この世界の一人として君を愛す

この世界の一人として君を愛す! 11 完

  決心はついた。陽子に確かめなければならないことがある。しかし、簡単に訊ける内容では無い。訊き方や話し方によっては陽子の気持ちを傷つけてしまう恐れもあった。順調過ぎるほど順調にここまで来たのだ。なるべくならこのままの関係を維持したかった。前の俺なら出たとこ勝負で簡単に訊いてしまっただろう。でも中身オヤジの俺は色々な事を考える。陽子を傷つけてしまった時の事や、陽子の想いと俺の想いがずれていた時の事を考えてしまう。若さとは、勢いなのだろうか? それとも向こう見ずと言う事なのだろうか……自分の中で中々決心が付かなかった。
 鬱々とした日々を過ごしていた。勿論表面上はそんな素振りは見せない。この辺はオヤジそのものだ。陽子は二人だけになると俺に甘える様になって来た。そう言えば前の時も結婚したばかりの時はこんな感じだったと思い出した。だから、俺の考えはやはり当たっているのでは無いかと、段々思い始めていた。
 そんな時。転機と言うかチャンスが訪れた。両親が町会の旅行で家を空けると言うのである。しかも妹はその時は中学の林間学校で家には居ないと言う。まあ、妹が家に居ないので両親が旅行に出掛ける事にしたのだが……。
「留守番頼むわね」
 その日、母親はそんな言葉を残して父親と町会が用意した大型バスに乗り込んで行った。
 土曜日の朝は夏を思わせるように太陽が輝いていて、五月晴れだった。
『今日しかない』
 そう決断出来た。誰にも聞かれずに二人だけの空間と時間が作れる。その日の登校の時に陽子に
「今日は誰も家に居ないから、ウチに来ないか。勉強しても良いしさ。LP買ったからそれを聴かないか?」
「誰の買ったの?」
「陽子の好きな『かぐや姫』さ」
「ああ、聴きたかったの! 嬉しい!」
 話は簡単について、帰りに陽子の家まで送って行って、陽子が着替えたらそのまま乗せて俺の家まで行く事になった。
 決まったので、どんな言葉で陽子に尋ねようか授業も全く耳に入らず考えていた。オヤジだから色々な文言が浮かぶが、どれが良いか決められない。窓際の陽子を見ると目が合って、陽子が嬉しそうに微笑んだ。堪らなく可愛い。あんな天使みたいな陽子を悲しませずに訊き出さないとならないと考えた。
 授業が終わり陽子を後に乗せて一路陽子の家を目指す。お昼は母親が何か作っておいてくれたのでそれで済ますつもりだった。
「ねえ憲くん」
 背中で陽子が話しかける。この頃は既に陽子は俺の事を「憲司くん」から「憲くん」と呼ぶようになっていた。前の時もそう呼んでいたと記憶している。実はこの所陽子にどう訊きだすかを考えているせいか、前の幸せだった時の記憶が薄れている。まさか、もう死神が約束を実行しているのでは無いかと不安になる。尤も記憶を死神に取られたなら陽子の事も何もかも判らなくなってしまうのだろうが……。
「何だい?」
「あのね。わたし、もしかして一番幸せかも知れない」
「え、どうして?」
「だって、好きな人が漕ぐ自転車に乗せて貰って、一緒に移動しているのよ。まるで人生を一緒に生きてる感じがするじゃない。これって素晴らしい事じゃないかと思うの」
 それは俺も背中で陽子を感じながら思っていた事だった。実際、前の時は結婚して陽子が亡くなるまで一緒に暮らしたのだ。
「本当に一緒に生きても良いとは思わないかい」
 冗談めかしてはいたが、俺の本心だったし、もう一度こうしてやり直しているのは陽子を心の底から愛し、幸せにしたかったからだ。
「そうなればいいな……わたしもそう思っているの」
 陽子は何気なく言ったかも知れないが以前の陽子は結婚に関しては大学に進んでから言うようになったと記憶している。高校のしかも一年生の時はそんな事は全く口にしてなかったはずだ……薄れがちな記憶をたぐり寄せても、それだけは思い出せた。間違いない……決心はついた。

