「神山七不思議~狂い咲きの桜~」

 真夏の太陽が容赦なく照りつけています。今日は洗濯物が良く乾くでしょう。私は、夫に冷たい麦茶を、涼し気なグラスに入れて差し出しました。
「ああ、ありがとう。今日は本当に暑いな」
「めぐみはどうした? 朝から見えないが」
「あの子は今日は部活動らしですよ」
「部活? 古典部か……今頃というと文集か……」
「なんでも、今日は取材だそうですよ」
「ほう、本格的だな」
 夫は麦茶を美味しそうに飲むと、息をして、私に笑顔を見せてくれました。夫の名は、千反田奉太郎、私は妻の千反田えるです。結婚して十七年が経ちました。子供も二人恵まれ、上が長女で名を「めぐみ」と言い、下の子は長男で「信太郎」と言います。
 めぐみは私達と同じ神山高校に進学し、お姉さんの供恵さんや私達の勧めもあり、古典部に籍を置いています。下の子は、私と同じ印字中学の二年生です。

「今年はどういうテーマで文集を作るんだ?」
 夫が麦茶を飲み干して、おかわりを欲しそうにしながら訊いてきます。
「なんでも『神山七不思議』だそうです」
 私は夫のグラスに麦茶を注ぎながら答えます。やっぱり気になるのは古典部OBとしてでしょうか? それとも、娘可愛さからでしょうか?
「それで、この暑いのに取材に行ったのか。ご苦労なこった」
「でも、一人じゃありませんから」
 それを聞いてわずかに夫の表情が変わります。本当に面白い程です。
「古典部皆で行ったのか?」
「まさか、大体今の神高の古典部は三年生が三人、二年生が二人、そして一年生は、めぐみと守屋君と言いましたかね。その子の七人なんですよ」
「それで、一人一つずつの謎で七つの謎か……」
「そうんなんでしょうね」
「そうか、じゃ、その何とか……」
「守屋君です」
「そう、その守屋とか言う子と二人で行ったのか?」
「そうですよ。朝迎えに来ましたよ。可愛い子でしたよ」
「かわいい? 女の子か?」
「男の子ですよ」
「なんだ男か……え?」
 夫は飲んでいたグラスを置いて、私の方に向き直りました。
「男と二人で出かけたのか……デートじゃ無いか!」
「本人たちはそう思って無いと思いますよ。そんな雰囲気じゃありませんでしたから」
 全く、娘の事となると、途端に平常心を失う夫は、本当に可愛いです。同じ古典部に在籍している一年生の守屋君は、入学早々にある事件で知り合いになり、めぐみが古典部に誘ったのです。
 そのある事件とは、入学早々めぐみは友だちと下校しようとして、そのクラスに行った処、何か騒がしかったそうです。何事か? と思い聞いてみると、ある女子のポーチが失くなっていたそうです。それで、その子の机の近くに居た守屋君が疑われていた。と言う事でした。
 めぐみは、その場に居た子から証言を聞いて、情況証拠を調べて、守屋君が犯人では無いと証明し、ポーチを隠した子を探り出しました。事件を解決したお礼をしたいと言う守屋君に、
「お礼なんか要らないから、良かったら『古典部』に入ってくださらないかしら」
 そう言って古典部に入らせたのだそうです。めぐみ曰く、
「何時も何事にも全力で当たるけど、エメルギー効率の悪い人」
 というのが守屋君の評だそうです。

