十二月も中頃を過ぎると年末や年始の事が頭を過るようになる。鈴は実は親友の美紀からスキーに誘われていたのだ。暮れの三十日の夜行バスで立って、翌朝現地に到着して、一日滑って温泉に泊まりそこで新年を迎え、元旦も夕暮れまで滑って、夜に向こうを立って二日の朝に戻って来る日程だった。店も三十日から四日までは休みだ。天は正月も店を開けていたそうだったが、肝心の市場が四日までは休みなのだ。初荷は五日と決まっていた。
店の掃除をしながら鈴は天に訊いてみた。
「ねえ、年末からお正月の休みにスキー行っても良い?」
「あ、お前滑れたのか? いつ覚えたんだ」
「あ、滑るのはスノーボード。実は人工の場所で何回かやった事はあるんだ」
「ふうん。そうか、誰と行くんだ?」
「美紀だよ」
「夏の何とか言っていた子は一緒じゃ無いのか?」
ここで鈴は天の感の良さにドキリとした。実は夏に仲良くなった民宿の長男で二つ歳上の大学生の顕(あきら)が友達を連れて来るので向こうで合流する手はずになっていたのだった。
「あ、実は向こうで合流するんだ」
隠しても自分の性格だと顔に出ると思い、正直に言う事にした。別に悪い事をする訳ではない。顕とは夏に仲良くなった程度で、その後も特に連絡は取っていなかった。美紀も顕の連れて来る友達とは初対面だと言う事だった。
「彼氏になりそうなのか?」
「そ、そんな訳無いじゃない。判らないよ。こればっかりは」
それが本音だった。
冬の夜は熱燗が出る。学校もそろそろ終業になるので店に出る時間も多くなっていた。鈴はお燗番をする事が多くなっていた。
鍋をつつきながら熱燗で一杯やる……そんな絵に書いたような光景が店には広がっていた。
「三十日は大掃除だ。夕方には終わるから、それからなら好きな所に行けば良い。暮れの墓参りには俺一人で行くから」
「ありがとう……お墓参りあったんだよね……」
「構わ無いよ。一人で母さんと話して来るから。お前の事も相談してくる。あいつはどうしたいんだかな」
「わたしは、もう決めてあるんだ」
「そうか、でも直前で変わる可能性もある」
「そんな事無いよ」
「なら良いけどな。俺や店の事は心配するな。お前も若いんだから楽しめば良い。それが一番だ」
お燗番をしながらそんな会話をした。その感じが何時もと同じ様で何となく違った感じを受けたのは気のせいでは無いと思った。
三十日の掃除は朝早くから行った。特に鈴は、夕方に美紀と待ち合わせをしているのでそれに間に合わせようと時間を作ったのだった。
鈴の持ち場は店の中だ。調理場は天が掃除をする。苛性ソーダを溶かしてその溶液に油汚れの物を漬けて行く。壁やレンジフードも洗剤を掛けて磨いて行く。
鈴は店のガラス戸を綺麗に磨き上げ、テーブルや椅子も家庭用洗剤で綺麗に拭いて行く。なんだかんだで昼過ぎには終わってしまった。
「やった! 時間が余った」
「毎年こんなに頑張るならいつも旅行に行けば良いな」
天がそう言って鈴をからかった。
夕方鈴は「じゃ行って来るね」と言い残して出かけて行った。ボードや何かはレンタルするのだと言う。便利な世の中になったものだと天は感じた。自分がスキーに行った頃もレンタルはあったが充実しているとは言えなかったからだ。
天は、磨きあがった店内に一人で座り、棚から日本酒を出して来てグラスに注いだ。肴には烏賊の明太子和えを用意した。このようなものは市販品もあるが、天はそのような品は使わない。自分で選んだ身の引き締まったアオリイカを捌いて細く切り、それに大ぶりの博多産の明太子の腹を切って薄皮を剥ぐと箸で丁寧にそいで烏賊と和えるのだ。夏なら三つ葉を加えるが今はこれだけだ。そこに天は柚子の皮を細く切り僅かに加えるのみだった。口に含むと辛味と甘味の間に鼻に柚子の香りが抜けるのだった。
その味わいが消えぬ内に冷の酒を口に含む。何とも言えぬ味わいだと天は思うのだった。静かに年の暮れが過ぎて行く。一人の酒も悪くないと思うのだった。
