抜けだして、飛び降りてしまう。
 そのくせ寂しがり屋で、何かあるとすぐ寄って来て「ミャー」と鳴くのだ。抱かれるのは嫌だけど構って欲しい、と言う超ワガママな奴なのだ。
 ミィよ人間世界で生きるならば、「相身互い」と言う言葉があるのだぞ!帰ってきたらそう言い聞かせねば……

 そんな事を考えながら、わたしはミィの居ない一周間を過ごしていた。
 ミィが退院する日、わたしは病院に迎えに行った。病院の方からは「お忙しければ、こちらからお送りしますが?」と言われたそうだが、母は
「ウチの子に迎えに行かせます」と言ったそうだ。
「だって、その方が早く会えるし、値段だって安くなるのよ」
 現実主義の母はそう言ってわたしを迎えにやらせたのだ。

 病院に着いて、名前を言う「あのう、棚橋ですが……」
受付の看護師さんは「ああ、棚橋ミィちゃんですね」
 そう言って、中に入る様に言われた。そうか、ミィは「棚橋ミィ」となるのか、まるで妹みたいだとその時思った。
 病院に入り「入院病棟」と書かれた部屋に案内され中に入ると、幾つもの檻や駕籠、ガラスの部屋等があり、その一つにミィがいた。
 ミィはガラス越しにわたしの事を見つけて、ちょっと興奮状態になったみたいだ。看護師さんがガラスの蓋を開けてミィを中から出して、中央のテーブルに連れて来る。そして、ミィをテーブルに置いた瞬間、ミィはわたしに飛びついて来た!こんなの初めてだった。

 何時もとは逆でわたしの腕の中から離れないのだ。爪を立てて、しっかりとわたしの服にしがみついている。
 わたしは、ミィが愛おしくなり、頭から背中を優しくさすってやった。そうしたらミィは「ニャーオ」と甘える様な声を出して答えたのだった。
 きっと恐い思いをしたのだと思うと無償にミィが愛おしくなる。家に連れて帰る時は来た時とは違って、随分大人しかった。
 費用は役四万円だった。これは当時としても格安だったそうだ。でも病気の予防の注射を打たれてこれは1万円別に払った。
 母からは七万円持たされていたから足りてほっとした。後で学校で友達に聞いたら十万は普通に掛かるそうだ。
 叔母の家のペットが沢山掛かっている病院と言う事で紹介して貰ったのだが、よかった。

 ところが、ミィが大人しかったのは、帰って来た日だけで、翌日からは相変わらず、近所の野山を駆けまわっていた。よほど自由に動けるのが嬉しかったのだろうか?
 夜になるとわたしの布団の上に来て寝ている。猫は夜行性じゃ無かったのか? とも思ったが、人間と暮らしているのだから、逆になる事もあるんだろうと思う。
 朝になると、人の顔をひと舐めして行くのだが、ザラッとした感触は目覚ましには持って来いだと思う。

 餌は大人用のキャットフードだ。今はスーパーに行けば、年齢別に何種類ものキャットフードがあるのでその点では楽になった。
 お気に入りの銘柄があって、それ以外だとあまり食べてくれない。
 下の世話だが、猫は砂箱を用意してやれば自然とそこでする。と言う事だったが、若い頃は表でしていたみたいで、あまり使わなかった。
 晩年になって、家の中に年中居る様になってからは、そこでするようになった。亡くなるまで、畳や他の場所でした事は無かった。
 十歳を過ぎる頃からあまり表に出なくなった。出ても、家の周りをパトロールして帰って来るだけになった。
 そう自分のテニトリーの見回りだと思う。そこは動けなくなるまでやっていた。

 わたしは大学を卒業して、学芸員の資格をとって、この近くにある、郷土博物館と言う所でアルバイトをしていた。中々本採用の枠が無いのだ。
 それでも自宅から自転車で三十分あまりで通えるのは有りがたかった。
「本採用なんかなれないのだから早く嫁に行け」と父は言うが、そう簡単に貰い手が現れたら苦労はしない。そんなもんさ人生は……

