二次創作

「氷菓」二次創作 お昼ご飯をご一緒に

 四月になってすぐに千反田の家の傍にある水梨神社で「生き雛まつり」が行われた。これについては別に話す事もあると思うので又の機会にする。結果だけ言えば千反田にとって最後の雛となった。俺はそれを十二分に楽しませて貰った。
  ところで俺は今、フライパンを左手に持って野菜と豚肉を炒めている。時々ひっくり返して万遍なく火が通るようにしているのだ。
 え、昼飯でも作っているのかだって? まあ当たらずとも遠からずと言っておこう。俺の隣には千反田が白地にピンクの柄のエプロンをして立っている。良く似合っている。千反田は手際よく野菜を切って野菜サラダを盛りつけている。
「折木さん、野菜は火が通ればそれで結構です。用意した調味料を入れてください」
 ここは俺の家の台所だ。姉貴は会社の研修で海外に行っていて暫くは帰って来ない。親父はいつもの通り出張だ。従ってこの家には俺しか居ないのだ。その事を「生き雛」の時に話したら
「それでは食事なんかどうなさっているのですか?」
 そんなことを尋ねてきたので
「別にいつもの通りさ。適当にしてる。冷蔵庫に残り物があればそれで何か作るし、無ければスーパーにでも買い出しに行けば良い。こういう事は今までも良くあったしな」
 そうなのだ姉貴が家に居ないのはほぼ日常だった。大学に行っているときは講義がある期間は家にいなかったし、休みの時は大体旅行に出ていた。
 だから千反田に不自由を問われてもピンと来なかったのだ。だが、千反田はそうではなかった。
「そうだ! 春休み中に折木さんのお宅にお邪魔させて戴いて、わたしが何か作くりましょう。幾品か拵えておけば二三日は大丈夫ですし」
「千反田。それは有り難いが、俺は今までも適当にやって来た。わざわざ来てくれなくても大丈夫だぞ」
 俺がそう言うと千反田は頬を膨らませて
「お邪魔しては駄目ですか?」
 そう言って訴えるような目をした。
「いや、お前さえ良ければ構わないが、大変じゃないのか?」
 実は俺も本気で大丈夫と言った訳ではない。心の何処かでは『春の一日千反田と二人だけで過ごすのも悪くはない』そう思いかけていたのも事実なのだ。
 千反田は家から色々な野菜を持って来てくれた。自転車の前の籠と後ろの荷台には野菜で溢れ返っていた。これだけの量の荷物を乗せてあの坂を登るのは女子にはキツかったと思う。そのことを問うと
「わたし、これでも体力は自信があるんです。それに陣出の坂は慣れていますから」
 そんな答えが返って来た。そう言えばコイツは長距離走が得意だと言っていたことを思い出した。

 フライパンの中の炒まった野菜と肉に千反田が作ってくれた調味液を入れる。「ジュワー」と言う音と共に炎が燃え盛る。急いで中身をかき混ぜる。
「絡まったら出来上がりか?」
「はい、そうです。そこの器に盛りつけて下さい」
 横を見ると千反田が大きめの皿を出しておいてくれた。こんな皿ウチにあったかと思っていたら
「先日、供恵さんに伺っていたのです。そうしたら食器棚の下の扉の中にあると教えてくださいました」
「何だと! 姉貴が知っていたのか?」
「はい、お留守の間にお邪魔致しますので、一応ご挨拶するのが礼儀だと思いまして」
 何のことはない。またしても俺は姉貴の手の平で踊らされたのだ。
「でも、心配なさっていました。『一人だと面倒くさがって、ろくなものを食べないから良かった』と」
 ろくなものしか食べていない訳ではないが、それはそれで千反田が来る理由にはなると思った。

 テーブルには千反田が盛りつけた野菜サラダ、それに俺が炒めた野菜炒め。それに千反田が今朝自分で作って来たという豆腐が冷奴として乗っている。
「ご飯は炊けていますから、お味噌汁を作りましょう」
 千反田は皮を剥いてスライスして水に入れておいたジャガイモを出汁張った鍋に入れると火にかけた。やがて沸き始めると今度は戻してカットしたワカメを鍋に入れた。
「スライスしたジャガイモは直ぐに火が通るので、味噌を入れてしまいましょう」
 千反田は持って来たタッパを開けた。
「家で作っている味噌なんです。どうしても折木さんに食べて戴きたくて」
 茶色の味噌をお玉に取ると箸で少しずつ溶かしはじめた。
「出来ました。食べましょう」
 戸棚から俺が取皿と茶碗と箸。それにお椀を二人分出すと、千反田が電気釜の蓋を開けてご飯を盛り付ける。ご飯はキラキラと光っていて湯気を立てている。正直、この千反田米を食べられるだけでも嬉しい。最後に千反田が味噌汁をよそうと支度が出来た。
「さあ出来ました。食べましょう」
 テーブルを挟んで向かい合う。
「いただきます!」
 食べようとしてつい前の千反田に視線が行く。千反田は味噌汁に口をつけてからご飯を一口食べて取皿に野菜炒めを取ろうとして俺の視線に気がついた。
「折木さん。そんなに見つめては恥ずかしいです」
 ほほを染めた
「あ、すまん。つい見てしまった」
 俺がそう言うと千反田は茶碗を移動させて、俺の隣に座った。
「ここなら折木さんの隣ですから」
 そう言って嬉しそうな顔をした。それにしても近い。千反田の体温も感じるほどだ。
「どうしたのですか、食べないと冷めてしまいます」
 その声に我に返り箸を動かす。口に入れた艷やかな千反田米はやはり味が違う。
「お味噌汁も飲んでみてください」
 千反田は盛んに味噌汁を勧める。一口飲んでみると、味噌が旨い。市販のものとは基本的な所が違っていると思った。
「旨いな。やはり違うよ」
 俺の言葉を聞いて嬉しそうな顔をした。
「折木さん口を開けて下さい」
 いきなり千反田がそんな事を言うので口を開くとそこに千反田が自分の箸で自分の茶碗のご飯を摘んで俺の口に入れた。
「ん、」
「驚いてモグモグしている折木さん。可愛いです」
 嬉しそうにはしゃいでる千反田を見て俺も嬉しくなった。
「将来は毎朝、こうして一緒に朝ごはんを食べれたら幸せですね」
 千反田はそう言って箸を持ったまま右手を俺の左腕に絡める。
「もしかして来年の今頃のことか?」
 千反田は返事の代わりに俺の右腕を更に強く絡めるのだった。そういえば冷凍庫にハーゲンダッツのチョコレートアイスが入っていることを思い出した。