 二杯目を飲み終えた夫は
「そう言えばあいつ自転車で出かけて行ったのか?」
「そうですね。そう言ってましたが、なにか?」
「いや、どちらの方角に行ったのかと思ってな」
 まあ、そこまで心配するのですか。私少し妬いちゃいますよ。
「七不思議で、めぐみが担当するのは、「水梨川の逆流」の事だそうですよ」
「じゃあ、ここより上流だ。自転車じゃ坂ばっかで辛いだろう」
「いいらしいですよ。帰りは二人乗りで楽に帰って来れるって」
「はあ~、あいつ昔の俺より省エネだな」
 それだけ言うと夫はまた田圃に帰って行きました。父親って、本当に娘が可愛いのですね。
 めぐみは外見は当時の私と良く似ています。違うのは、髪の毛にわずかにカールをあてて居る処です。それと、考える時に前の毛をいじりながら考える事と、当時の私より少し目つきが悪い事です。表情の作り方が昔の夫と同じなのです。省エネというか無駄が嫌いで、年中効率を求めています。
 物事の洞察力や推理力は抜群で、当時の夫を凌ぐやも知れません。でも、もう少し女らしくしてくれたら良いと思います。高校時代からの私の親友、摩耶花さんは
「めぐみちゃんは黙っていたら、抜群の美人さんなんだけど……」
 と言っています。彼女の娘さんの沙也加ちゃんは大学生ですが、大変可愛い子で、両親の良い処だけ持って生まれた様な子です。めぐみは、実の姉の様に慕っています。


 自転車は緩やかな坂を段々速度を上げて降りて行きます。夏の風が気持ち良いくらいに体をすり抜けて行きます。なんという気持ち良さでしょう。ぞくぞくするような快感です。ところが、不意に加速が遅くなります。
「守屋くん、駄目よ靴を地面に着けてブレーキ掛けちゃ。あなたの靴が台無しになるわよ」
 私は後ろに乗っている同じ古典部の同級生の守屋くんに叫ぶ様に言います。私の名は千反田めぐみ。神山高校の一年生で古典部に所属しています。
「そんな事言ったって、スピードが出すぎているよ。もし転んだら、君も僕も無事では済まないよ」
「大丈夫! わたしはそんなヘマはしないから」
 大体、守屋くんが自分の自転車を私の家に置いて来たのが悪いのです。帰り楽だから、と言ったのですが、守屋くんは
「行きはずっと登りだから自転車を押して行くのは御免だ」
 そう言うので、私だけが自転車を押して登って行ったのです。行きはあんなに大変だった道も、見る見るうちに千反田の家が見えて来ました。
「ほら、やっぱり早いでしょう!」
「でもこの早さは危険と言うリスクを伴っているよ」
 確かにそうだけど、もう少し評価してくれてもバチは当たらないと思うのです。
 自転車は軽快なスピードで坂を駆け下りて、平坦な所へ出ました。それでも速度は落ちずに走り続けています。それは私が漕いでるからです。千反田の家が見える所を通り過ぎます。守屋くんが慌てて
「ちょっと、千反田さん、家通り過ぎてるよ!」
「いいのいいの!このまま長久橋を渡って、守屋くんの担当の『狂い咲きの桜』迄行きましょう!」
「なら、尚更僕の自転車を取って来た方が・・・」
「すぐだから、大丈夫!」
 守屋くんが何かを言ってる間にもう長久橋を渡るとすぐそこの道の脇に大きな桜の木が目に入って来ます、これが『狂い咲きの桜』です。
 道の脇に自転車を止めて、葉っぱが生い茂る桜の木を二人で眺めます。
「樹齢何年くらいなんだろう? 凄いなぁ・・・これが満開だったらさぞ壮観だろうね」
 守屋くんは目の前の木では無く遠くを見る様な目つきで言います。
「満開の時の写真だったら、多分家にあると思う。母にプリントアウトして貰う様に頼んでみるわ」
「それは、有難いね。見ると想像では全く違うからね」
 桜が開花するシステムというのはもう解明されていて、気温の変化がスイッチにあたると言う事ですが、その事を二人で話してみると、さすが学年で五本の指に入る成績上位者だけの事はあり、守屋くんも知っていました。
私ですか? 一月期の期末では三百五十人中百七十番で中間より五位上がりました。
「でも、そのスイッチが寒さを感じるという事で入るという事は、その前は暖かった、という事よね?」
「うん、そうだね。ずっと寒かったら、寒くなったとは思わないね」
「守屋くん、わたしね、お日様が差す時間が関係してると思うのだけど」
「僕もそう思ったよ。でもこのへんの日照時間って季節によって変わるけど毎年同じ様なものだろう?」
「わたしも最初はそう思ったの。でもね、ほらこの桜の反対側の山を見て!」
 私は桜の木を川を挟んで反対側から見下ろす事が出来る山を指差しました。
「どうしたの? あの山が何かあるのかい?」
「よく見て! 他の山と違うと思わない?」
 守屋くんは注意深く周りの山とくらべていましたが
「もしかして、あの山だけが植林をしているという事かい?」
 さすが守屋くんです。でもそれだけじゃ半分です。
「それと、伐採を行なってるの」
 それを聞いて守屋くんは目を輝かせて
「そうか! 伐採をすれば陽の光が遠くまで届く様になる」
「そう!気温も上がるわね!」
「凄いね、でもどうして考えついたの?」
「ううん、大した事じゃ無いの。あの山は万人橋家の山でね、木の事業で財産を拵えた万人橋さんの山なら手入れはちゃんとやってると思ったの」
「でも、植林や伐採って毎年とはいかないから、それで、その行なった年だけ、よく陽の光が届いてこの桜の周りの気温も上がると思ったの」
「そうか、それで冬になって気温がぐっと下がって開花のスイッチが入ったのか」
「まあ、わたしの仮説だけどね……でも神山の気温の記録ならネットでも調べられるし、そう外れでは無いと思うのだけどね」
「有難う。この線で原稿を書いてみるよ」
 守屋くんの助けになった様で私は満足でした。
「ところで、千反田さんの方は目処ついたのかい?」
「今日も上の池と下の池の両方を見てきたけど……」
「うん、現場を観てね、それから自転車を押して歩いたので判った事があるの」
「そうか、話せる様になったら教えてね」
「うん!約束する」
「じゃあ、わたしの家まで帰ろうか。写真もプリントしてあげたいし」
「うん、帰ろう」
 私は自転車の前に乗り、守屋くんを誘いましましたが、
「普通は男が漕ぐもんだよ」
 そう言われ交代させられて仕舞いました。後ろで横になって、まるでお嬢様の様な感じで座り私達は家に帰り着きました。
 守屋くんは流石に男です。見かけよりしっかりとした体つきで、そのお腹にしっかりと腕を廻しました。 
 あれ? さっきは守屋くんは後ろでどうしていましたっけ?……思い出しました。私のお腹に腕を廻していたのでした。今になって恥ずかしくなってきました……

