二次創作

「氷菓二次創作」秋の想い

 神山の稲の刈り入れは殆どが十月に行われる。一部早稲の品種が九月に借り入れるがそれは、それほど多くは無い。部屋の窓から空を見上げ、『今年はこれ以上台風が来ませんように』と願うのだった。
 とここまで考えて、俺はいつからこんなにも神山の農業のことを心配するようになったのかと自問して苦笑した。そう、俺がこのような想いをするようになったのは、かのお嬢様のせいだと……。
 千反田と係わり合いを持つようになって一年半が過ぎた。人との係わり合いをなるべく避けるように生きて来た俺にとって千反田は正反対の生き方をして来た。尤もそれが判ったのは最近になってからだ。
 暑さも収まりそろそろ千反田の家でも忙しくなるのだろうと薄曇りの空を眺めていた。すると下から姉貴が俺を呼ぶ声が耳に入った。
「ちょっと奉太郎、いる? いるなら降りて来てくれない」
 今日は土曜日、めずらしく姉貴は仕事が休みだった。昨夜、遅く帰って来たのは知っていたが、俺は部屋から出なかった。眠りに落ちる寸前だったのだ。
「ああ、いるが、何か用か?」
「うん。用と言うより面白いものを見つけたから、アンタにあげようかと思って」
 気まぐれな姉貴のことだ、いったい何をくれようと言うのだろうか。階段を降りてリビングに行くと、いきなり二冊の本を手渡された。
「何だこれ?」
「アンタに参考になると思ってね」
 二冊の本を見てみると片方は「本当はダメなアメリカ農業 」と書かれており表紙にはアメリカの大統領の顔が書かれている。もう片方は「アメリカ農家の12カ月」という本で、表紙はアメリカの穀倉地帯が描かれていた。
「これは農業の本じゃないか。これが俺と何の関係があるんだ?」
 俺は神山高校の二年生だ。進路だって未だ決めていない
「あら、関係無くないと思うけどね」
 姉貴が意味有りげな笑みを浮かべた
「そりゃ俺と千反田は親しい関係にあるが、だからといって俺と農業は関係がない」
「今はね」
「今は?」
「そう、だってえるちゃんは家を継がなくても農業の方に進むのでしょう?」
 いったい姉貴はそれを何処から知ったのだろうか?
「どうしてそれを知った」
「ああ、やっぱりね。普段のあんたの顔や行動を見ていたら簡単に想像がつくわ。それでアンタはそれをサポートする為に農業経営を学ぼうと考えているのでしょう」
 これは驚いた。千反田がやはり農業の方に進もうと考えていることは、多分俺しか知らない。そして俺の考えは誰にも口にしていない。今の段階では千反田にさえこの前口にしただけで、正式には話していない。
「呆れたな」
「どうしてよ。優しいお姉様に感謝しなさい。『アメリカ農家の12カ月』は古い本だから廃棄処分になるのを貰ったのよ。でも『本当はダメなアメリカ農業 』は新刊だからわざわざ買ったのよ。但し、それが無用の長物になるかどうかは、アンタ次第だからね」
 姉貴はそう言って自分の部屋に消えて行き、やがて
「出かけて来るからね。多分夕飯は要らないわ」
 そう言って出かけて行ってしまった。親父は出張なので今夜は俺一人だと言う訳だ。
 部屋に帰って姉貴に渡された本を眺めて見る。「アメリカ農家の12カ月」は単行本で分厚いが活字が大きいのでそれほど読むのに時間はかからなそうだった。特に用事も無いので手にとって読んで見る。
 内容はアメリカ農業の仕組みというか、どのような工程で農家が活動しているのかというものだった。これを読むと、日本とアメリカの違いがよくわかり、とても面白かった。たしかに、この栽培方法では、日本はコスト的に勝てないと思った。
 
