花連荘には陣さんや茜さん以外にも常連さんはいる。
さっき入っていった秋山さんもその一人だ。
最も本名は知らないから本当にあの人が秋山某かは知らないが、彼が非合法な事で報酬を得ていて、それで暮らしていたり、組に上納しているのを僕は知っている。

生まれは釜山だそうだ。
生まれて生後何ヶ月かで海峡を渡って両親と兄弟とともにやって来たそうだ。
理由は「食えなかった」から……
正式な生まれた年は知らないが、朝鮮戦争のすぐ後だか最中だったのだろう。
今は陣さんと同じ組の構成員で陣さんを「兄貴」と呼んでいる。

僕が彼を今一好きになれないのは、彼のやってる事が昔だったら女衒と言われる類のものだからだ。
いや、もっと酷いかも知れない……
女の子を何処からか連れて来て、一時は自分のものにする。
それはそのときは、もう本当にお姫様の様に扱い、とても情熱的にする。
最近似たようなのを見たと思ったら、韓流スターが醸し出す雰囲気と同じだと気が付いた。

もう女の子は夢中になり、完全に彼の虜になった頃に、水商売や特殊浴場等に売り飛ばすのだ。
韓流スターに夢中になってるだけでは大した害は無いが、この場合は違う。
もちろん、口ではかわいげのある事を言う。
「親族の借金の保証人になって、破産寸前なんだ、こんな事は言えた義理じゃ無いんだが、少し都合つかないかな?」
なんて言って騙し、貯金を下ろさせ、最後は納得ずくで売られて行くのだ。

茜さんも随分その様な娘を随分見てきたと言う。
「大抵の娘は売られてから連絡が無いので、そこで気が付くんだけどね。自分が騙されていたって……」
きっと、茜さんは、随分見てきたのだろう。
その事を言う時は何時も悲しそうな目をする。
茜さんは実はもの凄い美人で、彼女目当てで店に来る客が大勢いる。
それで、安くもないスナックが大繁盛しているのだ。
陣さんはその売り上げの何割かを組に納めている。
残りは茜さんに自由にさせているみたいだ。
「あたしなんか幸せな方でさ、あの人と出会って無かったらどうなっていたか……」
陣さんの事をあまり詳しくは語ってくれない茜さんだが、彼女が陣さんに惚れているのは確かな様だ。

朝になり8時になると婆ちゃんと交代だ。
僕は起きて来た婆ちゃんに
「秋山さんまだ居るから」
そう伝えて、予備校に行こうとすると、婆ちゃんは俺に3千円持たせて「帰りに誠寿司で上鮨を二人前折り詰めにして来てちょうだい」
そう言いつけられた。
「出前じゃ駄目なの?」
「時間があてにならないから駄目。釣りは小遣いにやるから。それに一つはお前のだからさ」
そう言われて悪くないと思う。
確か上鮨は1200円だったからだ。
僕の分を並みにすれば千円浮く事になる。一晩の賃金分だ。

大きな教室でやる気のない講師の授業を欠伸半分で聴いていると、昨夜の秋山さんの連れて来た娘が思いだされる。
昨夜の娘はなんか、うちにはそぐわない感じがした。
何というか、住む世界が違うと言うか何と言うか……
見た感じも、男を知らないんじゃないか、と僕は思ったくらいだ。
最も僕も女性を知らないけどね……

何の益も無く予備校が終わり僕は帰路につく。
婆ちゃんはあの娘を見ただろうか、何となく胸騒ぎがする。
言いつけ通りに「誠寿司」で上鮨と並鮨をそれぞれ一人前ずつ折りに入れて貰う。
「しんちゃん、片方も上にしておいたよ」
親方が笑いながらおまけをしたくれた事を言ってくれる。
僕は頭を掻きながらお礼を言って折りを受け取る。
「2千円でいいよ」
そう言われ、もう一度お礼を言って料金を払い帰りにつく。
なんか悪いな。親方が来たらおまけするかな、なんて思っていたが、親方がウチなんかに来るはずが無かったと思い笑ってしまう。

家には帰らずに、花蓮荘に寄る。婆ちゃんに頼まれた鮨折を渡すと
「親方おまけしてくれたろう」
端からお見通しだった。
僕は婆ちゃんに秋山さんの事を訊いてみた。
「昼過ぎに帰ったがな。どうかしたのかい」
僕は、胸騒ぎがした事を言ってみた。
婆ちゃんは暫く考えていたが、やがて
「それはな、恐らくあの連れていた娘がそぐわないと思っていたからだろう」
「婆ちゃんも思った?」
「うん、まあな……秋山のやつとんでも無いのを引っ掛けてしまったかもな」
「とんでも無いもの……」
「ああ、そのうち判るじゃろう。さて鮨でも食べて、お前は寝るんじゃろう?」
ああ、そうだった、僕の時間は11時〜翌日の8時までだから、夕方の今から10時過ぎ迄は寝る積りだったのだ。
婆ちゃんと鮨をつまんで、奥の仮眠室で寝かせて貰う……
久しぶりの鮨は旨かった……