 家に着くと、まずお昼ご飯を食べる事にした。既に昼の一時を過ぎている。お腹はかなり空いていた。母親はカレーを用意してくれていた。カレーの鍋を温める。俺がやろうとしたら陽子がやってくれた。
「この次は、わたしが何か作ってあげるわね。これでも料理は得意なのよ」
 それは俺が一番よく知っている。その恩恵を陽子が病で入院するまで受けたからだ。
「美味しい! お母さん料理上手なのね」
 確かに美味しかったが、陽子はカレーを温める時に冷蔵庫を見て牛乳を取り出して、使っても良いか尋ねたのだ。俺は何をするのか判らなかったが許可を出す。すると陽子はカレーに牛乳を加えて温めたのだ。だから風味が増してより美味しくなったのだった。これも以前陽子が良くやっていた事だった。
 食べ終わって、コーヒーを入れることにする。もう夏なのでアイスコーヒーなのだが、前の時はスーパーに行けば無糖のアイスコーヒーが簡単に買えたが昭和のこの頃はそんなものは滅多に手に入らなかった。たまに見かけても砂糖がたっぷりと入っていたり、コーヒー牛乳もどきのものが大半だった。自然と俺は豆を買って来てこの頃やっと浸透し出した。ペーパーフィルター方式で自分で煎れてていた。
 沸騰した薬缶のお湯を少しずつ粉になったコーヒーに浸透させて行く。そんな様子を陽子は身ながら
「憲くんのコーヒー美味しいものね。ああ良い香り」
 何気なく言ったのだが、この言葉が良い切っ掛けとなった。
「ねえ、正直に答えてくれると約束してくれるかな」
 いきなりの俺の言葉に陽子はちょっと驚いて
「え、なぁに。正直って……わたし憲くんに何時も正直に接しているわよ」
「うん。それは判っている。だけど、これから俺が尋ねる事は大事なことなんだ」
 散々考えた文言とは全く関係の無い言葉が口をついて出る。
「大事な事?」
「ああ……実は俺は未来から来たんだ」
「未来?」
 陽子に説明をするのには簡単に理解しやすい方が良かろうと思った。
「俺たちは将来結婚して夫婦になる。それは幸せな人生だった。でも君は数十年後進行性のガンで亡くなる。その当時でも直す手立てが無かったんだ。俺はそれを運命だと思い受け入れた。そして君が少しでも穏やかに過ごせるようにしたんだ。でも亡くなった後に君が書いた日記を見つけた。読んではならないと思いながらも少しでも君の思い出に触れたくてそれを読んでしまった。そこには君の想いが溢れていた。涙が止まらなかった。そして、出来るならもう一度やり直して今度こそ君を幸せにしようと思ったんだ。そうしたら人の寿命を司る神と言うのが現れてね。俺は死神と呼んだのだが、そいつと交換条件をしたんだ。戻してくれる代わりに成功時の幸せな記憶を取り上げると言う約束だった。俺はそれを呑んだ。だってきちんと君が幸せになるなら俺の記憶なんかどうでも良いと思ったからだ。だからここに居る俺は未来から来た俺なんだ。将来の事も知っている。でも、実際にやり直して見ると、当時より二人の関係の進行が速い事に気がついた。幾ら何でも速すぎる。現に四月の中頃に図書委員になって今はやっと六月だ。もう君と俺は恋人同士と周りから思われている。実際の関係は兎も角、心は完全に繋がっていると俺も思っている。そこで色々と疑問が湧いたんだ。だから、これかから大事な事を尋ねるから正直に答えて欲しいんだ」
 陽子は俺の長いせりふを頷きながら聴いてくれた。
「陽子、もしかして君も前の記憶を持っているんじゃないのかい?」
 尋ねたい事はそれだけだった。もし、そうなら何かも頷けるし辻褄が合う。陽子は下を向いて暫く考えていた。俺は煎れたアイスコーヒーを氷の入ったグラスに注いで行く。パリパリと氷が解けて行く音が響く。俺はそれをそのまま陽子に出した。俺の記憶通りなら陽子はアイスコーヒーはそのまま飲むのが好きだったからだ。
 陽子はそのグラスを手に取ると
「覚えておいてくれたのね。嬉しいわ……そう、わたしは前の時の記憶を持っているの。あなたと同じかも知れない。だからこの世であなたとやり直せる事がとても嬉しかったの。私が亡くなる前の晩だった。やはりわたしの所に黒いスーツを着た初老の女性が現れたの。当時のわたしは、あなたに申し訳なさでいっぱいだったの。あなたの事が好きで堪らなかった。日記に書いて自分の気持ちを伝える事にしたのもその為なの。でも書いても自分の心は晴れなかった。だってあなたはわたしの全てだし。あなたの居ない人生なんか考えられなかった。だからやり直せるなら、どんな条件でも呑むつもりだったの」
 はやり陽子は俺の思っていた通りだった。だから時々昔の陽子を感じたのだ。
「でもね、わたしにとってはこの世は始めてじゃあ無いのよ」
「それはどう言う意味なんだい?」
「それはね、わたしは何回もやり直しているのよ。今まで何度もやり直しているのだけど、わたしばかり記憶があるから積極的に行ってもあなたが引いてしまって失敗してしまった事が幾度もあるの。それであきらめかけていたら、黒スーツの人が、またやって来て『今度は旦那さんもあなたと同じ想いでこちらにやって来ます。今度は向こうも前の記憶を持っています。これが最後ですから、上手くおやりなさい』と言ってくれたの。だからわたしは今回は必死だった。だってわたしにはあなたしか居ないのよ。あなたが全てだったから」
 陽子は涙を流しながら今までの己の事を正直に話してくれた。しかし、何回もやり直していたなんて……俺は全く知らなかった。俺と陽子が結ばれない世界があるなんてっちょっと信じられなかった。
「わたしが病になってからのあなたは本当に無理をしていて、見るのが辛かった。だからあなたに心の底からの笑顔を取り戻して欲しかったの。わたしの願いはわたしの力であなたを幸せにすること……それが出来たらもう心残りは無いの」
 陽子の気持ちは痛いほど理解出来た。
「だから黒スーツの人からこの次はあなたも前の記憶を持ってこちらにやって来ると教えられた時は本当に嬉しかった。あなたの気持ちも教えられて、わたしは本当にあなたに感謝したの。だから少しでもわたしとあなたが一緒に居る時間を多く作りたくて急いでしまった。それが返ってあなたに疑問を抱かせるなんて思わなかったの」
陽子はアイスコーヒーが入ったグラスに手を掛けながら俺の顔を見つめている。俺はそっと陽子の背中に回り、陽子を抱きしめる。
「ありがとう……俺は本当に幸せな奴だ。そんなにまで君に愛されていたなんて」
「ううん、いいの。だってあなたのお陰でわたしは幸せな一生を送ったのだし。病で先に亡くなる事は運命だから仕方が無いと思っていた。でも、あなたが、そこまでわたしの事を想ってくれていたと知って、やっぱり、わたしにはあなたしか居ないと想ったわ」
 報われた……俺の想いも陽子の想いも報われたのだと想った。その時……。
 不意に、何もかもが真っ白になって行く。陽子の姿も己の姿も何もかもが真っ白になって昇華されて行く。そうか、これでお互いの想いが達成されたのかと、最後にそう考えた……。


