テケツのジョニー

テケツのジョニー 6

 オイラは場末の寄席のテケツに住むジョニーと言うサバトラの猫さ。オイラの飼い主は寄席で切符を売っている姉さんなんだ。オイラにはとても優しくてオイラも大好きなんだ。

 暑かった夏も過ぎ去り秋本番となった。噺家協会や、噺家芸術協会では通常春と秋に真打昇進披露興行が行われる。春に噺家協会が行えば、秋には噺家芸術協会が行うと言う住み分けが出来ている。
 オイラの居るこの場末の寄席は、両方の協会が十日交代で興行を行っている。だから色々な噺家がやって来るのだ。
「ああ、今日から噺家協会の真打披露なのに、よりによってアイツが顔付けされているんだ」
 親爺さんが顔付けの噺家の名前が書かれた木の札を表の看板に嵌めて行きながら呟いていた。
「え、だあれ?」
 姉さんがテケツから出て来て尋ねている。親爺さんは
「ほら登柳だよ」
 姉さんもその名前を聞いて
「ああ、でも何でわざわざ顔付けしたのよ」
「いや、俺からじゃなくて、頼まれたんだよ。あいつの師匠の柳生師匠からさ」
 ここまで聞いてさすがの俺も事情が判って来た。登柳は香盤順ならこの昇進で真打になれたはずだったのだ。何でも師匠が昇進に反対したらしい。理由はよくわかっていない。この世界は師匠の言う事が絶対だ。言いつけに背く事は破門を意味し、落語の世界からの永久追放となる。のんびりとした猫の世界とは大違いだぜ。
「でも、昼の部じゃないんでしょう?」
 姉さんの質問に親爺さんはため息をつきながら
「でも、夜の部のさら口だ」
 親爺さんの言った「さら口」とは、昼の部が終わり十分ほどの休憩の後、夜の部の前座が上がる。この時はお客が入れ替えの時間だ。それが大体十分ほど、そして正式に夜の部が始まるのだが、その一番最初の出番が「さら口」なのだ。多分登柳が楽屋入りした時刻には昼の真打披露のトリの新真打や関係者が居る時間だ。恐らく、高座に上がる寸前だろうと、俺でも判る。つまり、師匠の柳生師は弟子の登柳にとって辛い経験をさせようとしていると言う事なのだ。
 同期で前座修業をして同時に二つ目になって、同時に真打になれると思っていた矢先に自分だけ真打になれないと知らされた時、登柳はどんな思いをしたのだろうか? 姉さんは恐らくそんな事を思っているに違いなかった。

