自作小説

浮世絵美人よ永遠に 第十五話 北斎と広重

The_Great_Wave_off_Kanagawa 蔦屋さんとお栄さんは一緒に暮らしながら、それぞれの仕事をこなしていた。お栄さんは幾つかの寺子屋で絵を教えていたし、その合間に北斎さんの「富嶽百景」を手伝っていた。
「富嶽百景」の全三巻あるうち、最初の二巻の発行が早かったのはお栄さんが協力していたからだ。実際絵の手伝いだけでは無く、富士に纏わる故事来歴等も調べたらしい。
 最後の三巻が遅れたのは北斎さんがお栄さんの手伝いを拒み一人で作業を続けたからだ。この時期はお栄さんは蔦屋さんと一緒に暮らし始めた頃で、北斎さんも気を使ったのだろう。
 またこの時期は「百人一首乳母が絵説」を書いていて、その仕事の分量の多さに驚かされる。結局このシリーズは、版元の西村与兵衛が版行途中で没落した為、予定の百枚を刊行する事は出来なかった。二十七枚を持って終了している。但し、北斎さん自身は下絵として全百枚を書き上げていた。それを描き終わって北斎さんは信州に旅立っている。

 そんな事が起きるとは思ってもいない天保の江戸の街。何十回目か判らない引っ越しをして、その新居で北斎さんは仕事をしていた。そこに蔦屋さんが一人の絵師を伴って現れた。何故俺がそれを知っているかと言うと実は引っ越しの手伝いをしていたのだ。家財の少ないこの頃は、大八車が一台あれば事足りてしまう。弟子の誰かが大八車を借りて来て、幾つかの荷持を載せてしまえば終わりで、近所の引っ越し先で荷を下ろせば引っ越しそのものが終わりなのだ。
 今度の物件は三軒長屋の一番端で二階もあった。
「どうだい、この前よりか少しは広いだろう。これなら大作も広げて描けると言うものだ」
 北斎さんはそんな事を言って嬉しそうだ。俺から言わせれば、広くてもすぐに塵で一杯になってしまうのだろうと思った。
「これで片付きましたね。何時でも作業が始められますね。
 俺がそんな事を言った時だった
「御免なさい」
 そう言って蔦屋さんが家の軒先に現れた。
「おお蔦屋さんか、どうぞ……誰かお連れかな?」
 北斎さんの声に蔦屋さんの方を見て見ると、三十代半ばの男の人が後ろに立っていた。髷を見ると武士の髷をしている。役人かと思ったが、着ている物が役人のものでは無かった。更に浪人にしては小さっぱりしていると思った。
「どうぞ一立齋(いちりゅうさい)殿」
 蔦屋さんに促されて、男の人は入って来た。蔦屋さんの呼び名でこの人物が後に歌川広重と呼ばれる人物であると悟った。この頃広重さんは一立齋と名乗っていたからだ。
「これは、これは歌川の」
「暫く振りでございます。その節はどうもありがとうございます!」
「いや、礼になんか及ばねえよ。それより『東海道五十三次』良かったねえ。売れて売れて他にも注文が沢山入って大変じゃないのかい」
 北斎さんは、広重さんの「東海道五十三次」が売れた事を純粋に喜んでいるみたいだった。
「それもこれも「富嶽三十六景」を参考にさせて戴いたからでございます」
「なぁに、それもこれもあんたの力量さ。ささ、こちらへ上がりなさい。引っ越したばかりで何も無いが」
 北斎さんは広重さんを上がらせた
「しかし、あなたと蔦屋さんが知り合いだとは驚いた」
 正直言うと俺も驚いている。確かに組織としての蔦屋さんの仕事は、まず色々な絵画を見て、組織として有能な絵師、画家を見つけ出す事。それにより未来世界での絵画の価値を上げる事。またそれを保護する事。
 次に、過去の世界でも同じように有能な絵師と接触して、それを援助すること、だった。蔦屋さんは二番目の仕事として色々な絵師と接触を持ったのだと知ってはいたが、まさか大物の広重さんにも接触してるとは思わなかった。
「先年、家督を譲りましてな、絵師一本にり申した。そこで、北斎殿に挨拶をせねばと思っていた所、この蔦屋殿が案内してくれ申したのでございます」
「北斎はやめてくだされ、あれは一時の画号、鉄蔵で一向に構わない所存でございますよ」
 北斎さんはそう言って笑っていた。良く考れば、こうやって二人が出会っているシーンは実は歴史的な光景では無いだろうか。
「この前、大岡雲峰先生に就いて南画を少々学び申したのでございます」