 秋の風が菩提寺の紅葉を揺らしている。陽のあるうちは暖かいが陽が陰ると急速に寒くなる。
 今日は陽子の一周忌だ。お寺に行きお経を上げて貰う。お墓に卒塔婆をあげて、陽子が好きだったイタリアンホワイト(向日葵)を備える。陽子は生前この花を良く活けていた。季節外れだが花屋に頼んで仕入れて貰ったのだ。
 この花の花言葉は「あなたを想い続けます」だ。俺の気持ちでもあるが何故か陽子の心情もそうなのではと想った。
 陽子が向こうでも元気にやってくれている事を祈って墓を後にした。何だか陽子が喜んでいてくれる気がした。

   この世界の一人として君を愛す!   
                     <了>

この世界の一人として君を愛す! 10

 お互い告白してキスをした。俺たちは正式に交際をすることになったのだが、前の俺なら完全に舞い上がって何も感じなかっただろうが、今の俺は中身は中年オヤジだ。そんなに簡単に物事が進んでは行かない事ぐらいは体感的に知っている。知恵とも言いかえても良い。
 第一、余りにも展開が早い。まるで、やり直しだから、細かい所は省略してもいいよね? と誰かに言われているような気がした。そこまで考えが及んで俺は死神の事を思い出した。こんなにも上手く行き過ぎるのは死神が何らかの形で絡んでいるのでは無いかと思ったのだ。
 だが、それを調べる伝手は無い。こちらから死神を呼び出させる事は出来ないからだ。
 翌日からも一緒に登校するのは変わりは無い。陽子は本当に楽しそうでそんな姿を見て俺もそれなりに嬉しかった。そう、本当は何も心配することは無いのかも知れない。でも中身オヤジの俺は取り越し苦労みたいな心配をするのだった。
 呼び名もお互い
「陽子」
「憲司くん」
 に変わり、二人だけの時間をなるべく多く作るようになった。お互いの家の部屋で二人だけで過ごす時間が増える……その時間が段々積もって行くと俺は陽子に対して既視感を段々と感じるようになった。簡単に言うと今の陽子の姿に、かっての妻だった陽子を感じるのだ。でもこれは俺の感覚なので、陽子が俺に何を感じているのかは判らない。
「ねえ憲司くん。わたしに何か気になる事があったら、ちゃんと言ってね。わたし本当に心の底から憲司くんが好きだから何でも言ってね」
 陽子はそんな事を口癖のように言う。俺は陽子が何故そんなに俺に惚れてしまったのかが、今一理解出来なかったが、男としてこんな事を言われたら、それは堪らなく嬉しい事に変わりは無い。
「大丈夫だよ。陽子は陽子のままで居てくれたら、それで良いよ」
 俺はそう返事をするのが常だった。