                                  <了>

「氷菓」二次創作 古典部の活動

 春休みほど心が開放される日々はないと常々思っている。それは季節的な事もあるし、何より日々の勉強と言う苦行から暫しとは言え開放されたからだ。この気持ちの持ちようは素晴らしいと俺は思う。
 春休み初日。俺は思い切り惰眠を貪っていた。姉貴は既に百日紅書店に勤務を始めていた。勿論正社員になるまでの試用期間みたいなもので色々と講習を受けるらしい。特に姉貴が配属される部署は洋書の取り扱いをするらしいので、その点の講習らしい。
 昼近くに起きて冷蔵庫を漁っていると玄関のインターホンが鳴った。まるで俺が起きてくるのを待っていたようだった。誰かと思いドアの覗き窓から覗くと魚眼レンズの向こうには千反田と里志。それにその後ろに伊原が立っていた俺がドアの内側で覗いた事が判ったのか里志が片手を上げた。驚きそして急いで玄関を開ける。
「こんにちは折木さん」
 白いコートにモスグリーンのセーターを着た千反田が頭を軽く下げる
「あれ、あんたまだそんな格好しているの?」
 里志の後ろから水色のパーカーを羽織った伊原が冷ややかな視線を浴びせる
「まさか、約束を忘れていた訳では無いよね。ホータロー」
 ダッフルコートの里志までもが呆れていた。はて俺は今日こいつらと何か約束をしていただろうか?
「皆で何かあるのか?」
 グレーの寝間着兼用のスエット姿の俺の言葉に
「昨日学校で約束したでしょう。忘れちゃったの?」
 伊原の言葉に昨日の記憶を思い出す。確か昨日は年度末最後の登校日だと言うので古典部の部室に大日向を含め皆が揃ったのだった。
 だが別に特に活動の目的も無い我が古典部だからそれぞれが勝手な事をしていてそのまま下校となったと記憶していた。
「あのう、昨日大日向さんが言っていた事覚えていませんか?」
 千反田の言葉にはっとした。そう言えば何か大日向は言っていたのだ。俺はそれを良く聞いておらず文庫本に夢中になっていた。
「大日向さんが『古典部なんですから、たまには皆で古典の勉強をするのはどうですか』と言って、今日の午後から某放送局の落語会の収録に行かないかと誘われたのです。何でもハガキが当たって、一枚で五人まで入れるそうです。それでどうかと」
 そうかあの時、そんな事を話していたのか。全く聞いていなかった。
「行かないのかいホータローは」
 里志はそんなことを言ったが、この状況で俺だけ行かないのは不味い。
「行く! すぐ支度するから中で待っていてくれ」
 三人を招き入れリビングで待って貰っている間に支度をする。支度と言ってもスエットを脱いで着替えるだけだ。数分もあれば終わる。壁に掛かっていたトレンチコートを手に取り、リビングに降りた。メモ用紙には「出かける。遅くなるかも」とだけ書いておく。
「お待たせ。行こう」
 四人で表に出ると流石に三月下旬だけあって少し暖かい風が穏やかに流れていた。三人のうち千反田だけは何かが入っていそうなボストンバッグを持っていた。
「ところで、何処でやるんだ。その落語会は」
 俺の質問に千反田が
「文化会館の大ホールだそうです。何でも五十五分の番組を二本収録するとか。だから都合休憩を入れて二時間半ほどだそうです」
 文化会館には何かと因縁がありそうだった。
「大日向は落語が好きなのか?」
「さあ、でも番組の収録に応募したら当たったそうよ。普段から落語の放送を聴いてるんじゃないかしら」
 伊原がそんな分析をする。
「何でも今日は古琴亭左朝がトリで出るそうだよ」
 里志が嬉しそうに話す。そういえばこいつは落語が好きだった。恐らくこいつのデータベースには色色々な情報が入っているのだろう。古琴亭左朝の名前はいかな俺でも聞いたことがある。 
「大日向とは何処で待ち合わせているんだ」
「何でも文化会館の前で待っているそうです。今日は福部さんと摩耶花さんも一緒なので大丈夫です」
 千反田が安心したように言うがその意味が判らないでいると伊原が
「わたしとふくちゃん。それにひなちゃんも携帯を持っているから迷わないと言うことよ」
 そうか、同じ市民会館の前と言っても場所が微妙に変われば出会うのに時間が掛かってしまう。携帯で連絡を取れば簡単という訳だ。
 市民会館の前では大日向が待っていた。ここには「あの日」以来だった。千反田にとっては思い出したく無い出来事だろう。でも目の前の千反田はそんな事を感じさせない雰囲気を醸し出していた。
 大日向はスリムのデニムに赤いブルゾンを羽織っていて、確かに目立と思った。
「ゴメンね。折木のところで時間掛かってしまって」
 伊原が少し遅れた訳を言うと大日向が
「いいえ、わたしも今来たところですから。殆ど待っていませんよ。それより自由席なので早くしないと良い席取られてしまいますから急ぎましょう」
 そう言って大日向は入り口に向かって歩き出した。文化会館のホールの入り口には、大きな立て看板が立っていた。
「TBKほろ酔い落語会収録会場」
 その看板を見ながら横を抜けると大日向が係員に当選したハガキを手渡した。係員が俺たちの人数を確認して中に通してくれた。
 扉を開けて会場に入ると既に半分ほど席が埋まっていた。もう半分ほどは赤いシートの色がそのまま残っていた。
「いい席埋まっちゃった?」
 伊原が心配していると大日向が
「前の方空いてますから大丈夫です。落語って仕草も大事だそうですから余り遠いと判らないですよね」
 そう言って先頭になって通路を前の方に歩いて行く。次が伊原でその後ろが里志。そして千反田と最後に俺が続く
「折木さんは今まで生で落語を聴かれたことありますか?」
 千反田が後ろを振り返りながら俺に尋ねる。
「いいやCDや放送ならあるが生では始めてだ」
「わたしもなんです。一度聴いてみたかったのですが、東京や大阪に行かないと無理なので諦めていたのです。だから大日向さんに生で聴けると言われて嬉しかったのです」
 千反田あたりの家なら押し入れの奥に戦前のSP版がありそうだと思った。そんなことを考えていたら千反田が階段に躓いた。急いで手を伸ばして千反田の体を支える。
「さすが折木先輩。千反田先輩のことには抜かりはありませんね」
 大日向が嬉しそうにそんなことを言う
「仲の良いのを見るのが好きなんだろう」
「そうなんです。特に最近は二人を見てるだけで癒やされます」
 別に俺はそんな事を思ってる訳では無いと言おうとしたが止めた。千反田が嬉しそうに笑っていたからだ。
 前から五列目に五人揃って並んで座れる席が空いていた。
「ここならどうですかね?」
 大日向が後ろを振り向きながら確認する
「いいんじゃない。見易そうだし」
「うん。丁度良いと思うよ」
「いいですね。良い席だと思います」
 その後俺の言葉を待っていた四人が俺を見つめるので
「うんいいんじゃないか」
 とりあえず、そう言っておいた。
 席の位置は高座に向かって一番右から大日向、伊原、里志、千反田、俺となった。それぞれがコートを脱いで膝に置く。この時になって俺は朝から何も食べていない事に気がついた。千反田がそれを察したのか俺に右手に何かを握らせた。そっと確認するとラップに包まれたお握りだった。
「収録の合間に食べられたらと思って握って来たのです。お茶も用意してありますから食べて下さい。お腹空いていらっしゃるのでしょう?」
「どうしてそれが判った?」
「折木さんの様子を見ていれば判ります。それに今し方折木さんのお腹が鳴っていましたよ。わたしが隣で良かったです」
 まさかお腹の鳴った音を千反田に聞かれていたとは思わなかった。改めてこいつの五感の能力の高さに驚く。そしてバッグの中身はお握りとお茶だったのだ。その言葉にありがたく頂戴する。かぶりつくと中身は刻み昆布だった。その甘じょっぱさが腹に沁みる。
「旨いよ」
「お茶もどうぞ」
 千反田が紙コップにポットからお茶を注いでくれた。いつもの味のお茶に安心感が漂う。千反田の気遣いに嬉しくなり、そっっと手を握る
「おれきさん……」
 言葉はそのまま途切れた。