「ほう、南画でございますか。それは良いですな。南画を学べば風景に人の暮らしを取り入れる事ができ申す。あなたの力量なら造作もない事でございますよ」
「鉄蔵様は今は『富嶽百景』の続きでございますか?」
 広重さんの質問に
「それは大体終わり申した。今は西村与兵衛殿の注文で百人一首を乳母が読んで説明している絵を書いております。これは大体百枚にもなろうと言うもので、先が楽しみでございますよ」
 俺は引っ越したばかりの家でお湯を沸かし、茶を入れて二人の前に差し出した
「おお、こうすけさんが茶を入れてくれましたな。どうぞ」
「これはかたじけない」
 広重さんは礼を言ってお茶に手をつけて
「この御方は、江戸のお方ではありませぬな。何処か西国の方でいらっしゃいますかな」
 俺の顔をまじまじと見てそんな事を言った。どうして、すぐに判ってしまうのだろうか、姿形は完全に江戸の人間と同じなのに。すると蔦屋さんが
「この御方は、こうすけさんと申しまして、私の仕事を手伝ってくれている方でございます。西国と言うより北国の出でございます」
 そう言ってくれたので、それ以上追求はされなかった。しかし、どうして広重さんと接触したのだろうか、俺は北斎さんと広重さんが話している間に蔦屋さんに訊いてみた
「どうやって広重さんと接触したのですか?」
「実は、買い付けの件がありましてね。それで、耕書堂に繋がりを求めたのですよ」
 蔦屋さんはそう言って涼しい顔をしているが
「まさか、自分が祖先だと話したのですか?」
「まさか、そこは秘密にしてありますが、今の当主より私の方が絵に関する知識も見聞も広いのですから、すぐに信用されました。今ではちょっとした顧問ですよ」
 それを訊いてさすが蔦屋さんだと感心をした。
「歴史的にはこの後、耕書堂も色々な絵を広重さんに頼む事になるのですが、今の当主は役者絵や美人画それに危な絵等を中心に扱っており、これからの風景画が流行る事を見逃していたのですよ」
 なるほどと感心をする。歴史の陰に蔦屋重三郎ありだと思った。
 広重さんと北斎さんの話は尽きる事が無かった。俺と蔦屋さんは二人の天才絵師の会話を何時迄も聴いていたのだった。
 俺はこの期に直接ある質問をしてみる積りだった。最初の仕事の時からずっと思っていた疑問だった。まさか直接広重さんと話せる機会が訪れ様とは思わなかった。

浮世絵美人よ永遠に 第十四話 二人の新居

e69db1e983bde5908de6898020e99a85e79 よく考えて見ると誰と誰が一緒になろうと、構わないのだが、その人物が問題なのでこんな会議をやっている。
「二人が何処で所帯を持つかが重要だと思うがのう」
 山城さんがお茶を飲みながら意見を言うと坂崎さんが
「いっそ、センターで暮らすとかどうじゃな?」
 そう言って二人でセンターで暮らす事を提案する。俺はそれも良いが、現実にお栄さんは北斎さんの助手をしている事が多いのでは無いかと思った。それに調べると、あちこちに絵の指導をしに行っているそうだ。その辺の事もある。
「お栄さんの仕事に障害が出るならセンターで暮らすのは不味いと思いますが、二人で組織が借りてる神田の長屋で暮らすと言うのは如何ですか」
 俺は今まで考えていた事を述べた。神田の長屋は天保の頃は誰も住んでいない。俺が最初に転送された嘉永の頃でもそうだった。やはり治安が良くても無人は良くないと思った。
 すると五月雨さんが
「神田の長屋を組織が借りてる理由は、あそこが次元的に有利な場所だから、あのあたりに場所を確保しておきたかったからなんだ。それに神田だと本所まで遠い。いっそ近くにもう一軒借りても良い。長屋で無くても一軒家でも良いし」
 五月雨さんが言った「次元的に有利」と言うのは転送し易い空間になっていると言う事で、これは何処でも良いと言う訳には行かないらしい。それに「次元的に有利」な空間は一種のパワースポットでもあり、その当時の人にとっては入り難い空間でもあるそうだ。
 ここで今まで黙っていたお栄さんが口を開いた。
「父、鉄蔵は今は『富嶽百景』を書いています。これは数年続くと思います。実はそれが終わったら旅に出たいと言っているのです。これには弟子が付いて行くと思いますが、それまでは近所に住んでいませんとなりません」
