第4話 「クドリャフカの順番」に隠された想い~

 田中敏雄……彼がガラス戸にひびを入れ、「『晩年』をすり替えたお前の猿芝居を知っている。連絡しろ」と印刷した紙をガラス戸に差し入れて、姿を消した事に、大輔くんが
「警察に届け出た方が良い」と言ってくれたので、警察に届けた。
 でも、警察に呼ばれて証言した田中敏雄は「自分はあそこへは行っていない」と供述し、実際にアリバイがあったという……ならば誰が……
 私は、正直、背筋が凍ると言うよりも、遂にその時がやって来たのか、と言う思いだった。
 だが、本当かどうか、彼は知らないと言っている……大輔くんはかなり怒っていて「絶対に嘘をついている」と言うのだが……

 確かに、本はわたしの命と言っても良いし、ましてあの太宰の「晩年」の初版本は他の人間には渡せない……そうこの前までは思っていた。彼がわたしの大事な人になるまでは……


 大輔くんは、古典部シリーズでも一番厚い「クドリャフカの順番」を色々なやり方で読んでくれていた様だった。
 わたしは、彼のその努力に嬉しくなる。だからこれでも、ついつい甘くなる態度を自制しているつもりなのだ。
 もうすぐ6月が終わる。「氷菓」のアニメは次回で「愚者のエンドロール」が終わる。録画して勿論大輔くんと一緒に見るつもりだ。それは結局は本の話になってしまうのだが、一応はアニメの話で、それは少しでも大輔くんの負担を減らしたいからだ。
 今のわたしには彼抜きでの生活は考えられない……もうそこまで来てしまった。毎晩の様に一緒に夕飯を食べ、彼の好みも判って来た。心の底から大輔くんと出会って良かったと思う。

 7月の最初の週に「愚者のエンドロール」が終わり、いよいよ「クドリャフカの順番」が次週からの放送となった頃に大輔くんが
「何とか読み終わりました。面白かったですね。正直今までで一番かな」
 そうわたしに伝えてくれた。わたしは嬉しくなり
「じゃあ、今夜も夕飯食べて行って下さいね」
 と今夜感想と、わたしが出した「宿題」を訊く約束をした。
 いつの間にかわたしは口笛をふいていたみたいで大輔くんにからかわれてしまった。それも嬉しい……

 「それじゃ後はお願いねお姉ちゃん。それから五浦さんもよろしくね」
 妹の文ちゃんが大雑把にあとかたずけをすると、そう言って自分の部屋にさがって行った。
 わたしと大輔くんで残りのあとかたずけを行う。正直、仕事を離れるとちょっとしたことが嬉しく感じる。そんな時、ああ、わたしはこの人に恋をしているのだと実感出来る。
「どうしました? 何か俺の顔に付いていましたか?」
 大輔くんがわたしの顔を覗き込む様に言うので、ちょっとドキッとしてしまった。
「いいえ、片付いたらコーヒーを入れますから、それからお話しましょう」
 取り繕う様な事を言ってコーヒーを沸かす。

「はい、お待ちどう様」わたしは大柄のカップにやや薄めのブレンドを入れ、大輔くんの前に出した。自分にはミルクを沢山入れ、自分の座る席、つまり大輔くんの隣の席に置き座る。もうここがこう言う話をする時の定位置となりつつある。
 一口、コーヒーをすすると大輔くんは語り出した……

「ま ず、通して読んで感じたのは、摩耶花も里志も田名辺委員長もそして河内先輩も声に出しては言えない問題を心に抱えていたと言う事ですね。それがこの作品の テーマだと感じました。それぞれは別な悩みを抱えていたのですが、その中心となるのが「夕べには骸に」と言う同人漫画誌でした」
 大輔くんは、そこまで言ってコーヒーに口をつける。
「そ して決局は誰もが自分の中にあるわだかまりに決別をつけられずに文化祭が終了して行くのですね。この話で奉太郎と千反田さんだけがその思いの渦には入って いないのですね。それが少し引っかかりました。単に描かれていないだけで、後の話で問題となって来るのか? そこが気になりました」
 わたしは、この「古典部シリーズ」を読むと言う行為を通して、大輔くんがここまで深く読解するのか本当に以外で、そして読み進めばそれだけ深くなるのが素晴らしいと思っていた。
「凄いです! そこまで読み解くなんて凄いと思います。そうなんです二人の心の話は後でちゃんと描かれるのです。楽しみにしていて下さい」
 わたしがそう言うと大輔くんは目をしばたつかせて
「やっぱり、最後まで行くんですね」
 そう言って笑っている。笑ってる彼を見るとわたしまで嬉しくなってしまう……