 真打披露興行の時は普段特別な飾り付けをしない寄席でも、花や色々な贈り物を飾って華やかな感じになる。今日も、昨夜からの飾り付けで、この場末の寄席も華やいだ感じになった。
 今回昇進するのは三人で、それぞれが交代でトリを務める。正直言うと、朝から晩まで姉さんの膝の上や二階の隅っこで落語を聴いているオイラからすれば、今回の三人はそれほどでもない。今の時点では、修行の年月が来たから自動で昇進させて貰える程度の実力しかない。むしろ登柳の方が将来性を感じるとオイラは思っている。それなのに今回は昇進させなかったのにはきっと訳があると思っているんだ。
 初日と言う事もあり昼の部は本当に良くお客が入った。オイラも姉さんの膝の上ではなく楽屋の隅で寝ることにした。忙しい姉さんの邪魔をしたくないからだ。そんな中でも番組は進み、トリが近づいて来た。そんな時刻に登柳が楽屋入りして来た。入るなり
「喜多七師匠、本日はおめでとうございます!」
 そう言って挨拶をした。昨日までは「お前」「俺」で呼び合っていた仲だ。でも今日からは真打と二つ目と言う身分差が存在するのだ。
「ありがとう! でも、喜多七師匠はよしてくれよ」
 そんな事も言っているがどこまで本気なのかは判らない。真打は披露興行中はその日の出演者の弁当を用意したり楽屋で摘める寿司を頼んだりもする。終われば打ち上げがある。その費用も一切が真打持ちなのだ。楽では無いと思う。キャットフードで満足するオイラとは大違いだぜ。
 そんなやり取りをしているうちにトリの真打の出囃子が鳴り出した。その出囃子に乗って喜多七が出て行く。
「まってました!」
 とか
「たっぷり」
 と声が掛かる。アイツも自分の後援会を総動員しているのだろう。必死なのだ。無様な高座は見せられないと、いうことだ。その様子を登柳が高座の袖から見つめている。どんな思いなのだろうかと考えるが、オイラには良くわからない。それは登柳しか判らない事なのだ。
 夜の部になり昼の客の殆どが出て行ってしまって、空きが目立つ客席を前にして登柳が高座に出ていた。オイラは高座の袖からそれを見ている。いい出来だと思った。昼のトリの真打よりよほど良い出来だった。その高座を見てオイラは
「こいつは将来は大物になるかも知れない」
 そんな事を思った。今は真打と二つ目となってしまったが、実力はむしろ上だと思った。
ガラガラの客席でこの高座に出会えた客は幸せだと思った。この高座に登柳の思いの丈が込められているのだと感じた。
 高座を終えたら、売れっ子の噺家は着替えて直ぐに次の仕事先に向かう。でも登柳は着替えてもそのまま楽屋に居た。その訳が直ぐに判った、登柳の師匠の柳生師が出番が変わって今日はこの寄席に出る事になったからだ。代演と言う事さ。だから登柳は師匠を待っているのだった。
 やがて柳生師が楽屋入りした。登柳は師匠の世話をしながらも何故か嬉しそうだ。そのあたりの感覚はオイラには良くわからない。
 柳生師は高座が終わると登柳に「帰っても良いよ」と言って自分は親爺さんの部屋に向かった。オイラは天井裏からその様子を覗く事にした。いったい柳生師が親爺さんに何を言うのか興味があったからだ。
 親爺さんは柳生師にお茶を入れると
「登柳は良い出来だったよ。さぞ辛かったと思うけどね」
 そう言って登柳の事を口にした。柳生師は親爺さんが入れてくれたお茶を一口飲むと
「真打昇進は言わば、自分の元から離れて独り立ちする事です。これからは全ての責任を一人で背負って行かなくてはならない。だから店で言うと『新規開店』じゃ無いですか。売り物は多い方が良い。だから私は登柳の昇進を一年遅くしたのです。今の一年はきっとアイツにとって無駄にはならない。そう考えています」
 そう言って二口目を啜った。
「そう言えば、師匠が昇進する時も、色々あったねえ」
 親爺さんはそう言って遠い目をした。
「昔の話です」
「あの時は協会全体が揺れたなぁ」
「あの時、お席亭が私の後ろ盾になってくれたお陰で確かリました」
「なに、当然の事をしただけさ」
 オイラには二人の会話の意味が良く理解出来なかった。でも後で姉さんが教えてくれた。と言うより姉さんと親爺さんの会話を聞いて判ったのだが、その昔、噺家協会では真打昇進の際に「真打昇進試験」と言うものをやっていたらしい。その試験は色々と問題があったのだが、何回目かの試験の時に柳生師が受けて、何と落ちてしまったそうなのだ。その当時二つ目で一番と言われていて、試験に落ちる事なぞ思ってもいなかった事だったそうだ。落ちた理由は、柳生師の師匠と仲が悪い噺家が審査員に揃っていて、嫌がらせをしたのだと言う。この事は噺家協会は元より、マスコミも騒がせ、問題になったそうだ。その結果「真打昇進試験」は無くなり、柳生師は昇進出来る事になったのだが、師は昇進を一年送らせて欲しいと言ったのだった。遅れたその一年、必死に稽古して、晴れて昇進した高座では圧倒的な出来に皆が驚いたそうだ。
 きっと柳生師は自分の経験から、昇進する時は充分に準備が出来てからでも遅くないと言う事を教えたかっただと思った。
「アイツは出来る奴です。名前を見て下さい」
 親爺さんはそれを聴いて
「登る柳だからな。師匠をやがて超えるかもね」
「そうあって欲しいし、そうなるはずです」
 柳生師はそう言って嬉しそうな顔をした。