 現実的にはセンターで暮らすのは難しいと言う訳だ。すると蔦屋さんが
「わたしも、正直、江戸で暮らせるなら、その方が嬉しいですね。センターの生活も快適なんでございますが、何というか刺激が無さすぎて」
 確かに、それは言えるかも知れない四季が判らない空間で暮らすとボケる恐れもある。
「医療の事さえクリアしたら、江戸で住むのも悪くはありませんぞ」
 坂崎さんが腕組みをしながら意見を言うと山城さんも
「そうですな。病の治療は何と言っても未来が有利なのは当たり前だし、組織が定期的に診察をしていればそれも良いかも知れませんな」
 山城さんの意見には俺も賛成だ。蔦屋さんは転送のタブレットを与えられているのだから、診察もし易いと思った。
「結論が出たようだな。お二人、それで良いですかな?」
 五月雨さんの質問に二人はそれぞれ
「構いませぬ」
「一緒に住めれば何処でも」
 そう言って了承した。
「では、本所に近い場所で一軒家を探さねばならないな。光彩夫婦にそれはお願いしよう。坂崎くんも手助けしてやって欲しい」
「了解致しました」
 こうして、俺たちが蔦屋さんとお栄さんの新居を探す事になった。現実的には二人の意向に添って探す事になる。
 江戸では女は家を借りられないので蔦屋さんの名前で借りる事になる。蔦屋さんは戸籍的には喜多川氏の養子になっているから、既に亡くなっているが、喜多川重三郎が本名でもある。まあ、明治以前は勝手に武士や苗字帯刀を許された者以外以外は勝手に名前を変える事もあったから、そんなに重大な事では無いらしい。
 実際は、組織が何処からか戸籍を用意したらしい。何か問題が起きたら坂崎さんに保証人になって貰えば良い。これほどしっかりとした保証人も居ないだろう。
 何回か江戸に行って、坂崎さんの見回りの地域で探す事にした。この頃の坂崎さんは本所から深川、更に日本橋あたりを見回りしていた。この地域から選ぶ事にした。
 町奉行所の支配地域は「墨引」と呼ばれ、江戸の範囲を定めた「朱引」よりも小さい。これは明治になるまで変わらなかった。

 吾妻橋を渡った先は寺社地と武士の拝領屋敷、それに町人地が入り混じっていた。その中に寺社と松浦肥前守の屋敷に取り囲まれた所に荒井町と言う所がある。そこに妙源寺と言う寺が建てて貸している一軒家があった。
「ここだ。どうかな?」
 坂崎さんの知り合いの寺社奉行の同心の紹介だった。寺社は借り手の身分を詳しく調べるが、ここでも問題は起きなかった。
 紹介された一軒家は、歌の文句ではないが、粋な黒塀見越しの松と言う訳には行かなったが、塀に囲まれた瀟洒な一軒家だった。
「いいじゃありませんか。ここなら北斎さんの家にも近いし。お栄さんはどうかな」
 蔦屋さんがそう言ってお栄さんの感想を尋ねると
「そうですね。ここなら丁度よいと思います。余り近過ぎると年中鉄蔵が来る気がしますからね」
 お栄さんも、そんな事を言って笑っている。俺は
「嫁に行っていた時も年中来たのですか?」
 そんな事を尋ねてみた。すると
「そうですね。三日と空けずにやって来ましたよ。南沢等明の描いたものを見てはあたしに『下手だ』って言うのですよ。夫婦仲が悪くなろうものじゃありませんか」
 確かに、お栄さんは居心地が悪かったろうと思う。
 手続きは、坂崎さんの指導の元に俺とさきで進めた。勿論家主である妙源寺には蔦屋さんが挨拶に訪れた。
 それから暫くして蔦屋さんが借りた家に引っ越して来た。そんなに荷物は無いが、資料は多いらしい。タブレットは他の駐在員と同じようにソーラー充電器で充電することになった。問題はそれ以外の文明の利器が使えない事なのだが、それは蔦屋さんがセンターか、八重洲の事務所に来る事になった。
 借りた家の間取りは二階建てとなっており、入った所が玄関で右が台所、左に階段がありまっすぐした廊下の左が八畳となっている。驚いたのはこの家には内風呂が備わっていた事だ。この当時、これは珍しかった。
「まあ、余程のことが無い限り湯屋に行きますよ。その方が慣れていますから」
 確かにそうなのだろう。未だまだこの時代は火事が多かった。二階は四畳半と六畳となっていた。二階の窓から吾妻橋と大川が眺められた。
「いい場所ですね」
 俺の感想に蔦屋さんが