 月曜日の放課後地学講義室で「本当はダメなアメリカ農業」の続きを読む。昨日途中まで読んだので続きだった。程なく読み終えた。要約すると、今のアメリカ農業の問題点が書かれていて、特に農薬と遺伝子組み換え問題が重くのしかかっていて、更に保護主義がアメリカ農業を一人負け状態に追い込んでいるという内容だった。
 本を置くと千反田が声をかけて来た
「さきほどから、面白そうな本をお読みになっているのですね。読み終えたら、わたしにも貸してください」
 目の前に座ってニコニコしている。
「何を読んでいたのか判っていたのか」
「はい、だって折木さんカバーも掛けずに読んでいましたから」
 そうか、文庫あたりだとカバーを掛けるのだが新書なのでそのまま読んでいたのだった。
「ならば」
 俺はカバンからもう一冊の本を出した。
「こっちと対で読んだ方が良い」
「そうですか、こちらは『アメリカ農家の12カ月』ですか、そして折木さんが今読んでいたのが『本当はダメなアメリカ農業』ですね」
「ああ、前者がアメリカ農業のやり方を書いている。特にコスト関係なら参考になる。後者は今のアメリカ農業の問題点が書かれている。これはもしかしたら明日の日本の農業の問題かも知れない」
「そうですか、ならば是非貸してください。でも、どうして折木さんが農業関係の本を読んでいたのですか? やはりこの前打ち明けてくれたからですか?」
「実はな、姉貴に読めと言って渡されたんだ」
「供恵さんがですか?」
「ああ、一言も言っていないのにな。全く油断のならない女だ」
「油断がならないなんて……素敵なお姉様じゃないですか。わたし願うなら将来は、供恵さんにお姉様になって戴きたいと思ってるのですよ」
 はあ? それって……。
「あ、わたし、つい普段思ってることを口に出してしまいました」
 目の前の千反田の顔がみるみる内に真っ赤になって行く。今千反田が口にした内容が、何を表すかはさすがに俺でも理解出来る。
「普段から思っていたことなのか?」
「ああ、また、わたし……」
 俺は普段から千反田からどう思われていたのかを理解した。そして俺の顔も真っ赤になっていくのを自覚した。
「あれ、ふたりともどうしたの? 今日はそれほど暑くないわよね」
 伊原が入って来て、真っ赤になってる俺と千反田を見て疑問に思っている。伊原の後から入って来た大日向が伊原の制服の裾を引っ張り
「どうも、わたしたちお邪魔なようですよ」
「そうみたいね。じゃ、ちーちゃんまたね」
 二人はそう言って教室から出て行った。俺と千反田は揃ってそれを見送る。
「行っちゃいましたねお二人」
「ああ、何か勘違いしたのかな」
 千反田は俺の隣に座り嬉しそうに語りだす。
「わたし、ひとりでいる時にたまに空想するんです。その中のわたしの隣には常に折木さんがいるんです」
 まさか千反田の妄想に俺がいつも出ているとは思わなかった。
「こんな俺で本当に良いのか?]
「はい、もう折木さんはわたしの心に住み着いているのです」
 千反田の告白を聴いて俺は自分の進路を真剣に考えるのだった。

                           <了>

 

氷菓二次創作「夏の終わり」

 さすがに八月も残りわずかとなると朝晩は秋の気配を感じるようになる。少なくともここ神山ではそうだ。
九月の始業式まであと一週間となったこの日、俺は神山高校に足を向けていた。そう、古典部の文集の編集会議があるからだ。
 今日は皆が順調ならば書いた原稿を持って来るはずだった。俺は、すでに書き上げていたから伊原に渡すだけだった。
「折木さん!」
 校門を入ったところで後ろから声を掛けられた。千反田の声だった。
「おう、原稿は出来たか?」
 俺は千反田が中々原稿に取り掛からなかった事情を知っている。あれから日にちもあった。果たして書けたのだろうか。千反田は自転車を降りて俺と並んで押して歩く。
「はい、なんとか書き上げました。出来は正直余り良くはないですが」
 成績上位者の千反田のことだから割り引いて考えなくてはならない。
「折木さんは今年もちゃんと書いて来たのでしょうね」
「ちゃんとかどうかは怪しいが一応書いて来た」
「正直、今年のテーマで折木さんがどのように書いて来たのか興味があります」
「わたし気になりますか」
「そうですね」
 神山高校の校門が後ろに過ぎ去り、学校の自転車置き場に向かう
「それより進路について決まったのか?」
 俺はこの休みの間に気になっていたことを直接尋ねてみた
「はい、理系ですからそっちの方向なんですが、正直、数学とか物理はそれ自体は楽しいですが、将来に渡って納めたいとは思いません。化学も部門によってですね」
 千反田の言い方でこいつが何を言いたいのか大凡推測出来た
「やはり農業の方向なのか?」
「判りましたか。さすが折木さんです」
 さすがも何も無いだろう。理系で物理、数学以外で多少化学に関係がある方向といったらこいつの場合、農業しかあるいまい。
「何度も考えました。将来千反田の姓を捨てることがあっても、幼い頃から慣れ親しんだ農業の道に進みたいと思いました」
 自転車置き場に自転車を置いて校舎に向かう。昇降口で上履きに履き替えて特別棟の四階に登る。地学講義室にはすでに里志と伊原が来ていた。
「おう、もう来ていたのか早いな」
「おはようございます。お二人早いですね」
「ああ、おはよう! ちーちゃん。元気だった?」
「やあホータローと千反田さん。元気そうで何よりだね」
 伊原と里志が返事を返してくれた。教室を見渡して大日向が来ていないことに気が付く
「大日向は未だのようだな」
「ひなちゃんは今日は少し遅れるそうよ。原稿は預かってるから構わないんだけどね」
 伊原がそんなことを言っていたら大日向が顔を出した。
「あれ、遅くなるんじゃ」
「はい、そうなるはずでしたが、用事が早く終わりまして」
 相変わらず日に焼けた顔が制服と妙にマッチしている。
「あのう伊原先輩、わたしの原稿なのですが、こちらと差し替えて戴きたいのですが……」
 大日向はそう言って新しい原稿用紙をカバンから出して伊原に差し出した。伊原はそれを受け取ると、自分のカバンの中から元の大日向の原稿と思われる原稿用紙を取り出して、入れ替えた。
「はい、これが元の原稿よ」
 伊原が意味有りげな顔をすると大日向は
「実は事実誤認というか間違えて書いていた部分がありまして、そこを修正したのです」
「そう、なら返って良かったわね。なんせ残るものだからね」
 そう言って新しい原稿を大事そうにしまった。文集はこの先、神山高校に古典部がある限り残って行く。そして後の世代の古典部員に読まれ引き継がれるのだ。
「図書館で新たに調べ直して修正版を書いたのです」
 今年のテーマは神山高校の卒業生と神山の街についてだ。伊原の意味有りげな表情と大日向の態度。その二つと最初の編集会議でのことを推測すると俺には大日向が何を間違ったのか推測出来た。恐らく伊原も了解済みなのだろう。

