その日、予備校から帰るとフロントの前のロビーで陣さんと婆ちゃんが何か相談していた。
「じゃあ、兎に角ここに訊いて見てご覧。あたしの名前出しても構わないって言うか名前出せば良いと思うよ」
「そうか……済まない婆さん。恩に着るよ」
そう言って陣さんは封筒を懐から出して置いて行こうとすると婆ちゃんは
「止しなよ。こんなものは要らないよ。そんな余裕があるならあの娘に服の1着でも買ってあげな」
そう言われて陣さんは
「本当に恩に着るぜ」
そう言って振り返り僕に気がつくと
「おう坊主、また婆さんに世話になっちまったよ」
そう言って僕に何かを握らせた。
見ると千円札が皺になって手の平に収まっていた。
「あ、陣さん。有難う!」
僕の声が聞こえたかどうか判らないが陣さんは片手を上げて去って行った。
「陣さんどうしたの?」
僕は婆ちゃんに訊いてみた。
婆ちゃんは煙草をゆっくりと吹かすと溜息をついて
「陣の組織の娘がね。客の子が出来ちまったそうなんだ。それで何処かいい医者はいないか? と言うんでね。幸子の所を紹介したんだ」
それで大体の処は判った。
婆ちゃんの言う幸子と言うのは。佐藤幸子と言う婦人科のお医者さんで、佐藤病院と言う産科、婦人科、放射線科、内科、外科と言う病院の院長だ。
婦人の病気ならお産から乳がんまで何でも見てくれるし手術もする。
近所はおろか遠くまで聞こえた名医と言われている。
もつとも、院長の幸子先生の専門は産科と婦人科だ。
実は婆ちゃんの同級生で、子供の頃から親しくしている。
僕も佐藤病院で生まれたのだ。
「陣さんの組織じゃ知りあいの医者が居ないの?」
僕の問に婆ちゃんは
「ほら、優生保護法が出来てからは、結構うるさいらしいんだよね。それで余りいい顔しないんだそうだ。そこで何処かいい医者は居ないか?と訊かれて紹介したんだよ」
「そうだったんだ……」
僕はそれを訊いてこの前のあの人の事を思い出していた。
帰る時に鼻についた男の匂い……まさかあの人じゃ無いよなと思う。
「亭主持ちでね。亭主以外の子を生む訳には行かないからね」
確かに法外な金額を短時間で稼ぐにはリスクはつきものだけど……
「ああ、その子は陣の言う事だと、ウチを利用した事は無いらしいけどね」
それを聞いて僕は無責任にもほっとしたのだ……
深夜になりフロントを婆ちゃんと交代して業務に付く。
今夜は一部屋を除いてほぼ満室だそうだ。
皆さん頑張ってると言う事だね。
することがないのでラジオの深夜放送をイヤホンで聴いていると、1時を廻った頃に若いアベックがやって来た。
男は大学生ぐらいだろうか、女は若い。僕よりも若いと思った。
高校生か?とも思ったが、深夜来る客は前金で貰う事になっているので、先に勘定をして貰う。
そして唯一開いている「おおるりの間」に案内をする
「ごゆっくり」と言い残して下に降りて来る。
これで今夜は仕事は無くなった。バンザイだ!
およそ日常と言うものは退屈なものだと思っているが、それはこのような商売でも同じで特別に面白い事など滅多に無いのだ。
それから暫くしたある日の事、僕は早めに予備校から帰るとロビーに婆ちゃんと何と佐藤先生が座っていた。
「ああ、先生暫くぶりです」
僕はそう言って挨拶をする。
先生には小学校の頃まで良く診察して貰っていたのだ。
「ああ、しんちゃん!随分大きくなって……街で会っても解ら無いわね」
そう言って笑ってくれた。
「じゃあ、愛子、私は受け入れ先を探してみるから……」
そう言って佐藤先生は帰って行った。
ちなみに愛子とは婆ちゃんの本名で、身内意外は殆んど明らかにしていない。
「先生珍しいね。どうしたの?」
僕は気軽な気持ちで訊いていたのだが、問題は気軽な話では無かった様だ。
「お前、深夜に良く来る若いアベックって知ってるかい?」
「若いアベック? どのくらい?」
「そうさね。男が大学生ぐらいで、女は高校生かな」
僕は何時かの深夜に来た二人連れを思い出した。
「あのアベックだけどね、子供が出来たんだよ。それを知ったらね男が雲隠れしてしまってね」
子供が出来た?