「でしょう。一目で気に入りました。お栄さんも生まれた場所に近いですし、本当に良かったと思います」
 お栄さんの荷持は俺と坂崎さん。それに蔦屋さんとさき等皆で少しづつ運んでこれも片付いてしまった。大体江戸の人は荷持が少ないのと火事が多いから家財を余り持たないのだ。
 こうして二人の暮らしが始まった。

浮世絵美人よ永遠に 第十三話 江戸の相談を現代でする

  転送して帰って来たのは北斎さんの長屋だった。時間は夜の時間ほぼそのままだった。つまり位置だけを転送したのだ。実際には同時刻の転送は出来ないので、若干時間をずらしている。
 いきなり現れた俺たち三人を見ても北斎さんは今度は驚きもしなかった。
「なんだもう帰って来たのかい。泊まってくりゃいいのに……やはり俺が一緒に行くべきだったかな?」
 そんな事を言っている。脇には食べ掛けた皿が放置されていた。恐らく近所の煮売屋から出前を取り寄せたのだろう。
 本当は、お栄さんを置いて俺と蔦屋さんがセンターに帰れば良いのだが、
「あのことで話があるなら一緒に行く」
 お栄さんはそんな事を言って蔦屋さんの袖を掴んだ。北斎さんは既に知っていたのか
「なんだ、未だちゃんと話をしてなかったのか」
 お栄さんにとって蔦屋さんは、俺と同じ組織の人間ではなく、幼い頃から見守ってくれた人なのだと思った。今回、蔦屋さんが自分より遥か昔の人間だと知って、今までの疑問が氷解したみたいだった。それが一層想いを強くしたのかも知れない。生きて来た年数では、元が四十七年でそれから三年経っているから満年齢で今年五十になるはずだった。お栄さんは確か三十三か四のはずだから、年齢的は何とか、可笑しくない所だ。
 歴史で言えば、北斎さんは仕事で言えば「富嶽百景」をこなしているはずだった。それを完成させると信州に向かう事になっている。そこで数年暮らしている。
「お前はもう独り立ち出来るだけの腕もある。今の富士の奴は露木に手伝わせているから、構わねえよ」
 露木と言うのは弟子の露木為一と言い、「北斎仮宅之図」と言う作品が有名である。
「でも蔦屋さんの方とも相談しないと」
 お栄さんは、自分の事で蔦屋さんに迷惑が掛かってはならないと思っているのだ。
「じゃあ、一緒に行きますか? 二人までなら行けますよ」
 俺は娘の事だから、北斎さんも来るかと思っていたら
「もう三十も過ぎた娘に何も言う事はねえよ。好ききすればいい」
 そう言ってあくまでもお栄さん自身に任せるみたいだった。
「じゃあ、行きますか?」
「お願いします」
 お栄さんの言葉に蔦屋さんのタブレット共々同じ時間をセットして転送を開始した。

 気がつくと、八重洲の転送室だった。一旦センターに向かうよりこちらの方が早いと思ったのだ。三人が江戸の格好でも別に構わない。転送室の向こうでは、さきが待ってくれていた。
「お帰りなさい。どうでした?」
「ああ、初めて夜の吉原を眺めたが、別天地と言う表現が一番だな。道理で皆通いたがる訳だと思ったよ」
「向こうで泊まったのですか?」
「いいや、お栄さんの写生が終われば帰って来たよ。それより、この前江戸にお栄さんを送って行った時に大事な相談をされたんだって?」
「はい、でもあの時は内密にと言う事でしたから黙っていました」
「言ってくれれば良かったのに」
 さきに愚痴を言うと
「でも気が付かれたのでしょう?」
 そう言われて
「まあ気がついたのだけどね」
「なら良いじゃありませんか」
 そんな事を言って笑っている。
「今日はもう遅いので話は明日ですね。今日はこちらにお泊り下さい」
 さきが蔦屋さんとお栄さんに今夜の事を告げる。そうなのだ。江戸の時間と同じ時間に転送したのだ。これは時差ボケをしない為でもある。
 事務所兼ギャラリーには来客が泊まれる部屋も幾つか用意されている。さきが案内したのはシングルベッドが二つあるツインだった。勿論部屋にはホテルと同じようにバス・トイレが用意されている。
「ありがとうございます」
 お栄さんが顔を赤くして礼を言った。
「それでは、詳しい使い方は蔦屋さんからお訊き下さい」
 さきは、そう言って、今度は俺が
「明日は九時に来ますので、よろしくお願いします」
 そう言って部屋のドアを閉めた。事務室に帰る廊下で俺はさきに