 やがて時間になりアシスタントディレクターという人物が前説を始めた。拍手をするタイミングの指示をする。尤もこれは登場する時や退場する時の拍手で。途中の笑いや拍手は自由で良いとのことだった。これは助かる。面白くないのに笑うのはある意味苦痛だからだ。
 アシスタントディレクターが高座の隅に下がると出囃子が鳴り始めた。聴いた事あるのだろうが、正直余り馴染みの無い音楽だと感じた。
 出て来たのは漫才師の二人で、余りテレビでは見た事の無いコンビだった。多分俺の顔に出ていたのだろう千反田が
「テレビに余り出ませんが東京の寄席では年中出ているそうですよ」
 そんな解説をしてくれた。千反田が何故東京の寄席に詳しいのか疑問に思っていたら
「ほら入場する時に貰ったパンフレットに書いてあります」
 そう言えばそんなものを貰った気がした丸めてズボンのポケットに刺していた。取り出して眺めると確かにそう書いてあった。聴いてみると確かにテンポも良く面白い。里志や伊原、それに大日向は大きな声で笑っていた。千反田も楽しそうだ。俺もそれに習う。
 次の出演者はマジックだった。マジックの鮮やかさよりも話術で笑わせながら見せる趣向だった。これも思わず笑ってしまった。
「折木さん。楽しいですね」
 千反田が本当に楽しそうだ。それだけでも来た甲斐があろうと言うものだ。
 一本目の最後は落語だった。テレビにたまに出る噺家で若手から中堅になるのだそうだ。これもパンフレットに書いてあった。
 高座の袖に立っている「めくり」という登場する芸人の名前が特殊な文字で書かれている。すぐには読めないがじっくりと見ていると三圓亭友雀と書かれていた。
 出囃子に乗って本人が登場するとディレクターに催促されなくても自然と拍手が起こった。やがて高座の真ん中の座布団に座ると扇子を前に置いて深々とお辞儀をした。
「え~ようこそのお運びで御礼を申し上げます。神山には良く来るんですが、落語をするのは今日が初めてでして。じゃあ何しに来るのかと言うと、あたしは山が好きなので上垣内連峰の山に登りに来るんですよ。神山は山は最高で酒も旨くてね。良い所です」
 さすが芸人だ。客を完全に掴んでしまった。
「良く、花見と一口に言いますが花見と言うのは桜を見に行く事なんですね。他の花は花見とは言わない。梅は梅見ですし、菊も菊見ですからね。只花と言った時は桜なんですね」
 こんな前振りを降って噺に入って行った。横を眺めるともう千反田は完全に噺に入り込んでいた。
 噺は、長屋の連中が大家に連れられて上野に花見に行くものだった。すわ花見と聞いて長屋の連中は喜ぶが、お酒と思ったのは「お茶け」蒲鉾と思ったものは大根の漬物。卵焼きに見えたのは沢庵だった。一気にテンションが下がる長屋の連中。そこに半分シャレで半分皮肉で
「大家さん近々長屋に良いことがありますよ」
「ほう、そうかい。どうして判ったんだい」
「だって酒柱が立っています」
 一斉に拍手が起こり、友雀は頭を下げて下がって行った。
「ありがとうございました。次の収録まで三十分休憩です」
 緞帳が下げられ元から暗くはなかった場内が少し明るくなった。落語を聴く時は演劇の時のように余り暗くならない。それは高座に立った芸人がお客の表情を確認するためだそうだ。これは里志から後で聴いた事だ。
「世の中にはお酒にも柱が立つ事があるんですね」
 千反田が感心して言う。隣の里志がぎょっとした表情で
「千反田さん。それ違うよ。酒柱なんて無いよ。お茶の茶柱と言えないので、酒柱と言ったんだよ」
「ちーちゃん。まさか本当に信じたの?」
 里志と伊原に言われて千反田はやっと納得したようだった。
「ああそうだったのですか! 面白いですね!」
 ニコニコしながらそう言って口を押さえて笑いだした。当然周りの観客は戸惑っていた。
「千反田先輩って本当に天然な部分があるのですね。納得しました」
 大日向も半分笑いながら呟いていた。
「でも、そんな千反田先輩を見守る折木先輩の優しい眼差しも素敵ですね」
 そんな事も大日向は口に出した。すると伊原が
「ひなちゃん。それは良く見過ぎよ。こいつは単なる折木でしかないのだから」
 いつにも増した毒舌が俺に刺さる。すかさず里志が
「摩耶花。そのぐらいにしてあげなよ。千反田さんが困ってるよ」
 里志に注意された伊原は顔を真赤にして黙ってしまった。そんな行動を大日向が喜んで眺めていた。