テケツのジョニー 4

 オイラは場末の寄席のテケツに住む、ジョニーと言うサバトラの雄猫なんだ。寄席で起きる事をこれから話して行くぜ。え、猫が話せるかって? そこは小説の世界じゃないか、堅い事は言うなよな。

 オイラはテケツの姉さんに飼われているのだけど、寄席に来る人間の中にはオイラを可愛がってくれる人も居る。その中の一人に柳亭金魚と言う前座が居る。こいつは女流の噺家なのだが未だ入門してそれほど経っていない。所謂前座という訳だ。オイラに、たまにだがオヤツを買って来てくれてるので、一応贔屓にしてやってるのさ。
 ある日のことだった、金魚が寄席にやって来た。金魚が寄席に来るのは珍しい事ではない。前座の仕事があれば十日間通わなくてはならない。昼席だったら午前十時あたりに入って、トリが終わるのが午後四時半前後だから、掃除等をして夜席の前座に引き継ぐ五時あたりまでは仕事をする。
 一応前座には手当が出るのだが、昼席や夜席を一日勤めたとして千円しか貰えない。昼と夜両方勤めれば二千円になるが、十二時間以上働いて二千円は安すぎる。それが寄席の仕来たりならばオイラが口を出す所では無い。
 その代わり、前座は何かあると師匠や先輩から小遣いを貰える。トリを取る師匠からも少ないが毎日貰えるし、正月などは大勢の師匠からお年玉を貰えるのだ。その他に大きな落語会や師匠や先輩が主催する独演会や落語会等で前座の仕事を頼まれるとそれは別に手当を貰える。この場合は千円では無いらしい。一応かなりの額をくれるそうだ。そんなこんなで前座はやりくりしている。
 それに師匠の家に行けば、ご飯は食べさせて貰えるのが落語界に決まりでもある。だから前座は寄席に行く前に師匠の家に行き、掃除や雑用をして師匠の家族と一緒に朝御飯を食べるのだ。この点で、弟子は師匠よりも師匠の女将さんに気に入られないとならないと言われている。そうだよな、中には師匠より女将さんとの付き合う時間が長い場合があるのだからさ。
 そんな少ない収入の中からオイラにオヤツを買って来てくれるのは金魚だけなんだ。金魚は今日は前座では入っていない。時間的にも中途半端だし、こんな時間に来るのは珍しいと思った。
 金魚はオイラの姿を認めると抱きかかえて
「ジョニー。今日から小金ん師匠に噺を教わるの。旨く覚えられるか傍で見ていてくれる?」
 そんな事を言う。小金ん師匠というのは柳家小金んと言って古典落語の名手だ。金魚とは噺家のおじ姪の関係になる。金魚の師匠が小金ん師匠の弟弟子だからだ。
『何の噺の稽古だろう』
 そんな事を思ったら、金魚はオイラの考えが判ったのか
「あのね。私の名前が金魚だから『金魚の芸者』を覚えて将来のウリにしなさいって言ってくれたんだ。あの噺って今まで誰にも教えなかったのに……。だから私、嬉しくって」
 そうか、「金魚の芸者」というのはオイラも聴いた事はある。要するに金魚の恩返しの噺で、助けて貰った金魚が飼い主に恩返しで芸者になるという噺で、何とも不思議な噺だったのを覚えている。
 オイラからしたら金魚なんぞ、さっさと食べてしまえば良いと思うのだがな……他の猫から聴いた限りでは、どうやら金魚は余り美味しくないらしい。
 金魚はオイラを床に放すと鞄から何やら取り出した。どうやらオイラの好きなオヤツらしい。
「ジョニー。これは傍で聴いていてくれるお礼代わりよ」
 金魚は、オイラのオヤツ用の小皿にペースト状のものを流し入れてくれた。肌色のそれは怪しくオイラには映る。これは「チュールー」と言ってペースト状の猫のオヤツなんだ。抜群の旨さで、オイラはこれが大好きなんだ。
「さ、食べて!」
 出された小皿をオイラは遠慮なく食べる。旨い! 本当に旨い。世の中にこんなに旨いものがあるなんて、向かいのパチンコ屋の猫のサガシやこの辺りを縄張りにしている野良のパピヨンには判るまい。極楽極楽!
「じゃぁお願いね!」
 金魚はそう言うと稽古部屋に上がって行った。姉さんが来て
「ジョニー美味しいもの貰って良かったね。ちゃんと仕事するのよ」
 そんな事を言って背中を撫でてくれる。背中は尻尾の付け根あたりを撫でられると堪らなく気持ち良いのさ。姉さんはその辺りも良く判っているな。
 やがて小金ん師匠がやって来た。今席は昼席の中入りとなっている。中入りはトリの次に重要な出番で、これも大事な役となんだ。
「おはようございます! お疲れさまです!」
 寄席の従業員や帰ろうとしていた噺家や芸人が一斉に声を揃えて挨拶をする。それを見ただけでも小金ん師匠の人望や地位が判ろうと言うものだ。
 勿論、着物に着替えていた金魚も出て来て挨拶をする。そんな金魚を見た小金ん師匠は
「出番が終わったら、稽古部屋に行くから待っていなさい」
 そう言って楽屋に消えて行った。
 金魚はオイラを抱きかかえると二階の稽古部屋に向かった。階段を登りながら
「小金ん師匠は普段は優しいのだけど、稽古の時は本当に厳しいんだよ」
 以前、金魚から聞いた話では、金魚の最初の稽古は小金ん師匠がつけたそうだ。何でも金魚の師匠は自分の変な癖が移ってはいけないと言う事で、最初の稽古は兄弟子の小金ん師匠に頼んだそうだ。だから金魚は小金ん師匠の厳しさも良く判っているのさ。