「しかし、まさか蔦屋さんとそう言う関係になるとは想像の他だったな」
 俺が単なる朴念仁なのかも知れないが、さきは
「そうですね。でも、小さな頃から優しくしてくれれば、おなごは心を寄せるものでございますよ。わたしだって、同じですから。命のやり取りをした中での結び着は、充分なものですよ」
 さきは、そう言って俺の腕を取った。今夜は久しぶりに我が家に帰る事が出来る。遅くなったが少しでも家でゆっくりとしたかった。さきの態度にもそれが現れていた。
 事務所で着替えてから家に帰った。何だか俺だけが面倒くさい感じだった。
 翌朝は通常通りなので、九時前にはさきと一緒に事務所に到着した。既に蔦屋さんとお栄さんは起きて来ていて、朝食も済ませたそうだ。
 会議室に出向くと、坂崎さんと山城さんも来ていた。
「山城さんお久しぶりですねえ」
 俺が声を掛けると
「おお、光彩か、どうじゃな子は未だ出来んのか?」
 そんな事を言われてしまった。今日は江戸時代の蔦屋さんの友人としての出席だそうだ。
「坂崎さん。どうですか結婚して」
 俺が冗談を言うと坂崎さんは満更でも無い表情で
「おお中々良いものじゃのう」
 そう言ってにやけていた。これは見ものだった。坂崎さんは幕末担当なので、お栄さん絡みと言う事だった。
 五月雨さんが関係者が揃ったのを確認して会議室で会議が始まった。議題は勿論蔦屋
さんとお栄さんの今後についてだ。
 まあ、正直、そんな重大事項として取り上げる事でも無いが、それでも日本の美術史に関わる事だから仕方ない。
「それでは皆揃ったので始めます」
 五月雨さんが司会として会議が始まった。出席者は坂崎さん、山城さん。それに俺とさき。お栄さんと蔦屋さん。それにセンター長が来ていた。
「まず、蔦屋さんとお栄さんが将来を誓い合ったと言う事にですが、何か考えがありますか?」
 五月雨さんの言葉にさきが手を上げて意見を述べた。
「わたしは一向に構わないと思います。蔦屋さんは歴史的には既に亡くなっている方ですし、お栄さんもその行動が詳しく判っていない謎の人物と評されています。全ての歴史を明らかにする事はありませんので、このまま二人が一緒になっても構わないと言うのがわたしの意見です」
 さきが意見を述べるとすぐに山城さんと坂崎さんが声を揃えて
「賛成!」
 そう意見を表明した。でも、反対する人なんかこのメンバーで居るのかしら?
「反対の方が居たら挙手して意見を述べて貰った方が良いと思いますが……大事なのはその具体的な方法では無いでしょうか?」
 俺はそう言って辺を見回した。誰も手を上げる者は居なかった。
「では決まりですが、一緒に暮らすとなると、何処で暮らしますかな? それが問題でしょう」
 五月雨さんが、そう言ったが俺もそれが問題だと思うのだった。

浮世絵美人よ永遠に 第十二話 夜の吉原

081029-karakuri_b  人で賑わう大門を入って、向かって右側の番小屋で「大門切手」(おおもんきって)を発行して貰う。これはお栄さんだけだ。割合簡単に貰って来た。見せて貰うと木の札で、墨で「女壱人」と書かれてあった。漢字だったので俺でも読めた次第だ。
 お栄さんはそれを懐に入れて歩き出す。大門を入ると広い通りが伸びている。左右に見世が並んでいる。どの見世も提灯を軒先に掲げていたり、行灯を見世の入り口に置いていたりして、夜目に慣れた身としてはかなり明るく感じる。それが一層、何処か夢の世界へでも来た感じがする。やはり俺も男だと実感する。理屈では無いのだ。こうのようなものは……。
「ここらあたりが仲之町と言います。この先の左右が江戸町と言います。その道の先が右が揚屋町、左が順に堺町、角町となっていて、その先が左右とも京町となっています」
 蔦屋さんは慣れているのだろう。慣れない俺とお栄さんを案内してくれる。
「昼来た時とは全く違う」
 そう言って落ち着かなく左右を見ているので、蔦屋さんが
「知り合いのお茶屋に頼んで、二階の何処か小部屋で外を眺められるように頼んでみましょうか」
 そんな事が出来たらお栄さんにとっては有り難いだろう。
「ここで待っていて下さい。頼んでみます」
 そう言って蔦屋さんは雑踏に消えて行った。そこで気がついた。蔦屋さんは「吉原細見」で世に出た人だ。ここの事情に疎くは無いのだ。むしろかなり詳しいと言う事を。
