俺の名はサブ

続・出張料理人 俺の名はサブ  12.土瓶蒸しの想い

今回で、「サブ」は一応終わらせて戴きます。実はこの先が書けていないのです……
新作を書き次第更新させて戴きます。中途半端で申し訳ありませんm(_ _)m

12.土瓶蒸しの想い


01_b 八月の立秋を過ぎると日本料理の世界では秋の景色に模様替えをする。
 秋は味覚の宝庫とも言える季節であるが、未だ暑い初秋、落ち着きを取り戻した中秋、そして、冬の訪れが近いと感じさせてくれる晩秋とそれぞれの時期で献立も変わって来る。
 その中でも、大体において、重宝されて重要視されるのが松茸である。
 この香り良く、歯ごたえも素晴らしい茸を味わうと、日本人に生まれて良かったと思わざるを得ない。
 外国人にはこの香りが「おがくずのような匂い」と感じるそうだ。判らないものだと思う。尤も我々もトリュフ等は正直その良さとなんでフランス人があそこまで有難がるかが良く判らないのと同じだと思うサブだった。

 土瓶蒸しは小さな一人用の土瓶を型どった入れ物に、松茸、海老、銀杏、三つ葉。それにゆずの皮を少し、中には吸汁といって、吸い物に張る出汁と同じもの を入れて、蒸すか、小さな一人用の焜炉等に載せて温めて、火が通ったらカボス等を絞り、中の具を楽しみながら、蓋代わりの猪口で松茸や海老の旨味が出た汁 を味わう料理だ。
 サブはこの料理が好きだった。一見何でも無い様に見えるが、これほど、お客に出す料理で神経を使う料理は無い。
 松茸の管理を始め、車海老はさっと、火を通して頭と皮を剥く。これは余計な雑味が出ないようにする為だった。
 これに鶏肉を入れる者もいるが、茶碗蒸しでは無いので、要らないとサブは思っていた。三つ葉も僅かに香りがある。しかし、松茸の香りと三つ葉、それに僅かなゆずの香りとこの三つが合わさると何とも言えない風味となって食べる者を喜ばせるのだ。
 旨味も単体で食べるより幾つかの旨味が合わさると旨味自体が増すのだが、香りに関してはこの組わせが素晴らしいと何時も思う。

 今日は、時期的には国産の松茸は早いのだが、雅也の頃からの伝手で、良い物が手に入ったので、一人様の焜炉を出して、網を乗せて松茸をお客自身が焼くと言う趣向を取った。
 勿論、その後は焜炉には土瓶蒸しが乗っかるのだ。
 その、蒸し上がるタイミングで、蓋を取るのだが、慣れないお客任せには出来ないので、今日は人数がそう多く無いが明美にも来て貰っていた。
 注文主は「今年一番の松茸を味わうなら金銭は考えない」と言う趣向だったからだ。
 正直、こう言うお客がいてくれないとサブも困るのだ……

 今日は、先方のお客が指定した松林の中に立てられたある貸座敷で会食をしている。
 宴会等に使われる事が多いので、調理場はプロ用のもので統一されている。一人用の焜炉等はサブが持ち込んだものだ。焜炉の中には備長炭が真っ赤になっている。
 松茸が焼けて来ると何とも言えない香りが鼻を喜ばせてくれる。いや、食べられない者には拷問かも知れない。
 明美がお客の間を回りながら火加減や焼き具合を見て回っていて、さり気なくアドバイスをしていく。
 焼きあがった松茸にカボスをふりかけ、僅かに醤油を垂らすと「ジュウー」と言う音と焦げる匂いが耳と鼻を刺激する。
「行儀悪いですが、手で裂いて食べると一層美味しいですよ」
 明美のアドバイスに、手で熱がりながら裂いて行き口に運ぶとその美味しさを皆口にした。
 サブはそれを見ながら、次の土瓶蒸しの準備にか掛かる。下拵えした具材をきちんと入れて行き、最後に吸汁を張って蓋をする。
 明美が調理場に戻って来て
「そろそろ、食べ終わった方がいらっしゃいますから、持って行きます」
 そう言って長手盆に幾つかの土瓶蒸しを乗せて座敷に向かった。