 小金ん師匠の噺が終わり前座の「お中入り~」という声が太鼓の音と共に寄席全体に響き渡る。緞帳が降りて休憩になる。この時間は寄席によって若干違っていて十分が普通だがウチは十五分となっている。十分ではこの時間にお弁当を食べる人でも時間が足りないのと、休憩時間が増えれば売店の品物もそれだけ売れるというものらしい。
 稽古部屋で金魚の膝に抱かれながらも、聞こえて来る声で寄席の様子は判るのさ。
 すると着物姿のままの小金ん師匠が稽古部屋に入って来た。本当はお互いに着物姿でなくても良いそうだが、小金ん師匠は拘るみたいだ。確かに着物に着替えれば噺家も気合が入るというものなのだろう。
「よろしくお願い致します」
 金魚は畳に手をついて頭を下げた。
「じゃ始めようか」
 小金ん師匠の声に金魚はバックから小型のラジカセを取り出した。師匠にもよるが、小金ん師匠は録音を許可しているみたいだ。中には許さない師匠もいる。
 金魚が録音の赤いボタンを押すのを確認して小金ん師匠は語りだした。今日は最初だから金魚が話すことは無い。
 噺が進む……。やがてサゲになった。
「声が(鯉が)いいねえ~」
「元が金魚ですから」
「お粗末さまでした」
 サゲを言って噺が終わった。
 金魚が頭を下げる。その後、この噺の注意点が小金ん師匠によって金魚に語られた。その内容は企業秘密になるので詳しくは書けないが、オイラにとっても面白い内容だった。
「兎に角、あたしとしては、折角、師匠が金魚という名前をつけたのだから、この噺を受け継いで欲しくてね」
「ありがとうございます! 必ずものに致します」
「うん、ちゃんと録れているね。稽古するんだよ」
「はい! ありがとうございました!」
 その後、小金ん師匠は楽屋で着替えて出口に向かった。そこまで見送る金魚。寄席ではもうすぐトリの師匠が上がろうとしていた。
 夏の夕日がやけに眩しく感じた日だった。