 休憩中に千反田が持って来たお握りとお茶を配った。
「わあ、ちーちゃんありがとうね」
「すいません千反田先輩」
 伊原と大日向が喜んでお握りをパクつく。里志は
「千反田米で握ったお握りは本当に美味しいんだよね。その証拠に冷めても本当に美味しいんだ」
 正直、里志に言われなくても、そんな事はとっくに判っている。俺は二つ目を楽しんで口にした。
 休憩の後、二回目の収録が始まった。二回目は最初がギター漫談で、中々のテクニシャンで音楽が良く判らない俺でも凄いと思った。
 その次が物真似で動物の鳴き真似だった。千反田は目を瞑って聴いていて
「まるで本当の動物や虫がいるようですね」
 そう言って感心していた。そして最後が古琴亭左朝だった。左朝といえば、次の人間国宝になるのではないかと噂されている大物噺家で、普段ならこんな地方でのラジオの落語番組の収録に出る事なぞ無い。
「折木さん。凄いです。テレビでしか見たことの無い方が高座に出て来ました」
 左朝は高座に座り頭を下げるとマクラを語り始めた。マクラというのはその落語に関する前説のようなもので蕎麦の出る噺だったら当時の蕎麦に関する事を説明するのだ。噺の筋は
 江戸の夜、往来を流して歩く二八蕎麦屋(にはちそばや)にひとりの客がやって来る。
男は「しっぽく」を頼むと「景気はどうだい?商売は商い(あきない)というくらいだ、飽きずにやんなくちゃいけねえぜ」と亭主に話しかける。亭主が相手をすると客は更に屋号や蕎麦の味、ダシのとりかた、竹輪の切り方、箸、器までを褒めちぎり蕎麦一杯をたいらげる。
 二八蕎麦の値段は一杯十六文と相場は決まっている。客は一文銭十六枚で勘定を支払うと言うと小銭を取り出し、「・・・五つ、六う、七つ、八つ、蕎麦屋さん、いま何時だい」「へい九つです」「十、十一、十二・・・」
 男は勘定の途中で時刻を訪ね、一文ごまかすことに成功する。
 その様子を見ていた間抜けな男がこのからくりに気がつき、翌晩、自分も真似をしようとする。
 翌日、昨日より早く出てしまった間抜けな男は、通りがかった蕎麦屋をやっとの思いで呼び止め、昨日の男と同じ事をやろうとするのだが、尽く反対になってしまう。おまけに蕎麦も、とてもじゃないが食べられたモノではない。早々に勘定にしてしまう。
「蕎麦屋さん幾らだい」
「へえ十六文で」
「ひい、ふう、みい、……今何時でい」
 とやると、
「へい、四つで」
 と答える。
「ん~五つ、六う……」
 と下げを言って頭を下げた。無論破れんばかりの拍手が起こる。
「お握りを食べたばかりだけど、なんだか蕎麦を食べたくならないかい?」
 里志がそんな事を言うと大日向や伊原も
「そうねえ」
「そうですね。食べたくなりました」
 千反田も
「ほんと見事な芸でした。本当に食べていると感じました」
 確かに左朝はその仕草だけで見る者に蕎麦の存在を感じさせたのだった。
 帰りに皆で蕎麦屋に寄ったのは言う間でもない。

 帰る道すがらそれぞれに別れると最後は俺と千反田の二人だけになった。
「やっと二人だけになれました」
 そっと千反田の肩を抱き寄せる。
「春休みのうちに何処かに行きたいですね」
「ああ、そうできれば良いな」
「本当に考えてくれますか?」
「まさか泊まりがけか?」
「わたしは、それでも良いです」
 千反田はその体温を感じるほど俺に身を寄せて来た。その肩をしっかりと抱きしめる。
 何も言葉は要らなかった。その気持ちが痛いほど伝わって来たからだ。
「今日は送って行くよ。少し遅くなっても良いだろう?」
 その問いかけに千反田が静かに頷いた。

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「氷菓」二次創作 春~桃の節句にて

 ニュースなどでは何処かの桜が咲いて、世間は春だそうだが、ここ神山には春は遠い。俺が狂い咲きの桜の下を千反田の傘持ちとして歩いてからもうすぐ二年になる。
 三月は神山高校では三学期の期末試験が行われる。二月の末から始まり三月三日に終わる。最終日は二科目なので十一時前には終了する。終われば週末の休みが待っている。開放感が堪らない。それを楽しみにして試験勉強をしていると電話が鳴った。
「はい、折木ですが」
「千反田と申します……折木さんですか?」
「ああそうだ。どうした。試験勉強していたのじゃ無いのか?」
 千反田から電話が掛かって来るのは結構あるが、試験前は無かった。
「少し気になることがあって勉強が手につかないのです」
「何だ。何が気になるんだ?」
 俺の言葉に千反田は妙な反応をした
「実はですね。試験が終わるとひな祭りですよね」
「ああそうだな。お前の所も人形を飾っているのだろう?」
「はい、それは飾っていますが……」
「何が言いたい?」
「摩耶花さんがですね」
「はあ? 伊原がどうした?」
「試験が終わった日に福部さんを家に招待するそうなんです。そこでひな祭りのお祝いをするそうなんです」
 千反田の言い方で大凡のことが判った。
「もしかして、それを聞いて羨ましくなったのか?」
 少しあからさまかとは思ったが、ハッキリ言ってしまった。
「あ、正直に言うと、少し羨ましいと思いました……わたし嫌な子ですね」
 千反田も人の子だ。交際してる関係の里志と伊原のことを見たり聞いたりすれば自分と比較して、そう思うのは当たり前だと思った。
「それなら、俺にどうして欲しいんだ? 家に招待してくれるのか?」
「招待すれば来て戴けますか?」
「当たり前だろう」
「では三月三日、試験が終わったら我が家に来て戴けますか?」
「よろこんで」
 こうして俺は期末試験が終わってすぐに千反田の家に行く事になった。実際は、一緒に下校して一旦俺の家に寄ってカバンを置いて着替えてから千反田と一緒に行く事になった。

 試験はまあ、落第することは無いだろうと言うぐらいの点数は取れたと思う。そう言えば里志は大丈夫だったのだろうか? ひな祭りの後で伊原の家庭教師が行われるのなら、少し可哀想な気がする。
 三日、試験が終わり待ち合わせの場所でもある千反田の自転車置き場に向かう。姉貴は今日は旅行で居ないが、俺がひな祭りの日に千反田の家に行く事を知ったら、ある包を渡してくれた。
「これは何だ」
「えるちゃんの家に招待されたのでしょう。あんた、まさか手ぶらで行くつもり」
 うっかりしていた。
「で、用意してくれたのか?」
「そうよ、ついでだったからね」
「まあ、ついででも有り難い。で、中身は何だ?」
「春の花の形をしたラムネの詰め合わせよ。隣の富山県高岡市にある古くからあるお店の品物よ」
「春の花のラムネか……」
 どうようなものか想像していたら、手のひらに数粒のピンクの小さな何かが乗せられた。
「食べてみなさいよ。自分が持ってきたものが、どんなものなのか知らないと困るでしょう」
 手のひらには花の形になった一見すると落雁のようなラムネが居た。その中から梅の花を口に入れる。シュワーとした食感が心地よい。まさに春のエキスを少し分けて貰った気がした。
「これはいいな」
「『春けしき』と言う名前よ」
「名前もいいな。ありがとう。これなら千反田も気に要るよ」
「すこしは優しいお姉様に感謝しなさいよ」
 駐輪場には既に千反田が待っていた。今日はいい天気で気温も高く、残っていた雪も溶けて無くなっていた。俺の姿を見つけると千反田の表情が柔らかくなった。
「待ったか?」
「いいえ、わたしも今来たところです」
 千反田が自転車を押して俺と並んで歩く。
「今日は暖かで本当に良かったです」
「そうだな。雪なんか降ったら大変だった。ところで試験の出来は、訊くまでもないだろうがどうだった?」
「そうですね。普段通り出来たと思います。やはり家を継がなくても農業関係に進もうと思っています」
「そうか、ならば目標はK大か?」
「そうですね。そこに入れれば良いと思っています」
 家について着替えて姉貴の用意してくれた幾つものラムネの包が入った紙袋を自転車の前カゴに入れる。千反田が不思議そうに尋ねる
「それは何ですか?」
「ああ、いいものだよ。後でのお楽しみだ。尤もお前は知ってるかも知れないがな」
「楽しみですね」
 外の紙袋も店のだから千反田は気がついているかも知れない。でも今は気が付かない素振りをしていた。そんな千反田の態度を嬉しく思う。
 市内を前後して走る。陣出に通じる坂のあたりから並んで走る事が出来た。
「しかし、お前は毎日この坂を登っているんだな、行きと帰りで」
 立ち漕ぎしてる俺に比べて千反田は楽そうに登っている。通学で足の筋肉が鍛えられているのかも知れない。
 坂を下ると千反田の家まではすぐだ。

