出会い

「出会い」 第10話 「最終話」

「出会い」 第10話 

 「ああ気持ち良かった! お先に貰いました」
 体にバスタオルを巻いて、頭をタオルでゴシゴシと拭きながら薫がバスルームから出て来た。
「神山さん。お湯、張ったままですけど、わたしの入った後じゃ気持ち悪いですか? なら抜きますけど」
 頭のピンクのタオルを被ったまま俺に言う様は何か余裕さえ感じさせた。
「構わんよ。俺も入る」
 バスタオルだけ出して俺もバスルームに入った。烏の行水で腰にタオルだけ巻いて出る。
 薫はパジャマに着替えていた。それを横目で見ながら、ベッドルームにある下着が入っているタンスから新しいパンツを出して履く。そういえば薫の替えの下着のことまで考えていなかった。
「お前、下着はどうする? 今からコンビニに買いに行くか?」
 そう俺が言うと薫は笑いながら
「洗濯機ありますよね? それで洗います。乾燥機能付いています?」
 洗濯機はドラム式の新しいやつだ。勿論乾燥機能も付いている。そうで無ければ一人暮らしは不便だ。
「一緒に神山さんのも洗いましょう。わたしだけじゃ勿体無いですから」
 そう言うと薫は俺の洗い物と自分のものを抱えて、俺が案内する洗濯機の場所に行った。
 慣れた手つきで操作すると
「これで、明日の朝には乾いています。それまで必要無いですよね?」
 そう言って俺を見つめる目が少し妖しかった。

 ソファーの上に二人で並んでいる。部屋の明りは落としてあり小さな照明だけが僅かに薫の姿を照らしている。
 その薫の唇にキスをして、パジャマのボタンをひとつひとつ外して行く。
 全て外して襟を左右に広げると、ふくよかな膨らみが飛び出した。俺の手のひらよりも僅かに余る膨らみの感触を楽しみながら、その先端を軽く指の先で転がすようにすると、薫の口からは今まで聴いた事の無い甘い吐息が漏れた。
 パジャマの上着を脱がし、下も脱がせ一糸まとわぬ姿にする。そして、素裸の薫を横向きに抱きかかえると、自分のベッドに運んで行った。初めてという薫に対して慎重に接して行く。充分になったと感じて、俺達はひとつになり、他人ではなくなった。初めての事で、俺と結ばれた喜びもひとしおだった様だ。その様子が可愛くて、恥ずかしい話しだが俺も興奮して、朝まで何回も求めてしまった。そして、そのまま抱き合って昼過ぎまで寝ていた。

 
 
 四万六千日が過ぎて東京にも夏が今年もやって来た。仕事が終わりマンションに帰りテレビを点けると、馴染みの女優が画面に出ていた。こいつのドラマは一応全部録画することに決めている。
 このドラマでは準主役ともいうべき役柄で、二年ほど前の放映したドラマでブレイクしたのだ。
 三年近く前、こいつと俺が結ばれたなんて、今では信じられない感じだった。だが売れて良かったと思った。やはり野沢せいこうは大したものだと思った。
 「役者座」に入った当初はよく電話を掛けて来たり、泊まって行き、色々な裏話等を話してくれたが、ドラマで売れ出すとその間隔は遠のいて行った。
 売れればそうなると思っていたし、彼女もゴシップ週刊誌に色々な記事が載るようになった。それだけ見ても出世だと思う。
「売れて良かったよな薫」
 氷を入れたバーボンの入ったグラスを傾けながら、俺は感慨に耽っていた。俺があいつにしてやったことは女の喜びを教えてやったことぐらいだった。
 画面を通してでも、今の薫は輝いている。周りの男が放って置かないだろう。
 少なくともあの頃は本気で俺の事を好きだった。その好きな人と結ばれるという喜びを与えてやれた事だけでもあいつの芝居に役にたったのかと思う。
 
 今年は少し長い夏休みが取れた。だから何処かに行くつもりだった。場所は何処でも良い。生まれ育った場所に行っても良いし、何処か誰も知らない場所でも良かった。
 来月の頭から10日ほど休めることが決まった。それまでに行く場所を決めておこう。
 そんな事を思っていた時だった。久しぶりにアイツからメールが来た。
『八月一日、午前七時に羽田空港のANAの出発口に旅行用の支度をして来て下さいお話があります』
 と、それだけが書かれていた。
 何だ? 午前七時とはばかに早いな。そうか、ロケにでも行くので、俺に話があるが、こっちには来れないので、ここに来いという訳だと理解した。だが話と は何だろう……俺には思い当たる事はない。アイツの就職だって、正式に取り消した。問題は何も残ってはいない。まあ、当日行けば判ると思い直す。丁度その 日から俺は休暇なのだから……
 それきり、何の連絡も無いので実は忘れていた。思い出したのは前夜にまたメールがあったからだ。
「よっぽど大事な話なのか、メールや電話じゃ駄目な話なんだな」
 携帯を閉じながらそんな独り言が口から出ていた。
 その晩は久しぶりにアイツの夢を見た。夢の中のアイツは女優なんかでは無く女子大生のままだった。どうやら俺の中では、アイツは進歩が無いらしい。