翌日、天は菜の肉体が眠っている菩提寺に出かけた。電車に乗るのも久しぶりだ。昨年までは鈴と一緒だったので車で行っていたのだが、今年は一人なので電車にしたのだった。電車の乗り方は忘れてはいなかったが、自動機札には少し驚いた。殆どの人がパスケースの上からタッチさせるだけで通過してしまう光景に時代は変わったと思うのだった。
菩提寺のある駅を降りて参道を寺に向かう。元々はこの駅も寺に参拝する人の為に作られたのだから、駅前の道も参道なのだった。
参道脇の店も前と変わり無く思えた。だが良く観察するときっと変化はあるのだと思った。店を見ながら天は、帰りに鈴が好きだった名物の菓子を買って行こうと決めていた。
寺では年末の墓参と住職への挨拶に訪れる人が結構な数居た。天も挨拶をしてお灯明料を収め、住職から寺の卓上カレンダーを受け取った。これは色々なお釈迦様の言葉が書かれていて、天はそれを読むのも好きだった。書かれた内容が現在の時代でもそのまま通用すると言う事に人の営みの変わらぬ事を思うのだった。
桶に水を汲み、線香を買って墓に向かう。けつこう大きな墓地だが迷うような事は無い。整然と仕切られているからだ。
墓に着くと、水を掛けて掃除をする。秋の彼岸に来たからそんなに汚れてはいなかった。雑草もほとんど無かった。
線香を供え、買って来た花束を墓の両側に供える。手を併せて拝み、そして語りかける。
「なあ、鈴はもう決めたと言っていたが、どう思う。向こうに行けば、あいつにとって素晴らしい事があると判ったら迷うだろうな。俺はそれをあいつに言うべきなのだろうか? それとも黙っているべきだろうか? 俺は実は迷ってる……まあ未だ時間はある。明後日でなければ、あいつは帰っては来ない。今暫く考えてみるよ」
もう一度手を併せて拝み立ち上がった。その時何かが聴こえた気がした。
「そうか……そう言う事か……ありがとう。また春に来るよ!」
天はまるで菜が生きている様な挨拶をすると静かにその場所を後にした。
「さて、今夜は年越しそばをたべながら酒でも飲むか」
その顔は迷いが取れた晴れ晴れとしていた。
店の掃除をしながら鈴は天に訊いてみた。
「ねえ、年末からお正月の休みにスキー行っても良い?」
「あ、お前滑れたのか? いつ覚えたんだ」
「あ、滑るのはスノーボード。実は人工の場所で何回かやった事はあるんだ」
「ふうん。そうか、誰と行くんだ?」
「美紀だよ」
「夏の何とか言っていた子は一緒じゃ無いのか?」
ここで鈴は天の感の良さにドキリとした。実は夏に仲良くなった民宿の長男で二つ歳上の大学生の顕(あきら)が友達を連れて来るので向こうで合流する手はずになっていたのだった。
「あ、実は向こうで合流するんだ」
隠しても自分の性格だと顔に出ると思い、正直に言う事にした。別に悪い事をする訳ではない。顕とは夏に仲良くなった程度で、その後も特に連絡は取っていなかった。美紀も顕の連れて来る友達とは初対面だと言う事だった。
「彼氏になりそうなのか?」
「そ、そんな訳無いじゃない。判らないよ。こればっかりは」
それが本音だった。
冬の夜は熱燗が出る。学校もそろそろ終業になるので店に出る時間も多くなっていた。鈴はお燗番をする事が多くなっていた。
鍋をつつきながら熱燗で一杯やる……そんな絵に書いたような光景が店には広がっていた。
「三十日は大掃除だ。夕方には終わるから、それからなら好きな所に行けば良い。暮れの墓参りには俺一人で行くから」
「ありがとう……お墓参りあったんだよね……」
「構わ無いよ。一人で母さんと話して来るから。お前の事も相談してくる。あいつはどうしたいんだかな」
「わたしは、もう決めてあるんだ」
「そうか、でも直前で変わる可能性もある」
「そんな事無いよ」
「なら良いけどな。俺や店の事は心配するな。お前も若いんだから楽しめば良い。それが一番だ」