 千反田邸に到着するとすぐに奥に案内された。そこには七段飾りの立派な雛人形が飾られていた。見るとかなり由緒がありそうな感じがする。
「これは、わたしのでもありますが、千反田の家に生まれた長女の為の人形なのです。世代が変わる度に新しく何か調度品を作ります。わたしのはこの『長持ち』なんです」
 よく見れば飾られた調度品も人形のおまけとは思えぬ出来栄えで、小さいがちゃんと使えそうだった。それぞれに蒔絵が施されて見事さは美術品と呼んでも良いぐらいだった。
 千反田は俺にお茶をだすと着替えるからと言って消えた。仕方ないので見事な人形を眺めながらお茶を飲んでいると
「お待たせしました」
 そう言って千反田が襖を開けて部屋に入って来た。俺はその姿を見て息を飲んでしまった。千反田は桃の花を描いた薄いピンクの色の小紋に黄緑ががった緑色の帯をしていた。髪は長くしたままなのがで一層普段や制服とは違いが強調されていた。
「どうですか、似合いますか?」
「ああ、よく似合ってるよ!」
 まさにため息しか出なかった。
「千反田、手みやげと言うほどのものでは無いが、お雛様に供えてくれ」
 俺はそう言って紙袋から包を出して千反田に手渡した。
「開けても良いですか?」
「勿論だ。開けないと供えられない」
 千反田は包を開くと顔を輝かせた。
「これ、高岡ラムネですよね。話は聞いていましたが見るのは初めてです」
「食べてごらん」
 千反田はひとつ撮むと自分の口の中に入れた。
「ああ、口の中でシュワーと溶けて行きます。この感じが春になって雪が溶けて行く感じに似ています。素敵です」
 そう言って千反田はふたつ目を口に入れると俺に抱きついて来て唇を合わせた。そして口移しにラムネが俺の口に入る。千反田と俺の口がひとつとなって春のラムネで満たされた。
「おい大胆だな」
「大丈夫です。誰も見ていませんから」
「いやそういうことではなくてだな……」
「わたし嬉しいんです。わたしの人生で親戚を除いて、初めてひな祭りに来てくれた男の人なんです」
 そんな事だったとは思いもよらなかった。これは光栄なことなのだろう。美しい着物姿の千反田を抱き寄せると、もう一度唇を合わせるのだった。