 IMG_1763翌朝、羽田までは電車で行けるので、地下鉄に乗り込む。『旅行の支度』と書いてあったので、話が終わったらキャンセル待ちで何処かに行こうと思い数日分の支度だけはして出て来たのだ。
 約束の時間より随分早く到着したので、場所の確認だけしたらモーニングのコーヒーでも飲みに行くつもりだった。
 未だ、人もまばらな空港のコンコースにかって知った女が、大きめのスーツケースを持って立っていた。
 その姿に近づき声を描ける。
「よお、元気そうだな。何時もテレビで見ているよ。ところで今日は何かな? 話とは何だ?」
 俺の言葉にアイツは少しむくれた顔をして
「約束忘れたんですか? ひどい……」
 その顔は売れっ子になった女優の顔ではなかった。
「約束? 何かしたか、いま、芸能界を騒がしている旬の女優さんと……」
「やっぱり、忘れている……」
 アイツいや薫は真剣な顔になり
「わたしが野沢先生の所へ行く時に期間限定で頑張ってみろって、言ったじゃないですか! だからわたし、期限付きで頑張ったんですよ」
 そうか、そう言えばそんな事も言った気がする。
「まあ、三年経ったけどな……それで、どうしたんだ?」
 俺の質問を待っていたかのように薫は
「わたし、女優辞めたんです。野沢先生にもお許しを貰いました。退団しても良いって……」
 よく許してくれたものだと思う。週刊誌によれば薫と野沢せいこうとは愛人関係にあるとかないとか、書かれていたが……
「それは無いですよ。だって先生、女の子より男の子の方が好きなんですから」
 ほお、そうだったのか、それは知らなかった。週刊誌の記事は偽装か。
「そういう事です。でも最初は引き止められましたが、わたしが強く言って許して貰いました。あの世界は正直わたしには合いません。人の足の引っ張り合い や、陰での中傷なんか、つくづく嫌になりました。この三年、神山さんと一緒にいた頃の楽しさや、安らぎなんて一度もありませんでした。わたし、判ったんで す。わたしにとって喜びとは神山さんと一緒にいる事だって……」
 随分俺も見込まれたものだ。それで、今期では薫の出るドラマが無かったのか……
「神山さん、今日から十日間の休みでしょう。会社に電話したら教えてくれましたよ。だから一緒に南の島に行こうと思って誘い出したんです。行きましょう! チケットも押さえてあります」
 薫はバッグから二枚の航空券を出して見せた。
「さ、チェックインしましょう」
 俺は薫に押されてカウンターに歩き出した。良いだろう、ここに来て俺もジタバタしないつもりだ。三年の間、薫も世間を見て大人になったと思った。今の薫はあの頃よりも遥かに磨かれて綺麗になっている。だけど心のうちがあの頃のままだと判り俺は嬉しくなった。
「芸能マスコミが騒ぎ出すぞ」
 冗談半分で言うと薫は
「それでも良いじゃないですか。わたし達はその頃は南の島で二人だけです。新婚旅行にしましょう。帰ったら籍入れて、荷物をマンションに運びますね」
「おいおい、あそこで暮すのか?」
「そうですよ。これからはサラリーマンの妻ですから」
 そう言って笑った笑顔は、この間の俺の心の空白を埋めるのに充分な価値があると思った。

