二次創作

氷菓二次創作 「出会いと別れ」

 千反田と初めて逢ったのは神山高校に入学間もない頃だった。
 OGの姉貴のたっての願いで「古典部」に入部する事にしたのだった。その入部願いを出しに「古典部」の部室である特別棟の四階にある地学講義室を訪れた。もとより「古典部」には部員はおらず誰も居ないのを見越して職員室から鍵を借りて出向いたのだった。
 だが俺の考えとは違い地学講義室の扉は鍵が掛かっていなかった。不思議に思いそっと扉を開くと教室の窓際に一人の髪の長い少女が外を見て立っていた。少女は俺が扉を開いた音に反応して振り向いた。その瞳を見た時何故だか俺は吸い込まれる様な気がした。そして初対面の俺に向かって
「折木奉太郎さんですね」
 そうハッキリと言ったのだ。俺は何故初対面の人間の名前が判るのか疑問に思ったが、少女が言うのは隣の組との芸術科目の合同授業で一緒になったらしい。しかし、この授業は入学してから一度しか行われていなかった。凄まじい記憶力だと思った。
 少女の名は千反田える。後から里志から聞いた限りでは北陣出の旧家で豪農だそうだ。そこの一人娘だった。そして俺は不思議な縁に導かれて「古典部」に入部した。部員は千反田える、折木奉太郎、福部里志、そして少し遅れて伊原摩耶花の四名となった。

 同じ部活をしている間に、俺は千反田の頼みを聞き入れ、彼女の忘れていた記憶を取り戻す切っ掛けを手助けした。後から思えばこの時にある程度信用されたのでは無いだろうか? 今ではそう考えている。
 千反田は段々と学校の外の事にも俺に同道を求めるようになって行った。当初俺はその意味を深く理解していなかった。俺がその事を理解したのは、二年になった四月の初めの「生き雛祭り」だった。
 艶やかに着飾った千反田の姿を見、その後ろから傘を差して行列をしたのだった。この時俺は自分の気持ちに気がついた。それからと言うもの俺は次第に千反田の考えを推理するようになっていく。言い換えれば千反田の立場で物事を考える事が多くなった、と言う事でもある。
 下級生との行き違いをマラソン大会の最中に整理したり、音楽コンクールで姿を隠した千反田を雨の中迎えに行ったりもした。昔の俺なら到底考えられないことである。でも俺は選択してしまった。何処まで行けるか判らぬがこの道を行くと言うことを……。

 二年の夏休みの初日の夕刻、俺は南陣出の横手さんの家の蔵に居た。降り出した雨に濡れながら佇んでいると、蔵の扉がそっと開かれた。薄暗い蔵から現れたのは白いブラウスに黒いスカート姿の合唱団の制服を身に纏った千反田だった。しかしその表情には精彩が無く顔色は蒼白だった。
「折木さんありがとうございます!」
「どうするんだ? 行けるのか。無理しなくても良いんだぞ」
 千反田の様子を見ると、とても舞台で独唱しろなどとは言えない。
「でも皆さんに迷惑がかかってしまいます。千反田の娘としても行かなくてはなりません」
 千反田はそうは言ったが明らかに無理をしてるのが判った。
「千反田。もう一度言う。無理しなくても良いんだぞ」
 今度はゆっくりと口にした。すると千反田は
「折木さん……わたし怖いんです。何も無かったら怖くも何とも無かったと思います。でも、でも今はあそこで独唱するのが怖いんです」
 初めて見る千反田の怯えた表情だった。恐らく家族以外……いいや今まで誰にも見せたことの無い千反田の心の弱さだった。
 薄暗い蔵の中に一歩踏み入れて千反田をそっと抱きしめた。そこには成績優秀で旧家の一人娘の千反田えるはいなかった。多くの重圧から突然開放され行き場を失った一人の少女だった。
「おれきさん」
 何も言葉は出なかった。ただ、しっかりと抱きしめた。千反田もその躰を俺に預けてくれた。自然と唇を重ねる。何も言わなくても理解していた。この場に留まれば俺も非難の対象になる。それを理解した上での言葉だと言う事を。俺の気持ちはお前と一緒なんだと言う事を……。

 その後はやはり大変な事となったし、俺と千反田の関係も世間に知られる事となった。何れ判ることなのでここには記しない。俺と千反田は学校以外でも自然と一緒に居る事が多くなった。
 千反田は俺にそれまでは語ることの無かった自分の本音を言う事が多くなった。それらは他愛ないものもあったが、自分の将来についての事柄も含まれた。
「折木さんはもう進学先を考えていらっしゃいますか?」
 千反田が俺の家に来て、昼食を作ってくれて一緒に食べていた時のことだった。
「まあ凡そはな。俺の成績なら入れる所優先だよ」
 お世辞にも俺は成績の良い方ではない。かと言って特別悪い方でもない。所謂普通なのだ。
「お前は決めたのか?」
 千反田の作ってくれた野菜ソテーを取皿に盛りながら問うた。
「はい、やはり京都の京大に進もうと思っています」
「農学部があるからか?」
「はい。そうですね。許されるなら日本でも有数の所で学びたいと考えています。東京大学もありますが、京都の方が家に近いもので、父の許しも出そうなのです」
 神山から東京は遠い。神山線の特急で名古屋まで出てそこから新幹線となる。時間にしては四時間半ほどだが事実上半日以上が潰れてしまう。岐阜羽島まで迎えが来たらかなり楽にはなるが、それでも名古屋で乗り換えが必要になる。富山まで出て新幹線という手もあるが時間が掛かるのは変わりない。それに比べ京都ならこだまで直ぐだ。一時間かからない。比べれば京都という結論が導かれるはずだと思った。
「わたし、将来は農学博士の資格を取って神山と陣出の農業に尽くしたいんです」
「嫁に行っても良いと鉄吾さんは言っていたけどな」
「それとこれとは別です。例えばわたしが折木えるになっても農業の道には進めます」
 うん? 今何か大変な事をさらりと言った気がするが。
「あ、これは例えです。はい」
 千反田は真っ赤な顔をしている。俺はここはツッコミどころかとも思ったが
「おれきえる。オレキエル。俺消えるだな」
 詰まらないベタなダジャレでしのいでしまった。
「折木さん。将来もこうやって毎日一緒に食事が出来れば良いですね」
「ああ、そうだな」
 その時は普通にそう思っていた。かなり現実味のある未来だと……。
 千反田は京大に合格し、京都に住まいを移した。俺は東京の三流大学に進学した。俺と千反田は離れ離れとなった。
 当初はそれなりに連絡を取り合っていたのだが、やがて千反田の実験が始まるとそうも行かなくなった。段々と連絡が途切れがちになった時だった。夜遅く千反田から電話が入った。思えば久しぶりの電話だった。
「よう暫くだな。元気にしていたか?」
「はい元気でやってます。こんな遅くにすみません。どうしても伝えたい事がありまして」
 思い詰めたような千反田の声だった。思わず姿勢を正す。
「何があったんだ?」
「はい実は留学のチャンスが訪れたのです。わたしが師事してる教授が交換留学生の相手にわたしを推薦してくれたのです」
「留学か……。どのぐらいなんだ?」
「とりあえず二年です。わたしが希望して成績が良ければ延長出来ます」
「そうか、好条件だな。行くのか?」
「出来れば 行きたいです。でも折木さんと別れるのは辛いです」
 正直言えば日本に居る限りは都合さえ付けば何時でも逢えると思っていた。でも留学となるとそうは行かない。
「留学先はアメリカか?」
 バイオ関係の研究が進んでるアメリカなら得るものも多いだろう
「はいそうです。ニュヨークです。あそこは生活費も高いので裕福な家の者でないと……。授業料は兎も角。そんな事情もあったみたいです」
 アメリカの田舎ならイザ知らず。ニュヨークは家賃も高いと聞く。千反田家ならそこら辺は問題ないのだろう。
「良いチャンスじゃないか。世界最先端の研究が出来るんだろう。大きくなって帰ってくれば良いさ」
 思っていた事と反対の言葉が口から出た。本音では俺が京都に移り住みたいぐらいだった。でもその言葉を飲み込んだ。
「行っても良いですか?」
「ああ」
「本当に行っても良いのですね。翼を使っても良いのですね」
「ああ、その翼で飛んで行けば良い、そして大きくなって帰って来い」
「ありがとうございます」
 その言葉は涙声だった。
 その後は経過を書いておく
 千反田は向こうでも優秀な成績を収め留学を延長するように向こうから求められた。最終的にはアメリカで博士論文を提出して農学博士の資格を得た。神山高校のOB達の間でも話題になった。
 アメリカに行った当初はメール等もあったが、いつの間にかそれも無くなった。それはそうだろう。異国の地での勉学はそれほど甘くはない。俺は大学を卒業して中規模の商社に入社した。主に農産物を扱う商社だった。