テケツのジョニー 3

 オイラは場末の寄席のテケツに住むジョニーと言うサバトラの雄猫さ。オイラの飼い主はこのテケツの主の姉さんさ。姉さんはオイラにとても優しいのさ。え、美人かって? そんな人間の価値観にはオイラは興味が無いが、姉さんからは何時も得も言われぬ良い匂いがするんだ。オイラはこの匂いを嗅ぐと不思議と気持ちが優しくなるのさ。姉さんの膝の上がオイラにとっては極楽なのさ。
 寄席には色々な部屋があるんだ。オイラは子供の頃からこの縄張りである寄席を探検して知り尽くしている。主な部屋には、まず客席だな。寄席の席亭の親爺さんによると二百五十人ぐらいは入るらしい。それと高座だな。ここは芸人が出て芸を披露する場所さ。彼らにとっては神聖な場所らしい。それと続いているのが楽屋と三味線や太鼓を鳴らす人が詰めている部屋がある。ここには三味線の師匠や前座が詰めていてそれぞれに合ったお囃子を鳴らすのさ。
 寄席の楽屋だが、他の寄席に出た経験のある芸人や噺家によると、どこもそれほど大きくは無いらしい。それは寄席の出番は長くても三十分ほど。大抵は二十分も無い。だから自分の出番が終わると、芸人や噺家はさっさと帰ってしまう。何時までも楽屋に残る事は殆ど無いのさ。だから劇場みたいに大きくは必要無いのさ。でもここは余所よりも大きいらしい。それはここがその昔は大衆演劇の劇場だったからなんだ。オイラは知らないけど、何でも先代の席亭が当時の噺家協会の会長に頼まれて寄席に変えたそうなんだ。その事があったから、噺家協会はこの寄席には結構評判の良い噺家を回してくれるそうだ。これは親爺さんが言っていた事さ。
 その楽屋とは別に稽古をする部屋があるんだ。これは、ある寄席と無い寄席があるそうだが、ここは件の事情から楽屋の部屋数が多かったので、その一つを稽古部屋にしている。 これは何なのだと言うと、前座や二つ目の噺家が噺の稽古を受ける時には基本はその教わる師匠の家に行き、掃除をしたりしてから稽古をつけて貰うのが筋だそうだが、最近はマンション暮らしの噺家も多いし、皆、家が狭いので稽古を付ける場所も無いそうだ。だった考えてもごらんよ。部屋だけあっても駄目で、静かでなければならない。稽古を付けている隣で洗濯機が回っていたり、掃除機の音がしたら稽古にならないだろう?
 だから静かな空間が必要なのさ。その点、寄席の稽古部屋は打ってつけなのさ。静かで誰の邪魔もされないからな。

