俺の名はサブ

続・出張料理人 俺の名はサブ  7.天ぷらの美学

7.天ぷらの美学

 人間が人間世界で暮らすにあたり、無いよりもあった方が良いものに「お金」がある。現代では、自然界で自給自走の生活をしていても、全く無いという訳には行かない様だ。
 それと同じ様に料理人にとって多ければ多い程良いものに「火力」が当てはまる。どんなに強い火力でも、それをきちんとコントロール出来なくては一流の料理人とは言えないからだ。

 vFciOw5FaQnfUJq_JEDty_12初夏のある日、サブは雅也の頃からのお得意先を尋ねていた。
「どうだい、サブ君。この業務用の強力なコンロならここで揚げ立ての天ぷらを食べさせて貰えるだろう?」
 東京の郊外の高級住宅街のある家のキッチンでの会話である。
「そうですね。四万キロカロリーですか、凄いですね。ウチで使ってるヤツでさえ三万六千キロですからねえ」
 サブは一応驚いてみせた。
「でも、単なるお座敷天ぷらなら、ここまで凝らなくとも、やりようで何とかなりますよ」
「でもなあ、それは真の意味で本当の天ぷらでは無いだろう。店で食べる天ぷら、そのままが食べたいんだよ」
 この家のオーナーの大蔵泰造はカウンターに腰掛けながら言う
「実はね、雅也君にカレーを食べさせて貰った後に、一度問い合わせてみたんだ。そうしたら彼は『社長、それなら天ぷら屋に行って食べた方が安くつきます し、思い切り我儘も通りますよ。それに私は板前であって天ぷら職人ではありませんから、彼らの上げる天ぷらとは質が違います』と言われてしまってね。それ からは紹介して貰った天ぷら屋に通っていたのだが、やはり自分の家で本格的なのが食べたくなってね、サブ君に相談に乗って貰った訳なんだよ」
 泰造はあくまでも自分の家で揚げ立ての天ぷらが食べたい様だ。
「確かに、我々板前が上げる天ぷらと天ぷら職人が上げる天ぷらとは質が違いますからね」
 下ごしらえを始めたサブに泰造は
「そうなんだよ。でも私はねえ、板前の、それも一流の板前が揚げた天ぷらが食べたいのだよ」

 それまで、黙って聴いていた妻の幸子が
「その二つってどう違うんですか?」
 そう尋ねると、泰造は嬉しそうに
「うん、いい事を尋ねてくれたね。天ぷら職人の揚げる天ぷらは目の前で揚げて直ぐ食べる様に考えられている。だから衣は薄く、あくまでも素材の味を流失させない為の衣だ」
 そう言いながら、泰造はサブの包丁さばきを嬉しそうに見ている。
「社長、今日はメゴチの良いのが入りましたから、楽しみにしていて下さい」
「おお、そうか! ワシの好きな魚だ」
 今にもよだれを垂らさんばかりである。
「社長、じゃあ板前の方はどんなのなんですか?」
 幸子が話の続きを最速した。それを聴いて泰造はサブが捌くメゴチから目を上げて
「うん、板前が揚げる天ぷらというのは、基本的には宴会用に揚げるものだ。だからどんなに急いで運んでいても、会場に運び込むまでには醒めてしまう。だからそれを見越して、より衣の水分を抜く必要がある。それに見栄えを良くするために花を咲かせる必要がある」

 泰造は幸子の方に向き直りながら話を進める。
「じゃあ、単に長く揚げているだけなのか? と疑問に思うだろう? ……そうじゃ無いのさ。天ぷらは衣から水分を抜く作業なんだが、ならば最初から水分を少なく衣を作れば良いと言う事なのだ」
「要するに濃く作るという事でしょう!? でもそれなら花は咲かずにボテっとした天ぷらになりますよね?」
 幸子は泰造の言った事の矛盾を攻めたが泰造はそれを予感していたかのように
「そう、普通はそう考えるけれども、一流の板前は違う……あ、ところで、何故「板前」というか知っているかね?」
 いきなり話が横道にそれたので面食らった幸子だが
「まな板の前に立つから板前、つまりお刺身を引く人という意味です」
 そう答えを言うと泰造は喜んで
「さすが、サブ君の奥さんだけの事はあるな……そう、その刺し身を引く事が専門の板前だが、その地位に来るまでは色々な料理の経験があるから、普通の天ぷ ら職人よりも天ぷらについて造形が深い。だから衣を僅かに濃く溶いて、油の温度を調節してカラット揚げるのだよ。その天ぷらは小麦粉の旨味とネタの旨味が 衣乗り移り、渾然一体となって口の中に広がる快感は、天ぷら屋のそれを遥かに上回るんだよ。ワシは内緒ですよと、良く雅也君からも揚げたてを摘ませて貰っ たんだよ。だからその味が忘られ無くてねえ……」
 その口ぶりはまるで恋人を語る様な感じだった。

