1405_02 それから暫くして秋山くんが店にやって来た。最初は大人しかったが、幾度目かの時に香織に対して
「あれから亜鉛を多く含む食品を食べるようにしたら、元通りの味覚に戻りました。本当にありがとうございました。お礼に今度食事でも如何ですか? 食事でなければ何かプレゼントさせて下さい」
 そう言って来た。香織は困った表情を見せたが
「そんなとんでもないです。私は秋山さんが健康な体になってくれて、美味しいものが食べられるようになれば、それで嬉しいのですから、わざわざお礼なんてとんでもないです」
 一応そう言って固辞したのだが、傍目から見ればこれをキッカケにして秋山くんは、香織と仲良くなりたいのだと判る。
「いいえ本当に感謝しているのです」
 そう言って食い下がっている。困った香織は
「こうして毎日のように来てくだされば。嬉しいです」
 そんなことを言っている。それじゃ江戸時代の花魁と変わりはないと思った。その日はそれ以上話が進まず秋山くんは帰った。店が終わった後香織が
「高梨さん一緒に帰りましょう」
 珍らしくそんな事を言って来た。部屋は同じ方角だが基本的に一緒に帰ることは、したことが殆ど無かった。
「どうした珍しいな」
 二人の関係は週末に香織が気が向いたらやって来るという関係になっている。正直、男と女の関係は続いている。だから俺としては秋山くんはライバルでもあるのだが、何故だか俺はこの件については冷静を保っている。心の底では香織と秋山くんが、結ばれても仕方ないとの想いがあるのだろう。但し、作り物とはいえ、あの素晴らしい肢体を味わったのは俺だけという想いもある。要は複雑なのだ。
 駅までの道のりで香織は
「困りました。秋山さん、あれでは明日も返事を聞きに来ると思います」
 そう言って困惑の表情を見せた。
「そうだな。どうやら真剣らしいな。よほどお前に惚れたんだな」
 そんなことを言うと
「私が秋山さんのものになっても良いのですか? この前ベッドで私に言った事は嘘ですか」
 そんなことを言って来た
「お前を愛してると言ったことか」
「そうです。私、あの時想いは通じたと感激したのですよ」
 今度はそう言って頬を膨らませた。最近多彩な表情をするようになった。
「正直、お前が秋山くんに抱かれている所を想像すると苦しい。だが将来の伴侶として考えた時、彼は簡単に振るのは勿体無いぞ。一流の会社に勤務していて、しかも重役の秘書だ。つまり帝王学をあの若さで学べる位置に居るということだ。酒井さんは彼を高く評価している。将来の重役候補だろう。だから体の事も心配していたんだ。それに身長も高い、百八十は楽にあるだろう。顔も良いしな。あれはモテるぞ。そんな男がお前に夢中になっているんだ。俺だって複雑な気持ちになるよ」
 駅に着いて改札を抜けホームに登ると直ぐに電車が滑り込んで来た。この時間の電車は結構混んでいる、吊革に捕まり揺れている。さすがに車内では話が出来ない。暫くはそのまま時間が過ぎて行く。と、香織がつり革を持っていない手で俺のやはり空いてる手を握って来た。そして小さな声で
「私の気持ち判ってるくせに」
 そう呟いた。それは電車の音に紛れてしまいそうだったが、俺の耳元には届いた。
「そうか……すまん」
 それだけが口をついて出て来た。やがて俺の部屋のある駅に着く。香織の部屋の駅は次だが、一緒に降りて来た。駅を出ると街灯に照らされた歩道を並んで歩く。この時間ではコンビニ以外は閉まっている。
「正直言います。私、高梨さん以外にこの義体を晒したくありません。秋山さんに、実は私、本当の人間じゃ無いのです。とは言えません」
 香織の本音だろう。その言葉が胸に響く
「そうか、ならば一度店の外で逢って、断るしかないだろうな」
「やはりそうですか。一度で済めば良いのですが」
 そこで俺は結婚を意識していた場合の男の考え方をレクチャーした。それを聞いて香織は
「良い考えが浮かびました。今日はこれで帰ります」
 そう言って暗い夜道を帰って行った。送ろうと申し出たが香織は
「大丈夫です。多分私、本気出すと、高梨さんより遥かに強いですから」
 そう言っていた。そうかあいつは体は俺より頑丈だからなと思い出した。
 それから秋山くんは何回か店にやって来て香織を口説いていたが遂に香織が
「判りました。今度デートしましょう」
 そう言って約束をした。秋山くんとすれば天にも登る気持ちだっただろう。二人はその週の週末に約束をした。その翌日の昼下がり、俺の部屋のチャイムが鳴った。ドアを開けると香織だった。
「おう。どうした。ま、入れ」
 香織を招き入れる。最近の俺の冷蔵庫には香織が飲む飲料水が用意してある。本当は水か整理食塩水で良いのだが、香織の好みのものを用意している。それを出すと一口飲んで
「昨夜は結局、ホテルまで連れて行かれました」
  それを聴いて穏やかではなくなった。
「最後まで行ったのか?」
「まさか。私言ったんです」
 本当のことを口にしたのかと思った。
「言ってしまったのか。重大機密だぞ」
 香織は俺の態度を見て嬉しそうに
「うふふ。穏やかではなくなりましたね。一度そんな顔をさせて見たかったのです」
 そんなことを口にしてから
「ホテルのベッドの上で、こう言ったのです。私、子供の産めない体ですけど、よろしいですか。と」
 そうか、結婚を意識した男は家庭を持つ夢を想像する。そこには愛する妻と子供が居るはずだった。香織の言葉はその夢を打ち砕くものだったのだろう。
「それで試したとか?]
「馬鹿なこと言わないでください。秋山さんは常識人でした。半裸になった私に服を着せて、ごめん。僕が悪かった。今までの事は忘れて欲しい。と言ったの」
 そうか、やはり彼は香織に相応しい男だったのかも知れない。子供を作れないという一点を除いては……。
「常連さんが一人減ったかな?」
「いいえ、これからも店には来るそうです。私の料理が食べたいから」
 そう言えば先程「半裸」とか言っていたが、どれぐらい脱いでいたのだろうか。それを香織に尋ねると
「はい、下半身にパンティだけです」
「それ半裸って言うのか?」
「でも全裸ではありません。最初は私の胸見て喜んでいました。思えば可哀想でしたね。一度ですが最後まで行った方が良かったでしょうかねえ」
 それは俺でも判らない。香織の躰に何か不自然なものを感じれば、やがて大事になったかも知れない。それを考えると最後まで行かなくても良かったのかも知れないと思った。