 今年久しぶりに高校の同期会が開かれることになった。普段は東京住まいだが休暇を取って神山に帰って来た。会場のホテルに向かう前に母校に寄ってみる事にした。出来れば思い出の教室である古典部の部室、地学講義室をこの目でもう一度見ておきたかった。
 受付でOBである胸を告げ、用紙に書き込んで特別棟の四階に向かう。鍵を借りて来るのを忘れたと思ったが、使用中かも知れないと思いそのまま階段を登った。校舎はそのままで、まるで時間が逆行した感じだった。
 四階は静かだった。もしかして今は使っていないのかも知れないと思った。誰も居ない廊下を歩いて行く。受付で借りたスリッパの音が静かに響いている。地学講義室の扉は鍵が掛かっていなかった。そっと開く。
 教室の中には窓際に一人の髪の長い女性が校庭を見ながら立っていた。俺はその後ろ姿に見覚えがあった。声をかけようとしたら女性がこちらを振り向いた。
「こんにちは折木さん。わたし帰って来ました。あなたのところに」
 その言葉は俺の空白を埋めるのに充分だった。
「おかえり」
 ありったけの想いを込めて……。

                            <了>

「氷菓」二次創作 古典部の皆がコスプレをする

 今年も学園祭の時期がやって来た。神山高校学園祭、通称「カンヤ祭」という。但し、我が古典部ではこの名称は
禁句となっている。それは千反田の伯父であり古典部の先輩でもある関谷純に関わることだからだ。
 真実を知った時、伊原は黙り、里志は欺瞞だと言い、千反田は幼い頃言われた事を思い出し涙を流した。その全ての想いは古典部の文集「氷菓」に込められている。姉貴が言うには古典部の文化祭は昔から何か騒動が起きると言われている。昨年もそれに倣ったのか騒動は起きた。果たして今年はどうだろうか……。

「文集の売り子がコスプレをするのさ!」
「コスプレ言うな!」
 里志が叫び、その口を伊原が抓る
「痛いよ摩耶花!」
「だって、漫研ならともかく、古典部なんだから、それは禁句よ」
 伊原は何故「コスプレ」という言葉を嫌うのだろうか、昨年も少し思ったのだ。すると千反田が
「でも売り子に相応しい格好をさせて売ると言うのは良いアイデアだと思います。もしかしたら話題になるかも知れませんし、また新聞部でも取り上げてくれるかも知れません」
 確かに今まで古典部で文集「氷菓」を売る売り子が仮装していたという記録はない。
「でもやるなら、誰がどのような格好をするのかが重要ですよね」
 次期部長の大日向が尤もらしいことを言う
「発案者の福部先輩は腹案があるのですか?」
 里志は大日向の言葉を受けて
「まあ少しは考えていることがあるんだけどね」
 そう言って嬉しそうな表情をした。それを見た伊原が
「ふくちゃんがこうイタズラげな表情をした時は大抵危ないのよね」
 そう言って鋭い視線を里志に向ける
「さすが、付き合いが深いですね」
 大日向が妙な感心をしている
「まあ僕の勝手な考えなんだけどね。まず千反田さんが十二単の格好になって貰う。これが難しいなら取り敢えずお姫様の格好でも良いかなと思うんだ」
 里志の考えに千反田が
「十二単なんて何処から調達するんですか?」
 そう疑問を呈すると里志は
「衣装に関しては演劇部に協力を願うよ。知り合いが居るんだけど、使わない衣装が相当あるらしい」
 そう言って千反田を安心させた
「じゃあ他の部員はどうするの?」
 伊原が里志に尋ねると
「うん、そうだね。ホータローは旧制高校のバンカラな格好が似合うと思うんだ。破れた学帽やマントに下駄とかね」
 何故俺がバンカラが似合うのかは是非とも問い詰めたい所だ。
「それから摩耶花は江戸時代の町娘。大日向さんはメイド姿になって貰うつもりなんだ」
「ええ、わたしがメイドですか!」
「うん。案外似合うと思うよ。メイドと言っても、明治から大正に流行したカフェのメイド姿ね。古典部だからそこは」
 大日向自身も相当驚いたようだ。すると伊原が
「江戸時代の町娘って?」
「ほら時代劇なんかにも登場する黄色い着物に赤い帯締めてさ」
「ああ、黄八丈ね。それ演劇部にあるの?」
「あるそうだ。以前時代劇を文化祭でやった時に作ったそうだよ。使わないので貸してくれるそうだよ」
 千反田、俺、伊原、大日向と来て、自分はどうするのか、まさか己だけやらないと言う訳では無いよな。
「お前はどうするんだ?」
 直接里志に尋ねると
「僕は光源氏にでもなろうと思ったんだけど、その衣装は無いそうだから、僕は町奉行の同心の格好でもしようかと思ってるんだ」
「同心って頭はどうするんだ?」
「ちゃんと丁髷のカツラを借りるよ。紙で作った安物だけどね。それがあるそうだ」
 俺はここまで里志の説明を聞いていて、ある疑問が浮かんだ
「お前、何でそこまで演劇部の内情に詳しいんだ」
 俺の疑問に里志は、さも当然と言わんばかりに
「そりゃそうだよ。昔から、これらの衣装を作る時に僕たち手芸部が協力したんだから」
 そうか、こいつは古典部員でありながら手芸部員でもあった。
「今年は総務委員会はどうしたんだ」
「それもやるよ。一応副部長だからね」
 里志が当たり前のように言うと千反田が
「本当に十二単なんてあるのですか?」
 こいつは十二単を着ることに抵抗は無いのかと考えたが、ある訳がない事に気が付いた。
「まあ生き雛の時に千反田さんが着たような本格的なものではなく、それらしく見える衣装だね。動き易いしね」
 それを聴いて伊原が
「じゃあわたしが着る黄八丈もそれらしく見える衣装という訳?」
「そうさ、本格的に着物を着る訳じゃないよ」
 伊原はそれを聴いてホッとしたようだった。無理もない、千反田ならイザ知らず、伊原は恐らく一人では着物を自由に着たり脱いだり出来ないのだろう。
「わたしのメイドは簡単に着られますね」
 大日向も同じようなことを考えていたみたいだ。
「じゃあ皆異論は無いね」
 里志が確認を取る。いつの間にかコスプレをすることになっていた。
 そして担当の割り振りが決められた
 一日目  午前 千反田 折木  午後  伊原 福部
 二日目     大日向 伊原      折木 千反田
 三日目     大日向 折木      全員