 編集会議は無事に終わり、今年は里志も伊原の指導が良かったのか短いながらも、ちゃんと書いて来ていた。大日向と伊原がそれぞれの原稿に簡単に目を通して確認した。
 解散となって伊原と里志と大日向が一緒に帰って行く。自然と俺と千反田が残された。鍵を返して昇降口で靴を履き替えて、自転車置き場に向かう。
「大日向さん結構大変でしたね。原稿を書き直すなんて」
 千反田が自転車を押しながらそんなことを言う
「大変だったが、やむを得なかったんじゃ無いかな」
「やむを得ないって、どういうことですか?」
 千反田の瞳が光った
「わたし気になります」
 こうなったら仕方ないので解説をする
「最初に原稿を書く時に神山高校の卒業生で有名人のリストを作ったろう」
「はい、各自がその中から選択するというものでした。その中にわたしの一族の者も入っていたので、わたしは、それを選択しました」
「そうだった。その時里志と伊原、それに大日向も選択したよな」
「そうでした。確か各々二名を候補に上げていたと思います」
「その時に、後でどちらか決めることになっていたよな」
「確かそうでした。それが何か……」
「ダブったんだよ」
「ダブったとは?」
 千反田はピンと来ないらしい。
「つまり、里志の選んだ人物と大日向が選んだ人物は二名のうち一名が同じ人物だったんだ。大日向は最初の原稿で選択した一人について書いたんだ。つまり里志が選択しないであろうと言う方だな。だが、編集で何度も伊原と逢っている内に、里志の選択した人物と自分が選択していた人物が同じであることに気がついた。そこで伊原に相談して原稿を差し替えることにしたんだ」
 俺の説明に千反田は目を大きく見開いて
「そうだったのですか! わたしには全く判りませんでした」
「まあ俺の勝手な推測だ。気にする必要はない」
「福部さんは知っていたのでしょうか?」
「多分知らないだろうな。全ては伊原と大日向の腹の中さ。俺の思い違いかも知れないしな」
 自転車置き場から自分の自転車を出した千反田はそれを押しながら俺と一緒に歩いて行く
「折木さんは、わたしには判らない先を見通す目をお持ちです。その目でわたしの進むべき道を指し示してくれませんか」
 おいおい冗談じゃない。俺にそんな能力なんかあるものか。人様の進むべき道など判りはしない
「そんなのは無理だし。自分自身で決めるものだろう。お前が家のことと離れても農業関係に進みたいなら、そうすれば良いし、また違った道もそのうち見えて来るんじゃないかな」
 当たり前の事をあたり前に言った。
「わたしの一族の中には過去に農学博士になった者もいます。わたしもそれに習おうと思っているのです」
 校門に差し掛かる所で千反田は自分の本音を吐露した。
「そうか、お前がそう決めたのなら俺は何も言わない。俺はそれを全力でサポートするよ」
「ありがとうございます。折木さんは進路を決められたのですか」
 高校の前の小さな橋を渡り学校の外へと出て行く
「実はな、前に決めかけた事があるんだが、お前には言えなかった」
 陽は未だ高く太陽は天空にある。
「それはいつ頃のことですか?」
「お前が雛になって俺が傘持ちをした時のことだ」
 あの日、どうしても言えなかった。その想いを今言おうとしている。
「あの時はお前が家を継ぐとばかり思っていたから俺は、お前の苦手な経営を納めようかと思っていたんだ」
 俺の言葉を聴いた千反田は
「折木さん。それって……」
 千反田がハッとした表情で俺の顔を見つめる。そう言えば以前にもこんなことがあったと思い出した。
 千反田が自転車を学校の塀に立てかけて、空いた両手で俺に抱きついて来た
「人が見てるぞ」
「いいんです。わたし嬉しいんです。一番信頼出来る人がそんなことを考えてくれていたなんて……」
 千反田の華奢な柔らかい体を感じているうちに何もかもが目に入らなくなってしまった。暫く、しばらくこのままで……。