 中間試験の成績は前の時とは違ってかなり上位の点数を得る事が出来た。陽子は元より出来るのでやはり上位に名前を連ねた。
「憲司くん。勉強できるので驚いちゃった」
 何気なくだが陽子がそんな事を言う。クラスの連中は殆どが俺が勉強が出来ると思って接している。それが陽子の言葉は俺がそれほど出来るはずが無いと思っていたと言う事だ。俺の心のモヤモヤは一層高まって行った。そして遂に陽子の直接訊いてみる事にした。陽子の部屋で二人だけになった時だった。
「一つ教えて欲しいのだけど、何時ぞや話していた黒いスーツを着た教師みたいな人物は誰なんだい?」
 俺のこの質問に陽子は心の底から驚いたようで
「え、わたし、そんな人知らないわよ。見間違いじゃ無いの?」
 そんな事を言って否定したが
「いや、ちゃんと会話をしてるのを耳にしたんだ」
 そう言って食い下がるが、あくまでも陽子は否定した。結局、陽子が知らぬ存ぜぬなら話の進めようが無いので、その話はそれきりになった。
 その夜の事だった。珍しく夜中に起きてしまったのでトイレに行き、冷蔵庫から冷たい麦茶を出して飲んだ時だった。後ろに気配を感じた。振り返ると死神だった。今夜は死神の正式の装束の白い着物を着ていた。
「いきなりじゃないか。良かった。尋ねたい事があったんだ」
 死神にそう告げると
「そうか、俺もお前に話があったから出て来たんだ。余り俺に世話を焼かせるなよな」
 そんな事を言って
「麦茶、冷えていて旨そうだな。俺にも一杯くれよ」
 そんな事を言うので別なグラスに氷を入れて麦茶を注ぎ死神に手渡した。それを旨そうに飲むと
「まあ、座れ。俺も座るから」
 そう言って台所の食卓に俺を座らせ、向かいに死神も座った。
「そうだな。何から話そうかな……」
 死神が考えている。夜中の薄暗い台所で死神と二人で居るのは正直楽しいものでは無い。
「お前、陽子と上手く行ってるから楽しいだろう」
「ああ、でも何だか上手く行き過ぎて混乱してるよ。それを尋ねたかったんだ」
「そうか、それに関しては気にしなくて良い。第一、お前たちが幸せな気持ちになれば、その成功体験の記憶を、俺たち死神が受け取る事になっているのだからな」
 そうだ。それを交換条件としてやり直しをすることになったのだった。でも俺たちとは……
「今、俺たちと言ったが、複数形なのは何故だい?」
「それは死神はこの世で俺一人では無いからさ。人の成功体験の記憶をデーターとして人の寿命を決めるのだからな。お前の成功体験も死神皆のデーターベースとなる」
 そんな仕組みとは知らなかった。
「その成功体験の記憶をした人はどうなるんだ」
「新たに生まれ変わる時には何もかも忘れて生まれ変わる。尤も生まれ変わるのは人の世だけでは無い。向こうの世でも生まれ変わりはある。その時も新しい記憶を持つのさ」
 そんな仕組みになっているとは全く知らなかった。
「じゃあ、例えば俺と陽子が生まれ変わったらどうなる?」
「ああ、同じ時代に生まれ変わる事は殆ど無いが、そうなってもどうにもならない。道路ですれ違っても何も思わないな。一生関わる事はあり得ない人生を送る事になる。それが決まりだ」
 そうか、成功体験の記憶を取り上げられると言う事はそう言う事なのかと思った。それからもう一つ大事な事を尋ねる
「家族を救っては駄目なのか? 事故で死ぬ家族を救うのはどうなるんだ?」
 俺としては大事な事だが、死神はあっさりと
「それは出来ぬな。俺の権限外の事だし。第一、お前の両親は兎も角、妹が存命したら、やがて誰かと結婚して子孫を残すだろう。それが困るんだ。本来生まれるはずの無い人間がこの世に居てはならないのだ。判るだろう?」
 そうか、そこを何とかならないのだろうか?
「俺の命と交換してでもか?」
「お前の命はもうこちらの手にある。諦めろ。それにそれまで今の世が続くかな?」
「どう言う事だ。それは」
「こちらは成功体験の記憶が欲しいのだ。それはお前たち二人が愛し合い夢と希望に溢れたならその時点の成功体験の記憶でも良い訳だしな」
 そうか、結局陽子が癌になる前までの幸せな記憶でも良いのかと思った。
「そんなにガッカリするなよ。陽子が悲しむぞ。お前の一番の理解者がな」
「どう言う意味だ?」
「文字通りの意味さ。それ以上は言えないし何も無い。じゃあ頑張れよ。お前と陽子に関しては何もかも上手く行く事になっている」
 死神はそう言うと俺の前から消えて行った。俺は一人残されて、今死神が言った数々の事を思い出して考えた。そして俺は大事な事に気がついた。死神の数々の言葉の裏にあった事実を……。
 こればかりは陽子に直接尋ねるしか無いと俺は薄暗い台所で考えるのだった。