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「氷菓」二次創作 「甘い日」

 世間がバレンタインデーと騒いでいた2月14日の前日、俺はいつもと変わらず地学講義室にいた。このところ神山も雪の日が多く、節分以来晴れた日は数日しかない。本来ならさっさと家に帰れば良いのだが、生憎、千反田から昨夜電話があったのだ。
「明日、放課後部室にいらしてください」
 次の日ならさしずめチョコレートを渡すのだろうと思うだろうが、そもそも千反田の家では親しい者には盆暮れの挨拶をしないとのことだから、バレンタインもやらないそうだ。だから親しい俺には当然、そんなものは無いので別な要件だと思っていた。
 伊原は既に用意したのだろう。明日渡すと、言っていたし、昼休みに廊下ですれ違った伊原が
「今日明日は部室には顔を出さないから」
 そう言っていたのを思い出した。まあ、好きにすれば良いと思い文庫を読むのを再開する。そして、暫く経った時だった。不意に教室の入り口が開かれた。
「ああ、折木さん。居てくれて良かったです」
 息をはぁはぁさせて肩を揺らしている。階段を駆け上がって来たのだと思った。
「お前が来てくれと昨日電話で言っただろう」
「それはそうですが、授業が終わって時間が経ってしまったので、帰ってしまわれたと思っていたのです」
 やっと息が治まって来たようだった。
「それで何の用なんだ」
 千反田は俺の言葉を待っていたかのように語りだした。
「実は折木さんにお願いがあるのです」
「お願い?」
「はい、実はチョコレートを食べて欲しいのです」
「おいチョコは明日だろう?」
「いえ、そのわたしのでは無いのです」
「お前のではない? 何だそれは」
 千反田は少し困ったような顔をしている。本人は判ったつもりで話してるのだろうが、いきなり聴かされた俺は要領を得ない。
「すまんが最初から話してくれないか」
「すいません。実はわたしの友達が明日、好きな人に告白してチョコを送るつもりなのです。チョコは出来上がったのですが、二種類作り、どちらを送れば良いか判断出来なくなってしまったのです。だから第三者に試食してもらって欲しいのです。それを折木さんにお願いが出来ないかと」
 何のことはない。要はチョコを試食してどちらが美味しいか判断すれば良いだけのことだ。
「丁度小腹も空いて来たところだ。美味しいチョコにありつけるなら嬉しいな」
「ありがとうございます。助かります」 
 そう言って千反田は鞄の中から小さなピンク色の包を取り出した。そしてそれを広げると、ハート型のチョコが二つ現れた。
「説明は後で致しますので、まずは一口食べてみてください」
 見た限りでは片方は普通のミルクチョコレートに見える。もう片方は少し黒くなっておりビターチョコかと思わせた。大きさはどちらもほぼ同じで横が五センチぐらいで縦も同じぐらいに思えた。
 ミルクチョコと思われる方を折って口に入れる。真剣な眼差しで居る千反田を見たら、割らないでそのままカジッた方が良いかと思った。
「ん、甘いな」
 チョコだから甘いのは当たり前なのだが、俺にしてみれば、かなり甘さを感じたのだった。
「少し甘すぎないか?」
 俺の言葉を聴いて千反田は
「やはり甘いですよね。良かった。わたしも、そう思ったのです」
「送る相手はかなりの甘党なのか?」
 俺の言ったことがおかしかったのか、千反田が笑っている
「折木さん、『甘党』とはお酒を呑めない方で甘いものがお好きな方の事です。特に甘い嗜好の方の事ではありません」
 そうなのか、そう言われてみればそうかも知れない
「さいですか」
「もう片方もお願いします」
 千反田に言われるまでもなく口に入れた。今度はそのままカジる形となった。
 こちらのチョコは色からして少し苦味があると思ったが、こちらも甘かった。それに何かを砕いて入れてあった。
「千反田。こちらには何が入っているんだ。さしずめピーナッツでも砕いていれたのか?」
 口の中でゴロゴロする食感を楽しみながら尋ねた。
「ピーカンナッツです。正式にはペカンナッツと呼びます。脂肪分の多いナッツですね」
「そうか、それはチョコに入れるものなのか?」
「はい、最近ではペカンナッツそのものにチョコをコーチングしたものの多く出ています」
 俺はよく知らないが流行りなのだろう。試食してみて悪くないと思った。甘さはこちらも相当甘いがナッツがそれを中和させていると思った。
「こちらの方が俺は好きだな。さっきのは俺には甘すぎると感じたな。大体の男なら同じことを思うのではないかな」
 素直な感想を言った。すると千反田は
「そうですか、わたしは甘さは丁度良いと思ったのですが、やはり折木さんに試食して貰って良かったと思いました。きっと友達も喜ぶと思います」
「残りはどうする?」
 二つのハート型のチョコは片方は俺がカジッてしまったが、もう片方は手で割ったので千反田が食べても構わない。
「友達にはペカンナッツの方を勧めます。残りは折木さんが食べてください。実はわたしも持っているのです」
 千反田はそう言うと自分の鞄から緑色の包を出した。そしてそれを広げると、数あるチョコから一つを摘んで
「こちらはハート型ではありません。だから折木さんに食べて貰うのはそちらを出したのです」
 俺はもしかしたら今千反田が広げた方が俺用で、最初に広げた方が千反田に対して用意されたものだった気がした。千反田は俺の隣に座ると先ほどのピーカンナッツが入って俺がカジッたものを摘んで自分の口に入れた。そして恥ずかしそうに
「折木さんは気がつかれていたかも知れませんんが、本当はこちらが私が貰った方なのです」
 やはりそうだった。だがならば何故ハート型なのだろうか? 
「わたしが頼んでハート形にして貰ったのです。そしてそれを折木さんに食べて欲しかったのです」
 俺はここまで聴いて、もしかしたらチョコを作る時に千反田も手伝ったのではないかと思った。
「一緒に作ったのだろう?」
 俺の考えに千反田は頬を少し赤くして
「はい、その通りです。お手伝いをしました。その時、わたしに考えが浮かびました。バレンタインの日は失礼しますが、それ以外の日ならこのチョコを折木さんに食べて貰うのは良いのではないかと言う考えでした」
 何のことはない。俺は千反田に上手く載せられたのだ。だがこれも悪くないと思った。正直言って昨年少しは期待したのも事実なのだ。
「俺の口のついた方を食べたがそれは意識してなのか?」
「もちろんです。摩耶花さんは福部さんに口移しでチョコを食べさせてあげると言っていました」
 しかし伊原も伊原だ。他人にそんな事を言うなんて。それとも女子は平気でそんな事を語り合うのだろうか?
「羨ましく思ったのか?」
「少し・・・・・・でも学校では出来ないからとも言っていました」
「当たり前だ学校でそんな事をしてはならない」
「でも……」
「でも?」
「こうすることは駄目ではありません」
 千反田はそう言うと
「折木さん。あ〜んしてください」
 そう言って自分用のチョコから一つを摘んで持ち上げた。そしてだらしない俺の口にそれをそっと入れた。
 甘い! このチョコは今日食べたチョコの中でも一番甘く感じた。そして千反田は、嬉しそうな表情をして大胆なことを口にした。
「明日は、折木さんのお家で口移しで食べさせてあげますからね」
 それを聴いて少しは悪くないと思うのだった。


                              <了>

「氷菓」二次創作 「春遠からじ」

 最近は姉貴が家によく居るようになった。もう就職は百日紅書店に決まり、大学へもそれれほど行かなくても良くなったらしい。だが卒論があるらしく大抵は自分の部屋でパソコンを叩いている。俺が普段から掃除や炊事をやってることに変わりはない。大体一人前も二人前もそこに親父が加わって三人前でも手間はそれほど変わらない。
 そんな一月の最終週だった。家の電話が突然鳴り出した。まあ電話というものは大抵突然鳴り出すものだが……。
「はい折木ですが」
「ああよかった。家に居てくれたのですね」
 声の感じで千反田だとは判ったが、相変わらずだと思った。
「千反田か?」
「あ、はい、えるです。すいません。いま、お時間ありますか?」
「ああ大丈夫だが」
「良かったです。いきなりで申し訳ないのですが、実は二月の三日の土曜日は何かご用事がありますか?」
 二月三日と言えば次の土曜日だ。確か特別な用事は無かったはずだった。
「特別な用事は無いが、何か用か?」
 思えば度々このような電話を受けた覚えがあった。
「実は二月三日は節分ですのでわたしの地元の水梨神社でも豆まきをするのですが、困ったことが起こったのです」
「困ったこと?」
「はい、手伝いの男の方が数名インフルエンザに掛かりまして、当日手伝えなくなったのです。そこで心当たりのある者があちこち頼んでいるのですが、何しろ急なことで中々手伝って戴ける方が見つからないのです。そこで重重々失礼だとは思ったのですが、折木さんに頼めないかとお電話したのです」
 要は男手が欲しいということなのだろう。千反田との付き合いが長くなるにつれ、あいつの物の言い方にも慣れて来た所だと感じた。
「前の雛の時と同じようなものか?」
 俺は昨年の四月の初めに水梨神社で行われる「生き雛まつり」を千反田に頼まれて手伝った。仕事の内容は雛に扮した千反田に後ろから傘を差す役目だった。千反田が言うには何でも傘持ちの衣装の大きさが俺に丁度良かったという事だった。
「そうですね。男集の方には吉田さんや谷本さんそれに花井さんもいらっしゃいます。だから手伝い易いは思うのですが……」
 吉田さんは俺の事を「しっかりしていなさる」と大いに勘違いした人だ。印象が深いから記憶に残っている。花井というのは俺の事を胡散臭く感じた男だ。これも覚えている。谷本というのはその二人に色々と言われていた男だ。なんだちゃんと覚えているじゃないか。
「行っても良いが、俺なんか大して役に立たんぞ。それでもいいのか?」
「お願いします」
 電話の向こうで千反田が頭を下げた気がした。
「奉太郎、引き受けてあげなさいよ。どうせ何も予定なんか無いのでしょう」
 後ろから聞こえて来たのは姉貴の声だった。
「判った。引き受けるよ。だが俺なんか大して役に立たんぞ。もう一度言うが、それでも良いのか?」
「お願いします」
「判った」
「良かったです! 豆を撒くのは十一時と十四時の二回です。出来れば申し訳ありませんが九時までに水梨神社に来て戴けると幸いです」
「九時に水梨神社だな」
「はい。終わればウチで打ち上げがありますので」
 雛の時も終わった後で千反田家の大広間で打ち上げがあった。俺と千反田は縁側であの日、行列のコースが変わった謎を語ったのだった。
「判った」
「それでは宜しくお願いいたします」
 千反田はそう言って電話を切った。
「なんだかんだと言って、えるちゃんから頼りにされているんじゃない」
 姉貴が自分のマグカップにコーヒーを注ぎながらニヤニヤしている。
「これも付き合いだからな」
「ふう~ん」
 姉貴はコーヒーの入ったマグカップを手に自分の部屋に帰って行った。
 俺は自分の部屋のカレンダーの二月三日の所に予定を書き入れた。