  俺たちは道の真中に置かれた大きな木の袂に立っている。道の左右どちらかに立とうものなら、お栄さんは兎も角、俺は煙管で引っ掛けられないからだ。そうなったら、断る交渉術を俺は持っていない。左右の見世からは張り見世と言うのだろうか、遊女が幾人も格子に顔を近づけて通り過ぎる男に声を掛けている。
「ちょっとそこのお大臣!」
「ねえ、そこの粋な人」
 様々な声が飛び交っていた。
 そんな状況で俺はお栄さんに尋ねてみた。
「やはり、西洋画を見たのが、今日ここに来る気になった原因ですか?」
 この前、お栄さんにレンブラントを見せないとか、「吉原格子先之図」に触れないとか言っていたが、西洋画を見せたのは、直接では無いが遠回しに導いたのでは無いだろうか。俺はそんな事を考えていた。
「前から頼まれていたんですよ。幾つか描いたのですが、駄目でね。どう描いたら良いか悩んでいたので、そんな時に西洋画を見る機会を貰って、これを利用させて貰おうと考えたのは事実なんですよ」
 お栄さんは懐から紙と筆を出して、格子越しの遊女の姿を描写していた。俺はその様子を眺めている。誰か得体の知れない男が声を掛けて来たら、対処するつもりだ。これでも一応柔道は黒帯だ。やがて、暫くすると
「お待たせしました。馴染みの茶屋と話を着けました。こちらでございます」
 蔦屋さんはそう言って俺たちを案内してくれた。角町を左に曲がった二軒目で、見世の名前は変体仮名で書いてあるので判らないが、蔦屋さんが入って行くと多分女将さんだろう、やや年配の女性が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ~。つーさんも変わった遊びが好きなんでござんすねえ」
「いやいやこの人は絵師なんだ。どうしても夜のナカを絵に描きたいと言うので連れて来たんだ。こんなの頼めるのは女将しか居ないんだよ」
 蔦屋さんに頼まれた女将は
「判っていますよ」
 そう言ってウインクしたのだ。俺はこの瞬間この女将が駐在員だと直感した。俺らとは違う系列の組織の人間なのだと。だから俺の事も何事も無かったかのように振る舞ったのだと。
 仲居さんに案内されたのは二階の角の部屋で表に接してる障子を開けると斜の角の見世が見えた。構図的に「吉原格子先之図」に近い感じだと思った。
 早速、お栄さんが写生に入る。すぐに酒と肴が運ばれて来た。
「まあ、我々は一杯やってましょう。中引けを過ぎたら帰れませんから、今夜はここで泊でございます」
 確か中引けは午前零時あたりだったと思う。大引けが午前二時頃だった。今は何時かと思い隠していた時計を出して眺めると八時を少し過ぎたあたりだった。
「ま、時間を気にしても仕方ありますまい。ここではそれも野暮ですよ」
 蔦屋さんに言われてら仕方無い。腰を落ち着けて呑む事にした。この時代の酒は現代の半分しかアルコールが入っていないので、お俺にとっても量だけなら呑めるのだった。
 お栄さんは何枚も描いている。横から覗くと、建物の様子や、人の影とかそれぞれに描いている。
 肴を食べてみる。なますのようなものがあるが、何か判らないので後回しにして、見慣れた刺し身に手を付ける。何かの落語に出て来た、刺し身と刺し身の間が一寸ほど空いている盛り付けで、中身より空間の方が多い。まあ、これは現代でもある事だが。
 酒が進んだ頃に蔦屋さんが思いがけない事を言いだした。
「センターに帰ったら、相談に乗って欲しい事があるのでございますよ。これは、こうすけさんしか相談出来ない事でございます」
 相談事と聴いて、それまで集中して絵を描いていたお栄さんが、こちらを見た。それで俺は大凡の事が判った。
「お二人の今後の事ですね」
 正直に言うと蔦屋さんは照れながら
「いや、お恥ずかしい。何と言いますか、そのう……」
 蔦屋さんが言い難そうにしているので、お栄さんもこちらに向き直り
「最初は、色々と教えてくれる、おじさまでした。でもあたしが成長しても蔦屋さんは一向に歳を取らないのです。何時迄も若々しくて、不思議でした。十八で、一旦は嫁に行きましたが、半年で離縁されました。その後は夫を持とうなどとは思っても見なかったのですが、気がついたら蔦屋さんに好意以上の感情を持っていました」
