「出合い」 番外編~エピローグのようなもの~

DSC00903 国内線を那覇で乗り換えて更に南に行く。着いた島は俺でも多少は聞いた事のある島だった。小さな空港の玄関には一応タクシーが停まっていた。
 荷物をトランクに載せると薫は「『クラブかりゆき』までお願いします」と運転手に伝え、運転者が「かしこまりました」と言って車が動き出した。
「会員制のリゾートクラブなの。わたし、メンバーなんだ」
 嬉しそうな顔で薫は上機嫌だ。飛行機でもほぼ一人で喋っていた。俺はそれを頷きながら訊いていただけだった。きっと、こいつは今まで色々と言いたい事も言えなかったのかと思った。

 ホテルに着くと、従業員が荷物を持ってくれる。薫はフロントで「立花ですが」と予約してある事を確認する。
 ちなみに、薫の芸名は『橘薫子』(たちばな ゆきこ)だ。フロントも薫が今をときめく女優だと気がついた感じだ。なんとなく判る
 この会員制のホテルはコテージと低層の客室とに分かれる。薫はコテージを取ったみたいだ。従業員が中庭を抜けて案内してくれる。
 着いた先は周りを南国の木々に囲まれた赤い屋根の丸みを帯びたコテージだった。従業員がコテージの説明をしてくれる。バス、トイレ、ベッド、その他色々と説明してくれる。更に
「低層の方には大浴場があります。そちらも二十四時間お使いになれます」
 そう説明してくれた。下がる時に薫が手に何かを握らせた。色々な意味があるのだろう……
 
 コテージは基本円形になっていて、そこにセミダブルのベッドが二つ。更に衣装を入れるロッカータンスや化粧台などもある。仕切られた隣の部屋にはソファーとテーブルがあり、ここで食事を採る事も可能だ。大きく開け放たれた窓からは紺碧の海と白い砂浜が広がっていた。
「やっと二人だけになりました。わたし、この時を待っていました」
 スーツケースから荷物を出してロッカーダンスに仕舞いながら嬉しそうに言う。そして片付け終わると、冷蔵庫を開けて二人分の飲み物をテーブルに用意した。そして俺が荷物を整理するのを待ってソファーに俺を誘った。
「本当は神山さんが来てくれるのか不安だったの。随分長いことろくな連絡もしていなかったし、それに神山さんに誰か素敵な人でも出来ていたらどうしようと思って、随分心配したの。でも来てくれて本当に嬉しかった」
 薫は両手に持ったグラスの片方を俺に掴ませた。そして嬉しそうに微笑むと
「二人の将来に乾杯しましょう。アイスティーだけど」
 そう言ってグラスを軽く合わせた。
「もし、俺が旅の支度をして来なかったらどうしたんだ? それに俺なんかに恋人なんか出来るわけ無いだろう。こんな中年のオッサン誰も相手にせんよ。それよりお前の方はどうなんだ、色々と週刊誌を賑わしていたじゃないか」
 俺は、薫の言った事は恐らく心の中の奥にある真実だろうと判っていたが、少々遊んでみたくなった。そんな俺の問いかけに
「それは、ああいう業界だから、付き合いが大事ということもあるし……」
 流石に歯切れが悪くなった。少し可愛そうなことを言ったと思った。
「いいよ、そんな事言わなくても。そもそも気にして無いしな。あんまり連絡が無かったので少しチクリとやっただけだ」
「もう……わたし……イジワル!……でもホテルで二人だけなら……」
 グラスを置いた俺に薫はむしゃぶりつく様に抱きついて来た。唇を重ねると、薫の目から一筋の涙が流れた
「う、れ、し、い」
 薫の心からの声だと思った。例えこれが女優としての演技だとしても、これだけの演技をされれば男として本望だ。
「それより、お前ちゃんと辞められるのか? あの業界は売れっ子女優を簡単に辞めさせ無いだろう。そっちが問題だろう」
 俺の言葉が核心をついていたのか、薫は真剣な表情になり
「うん……野沢先生は『仕方ない』って言ってくれたのだけど。テレビ局のプロデューサーが何と言うか……とりあえずは休暇ということで『仕事は入れないで』と言って、空けて貰ったのだけど……帰ったら色々とあると思う……」
 やはりそうだったのかと思うが、こればっかりは本人の意思次第だ。
「お前は俺と一緒になったら、女優はやりたくないのか?」
 根本的な事を訊いてみた。
「本当は、専業主婦になりたいけど、神山さんが薦めてくれるなら、やっても良いと思ってるけど、結婚してまでわたしに需要があるのかは判らない」
 恐らく、これも薫の本音だろう。俺は
「ある程度仕事をセーブすれば良いと思うが、こういうのは意外と難しいからな」
「そう、考えても仕方無いから、帰ったら結婚に向けて行動します。神山さんにわたしの両親にも会って欲しいし……」
 そうだ、結婚するなら、そういうことも行わなければならない。
「だから、今は思い切り楽しみましょう! 今日から七泊八日は二人だけだからね!」
 そう言って薫は俺に再び抱きついて来た……