                             <了>

氷菓二次創作「翼の飛び方教えてください」

 今年の神山の夏は暑いのでしょうか。それともそれほどでは無いのでしょうか?
 何も感じることが出来ずに夏休みが過ぎて行きました。さすがに家の人々もわたしの様子の変化に気が付き始めました。わたし自身はそれほど様子が変わったとは意識していなかったのですが、家の跡取りという立場が変わってしまった今、それまでとは心の持ちようが変わるのは仕方ないことだと思っています。
 それにしても考えるのはあの時の事だけです。雨の降る中バスに乗ってわたしを迎えに来てくれた人。今となっては家族以上にわたしの心情を理解してくれていてる人。 
 その人の名は折木奉太郎。神山高校の同級生で同じ古典部員であり、わたしが一番心を許せる人です。

 今日は古典部の集まりがあります。秋の文化祭で販売する文集「氷菓」の編集会議です。既にテーマは決まっていて各自が原稿を書いてるはずです。今日はその進行状況の報告です。
 テーマは神山高校と神山市の歴史についてです。神山高校の存在や卒業者が神山の街とどのように関わって来たのかを各自が自由に書くのです。わたしは、わたしの家の者で神山高校の卒業者が数名居ますが、彼らが神山とどのように関わって来たかを書くことになっています。資料は揃いましたが、どうしても書く気にならず、まだ原稿は手付かずなのです。
 折木さんや福部さん。それに摩耶花さんや大日向さんも原稿を書きます。編集は摩耶花さんが大日向さんと一緒に行い来年以降に備えます。
 古典部の部室である地学講義室の扉を開けると折木さんが一人でいつもの席に座っていました。その姿を目にして心が安らぐのを感じます。自分でも表情が緩むのを自覚します。
「こんにちは折木さん」
 声を掛けると折木さんは読んでいた本を脇に置いて振り返り
「おう千反田か。どうだ少しは落ち着いたか?」
 折木さんはわたしの状態を酷く気にしていました。その具合は家族以上と言っても良かったでしょう。
「落ち着きはしましたが、まだ先の事を考える余裕はありません」
 正直に己の心を伝えます。それが折木さんに対するわたしの誠意だと思うからです。今日こうして少し早く来たのも実は折木さんと二人だけで話がしたかったからです。多分、下校時にも話をすることは出来るでしょう。でも、誰とも会う前に折木さんと話がしたかったのです。そして恐らく折木さんは、わたしがそう思っている事を見抜いて早く来てくれると思ったからです。やはりそうでした。
「そうか仕方ないか、今になって急にだからな」
「いまさらなんです。いまさら翼をくれても飛び方が判りません」
「そうだよな」
「家を継がなくても良いと言われても、わたしはやはり千反田の娘なんです。それは変わることがありません。だから……」
「何をしても良いとは思えないか」
 やはり折木さんは判ってくれていました。嬉しくて目の奥が熱くなります。思わずハンカチで目頭を抑えます
「どうした。大丈夫か? 家の中でそんなに辛い立場なのか?」
「違うんです。この世界にたった一人だけでも自分のことを理解してくれる人が居ると思うと」
「まあ頼りないかも知らんが俺はお前の味方だからな」
 前にも言ってくれた事ですがやはり、ハッキリと言ってくれると嬉しいです。でも……。
「折木さん。これからは味方以上の存在になって欲しいと言ったら軽蔑しますか?」
「それは……」
 そこまで言いかけた時でした。教室の扉が開き
「あ、ちーちゃんもう来ていたんだ。折木も早いじゃん」
「こんにちは~ あ、お二人は早いですね」
 摩耶花さんと大日向さんが入って来ました。
「おう伊原と大日向か、里志はどうした?」
 折木さんが摩耶花さんに尋ねると
「ふくちゃんは手芸部に何か提出物があるからと寄ってから来るって」
「そうか、里志は両方だから大変だな」
「それはそうだけど、だからといって昨年みたく原稿が遅くなるのは許さないからね」
 摩耶花さんはそう言って笑っています。わたしは「許さない」という言い方が二人の信頼の深さを表していると思い少し羨ましく感じました。わたしは折木さんにあのような言葉は使えませんし折木さんも、わたしには言わないと思います。
 そんな事を考えていたら福部さんがやって来ました。
「遅れてゴメン。早速始めようか」
 その言葉で編集会議が始まりました。今年はそれぞれが順調に進んでいる事が確認出来ました。一番遅れているのがわたしのようでした。