「なあ、何で俺が三日間出るんだ? お前は最初だけか」
 俺が一覧表を見て文句をつけると里志は
「僕は総務員会があるからね。少し減らして貰ってるよ。僕の代わりにホーターローに頼んだ形になってる。他の部員は二回ずつにしたよ」
 確かに組み合わせを見ると里志が苦心した後が伺える。それは千反田と大日向を組み合わせなかった事だ。わだかまりは無くなったとは言え、出来るなら二人だけにはしたくない。それらを考えると納得しなくてはならないだろう。
「判った。一つ貸しだ」
 俺の言いように里志が舌をぺろりと出した。了解済みということだろう。

 その後、演劇部から衣装やカツラが届いた。カツラを被るのは里志と伊原だ。千反田は地毛を整えるだけで済む。千反田の十二単はやはり本格的なものでは無く、それらしく見えるものだった。
「これなら夏物を着た上に着れば済みます。楽ですね」
 千反田はそう言って自分が思っていたより簡単になりそうなのでホッとしたようだった。それは伊原も同じで前を合わせてマジックテープで留めて、その上に帯を蒔いてこれもマジックテープで留めるだけで済んだ。カツラは被るだけでしかも遠目には兎も角間近で見るとハリボテが丸わかりだった。それを見た大日向が
「伊原先輩はショートカットだから髪はそのままの方がいい感じですよ。被らない方が良いと思います」
 そう言って千反田も同意したのでおかしなカツラは里志だけとなった。
「でも折木さんは良くお似合いですよ」
 千反田は、そう言って俺のバンカラな格好を褒めてくれた。そうしたら大日向が
「千反田先輩は折木先輩がどんな格好をしても、褒めるような気がします」
 そう言ったので他の皆が笑った。
 里志の同心の格好は実は自虐ギャグで、総務委員会といことで同心にしたのだと言う。これもマジックテープで留めるだけの着物風だった。羽織は一応生地は兎も角、見た目は本物に見えた。カツラだけが笑いを誘う
「里志、その格好で総務委員の仕事をすれば受けると思うぞ。学校をそれで見回ったりしてな」
 里志も、それは多少意識の中にあったのだろう
「いいね。そうさせて貰うよ」
 そう言って満更でもなかった。

 結局、印刷した文集「氷菓」は皆売り切れた。これは多少は古典部員が仮装をした事も影響したと思う。壁新聞の隅にも紹介された。
 それ以外に起こった事件に関しては何れ述べることもあると思う。今年は昨年に比べれば穏やかだったと言えるので無いだろうか。但し千反田の十二単姿が評判を呼んだのを付け加えたい。そうさ、あの格好を見れば誰だって……。