 ミィはこの頃になると、めっきりと衰えて眠ってる時間が長くなっていた。でも完全に人間語は理解出来るらしく、家の中を移動する時など、前足で襖等を開けるのだが、これはかなりの猫もやる。
 一度「開けたら閉めないと駄目だよ」と言ったら、それからは後ろ足で蹴る様にして閉める様になった。これは本当だ。
 それから母が「猫なんだから、ネズミでも採ってきなさいよ」と言った処、翌朝母を起こしに来て玄関に連れて行ったらしい。そうしたら、そこにネズミの死骸が鎮座在しましていたそうだ。
 母の言葉だと、ネズミの死骸の脇で自慢気に反り返って座っていたそうだ。

 亡くなる時は二、三日前から自分の巣箱で寝たきりだった。水も餌も殆んど食べずに、ただ、その時を待っているかの様だった。
 目をつぶり、「ハアハア」と軽く呼吸をしている。
 父や母が傍に行っても反応しなかったが、私が行くとほんの少しだけ目を開けてくれた。わたしは嬉しかった。
 そして、呼吸が段々とゆっくりとなって行き、最後に止まった。
 ミィは結局十四歳でその生涯を全うした。死因は老衰で、病院の先生も「老衰ですね。寿命です」そう言ってくれた。
 病院の紹介で火葬の業者に頼んで焼いて貰い、小さな骨壷に入れて貰った。わたしはそれを自分の家の庭の隅に埋めた。
 頼めばそう言う業者や霊園もあるそうだが、わたしは自分の暮らしてる傍に埋めてやりたかったのだ。だって、この十四年間、去勢の手術の時以外は毎日一緒に暮らした家族だし、私の妹みたいな存在だったのだから、当然だと思ったのだ。

 ミィが亡くなって暫く経った頃。忘れた訳では無かったが、家の中にミィの存在が無くなっている事に慣れた頃の事だった……
 わたしに手紙が届いた。消印が無く切手も貼っていない白い封筒だった。宛名だけ……私の名前だけが書いてある白い封筒だった。
 開封してみると差し出し人は便箋に「棚橋ミィ」としてあった。
 それを見て「誰かの悪戯」だと思ったが、手紙を読んで見る事にした。


 前略
 信子さま、この十四年間ありがとうございました。
 やっと目が開いたばかりの私を育てて戴き、ありがとうございます。
 私は他の猫より多少は野生の血が強かったのかも知れません。でも棚橋家はそんな私にピッタリの環境でした。
 近くの野や山でどれほど遊んだ事でしょうか。ワガママだったかもしれませんが、私はペットと言うより棚橋の家族の一員として過ごして来たと思っておりました。ですので可愛げが無かったかも知れません。
 そんな私ですが、手術をされて不安な日々を過ごして来た時に、あなたの姿を見つけた時の嬉しさはとても簡単には表現出来ないものでした。ですので、動きが自由になると貴方に飛びついて仕舞いました。
 後にも先にも私の方から抱きついたのはこの時だけでした。今では大変良い思い出です。
 実は貴方には縁談の話が来ております。そのために私は厄除けの「身代わり」になりましょう。
 それがわたしが出来る恩返しだと思っています。
 そうして貴方の幸せを何時も見守っています。


                   ミィ


 そう書いてあった。まさか? 猫のミィが手紙なんて……俄には信じられなかった。
 私は、その手紙を封筒にしまい、机の引き出しにしまった。次の日にもう一度確かめようと思ったからだった。
 明日になれば誰かに見せよう……そう思っていた。
 でも……翌日それを確かめようと思い引き出しを開けてみた処それは影も形も無くなっていた。
 あれは、わたしが見た幻だったのだろうか? それとも、何時もの私の妄想?
 今でもそれは判らない。
 そして、あの手紙に書いてあった通り、わたしは思いがけない方と縁があり結婚する事になった。

 ミィの亡骸は今でもわたしの家の庭に埋まっている。そうなのだ、夫は彼の希望もありわたしの実家で一緒に暮らしている

 今でも心に残る不思議なあの手紙、誰にも言ってはいないが、わたしの心に残っている……


 了