「それじゃ、今度は二学期の前ね」
「それじゃ失礼します」
「じゃホータロー、千反田さんまたね」
 三人が手をひらひらさせて帰って行きました。また二人だけになります。少しぼおっとしていたら
「どうした?」
 眼の前に折木さんの顔がありました。思わず少し引きます。
「何でも無いのですが、さっき摩耶花さんが福部さんの原稿の事で遅れるのは許さないと言っていました」
「ああ、あいつらしいと思ったよ。昨年は大変だったからな」
「わたしは羨ましいと思いました」
「羨ましい?」
 折木さんは判らないという表情をしています。
「だって、そう思いませんか? 古くからの友人とは言え、人の前であのような言い方をするという事はどれだけ二人の絆が強いのだろうかと思いました」
 わたしの言葉を折木さんは聴いて少し考えてから
「図書室で最初に伊原に会った時の事覚えているか?」
「はい覚えています。神高ベストカップルだとかどうとか」
「いや、そうじゃなくて、里志は伊原の事なんて呼んでいた」
「摩耶花と呼んでいました」
「そう、その通り。それで判らないか?」
「何がですか」
 わたしが折木さんの真意を理解出来ていないので折木さんは説明をしてくれました。
「暑いな。窓を開けよう」
 窓を開けると夏の風が入って来てカーテンを揺らします。
「あの時、二人はまだ交際していなかった。伊原の告白を受けていたが里志はそれを拒否していたんだ」
「そうでした」
「そんな関係なら普通はどう呼ぶ?」
「ええと……伊原とか名字かあだ名かですか?」
「まあ通常はそうだろうな。言っておくが里志は俺たちとは小学校は違う。中学で二人は出会ったんだ」
「あ……」
 わたしは今まで折木さんが摩耶花さんと小学校以来の付き合いなので福部さんも同じと思っていました。
「つまり中学の三年間で、二人は心の中を慮る(おもんばかる)程の関係を築いていたと言う事なんだ」
 折木さんの言いたい事は判りました。摩耶花さんと福部さんは交際する前からお互いの心情を深く理解していた仲だったと言う事なのです。
 風の入って来る窓辺に立ちます。折木さんがそっと後ろに付いてくれます。
「わたしのお願い聞いてくれますか?」
「お願い?」
「はい。貰った翼の飛び方を一緒に考えてくれますか?」
 ここ数日思っていた事でした。わたしの一番大事な人だからお願いしたのです。
「ああ、俺で良かったら一緒に考えよう」
 折木さんはそう言って後ろからそっと抱きしめてくれました。嬉しさと恥ずかしさで体温が上がるのが判ります。でもこの状態が何時までも続けば良いと思うのでした。


                          、<了>

「氷菓」二次創作 えると奉太郎

 初夏の風は梅雨の合間にも関わらず爽やかで躰を包んで後方に流れて行く。自転車を漕ぐペダルに力が入る。すると道を行く俺の前を一羽のツバメが低く横切った。思わずブレーキを掛けて自転車を停めた。
 ツバメは俺の前を横切ると道沿いの民家の軒先に入って行った。恐らく、あそこに巣があるのだろう。緑が多くツバメの好みそうな虫も多いこのあたりなら子育てにピッタリなのかも知れない。
 俺はそんな事を考えて再び走り出した。約束の時間までには千反田家に到着していなくてはならない。例えそれが余り乗り気では無い事柄でもだ。

 昨夜金曜の夜の事だった。九時を少し回った頃だったろうか、家の電話が鳴り出した。こんな時間に掛かって来るのは凡そ想像がついた。姉貴に用事なら自分の携帯に掛かって来るだろうし、親父でも同じだと思う。
「はい折木ですが」
「夜分遅くすいません。千反田と申しますが……」
「千反田か、どうした?」
「ああ、折木さんですか。よかった。明日は何かご用事がありますか? もし無いなら相談に乗って欲しいのです」
 姉貴は仕事に行っている。洋書を取り扱う部署なので休みが土日とは限らないので、明日も仕事のはずだった。親父は今日から出張だった。
「特別な用事は無いな。一週間の疲れを取る為に休むという大事な用以外はな」
「駄目でしょうか?」
「何か困った事でもあったのか?」
「はい。というより折木さんの考えをお聞きしたいのです」
「俺の考え?」
 どうやら、いつもの「気になります」では無いらしい。
「電話では駄目なのか?」
「はい、出来れば直接……」
 千反田の歯切れの悪い言い方に己の事では無いと考えた。
「誰かに相談でも持ちかけられたのか?」
「判りましたか! さすがです」
「お前の言い方で何となく判ったよ」
「それで来て戴けるのでしょうか?」
「行かねばならないだろう。特にお前の頼みならば」
「ありがとうございます! 嬉しいです。よろしくお願いします」
「それで何時までに行けば良いんだ?」
「はい、出来れば午前十時頃までには」
「判った。それまでには行く」
 そう言って電話を切った。
 自転車は陣出の坂を登り始めていた。立ち漕ぎになり脚に力が入る。坂を登り切ると陣出が一望出来た。