お燗番をしながらそんな会話をした。その感じが何時もと同じ様で何となく違った感じを受けたのは気のせいでは無いと思った。
三十日の掃除は朝早くから行った。特に鈴は、夕方に美紀と待ち合わせをしているのでそれに間に合わせようと時間を作ったのだった。
鈴の持ち場は店の中だ。調理場は天が掃除をする。苛性ソーダを溶かしてその溶液に油汚れの物を漬けて行く。壁やレンジフードも洗剤を掛けて磨いて行く。
鈴は店のガラス戸を綺麗に磨き上げ、テーブルや椅子も家庭用洗剤で綺麗に拭いて行く。なんだかんだで昼過ぎには終わってしまった。
「やった! 時間が余った」
「毎年こんなに頑張るならいつも旅行に行けば良いな」
天がそう言って鈴をからかった。
夕方鈴は「じゃ行って来るね」と言い残して出かけて行った。ボードや何かはレンタルするのだと言う。便利な世の中になったものだと天は感じた。自分がスキーに行った頃もレンタルはあったが充実しているとは言えなかったからだ。
天は、磨きあがった店内に一人で座り、棚から日本酒を出して来てグラスに注いだ。肴には烏賊の明太子和えを用意した。このようなものは市販品もあるが、天はそのような品は使わない。自分で選んだ身の引き締まったアオリイカを捌いて細く切り、それに大ぶりの博多産の明太子の腹を切って薄皮を剥ぐと箸で丁寧にそいで烏賊と和えるのだ。夏なら三つ葉を加えるが今はこれだけだ。そこに天は柚子の皮を細く切り僅かに加えるのみだった。口に含むと辛味と甘味の間に鼻に柚子の香りが抜けるのだった。
その味わいが消えぬ内に冷の酒を口に含む。何とも言えぬ味わいだと天は思うのだった。静かに年の暮れが過ぎて行く。一人の酒も悪くないと思うのだった。
翌日、天は菜の肉体が眠っている菩提寺に出かけた。電車に乗るのも久しぶりだ。昨年までは鈴と一緒だったので車で行っていたのだが、今年は一人なので電車にしたのだった。電車の乗り方は忘れてはいなかったが、自動機札には少し驚いた。殆どの人がパスケースの上からタッチさせるだけで通過してしまう光景に時代は変わったと思うのだった。
菩提寺のある駅を降りて参道を寺に向かう。元々はこの駅も寺に参拝する人の為に作られたのだから、駅前の道も参道なのだった。
参道脇の店も前と変わり無く思えた。だが良く観察するときっと変化はあるのだと思った。店を見ながら天は、帰りに鈴が好きだった名物の菓子を買って行こうと決めていた。
寺では年末の墓参と住職への挨拶に訪れる人が結構な数居た。天も挨拶をしてお灯明料を収め、住職から寺の卓上カレンダーを受け取った。これは色々なお釈迦様の言葉が書かれていて、天はそれを読むのも好きだった。書かれた内容が現在の時代でもそのまま通用すると言う事に人の営みの変わらぬ事を思うのだった。
桶に水を汲み、線香を買って墓に向かう。けつこう大きな墓地だが迷うような事は無い。整然と仕切られているからだ。
墓に着くと、水を掛けて掃除をする。秋の彼岸に来たからそんなに汚れてはいなかった。雑草もほとんど無かった。
線香を供え、買って来た花束を墓の両側に供える。手を併せて拝み、そして語りかける。
「なあ、鈴はもう決めたと言っていたが、どう思う。向こうに行けば、あいつにとって素晴らしい事があると判ったら迷うだろうな。俺はそれをあいつに言うべきなのだろうか? それとも黙っているべきだろうか? 俺は実は迷ってる……まあ未だ時間はある。明後日でなければ、あいつは帰っては来ない。今暫く考えてみるよ」
もう一度手を併せて拝み立ち上がった。その時何かが聴こえた気がした。
「そうか……そう言う事か……ありがとう。また春に来るよ!」
天はまるで菜が生きている様な挨拶をすると静かにその場所を後にした。
「さて、今夜は年越しそばをたべながら酒でも飲むか」
その顔は迷いが取れた晴れ晴れとしていた。