 土瓶蒸しの次の料理に取り掛かろうとしていた時だった。今日の依頼主が調理場に顔を出した。
「どうなされました?」
「いや、今日の松茸は特に旨いと思ってね。この時期に国産物が良く手に入ったね。私は、外国産特に台湾産とかでも仕方ないと思っていたんだよ」
 そう言いながら満足気な表情をした。
「そうですね。今年は陽気のせいか、わずかですが国産物も出て来てはいます。今日のは私の師匠が懇意にしていた方に頼んだものです。喜んで貰えて良かったです」
「焼き物と土瓶蒸しと両方楽しめるとは、本当に幸せだと思うよ」
 依頼主は心からの感想をサブに言うと
「実はね、土瓶蒸しは母の得意料理でね。昔は松茸も今より安かったし、家庭料理だから、色々なものを入れていたんだけどね。松茸の時はやはり嬉しかったなぁ~」
 昔を思い出す用に話すとサブは
「良く、ご家庭に土瓶蒸しの容器がありましたね」
「うん、何でも母の母、つまり祖母の形見だと言うんだよね。祖母は戦前にかなり裕福な家から嫁いで来てね。その時の花嫁道具に入っていたらしい。でも普段 は使わ無いから、しまったままになっていてね。他の食器は皆壊れてしまったりしたけど、土瓶蒸しだけが残った次第なんだ。だから母は自分の母親を思い出し ながら良く作ってくれたんだ」
「そうですか……でもお母様は土瓶蒸し自体は家では余り食べなかったのでしょう? それが思い出すと言う事は……」
 サブは珍しく疑問をお客に問うと
「ああ、それはね、戦争で焼けてしまった時に、土瓶蒸しだけ奇跡的に残っていたんだよ。それで祖母が『あなたには何もあげられ無いけど、せめてこれだけは』ってくれたそうなんだ」
「そうでしたか……いい話をありがとうございました。土瓶蒸しって私には、仲の良い家族のような気がするんですよ」
 サブの意外な言葉に依頼主は興味を持ったようで
「ほう、土瓶蒸し家族論か、なるほど面白そうだね。良かったら拝聴したいね」
 そう言ってサブに促すとサブは
「そんなに大した事じゃ無いんですがね……松茸と言う柱があって、次に海老と言うこれまた素晴らしい柱があって、子供のような銀杏。それらを支える三つ 葉、そしてゆず、更には最後のカボスまで加わり一家を成していると思うのです。全てが一体となった時に何とも言えない素晴らしいものが生まれると思うので す」
 サブは滅多にこんな事は言わないのだが、今日は何故だか口が回ってしまった。

「そうかぁ、うん、そうだね。一家であり、そして会社でもあるんだな。いい話をこちらこそありがとう! 今日もじっくりと味わせて貰うよ」
 依頼主はそう言うと上機嫌で帰って行った。途中で何時迄も調理場から帰って来ない依頼主を心配して明美が迎えに来ていた。
「ああ、すまん、すまん。サブ君に一層美味しくなる秘訣を聴いていたのさ」
 笑い声がこだまする室内を一瞥してサブは次の料理に掛かるのだった。


続・出張料理人 俺の名はサブ  10.鮎の味

10.鮎の味

 c8a228e5eca787e84ed7ad782d64b307関東では鮎の解禁は六月一日だ。勿論この日よりも前に市場では並んでいるが、それは養殖の鮎だ。
 天然ものは殆ど入って来ない。代わりによくあるのが「天然仕立て」と言う奴だ。
 これはどのようなものか、と言うと。養殖で育てた鮎を出荷する二週間ほど前に川に放流するのだ。
 放流と言っても、完全な天然の川ではなく、ある一定の区域を区切ってそこに放流するのだ。その間鮎は一応天然の川で育つと言う訳なのだ。
 養殖と天然の鮎の差はどこにあるのか、と言うと、鮎の下顎が違う。
 天然の鮎は川の底の水草や、石に着いた苔等を下顎で削ぎ落とすので、下顎が発達するのだ。これは見れば誰でも違いが判る。それと天然は石や川底にこすったりするので、傷がついている。そんな処も違う。