「まあ、男の行方は陣が探してるからいいけどね。問題は出来た子供だよ」
「降ろすの?」
僕は率直に訊いたが、そうは行かない様だった。
「それがねもう四ヶ月過ぎていてね……親にバレてもう大騒ぎさ」
だが、それでなんで婆ちゃんの処に話が来るんだろう?
「その子がね。そいつだけだったら問題は無かったんだがね……」
うん?どういう事だ?
「陣の処で稼いでいたんだよ。まあ、本人は客とはゴム付きでやってたから違うって言ってるんだけどね」
「高校生売春!?いや~現実は進んでる。週刊誌なんかでは女子大生売春って騒いでるのに……」
「驚いているんじゃ無いよ!こっちはおお困りさ」
それで話が婆ちゃんの処に持ち込まれたのか……世の中進んでるな、僕は童貞だってのに……
「明日、幸子の所に両親ともども挨拶と相談に行く手はずだけどね」
「どうするんだろう……ねえ婆ちゃん……」
婆ちゃんは暫く煙草をふかしていたが、ポツリと
「幸子の事だから裏の道でやるしか無いだろうね」
「裏の道?」
「ああ、判りやすく言うと斡旋かな」
要するに生まれた子を子供に恵まれない夫婦に斡旋するのだ。
後年、岩手の産科医が同じ事をしていて発覚してマスコミを賑わせたが、この頃から実は行われていたのだ。
その後聞いた限りでは、高校生は病気と言う事で休学し、出産した。
男の子だったそうだが、その子は直ぐにその希望の夫婦に引き取られたそうだ。
条件としては、将来その子が出産するときは必ず佐藤病院を使う事。
これはちゃんとデーターを取っておかないと将来、生まれた子が女の子の場合偶然の力が働いて、もしかの場合があるからだ。
兄妹で恋愛になんてならないとも限らないからだ。
恐らく引き取った夫婦にもその事は言われているだろう。
このような事は滅多に無いのかも知れない
そのホンの氷山の一角に現れた事だが、事実はもっと深い事がきっと行われているのだろう。
ああ、それから、相手の大学生だが、陣さんの組織が見つけたそうだが、ガンとして認め無かったので……その後どうなったかは知らない……多分陣さんの組織が……いやいい加減な事はよそう。
女子高生も「もう未練は無い、私が馬鹿だった」と反省してまともになったそうだ。
いずれ、素知らぬ顔で嫁に行くのだろう……
僕は今夜も花蓮荘のフロントに立つ。
「じゃあ、兎に角ここに訊いて見てご覧。あたしの名前出しても構わないって言うか名前出せば良いと思うよ」
「そうか……済まない婆さん。恩に着るよ」
そう言って陣さんは封筒を懐から出して置いて行こうとすると婆ちゃんは
「止しなよ。こんなものは要らないよ。そんな余裕があるならあの娘に服の1着でも買ってあげな」
そう言われて陣さんは
「本当に恩に着るぜ」
そう言って振り返り僕に気がつくと
「おう坊主、また婆さんに世話になっちまったよ」
そう言って僕に何かを握らせた。
見ると千円札が皺になって手の平に収まっていた。
「あ、陣さん。有難う!」
僕の声が聞こえたかどうか判らないが陣さんは片手を上げて去って行った。
「陣さんどうしたの?」
僕は婆ちゃんに訊いてみた。
婆ちゃんは煙草をゆっくりと吹かすと溜息をついて
「陣の組織の娘がね。客の子が出来ちまったそうなんだ。それで何処かいい医者はいないか? と言うんでね。幸子の所を紹介したんだ」
それで大体の処は判った。
婆ちゃんの言う幸子と言うのは。佐藤幸子と言う婦人科のお医者さんで、佐藤病院と言う産科、婦人科、放射線科、内科、外科と言う病院の院長だ。
婦人の病気ならお産から乳がんまで何でも見てくれるし手術もする。
近所はおろか遠くまで聞こえた名医と言われている。
もつとも、院長の幸子先生の専門は産科と婦人科だ。
実は婆ちゃんの同級生で、子供の頃から親しくしている。
僕も佐藤病院で生まれたのだ。
「陣さんの組織じゃ知りあいの医者が居ないの?」
僕の問に婆ちゃんは
「ほら、優生保護法が出来てからは、結構うるさいらしいんだよね。それで余りいい顔しないんだそうだ。そこで何処かいい医者は居ないか?と訊かれて紹介したんだよ」
「そうだったんだ……」
僕はそれを訊いてこの前のあの人の事を思い出していた。
帰る時に鼻についた男の匂い……まさかあの人じゃ無いよなと思う。
「亭主持ちでね。亭主以外の子を生む訳には行かないからね」
確かに法外な金額を短時間で稼ぐにはリスクはつきものだけど……
「ああ、その子は陣の言う事だと、ウチを利用した事は無いらしいけどね」
それを聞いて僕は無責任にもほっとしたのだ……
深夜になりフロントを婆ちゃんと交代して業務に付く。
今夜は一部屋を除いてほぼ満室だそうだ。
皆さん頑張ってると言う事だね。
することがないのでラジオの深夜放送をイヤホンで聴いていると、1時を廻った頃に若いアベックがやって来た。
男は大学生ぐらいだろうか、女は若い。僕よりも若いと思った。
高校生か?とも思ったが、深夜来る客は前金で貰う事になっているので、先に勘定をして貰う。
そして唯一開いている「おおるりの間」に案内をする
「ごゆっくり」と言い残して下に降りて来る。
これで今夜は仕事は無くなった。バンザイだ!