出会い   了

「出会い」 第9話

「出会い」 第9話

 「やった!」
 薫が小さく叫んだ。いや叫んだというよりも呟いたというべきだろう。
「遂に、神山さんの口から結婚の二文字を出させましたよ」
 爛々と輝いた瞳で俺を見つめて薫はテーブル越しに迫って来る。俺はここに来て、薫の策略にハマッたと思った。
「今まで言ったことは嘘なのか?」
 俺の少し中腹で言った言葉に薫は笑いながら
「嘘じゃないです。本当ですよ、でも正直女優になるより神山さんの奥さんになりたいんです。もっとはっきり言うと、神山さんに抱かれたいです」
 こう言う表現をする所はやはり世代が違うと感じた。別に年貢の納め時などとは思ってもいないが、それを選択するのは薫の可能性を否定してしまわないかと考えた。
「そんなに俺に抱かれたいなら今夜でも構わんよ。だけど、お前自分の可能性を考えたことはないのか?」
 俺の言葉に気色ばみながら俺の隣に席を移して
「神山さん、本当にわたしに女優の才能があると思ってるんですか」
 そう言って俺の膝を抓った。本来膝を抓られるのはもっと色っぽいはずだ。
「才能があるかどうかは俺には判らんよ。俺は野沢せいこうじゃ無い」
「そう平気で我関せず、って顔をするのが憎いんです」
 今度は俺の腕を掴んで自分の胸に持って行く
「わたしの心は何時も神山さんのことばかりです。見せてあげたいです」
 何ともストレートな表現だと思う。今時の中学生でも、もっと色っぽい言葉を選択するだろう。
「お前の気持ちは良く判ってると思う。だがな、その二つを分けて、別々に考えられないのか?」
 俺は正直、俺との事と、野沢せいこうに、女優にならないかと誘われたことが両立して考えられないかと思っていた。
「どうだ、期間限定で自分を試してみれば」
 俺の提案が自分の想像を越えていたのか薫はポカンとした顔をしている。
「期間限定って何ですか?」
 鳩が豆鉄砲食らったというより、水槽に居る金魚がガラスを叩かれて、違う世界があると知ったような感じだった。
「ああ、お前はまず、俺の紹介で就職口が決まった。仕事も自分に合っていると思っている。そこで今「役者座」に行くことになったら、バイトの時は良いが本採用になったら、就職を選択は出来ない。俺の顔に泥を塗る……そう思ってるじゃないのか?」
 恐らく本心ではそうなのだろうと薄っすらと感じていた。
「そうです……それもあります。わたしが本当に役者として開花すれば兎も角、目が出ない方が確立高いじゃないですか。それに、無碍に断ると、文化会館と野 沢先生との関係にも響く気がして……今でも野沢先生は良く使ってくれるんです。だから、その公演の時は切符の売上も凄いんです。それも関係してくると思う と……」
 大体は想像した通りだった。
「なあ、会社のことは俺の裁量でかなりどうにでもなる。卒業までは臨時扱いで卒業と同時に本採用となる手はずだったが、それを変えても良いしな。本採用を一年凍結してもよい」
「神山さん、そんなこと出来るんですか?」
 驚きの表情で俺を見ている
「人事部長は俺の友達だ。それぐらいの無理は効く」
 いきなり薫が抱きついて来た。人目があるだろう……全く……

 2俺も薫も程よく酔っていた。俺は薫を送ってくつもりでタクシーを捕まえようとしていたら
「今夜は神山さんの部屋に行きたいです。結ばれるなら神山さんの寝てるベッドがいいです」
 そうか、もう完全に決めたのか、なら俺にも迷いは無い。今夜そうなることは今日逢うことが決まった時に思っていた……迷いは無かった。
 街を歩きながら腕を絡めて来る。傍から見れば恋人同士に見えるのだろうか、あるいは怪しい関係に見られるだろうか、くだらないことを考えていた。
 俺の部屋は下町と呼ばれる場所にある。薫の柴又よりは都心に近いし電車一本で通える。数年前に親父が住んでいた田舎の家を売った。その金で今のマンショ ンを買ったのだ。お袋はその数年前に癌で亡くなっている。親父は事故が元で今年亡くなった。ツインスパークを運転していて、横から追突されたのだ。事故で 受けた傷は大腿骨骨折だったが、それが元で余病を併発して、結局腎不全で亡くなった。長い闘病生活だった。
 生きているうちに親父が住んでいた田舎の家は処分して、退院したら一緒に住もうとマンションを買ったのだ。だが親父がこの部屋に来る事は無かった。
 ツインスパークは奇跡的にドアを交換しただけで済んだ。この頃の欧州車は結構頑丈だ。国産車とは思想が違う。
 地下鉄に乗りながら薫にそんな事を話した。思えばろくにこいつに自分の事を話して無かったと思った。
 ガラガラの地下鉄で、思い出したように薫に語ると、俺の肩に頭をもたげて来て
「神山さん、ひとりなんだね。でも今日からはわたしが一緒だからね」
 そんな事を言っている。
 地下鉄を降りて、マンションまでの道で、薫は俺の脇腹に腕を回して来た。俺は腕を薫の腰に回す。お前は俺のものだという意思表示だった。今までこんな事をしたことはない。その意志が判ったのだろう。薫はもう何も言わなくなった。