 当日はいい天気で、しかも二月としては暖かい陽気だった。自転車を陣出に向かって走らせる。道の両側には雪が残っていたが、自転車を走らせるには問題がなかった。
 九時少し前に水梨神社に到着した。自転車を車庫にしまい社務所に行く。
「すいませーん」
 声をかけると
「はーい」
 という女性の声が聞こえその声の主が姿を表した
「折木さん。今日は本当にありがとうございます!」
 それは白装束に朱の緋袴を履いて長い髪を後ろに束ねて背中に流した千反田だった。よく見るとうっすらと化粧をしていた。千反田の化粧した姿を見るのは雛以来だった。
 着ているものの用語は後で千反田が説明してくれた。
 白い装束の襟からは「掛襟」と呼ばれる赤い襟が覗いていて、袴は上指糸という帯のような赤い布で締められていた。
「お前、今日は巫女なのか?」
「うふ。手伝いですから今日だけはこの格好です。後で『千早』と呼ばれる上着も着ます」
 千反田の着物姿には多少慣れたがこのような巫女の装束を着ていると又感じが違う
「そうか、良く似合っている」
「そうですか。ありがとうございます! 昨日、かほさんに色々と尋ねたのです」
 千反田の言葉で十文字と初めて会った時の事を思い出した。あの時は圧倒的な巫女パワーに気圧されてしまった。だが今日の千反田にはそれは無い。その代わりにため息が出るような気品というか可愛さが存在していた。
「さ、上がってください。皆さん揃っていると思います」
 千反田に案内されて雛の時の部屋に赴くと、見知った顔が居た。
「お早うございます。折木と申します」
 一応挨拶をすると奥に居た白髪の老人が俺の顔を見てやって来た。
「おおこれは折木さん。わざわざ来て下さりありがとうございます! さあこっちに来てくだされ」
 白髪の老人は吉田さんだった。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「何の、やっと生きてるだけですわい」
 言葉とは裏腹な生き生きとした様子だった。
 お茶を出されたのでありがたく戴く。暖かい日とは言え、寒風の中自転車を走らせると体は冷えるからだ。
 その後、仕事となったのだが、主な用事は重いものを運び、上げ下ろしする事だった。奉納された菰樽や色々な品物を豆を撒く舞台に並べて行く。確かにこれは男手でなければ出来ない。
 それが終わると、今度は「打ち上げ」のために千反田家に酒や飲み物を運び込む。大広間では既に座卓が並べられていて、陣出の地区の女性陣が用意をしていた。後から業者が料理を運び込むのだという。
 神社の社務所では千反田を始め、巫女の姿をした女性が豆を撒く時に使う大きな升に豆を入れていた。あと少しで最初の豆撒が始まる時間だから。奥の客間と思える座敷には既に招待客や歳男女が出番を待っているという。千反田が
「折木さん。折木さんも豆撒の時は会場に居たらどうですか? この升の中にクジが入っていて運が良ければ何か商品が当たるかも知れませんよ」
 そんな事を言うが俺に元来くじ運が無いのは昨年のおみくじで証明済みだ
「いや、それはやめて置こう。でも商品は何があるんだ?」
 俺の疑問に千反田はすらすらと
「まずお米10キロが数本、次に電子レンジ、それから炊飯ジャー、自転車もあります。変わったところではエスプレッソマシンもありますね。それから最初の回で歌手のSさんが豆を撒くのですが、そのサインのチケット付き色紙もありますよ」
「歌手のSって言ったら神山出身の大物歌手じゃないか。良く呼べたな」
「はい、実は印字中学の出なんです。それで同級生が呼んだそうです」
 そうなのか、印字中出身だとは知らなかった。
「だから実は色紙が隠れた人気だそうです」
「色紙って何枚かあるのか?」
「はい十枚書いて戴いたそうです」
 確かにファンなら欲しいだろうと思った。
 時間になったので、案内役の巫女を先頭に五名の裃をつけた男女が控室から出て来た。俺は最初気が付かなかったが、案内の巫女が俺の傍を通る時に小声で
「探偵くん」
 その声で巫女を良く見ると何と沢木口だった。何故彼女がここに居るのだと思っていると一緒に出て来た千反田が
「わたしと同じくお手伝いです。何でも親戚の方が陣出に住んでいて、その方から頼まれたそうです」
 俺がよっぽどおかしか顔をしていたのだろう、千反田が笑っている。それに受験はどうしたのだろう
「沢木口先輩はAO入試で何処かの大学に決まってるそうですよ。入学式までに学力を考査する為に提出する問題集が大変だと言っていました」
「お前、沢木口とも知り合いなのか?」
「だって映画の時に知り合いになったじゃありませんか」
 そうか千反田の感覚だとあれで知り合いになるのかと思った。最後に歌手のSが前を通って舞台に出て行った。その途端、舞台の方から物凄い歓声が沸き起こった。Sの神山での人気は凄まじいものがある。俺も舞台の袖から隠れて豆撒きの様子を見学することにした。
「鬼は外、福はうち」
「鬼は外、福はうち」
 それぞれが升に手を入れて豆を掴んで大勢の人々の中に投げ入れる。よく見ると、その中に白い紙粒が混じっていた。
「白いのはくじなんです。あの中に当たりがあるんです」
 俺の横に立っていた千反田が教えてくれる
「あれ全部が当たりでは無いのか」
「はいハズレもあります。だから当たった方は本当に福を呼ぶのです」
 なるほど聞いてみなければ判らないことだと思った。
「次の回にもSの色紙はあるのか?」
「はい五枚ずつですね」
「詳しいんだな」
「はいくじは作りませんでしたが、豆の中に混ぜましたから」
「そうか、そんな手伝いをやっていたのか」
「それと、当たった景品の交換作業ですね」
 そうか確かに当たった景品を巫女さんから受け取れば有り難みも湧くと言うものだと思った。
 豆撒が終わると景品の交換となる。千反田は会場の隅にある場所に移動した。豆を撒いた男女は控室に戻って行った。会場は未だざわめいていた。
「折木君、我々も昼食にしよう」
 村井さんから声を掛けられたので有難く後を着いて行く。社務所の打ち合わせをしていた部屋には弁当が並べられたていた。
 部屋には巫女姿の手伝いの者もやって来ていたがその中に千反田の姿はなかった。するとそんな俺が物欲しげな顔をしていたのか沢木口が来て
「探偵くん。えるちゃんはもうすぐ来るから安心だよ」
「あ、いや、その……」
「何言ってるの。目が探していたでしょ」
 完全にバレバレだった。事実、食べ始めると直ぐに千反田ともう一人の景品の交換の巫女さんが部屋に入って来た。それを見た沢木口が千反田に俺の隣に座るように促した。
「隣、失礼しますね」
 半分笑いながら千反田が俺の隣に座って来た。この部屋に居るのは手伝いの者だけで、招待客や豆撒をした者は別の部屋で食事をしているそうだ。その内、Sも別の部屋なのだろう。
「折木さん、鮭が美味しいですね。食べさせてあげましょうか?」
 なんてことを言うのだと驚いていると
「冗談です。二人だけなら兎も角、ここでは皆さんが見ていますからね」
 冗談だと判りホットとするが、それにしても正月の入れ替わり以来、千反田が積極的になってる気がする。
「でも少しおかしな事があったのです」
 弁当を食べながら千反田がボソッと呟いた
「おかしな事?」
「はい、歌手のSさんの色紙なんですが実は来月の神山でのコンサートのチケットが付いているのです。当たりくじは五枚のはずなのに六人の方が当たりくじを持って来られたのです。幸い色紙は多めに書いて戴きましたし、チケットも多めに戴いたので事なきを得たのですが、確かに五枚しか当たりを入れていないのに何故一枚多かったでしょうか? わたし気になります!」
「間違えて多く入れたんじゃないのか」
「そんな事はありません。わたしは確かに色紙のくじは五枚しか入れませんでした」
「そのくじお前持っているか?」
「あ、もっています。景品を交換した後で確認作業をして要らなくなったので捨てようと思っていました」
 千反田はそう言って千早の袖から数枚の紙切れを出した。一片が幅が二センチ、長さが五センチほどの紙切れで色紙という景品の名が黒く書かれていて、神社の判が押してあった。
「ほら六枚あります」
 俺はそれを見比べて事実を推測した。だがそれをここで語るのは良くない。この部屋にくじを一枚多く偽造して紛れ込ませた犯人がいるからだ。
「千反田、あとで真相を言う。だから今は何事も無かったように振る舞ってくれ」
「判りました。さすがですね。もう真実が判ったのですか!」
「大体だけどな。これから裏を取るから、打ち上げの時に真実を話せると思う。確かに言えることは、六枚のくじの内一枚は偽造だ。よく見れば判る」
 俺に言われて千反田は六枚のくじを見つめていたがやがて表情が変わった。
「では、後で……」
 その後千反田はくじをしまって、弁当を食べ続けたし、俺も他愛ない話をして弁当を平らげた。