この世界の一人として君を愛す! 9

 学校に着くと職員室に向った。理由は、この学校の職員の名前と受け持ち教科が顔写真付きで張り出されているからだ。前の時では学校のホームページにアクセスすれば確認も出来たのだろうが、昭和のこの時ではそんな事は出来ない。
 端から順番に見て行く。目的は昨日、陽子と話していた黒のスーツを着た教師だ。前の時の高校時代の記憶では、あのような教師は居なかった。俺が単に知らないだけと言う事もあるが、何か気になったのだ。
 まず、校長や教頭の欄を見る。当然居ない訳だし続けて三年の欄を見てもいない。それは二年と一年の欄を見ても同じだった。一番下の講師の欄を見る。司書の先生もこの欄に載っていたが、目的の人物は居なかった。
「学校の関係者では無いのか?」
 教室に戻ると珍しく教室で陽子が俺に声を掛けた。
「何処行っていたの?」
 単に陽子は尋ねただけなのだろうが、俺は陽子に直接昨日の黒スーツの人物の事を尋ねる気にはならなかった。
「ああ、トイレだよ」
 バレバレの嘘をついた。
「ふう~ん」
 陽子は疑わしそうな眼差しを残しながら自分の席に戻って行った。例え訊くにしても学校では不味いと感じていた。教師でもない人物が学校内で秘密裏に陽子と接触をしていたなんて気軽に訊ける事では無いと思った。これはオヤジの思い過ごしだろうか?
 土曜日は四時限で授業が終わる。部活に入っていない俺と陽子はそのまま帰宅するのだが自転車を出している時に陽子が自転車置場まで付いて来て
「高梨くん、今日は何か予定あるの?」
 そんな事を尋ねて来た。別に特別な用意はなかったと確認して
「別に無いけど」
 そう答えると、陽子は嬉しそうな顔をして
「じゃあ、今日わたしの家で勉強しない?」
 そんな事を提案して来た。それは構わないが、陽子よ何か展開が早すぎやしませんか? そんな言葉が胸をよぎる。
「構わないよ」
 そう答えると陽子は
「じゃあ決まりね。一緒に勉強しようよ」
 そう言って自転車の後ろに乗って来た。俺は
「じゃあ、今日は俺の家に寄ってそれから愛川の家に送って行くと言うのはどうだい」
 そんな提案をしてみた。この際あわ良くば母親や妹にも紹介してしまおうと考えたのだ。陽子は少し考えてから返事をした。
「それが良いかも知れないわね。高梨くんの家も知ることが出来るし」
「じゃあ決まりだ」
 自転車のペダルに力を入れながら走る。後ろで鼻歌を歌っている陽子を愛おしく感じる。
 家に着き玄関を開けると一足早く帰っていた妹が顔を出した。
「お帰り! あれもしかしたら……」
 妹の顔が輝くのが判った。
「クラスメイトの愛川陽子さんだ。こっちは俺の妹の高梨翠。中二だ」
 そう紹介をすると陽子も自己紹介をした
「愛川陽子です。宜しくお願いします。翠ちゃん」
 言われた妹は緊張しながらも
「高梨翠です。宜しくお願いします。不束かな兄ですが」
 そんな事を言って笑わせた。この声を聞いた母親が奥から出て来て、同じように自己紹介をした
「憲司の母親です」
「クラスメイトの愛川陽子です」
 紹介が終わると母親は陽子に
「良かったらお昼一緒にどうですか? 何もありませんが……」
 これは俺も考えてもいなかった事だった。結局、陽子は我が家でお昼ごはんを食べた。俺よりも妹や母親と会話が弾んでそれはそれは楽しそうだった。確か、亡くなる前まで俺の両親とも関係は良かったと思う。就職した事もあり、二人や両方の家族も結婚に向けて話していたのだった。
「ごちそうさまでした」
「また是非寄って下さいね」
「陽子お姉ちゃんまたね」
「是非また寄らせて戴きます。翠ちゃん今度一緒に遊びに行きましょうね」
 そんな挨拶をして俺は陽子と一緒に陽子の家に向かう。
「実はねえ、今日は両親いないんだ。出かけているの」
 え? と思ったが
「親のいない時に俺なんか家に上げても良いのかい」
 そう意地悪なと言うよりオヤジそのものの事を言うと陽子は
「ちゃんと朝言ってあるの。もしかしたら今日高梨くんと一緒に勉強するって」
 何だ、これも陽子の作戦だったのか。そう言えば、俺はいい歳をして陽子の掌で踊らされている気がしないでも無いと思った。

 家に着き上がらせて貰う、家の中に入るのは今世では初めてだった。家の中は前の時と同じで記憶通りと言っても良かった。
 陽子の部屋には入らせて貰えないと思っていたが、陽子はあっさりと
「ここがわたしの部屋よ」
 そう言って部屋のドアを開けて中に入らせてくれた。部屋は薄いピンクを基調としていて、きちんと片付けられていた。六畳の部屋の片側に机や本棚、反対側にベッドが置かれていた。机はテーブルの部分が折り畳める様になっていて椅子さえ持って来れば、広げれて並んで勉強出来るようになっていた。
「ここで勉強するの?」
 俺の質問に陽子は笑って
「ここじゃ狭いかな? リビングでもいいけど……取り敢えず座って」
 そう言ってベッドに座って自分の横を軽く叩いた。おい、これって……。
 俺は陽子に言われた通りに隣に座る。部屋の温度が一気に高まったのを感じる。ここは何か言わなくてはと思う。
「きちんと片付けられているんだね。昨日あたり掃除したのかい?」
 何ともオヤジだが、根がその通りなので仕方が無い。本当は、陽子は常にきちんと片付けている事を俺は知っている。
「まさか……毎日ちゃんと片付けているのよ」
 陽子は笑いながら否定すると俺の方に体を向けて
「高梨くん、わたしのことどう想う?」
 いきなり本題とも言うべき事柄を尋ねて来た。
「わたしのような積極的な娘は嫌い?」
 俺の目を真正面から見据えている。ここは俺の方からちゃんと言わないとならないと考えた。
「正直に言うと、俺は君の事が好きだ! 図書委員に立候補したのも君と二人だけの時間が作れると思ったからだ。俺の事が嫌で無ければ付き合って欲しい。心の底からそう想っている」
 心の底では冷静な俺が居るのだが、体と残りの部分は十六なので、心臓がバクバク言っている。口から出た言葉は、前の時とは違う文句だが今の俺の正直な気持ちだった。こんな時はオヤジでも関係ないと言う事が良く判った。
 陽子は俺の言葉を聴いていたが、俺を見詰める目が潤んで涙がひと雫流れ出した。
「嬉しい……正直に言うと、初めてあなたを見て胸がときめいたの。友達になれたら良いなと思い、出来たら交際したいと想いが膨らんでしまったの。だから、あなたが図書委員になってくれた時は心の底から嬉しかった。本当にわたしで良いの?」
「ああ、君しかいないよ」
 俺は心の底から本音を言う。そして、陽子の体を思い切り抱きしめた。陽子も両腕に精一杯の力を込めてくれる。柔らかい陽子の体を抱き締めながら一瞬、俺は前の夫婦だった時の陽子をそこに感じたのだった。それが何故かは判らなかった。
 自然と唇を重ねた。それはかっての若い想いを思い出させるのに充分な時間だった。