「天然の鮎はすいかの匂いがするとか草の香りがするとか言うが、じゃあこれは皆、川の苔を食べているからなんだな」
「そうですよ社長。どうですか、今日のは知り合いに頼んで取り寄せた正真正銘の天然鮎ですよ」
「別に疑ってる訳じゃなくて、改めてその美味しさを味わってるんだよ」
 サブに言われた社長と呼ばれた人物は熱心に鮎をほぐしだした。
「そう言えば、この焼皿に敷いてあるのは何という草だい」
 社長は鮎を乗せた皿に敷いてある緑の草の事をサブに訊いた。
「それは蓼(たで)ですよ。ほら諺にあるでしょう。蓼食う虫も好き好きって。あれですよ」
 サブの説明に社長は感心して見ていたが
「じゃあ、これは食べると辛いのかい?」
「そうですね、たぶんそうでしょうね」
 サブが曖昧に答えると
「サブくんでも食べてみた事は無いのか」
 そう言って笑っている。
「でも、その鮎を付けて食べる為に出したちょこに入っているのは、『蓼酢』ですよ」
 食べられないものだと思っていた社長は、さきほどから自分が鮎の身を付けて食べていた緑のつゆがまさか蓼で出来ているとは思わなかった。
「これはどうやって作るんだい?」
 社長は興味深そうに箸の先で蓼酢をつっいている。
 サブは、仕事をしていた手を少し止めて
「まず、蓼をあたり鉢であたります。よくあたって、液状になって来たら、餅米を蒸かしたご飯を入れます。そして更によく練り混みます。
 その後、お酢を少しずつ入れて伸ばしていきます。最後に少し味を調える為に色々なものを少し入れたりします。私は鮎の季節によって生姜の絞り汁をわずかに入れて隠し味にします」
 サブの言っている事を訊いていた社長は
「そうかあ、鮎ひとつ食べるだけでも色々な手間が掛かってるんだね。単なる塩焼きなんて言えないな」
 そう言いながら嬉しそうに鮎を食べてしまった。
「サブくん。悪いけどもう一匹何とかならんかな?」
 サブは、多分社長がそう言うだろうと余計に仕入れていたのだった。
「いいですよ。まだまだありますから。でも次は社長の好物の『鯉の洗い』ですよ。これも天然ものを仕入れて知り合いの養殖業者に頼んで三日掛かって泥を吐かせた奴ですから旨いですよ」
 それを訊いた社長は目を輝かせて
「そうかあ、鯉なんて、田舎にいた子供の頃はよく村の沼に捕まえに行ったものだけどな……あの頃はおふくろが良く拵えてくれたっけ……」
 社長はいつか遠い目をしていた。
「お父さん! 今日はお義父さまの法事なんですからね。あなたばかり楽しんでは駄目ですよ。家族、親戚皆で楽しむのですからね」
 社長夫人が軽くたしなめると、会場は和やかな雰囲気になっていた。
「田舎の頃は鮎も天然しか見たこと無かったな。それが今じゃ『天然仕立て』か、時代は変わったものだな。豊かになった代わりに何か大切なモノを失ったんだな」
 社長の言葉にそこに居た一同は頷いた。
「でも、これ以上失わない様にワシらが頑張って子孫に貴重な自然を伝えていこう……な」
「はい!」
 一斉に返事が返って来て雰囲気が盛り上がって行くのだった。

 全てが終わって後かたずけをしていると、妻の幸子が
「喜んで貰えて良かったわね。やはり夏は鮎よね」
「ああ、でも年々良い天然物は数が少なくなって来ている。それを考えると笑ってばかりはいられないがな」
 サブは先ほどの社長の言葉にわずかでも期待しるのだった。何故なら、先ほどの社長の会社は環境保全を一番重要視しているからだった。
 環境破壊は他人事では無いのである。
 サブは本気で願うのだった。

続・出張料理人 俺の名はサブ  11.じゅん菜の味

11.じゅん菜の味


 今年も梅雨が明けて夏がやってきた。
nama-junsai サブは、東京の盂蘭盆会には必ず雅也の墓に墓参りをする。もう何回目だろうか……
 墓前に花を添え、線香に火をつけると立ち上る煙が少し目に染みた。
「何、感慨に耽ってるの? 思い出しちゃった?」
 隣で一生懸命に拝んでいた妻の幸子が怪訝な顔をして問いかける。
「いや、別に……そうだな、親方亡くなってから何年になるかなと思ってね。正直、法事とかやらなくても良いのか、なんて考えていたんだ。だけど、ここにお 墓はあるが菩提寺がある訳じゃ無いしな。結局、ここの管理事務所にお坊さんを派遣して貰って、お経を上げて貰うしか無いのか……そんな事考えていたんだ」
 幸子は、きっと、その事を考えていても雅也の事を思い出していたのだろうと、