 約束の十時少し前に千反田邸に到着した。木戸の前では千反田が着物姿で佇んでいた。多分、俺を待っていたのだろう。俺の姿を認めると表情が明るくなった。
「お休みの日に申し訳ありません」
 両手を揃えて頭を下げた
「なに、それは構わないが、今日は何か特別の日なのか?」 
「特別な日と言うよりは、先日田植えが終わったので今日は皆を招いての慰労会なのです。一応、父が挨拶する事になっています。
 そうか、農業に関わっていないとウッカリするがこの時期は農家にとってみれば大事な時期だったのだ。
「それで着物姿か……一年に数度も拝めるとは役得かな」
「そんな……」
 千反田が両方の手で顔を隠した。薄紫の一重の着物の裾が乱れて真っ赤な緋縮緬の長襦袢が見えて白い千反田の脚が覗いた。
「恥ずかしがってる場合じゃ無いんじゃないか?」
 俺の言葉に千反田は我に返り
「そうでした。折木さんの意見を伺いたいのです」
 そう言って木戸を開けて俺を中に通した。
 家の中では宴会の準備が進められていて、幾人もの人々が動き回っていた。それとは別な所に案内される
「お父様、折木さんがいらっしゃって下さいました」
 襖を開けながら膝を着いて部屋の中の人物に声を掛けた。その仕草が美しい。幼い頃から生きて来た環境が俺とは明らかに違うのだと感じた。
「入って戴きなさい」
 奥から声が聞こえた。恐らく鉄吾さんの声だろう。
「さ、どうぞ」
 千反田に言われて部屋の中に入ると座卓に数名の男が座っていた。見ると吉田さんや花井さん達だった。一番奥が鉄吾さんだった。
「折木さん。わざわざ呼びつけるような事をして申し訳ありません。何せおおやけには出来ぬ事が発生したので、誰か頼りになる人物がいるか、皆に訊いたところ、えるが『心当たりな人がいます』と言う事だったので頼む事にしたのです」
 つまり、今日の慰労会に向けて何か問題が起きたと言う事なのだろう。その解決に俺が呼び出されたと言う訳だ。
「その問題とは一体どのような事なのですか?」
 俺の質問に鉄吾さんが語り出した。
「毎年、田植えが終わると慰労会を開きます。昔は千反田家が全てを負担していましたが、小作関係だった昔と違い今は全ての農家が独立しております。ただ田植えや刈り入れなどの人手が必要な時はお互いに手伝いしあいます。そんな事も含めて終わると慰労するのですが、基本は会費制です。足りない場合はわたしどもから出しますが、会計を決めて会費制で行うのです」
 年に二回会費制で慰労会を行うとは以前に千反田から聞いた事がある。それが今日だったと言う訳だ。
「それで何が起きたのですか? まさかその会費が無くなったとか?」
 俺の質問に鉄吾さんは首を振り
「それは、花井さんがちゃんと管理してくれていますので大丈夫だったのですが、祭壇のお供え物が……」
「盗まれてしまったのですか?」
「盗まれたというよりは消えてしまったのです」
「消えた?」
 俺の言葉に吉田さんが
「そうなのです。お供え物は山の幸を色々と供えたのですが、全部消えたと言うよりは一種類だけが忽然と消えてしもうたのです」
「兎に角、現場を見せて下さい」
 俺はその祭壇に案内して貰った。
 千反田の家の広い庭の一角に祠がある。千反田に尋ねたところ
「はい、先祖代々お稲荷さんを祭っています。お稲荷さんは米作りの神様ですから」
 そう言っていた。その祠に案内された。お稲荷さんは綺麗に飾り付けられ、幟も何本か立っている。そこに真新しい祭壇が拵えられて、そこに色々なものが供えられている。
「何が無くなったのですか?」
 俺の質問に吉田さんが
「鮎ですじゃ」
「鮎ですか? 山というより川や海の幸じゃないですか?」
「確かに、鮎は川で採れますが、農業には水も大事ですじゃ。それにこの陣出では良い鮎が採れますので、水の事も祈ってお供えしますのじゃ」
 確かに農業にとって水は大事だ。特にの陣出ではかって水の争いもあったと聞く。
「すいません。一人で少し考えたいので、ここに残ります」
 そう吉田さんに言うと千反田が傍に付いてくれた。
「いいのか? 行かなくても」
「はい。わたしにとっては好都合な言い訳が出来ました。こうして今日も一緒に居られるだけでも幸せです」
 誰も居なくなった庭の片隅で二人だけの時間が過ぎて行く。
「お前気が付かなかったのか?」
 俺の言葉に千反田は訳が分からないと言う表情をしている。
「コタローは今日はどうした?」
 俺の言葉に千反田はハッとして
「そう言えば……」
 俺は声に出してコタローを呼んでみた。
「コタローコタロー」
 すると、暫くしてコタローが植え込みの間から出て来た。大分大きくはなっていたが、面影は変わらない。
「ニヤー」
 そう言って俺の足下にじゃれついた。
「元気にしてたか」
 そう言って手を出すと飛びついて来た。
「ニャン!」
 俺に抱かれて喉をゴロゴロ鳴らしている。千反田はそんな様子を見ながら俺に尋ねた。
「折木さん。まさかコタローが盗んで食べてしまったのですか?」
「多分、そうでは無いだろう。猫は子供の頃に口にしなかったものは食べないと言う。お前、子猫の頃に鮎なんて食べさせたか?」
「いいえ、食べさせていませんけど」
「ならば、何処かに隠してあるな。恐らく片方のサンダルやスリッパ等と一緒にあると思うな」
「サンダルやスリッパですか?」
「ああ、お宝だよ」
「ええ! どうしてですか」
「コタローにとっては若鮎はキラキラして綺麗だったのだろう。だからついお宝として失敬してしまったのだろう」
 幸い神主を招いてのお祈りの時は別な鮎を使ったそうだが、本来の鮎はコタローの隠し場所にあるのだろう。
 数日後、腐り始めて臭いでその場所が判り、見つかったそうだ。
 後日、陣出の人々は狐の他に猫も関わったと言うので「今年は豊作間違い無し」と喜んだという。
「やはり折木さんは、わたしが選んだ方です」
 俺は千反田が身につけていた緋縮緬の長襦袢があんなに色っぽいものだとは思わなかった。