 サブは手際よく魚を処理していく。どうやら今日のメインは揚げての天ぷらを食べさす様で、カウンターにすわって貰い、注文に応じてサブが天ぷらを揚げて行くやり方で天ぷら屋のやり方そのままを自宅で行おうと言う泰造の発案であり長年の望みだったらしい。
「飲み物は何にします?」
 幸子が泰造に尋ねると、少し考えて
「うん、最初はビールで直ぐに冷酒に替えて貰おうかな。確かそっちの冷蔵庫に入っているよ」
 泰造が指さした先には飲食店で見られるビール冷蔵庫があった。
「社長、明日からお店を開店出来ますねえ」
 幸子が笑いながら言うと泰造は
「雰囲気あるだろう」
 そう言って悦に入った。

 暫くして泰造が呼んだお客達がやって来た。泰造を入れて四人だった。揚げる人数としてはもう少し多くても良いが、少なければそれだけ気が回るとサブは思った。
 カウンターに座った四人の前に茹でたての湯気が立った枝豆が出される。
 冷蔵庫からはキンキンに冷えたビールが出されグラスに注がれるとサブが最初の魚、キスを揚げ始める。キスは蛋白なので、強い味の魚の後ではその繊細な持ち味を殺してしまう。
 それぞれの前には、天つゆと抹茶塩が用意されていて、各自が好きな方で食べられる様にしてあるのだ。
 続いてはそら豆を天ぷらにする。勿論皮を向いて中の豆だけを揚げるのだ。柔らかい感触とそら豆の風味が口の中一杯になる。
「うん、これだよ! この衣の旨さだよ。実に旨い!」
 泰造は喜びと感嘆を交互に口にした。
 
 マキ(車海老)、帆立、メゴチと続いて行く。メゴチは旨味が濃いのでこの位の順番になる。
 本当は烏賊も揚げたいのだが、烏賊は油に匂いを残すので最後にする。単品をひと通り揚げた後はかき揚げに移る。
 江戸前のかき揚げほ本来二種類程度の材料を絡めて揚げるのが粋と言われている。五目では駄目なのだ。
「最初は、あさりのむき身と枝豆を味わって戴きます」
 サブがそう言うと小さなお玉にむき身に剥いた枝豆を入れると溶いた衣を入れて鍋の中に落として行く。
 「シャー」という水分を弾く音がする。やがて、その音が甲高くなって来るとそろそろ揚げ時だ。サブの目が真剣になる。
 天ぷらは五感全てを使ってつくり上げる料理なのだ。
「社長、今日はいいですよ」
 サブの言葉を泰造は良く判っていた。
 良い材料が手に入り、調理する者が健康で体調が良く、しかも技術がある。それに、何と言っても食べる方も健康が求められるのだ。その全てが揃って「天ぷら」と言う料理は完成するのだと言う意味だった。
「うん、出来たな……」
 泰造もまた、簡略に答えるだけだった。
 作る者が居て、それをきちんと食べる事の出来る者が居る。それで料理は完成するのだと言う事が判った日だった。

「社長、最後は三つ葉と小柱のかき揚げで天丼にしますね」
 サブの声に泰造は笑顔を見せるのだった。

続・出張料理人 俺の名はサブ   6.本当の笑顔が見たくて

 6.本当の笑顔が見たくて


 今日は常連とも言える家のお祝いの日だ。その家の絹子おばあちゃんの米寿の誕生祝いなのだ。
 もちろんサブが料理を頼まれたので、今日もその家のキッチンで朝から仕込みをしている。家庭用のキッチンなので火力を考えた献立にしてあるのだ。ただ唯一の注文は絹子おばあちゃんが好きな「茶碗蒸し」を献立に入れて欲しいという事だった。
 その他はこの季節の旬や走りの材料で献立を立てて行く。注意しなければ行けないのは、絹子さんは歯が弱いので、固さや大きさに注意しなければならないという事だった