推測した。
「帰りに寄って、訊いてみようよ」
「うん、そうだな。そうしよう」

 結局、調べて貰ったら、今年は年回りが良くないので来年なら年回りが良いので、来年頼む事にした。
「御宗旨は?」
 管理人の問に戸惑ったサブだったが、何時か「親は真言宗」と言っていたのを思い出した。
「真言宗です」
「じゃあ、今からその宗旨のお坊さんに予約入れておきますよ。別にキャンセルなら構わないのですが、重なると面倒くさいのでね」
「お願いします」
 二人で頭を下げて頼んで来た。

 翌日は、ある会社の社員食堂での催しに出す料理を頼まれている。ここも雅也の頃からのお客だ。
 上半期で営業の成績が良い者十名を選んで表彰して、料理をご馳走しようと言う趣向なのだが、今どき、こんな事をしている会社は殆んど無いと言って良い。
 社員からも「そんな金があるならボーナスに追加して欲しい」と言う声が多い。社長もそれは耳に入っているが、自分のポリシーだからと止めないのだ。

 社員食堂とは言え、プロ用の調理道具が使えるし、普段の社員食堂の調理師さん達も手伝ってくれるので、普段よりも手の込んだものが作れる。
 だから、幸子は今日は料理を運び出す役目なのだ。
 ホワイトボードに今日の献立を書いて行く。

 前菜  枝豆 鮑の鹿の子和え
 旬菜  もずく じゅん菜
 造り  鱧湯引き梅肉庵添え
 煮物  根芋胡麻味噌掛け
 焼き物 天然鮎 蓼添え
 揚げ物 海老しんじょ
 水菓子 マンゴスチン

 サブとしては作り慣れた献立だが、一年に数回しかサブと出会わない社員食堂の調理師さん達は興味深々である。
 およそ、こう言う社員食堂の調理師になっている者はその殆んどは出発点は西洋料理や日本料理経験者である。下地はある。が、途中で挫折してこっちの道に入った者が多いので、きちんとした事は苦手な人が多い。
 サブは、それらをひとつひとつ丁寧に教えて行く。盛り付けや飾りも見本を見せて同じようにして貰う。やる方としても、普段とは違う盛り付け等は大いに参考になるのだ。

 今日は表彰される十名に会社の幹部やらを併せると二十名となった。このぐらいなら幸子一人で充分賄える。
 挨拶が終わり、乾杯の音頭が取られると、前菜から出して行く。社員食堂のテーブルは合わせて寄せられて長くなっており、左右に別れて人が座っている。テーブルにはクロスが掛けられ、その上にサブが用意したランチョンマットの紙が置かれている。そしてグラスと箸。
 グラスには、社長の好みでワインが注がれている。これもサブが今日の献立に合うワインをチョイスしたのだ。

 前菜が終わり、旬菜を出した時だった。一人の女子社員が、「ああ、じゅん菜だ……」と声を上げた。すかさず社長が声を掛ける
「そう言えば、高橋君は秋田の出身だったね。やはりじゅん菜は秋田では沢山食べるのかい?」
 「あ、はい、私は山本町の出身なんです。ふるさとでは、休耕田になった田圃に水を張って池にして、そこでじゅん菜を作っています」
 じゅんさいはゼリー状の透明な粘膜に覆われていて、独特のヌメリとツルツルした喉ごしは、初夏の味覚として親しまれている。
 「山本町ではじゅん菜丼なんてのもあるんですよ。流石に観光用ですけど……でも東京に出て来て、一生懸命に働いているうちに、ふるさとの事を忘れていま した。今日、ここでじゅん菜を食べて、昔を思い出しました。正直、私、今日は半分は仕事だと思って出て来ました。でも社長さんのおかげで、ふるさとを思い 出し、また頑張れそうです。ありがとうございました」
 高橋と言う女子社員の言葉に、調理室で聞いていたサブや調理師達も笑顔になった。
「後で社長さんに話すけど、このじゅん菜は勿論、秋田の山本町産で、もずくは佐渡産なんだ」
 サブが説明をすると、一人が
「だから、もずくが真っ黒だったのですね」
 そう言いもう一人が
「そう、そして歯ごたえがある」
そう言って締めた。
そうしたら、社員食堂のチーフが
「じゅん菜そのものは味が無くても、彼女の心には舌で効いたんだね」
 それを聞いて皆が笑うので、サブが
「さ、次の料理に掛かろう」と言うと皆が
「はい!」
 そう言って仕事にかかる。今日もきっといい仕事が出来るようだ……