この世界の一人として君を愛す! 8

 学校の手前で自転車を降りて並んで歩く。後から山縣が声をかけて来て
「おはよう! 憲司と愛川さん何かお似合いの感じだよ。うん、良い感じだね」
 そう言って先に走って行ってしまった。山縣の奴……そう思って横の陽子を見ると真っ赤な顔をしている。前の俺なら慌てて何か言うだろうが、今の俺は様子を見る為にすぐには反応しなかった。この辺はオヤジの悪知恵かも知れない。陽子は俺の方を見て
「お似合いだなんて……高梨くん……」
 この辺で何か気の利いた事でも言えれば良いのだが考えた挙げ句
「俺は嬉しいけど、愛川には迷惑だったかな?」
 そんな事しか言えなかった。ヘタレなのは直らないのか? だが陽子は
「山縣くん。良い人なんだね。お似合いって言ってくれて嬉しい」
 そう言って俺をまたまた慌てさせた。
 学校に着いて教室で一足先に来ていた山縣に
「ありがとうな。愛川喜んでいたよ。本当の彼女になれるかも知れない」
 そう言うと山縣は笑いながら
「何言っているのさ、自転車で二人乗りするなんて付き合ってるって公言しているも同じじゃないか。どうかしてるぞ」
 山縣に言われて、この頃の交際している基準を思い出した。そうだ、そう言われていたんだ。昔の事なので忘れていた。

 放課後は図書当番なので、陽子と揃って図書館に向かう。
 既に司書のの先生が待って居て、全員揃うと
「ご苦労様、それぞれのE組の委員の皆さんご苦労様です今日から一年間宜しくお願いしますね」
 そう言ってくれたので俺らも
「宜しくお願いします」
 そう挨拶をして業務が始まった。
 女子三人は貸し出し業務を担当し、男子は返却業務を担当する。返却業務は作業にムラがあるので、暇な時間は図書館の本が並んでいる棚の整理をする。図書を見た後にきちんと元の場所に入っているとは限らないからだ。きちんと元の場所に戻して、そして一定の並びになるように均一に整理していくのだ。
 慣れない事と金曜なので結構図書の出し入れが多いので忙しかった。気がつくと閉館時間になっていた。それぞれの委員が自分の仕事を終えると司書の先生に報告する。そして最初の当番は終わった。
 陽が長くなり、この時間でも未だ若干明るい。俺は自転車を出して来るので、昇降口で待っている様に陽子に言って自転車置き場から自転車を出して来た時だった。昇降口の陰で陽子が誰かと話をしていた。そっと脇から近づき様子を伺う。陽子とは角があるので見えないが声はハッキリと聞こえた。
「もう少し注意して行動して下さいね。そうしないと許可した私の責任になってしまいます。あなたらしく無いと思うけど……頑張って下さいね」
 声は女性の声だ。それも年齢の行った声で初老を感じさせた。そっと壁の角から目だけを出して覗くと、声の主は黒いスーツを来た初老の女性だった。俺はこんな教師がこの学校に居たのかと思ったが前と違う部分もあるので、俺が知らないだけだとこの時は考えた。
「すいません。ちゃんとやりますので」
「信用していますからね。じゃ」
 陽子がお辞儀をしている。黒い教師は陽子に背を向けると夕暮れの中に消えて行った。
 俺は二三分時間を稼ぐと素知らぬ顔で陽子の前に出た。
「ごめん、ちょっと時間が掛かってしまって」
 今聴いた事は知らぬ顔をする。この辺は自分でも腹黒くなったと実感する。本当にオヤジ丸出しだよな。
「ううん、大丈夫だよ」
 そう言って陽子は後ろの席に乗って来た。果たして先程の先生が言っていた事は何なのだろう? 陽子の成績の事だろうか……そこが妙に引っ掛かった。
「図書の仕事もやりだすと大変だけど面白いと思ったわ」
 陽子が今日の図書委員の事を話す
「そうだね。今までは 何気なく借りていたけど、あんなに整理していたとは思わなかったよ」
 これは俺の嘘偽らざる考えだった。