 今日のメインは鰹だ。これも彼女の好物で、今の時期ならタタキにしなくてもそのまま刺し身で食べられる。この方が鰹の濃厚な旨味を味わえる。
 身の脂の乗り具合ならば秋の「戻り鰹」の方がタップリと脂が乗っていて旨味も濃い。だが、そのままでは寄生虫の心配もあるし、何より濃厚すぎるので、タタキにして脂を抜いて、氷水に漬けて身を締まらせておかないとならない。これが昔の人の知恵だった。
 サブはキッチンに立つと、鰹を下ろして行く。頭を落とし、腸を出す(これを塩辛にしたのが珍味です)と外の固い皮を包丁の先で削いで行く。
 それから三枚に下ろし、キツチンペーパーで身を包む。皮を身から削ぐのは刺し身として出す時なのだ。
 
 その他にも今日サブは、絹子おばあちゃんの好物を色々と用意していた。それらは、実際にその時になって、実際に料理を見て喜ぶ絹子おばあちゃんを家族一同見て見たかったのだ。
 だからサブは、詳しくは伝えていない。その時の喜びさえ味のうちだと思っているからだ。
 その為に、例え少ない人数でもサブは己の持つ力をきちんと出して作るのだ。

 季節は春から初夏に移ろうとしていた。サブは前菜(お通し)に露地物の枝豆を選んだ。勿論この時期には高価なものだが、時間を見張らって未だ熱いものを皿に盛った。組み合わせには鮑の煮貝を薄く切って添える。
「あらあら、わたしの好きなものだわ」
 絹子おばあちゃんは喜んで枝豆を口にする、真緑色のさやを口に含むとニッコリと微笑んだ。続いて薄く切った鮑も喜んで口にする。
「若いころは、お父さんがね。ボーナスが出た時だけ、鮑を買って来て、お刺身にしてコリコリしたのを食べたけど。この煮貝も味がしみ込んで美味しいわ」
 喜んでくれたのを確認すると次の料理に掛かる。次は酢の物だ。今日は沖縄で採れたばかりのもずくを使う。沖縄産は柔らかいのが特長だ。この時期から採れ始めるので、それを使ったのだ。
 真夏に佐渡で採れるもずくは逆にコリコリとしていて、また別の味わいがある。今日は絹子おばあちゃんに合わせて柔らかいものを選択したのだ。
 続いては、焼き物だが、今日はお祝いなので鯛を焼いて飾ってある。それを妻の幸子が綺麗に身だけを取り分ける。
 
DMIDDLE そして、今日の本命とも言える茶碗蒸しの番になる。蓋を取り、スプーンで中身をすくうと、絹子おばあちゃんは
「この茶碗蒸しというのはね、銀杏と鶏肉が入っているでしょう。銀杏は卵に見立ててあるのよ。そして鶏肉と親子という事なの。そこに海老や蒲鉾、椎茸、そ して三つ葉が入っているでしょう。これはね世界を表してるのよ。銀杏と鶏肉が親子で、海老や蒲鉾、椎茸、そして三つ葉などが他人なのよ。全て一緒になって 蓋がかぶさって世間、いいえ世界を表してるの。この器の中にはこの世の全てが入っているのよ。だからわたしは好きなの」
 家族みんながその言葉をニコニコしながら聴いている。実はもう何回も聴いてる言葉なのだ。絹子おばあちゃんは、茶碗蒸しを食べる時必ずこの事を話すのだ。
 だが、それを言う者はいない。皆、息子達やその妻や孫や曾孫もむしろ喜んで聴いている。サブも黙って聴いている。実はこのうんちくはかって雅也が絹子お ばあちゃんに言った言葉なのだ。だがそれを知ってるのは今やサブだけになってしまった。雅也の言った言葉が今でも彼女の心に残っている事がサブには嬉し かった。
「サブさん」
 不意に絹子おばあちゃんから呼びかけられてサブは顔を上げた。
「はい、なんでしょうか?」
「この茶碗蒸しですが、椎茸が単にスライスしているだけでは無くて、中心から外側に向かって円心状に切ってあるのですね。おかげで、全ての具材がスプーン にちゃんと乗って美味しく食べられます。ありがとう! それにしてもこの茶碗蒸しですがとても滑らかなのですが、何か秘密でもあるのですか?」
 サブは、正直驚いた。もう米寿になろうと言う歳なのに抜群の味覚を持っていて、しかもその指摘が鋭い事に……
「はい、ありがとうございます。椎茸を食べる時に普通のスライスだと食べにくい上に切り方で椎茸の美味しさを台無しにしていますので、あのように切りまし た。そして、卵の部分が滑らかだったのは、普通、茶碗蒸しは強火で十二~三分蒸せば良いのですが、それだと卵はやや固く蒸しあがります。そこで、今日は卵 の味をじっくりと楽しめる様に弱い火でじっくりと時間を掛けて蒸しました。喜んで戴けて幸いです」
 作りがいがあるとはこう言うものだと思った。