                <了>

「氷菓」二次創作 奉えるファーマーズ 後編

 わたしと折木さんは高速を名古屋に向かって走っています。季節はもう秋になっていました。神山の稲の取り入れまではもう少しありますが、早稲はもう刈り入れが済んでる所もあります。
 今回、車で向かう事にしたのは神山での足の確保と時間を有効に使う為です。わたしも折木さんも運転は出来るので交代でなら、長距離でも苦にならないと思ったのです。
「千反田。実は隠し玉も持って来たんだ」
「隠し玉ですか?」
「そう。お前にも関係のあるものだ」
「関係のあるもの……。それってわたしが研究に関わったものですか?」
「まあ、そういうことさ。楽しみにしてくれ」
 折木さんが何をしようとしているのかは判りませんでしたが、わたしはその明るい表情を見て希望が湧くのでした。
 やがて車は千反田邸に到着します。わたしが先に降りて玄関に立ちます
「只今帰りました。今回は折木さんをお連れしました」
 奥から父と母が出て来ました。
「初めまして折木奉太郎です」
 折木さんが自己紹介をして頭を下げます
「えるの父親の千反田鉄吾です。こちらは母親です」
「宜しくお願いします」
 その後、客間に通されました。そしてお茶を母が運んで来ます。わたしは母に呼ばれて控えの間で一緒に様子を伺うことになりました。
「早速だが本題に入らせて貰うことにしたい」
「こちらも望むところです」
「このレポートは良く出来ている。確かに我々『千反田農産』の弱点が書かれている。よくこれほど調べたものだね」
 父はやはり感心したようでした。
「わたしは関東支店に勤務していますが、中部にも支社はあります。そこには神山を担当する者も居ます。その者は幸いに自分の後輩でした。その彼から情報を提供して貰い分析したのです」
「そうか農協繋がりか。確か農協は君の会社と取引があったな」
「そうですね。神山農協はウチのお得意様でもあります」
「だが、それだけではあるまい」
「それはそうです。貰った情報を分析し、他の地方でも起きてる事象を神山にも当てはめました。今現在、日本の農業は分岐点に差し掛かっています。今までのやり方では大きく後退してしまうでしょう。特に農産品の輸入自由化は待ったなしです。早急にそれらに対処しなくてはなりません。その点で『千反田米』が好評な神山は遅れていました。その中でもここ陣出地区は特にそれが目立っていました。だからとりあえずシステムの変更をした方が良いと提案したのです」
 折木さんはそこまで語るとお茶を一口飲みました。
「懐かしい味ですね。高校時代、毎日のようにこのお茶を飲んでいました」
 折木さんはそう言って遠い目をしました。
「しかし、ここに書かれているだけの変更で済むのかね」
「取り敢えずです。本格的な変更には時間も費用も掛かります。それまでは待てませんから」
 父は改めてレポートに目を通しています。
「今回のは、特に角費用は掛かりません。でも時間は待ってくれません。収穫ももうすぐでしょう。変更するなら今の内です。刈り入れが済んでからでは遅いです」
「そうか、それなら君の提言通りにシステムの変更をしよう。だがもし効果が無かったらどうする」
「そうですね。効果が無くても金銭的な損害は起きないと思いますが、その時は千反田……もといお嬢さんを諦めます」
「二言は無いな」
「男に二言はありません。でも効果があった時には……」
「効果があった時?」
「そうです。その時には新たな提案があります」
「新たな提案? そんなものまで考えているのかね」
「勿論です。俺とお嬢さんの仲が上手く行くならどんな事でも考えますよ」
「どうやら本気なのだな」
「本気でなければここまで来ません」
 折木さんは車で言った事を話すみたいです。わたしも興味があります。
「それはこれです」
 そう言って折木さんは、ポケットから取り出したビニール袋から何かの種のような籾のようなものをテーブルの上に広げました。父がしげしげと見てそれを摘みました。わたしはそれが何か直ぐに判りました。
「これは小麦だな」
「そうです。小麦です。これをこの陣出で栽培するのが次の提案です」
 折木さんの言葉に父は
「馬鹿な。ここ神山では小麦は育たん。例え育ったとしても今の米の時期と重なるから無理だ」
 そう言って否定しました。でも折木さんは
「普通の小麦なら、その通りです。でもこれは違うのです。これは『農林10号』という早稲でしかも耐寒耐雪性が強い品種をお嬢さんの会社が更に改良したものです。無論彼女も関わっています。通常小麦は本越年生の植物です。秋に種をまいて越年させ、春に発芽し夏に収穫するのが基本形なのです。これは、発芽のためにある程度の低温期間が継続する必要があるためでした。でも品種の改良や突然変異などによって耐寒耐雪性が強い品種が誕生しました。今日持って来た小麦は米の収穫後に籾を撒きます。そして冬のうちに発芽します。その後はゆっくりと発育して行きます。途中で雪が降っても発育は止まりません。そして収穫は5月上旬です。これなら陣出の田植えの時期である5月下旬から6月に間に合います。勿論休耕田を活用すれば、苦労は少なくて済みます」
 それを聴いた時の父の驚きようは普通ではありませんでした。
「君はそんなことまで考えていたのかね」
「勿論です。俺はお嬢さんを愛しています。高校時代に交際をしていましたが、その後疎遠になってしまいました。彼女が他の男性と結婚したと聞いた時は、正直心の底から落胆しました。そして自分が如何に彼女を愛していたのかを悟ったのです。もう二度とあのような想いはしたくありません。だから今回のことで自分の能力を最大に発揮して提案したのです」
「そうか、それは理解した。しかし新しい品種とはいえ小麦とは意外だった」
「国産小麦は今や人気商品です。麺類やパンの材料として引く手あまたです。国産小麦は以前のものはグルテンの含有量が少なく、麺類以外には向かないと言われていましたが、今の品種は外国産以上の品質です。それに政府の保証もありますから一時の人気に左右されることがありません。野菜などだと一時の流行で価格が大きく変わりますが政府が関わる小麦なら安定して収入が入ります。陣出の人々としても将来の色々な計画を立てやすいと思うのです」
「君の考えは理解した。取り敢えずこのシステムの変更をしてみよう。結果がどうなるか楽しみだ」
「上手く行くことを祈っていますよ」
 最後に折木さんは、そう言って立ち上がりました。今から三ヶ月後とは暮からお正月です。上手く行けばまた折木さんと初詣が出来るのですね。そう思うと胸が熱くなりました。
 それからは摩耶花さんや福部さん。それに十文字さん達と逢って色々な話をしました。中でも十文字さんは
「あの折木くんが、鉄吾さん相手にそこまでやったんだ。本当に本気なのね。良かったね、える!」
 そう言って一緒に喜んでくれました。でも結果は三ヶ月後なのにです。

 その後、お正月に折木さんは父に呼ばれました。それも一般の新年の挨拶の客様が見える元旦ではなく、身内が集まる二日でした。それが何を意味するのかは、わたしでも判ります。
 結果だけを言うと折木さんの提言で会社の利益が向上したそうです。父はそれを高く評価しました。お正月に呼んだのは例の小麦の話の続きもする意味もありました。