続・出張料理人 俺の名はサブ  9.鮑の旨さ

9.鮑の旨さ

 六月になると毎年の事だが梅雨になる。この時期は料理の世界では夏の献立になる。
 かって雅也はこの時期には鮑を出していた。
 人数が少ない時は「水貝」や刺し身にして出していた。
「水貝」とは、生のアワビを水洗いしてから、ワタを取り外し、身を大き目の角切りにして、冷水または海水程度の塩水に浮かべ、その器の中に氷と彩り用のキュウリやウドの薄切りを浮かべ、三杯酢等をつけて食べる料理だ。磯の香りとコリコリした歯ざわりが特徴である。

「鮑の刺し身」は、料理する前に塩で身を磨き、固くする。そしてそれを薄く切り、これも歯ごたえを楽しむものである。
 鮑には俗に赤、と黒と呼ばれる種類が存在するが、刺し身や「水貝」に使うのは黒と呼ばれる「黒鮑」だ。固さが違う。

 鮑は本来は旨味成分の強い貝なのだが、これらの料理ではその旨味を充分に味わう事が出来ない。
 ならば、どうして楽しむかと言うとこれは「煮貝」と言う調理法がある。所謂、鮑を柔らかく煮た料理なのだが、これの名産地は山国の甲府だ。何故、ここが 産地になったかと言うと、文献によるが、その昔、甲斐国は海に面しない内陸地域の為、塩などの海産物は、主に隣接する駿河国に頼っていた。駿河の海産物 は、主に塩漬けや醤油漬け、干物など保存加工を施された上で駿州往還や中道往還、富士川水運を利用して甲斐に持ち込んでいたそうだ。
 駿河湾で獲れたアワビを加工し、醤油漬けにして木の樽に入れ、馬の背に乗せて甲斐に運んだところ、馬の体温と振動によって醤油がアワビに程良く染み込んで、甲府に着く頃にはちょうど良い味に仕上がったといわれる。
 本当か嘘かは知らないがサブは「昔の人は美味いものを考えてくれたものだ」と感謝していた。

「ふう~ん。やっぱり、料理する人はちゃんと勉強しているんだねえ~」
 サブの下拵えを見ながらその初老の女性はサブの講釈を訊いていた。
「いや、受け売りですよ。俺なんて中卒ですから」
 半分照れの笑いを浮かべながらもサブは手を休め無い。
「もうすぐ皆さん帰ってらっしゃいますね。そろそろ前菜の盛り付けに掛かります」
「はいはい、出来たらわたしが並べます」

 今日は、あるお得意先の法事だった。
 朝からサブはこの家に来て調理をしていた。人数が少ないので妻の幸子は連れて来なかったが、その代わりにこの家の古くから居るお手伝いさんの数子さんが配膳を手伝ってくれていた。
サブも慣れている彼女と組むのも安心出来た。
 awabimizuugai前菜は夏らしくエシャレットをサブの手作りの諸味噌に付けて食べて貰う。更に「水貝」を酢の物代わりに出す。
 酢の物が無くなった代わりに「煮貝」を出す。そこまで行けば、刺し身にも鮑を使う。
 今日は小人数だからお客の食べる進行速度に合わせて刺し身を作るつもりだった。
 他には加茂茄子の胡麻味噌掛けで、これは雅也の考えた胡麻味噌を軽く揚げて火を通した加茂茄子にかけて針生姜を乗せて食べるのだ。当然、天麩羅も上げるが、今日はメインではなかった。
 やがて法事が終わり、今日のお客がお寺から帰って来た。サブは数子さんに言って、前菜から出して行く。「水貝」とエシャレットの組み合わせは思いの外好評だった様だ。
「暑い表から帰って来ると、こう言う料理が嬉しいねえ」
 お客の一人が言った言葉である。こう言う何気ない言葉が一番心に響く。そしてサブは次の料理に移って行く。煮貝を出して目先を変えると、いよいよ泡の刺し身に掛かる。
 いつもどおりの手順に狂いは無い。薄く削ぎ切りにする為に今日は「蛸引き」と呼ばれる刺し身包丁でも「削ぎ切り」専用の包丁を用意して来た。
 ゆっくりとだが確実に切って行き、それを並べて行く。鮑の白さが映える様に白地に青い網目模様の皿を用意してくれる様に頼んだのだ。
 ひとつずつ出来上がると数子さんがそれを運んでくれる。着けて食べる醤油はサブが拵えた「土佐醤油」だ。普通の濃い口醤油に酒と味醂を加え、昆布やかつ お節を加えてひと煮立ちさせる寸前で火を止め、一晩寝かせた醤油だ。淡白な魚を食べる時に使う。普通の醤油よりも角が取れていて塩が優しい口当たりなの だ。