                     <了>

「氷菓」二次創作 「箱根の夜」

 里志からの電話の内容は俺を旅行に誘う内容だった。
「じゃあ楽しみにしているからね」
「ああ、判った」
 そう返事をしてスマホの通話ボタンを押して終了させた。程なく里志からグループLINEで旅行の場所や日時、そして当日の待ち合わせ場所が確認の為送られてきた。それに目を通す。
 グループLINEのメンバーは四人。俺と里志、それに伊原と千反田だった。里志と伊原は先年籍を入れて夫婦となっている。だが伊原が漫画家として売れだしてしまい、夫婦としての時間があまり取れないらしい。そこで思い切って旅行を計画したのだった。何でも伊原は連日仕事用に借りたマンションに居て余り帰っては来ないらしいのだ。これは里志が先程電話で俺に言った内容だ。
 大学を出てはや二年。社会人として何とか格好が付き始めた頃だった。千反田とは高校を卒業して以来数回逢っただけだ。京都の大学に行った千反田と東京の三流大学に進学した俺はじっくりと逢う事もままならなかった。
 週に一度ぐらいは電話を掛けていたが、普段はそんなものだった。お互いに帰省する時期も違うので神山で逢う事もなかったのだった。
 理系の学部というのは実験や観察で結構忙しいらしい。文系の俺とはそれも食い違うことだった。就職した俺と違い、奴はそのまま大学院に進学した。だから今でも京都住まいだった。関西に出張したついでに一度立ち寄ったことがあるが、友達が来て居たので、顔だけを見るとそのまま失礼した。どうもその友人がその晩泊まることになっていたそうだ。そんな状況では長居できない。数日後、千反田からお詫びの連絡が入ったが、そもそも急に立ち寄った俺も悪いのだと言ってその時はそのままとなった。それ以来じっくりと話をしていない。
 里志のプランでは最初は神山近郊の温泉に行くというプランだったが、伊原が反対した。
「家の近くでは旅行に行った気がしない」
 というものだった。確かに日常から離れてこそ旅の醍醐味があろうと言うものだと思う。東京住まいの俺でもそう思う。結果、箱根と決まった。小田原の駅前に十二時に集合と決まった。俺は小田急か新幹線で、里志と伊原、それに京都から来る千反田は新幹線となった。
 里志が予約した宿は塔ノ沢温泉にある宿で箱根登山鉄道の塔ノ沢駅を降りて吊橋を渡った先にある宿だそうだ。
「少し歩くけど大丈夫だよね」
 歩いても十~二十分程度なら大したことはない。
 季節は六月でどういう訳か皆の仕事が一段落するということだった。