 お正月の二日に呼ばれるということは身内に紹介する意味もあります。それがどのような意味を持つのか、わたしにも判ります。でも折木さんはそこで小麦の話の続きをするつもりです。
 と言うのも、九月に折木さんと父は話をしたのですが、その後に折木さんの提唱したシステムに変更した途端、効果が出始めたので、父は小麦のことを真剣に考え始めました。そして、わたしを通じて折木さんにコンタクトを取ったのです。電話での会話でしたが、稲の刈り入れが終わったばかりの田圃と休耕田に、それぞれ一枚の田圃にあの小麦を試験的に蒔いてみたいと話したのです。
『そうですか。それならウチから試験用の籾を提供しますよ』
『無償提供かね?』
『勿論です。ウチとしても実際の栽培のデータが欲しいですからね。だから経過をウチの者に観察させて戴きますけどね』
『それは構わんが、収穫した小麦は?』
『それはそちらでご自由に使ってください』
『そうか、判った』
『撒く日時が判ったら連絡ください。俺が行ければ行きますし、最低でも担当の者をやらせます』
『本音では君が来てくれれば幸いだがな』
 凡そこんな会話がなされたそうです。神山に向かう車の中でわたしは折木さんに
「小麦。育っていれば良いですね」
 そう言うと折木さんは
「もう発芽はしてるそうだ。雪が降っても順調に育っていると連絡が入っている」
「籾を撒く時は、わたしの会社からも指導員を派遣しました」
「あれは助かった」
「ウチとしても将来がかかった商品ですから」
「確かにな。その意味ではウチの会社も同じだ。これが上手く行けば、千反家を始め陣出の農家、俺の会社、そしてお前の会社の三者にとって大きな成功になる。大事な試験栽培なんだ」
「そうですね。わたしも研究をしていた時のことを思い出しました」
 やがて車は高速を降りて神山に向かって行きます。陣出の坂を登ると実家が見えて来ました。陣出に入ると折木さんは、試験栽培をしている田圃に車を向かわせました。
「見ろ、順調だ。このまま行けば良いな」
 窓の外の田圃には雪の間に青い麦の芽が見えていました。
「ウチの会社で試験栽培した時よりも順調です」
「もしかしたら、ここが栽培に適しているのかもな。改良したとは言え、麦はある程度の寒冷な気候は必要だからな」
 この田圃は、わたしには希望の田圃に見えました。やがて実家に到着します。以前とは打って変わって父が真っ先に出迎えてくれました。
「おめでとう。お帰り。麦の様子を見て来たかな」
「おめでとうございます!はい。しっかりと見て来ました」
「そうか。折木君の言った通りになりそうで、わたしとしても嬉しいよ」
「あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します」
「ああ、おめでとう。みな君の言った通りになってるよ。本当に感心した」
「いえ、本当に大事なのはこれからです」
「そうだな。ま、今日は正月だ。祝おうじゃないか。上がってくれたまえ」
 父の言葉に従って家に上がります。広間ではもう宴席の準備が出来ていました。
「そう言えば、もう元旦にいい子してなくても良いのか?」
 折木さんがそんな冗談を言います
「はい、一度は家を出た者ですから」
 そうなのです。姓が千反田に戻っていても、わたしは一度はこの家を出た者なのです。それだけは忘れてはならないと思っています。
 やがて、特に親しい親族も加わって、正月の宴が開かれました。父は午後からは挨拶回りに出ます。それもあるので比較的早い時間です。その席で父が爆弾発言をしました。
「親族、家族の皆、少し聴いて欲しい」
 その言葉で皆が父の方を見つめます
「今日は、折木奉太郎君にもこの席にお出でを願ったのですが、彼は我が娘のえるの高校時代の同級生です。そして現在、二人は交際しております。ご存知のように、えるは一度は結婚生活に失敗しました。でも折木君はそれを気にしないと明言してくれました。わたしは彼と関わって月日は短いですが、彼が誠実でしかも有能な人物であることが判りました。わたしは二人の結婚を認めようと思います。そして出来れば、この千反田を継いで欲しいと思うようになりました」
 まさかの発言です。わたしは
「お父様、その話は……」
「なんだ、お前は折木君と一緒になりたくないのか? 折木君は二度とお前を離したくないと語っていたぞ」
 どうやら、父はわたしの知らない間にも折木さんと連絡をとっていたみたいです。
「いえ、その……」
「どうなんだ?」
 父がわたしにここまで問い詰めるのは初めてかも知れません
「わたしは出来れば折木さんと一緒になりたいです!」
 とうとう言ってしまいました。しかも身内と親戚が居る席でです。
「わあ! えるちゃんおめでとう!」
 皆が一斉にお祝いの言葉を言ってくれます。でも一つ気になることがあります
「折木さん。お父様が家に向かい入れると言っていましたが、それは……」
 わたしの質問に折木さんは苦笑いをしながら
「実はこの前から婿入りを言われていてな。今日返事をすることになっていたんだ」
 そんなこと全く知りませんでした
「わたしはお嫁に行くとばかり思っていました」
「嫌かい? なら再考するけどな」
 嫌ではありません。でも余りにも急なことなので考えが追いつきません。でも……。
「もしそうなれば嬉しいです」
 それだけ言うのがやっとでした。
「なら決まりだ」
「折木君良いのかね?」
「はい、依存はありません。でも一つお願いがあります」
「お願い? 何だね」
「はい、将来ですが千反田農産の中にラボを作って欲しいのです。規模は小さくても構いません。千反田には、一緒になっても研究を続けて欲しいのです。それがやがて陣出の将来に繋がりますから」
 折木さんの言葉を聴いた父は
「全く君と言う男は、本当に先のことまで考えているのだな」
「性分なんです」
 その言葉に宴席の皆が笑いました。わたしは、心の底から喜びが湧き上がりました。わたしの選んだ人が、父を始め皆に受け入れられた事が誇らしかったです」

 その夜は当然実家に泊まりました。父が
「今夜からはお前の部屋に泊まって貰いなさい」
 そう言われました。その言葉が何を意味するのか……。
 すると部屋に入ってから折木さんが
「今夜は寒いから布団はひと組で良いな」
「そうですね。二人で抱き合っていれば暖かいですね」
「何も身に付けていなくてもか?」
「そんな……イジワルです」
 そうは言いましたが結局その夜は、何も身につけることなく朝を迎えました。
 その次の日は摩耶花さんを始め友達と旧交を温めました。帰る時に父が、そっとわたしに耳打ちしました
「孫が先でも怒らんぞ」
 それを聴いて真っ赤になったわたしを折木さんが不思議そうな顔で見ていました。


                               <了>

「氷菓」二次創作 奉えるファーマーズ 前編

 茨城の霞ヶ浦を望む広大な土地に、わたしの勤務する研究施設があります。「茨城研究農場」です。多くの温室や栽培の施設。通常の物の他に水耕栽培の施設も整っています。無論そこは人工の光源を採用したものもあります。
 ここに赴任してから一月が経ちました。やっと慣れて来たところです。こちらに赴任するに当たって困ったのは住む所でした。会社も色々と応ってくれたのですが近所では見つからず車で二十分ほど離れた所に部屋を借りることが出来ました。
 滋賀の施設でも通勤は車でしていたので、引っ越しの時に、わたしがそのまま滋賀から乗って来ました。そのことを折木さんは呆れていました。
 その折木さんですが、仕事でこの施設によく来るという言葉は本当で、月に二度は来るそうです。まあ目的は研究施設そのものよりも、ここに駐在してる営業の人との商談が多いそうです。でも、わたしとしてみれば、その度に理由をつけては折木さんと逢えるのが嬉しいのです。そして今日は、その折木さんが来る日なのです。予めその日は一緒にお昼を食べる約束をします。それがわたしの楽しみでもあります。
 週末、休みが重なれば、わたしは折木さんのアパートに泊まりに行きます。本当は折木さんにも、わたしの部屋に来て欲しいのですが、未だ荷物が整理出来ていません。折木さんは
「俺が行って一緒に片付けてやるよ」
 そう言ってくれてくれました。その日も一緒にお昼を食べながら
「今週末はどうなんだ。研究か?」
 相手は植物ですから土日だからと言って休んでくれません。
「今週は土曜は出番ですが日曜は休みです」
「じゃあ土曜の晩から行って荷物の整理をしてやるよ。男手があった方が良いだろう」
「ありがとうございます! では後で細かい時間を連絡しますね」
 こうして折木さんに大きなものを片付けて貰いました。今週も折木さんは、そのつもりだったみたいですが
「今週は神山に帰らないとならないのです」
 昼食を食べながら伝えます。
「神山に帰るのか。何か用事があるのか?」
 用事などはありません
「実は父の呼び出しなのです」
「鉄吾さんが?」
「はい何の用かは判りませんが、わたしに話があるそうです」
「そうか、逢えないのは残念だが、何か判ったら教えてくれ」
「それはもう」
 そうは言いましたが、わたしには凡その内容はおぼろげながらも判っていました。