 さて、いよいよ鰹の刺し身に移る。サブは冷蔵庫に保存しておいた鰹の柵取りしたのを出すと、柳刃で皮を引き、一口大に切り分けて行く、妻は今日は大根では無く、茗荷竹をスライスしたものを敷いてある。これと鰹の相性が抜群なのだ。
 かって江戸っ子が最も愛したと言われる鰹。当時は和辛子を載せて醤油につけて食べていたそうだ。今では考えられない食べ方だが、サブは以前に雅也に言われて試しにそのやり方で食べた事がある。それは古風な味がした。
「これも美味しいわ。わたしの好きなものばかりねえ」
 絹子おばあちゃんは、ニコニコしながら御機嫌で食べている。
 そんな姿を見る度にサブはこの仕事をやって良かったと思うのだった。
 
 今日も、明日もサブは料理を拵える。それは笑顔を見る為なのかも知れない……

続・出張料理人 俺の名はサブ  5.命の味

5.命の味


DSCF5154 北関東で桜が咲くのは東京よりも一週間は遅い。「風の子学園」があるここ栃木でも東京より遅れて、今、桜が満開を迎えていた。
 東京で桜が満開の時はサブも注文が多くなり、忙しく時間が取れないが、少し時期をずらせればここにやって来る時間が作れるのだった。
そんな中で幸子とサブは「風の子学園」に来ていた。
「本当はもっと頻繁に来なくてはならないのだけど、すまないね」
 サブは妻の幸子に詫びを言う。何故なら幸子はここで育ち資格を取り、ここで子供たちの先生をしていたからだ。今日は娘も一緒に連れて来ている。ここに来れば同年代の子遊び相手には不足しなかったし、子供たちも待っていたからだ。
 到着するとサブは作って来たお菓子等を子供たちに配り残りを園長先生に預ける。
「雅也さんの頃からいつもお世話になってすいません。雅也さんがいらしていたのが、ついこの間の様に感じるわね」
 園長先生はサブと幸子に対してひとしきり昔話をしていた。幸子にとって園長先生は親みたいな存在だった。

 園内の遊び場で子供が遊んでいるのを見ていた幸子は昨年入ったばかりの新しい先生がどこか、寂しげな表情で子供の相手をしているのが気に掛かった。
「どうしたの? 何か悩み事がある様な感じだけれど」
 幸子はその先生に近づいて声を掛けた。
「あ、幸子先輩」
 その若い先生は幸子の事をそう呼んだ。
「実は、この前ある子供に言われたのです」
 彼女は子供達の遊びから離れると、幸子に悩みを打ち明けた。
「この前、ある子どもから『先生、花や草も生きているのに何で雑草だからって抜いたりするんですか? それにわたしたちはお部屋に飾る為にお花を採ってしまいますが、それってお花を殺してるんですよね』って言われて、その時上手く応えられなくて……」
 悩んで下を向いている若い先生を見て幸子は自分がこの学園に先生として帰って来た時の事を思い出していた。
 その時も同じような事を子供達に問われ上手く言えなかったのを思い出した。
「私も、昔同じ様な事を言われたわ」
 そう言うとその若い先生は
「その時はどうなされたのですか?」
 積極的に尋ねてきた。幸子はこの積極性があれば大丈夫だと思った。そして
「その時ね。夫の師匠の人がいい事を教えてくれたの。その人はもういないけど。その時の言葉は今でも覚えているわ。私も夫も片時も忘れない。それはね 『我々は命のあるものを食べなくては生きて行けない。でもだからって罪深いなんて思っては駄目だよ。そんな後ろ向きな考えで、大事な命を貰ってるなんて思っ ては駄目だ。この世に生きているものは大なり小なり自分より小さな生き物の命を貰って生きているんだ』って言ったの。私は『じゃあ、それなら草花は何も殺 していないじゃ無いですか』って訊いたらね」
 そこまで言って幸子は隣に座り
「『草花はこの大地から全ての源を貰っているんだ。この地球から命を分けて貰っているんだよ。そして、我々も何時かはこの大地に帰るんだ。そうやって全ては循環しているんだ。だから自分もこの循環の一員である事を自覚しなければならない』って教えてくれたの」
 幸子はかって雅也が言った事を今でも忘れていなかった。