「只今戻りました」そう奥に声を掛けて、「守屋くん上がって」
 彼を上がらせます。自分の部屋に連れていこうと思いましたが、縁側のある部屋が風通しがよく涼しいので、そこにちゃぶ台を出して守屋くんを案内します。母が奥から出て来て
「おかえりなさい。あらいらっしゃい。今冷たいものを持って来ますね」
 そう言って、台所に行きました。
「守屋くん、母は始めてじゃ無いよね?」
「うん、前に一度会ってると思う……でも本当に千反田さんに似ているね」
「そうかしら? わたしはそう思わないんだけど」
「うん、話したりすると全く違う印象だけど、黙っていたらそっくりだよ」
 私は母と似ているのは、嫌では無いし、むしろ嬉しいのですが余りあからさまに言われると恥ずかしいです。
 母が冷たい麦茶と菓子を持って来てくれました。守屋くんは恐縮して
「あ、すいません」と頭を掻いています。
「いいのですよ。何にもありませんが、ごゆっくりね」私は母に
「狂い咲きの桜の写真ってお母様持っていましたよね?」
 そう訪ねてみたところ、母は
「ええ、持ってるけど、桜だけじゃ無く別のものも写ってるわよ。それでも良ければ」
「ええ、構いませんからプリントして欲しいのです」
「そう、じゃあ少し待っててね」
 そう言ってまた奥に消えていきました。私達の希望を叶えさせてくれるみたいで、ありがたいです。