 「ここだ。ここの五階だ」
 マンションの前で薫に言うと目を輝かせて
「良いマンションですね! 流石にわたしのアパートとは違いますね」
 玄関を入り、エントランスを抜けて、エレベータで五階に登る。そこの十一号室が俺の部屋だった。
 鍵を解いてドアを空け、薫を招き入れる
「お邪魔します。わあ、綺麗になってるんですね」
 玄関で靴を脱いで、いそいそと上がって奥のリビングに歩いて行く、その後ろを俺は
黙って付いて行く。
 リビングのソファーに座らせて、タンスからタオルとバスタオル。それに俺のだが使っていないパジャマを出して渡した。
「いま、アイスコーヒーを入れるから飲んだら風呂に入ってたら良い。最もパジャマは必要にならないと思うがな」
 俺の言葉をどのように受け取ったかは判らないが、出したアイスコーヒーを飲むと、パジャマはソファーの上に置き、バスタオルとタオルだけ胸に抱えてバスルームに消えて行った。

「出会い」 第8話

「出会い」 第8話

97799a12c3a736ebb998006783d6e1a1 翌朝、起きて見ると薫の姿は布団の中には無かった。腕時計を見ると針は六時前を指してした。
 何処へ行ったかは想像出来た。顔を洗う代わりに朝から温泉に入るのも悪くないと思い、タオルだけを引っ掛けて、例の露天風呂に降りて行った。案の定人魚のなりそこないが一人泳いでいた。
「思い切って川で泳いだらどうなんだ」
 俺の声に見上げると嬉しそうな顔をした。
「良く寝ていたから起こさないで来ちゃいました」
「かまわんよ。こっちこそ朝からお宝が拝めて有難い」
 冗談で言ったつもりだったが薫は口を尖らせて
「そう言うジョークはもろ中年ですよ」
 そう言って俺の顔にお湯を浴びせた。
「目、覚まして下さい」
 俺が顔を手で拭っているとやっと笑顔に戻った。
「その顔の方がいい」
 そう俺が言ったのを聴いた薫は川と露天風呂を仕切っている石段を登って、川に素裸で飛び込んだ。そして流れに逆らって泳いでいる。その姿はまるで水の妖精の様だった。携帯を持って来て写真を撮っておけば良かったと真剣に思った。薫は決して望まないだろうが……

 帰りの車内でも薫は上機嫌だった。タブレットを出して昨日の野沢せいこうの言った言葉をメモ帳を見ながら入力している。
「文化会館の来月のパンフに載せようと言われているんです」
 そうか、文化会館としても大物野沢せいこうのインタビューとなれば、載せる価値はあるということだと俺は理解した。
 海老名で昼食を取って、午後には帰京した。薫を柴又の部屋まで送って行き自分の部屋に帰った。未だ陽が高かった。
 天城の旅館では手を繋いで寝て、夜半に薫が俺の布団に入って来た。抱きしめて、キスをして薫の髪の毛を撫でているうちに薫の寝息が聞こえたので、そのま ま俺も眠ったのだ。とりあえずキスはした。これはこの次は……という予約みたいなものだ。訊けば薫は何とファーストキスだったらしい。本当かどうか判らな いが、本当なら悪いことをした……そう言ったら少し拗ねていたっけ。
 兎に角、可愛くて仕方がない。段々と俺の気持ちも固まってきつつあった。そんな頃だった。

 薫と伊豆に行ってから次の週末だった。つまり一週間後という訳だ。薫から金曜の昼休みにメールが入った。
「相談したいことがあるので、今日、退社後逢ってくれますか?」
 勿論OKの返事をした。待ち合わせの場所はこの前と同じ居酒屋にした。
 夕日が沈みかけて、街が真っ赤に染まった頃に薫はやって来た。今日は白いパンツ姿だった。足が長いから映えると思った。
「すいません。遅れてしまって」
「構わないよ。それより相談って何だ?」
 そう俺が尋ねると薫は少し言い難くそうに
「うん、中で話すから」
 そう言って、俺の腕を掴んで中に入って行った。