 確かに正直な心根なのだろう。
「そうですか。おめでとうございます。と言って良いですね。帰ったら今後の事など相談しましょう。実は、少し気がついていました」
 俺も正直な所を言う気になったのは酒のせいかも知れない。
「気が付かれていましたか! いつ頃気が付かれました?」
「実は、今朝、布団を片付けた時です。あの時一組は使った跡が無いので不思議に思ったのですよ」
 今朝の事を言うとお栄さんは
「ただ、同じ布団で寝ただけなのです。みだらな事は……」
「判っていますよ。私だって妻が居ますからね」
 そう言うとお栄さんが
「さきさんとはこの前、江戸に送って戴いた時に、実は相談したのです。それで応援して下さいましたので、決意出来ました」
 そうだったのか、きはそんな事俺には言わなかった。まあ、ここの所忙しくて、ロクに会話の時間も取れないのだが。
「それにしてもここの女将は組織の人間ですか?」
 先程の疑問を尋ねると
「まあ、当たらずとも遠からずでございます」
「駐在員で無ければ、協力員ですか?」
 協力員とは、駐在員に求められたら、組織に協力する人間で、一応、組織と通じている。蔦屋さんは組織のアドバイザー的な地位に居るので、基本的には違う。
「坂崎さんも幾人か協力者を抱えていますよ」
 そう蔦屋さんが言った時だった。お栄さんが
「描けましたから、帰りましょう」
 その声で、蔦屋さんが勘定をして表に出た。大門の番小屋で「大門切手」を返し、表に出る。時計を確認すると十時になろうとしていた。間もなく、後ろから拍子木の音が聞こえて来たのだった。
「何処か人気の無い場所でセンターに転送しましょう」
  俺の提案で、三人は人気の無い藪に隠れ、タブレットを操作して転送したのだった。

浮世絵美人よ永遠に 第十一話 大川を遡る

matutiyama 和泉橋の袂にある船宿は「船総」と看板を掲げている店で、かなり古くから営業しているらしい。何でも蔦屋さんも耕書堂をやっていた頃は常連だったそうだ。
「もう代替わりしてますから、わたしの事なずぞ判りはしませんが、気分的に頼みやすいので、良く使っています。なんせ江戸では船が便利ですから」
 確かに、何処へ行くにも歩かなければならなかったから、水の上をスイスイ走る船は重宝された。今のタクシーと考えれば良いだろう。
「女将、三人をナカまで送って行って欲しいんだ。行きだけで良いのだが。出来るかね」
 店の暖簾を潜りながら蔦屋さんが声を掛けると女将は
「あら、つーさん。またナカですか。誰かいい人が居るのですわね」
「いや、今日は案内だよ。この二人を案内するんだ」
 蔦屋さんに紹介されて俺とお栄さんは会釈した。こんな所は日本人だから通じる。
「そうでございますか、では来たばかりの新造にしますかねえ」
「ああ、それがいいね。酒手ははずむから」
 このあたりのやり取りは本来は江戸の人である蔦屋さんに任せた方が良い。
 その後、女将が船頭を呼んで紹介すると蔦屋さんは前払いで酒手を渡した。
「え、ナカまででこんなに……いいんんですかい? これはどうも」
 渡された金額を見て船頭の顔が喜びで崩れた。蔦屋さんんは女将にも前払いで多めに渡す。
「いつもすいませんねえ。すぐに支度させますから」
 待っている間に茶の接待を受ける。煙草盆も出されたが、誰も煙草を吸う者はいない。この頃は男女問わず喫煙していた。何回か江戸に来ると誰もが煙草を吹かしている光景を見る事が出来るだろう。
「用意が出来ました」
 女将の声で店の裏手の河岸に向かう。そこには真新しい船が用意されていた。船の先に俺。その後ろに蔦屋さんとお栄さんが乗り込んだ。船頭は一番後ろで櫓で漕ぐのだ。
「それではごきげんよう」
 女将がとも縄を解き、形ばかりの挨拶をすると、音もせずに船は河岸を離れる。
「今日はどうもありがとうございます。船頭の常吉と申しやす。直ぐに大川に出ますので、今暫くのご辛抱を」
 船頭は最初は竿で綾っていたが、すぐに櫓に変えた。船のスピードが上がる。
 神田川はそう広い川ではないが、それでも船がゆっくりと行き違えるだけの幅がある。俺は川の両岸を眺めていたが、後ろからお栄さんが
「あ、大川」