「うん、この固さ、コリコリ感が堪らないな」
 口々に聞こえる感想を耳にして安堵して次の料理に移って行く。
 加茂茄子はてっぺんを水平に切り、下も切って立てる様にする。これに切り込みを入れて油で素揚げする。やっと火が通った所で油から上げて、、先の尖った 包丁で中をくり抜く、取り出した茄子の身を一口大に切り、開いた元の茄子の胴体に胡麻味噌を入れて、その上に先程の切った茄子の身を入れて、一番最初に切 り取った茄子のてっぺんの部分を蓋変りに少し斜に乗せ、その隙に針生姜を載せる。
 これを茄子が冷めないうちに行うのだ。これも出来た順から出して貰う。熱さが命だからだ。
「ふおっ! 熱いな、これは上手い、今までさっぱりした感じの料理だったらかこの味噌の濃厚さがたまらんな」
「火傷しないでくださいね」
 サブが笑いながら答える。充実感を覚える瞬間だ。

 その後も色々な料理を出して、今日の法事の精進落としは終わった。法事のお客も帰り、サブは片付けをしている。
 どうやら施主はお客様を送って行ったみたいだった。台所にはサブと数子さんだけが残って仕事をしていた。
 あらかた片付け終るとサブは数子さんに小さなタッパを出した。
「数子さんこれ家に帰って食べてください」
img56957380「あら、何かしら? 開けてもいい?」
「どうぞ、見て確かめてください」
 数子さんが、蓋を開けて見るとそこには薄く切った「煮貝」が入っていた。
「まあ……いいの? 高いのに……」
「いいんですよ。実は残りですから」
「残りと言うには多すぎるけど……ありがとう。大事に食べさせて貰います」
 ニコニコしながらタッパを仕舞うと。サブは片付けの最後に十センチほどのお皿を取り出した。
 それには、鮑の刺身が綺麗に並べられていた。
「お昼、未だなんでしょう? これをおかずに食べましょう」
 サブがそう言うと数子さんは驚きながら
「まだ、残っていたのねえ~、でもこれ……わたしに食べられるかしら……」
 数子さんは、鮑の刺身が固いと言う固定観念からそう言ったのだった。
「大丈夫ですよ。もう柔らかくなっています。そして只固くコリコリ感を楽しむものでは無く、柔らかいけれども、鮑の旨さが味わえますよ。試してください、全く違う食感です」
 言われて数子さんは箸で鮑をつまみ口に入れると、確かにコリコリした感じは無いが、海の旨さを濃縮したような味わいが口の中一杯に広がった。
「まあ……こんなの初めて……子供の頃に良く海で遊んだ事を思い出すわ」
 数子さんはそう言って暫し、昔に戻った感じだった。
「ちょっと良いでしょう?」
 そう言ったサブの顔は少しだけ嬉しそうだった。

続・出張料理人 俺の名はサブ  8.母の残したノート

8.母の残したノート

 その日、サブはある高校の調理実習室に立っていた。
 何故か、それは数日前に遡る……

「頼むよサブくん。この通りだ」
 サブを前にした初老の男性は頭を下げている。
「高橋先生、無理ですよ。俺なんかが高校の教壇に立つなんて無理ですよ。第一中学しか出ていないんですよ。そんな者が人に教えるなんて……」
「いや、だから、君の技をウチの生徒に見せてやりたいんだよ。ウチの科は卒業すると調理師免許が貰える。だから卒業後に料理の世界に入る者も居るんだ。そう言う志を持った生徒に一流の技を見せてやりたいんだよ。勿論ただとは言わない。ちゃんとお礼はするから」
 サブは乗り気では無かった。自分の技が劣るとは思っていなかったが、人前で見せるものでは無いからだ。
 だが、目の前の人間はサブが中学時代に教わった恩師だったのだ。
「ワシだって、理事長から相談された時は驚いたさ、まさか自分の教え子が理事長のお気に入りの板前になっているとは思っても見なかった。まあ、そこで今回の事を頼まれたのだがな……一度きりだ。その模様は記録して毎年見せるから、今年の一度だけその技を見せてくれんか」
 恩師にそこまで言われてはサブに断る事は出来なかった。
「仕方無い、一度だけですよ」
「ああ、恩にきるよ」
 そうして、サブが高校生、それも女子高生の前で実技を披露するのが決まったのだった。