奥の四人がけのテーブルに向かい合いで座る。注文を取りに来た娘に生を二つ頼む。
「で、相談って何なんだ?」
 別に高圧的に訊いた訳ではないが、薫は黙ったままだった。
「どうした? うん、話し難い事なのか?」
 黙って下を向いている薫にもう一度言う。すると、やっと顎を上げて語り出した。
「実は……野沢先生から電話を貰って……インタビューした時、別れ際に私に役者にならないかって言っていたでしょう……」
 確かにそう言っていたが、あれは社交辞令じゃないのか? 少なくとも俺はそう思っていたし、こいつだって気にしてなかったはずだ。
「冗談じゃ無かったの……私に「役者座」で舞台俳優の勉強する気はないかって……」
 「役者座」は入所するだけでも大変な所だ。毎年、幾人かは募集するが、その時は全国から大勢の役者志願の若者が集まる。選考過程も厳しいそうだ。そんな所に野沢せいこう自身から誘われたということは大変な事だ。
「で、どう返事したんだ」
「今まで役者になるなんて考えても無かったので、直ぐには答えられません。って答えたの。そうしたら……」
「そうしたら?」
「では、真剣に考えて下さい。って……一年でも二年でも待ちます……って……どうしよう神山さん……」
 一年でも二年でもって、本気という事じゃないか、これは大変だ。
「とりあえず、大学は卒業しろ。それから「役者座」に入ったとしても、食べる為に仕事をせにゃならん。それは判るな」
 薫は黙って頷いた。
「他に何て言われたんだ。つまり口説き文句さ」
 俺の言い方が可笑しかったのか、薫は少し笑って
「口説かれたなんて……いやだわ……う~んと確か『君は明鏡止水だ。何のわだかまりも邪念もない。見事なものだ。そんな君ならきっと女優として大成する』って……」
 随分大げさなことを言ったものだと思うが、野沢せいこうはマスコミで言われているには、自分から女優を口説いて作品に出演させることは無いということだった。
「お前自身はどうなんだ? すぐには兎も角、将来は女優になってみたいか?」
 俺は極めて冷静に言ったつもりだったが、薫にはそうは映らなかったようだ。
「酷い……本当なら『そんなの止めて直ぐに俺の嫁になれ』って言ってくれると思ってました」
 全く、どうして「俳優座」に誘われた事と俺の嫁になる事が同列になるのだ? そこが俺には判らなかった。
「言って下さい! そうすれば直ぐに断ります!」
 何とも強烈な求婚だ。男冥利につきるかな? それは兎も角、この娘を冷静にしなくてはならない。
「どうなんだ? 女優になってみたいのか、みたく無いのか? どちらなんだ」
 薫は黙って俺の目を見つめていたが、やがて
「一番は、大学卒業したら神山さんと結婚して、共稼ぎで今の仕事を続けていけること。二番目は神山さんと結婚して専業主婦になってカワイイ赤ちゃんを産んで幸せな家庭を作ること。三番目は神山さんと結婚出来なくても恋人関係で今のままの関係が続くこと……それから……」
「もういい! 結局お前の選択肢には女優になることは無いんだな?」
 確認の意味で尋ねると薫は小さく首を立てに振った。次に俺は最終兵器的な事を言ったのだが、これは後々まで響いて来るとは思わなかった。
「あのな、女優になって俺と結婚するという選択肢は考えられんか? それか、期間限定で頑張って見るとか……」
 それを聴いた薫の目が途端に輝きだした。

「出会い」 第7話

「出会い」 第7話

12062636 伊豆の山深く、天城の温泉に俺と薫は居る。
 俺が姿を見せた時に旅館の女将が、意味ありげな表情をしたので、首を左右に振っておいたが、通じたかは判らない。
「わぁ~下に川が流れていて、緑が濃くて素敵な部屋ですねえ~」
 薫は部屋に案内され、仲居さんが部屋を出て行くと、部屋の窓の下を眺めながら嬉しそうな言葉を口にした。
「あれ? 下って河原が露天風呂になっているんですね。いいですねえ。温泉に入りながら横に清流が流れているなんて、まるで人魚になった気分を味わえるかも知れませんね」
 人魚はアンデルセンで、海だろうと返そうとして、俺はとんでもないことに気がついた。そう、下の露天風呂は混浴だったことを……
 こいつのことだ、一緒に入ろうなんて言い出しかねないと思う。別に嫌じゃないが、男としてどうだと言うことだと思う。
 何の事を言ってるのか判らないかも知れないが、つまり、子どもと一緒に風呂に入る訳ではない。薫は痩せて背が高い娘だが、天下の女子大生だ。つまり大人の女だ。そんな存在と一緒に露天風呂に入って俺はどうすればいいんだ?
 薫の女性の部分を無視して扱えば良いのか、あるいは、イヤラシイ中年男丸出しで接すれば良いのか、あるいは……
 恋人でもない、部下でもない、まして赤の他人でも行きずりの愛人でもない。そんな俺達はどうすれば良いのか、答えが出せなかった。
 そんな俺の思惑を無視して薫は
「下の露天風呂に入ってきますね。さっき番頭さんが言っていたのは、あそこの事だったのですね」
「番頭さんが何か言っていたか?」
 俺は考え事をしていて聞き逃したのかも知れなかった。
「ほら、『このあたりの土地は皆旅館の土地だから、露天風呂も安心して下さい』って」
 そういえば言っていた気がするが、俺としては既に確認事項だから耳に入らなかったのだと思う。
「わたし、先に入ってますね。待っていますからね」
 薫はタオルを持ち、いつの間にか浴衣に着替えていた。
「お前、いつ着替えたんだ?」
「あらいやだ。今着替えますから後ろ見ないで下さいって言いましたよ」
 どうやら俺は相当おかしいらしい。そんな言葉も聞こえないなんて……
「じゃ、待ってますから」
 そう言って薫は部屋から出て行った。俺だけが一人広い部屋に残された。