 そう言われたので前を見直すと前面が広く開けた光景が広がっていた。こうやって水面に近い場所から川を眺めると隅田川が大川と呼ばれた意味が判ろうと言うものだ。それだけ本当に広大に感じる。これは橋の上からだけ見ていたのでは判らないだろう。
「さ、。大川にでやした。賑やかでございましょう」
 船頭の言う通り、隅田川こと大川には大小さまざまな船が行き交っている。大型の荷物を積んだ船や屋形船。それに俺たちと同じ猪牙船も多い。それらが揃って上流の北を目指しているのは皆ナカに行くのだろうか? ついそんな事を考えてしまう。
 川面を見ると魚が泳いているのがはっきりと判る。水の透明度が半端では無い。このまま掬って飲めそうだった。
 船は気持ち良いほどスイスイと走って行く。そう、走ると言う描写が一番合っている気がする。程なく右手に駒形堂が見えて来た。吾妻橋もすぐそこだろう。
 落語「船徳」では行き先は大桟橋となっていたが、あれは浅草寺にお参りするからで、俺たちのように吉原に行くのはもう少し先の山谷堀まで船を進める。
 吾妻橋を潜って、大桟橋を右手に見て過ぎて行く。この先に行く船はこの時間では、殆どが吉原、俗にナカに行く者だろう。
 船は山谷堀に到着した。真っ先に俺が降りる。続いて蔦屋さんが降りて、お栄さんを降ろす為に手を出すと、俺ではなく蔦屋さんの手を握って降りた。まあ、親しいのは昔からだから良いのだが、それ以上の何かを感じた気がするのだが、気の所為だろうか。
「旦那、迎え来なくても本当によろしいんですかい?」
 船頭が心配して尋ねて来るので蔦屋さんは
「ありがとう。大丈夫なんだ。帰りを空で帰して悪いねえ」
「いえ、その分も戴いておりやすから、宜しいのですが、ご婦人連れじゃあ、何かと御不自由では」
 確かにこの当時の常識ではそうだろう。女性と子供は足弱とされていたからだ。
「ナカを冷やかしたら知り合いの家に伺う事になってるからね」
「そうでしたか、それでは、良かったら、これをお使いくだせえ」
 船頭はそう言って、俺たちに手提げの提灯を渡してくれた。もうすぐに暗くなりそうだった。
「これはありがたい」
 蔦屋さんは提灯に火を点けた。
「それでは」
 船を返そうとしたら、どうも吉原帰りの客が俺たちの様子を見て、船頭と交渉し出した。どうやら話が纏まったみたいで、男二人が乗り込んだ。
「帰りの客が見つかって良かったわね」
「でも、私たちの話を聞いていたから、帰り船と言う事で負けさせられたかも知れませんよ」
 確かに昔の話なのでは、よく帰り船とか帰り車とか聞くと思った。
 ここから吉原の大門までは約六町だそうだ。何故「土手八丁」と呼ばれたのかは判らない。
 待乳山を後ろに見ながら、こんもりとした土手を歩いて行く。少しづつ暗くなって来ており、殆どの者は提灯を下げている。
「お栄さんはナカには来た事があるのでございますか?」
 歩きながら蔦屋さんが尋ねると
「昼間には来たことがあります。おんなの絵を描くには見ておけって鉄蔵が言うので」
 確かに大門を入って右手の所で、女性が入っても良いと言う切手を発行して貰わないと女性は吉原には入れないのだ。これは入る事を制限する訳ではなく、出る女性を確かめる為だった。吉原の遊女に勝手に外に出られては困るからだ。だから切手を持っていれば、外から入った者だと証明出来ると言う訳だった。
 やがて正面に柳の木が見えて来た。
「こうすけさん。あれが有名な『見返り柳』ですよ」
 蔦屋さんに言われて見た柳は有名な割には思ったほど大きな木では無かった。
「昔から何回か焼けていますからね」
 確かに資料を読むと吉原にも幾度か大火事があったそうだ。一番大きいのは明治になってからだそうだが、それ迄にも幾度か火事はあったそうだ。
 そして、その前に立っているのが吉原大門で、この時代は大きな木戸と言う感じだった。既に暗くなってはいたが、門の中は幾つもの提灯に照らされて別天地と言う感じだった。
「これは凄い!」
 思わず声をだすと、お栄さんも
「昼とは全く違う」
 そう言って只驚くだけだった。
「さ、ご案内しますよ」
 蔦屋さんが嬉しそうに言うのだった
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