 実際に学校に来てみると、意外と設備の整った調理実習室だった。
「どうだね、中々大した設備だろう。「食物科の調理コース四十人が後で並ぶのだよ。勿論教師がちゃんと付く。君は教師が言うのでその通りに実演してくれれば良いんだ。簡単だろう!」
 教室の前には普通の教室みたいに黒板があり、その下には調理台がある。左右にはそれぞれガス台とシンクがついている。ガス台の下はストーブとなっている。ちなみにストーブとはオーブンの事だ。
 天井には左右二台のカメラが備わっていて、これでサブの技を録画するらしい。何回も録画されるのは嫌なので、失敗しないでくれとサブは思うのだった。
 生徒側から見ると、黒板の前の天井には左右二台のモニターが備わっていて、後ろで教師の手際を良く見られなかった者でモニターで確認が出来た。
「よく出来ているでしょう」
 思わぬ声に振り返ると中年の女性が佇んでいた。ひと目で教師だと判るオーラを放っていた。
「あ、本日実演をさせて戴きます、斉藤三郎です」
「申し遅れました。本日の授業を受け持つ相田美鈴です」
 相田と名乗った女性は一礼をすると高橋先生と並んで教室の前の方に並んで立つと
「今日は、大根のかつらむき、厚焼き玉子、それと魚の三枚卸しを行って貰います。生徒も楽しみにしています」
 「おろす魚は何ですか」
 サブの疑問に相田先生は
「鯵なんですよ。ぜいごがあるから特徴あると思いまして」
 鯵と言う魚は尾の両側に骨の様なギザギザの固い部分がある。そこを最初に削ぎ落とすのだ。

atuyaki17 やがて授業の時間となったサブは調理実習準備室で着替えを済ませていた。そして授業が始まると、相田先生に紹介された。
「今日は、一流の調理師さんがどのくらいの腕なのか実際に実演して貰います。そこで今日は若き名人と言われている斉藤三郎さんに来て戴いています」
 そう言って生徒の前で紹介された。
「斉藤です。本日は宜しくお願い致します」
 そう言って頭を下げた。頭を上げると目の前には制服の上に白衣を着て三角巾を被った女子高生が40人座ってニコニコいていた。そして一斉に
「宜しくお願い致します!」
 と元気な声を張り上げた。サブは、目の前の光景を見渡すと
「これだけ揃うと荘厳だな」と心で思うのだった。

 相田先生が授業を進めて行く。まず初めに日本料理の刺し身に使う妻をサブが作る事になった。サブは大根を包丁の長さに切り落とすと立てた大根に包丁を当ててかつらむきを始めた。
「このかつらむきは均一の薄さに剥かなければなりません。後で剥いたものをまな板の上に乗せてみます。昔はそれでまな板の木目が均一に綺麗に見えなければ失格でした。今のまな板はプラスチックに変わっていますが、今日は特別に私が檜のまな板を持ってきました」
 サブはそう言うと剥いた大根のかつらむきを檜のまな板の上に敷く様に引いて、生徒達に見せた。
「凄~い! 木目が透けて見える!」
 すかさず相田先生が
「良く見て下さい。木目の全てが透き通って見えているでしょう。白くなって見えてない場所がありませんね。これが一流の仕事です」
 サブはそれは別に一流とかではなく、それが当たり前だと思ったが言わないでおいた。