 「そうですか……自分もこの世界の一員なんですね……」
 そうつぶやいていた時に、幸子の夫の三郎が子供達と一緒に園に帰って来た。
「色々な草花を摘んで来たから、お昼に調理して出す事にするよ」
 そう言って調理室に入って行った。
「お昼は何か食べられそうだわよ」
 幸子はそう言うと手伝う為に自分も調理室に入って行ったのだった。

 お昼の献立は竹の子ごはんだった。サブが用意して来た素材で炊いたのだ。
それに、先ほど子供達と一緒に摘んで来た色々な野草を副食にした。
 サブが子供達と一緒に食べていると、ある子が
「これ、苦いから苦手だけど、わたしが摘んで来たのだから我慢して食べるね」
 そう言って、少しずつだが食べ始めた。それを見たサブは
「春の草花は食べるとほろ苦いのが多いけど、これはこれから生きて行く命の味なんだよ。この先暑い夏や台風のシーズンを乗り切る為の力の源なんだ。だからこれを食べると皆も元気になるんだよ。残さずに食べような」
 そのサブの言葉に子供達は笑って「え~でも苦いよ~」と言いながらも一生懸命に食べている。それを見ていた園長先生は
「ああやって自分達で摘んで来たものだと子供達は残さずに食べてくれるのですよ。サブちゃんは子供と一緒に遊んで、しかも色々な事を教えてくれるのです」
 園長先生はそう言って幸子の夫を褒めると
「先生、買いかぶりです。あの人は意識してやったり言ってるのでは無いと思います。心の底から本心を言ってるのだと思います」
 それは幸子のサブに対する信頼の証だった。夫は決してどんな事でも上から目線でものを言う様な事はしない。何時も相手と同じ高さで話しをするのだ。それは仕事での依頼者との話でも同じだ。
 だから、サブは色々な客層から評判が良い。幸子はそこだけは師匠を超えたかも知れないと密かに思うのだった。


続・出張料理人 俺の名はサブ  4.そら豆の味

4.そら豆の味

 ひとくちにに「法事」の後の精進落としと言ってもざまざまだ。大人数の時もあれば今日のように小人数の時もある。そんな時はやはりしんみりとしているものだった。
 
20110514_1925164「今日は空豆なのね。空豆が出回ると、ああ、もうすぐ夏なんだなって思ったけれど、サブちゃんと一緒になってからは「はしり」で色々と使うから感覚が早くなって来たけれどね」
 幸子がサブの手伝いをしながら感慨深く言うとサブが
「空豆は1月から市場には出てくるよ。鹿児島の指宿産だけどな。その頃はさすがに緑の宝石だよ」
 更にサブは幸子に
「本当は空豆は皮を剥いてすぐ茹でで、熱々を食べるのが一番旨いんだ。冷めると何でもそうだが味が落ちるしね。更に時間が経てばアンモニア臭も発生するしね。これは中皮から出ているから、今日みたいに翡翠豆として皮を全て剥いて使うには関係無いけどね」
 いつもの様にサブの解説を幸子は嬉しそうに聞いている。
「今日はお客様の要望で空豆の献立が多いからね。本当は同じ食材を使うと付くから嫌なのだが、仕方ないね。そこを楽しんで貰えるようにするのが板前の腕なんだけどね」
 サブの言う事も最もな事で、色々な食材を使ってバラエティに富んだ献立を考えるのも板前の腕と言うならば今日は逆の意味で腕の見せ所なのだ。
 日本へは8世紀ごろ渡来したといわれている。インド僧・菩提仙那が渡日し、行基に贈ったのが始まりともいう。