 その週の週末、土曜日の早朝わたしは新幹線に乗っていました。東京駅までは折木さんが送ってくれました。名古屋で「こだま」に乗り換えて岐阜羽島で降ります。駅には父が迎えに来てくれていました。
 車の助手席に載ります。父が
「新しい研究所には慣れたか?」
 前を見ながらハンドル操作をしてわたしに尋ねました。
「はい。大分慣れました」
「そうか。なら良いが、色々と噂を耳にしてな」
 それからの父の言葉は、わたしには思ってもみなかった内容でした。
「噂ですか?」
「ああ、離婚してやっと落ち着いたら、高校時代の同級生と交際してるとか」
 間違いなく折木さんのことです。折木さんとは復縁してから日も浅いのにと思いました。
「農協の者が苗種会社の人と懇意でな。そういえば神山出身の研究者が茨城の研究所に転任して来て。ということから話が始まったそうだ。農協の者が、『それなら陣出の千反田さんでしょう。京都の大学を卒業しておたくに就職したはずですから』と直ぐに判ってな。それでお前の最近の噂を色々と話したそうだ」
 車は国道を神山に向かって走っています。休日の朝なので交通量は多くはありません。
「その噂だがな。正直、陣出の千反田家としては嬉しくない内容だ」
「わたしは正式に離婚もしました。それが変な噂を呼んでいるのですか?」
「離婚そのものではない。その後のことだ」
 その後のこと……やはり折木さんとわたしのことなのでしょう。
「あくまで噂だが、お前が離婚したばかりなのに早くも男を作っていると。その男が研究所に来ると嬉しそうに一緒にお昼を食べている。という内容だった。千反田さんは、大人しそうな可愛い顔をしているけど発展家だと言う者も居るそうだ」
 まさか、陰でそんなことを言われていたとは思いませんでした。
「違うのです! 離婚して半年経ちました。その時に同期会があり、わたしも久しぶりに出席したのです。それで旧交が温まったのです。それだけなのです」
「本当かな?」
 父の言葉は、わたしを疑う気持ちの入ったものでした。既に車は神山市内に入っていました。
「まさかとは思ったから、悪いが調べさせたよ」
「調べた?」
「興信所に頼んだ。調査の結果を見てお前を呼んだのだ。家でも話せない内容だから車の中で親子二人だけで話したかった」
「その調査の内容はどのような物でしたか?」
 父は信号で車が停まった時に鞄の中から一冊のファイルを出して、わたしに渡してくれました。
「見れば判る」
 その言葉にそっとファイルをめくります。そこにはわたしが折木さんのアパートに入る所や、出て来るところが写されていました。勿論研究所の食堂で一緒に食事をするところもです。
「かなり親密なんだな。昔の男がそれほど良いか」
 父とは言え、酷い言い方です。
「折木さんは素敵な人です!」
「恋は盲目という言葉もある。まあ、お前も大人だ。誰と付き合おうが構わないが、結婚となるなら相手を選ばなくてはならない。何処の馬の骨では困るのだ。例えお前が家を継がなくても、千反田の名に関わるからな」
 車は陣出の坂を登っていました。もうすぐ到着します。
「お前も未だ若い、やり直しは幾らでも出来る。しかし相手は選ばないと駄目なことぐらいは理解出来るだろう」
「わたしは……わたしは……」
「お前の相手は、今度はこちらで間違いの無い相手を選んでやる。それまでの火遊びだと思うが良い」
 父の言いたかった事はそれだけでした。要するに折木さんとは程々にして、親の選んだ相手とサッサと再婚しろということなのです。
 車は家に着きました。母が迎えに出てくれました。母も事情は判っているみたいです。表情でそれが判りました。
 その日は家の自分の部屋で色々と考えていました。自分の行動が甘かったのは事実です。でもまさか……。家を継がなくなったわたしは、千反田の楔からも解き放たてられたと思っていたのです。でもそれは間違いでした。やはりわたしは千反田の楔に繋がれていたのでした。
 お昼過ぎに摩耶花さんと、少しだけ時間を作って貰い逢うことが出来ました。正直に今朝のことを打ち明けると
「まさか! 確かに神山では、ちーちゃんは色々な目で見られていたかも知れないけど、茨城くんだりまでとは……それだけ目立っていた訳なのね。折木もそんなことぐらい考えなかったのかしら」
「折木さんは悪くありません。わたしの甘さなんです」
「でもちーちゃんは正直、折木と一緒になりたいのでしょう?」
 それは今までも心の隅にいつもありました。一日足りとて忘れたことはありませんでした。
「ならこれは二人の問題よ。折木にもちゃんと正直に話して、アイツにも協力させた方がいいわ」
 確かにそれが正解なのでしょう。でも折木さんがわたしとの結婚を望まないなら。このままの関係で満足なら……。
「もう、なんでそんなこと考えるのよ。このままならちーちゃんは、何処かのバカ息子の所にお嫁に行かされてしまうのよ。折木だって協力するわよ。折木だったら何か妙案がある気がする。アイツの頭の中は普通じゃないから」
 確かに、折木さんはわたしでは及びもつかない思考で問題を解決してくれました。今度も頼って良いのでしょうか?
「それしか解決作は無い気がするわ」
 わたしは摩耶花さんの言葉を胸に茨城に帰って来ました。新幹線の中からも折木さんに電話をして、今日父から言われた事と摩耶花さんの言葉を伝えました。
「そうか、俺はお前がまた誰かに抱かれるのは嫌だな。おれだけの千反田で居て欲しい。それが俺の真意だ。誰にもやりたくない」
 はっきりと言ってくれて嬉しかったです。
「本当は直に言う積りだったんだ」
 電話の向こうで折木さんが少し微笑んだ気がしました。
「俺は俺で色々と考えてみるから、安心しろ」
 その言葉が頼もしく嬉しかったです。

 それから二週間は折木さんの仕事の都合で逢うことが出来ませんでした。正直、何処かで見張られているのかと考えてしまいました。一人で食堂でお昼を食べていると同僚の女子が
「千反田さんて岐阜の旧家の生まれで名家なんだって?」
 そんなことを尋ねて来ました。誰から聞いたのでしょうか。
「ええ、名家かどうかはともかく、古いことは古いです」
「そうなんだ。よく一緒にお昼食べてる商社の人は?」
「ああ、高校の同級生なんです。同じ部活にいました」
「へえ、すると昔の彼氏?」
「そんなんじゃありません。敢えて言うなら傷を分け合った同士です」
「同士……へえ〜」
 同僚は半分関心して去って行きました。きっとこれも尾ひれが付いて出回るのでしょうね。でも構いません。もう折木さんにも打ち明けたのです。後には引けませんでした。