 陽子を家の前で降ろすとそのまま別れた。
「じゃあ、明日」
「うん、明日ね」
 自転車を漕ぎながら後を振り返ると陽子が手を振っていた。俺も片手を上げる。
 それにしても、陽子が急に積極的なのは何故なのかと心に引っかかる。笑顔で見送ってくれる陽子の姿が何時までも心に残った。
 家に帰ると妹が近寄って来て
「お兄ちゃんの彼女って愛川さんだったんだ」
 何処かで見かけたのだろうが、何で妹が陽子の事を知っているのだろうか?
「お前、何処かで見たのか?」
「うん、さっき商店街で見かけたよ。綺麗な人だね。あんなお姉さんならいいなぁ」
 見られていたのは仕方ないとしても、何故陽子の事を知っているのだろろうか? それに知っているのにどうやら見たのは初めてらしかった。それも疑問だった。
「お前、何故愛川の事を知っているんだ?」
「クラスの男の子が教えてくれたの。お前の兄ちゃんの彼女は愛川陽子って言って、中町中学では余所の中学から見に来るほどの評判の女子だったって。だから今日偶然だけど二人乗りしてる姿見て納得したのよ」
 陽子がそんな他校から見学に来る程の子だったとは初めて知った。前の世界では美人で可愛いのは同じだが、そこまでの評判ではなかったはずだった。
「まあ、未だ彼女じゃないよ。そうなったら家に連れて来るから」
 取りあえず事実だけを告げる。自転車で二人乗りしただけで彼女とは呼べないだろう。
 部屋に入ってまた考える。俺は死神にもう一度だけやり直しをすることを許された身だから、以前の記憶も持っている。それだから前の世の陽子と比べてしまうのかと考えた。何も知らなかったら陽子の性格は開放的な方だと思ったろう。そうなのだ、それだけの事なのだと思い直した。なまじ前の事を覚えているから戸惑うのだと考えた。
 眠ろうとしたが、不意に先程の黒いスーツの教師の事が思い出された。あの人は一体何の教師だろう? それも心に引っ掛かった。

 土曜日の朝、迎えに行くと丁度陽子が玄関に出て来たところだった。
「おはよう!」
「やあ、おはよう」
 今日は陽子が乗り易いように後席に薄いクッションを引いていた。
「クッション引いてくれたんだ。ありがとう」
 そう言って陽子は昨日と同じように横座りして来た。回された腕の感触を楽しみながらペダルを漕ぎ出す。
「ねえ、後少しすると中間試験だけど一緒に勉強しない?」
 突然陽子が提案してきた。前の時も交際を始めてからは良く一緒に勉強したものだった。尤も勉強の出来は陽子の方が遥かに良いので、俺は教わる事が多かったのだが、今度はどうだろう。今の授業は俺にとっては昔より遥かに理解出来ている。かなりやれる様な気がするのだが……。
「俺は構わないよ」
 そう答えると背中から
「じゃあ、決まりね。約束よ」
 嬉しそうな陽子の声が聴こえた。