 今日も稽古部屋では前座の柳亭金魚が稽古を付けて貰っている。教えているのは浮世亭伸楽師匠で、古典落語を演じてる噺家では中堅どころさ。オイラはそっと天井裏から覗く事にした。金魚はドジな奴で年中兄さんの先輩や師匠から小言を貰っている。素の奴は良い奴なのさ。オイラにも気を使ってくれるしな。たまにだが、少ない小遣いを叩いて猫用のオヤツを買ってくれる。だからオイラとしても気になるのさ。伸楽師匠の稽古は噂では結構厳しいらしいからさ。
 姉さんの膝を降りて二階に登る階段に向かう。稽古部屋は二階にあるんだ。
「あらジョニーどうしたの? 稽古部屋に行くの? 邪魔しては駄目よ」
 姉さん。オイラだって寄席の猫さ。そんな野暮な事はしねえから安心してくれ。
 オイラはそう言って(姉さんに通じたかは別だが)階段を登り始める。二階のトイレの流しの上が天井板が剥がれていて、そこから天井裏に登れるのさ。天井裏に登れる場所は他にもあるのだが、それはオイラだけの秘密さ。なんせ秋になると鼠が進入してくるから、そいつらを追い出す必要があるのさ。これでもオイラは猫だからさ、人間からはそんな期待も掛けられているのさ。
 天井裏を進むと僅かに明かりが漏れている所がある。そこが稽古部屋さ。その上にそっと近き覗いて見る。
 すると、伸楽師匠が座布団に座って、その前に金魚が畳に正座している。どうやら今日は三回稽古の三回目で、金魚が伸楽師匠の前で教わった噺を出来るか試されているみたいだった。これは見ている方も緊張しますよ。
「『旦那さん、お使いに行って来ましたよ。あれ……誰も居ないなぁ。どうしたのかしら? ああ、味噌豆、美味しそうに煮えてるじゃないか、そうだ、誰も居ないなら少し食べても判らないだろう』定吉はそばにあった小皿に煮えた豆をよそると、小皿を持って何処で食べようか探し始めました。何処にも見つからなかったのですが、『ああ、あそこにしよう』そう言って憚りの扉を開けるとそこには旦那が! 『定吉どうした?』思わず『旦那、お代わりを持って来ました』」
 どうやら「味噌豆」という前座噺だ。金魚は台詞はちゃんと言えたが仕草が駄目らしい。伸楽師匠に
「そんな食べ方じゃ、豆が美味しそうに見えないだろう。自分で鏡で見てごらん。お客が見て食べたくなるような仕草をしなくては駄目だ」
 確かに、それは言えるとオイラも思った。猫のオイラにも美味しそうに見えれば合格なんだろうな。未だ先は長いな。頑張れ金魚!
 あ、言っておくが金魚は女の子だからな。間違えるなよ。 何でも、昨年高校を卒業して入門したそうだ。色々なセクハラに耐えて頑張ってるのさ。応援したくなるだろう?
 じゃまたな!
 