 今日の客数は8名である。このくらいだと明美を頼む事はしないで幸子が代わりに料理のサービスをするのだ。
前菜は翡翠豆に、烏賊の雲丹和え、鶉の松風焼だった。
松風焼とは挽き肉を味噌と砂糖などで味を付けて、表面にケシの実をまぶして焼き上げたものである。
 酢の物には季節的に早いと思ったが、初夏の気分を味わって欲しいのと、この一族の方が上方の出なので鱧の梅肉和えにした。
 この鱧と言う魚は小骨が多く、骨切りをしないとならない。サブはこれを習得するために、雅也の紹介で暫く上方の料亭に修行に行っていたのだ。関東では余り鱧は食べないが、自分の技術を忘れない為に、夏になると鱧料理を入れる事にしている。
 関西では時期になると、スーパーにおいても鱧の湯引きなどは広く販売されていたりする。庶民の魚でもあるのだ。
 煮物は加茂茄子の揚げ浸しである。京都市北区加茂周辺で古くから栽培されている京都特産の大丸茄子で、サブのは二つに切った茄子の表面に雅也直伝の胡麻味噌が掛かっているのだ。そのため茄子を煮る味は薄味にしてある。
 上には針生姜を乗せている。茄子の黒さ、味噌の茶色、そして生姜の黄色と見た目もよかった。
 椀もの、つまりお吸い物は、空豆の擦り流しにした。空豆の皮を剥いて裏ごしで濾して出汁に合わせるのだ。椀種はこれも雅也から教わった海老しんじょだ。 雅也はこれを揚げていたが、サブは椀種に使えるように蒸したのだ。色が変わらない様に低温で蒸すコツが分かるまで苦労した。
 刺身は、関西では鮪はあまり食べないのでやはり鯛にした。これは松皮造りと言って皮付きのまま下ろして表面を霜降りにして皮付きで切って並べるのだ。それと南蛮海老を付け合わせにした。
 揚げ物は天ぷらとした。中身は鱚にマキ海老、それにタラの芽を添える。
 デザートには黒蜜ときな粉を掛けたわらび餅と抹茶だった。
 わらび餅は、ワラビの根から取れるデンプンのわらび粉で作る半透明の寒天の様な感じの菓子である。食感がプルプルとして堪らない。
 全てが終わり、サブは今日の献立は雅也から受け継いだり、教わったものばかりだと思った。
 自分はまだまだ修行して行かなくてはならないと強く感じたのだった。
 「今日は親方の事考えながら作っていたでしょう?」
 かたずけながら幸子がズバリ指摘する
「どうして分かったんだ。そんな事」
 サブが不思議そうに訪ねると幸子は
「うん、料理の味が親方そっくりだったからね。ああ、これは親方の事を忍んで作っているんだなって思ったのよ」
「全く、そこまでお見通しとは驚いたよ」
 サブがそう言って笑うと幸子は
「でもね、色々なところで、親方とは違うと思った。椀種もそうだし、親方は求めるものが高すぎて、本当に味の判る人しか相手にしていなかったけれど、サブちゃんは違う! その親方譲りの味を普通の人にも判る様にしてくれているんだと思ったの」
 幸子の言った事は自分だけの心に留めておくつもりだった。
「買いかぶり過ぎだよ」
 サブはそう言って誤魔化したが、それが自分の使命では無いのかと思い始めていたのだった。
「少しずつ自分達の色を出していけばいいさ」
 そう言うと幸子も頷くのだった。

続・出張料理人 俺の名はサブ  2.竹林の価値

2.竹林の価値

DSC_5265-thumb-523x350-7895 春になると色々な植物が芽吹き、命の輝きを我々に見せてくれるが、それは料理の世界でも同じで、春の料理にはそう言う草花や野菜を扱ったものが多い。
 菜の花や蕗の塔、たらの芽等もそうだ。それに筍なども本来は春から初夏に掛かる時期のものだが、料理の世界では「はしり」を大事にするので、春に扱う事が多い。
 
 サブはこの日、千葉の大多喜のそばの山林に来ていた。雅也の頃からのお客の誘いである。
 雅也の頃からここの竹林に呼ばれて、早朝掘り出した筍を料理して食べさせるのだ。
 雅也の頃は早朝に大多喜に到着して、掘り出す方と一緒竹林を探していたものだった。
 今回もサブは一人で早朝に到着すると、顔見知りの方と一緒に竹林に入って行き、幾つかの筍を掘り出したのだった。