この世界の一人として君を愛す! 7

 水曜日も木曜日も登下校を陽子と一緒にした。山縣の話だと、早くも噂をしている者がいるそうだ。
「高梨って特別顔が良いわけでもなく(このころはイケメンという言葉は無かった)背も特別高い訳でも無いのに何で愛川と仲良くなったんだ?」
「仕方ないよじゃんけんで勝ったんだからさ。勝者はいつの世も美味しい思いをするのさ」
 などと言われているらしい。ちなみに俺の身長は百七十五センチで、決して低い方では無い。クラスには百八十センチを超える者がいるのは確かだがそう悲観したものでもはない。
 学校に着いて教室にはいると陽子とは殆ど口を利かない。と言うよりそんな暇が無いのだ。だから一緒に居る時間の登下校の時は陽子は良くしゃべる。前も二人だけの時になると良く口を開いていた。その理由を訊いた事があるが
「何だか、高梨くんといると口が軽くなるの。話し易いからかな」
 そんなことを言っていたのを思い出した。
 木曜日の下校時のことだった。自転車を出して校庭を並んで押して歩いていると後ろから来た男女二人がやって来て、男子生徒の漕ぐ自転車の後ろに女生徒が横座りに乗ったのだ。そして両腕を男子生徒の体に抱きついてそのまま二人乗りで走り去って行ったのだった。それを見ていた陽子は
「うわ~大胆! でもちょっと羨ましいかも」
 そう呟いてしたので、俺が驚いてまじまじと顔を見ると
「あれ、声に出ていた?」
 真っ赤な顔で言うので
『うん。聞こえた』
 正直に答えようとしたが、前の時に陽子が場所は違うが同じ事を言って、俺がそう言ってしまって少し陽子が引いてしまったのを思い出した。
「え、何か言った? あの二人を見ていたので聞いていなかったよ」
 そう嘘をついた。これもオヤジの知恵だ。
「ああ良かった。聞かれていたら恥ずかしかったから……」
「でも大胆だよね。学校内でやるなんてさ」
「でもちょっと憧れるかも」
 そう言ってキラキラした瞳の陽子はかっての姿を知ってる俺からでさえも思わず頬が緩むのを覚えた。
 門を出ても相変わらず自転車を押して歩いている。そうしたら陽子が
「明日は図書当番だから遅くなるわね。明日も送ってくれると嬉しいのだけど……」
 そんな事を訊いて来た。おかしな事を言うなと思い、当たり前じゃないかと返事をすると
「実は、明日、お母さんが自転車使うの。だから自転車通学は出来ないの」
 そんな事を言った。これは二人乗りする為の口実かとも考えた。この辺がオヤジの悲しさで、素直に考えられない。
「じゃあ、俺の自転車の後ろに乗れば良いよ。迎えに行って、学校の傍で降りて歩けば誰にも判らないし」
 この時の陽子がどんな気持ちで言ったのかは判らないが、俺としては当然の事を言ったまでだと考えた。
「え、いいの? 嬉しいけど、わたし重いわよ」
 何を言うかと思えば『重い』とは……。
「構わないけど、心配するのはそこじゃ無いと思うんだけど」
「え、なぁに……誰かに見つかるとか?」
 俺が心配したのはその辺りだった。今でさえ噂が立ち初めているのだ。陽子との関係を壊したくない俺としては慎重にならざるを得ない。それでいて二人乗りで通学しようと言うのが矛盾してるのだが。
「学校の手前の交差点までとしようよ」
 その辺りなら大丈夫と考えた。
「そうね。じゃあ明日宜しくね」
 そんな事を話してる間に陽子の家に着いた。
「じゃ明日」
「じゃあね」
 そんな会話をして別れる。家に帰って、冷静に考える。今日の陽子はやけに積極的な気がした。目の前で二人乗りする者を見て感化されたのだろうか?
 俺は姿は高校生だが中身はオヤジだから色々な事を考える。前の時はどうしていたかを考える。確か文化祭で遅くなって暗くなったので偶々自転車来ていた俺が陽子を後に乗せて送って行ったのだった。それから仲良くなり交際に発展したのだった。人生のやり直しだが同じ状況に置かれても同じになると言う訳では無いが、結果的にはほぼ同じになると言うのが面白いと思った。

 翌朝同じ時間に家を出ようとすると妹が玄関で靴を履きながら
「お兄ちゃん、彼女出来たんでしょう! 昨日クラスの男の子から言われたよ」
「何て言われたんだ?」
「お前の兄貴、同じ高校の女生徒と親しげに歩いていたって。あれはきっと彼女だろう。って」
 彼女だとはっきり言うまでの関係にはなっていない。どう言おうか考えたが
「友達だよ。未だ彼女じゃない」
 そう言ってしまったと思った
「へえ~じゃあ彼女にしたいんだ」
 くそ! 良い歳をして中学生の語るに落ちてしまった。
「俺だって彼女の一人ぐらい出来ても良いだろう! お前だって彼氏の一人ぐらいは欲しいと思っているだろう?」
 そう言ったが、妹は
「違うよ。お兄ちゃんに彼女が出来たら、私も嬉しいよ。だってもしかしたら将来はお姉さんになるかも知れないじゃない」
 そうか、こいつは姉が欲しいと常々言っていたと思い出した。
「期待してるからね」
 そう言って妹は一足早く家を飛び出して行った。

 陽子の家に迎えに行くと、陽子は玄関の外に出ていた。
「おはよう。どうしたの?」
「うん。何だか落ち着かなくて出ちゃった」
 そう言って舌をぺろっと出した。その姿に若い頃はそんな仕草をしたことを思い出して、この目の前に居るのはまさしく陽子そのものだと実感したのだった。
 陽子の鞄と自分の鞄を前のカゴに入れると陽子が後に横座りに乗って来て、両腕を俺の体に巻き付ける。悪くない、男としては最上だろう。本当のこの年齢ならば嬉しくって、気持ちが飛んでしまうかも知れないと思った。中身オッサンの俺でも嬉しさが顔に出てしまう。後に座ってる陽子には見せられない顔だ。
 静かに漕ぎ出すと陽子の腕の力が入るのが判る。カーブ等では更に力が入ると自然と背中に陽子の感触を感じて来る。そう言えばあの時は興奮したと思い出す。今もそれなりに興奮はしているのだが、あの頃の程ではない。この辺は致し方ないと思う。
「ねえ、案外後の席って気持ち良いのね。こうやって明日も続くと良いなって思ちゃった」
 積極的とも思える陽子の言葉に内心穏やかではなくなる自分の心を感じるのだった。
タグクラウド
ギャラリー
  • 氷の音
  • カラスよお前は……
  • テケツのjジョニー 1
  • 浮世絵美人よ永遠に 第二十一話  未来へ (終)
  • 浮世絵美人よ永遠に 第二十話  吉原格子之先図
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十九話  広重の得たもの
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十八話  広重、江戸の空を舞う
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十七話  センターへ
  • 浮世絵美人よ永遠に 第十六話  蔦屋の狙い