 この旅館には普通の男女の浴場と露天風呂がある。それらは男女別に分けられている。薫が向かったのが、『特別露天風呂』で、旅館の下を流れる清流の脇に石で作られた露天風呂だ。ここだけが混浴となっている。
 一階の旅館の玄関を通り過ぎると突き当りがガラス戸になっていて、そこから先が渡り廊下となっている。そして、そこから階段を降りると脱衣場で、そこから目の前の露天風呂までは裸足で行くのだ。
 俺はこの期に及んでも考えがまとまらなかった。一回り以上も歳が離れている娘にどう接すれば良いのか、一緒に露天風呂に入ってもよいのか……考えているうちに脱衣場まで着いてしまった。
 脱衣場の籠を見るとどうやら薫の他にも人が入っていた。俺はここで、目の前が明るくなる想いだった。
 そうなのだ、特別な事ではない。自然で良いのだと想い直した。自分も浴衣と下着を脱いて露天風呂に向かった。
 細かく敷き詰められた小石の上を歩いて行くと程なく露天風呂に着く。中では薫が幼稚園ぐらいの女の子を連れた三十ぐらいの女性と話をしていた。奥にはその女性の旦那さんとおぼしき男性が二人の様子をニコニコしながら黙って見ていた。
 何事もなく自然だった。変に意識することはない。
「こんにちは」
 以前に挨拶が出た。
「こんにちは~」
 恐らく夫婦なのだろう。揃って挨拶を返してくれた。
「遅かったですねえ~何かありましたか?」
 薫が口を少しばかり尖らせていると、くだんの幼稚園児が笑っている。自分が笑われていることに気がついた薫は恥ずかしそうに笑いながら、露天風呂の奥の川と接してる部分に行った。そして露天風呂と川を隔てている積み上げた石を上半身だけ乗り越えて、手を川に漬けて
「不思議です! こっちは暖かいのに川の方はとても冷たいんです」
 俺の方を向いていたので、薫の様子が見えてしまった。綺麗だと思った。卓球で鍛えた体は筋肉が良く発達していてその上に女性特有の柔らかさが加味されて いた。この前背負った時に感じたが胸も想像以上あると思った。だが不思議とイヤラシイとは思わなかった。景色の一部のように馴染んでいた。
「こっち来て触って見ると面白いですよ」
 薫の誘いに乗って俺もその場所に行く。そして手を伸ばして川の水に触ってみる。確かに冷たい。それも心地よい冷たさだ。
 その水を薫の顔に掛けてやる。文句を言うかと思ったら
「つめたくて気持ち良いです。のぼせそうになったら、川で泳ぐのもありですね。ここは旅館の土地で周りは進入禁止にしてあるそうですから、自由が利きますね」
 確かに、そうやる奴も居るのだ。現に昔俺がやった。その事を薫に言うと
「やっぱり~ 神山さんだったらやると思ってました」
 そんなことを言って笑ってる。
「お先に……」
 夫婦と幼稚園児連れが先に上がって挨拶をして出て行った。残るは二人だけとなった。

「気持ち良いですねえ~、ホント別天地みたい」
 周りを木々に囲まれた清流のほとりの露天風呂に浸かりながら薫は語りだした。
「神山さん、今日は無理言ってすいませんでした。我儘聞いて貰って嬉しかったです。本当はわたし、自分が無理難題を言ってそれを神山さんが叶えてくれる事で、自分が大事にされているということを実感したかったんです」
 薫は俺の方を見ずに清流を眺めながら話を進める
「わたし、最初は自分の気持ちが良く判りませんでした。神山さんに対して、ちょっと父親のような感じを持っていたことは事実です。でも、果たしてそれだけ なのか……自分なりに考えました。そして、それは違うと気が付きました。わたし、男性として神山さんが好きです! 就職のこと無理言って頼んだのも、本当 は神山さんと繋がりを持っていたかったから……そうしたら本当にやりがいのある仕事をくれて、とても嬉しかったと同時に気持ちは揺るぎないものになりまし た。だから、こうやって一緒の露天風呂に入って自分の姿を見て貰うのも恥ずかしくはありませんでした。素のわたしを見て欲しかったんです」
 そこまで言って薫は俺の方に向き直って、湯船から立ち上がった。
「見て下さい、これがわたしです、立花薫です」
 俺の目の前には美しい裸身が立っていた。観賞するには充分過ぎるほど生々しかった。
「判った。座れ、充分に観賞させて貰った。気持ちは嬉しい。本当だ! 俺のような中年男を好きになってくれて、本当に有難いよ。君のような綺麗な娘が俺みたいな男なんて不釣り合いじゃないか、そうだろう……」
「いいえ、そうは思いません。神山さんほど素敵な人は同世代ではいません」
 再び湯船に浸かった薫は今度は俺の目を見つめて言い放った。これは本気の目だ。ならば俺も覚悟を決めよう。