 当日は曇り空だったが、雨とはならなかった。小田原の駅前で待っていると改札から三人が姿を見せた。
「偶然新幹線が一緒でね」
 里志が嬉しそうな表情で説明をする。
「こんにちは折木さん。暫くぶりです。いつぞやは本当に申し訳ありませんでした」
 千反田は俺が今日で千反田の部屋に寄った時の事を詫た。
「いいや俺の方こそ不意に寄ったのが悪かったのだ」 
 そんな二人のやり取りを伊原が興味深そうに見ている。
 千反田は夏物のモスグリーンのカーデガンに麻のワンピースを着ていた。スカートの裾から伸びた脚が眩しかった。
 四人は箱根登山鉄道に乗り塔ノ沢を目指す。電車はスイッチバックを繰り返しながら山を登って行く。線路の脇の紫陽花が満開で千反田も伊原も見とれていた。
「綺麗ですね。花に囲まれているみたいです」
 東京では少し盛りが過ぎた紫陽花だが涼しい箱根では今が満開なのだった。
「いやこれほど美しいとは思わなかったな」
 里志もその美しさに驚いていた。
 やがて電車は塔ノ沢駅に到着した。駅を降りて早川の方角に歩いて行くと、川を渡る吊橋が見えて来た。道から少し入っただけなのだが、辺りは霧に覆われていて吊橋の先は霞んでいた。
「何だか、とても神秘的ですね」
 千反田に言われなくても、恐らく皆同じことを考えていただろう。とてもここが東京から日帰り圏内とは思えなかった。
 吊橋を渡り道なりに歩いて行くと目指す宿はあった。だが霧の中に忽然と現れた感じがしたので、益々この世のものとは思えない感じがした。
 チェックインして部屋に案内される。部屋は二部屋とってあった。
「僕たちは構わないけど、ホータローと千反田さんは微妙な関係だからね」
 なるほど気を回してくれた訳かと納得する。
 結局、里志と俺、千反田と伊原となった。部屋に入ると窓から下の早川の流れが見えた。悪くない景色だった。
 早速風呂に入る。里志の言うには
「露天風呂もあるんだ。後でそっちにも行くつもりさ」
 そういえばこいつは温泉に来ると何回も入るのだと思いだした。
 夕食は別の部屋で四人で食べた。中々のもだったと記しておく。里志と伊原、千反田と俺が並んで、千反田と伊原が向かい合わせになった。
 夕食が終わり部屋に帰ってみると布団が敷かれていた。寝転がろうとした時、里志が
「ホータロー悪いけど、ここにこれから摩耶花が来るんだよね。だから悪いけど……」
 里志の言いたい事はすぐに理解できた。里志と伊原は夫婦の時間が余りにも取れないので今夜、その埋め合わせをしようとしているのだと理解した。
「そうか、じゃ俺はロビーにでも寝るとするか」
「おいおいホータロー。行く場所が違うじゃ無いのかい」
 やはりそうだと思った。俺に千反田の部屋に行けという事なのだ。
「千反田は知っているのか?」
「ああ、摩耶花が説明したら快諾してくれたそうだよ」
 どうような説明をしたのか判らないが納得してるなら、それでも良いかと考えた。
「判った。向こうの部屋に行こう」
「悪いね」
 特別悪くは無い。だが朝までには大分時間がある。それをどうするかだ。まさかずっと千反田と話をしてる訳には行くまい。
「千反田来たぞ」
 部屋の前で声をかけると中から
「はいお待ちしていました」
 そう声がした。襖を開けると部屋の中には千反田が浴衣姿で座っていた。髪の毛はそのままにしてあった。湯に入った時は上げていたのだろうと思った。
「摩耶花さんたち今夜はゆっくりと二人の時間を過ごしたいそうです。だから快諾したのです」
 俺も想いは同じだった。千反田の向かいに座る。俺も浴衣姿だ。
「思いがけなくわたしたちも二人だけの時間が持てましたね。本当はこの時を待っていたのか知れません」
「京都では時間が持てなかったからな」
「はい、あの日、わたし自分の間抜けに呆れました」
「あれは俺が悪かったんだ。前に電話でも入れておけば良かったんだ」
「でもお仕事の都合もありますから」
 でもそれは言い訳でしかないと思った。その気があればどうにでもなる。
「そっち行っても良いですか?」
「あ、ああ」
 返事がぎこちないとは思う。千反田は立ち上がると回って俺の隣に座った。
「わたし大学に行って折木さんと離れ離れになって本当の自分の気持に気がついたのです。遅いですよね。その時折木さんは東京に住んでいたのですから。だから高校を卒業してから折木さんの事を忘れた事はありません」
 千反田に言われなくても俺も同じ気持ちだった。千反田がそっと躰を近づけて来る。そっと浴衣の上から抱きしめた。浴衣越しに千反田の柔らかい躰の感触を感じる。耳元で柔らかいため息が漏れる。
「折木さん。しっかりと抱きしめてください。どこにも行かないように」
 その言葉を耳にして両腕に力を入れる。豊かな胸の感触を感じる。そういえば高校の時に市民プールで千反田の水着姿を見たが、あの頃より豊かな感触だった。背中に回した手の感触で少なくとも上半身は浴衣の下は何も身に着けていないと思った。
 お互い見つめ合い口づけをする。口づけは高校の時に経験済みだった。
「折木さんキスが上手くなってます。誰としたのか、わたし気になります」
「上手くなったと判るという事は誰と比べているのかな」
「折木さんイジワルです」
 そう言って俺のはだけた浴衣の胸に顔を埋めた。
 背中の手を下に移して行く。腰のあたりで下着の感触が無いことに気がつく。その気配が判ったのか
「湯から上がって躰を拭いたあと素肌にそのまま浴衣を着ました」
「じゃあ食事の時も……」
「はい」
「大胆だな」
「だって今夜はどうしても折木さんに気に入って欲しかったのです。こんなわたし嫌ですか?」
「いいや。その気持も嬉しいよ」
 千反田の浴衣の合わせは既に乱れていて、豊かな谷間が覗いている。そっと手を入れると甘い吐息が漏れた。
「すごく敏感になっています」
 それは膨らみの先が固くなっているので判った。
「もうわたし……」
 その言葉に布団の上に寝かせ、帯を解き浴衣の前を開くと芸術品と言っても良い美しい千反田の躰が現れた。シミひとつ無い白い素肌。豊かな胸と腰。男としてこれほど恭悦を感じた事はなかった。
 長年の想いが叶った瞬間でもあった。千反田もそれは同じ想いだったのだろう。その喜びでそれが判った。
 その夜は人生に於いてお互い本当に喜びに満ちた夜だった事を記しておく。


                      <了>
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