 「随分掘りましたね」
 以来主が目を細めて嬉しそうに言うとサブは
「これでも、今日は以前と比べると少ないです。やはり陽気の影響でしょうか」
 早速、サブはこの筍を料理に掛かる。料理に使う調味料や食材はあらかじめサブが依頼者に伝えてあり、今日もしっかりと用意されていた。場所は依頼人の別荘である。
 そこには一通りの調理道具や食器も備えられており、出張料理人としては申し分無い環境だった。

 まず、最初に出て来たのは「筍の刺身」だ。これは掘ってから2時間以内でないと、えぐ味が出てくるので、そのままでは食べられ無くなる。その時間を味わう料理とも言えた。
「うん、美味しいな。この筍の風味が堪らないな。茹でてしまうとこの風味が飛んでしまうからね」
 どうやら依頼人は、まずは満足したとサブは感じて次に移る。
 次は筍の姫皮を使った「木の芽あえ」である。烏賊や蛸それに海老等の海鮮と筍や筍の姫川を木の芽をすりつぶして作った甘めの味噌で和えるのだ。これも今の時期ならではだ。
 「これも旨いな。春の風が体を抜ける様だよ」
 その言葉にサブは「少し言い過ぎ」だと思ったが黙っていた。
 今日は人数も依頼者の招待した内輪のお客だけなので6名しかこの別荘にはいない。だから空間的にも贅沢だった。

 それからは、焼き物に移る。今日は先日の法事でも出した「竹包み焼き」だ。竹の筒に味噌と筍を入れて蒸し焼きにするのだが、先日の法事が茹でてあくを取り除いた筍であるのに対して今日は生の筍を使っている。勿論味が全く違うのは言う間でもない。
「いや、旨い、本当に旨い! ありきたりな言葉でしか感想を言えないのが申し訳無いほどだわ」
 それはサブにとっては最大級の誉め言葉だった。

 そして、いよいよ蒸し料理に移る。日本料理は本来は刺身が王様なのだが、こと今日に限ってはそうでは無い。
今日の為にサブが考えたのが「筍の奉書蒸」である。これは奉書に一口大にした筍を包んで、時間を掛けて蒸して行くのだ。筍の風味や味わいがそっくりと残るので、極鮮度の良い状態でなければ出来ない料理だった。
 繊細な風味を味わう為に味付けも薄くしか付けていない。
 また、食べる方もお酒等を飲み過ぎ無い様に気を付けなくてはならない。
 一口食べて、その場に居た6人皆が「う~ん」と唸ってしまった。
「いや、いや恐れいった。これほど筍とは味わい深いものだったとは……」
 依頼者が驚嘆して感想を言うので、サブは
「それは、この竹林で取れた筍が素晴らしいからですよ。私も色々と筍を扱って来ましたが、ここほど手入れが行き届いて素晴らしい竹林はありません。どうか願わくば何時までもこのまま状態でお持ちになっていて欲しいです」
 サブの言葉に依頼者は
「そうか…実は今、ここを造成してリゾートマンションだか別荘を作ると言う話が来ているんだ。
 正直、ここは土地としては価値は余り無い。通勤には遠いし、海までも距離はある。価値としては土地が硬いので地震に強い事かな。大多喜に強い地震があっ た時でも平気だった。そこを良い値で買うというので正直心が動いていたのだが……なあ、サブくん、私がここを持っている限り、こうして毎年来てくれるか ね? それなら私が死ぬまでは持っていよう。保証する……どうだね?」
 その依頼者は意味ありげな笑顔でサブに語り掛けた。
「そうですね。これだけの筍を毎年料理出来るなら、喜んでここまで来ますよ。しかも来年からは家族でお邪魔します」
 サブも今度は意味ありげな表情で返すと依頼者は
「よし! なら決まりだ。ここは残す事に決めた! このぐらいの道楽なら構わないだろう」

 もしかしたら、依頼者は最後の宴として今日に臨んだのかも知れないとサブは思った。それは今日の依頼者の感想からでも分かる事だった。
 それを覆えさせたのはサブの料理だったのだ。だがサブ自身は自分の料理は雅也の教わったものだから、自分はそれを越えてはいない。と思うのだった。

 仕事が終わり、帰りのサブの車には筍が積んであった。明日の斉藤家は筍料理が並ぶであろう。
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