 父に残酷な宣言を受けて茨城に帰って来てから二週間が経ちました。この間、折木さんとは毎日のように電話をしていました。内容は、千反田の家の内情や父が経営している「千反田農産」のことでした。わたしは最初それが二人にどうような関係があるのか正直判りませんでした。
 そして、一度は研究所に仕事で来て、いつものように一緒に昼食を採りました。その時は、電話よりも具体的に訊かれました。その時も、その理由がよく判りませんでした。
 やがて週末に折木さんの家に泊まりに行った時の事です。食事の後片付けが済んで二人で並んでテレビを見ていた時の事でした。
「千反田。実は鉄吾さんに渡して欲しいものがあるんだ」
 そう言って自分の机の上に置いてあったA4コピー用紙の束を持って来ました。
「これは?」
 わたしの疑問に折木さんは
「この数週間。俺なりに千反田の家のこと。家業の農家の事を色々と調べさして貰ったんだ。そこから色々な問題点が見つかったので、後半で俺なりの解決策を書いておいた。改善点となるものはシステムの簡単な変更で済むから、早ければ三ヶ月もあれば改善の効果があると思う」
 折木さんはわたしにも目を通すように促しました。わたしもどのような事が書かれているのか興味があってので目を通してみました。
 そこには今の「千反田農産」が抱える問題点が的確に書かれていました。外部の者でよくこれだけの事が判ったと思いました。
「どうしてこれだけの事情が判ったのですか?」
 わたしの疑問に折木さんは
「ああ、俺の大学の時の専攻は何だった?」
「確か、農業経営……ああ、専門なんですね!」
「そうだ。いつかお前の隣に立てるようにと学んだんだ。今頃役に立つとはな。でもお前に内情を随分訊いたのでそれが役に立った」
 わたしは折木さんの真意が判り、嬉しさを隠せませんでした。
「千反田家に留まらず、陣出の農家の主な作物は米だ。俗に『千反田米』と呼ばれる食味のランクでも最高位を取得している米だ。だが昨今、米ほど競争の激しい物もない。かって王者の名を欲しいままにした、魚沼産のコシヒカリでも食味ランクでは王位から落ちてしまった。そして、かって米が育たないと言われた北海道で栽培された『きらら397』という米が、食味ランクでトップに立つとは誰も思わなかったろう。『千反田米』も例外では無い。今はまだ売れているが、少しずつ落ち始めているのも事実だ。栄華は何時までも続くものでは無い。だから新しい作物を見つけるのが第一だが、その前に今までのやり方を変えないとならない。その辺を書いたのだ」
 確かに書いてある内容は、一々頷けるものばかりでした。
「問題は、俺が直に持って行っても鉄吾さんは読んではくれまい。だからお前から渡して欲しいんだ」
 わたしは嬉しかったです。わたしの愛した人はこんなにも素晴らしい人だったと、誇りたい気持ちでした。
「判りました。必ず父に渡します」
 そう約束をしました。
「おいで」
 その夜は久しぶりに希望が胸に湧き、非常に嬉しかったです。
 次の休みの日に、新幹線で高山に向かいました。父には内緒でしたので名古屋から神山線の特急に乗ります。日本ラインの美しい景色を眺めながら、このレポートで父の折木さんに対する評価が変われば良いと考えていました。
「今帰りました」
 休日なので両親も家に居ました。これは幸いでした。両親が出迎えてくれました。
「どうした。連絡も無しに帰るとは珍しいじゃないか」
 父は急にわたしが帰った事に納得が行かないようです。
「今日はお父様にお見せしたいものがあって帰って来ました」
「見せたいもの?」
 怪訝な顔をした父にわたしは、折木さんのレポートを出します。
「何だこれは?」
「この『千反田農産』の問題点と解決策を書いたレポートです」
「レポート? 誰が書いたのだ」
「折木さんです」
「ああ、あの男か」
 父は急速に興味を失ったみたいです。
「一度で良いから読んで見てください。折木さんに対する考えが変わると思います」
「大層な買い被りだな」
「買い被りではありません」
「ああ判った。後で読んでおく。それより見合いの写真が来てるんだ。見て行きなさい」
「お願いです。今すぐ目を通してください」
 余りのわたしの気迫に父も折れてくれて、レポートを手にしてくれました。そしてゆっくりとページを捲って行きます。最初は薄笑いが浮かんでいましたが、やがてそれは消え、真剣な表情に変わって行きました。
「える。これは本当にお前の同級生が書いたものなのか?」
「はいそうです」
「彼は何者だ? 単なる農産品を扱う商社マンでは無かったのか」
「彼は大学で当時最先端だった多角的農業経営を学んだのです。だからわたしとは離れて東京の大学に進学したのです」
「そうか……。これについては色々と訊きたいことがある。このレポートは確かに的確に書かれている。だが完全では無い。足りない部分もある。そこを尋ねたい。一度連れて来なさい」
「では?」
「まだ早い! 認めた訳ではない。この千反田に相応しい男かどうか、全てはこれからだ」
 そう言った父は千反田家の当主の表情をしていました。
 茨城に帰って来て折木さんに連絡を取ります。
「そうかでは時間を作ろう、休暇を取っても良いしな。お前は休めるのか?」
「折木さんは自分の事なのに、わたしの事を心配してくれます」
「はい何とか連休を取れるように調整します」
 こうして、わたしと折木さんは父と対決する事になったのです。

「氷菓」二次創作 再会 6 (終)