「なあ、俺はお前とひょんなことから出会って、そして今まで付き合いとも言えぬ付き合いをして来た。俺のような中年の男にそう言って貰えて、正直嬉しい よ。これは本当さ、そしてお前のことを可愛く思って来た。可愛くて仕方がない。何でも我儘を聞いてやりたい。でもな、それって女性としてかと問われれば自 分でも正直判らない。今だってお前の綺麗な体を見て心がときめいたよ。だからって、今晩俺はお前を抱いていいのだろうか? お前と自分に嘘をついて抱いて 良いのだろうか? それはお前に対しても偽ることになる。だから、だから少しだけ待ってくれ……お前に恥をかかすようなことはしない……虫の良い話だと思 う。でもお前のことが大事だから嘘はつきたくないんだ」
 俺は思っていたことを一気に口にした。薫は最後まで黙って聞いていたが、恥ずかしそうに
「わたしも抱かれても良い、なんて偉そうに口にしましたけど、わたし男の人知らないんです。高校大学と卓球に明け暮れていて、恋人とか男女交際なんて余裕 なかったんです。まあ、モテなかったんですけどね……だから、色んな、普通だったらこの歳で知ってるような事も知らないんです……おかしいですよね」
 俺からの目線を僅かに外して少し俯いて話す仕草は、恐らく誰の目からも可愛く見えるだろう。
「なあ、なら改めて仕切り直しにしないか? 俺も何時迄も待たせるような事はしないから」
「はい、判りました。わたしのことそれほど思ってくれて嬉しいです」
 そう言って薫は俺に抱きついて来た。その感触が最高だったのは言うまでも無い。

 その晩、川のせせらぎを聴きながら、二つ引かれた布団の中にいた。
「ねえ、手を繋いでくれますか? 今夜だけ……次からは同じ布団ですよね。今夜だけせめて手を繋いで……」
 その言葉にそっと布団から腕を伸ばして差し出す。柔らかい手がそれに絡んで来た。
「わたし、やっぱり間違った人を選びませんでした。間違わなかったです」
 絡んだ指が少しだけ湿った気がした。

「出会い」 第6話

「出会い」 第6話

r135za-12 熱海に抜ける真鶴道路を俺の青いアルファは快調に飛ばして行く。海沿いのカーブが続く道は結構ご機嫌な道路だ。左に相模湾で、やがて前方にホテルニューアオイが見えて来た。
「野沢せいこうの家はそこで間違い無いんだな?」
 ハンドルを切りながら薫に尋ねると
「うん、間違い無いと思う。電話で訊いたから」
 薫は今日は半袖の青地に赤い模様の入ったワンピースを着ている。腰には白いベルトをして、オマケに白い帽子まで被っている。足はヒールの高いこれまた白いサンダルだ。こいつのスカート姿は初めて見た。正直、良く似あってるし、想像したより足が綺麗だと思った。
「私が今日こんな格好して来たからちょっと驚いているんでしょう」
 まるでこちらの考えを見透かすようなことを言う。
「まあ、正直、驚いた……でも良く似あってると思ったよ。見直した」
「へへへ、そう言って貰えると私も嬉しい」
 薫はまっすぐ前を向いてそう言って
「私ね、神山さんだったら、抱かれてもいいなって思ってるの」
 いきなりとんでも無いことを言われて危うくハンドルを間違えそうになった。
「こら! 大人をからかうもんじゃ無い」
 そう言ったら黙って口を尖らせた……まさか、こいつ本気か?

 車はやがて熱海市内に入った。一時は多くのホテルや旅館のシャッタが降りていたが、最近は大分復活したみたいで街の中も明るくなった感じがした。
 薫の持って来た地図と住所のメモによると、野沢せいこうの家はホテルニューアオイに行く道を行き、途中で別れる道を行くみたいだ。
 車は市内を抜けると山道に入って行く。ホテルニューアオイと言うのは熱海市内を抜けた先の岬の上に建てられたホテルで、熱海でも一、二を争うほど大きなホテルだ。
 先ほどの事から薫は口を開いていない。相変わらず拗ねた表情をしている。本気なのか? 全く何処まで本気で何処までが冗談か理解し難い。
 大分登った所で道が別れていて、ホテルニューアオイでは無い方の道を選択する。
「今日は、何処かに泊まりましょうよ……折角、熱海まで来たんだから……ね」
 そうか、そう言う含みだったのか、と思った。別にこいつと何処かに泊まっても良い。多分何も起きないと思う。
「最初からそれが目的か?」
「ううん、後で思いついたの……既に一緒に一晩過ごした仲じゃない」
 人訊きの悪いことを言うなと言いたい。
「今日は一応、お前の上司と言う立場で来ているんだぞ。だから上着だって持って来たんだ。それなのに泊まったら上司と不倫か?」
「あれ、神山さん既婚者?」
「いいや」
「じゃいいでしょう~」
 もう少しで野沢せいこうの家と言うところまで来ると薫は
「それは、終わってから決めましょう」
 そう言って仕事モードになったみたいだ。