 二杯目のコーヒーを入れて、それに口をつけると大輔くんは次のテーマについて語りだした。
「次に、里志が言っていた「期待」と言う言葉ですが、辞典などで調べると『あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること』とあります。この望みと言う心の持ちようを考えた時に、実は2つあると思うのです。
 一つは里志が言った様な「期待」ですよね。絶望から生まれる「期待」です。その意味では里志は正しいのですか、俺は「期待」にはもうひとつあると思うのです」
 そこまで言って大輔くんはコーヒーに口をつける。わたしも同じタイミングでカフェオレに口をつけた。

「もう一つとは、希望から来る「期待」です。これに里志は気がついていません、それは何故なのか? その答えは小説の前の方で奉太郎が語っています。「楽しむことへのこだわりが学業や社交などのなすべきことを平然と打ち捨てさせてしまうほどに強いのだ」と語っています。
 つまり、自分が楽しんでいる者には希望による「期待」は必要ないのです。だから、里志にはそれが見えないのです。故に彼は「期待」の暗黒面と向き合っているのです」
 そこまで言って大輔くんは二杯目を飲み干した。沢山話したから口が乾いたのかも知れなかった。
「もう一杯入れましょうか?」
 大輔くんの顔色を伺うと
「いや、もういりません。お腹がイッパイで……」
 はにかむ様に言うその仕草だけでもわたしには嬉しくなる様だった。
「自 分が絶望して出す「期待」と希望から出る「期待」は根本から違います。前者は自分が成し得なかった事に対する「期待」です。後者は自分の望みから来る「期 待」ですが、これは発展的未来と繋がっています。両者はそれだけ違うと思うのです。この作品上、前者に的を絞るのは致し方ありませんが、作者は読者を上手 くミスリードしています。つまり、その語り口さえトリックなのです。そう言う書き方をしているのです。これはある意味凄いと思います」
 
 大輔くんは、そこまで言ってハンカチで汗を拭いている。とてもこの前(あるいは今でも)本が読め無かった人だとは思え無かった。
「次は『遠まわりする雛』ですね」
 わたしが、次の作品の名をあげると大輔くんは
「面白くなって来たからいっそ買ってしまおうかとも思うのですが……」
 そう言ってわたしを慌てさせた。
「駄目です! 買っては駄目です……買わないで下さい……わ、わたしの本を読んで下さい…‥」
 そこまで言うのが精一杯だった。
「わ、判りました。でも何故そこまで強く言うのですか?」
 大輔くんに不思議がられて、墓穴を掘ったかも知れないと思う。
「そ、それは……よ、読めば、わ、わかります」
 本の事なのだがここまで口調が乱れるのは自分でも珍しいと感じた。
 それは「遠まわりする雛」の一番最後の話、表題の話に秘密がある。わたしはその話に登場人物の千反田さんの想いを被せていたからだ……だが、大輔くんは今はそれを知らない……
 
 母屋の裏口から出て来た大輔くんとわたしは、夏の夜空を見ながら
「もうすぐ七夕ですね。織姫と彦星ですか」
 そう大輔くんが言うのでわたしは
「二人の様にはなりたくありません。何時も傍に居て欲しいです」
 そう想いを告白すると大輔くんは、優しく抱きしめてくれて
「そんな思いはさせませんよ」
 その口から、ちから強く言ってくれたのだった。
 
 お休みのキスをして、大輔くんは帰って行った。
 店の表側に回ると、ガラス戸に白い紙が挟まっていた。
 それを抜いて、広げると
「篠川栞子……早く連絡しろ、さもないと大変なことになる」
 そう書かれていた……
 
 大丈夫、わたしには大輔くんがいる。家に帰った頃に電話をして帰って来て貰おう。
 そう心に決める。今のわたしには大輔くんがいるのだと……