 それから十分ほど後に俺と千反田は、ホテルの七階の部屋に居た。ドアを開けると部屋の右側にシングルベットが並んでいる。枕が部屋の右だ。その向こうは窓だが、そこに丸いテーブルに椅子が二脚備えてある。その左隣りには小さな冷蔵庫があり、その上はガラス戸のある棚になっていてそこに紙に包まれたグラスが並んでいた。
 部屋の左側には金庫などと棚がありその上に小さな液晶テレビが置かれていた。壁は明るいクリーム色で窓に掛かっているカーテンは葡萄茶色だった。
「綺麗な部屋ですね」
 千反田が先に入り周りを見回してから窓の所に行く
「夜景が綺麗です。何だかドラマの主人公になったみたいです」
 千反田は仕事柄ホテルなどには余り泊まったことが無いのだろう。俺は仕事柄年中泊まっている。
「まあ日本のホテルはビジネスホテルでも綺麗だよ」
「そうなんですか。わたしは知らないことばかりです」
 窓際のテーブルの上にハンドバッグを置くと、備えてあった椅子に腰掛けた。
「ここなら折木さんとわたししか居ません」
 そう言って小さなため息をついた。
「そんなに人に聞かれたくないことなのか?」
 俺にはそれが疑問だった。先程別れた事に対する蟠りは氷解したのではなかったのか。千反田は俺の方を向くと
「折木さんも座ってください。立っていると話難いです」
 千反田の言葉に俺は上着を脱いでワイシャツ姿になってネクタイを外し千反田の向かいの椅子に座った。
「我儘ばかり言ってすみません。もしかしたら折木さんにはどうでも良い事かも知れませんが、わたしにとっては大事なことなんです」
 千反田はまっすぐ俺の目を見ていた。それでこいつが本気なのかが判った。千反田はワンピースだとばかり思っていたが、どうやら袖を外してノースリーブに出来るみたいだった。今の千反田は俺が上着とネクタイを外す間に半袖から肩をあらわにしてノースリーブになっていた。真夏になるとノースリーブ姿の女性を見ても何とも思わないが初夏の頃にこれを見ると少しドキッとする。目の前には細いが艶めかしい千反田の肩があらわになっていた。
「俺と二人だけじゃないと言えない事って何だ?」
 俺は棚からグラスを二個出して紙包を解いて、冷蔵庫からビールを出して二つのグラスに注いだ。
「ありがとうございます」
「ま、無理に飲めとはいわん」
 そう言ったが千反田は一口口を付けて飲むと語りだした
「話したいことは、わたしの結婚に関することです」
 千反田は訴えるような眼差しをしていた。
「結婚は俺の知らないことだから、俺には何も言う権利はない」
「違うんです。違うのです。折木さんはあずかり知らぬことでも、わたしには違うのです」
 どういうことなのだろうか。俺には意味が理解出来ない。
「千反田、もっと判り易く言って欲しい」
 物事を省略するのが千反田の昔からの悪い癖だ。
「すみません。わたしは折木さんとの関係が自然消滅して研究に打ち込んでいました。それはそれで大変でしたが、充実もしていました。会社はやればやっただけの評価をしてくれる所でした。だから楽しかったとも言えます。そんな時に元夫と同じ研究チームになりました。そして一緒に研究活動をしている内に彼に折木さんの面影を見たのです。今から思えばそれは、わたしの幻想に過ぎなかったのですが、当時はそうは思いませんでした」
 千反田の話も理解出来なくは無い。だがそれは所詮幻想に過ぎない。その元夫だって、勝手に俺の幻想を見出されては迷惑だろう。
「そうなんです。それが過ちの始まりだったのです。そして勘違いしている間に関係が深まりました。やがて結婚の話も出ました。折木さんとの関係が断たれた当時のわたしには、異論はありませんでした」
「そして一緒になったんだな」
「はい。でもすぐにそれが間違いだと気が付きました。当たり前ですが彼は折木さんではなかったのです。本当にお笑いごとです」
 一緒に暮らてみるとお互いに色々なことが判るという。俺は結婚の経験は無いが姉貴の結婚生活を見ていると、それが良く理解出来る。
「失敗したと思ったのだな」
「はい、そうです。考えが、生活の基盤設計が全く違っていたのです。本当は一緒になる前に決めておく事なのでしょうが、そんな事も考えませんでした。甘かったのです」
「それで?」
「わたしは勝手に折木さんの幻想を持ち出して人の人生までも壊してしまったのです。そんなことは誰にも言えません。本当は久しぶりに逢った折木さんにでも言ってはならない事かも知れません。でも、でも折木さんに触れた今夜は是非とも聴いて欲しかったのです」
 確かにそうなのだろうと思う。こんな事は人に言うべきものでは無い。でも俺になら言えるという事は……。
「同期会とかクラス会って不思議ですね。再会した瞬間に気持ちが当時に戻ってしまいます。あの頃の十八の頃に戻ってしまいます。だから今夜だけは昔みたいに折木さんに甘えて見たかったです」
「千反田。人には誰でも後悔することはある。殆どの人間はそれを隠して生きている。お前だって他のことなら俺には言えないだろう。それはそれで意味のあることだと俺は思う」
「では……。」
「ああ、俺はお前の気持ちをしっかりと受け止める事にするよ」
「ありがとうございます! 嬉しいです」
 俺は立ち上がって千反田の腕を取って立ち上がらせた。そして両腕で千反田を抱き締めた。あの頃と同じように少し華奢な肩が俺の胸に包み込まれた。
「折木さん……。」
「千反田……。」
 嬉し涙で滲んだ瞳に唇を這わせ雫を拭う。やがてその唇はお互いの唇と重なった。千反田の豊かな胸が俺に当たる。その心地よさを感じながらもう一度、今度は濃厚なキスをする。千反田から小さなため息が漏れる。
「わたし、まさか今日こんなことになるなんて考えてもいませんでした」
「どうしてだ」
「だって折木さんには嫌われてしまっていると思っていたからです」
「それは思い違いだ」
 右手を千反田の豊かな左胸にあて包み込むと
「あのシャワーを浴びて来ます。折木さんも汗を掻いているでしょう。シャワーを浴びた方が良いです」
「一緒に入ろうか」
 そんな冗談を言うと千反田は真面目な物言いで
「どうやらここは二人では狭いみたいですよ」
 そんなことを言ったので笑ってしまった。それに気がついた千反田も一緒に笑う。
 
 部屋は明かりが落ちて、薄暗くなっている。お互いにシャワーを浴びた後、再び冷蔵庫からビールを出して一杯だけ飲んだ。冷蔵庫の明かりが千反田の姿を妖しく映し出している。
 千反田も俺も部屋に備え付けの浴衣に袖を通している。俺はベッドに座ると千反田に
「おいで」
 と手招きをした。
「はい」 
 千反田が小声で応えると俺の胸に滑るように入って来た。右手で千反田の右肩を抱いて左手で千反田の浴衣の紐をゆっくりと解くと前が開いて豊かな双丘と白い肌が露わになった。輝くような千反田の素裸だった。
「生まれたままの姿を見るのは久しぶりだな」
「恥ずかしいです。早くベッドに」
 抱きしめながらベッドに潜り込み唇を重ねる
「今、こうして折木さんに抱かれていることが信じられません」
「すぐに信じさせてあげるさ」
「ああ、悪いひとです」
「そうさ。今夜俺は悪いひとになるのさ」
「嬉しいです。いっぱい悪くなってください」
「ああ」
 その後は会話らしい会話もしなかった、久しぶりに抱いた千反田は何回も俺の下で果てた。俺も喜びを千反田の中に果てさした。
 その後再びシャワーを浴びてお互いのベッドに潜りこむ。だが気が高ぶっていて眠ることが出来ない。何回も寝返りをしていると、隣のベットから
「折木さん。そちらのベッドに行っても良いですか。何だか眠れなくて」
「ああ、おいで」
 俺はそう言って毛布を上げると千反田が何も身に付けずに、生まれたままの姿で毛布に入って来た。
「わたし折木さんに喜びを教えて貰った頃のことを思い出しました」
 そういえば、あの頃は俺も夢中だった。
「お願いがあるのですが」
 千反田が俺の裸の胸を弄りながら
「茨木の研究所に移動になっても、また逢ってくれますか?」
「当たり前だろう。あそこは良く行くところだし、俺は千葉の柏市に部屋を借りているから、車なら小一時間で着く距離だ」
「嬉しいです。今日は本当にわたし幸せです。こんなに幸せで良いのだろうかと思いました」
 俺はキスをしながら優しく千反田の髪を撫でる。
 その後夜明けまで、お互いを求めあった事は二人の秘密だ。

                             <了>

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