[newpage]
 午後からの豆撒も無事に終了して会場の撤去や色々な力仕事をして打ち上げの時刻となった。歌手のSは仕事の為、打ち上げに参加せずに神山を旅立った。
 「雛」の時と同じように酒が振る舞われ宴会が盛り上がっていた。俺は暖房と会場の熱気にあてられて縁側に出て涼んでいた。そこに着替えて普段着となった千反田がやって来た。瞳を怪しく輝かせている。
「折木さん。先程の真相なんですが、わたし知りたくてウズウズしていました」
 縁側で俺の隣に座ると紫色の瞳を輝かせた。
「先程見た時、わたし見直して判りました。一枚だけ確かに違っていました」
「今、持っているか?」
「はいここに」
 千反田はそう言ってポケットから数枚の紙切れを取り出して二人の前に並べた。
 並んだ紙切れは一見全く同じように見えるがよく見ると一枚だけ若干用様子が違っていた。
「折木さん。この一枚だけ違います。何故でしょうか?」
「千反田、他のはパソコンのプリンターで『色紙』と印字してありそこに神社の印を押してある。だから赤い部分は朱肉だ。だが、この一枚だけは朱肉ではない。何故か、それはこの一枚だけがコピーしたものだからだ。犯人は元の当たりくじをカラーコピーしたんだ。それを同じ大きさに切りそろえて当たりくじに混ぜた。お前混ぜた後豆撒きまで監視していたか?」
 俺の質問に千反田は首を横に振り
「いいえ、まさかそんな事があるとは思ってもいなかったですから」
「当然だろうな。いわば氏子同士の身内だけみたいな環境でそんな事をするものは居ない。だから、棚に置いておいた時に誰かの升に紛れ込ませたのだろう」
「折木さん。一体誰がそんな事をしたのでしょう」
「千反田。ここからは俺の推測になるが、先程の事だ、皆が集まっていた時に氏子の役員の中に子供がSのファンだと言う者がいた。花井さんだったかな、『色紙当たれば良いね』とある者に言っていたよ」
「では、その方が?」
「多分な。色紙やチケットが多く用意されていた事を知っていた者。セットされた升にこっそりと偽造くじを紛れ込ませる事が出来る人物。その者こそが犯人だ」
 千反田は俺の考えを最後まで聴いて
「どうしても欲しかったのですね」
そう言って悲しい顔をした。
「わたしは誰のファンではありませんから、どうしてもチケットや色紙が欲しいと言う気持ちは判りかねます」
「俺もそこまでは判らんよ。でもこれは今日、豆撒を楽しみに集まった一般の人には言えない事だな。あくまでも氏子の中だけにしておいた方が良い。お前はどう思う」
 千反田は庭の梅の木を眺めていた。春の遅い神山だが早咲きらしく目の前の梅は赤い花開かせていた。
「そうですね。言えないですね……」
 そこまで言って千反田はハッとした顔をして
「折木さん……それって今までもあったことなんですね。言えないことって……」
 俺は千反田の肩を抱き寄せると
「ああ、今までもお前に黙っていたことがあるのは事実だ。だか決して隠していた訳ではない。それだけは判ってくれ」
 千反田は俺の肩に身を任せて
「はい。今になって色々と理解出来ました。折木さんの考えがわたしの事を想ってのことだったのですね」
 もしかしたらこんな事実は千反田は知らないままの方が良かったのかも知れない。でも何時かは判ってしまうことだった。
「がっかりしたか?」
「いいえ、大丈夫です。わたしひとつ大人になりました」
 千反田は俺の方に向き直してニッコリと微笑んだ。
「ああ、ほらまたイチャついている!」
 その声に驚いて振り向くと沢木口だった。
「ねえ、探偵くん。わたしの巫女姿見てくれたでしょう? どうだった」
 沢木口は千反田とは反対側の隣に座り俺の肩を抱くように取り巻いた。それを見て千反田が笑っている。俺はこの場をどうやって逃れるか考えていた。



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