目覚ましの音で目を覚ますと10時半を時計が指していた。
フロントに行くと、婆ちゃんと昨日秋山さんが連れていた娘が世間話をしていた。
どうやら、秋山さんに言われてコーラを買いに降りて来たみたいだった。
「それじゃ、失礼します」
そう言ってその娘は浴衣の前を手で合わせてから両方の手にそれぞれコーラを持って2階に上がって行った。
それを見送った婆ちゃんの顔が一転険しくなった。
「どうしたの?」
そう聞いても、黙ったままの婆ちゃんだった。

その後11時を過ぎても珍しく婆ちゃんが起きていてテレビなんぞを見ていた時だった。
2階から珍しく秋山さんが降りてきて、ロビーでタバコを吸い始めた。
「連れがタバコの臭いが駄目でね。面倒くさいが仕方ないんだ」
そう言って珍しく少し恥ずかしげにしている様は僕にとっては新鮮だった。
「この人もこんな表情を見せるんだ」
それが素直な感想だった。
何時もは僕らには冷たい事務的な顔しか見せなかったからだ。

そのタバコを吸っている秋山さんに、婆ちゃんが語り掛けた。
「あんた、あの娘は止めた方が良いよ」
いきなりそんな事を言われて、秋山さんは面食らったみたいだった。
「おばさん、俺だって何が何でも売り飛ばす訳じゃないよ」
そう言い返したが、婆ちゃんはそれを聴いて無かったのか
「さっきねえ、ちょっと話したんだけど、あの娘あんたの商売知ってたよ」
「え? 知ってた? どういう事だい。俺はそんな事今回は匂わして無いけどな」
「知っててね、あたしにこう言ったのさ」
『私がきっとあの人を救ってみせます。大丈夫です。話せばきっと分かってくれます』
「そう言ったんだよ……あんた本当に話して無いのかい」
秋山さんは少し考えてから、ポツリと
「いや、今回に限っては言ってないよ……」
「今までの娘は皆一応は知らなくてさ、あんたの芝居を心から信用してさ、時が来たら迎えに来てくれて、一緒になれるってすっかり信じていたけどねえ……」
婆ちゃんは自分もセブンスターを取り出すと、火を点けて軽くふかし、紫煙が立ち上った。

「どこで、拾ったんだい、あの娘」
ソファーに軽く腰掛けながらも婆ちゃんは秋山さんを横目で見据えている。
今までも、婆ちゃんは実は何人かの娘をこっそり逃がしているのだが、それを秋山さんは知ってても黙っているみたいだ。
きっと、自分の構築した世界から目が覚めてしまった娘はどうでも良いのかも知れない。

「先週ね、道を聞かれてさ、聴いたら俺の行く先と近かったから案内したんだ。それが始めさ」
「じゃあ、何時もの様に道ばたで張っていて良いなと思った娘に声を掛けたんじゃ無いんだ」
「そうなんだ、どっちかと言うと俺が声を掛けられた形かな」
婆ちゃんは少し考えていたが
「あんた、あの娘に落とされたんじゃ無いの?」
「え、まさか……いくらなんでも……」
「あの娘の素性は調べたの?」
「いいや、普通にそんな事はしないから。元々非合法だし」
「兎に角あの娘普通の娘じゃ無いよ」
「そうかな、だって俺が初めてだったぞ、そんな娘がなんか考えるか?」
「あんた、あれだけ女をこましていて、未だ判らないのかい。おんなは外観や初めてとかそんな事じゃ無いってね」
言われて、秋山さんは頷いていたが、その娘が迎えに来たので一緒に2階に上がって行った。
婆ちゃんは一言
「あいつ、もう逃げられないね」
そう言うと僕にフロントの番を交代して寝てしまった。

次の日、秋山さんとその娘は一緒に帰っていったが、その日を最後に秋山さんは姿を見せなかった。
暫くして、婆ちゃんが陣さんから聞いた話では

結論から言うと秋山さんは今、韓国の釜山の近郊の町で暮らしているそうだ。
もちろん、あの娘と一緒に、いや、あの娘の一族と一緒にと言った方が良いかも知れない。
彼女は韓国のそのあたりでは知らない者がいない組織の娘で、在日の韓国人の間でも知る人ぞ知るという存在だったそうだ。
つまり、秋山さんは彼女から逃げられずに自分の国に連れ戻されてしまい、周りに自分の親類がいないという環境で暮らしているそうだ。
陣さんは、その時婆ちゃんに
「こっちで育ったり生まれた韓国人が向こうへ行くと結構辛いらしいってさ。あいつも苦労しているみたいだが、それも今迄の罪滅ぼしかな」
そう言って笑っていたそうだ。
婆ちゃんが「よく、組を抜ける事が出来たね」
と聞いた処、彼女の一族が、なんでもハンパない金額を納めて、話を付けたそうだ。

暫く経って、婆ちゃんに下手くそな字で手紙が届いた。
そこには、秋山さんが元気でやってる事や、やはり辛い事がかなりあった事等が書いてあったそうだ。
でも最後に「子供が出来てうれしい」との一文が書いてあったと言う……

婆ちゃんは「初めてあいつの名前を知ったよ」
そう言って笑った。