 南の島の夏は暑い。とても日中は表で泳いでなどいられない。従って夕方とか夜に泳ぐことが多くなる。このクラブにはプールもあるので、夕方にそこで泳ぐことが多い。
 薫も結構大胆な水着を着てプールに現れ、周りの男共の目を楽しませている。久しぶりに抱いた時『前より胸が大きくなった』と思った。その体を申し訳程度 の小さな布切れに包んでプールサイドを歩くのだから、若い男の目が釘付けになるのは仕方なかった。まさに女としての魅力が花開いた感じだ。
 それでも薫は肌を焼かない様に入念に日焼け止めを塗っていたし、日除けのパラソルの下にいる事が多かった。
 どうやら、ここに居るのが女優の橘薫子と判かっている者もいるみたいだった。小さな声で話し声が耳に入る。
 部屋で、テレビを就けると薫の出ている化粧品のコマーシャルが流れる。それを見ていると、今、俺の目の前にいる人間とは同じとは思えなかった。
「明日は、船で隣の島に行ってみましょうよ。ね!」
 休日を満喫している薫は色々と俺に提案する。その全てを俺は二つ返事で頷いている。確かに、ここでは何もかも忘れられる。いいものだと思った。薫はここ にどれぐらい来たのか知らないが、このクラブは全国に何箇所かあるという。冬はウインタースポーツを楽しむ為に北の施設に……また春や秋には古都を楽しむ 為の施設もあるということだった。

 そんな訳ですっかり休暇を満喫して帰路に立つという時に薫のスマホに劇団のマネージャーからメールが入った。
『こっちでは芸能マスコミが情報をキャッチして羽田で出迎える気らしい。晒し者になる可能性があるから那覇からは別便か関空経由に変えた方が良い』
 というものだった。
「神山さん、どうやら、そっとしておいてはくれなさそう……」
 メールを読み上げながら俺に半分ふざけたような顔で言う。
「実は判っていたんだろう!? どうする強行突破か?」
 薫は半分困った顔をして
「わたしはいいの、マスコミに顔を出してナンボの世界だから……でも大事な神山さんを晒し者にはさせない……関西から新幹線でもいい?」
 そんなことを言って済まなそうな顔をした
「どっちでも構わん。堂々としていたって別に良い。気持ちは一緒だろう?」
「うん……ごめんね……わたし配慮が足らなかった……」

 結局、堂々と羽田で降りる事にした。他のお客の迷惑になるので、一番最後にして貰った。先を俺が歩く。俺の格好は麦わらのファッションキャップを 被りサングラスをしている。サングラスは兎も角、帽子は薫が「似合うから」と言って買ってくれたものだ。恐らく、俺の顔は帽子とサングラスで良くは判らな いだろう。という訳だ。
 逆に薫はいつもどおりの化粧の他は薄い色のサングラスだけをしている。
 出口を出ると。何十人というカメラマンが一斉にシャッターを切った。記者が口々に何か言うが薫は一言
「後ほど記者会見を行います」
 それだけを言うと俺達は、記者達を振りきってタクシーに乗った。
 車内で俺は
「記者会見には俺も出ようか」
 そう言うと薫は悲しそうな顔をしながら
「ううん、気持ちは嬉しいけど、神山さんは一般人だから巻き添えに出来ないよ。わたしだけで頑張るから」
 その晩は薫のマンションは記者達が張っている、との情報で俺のマンションに泊まった。
 翌日、スポーツ紙を買ってみると芸能欄の見出しには
『役者座女優 橘薫子愛人と南の島で逃避行旅行から帰る! 大胆な行動!!』
 とデカデカと書いてあった。何が「逃避行旅行」だ。勝手に決めつけるな!
 朝のコーヒーを入れながら文句を言ってると薫が横から
「芸能記者なんて、そんなもんですよ。彼らは事実より自分達が報道したい事のみを取材するんですから。新聞報道は眉唾で見る事って父も良く言ってました」
 そう言って甘えて来た。
「こら、コーヒーが溢れるぞ」
「だって今日と明日はまだお休みでしょう……昨日は疲れてたし気が立っていたから……ね……」
 泣く子と地頭には勝てぬとその昔北条何とかが言ったそうだが、俺の場合はこいつだ。確かに俺の休暇が終われば、こいつも厳しい現実が待っている。俺との 仲も正直どうなるか判らない。それを薫も感じ取っているのだと感じた。今日と明日は思い切り甘えさせてやろう……全てはその後だ……