およそ日常と言うものは退屈なものだと思っているが、それはこのような商売でも同じで特別に面白い事など滅多に無いのだ。
それから暫くしたある日の事、僕は早めに予備校から帰るとロビーに婆ちゃんと何と佐藤先生が座っていた。
「ああ、先生暫くぶりです」
僕はそう言って挨拶をする。
先生には小学校の頃まで良く診察して貰っていたのだ。
「ああ、しんちゃん!随分大きくなって……街で会っても解ら無いわね」
そう言って笑ってくれた。
「じゃあ、愛子、私は受け入れ先を探してみるから……」
そう言って佐藤先生は帰って行った。
ちなみに愛子とは婆ちゃんの本名で、身内意外は殆んど明らかにしていない。
「先生珍しいね。どうしたの?」
僕は気軽な気持ちで訊いていたのだが、問題は気軽な話では無かった様だ。
「お前、深夜に良く来る若いアベックって知ってるかい?」
「若いアベック? どのくらい?」
「そうさね。男が大学生ぐらいで、女は高校生かな」
僕は何時かの深夜に来た二人連れを思い出した。
「あのアベックだけどね、子供が出来たんだよ。それを知ったらね男が雲隠れしてしまってね」
子供が出来た?
「まあ、男の行方は陣が探してるからいいけどね。問題は出来た子供だよ」
「降ろすの?」
僕は率直に訊いたが、そうは行かない様だった。
「それがねもう四ヶ月過ぎていてね……親にバレてもう大騒ぎさ」
だが、それでなんで婆ちゃんの処に話が来るんだろう?
「その子がね。そいつだけだったら問題は無かったんだがね……」
うん?どういう事だ?
「陣の処で稼いでいたんだよ。まあ、本人は客とはゴム付きでやってたから違うって言ってるんだけどね」
「高校生売春!?いや~現実は進んでる。週刊誌なんかでは女子大生売春って騒いでるのに……」
「驚いているんじゃ無いよ!こっちはおお困りさ」
それで話が婆ちゃんの処に持ち込まれたのか……世の中進んでるな、僕は童貞だってのに……
「明日、幸子の所に両親ともども挨拶と相談に行く手はずだけどね」
「どうするんだろう……ねえ婆ちゃん……」
婆ちゃんは暫く煙草をふかしていたが、ポツリと
「幸子の事だから裏の道でやるしか無いだろうね」
「裏の道?」
「ああ、判りやすく言うと斡旋かな」
要するに生まれた子を子供に恵まれない夫婦に斡旋するのだ。
後年、岩手の産科医が同じ事をしていて発覚してマスコミを賑わせたが、この頃から実は行われていたのだ。
その後聞いた限りでは、高校生は病気と言う事で休学し、出産した。
男の子だったそうだが、その子は直ぐにその希望の夫婦に引き取られたそうだ。
条件としては、将来その子が出産するときは必ず佐藤病院を使う事。
これはちゃんとデーターを取っておかないと将来、生まれた子が女の子の場合偶然の力が働いて、もしかの場合があるからだ。
兄妹で恋愛になんてならないとも限らないからだ。
恐らく引き取った夫婦にもその事は言われているだろう。
このような事は滅多に無いのかも知れない
そのホンの氷山の一角に現れた事だが、事実はもっと深い事がきっと行われているのだろう。
ああ、それから、相手の大学生だが、陣さんの組織が見つけたそうだが、ガンとして認め無かったので……その後どうなったかは知らない……多分陣さんの組織が……いやいい加減な事はよそう。
女子高生も「もう未練は無い、私が馬鹿だった」と反省してまともになったそうだ。
いずれ、素知らぬ顔で嫁に行くのだろう……
僕は今夜も花蓮荘のフロントに立つ。