 十分程して母が写真を持って来てくれました。それは、母が高校生の頃の「生き雛祭り」で雛の役をして、父が傘持をした時の満開の狂い咲きの桜の下を通る写真でした。
「懐かしいわぁ~。ついこの前だと思っていたのにねえ~」
 生き雛は私も中学二年から雛をやっていますが、狂い咲きの桜にあたった事はありませんし、ルートもそこを通りません。だからこの写真は貴重なのです。写真を興味深く観ていた守屋くんは
「凄い綺麗ですねえ。お母様も本当に美しかったのですね。それに桜も満開ですね」
「そう? そう言われると恥ずかしいですね」
母はついでに今年の祭りで私が行列した写真も持って来ました。
「うわ! 千反田さんお母様そっくり!」
 私は話が違う方向に行きそうになったので
「違うでしょう。桜よ桜。それが大事でしょう」
 と会話を修正しました。
「ああ、そうか、『生き雛祭り』という事はこの写真が紛れもなく四月三日の撮影だと言う証明になりますね」
「あの、これ文集の原稿に載せても良いですか?」
 守屋くんは真剣に母にお願いをしました。母は
「私は構いませんけど、もう一人が何と言うかしら?」
「もう一人? 誰ですかそれは……」
 私は誰だか知っていますが、守屋くんには想像がつかないでしょう。
「守屋くん、そのね。後ろで傘を持ってる人物が居るでしょう?」
「ああ、この人ね。この人が何か……」
「それね、父なの! おかしいでしょう。似合って無くて」
「えっ!」
 守屋くんはまじまじと写真を眺めていましたが、
「確かに……似合っていませんね」
 そう言って笑い出しました。
「今本人に聞いてみるから、少し待っていてくださいね」
母はそう云うと携帯を出して連絡を取っています。
「もしもし、わたしです。今大丈夫ですか?」
「あの、ほら狂い咲きの『生き雛祭り』の時の写真を、古典部の守屋さんが『氷菓』に載せたいそうなんです。それで写ってる貴方の許可も戴けないかと思いまして……」
「はい、そうですか……構いませんか。はい、判りました……え?大丈夫です……はい。じゃお帰りを待っています」
 母は父から許可を貰ったみたいです。
「守屋さん、主人も構わないそうです。使って下さい」
「有難う御座います。これでしっかりした記事が書けます」
 守屋くんは嬉しそうにして写真をカバンに仕舞いました。母は、「それじゃ」と言ってまた奥に下がって行きました。思わぬ事で父と話が出来たみたいで、母は機嫌が良くなった様です。

「僕の方は、それで片付いたけど、千反田さんの方がこれからだね」
 守屋くんは今度は私の方を心配してくれる様です。本当に人が良いと思います。普通の男子ならここで「じゃあ、今迄の事を纏めるから」とか言って帰ると思うのですが、とことん私に付き合ってくれる様です。
「ごめん、守屋くん、わたしの方は推論は出来ているのだけど、等高線のある地図を見てちゃんと確かめたいの。それじゃないとハッキリ言えないから……明日、守屋くん暇かな?」
「僕は暇だよ。明日も何処か行くのかい?」
「うん、その地図が見たいし、出来ればコピーも欲しいから図書館に行こうと思うのだけど、明日も一緒に行ってくれるかしら?」
「僕は構わ無いよ。千反田さんの推論も聴きたいしね『逆流する水梨川』」
「ありがとう。本当に優しいのね守屋くん」
「お礼を言うのは僕の方だよ。いつかちゃんと言わないといけないと思っていたのだけど、あの時に千反田さんが僕の無罪を証明してくれ無かったら、僕の高校生活は暗いものになっていたと思うんだ」
「だから、千反田さんは僕にとって恩人なんだ」
「それに」
「それに、なあに?」
「いや……千反田さんみたいな可愛い娘と知り合いになれたのも嬉しいしね」
 可愛い? 私は守屋くんの言った事が瞬間には理解出来ませんでした。だって、男の子から『可愛い』なんて言われた事が無かったからです。
「そ、そんな事言われたの始めてだから、その……なんて言って良いか判らないけど……ありがとう、とても嬉しい」
 そう言いながら多分真っ赤な顔をしていたと思うのです。

 翌日九時半に守屋くんが迎えに来てくれる約束をして守屋くんは帰りました。私は玄関先まで守屋くんを送り、その姿が見えなくなるまで佇んでいました。まだ、胸の鼓動が収まりません。いったいどうしたのでしょう。始めての事です。後で母に相談してみましょうか?
 いや、沙也加お姉さんにしましょう。きっと回答を教えてくれると思います。
 明日も守屋くんに逢えると思うと不思議と嬉しくなります。友達と逢うのは楽しいですよね。
 私はその時はそう思っていたのでした。