「本当に有難う御座いました」
「いいえ、当然の事ですから」
何度もお礼を言ってその女性は帰って行った。

昨夜の事だった。日付の変わる少し前に「一人でもいいいでしょうか?」
と中年の女性がやって来たのだ。
花蓮荘はお一人様大歓迎なので当然お客として迎えたのだ。
別に事件になるような事は何も起こらず「くちなしのい間」に泊まった女性は朝早く旅立って行った……ハズだった。
その人は僕が婆ちゃんとフロントを交代する寸前に戻って来て「忘れ物をしました」と言って来た。
「部屋は未だ片付けていませんからどうぞ」と僕は言って部屋を開けてあげた。
女性は中に入ると、小さな鞄の様なものを見つけて嬉しそうに
「ありました!これ母の形見なんです。本当に有難う御座いました」
と喜んで帰って行ったのだ……

「という事さ」
僕はその晩、相変わらずアパートに帰らない茜さんに語って聞かせた。
「ふううん。形見か、それも鞄ねえ……あたしも持ってるんだ。形見の鞄……あ、形見かどうかは判らないね。あたしの場合は」
僕は茜さんの物言いが変な感じがしたので、詳しい事を訊きたくなっていた。
「ねえ、それどういう事?」
「ああ、それはねえ、あたし今の苗字の親から生まれたんじゃ無いんだよね」
「え、じゃあ、貰いっ子だったの?」
「さあ、そこがハッキリしないんだ」
「どういう事?」
「うん、話すと長いんだけどね……聴く?」
「うん、訊きたい」
「じゃあ……」
と言って茜さんは話始めてくれた。
「あのね。実はずっとその二人が本当の親だと親が亡くなるまで思っていたんだよね。
とても優しくて、厳しくて、暖かくて……今でも本当の親だと思ってるんだ。
でも、二人が交通事故であたしが高校を卒業する寸前に亡くなってね……
そしたら、二人の血液型が、AとABでね。あたしOじゃ無い、だからその時にね。「ああ、あたしはこの親から生まれたんじゃ無いんだって知ったの……」

茜さんは煙草に火を点けると軽く吸って白い煙を吐いた。
「それで、遺品を整理していたらね。手作りの粗末な布の鞄が見つかってね。
あんまり古いのになんで取って置いたんだろう、って思って中を見たの」
茜さんはそれから少し笑って
「あたし宛の母の手紙が入っていてね。それにはあたしが貰われた事情が書いてあったの」
「なんて、なんて書いてあったの?」
思わぬ展開に僕は先を訊いてしまう。
「それにはね『茜、実は貴方はわたし達の生んだ子ではありません。高校を卒業して社会に出る時に真実を言おうと二人で相談して決めました。ですからこれを読んでるという事は高校を無事卒業したと言う事ですね。おめでとう!
当時、わたし達夫婦には子供が出来ず。寂しい思いをしてました。その時にある方から子供の斡旋を受けたのです。そして会ってみると本当に可愛い女の子の赤 ちゃんでした。わたし達は直ぐにでも欲しいと返事をしました。そして貴方がわたし達の子になったのです。当時は戦後の混乱時期でしたので戸籍も簡単に変え られました。最もちゃんとした産科のお医者さんが出産証明書を書いてくれたので、誰も疑う人はいませんでした。今まで大事な事を隠していてご免なさい』そ う書いてあったわ。一字一句忘れはしないわ……」

「その鞄ってのはなんだったの?」
「ああ、それはね、その手作りの布の鞄にあたしの産着とかオシメとかが入っていて、一言
『育てられなくて申し訳ありません。この子を宜しくお願い致します』って書いた紙が入っていたそうよ。だからその鞄は今でも大事に取ってあるんだ。だってたった一つの生みの親のものだからね」
「へええ、見てみたいな」
僕がそう言うと茜さんは「いいわよ、ちゃんとこっちにも持って来てあるから」
そう言って部屋に取りに上がって行った。

「これよ」そう言って茜さんが見せてくれたのは、本当に粗末な布製の鞄だった。
今では布の色も大半が抜けているので元が何色だったのかは良く判らないが、アルファベットの大文字が並んでいる模様だった。
当時の日本のものにしては垢抜けている感じだ。
「もうかなり古いから実用には使えないけどね。これを見るとあたしは、育ててくれた両親と産んでくれた親と一緒に思い出すんだ。でも産んでくれた人は想像だけどね」
そう言って陽気に笑う茜さんだが、実は僕は、その鞄の模様に見覚えがあった。