 
 その翌日の休暇の最後の晩、薫は俺に申し訳なさそうに
「もう二三日居てもいいかな? その……」
 言い難そうな表情をしているので
「ああ、構わないよ。何なんなら一生居てもいいぞ」
 そう冗談を言ったら、そこで初めて笑顔を見せた。
 俺の仕事が始まると何日かはまるで妻のように振る舞ってくれた。朝飯や夕飯を作ったり、身の回りの事をやってくれた。ちょっとした所帯の真似事だったのかも知れない……
 ほとぼりが冷めて、明日は自分のマンションに帰るという晩、俺と薫は本気で愛しあった。正直この時、心の底から薫を一生自分のものにしたかった。それだけの想いを込めて愛した……そして、この日から薫は俺の事を孝之さんと下の名前で呼ぶようになった。

 翌朝、マンションを出る時
「これから記者会見するけど、孝之さんの名前は出さない。嘘は言わない。ちゃんと正直に答えるから見ていてね」
 そう言って笑顔で出て行った。……

 記者会見がテレビで中継されるなんてことは無かったが、部分的にワイドショーで流され、簡単な模様がネットにも載せられた。それによると……
――記者 「先日一緒に旅行された方とはそのようなお付き合いで、どのような関係なのでしょうか? よろしければ詳しい情報をお願いします」
――薫  「結婚を前提に交際させて戴いております。女優になる前からのお付き合いです。一般の方で社会人なので、名前は伏せさせて戴きます」
――記者 「年齢はお幾つですか?」
――薫  「37歳です」
――記者 「随分お歳が離れていますが?」
――薫  「関係ないと思います」

 およそ、こんな感じだった。薫は一人で大勢の記者を相手に一歩も引かなかった。堂々とした声で会見をした。それだけを見たら随分気の強い娘だと思うだろう。薫も24歳を過ぎた。充分大人の女性だ。大したものだと俺は思った。
 秘密にしていたつもりでも、何処からか情報は漏れる。俺の周りにも記者のような人間の姿を見る事が増えた感じがした。もしかしたら薫がここに寄るのではないかと張っているのだろう。ご苦労なこった……
 そのせいか、薫は深夜にメールを寄越すがこちらには姿を見せなくなった。そして、新しいドラマに出る事になり、そのロケや撮影で、メールも毎日とは次第に来なくなった。
 そんな時だった。俺のマンションに何と野沢せいこうが尋ねて来た。正直、驚いた。部屋に上げて案内すると、野沢せいこうは
「熱海でお会いしましたね。あの頃にはもう知り合われていたんですね。なら、話は早い。あの時、私は橘君に『女優の才能がある』と言いました。それはお世 辞でも何でもなかったのです。今日はお願いがあってやって来ました。あの子には今二本の映画の話が来ています。莫大な制作費をかけた文芸大作です。一本は ヒロインで、もう一本は準主役です。私はあの子に映画の主演をさせてやりたいのです。どうか、それが終わるまで、二人の結婚は待って戴きたいのです。今日 は、それをお願いしにやって来ました」
 本来なら、天下の野沢せいこうが俺の所に来て言う話では無い。でも、俺ではなく薫にはそれだけの価値があると言うことなのか……
「私からも質問があります。薫は女優として、そんなに素晴らしいのですか? そこの処の本音をお聞かせ願いたいです」
 俺としては、それだけだった。本当の処を訊いてみたかったのだ。俺の言った事を理解した野沢せいこうは
「彼女は素晴らしい才能です。女優として必要な要素を全て過不足無く持っています。セリフを理解する頭の回転の速さ、覚えの良さ、表現の上手さ、そして相 手をその気にさせる魅力、更に何といっても素晴らしいのは華がある事です。舞台でも彼女が現れただけで、パアーツと明るくなります。これは天性のもので す。女優になるべくして生まれた存在なのです」
 野沢せいこうの評価は最大級だった。
「判りました。女優の話があった時に嫌がる薫に勧めたのは私です。ここは私も薫の成長を見守る事にします」
 それだけは覚えていた。後何を話したか覚えていない。薫が俺の手から抜け出てしまった瞬間だった……
 その晩、薫から長いメールが届いた。内容は、野沢せいこうが来た事に対するお詫び。そして映画の事へのお礼。そして、素の薫としての愚痴、いいや俺に対する恨み事かな……最後にひとこと『孝之さんのいない世界は寂しいです』そう書いてあった……