 野沢せいこうの家は想像していたモダンな西洋風の造りの家ではなく、古い日本の古民家を何処からか移築して、中を現代風に改造した家だった。このようなのは意外と手間が掛かり、費用も馬鹿にならない。
「やあ、良くいらっしゃいました」
 海の見渡せる明るいリビングに案内された。
 野沢せいこうはテレビ等では過激なことを言ってるが、実際会ってみると穏やかな人だった。
「初めまして、株式会社 東洋興産 施設管理業務を担当している神山と申します。今回は我が社の立花がご無理な事をお願い致しまして、申し訳ありませんでした」
 名刺を出しながらそう挨拶をすると、野沢せいこうは
「いえいえこちらこそ、わざわざ熱海まで来て戴いて申し訳ないです。演劇関係の雑誌の記者なんか、私が東京に用事で出かけた際にまとめて取材に来ますからね」
 そう言って笑いながら家政婦さんとおぼしき人が持って来てくれたコーヒーをわざわざ手に取って置いてくれた。
「じゃあ本題に入りますか。あの芝居で音楽を流したのは、実は観客向けでは無いのです」
 驚いた。薫も流石に驚いたのだろう、面白い表情をしている。
「相当驚かれたみたいですが、まあ、あの芝居自体が聾唖の人向けでしたからね。音楽を流しても聞き取れない方ばかりですからね。あの芝居はセリフは全て手話でした。ウチの若い役者に手話を覚えさせて、それで芝居をさせたんです」
 それは判っていたことだ。では何故音楽を流したのか、それも薫が音響効果の人に尋ねたら五曲程使ったという。
「喜怒哀楽に希望の五曲です。これは実は役者に聴かせる為に流したのです」
「役者ですか!」
 俺も薫も同時に反応した。
「何故、役者さんに聴かせたのですか?」
 薫が熱心に尋ねると、野沢せいこうは
「役者は皆健常者です。普段は声で会話し、芝居もしています。手話での芝居は初めてでした。問題は手話に感情を盛り込むことでした。目で見て理解する手話 では感情は伝わりません。勿論表情や仕草で感情を表現出来ますが、芝居ならどうでしょう。遠くの舞台の上での事ですから、伝わり難いです。そこで私は舞台 に、それぞれの感情を表す音楽を効果音として流して役者に聴かせたのです」
「どうなりましたか?」
 薫が熱心にメモを取りながら尋ねると
「役者達は体全体で喜怒哀楽の感情を表すようになったのです。私の狙いもそこでした。こちらの型にハマッた演技ではなく、役者の心から表現される感情が欲しかったのです。役者達は輝きましたよ」
 どうして、そんな事を思いついたかは知らないが、大物演出家と言われるだけの事はあると思った。
 それ以外にも俺と薫は野沢せいこうから色々な演劇界の裏話を聴くことが出来た。失礼する頃にはもう昼さがりとなっていた。
 帰り際に野沢せいこうが薫に向かって
「立花さんって言いましたよね。あなた、容姿が良いから役者に向いてるかも知れないですね」
 そんな事を言って薫を喜ばせた。これはお世辞だろうとその時は思ったのだ。

 それから一時間後、俺と薫は伊豆スカイラインを走っていた。要するに俺は根負けしたのだ。あれから、野沢せいこうの家を辞した後、ずっと「泊まって行こう」と言っていて、それに俺は負けたのだ。うるさいのは嫌いだ。
 このスカイラインの道の途中に俺が個人的に知っている旅館がある。そこに連絡を入れたら泊まれる事になったのだ。そしてそこに行く途中なのである。
 「どうだ、嬉しいか?」
 助手席で鼻歌を歌ッてる薫に訊くと、満面の笑顔で
「はい! 嬉しいですよ。温泉大好きですから」
 そう言って笑う仕草は、悪くはない。
 だが遠く離れた伊豆の山の温泉で、二人だけの夜を過ごす。しかも今日の薫はやけに女ぽいのだ。
 流石の俺でも石部金吉になれるかは自信無かった……
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