茜さんが部屋に戻ってしまうと、しばらくして婆ちゃんが起きて来た。
「寝られ無かったの?」
そう僕が訊くと婆ちゃんは「まあね。お前茜の鞄見たのかい?」
婆ちゃんにしては不思議な事を訊くものだと思い
「見たよ。そういえば同じ様なのがウチ、いやここにあったよね」
僕は先ほどの疑問を婆ちゃんにぶつけてみた
「お前、知っていたのかい」
「うん、まあ見た事があるという処だけどね」
「そうかい、当時流行っていた柄でさ、良く見かけたものだよ」
そう婆ちゃんは言っていたが、いくら僕が子供でも解る。茜さんと婆ちゃんは何らかの関係があるのだと……それに茜さんが言っていた斡旋してくれた人やお医者さんって、佐藤先生じゃ無いのだろうか?
若しかしたら……茜さんを生んだのは……」
そこまで考えているとばあちゃんは
「茜はあたしの子じゃ無いよ」
そう先制攻撃されてしまった。
「違うの?」
僕は更に問い正した。

婆ちゃんはロビーのソファに腰掛けると煙草を出して火を点けた。
紫煙をくゆらせながらため息をつくと
「茜はねえ。当時のあたしの友達の子なのさ。戦後の混乱期だった、その子は不倫の子を宿してね。降ろせと言われたけど、産んでしまったのさ」
「意地で生んだの?」
「いいや、その子は肺を病んでいてね。あの頃は皆栄養が悪いから直ぐに結核に掛かってね。いつ死ぬかも判らないから、せめて自分が生きた証拠に子供が出来たならせめて産んでおきたいって言ってね。それにストマイなんかは高くて庶民には手がでないじゃ無いか」
「じゃあ……」
「ああ、生んだらお腹で止まっていた病気が一気に全身に廻ってね……」
婆ちゃんは煙草の火を消すと僕に向かって
「もう解るだろう、後は幸子に頼んでさ……」
「じゃあ、あの同じ柄の巾着は……」
「ああ、その子の形見だよ」

それだけを言うと婆ちゃんは自分の部屋に戻って行った。
僕は事実だけを重く受け止めて、その頃の事に想いを馳せたのだ。
でも、玄関の陰で陣さんが隠れていたのに気がついた。
「あ、陣さん…‥どうしたの、そんな所に隠れて?」
僕がそう言うと陣さんは苦笑いしながらフロントにやって来た。
「婆さん寝たのか?」
そう短く訊くので僕も簡単に返事をする「うん、寝たよ」
「そうかあ、婆さん嘘をついてるな」
陣さんはそう言い切った。何が嘘なのだろう?
僕は陣さんの顔をまじまじと見つめてしまった。
「そんな顔して俺を睨むなよ坊主!」
陣さんはロビーに座るとコーラを取り出して、栓を抜き一口、くちをつけた。
「なあ坊主、俺は茜とは長い付き合いだ。アイツの育ての親が交通事故で亡くなって、アイツの処に賠償金やら二人の遺産やらが一気に集まって来た」
陣さんは二口目を飲み込むと
「そうなりゃ、その金目当てに良くないのが集まって来るという寸法だ。そんな時に俺はアイツと知り合ったんだ」
僕は始めて二人の馴れ初めを聞いている。でもそれと婆ちゃんと茜さんの関係とどう繋がるのだろう? それが不思議だった。
「俺は最初そんな事は知らなかったのだが、アイツを取り巻いてる奴らの中に良くない顔見知りが居たんだ。で、こいつは、ぼやぼやしてると身ぐるみ剥がされてしまうと思ってな、その金を強制的に預金させたんだ。そして俺を通さないと何も出来ない様にしたんだ」
「で、どうなったの?」
「ああ、それで今に至るという訳さ。金は今でも一文も手を付けていない。店も俺の稼ぎで持たせているんだ」
以外だった。陣さんも組織の一員だから、結構そのあたりは自分の物にしてると思っていたのだ。
「そしてここの馴染みになった時に俺は感じたんだ。茜とばあさんが同じ匂いのする人種だという事を……」
陣さんは空になった瓶をケースに入れると
「俺のこういう感は外れた事が無いんだがな。でもここまで来て婆さんがシラを切る理由が判らんな」
僕はどっちが本当なのだかもう判らなかった。
確かに茜さんと婆ちゃんはなんとなく似ている部分もあると僕も思っていたのだ。
「まあ、急ぐ事は無い。真実は一つだからな」
そう言い残して陣さんは部屋に行こうとする。僕は慌てて
「陣さん!今の事茜さんに……」
「言うわけ無いだろう。その時は必ずやって来る。慌てなくてもな……」
陣さんはそう言って僕に片目を瞑ると2階へ上がって行った。

僕は只それを見送るしか無かった……