 それからは結果だけを書こう……二本の映画はともに大ヒットし、映画の賞を沢山受賞した。薫も主演作品でcolumn_ph1は、主演女優賞。準主役作品では助演女優賞を受賞した。押しも押されぬ女優になったと思った。
 会社でも、薫の事を覚えている者は大勢いる。中には俺と薫の関係を知ってる者も居る
「神山さん、逃した魚は大物だったね」
 異口同音に同じことを言われた。別に俺は釣り逃したとは思っていない。リリースしたのだと思っている。そしてそれは立派に大きくなった。それでいいじゃ無いか……世界に通用する女優の誕生だそうだ。これが喜ばずにいられるか、というものだ。
 
 ある男と女が出会って、そして女は化学反応を起こして、変幻し蝶になり世界に飛び立って行った。男はそれを見て、満足をする……それでいいじゃないか……俺は触媒だったのかも知れない……そう思って気持ちを鎮めた……
 結果から言うと蝶は元に帰って来なかった。俺はそれも覚悟していた。あの時のメールはお別れのメールだったと……

 それから暫くして住んでいたマンションを売る事にした。元はと言えば親父と一緒に住む為に大きめのマンションを買ったのだ。親父が入院してしまった後 は、もしかして俺も結婚でもするかと思ってそのまま住んでいたが、もはやその必要も無い。処分して一人用のマンションに買い換えるつもりだった。
 それに、僅か数日だが、ここは薫と暮らした場所でもあった。もうすぐ四十になろうとする俺には広すぎると思った。
 幸い仲介業者に頼むと、新しい所を紹介してくれた。ここは売れ次第新しい場所に引っ越すと決まった。
 程なく、買いたいと言う人が現れたそうで、手続きを業者に任せた。引っ越しから転入手続き等も一切をやってくれるそうだ。本当に楽なものだった。
 新しいマンションは通勤に便利な場所で、間取りは2LDKで一人で住むには丁度良い。もとより大した荷物がある訳では無かったので、引っ越しも簡単に終わった。俺には青いアルファを停める場所さえあれば良いのだから……

 薫は更に売れっ子になって、何とハリウッドからオファーがあり、向こうの俳優と共演することになった。それもヒロインだ。何とまあ凄いじゃないかとテレ ビの液晶に向かって乾杯をする。今の俺にはこれが精一杯だ。でも本当に良かったよ。未だ薫は若い! 活躍する場はいくらでもある……本当に良かったとグラ スを空けた……
 薫と出会ってもう五年が経ってしまった。女子大生だった薫も二十代後半だ。女盛りだ。あれだけの女を周りの男が放おって置かないだろう。きっと良い相手を見つけるだろうと思う。もしかしたら、向こうで見つけるかも知れないなとも思う。

 新しいマンションでの生活にも慣れた頃、俺はマンションの駐車場からアルファを出そうとしてエンジンを掛けた。こいつも更に歳を食ったが、整備だけはちゃんとしているので、安心して動かす事が出来る。
 サイドブレーキを外して、オートマのセレクターをDに入れて走りだそうとした時だった。いきなり女が飛び出して来た。
「危ないな! 良く見てくれないと轢いてしまう寸前だったよ」
 そう声を掛けると、その女は
「あの時も本当に轢かれていたら、その後はどうなっていたかしらね……」
 そう言って笑顔を見せた。その顔を見て「やっぱり悪くない」と思った。
「横に乗るか? 但し今度は何があっても降ろさないぞ」
 そう言ったら女は黙って横に乗って来た。
「行き先は?」
「あなたの望む所なら何処でも……」
 俺は未来に向かって静かに車を走らせた。

 了