テケツのジョニー 2

 オイラは場末の寄席に住む猫さ、人はオイラの事を「ジョニー」と呼んでいる。どうやらそれがオイラの名前らしい。社長で席亭の親爺さんは「縁起が良い」とオイラを認めてくれた。そうさオイラはこの寄席の生きる招き猫なのさ。
 ある日の事だった。寄席が終わって従業員で掃除をしていると、奇術の珠菜がやって来て、オイラの飼い主の姉さんに何やら話し掛けた。どうやら何か相談があるらしい。姉さんは自分の住処であるテケツの部屋のドアを開き
「掃除が終われば皆帰るからここで待っていて。もうすく終わるからね」
 そう言って珠菜を部屋に案内した。珠菜は
「すいません。こんな時間に来てしまって……」
 そう言って恐縮していたが姉さんは
「いいのよ。寄席が終わってからじゃないと、ゆっくりも出来ないから」
 気にも止めていない感じだった。そう姉さんは優しいのいさ。
 掃除が終わると従業員のほとんどは帰ってしまう。姉さんは切符の売り上げを若旦那に預けるとテケツに居る珠菜を呼んだ。
 実はこの寄席のテケツには続き部屋があって、そこで姉さんは休憩を取ったりしている。四畳半ほどしかない狭い部屋だがここはこの寄席でも姉さんだけの空間だ。オイラもここで寝泊まりしている。尤も、昼間のほとんどは姉さんの膝で寝ているのだけどな。その四畳半の部屋に珠菜を座らせると
「わざわざ来たと言う事は何か悩み事があるのじゃない?」
 姉さんはそんな事を言って珠菜が言いやすい様に誘い水を向けた。
「実は、相談に乗って欲しくてここに来ちゃいました」
 やはり珠菜は何か悩みがあったのだ。下を向いていたが、やがて意を決意してように話し出した。
「実は、最近テレビに出ているのですが、最初は出られると言う事だけで満足していました。バラエティーですが周りは売れっ子ばかりで、そんな中に自分が居ると言う事が嬉しくて舞い上がっていました」
 珠菜のテレビはオイラも少し見た事がある。あまり感心は無いのだが、それでも知り合いが出ているので感心があったのだ。
「そうねえ。売れっ子になって行く珠菜ちゃんを見て私も嬉しかった」
「はい、この寄席に見に来て、奇術の世界に入りたくてたまらなかった所を姉さんに師匠を紹介して戴いて本当に感謝しています」
 この事はオイラも初めて知った。そうか、姉さんが紹介して珠菜はこの世界に入ったのか。だから色々な事があると相談に来るのかと思った。
「でも、色々な番組に出て判ったのですが、自分は奇術師として呼ばれている訳では無く、一人の女性タレントとして呼ばれているのだと思いました。ミニスカートを履かされ、体の線が露わになる服を着させられ、壁際に並んで座らさせる事が殆どで、要するに色気を売るなら誰でも良かったのだと思いました。そう考えると何か空しくなって……」
 まあテレビなんぞは要するにタレントは使い捨てなんだろうな。オイラにはどうでも良い事だがな。
「珠菜ちゃん。テレビで色気を売るのは嫌? 最初は誰でもそうじゃ無いかしら。今は世界的に有名なあのマジシャンも最初は際どい衣装を着て舞台を努めていたわ。私は子供だったけど、それでも覚えているわ。今なら信じられないでしょうけど、最初はキワモノ扱いだったのよ。テレビ番組で司会から振られる事は無いの?」
「たまにありますけど、殆どは関係の無い事ばかりです」
「そうのうち、きっと『珠菜ちゃんは本業はマジシャンなんだって』って訊かれる事があると思う。その時に簡単に出来る手品を見せれば良い機会になると思う。それまでは耐えて行かないと」
 確かにテレビと言うオイラにはどうでも良い世界だが人間には大変な所に出ているのなら、それはそれで凄い事なのかも知れない。今は不本意でもやがてそれを逆転するチャンスも来る様な気がするのはオイラだけでは無いだろう。要はそのチャンスを逃がさない様にするのだ大事だと思う。ウチの寄席には滅多に来ない売れっ子噺家が高座で『幸せの神様は前にしか髪の毛が無いから逃がすと捕まえられない』なんて言って笑いを取っていたが、それは本当なのだろう。
「言われて始めて判りましたが、私、焦っていました。どうかしてました。テレビ番組に出ていると色々な人が声をかけて来ます。少しチヤホヤされていたのに気が付きました。自分が何者か、自分の本業が何か忘れそうでした。常に自分が何者かを理解していればチャンスは巡って来るのですね。ありがとうございました。すっきりして迷いが取れました」
 珠菜はすっきりした表情で部屋を出るとオイラの方を向いて
「ジョニー。今の事は内緒だからね」
 そう言ってオイラの頭を撫でて帰って行った。姉さんはオイラを膝に乗せて背中を撫でながら
「才能のある子に限って迷いとか焦りが出ちゃうのよね。でも、それを耐えれる者だけが、階段を登る事が出来るのよね」
 姉さんの言う事はオイラには未だ難しいが何となく判る気がした。
「そうだ、ジョニー今日はいい子だったから、おやつをあげようね」
 姉さんはそう言ってオイラの大好きな猫のおやつをくれた。オイラの幸せな瞬間さ。
 その後、珠菜は関西弁を話す大物司会者から番組で声を掛けられ、その時に手のひらで花を咲かせて見せて司会者から誉められ、それが契機になり奇術師として売れ初めたのだった。今や次世代を担う一人となっている。
タグクラウド
ギャラリー
  • 夜の調理室 1 入学
  • 蛍が舞う
  • 氷の音
  • カラスよお前は……
  • テケツのjジョニー 1
  • 浮世絵美人よ永遠に 第二十一話  未来へ (終)
  • 浮世絵美人よ永遠に 第二十話  吉原格子之先図
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十九話  広重の得たもの
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十八話  広重、江戸の空を舞う