 次にやったのが、鯵の三枚おろしだった。これも何の問題も無く終わった。最後は厚焼き玉子だ。
 サブは相田先生に分量の目安を黒板に書いて貰う。
 卵 8個 出汁(だし汁180cc、白ザラメ20g、上白糖40g、味醂15cc、醤油15cc、酒5cc、塩少々)
「まず、小鍋に出汁を入れるのですが、本当は昆布とかつお節で出汁を採って欲しいのですが、家庭等では出汁パックやインスタントの出汁でも構いません。その中に砂糖、味醂、酒、塩、醤油を入れてひと煮立ちさせます。これを冷まして、割った卵と混ぜてかき回します」
 サブは言いながら作業をする。左手にボールを持ってやや傾けて右手に持った菜箸で軽くかき混ぜて行く。
「あまりかき混ぜてしまうと腰が無くなりますからほどほどで良いです」
 そう言って、今度は熱した卵焼き鍋に油を敷いてからお玉に卵液を入れて流し込む。
「鍋が温まって、箸先で卵液を落としたとき“ジュ”っと音がして、一瞬で液が固まるまで絶対に卵は入れませんよ
 流した卵液がプクプク膨らんできたら、箸先でつつき、均一に火が通るようにします。白身が半熟に固まりかけたら、奥から手前に箸でつかみながら巻いていきます」
 言葉で言った通りに実際にやって見せるが、最後の部分は生徒には手首を返して卵の生地を折りたたむ感じに見える。
「本当はこの時は箸で摘むのでは無く、箸は添えるだけで、手首で返せる様になるまで練習してください」
 実際に見ていると鮮やかに舞う様な感じに見えるのだ。
「次に卵を奥に再び滑らせて移し、手前にさっと油を引きなおします。そして同じ様に卵液を流し込みますが、この時箸で前の生地を若干持ち上げて卵液を生地の下に流し込みます。そして同じ事を繰り返します。この時、半熟ぐらいで折りたたんだ方が焼き上がりが良くなります」
何回か繰り返して美味しそうな玉子焼きが出来上がった。

 サブはそれを何本か焼いて、生徒に試食して貰った。
「美味しい~!」 黄色い歓声が教室にこだました。これでサブの仕事は終了だ。サブはやれやれと思い授業が終わった後で片付けていた。その時に先程の生徒の一人が戻って来たのだ。
「なんだろう? 何かあったのかな?」
 サブはそのくらいしか思っていなかった。その生徒はサブの目の前まで来ると
「斉藤先生! 先程の厚焼き玉子ですが、あのレシピは先生のオリジナルですか、それとも誰かに教わったのですか?」
 意外な質問だった。今までで、レシピを教えてくれ、と言う注文はあったが、こんな質問は初めてだった。
「どういう事かな? 良かったら訳を教えてくれないかな?」
 サブは優しく言うとその生徒は
「実は、先ほど食べた厚焼き玉子は私の亡くなった母の味とそっくりだったものですから。勿論今日の方が見かけは綺麗なのですが、何となく味が同じに感じたのです」
 その生徒の言葉にサブは「この娘は抜群の味覚を持っているのだな」と思いながらも
「たまたま同じように感じただけでは無いかな」
 そう言ったのだ。ほとんどの場合はそうだからだ。基本的には卵と出汁と砂糖で作られる料理だから、同じ味に近くなる。むしろ焼き方や卵のかき混ぜ方で食感が変わる事が多かったからだ。だが、その生徒は
「違うんです! 母が作ってくれた玉子焼きも実はある板前さんから教わったのです。私、今日は厚焼き玉子を作って貰えると言うので、比べようと思い母がノートに書いて貰ったと言うレシピをノートごと持ってきたのです」
 生徒はそう言って持って来ていたバインダーから古ぼけて色が変わった一冊のB5のノートを出した。そして、それをめくって行く「ここです!」
 生徒が開いたページには、先ほど相田先生に言って書いて貰ったレシピと同じ分量が書かれてあった。
「こ、この字は……」
 サブにとってその癖のある字は懐かしいものだった。
「お母さんはどうしてこれを……」
「はい、亡くなる前に訊いたのですが、ある方の法事に呼ばれて、そこで食べた玉子焼きがとても美味しかったので、板前さんに書いて貰ったそうです。その板前さんはノートごとくれたそうです。「他にも色々と落書きしてあるけど」って……
 そう云われてサブはそれよりも前のページを見ると、その他にも色々な料理のレシピが書かれてあった。それらはサブにとっても馴染み深い料理ばかりだった。
 「これは、私の師匠が書いたものに間違いありません。恐らく私が弟子入りする前の事なのだと思います……」
 それを訊き生徒はほっとした様に
「それを訊いて安心しました……わたし、間違ってしまったかと思ったのですが、こんな不思議な事ってあるのですね……」
「あなたは、この他の料理は食べた事がありますか?」
 サブの問に生徒は恥ずかしげに
「母も幾つかは作ってくれましたが、本当の味かどうか判りません。私も少しずつ作っている処です」
「そうですか……良かったら今度いらっしゃい。本物を作ってあげるから……」
 そう言ってサブは自分の名刺を渡した。
「ありがとうございます。調理師の免許を取ったら必ず報告に伺います!」
「待ってるよ」
 サブはそう言うのだった。
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