「ごちそうさま。美味しかったよ」
 カウンターに座っていた四十前後と思しき男の二人連れが、席を立って伝票を持ちレジの方に向かう
「ありがとうございました!」
 声を掛けると常連らしく、すっと片手を上げた。何時もの仕草だと思った。
 俺が務めている店だが、昔は独立した日本料理店だったが、経営に行き詰まり、大手の資本に買収された。この大手の会社は色々な料理の店を買収しており、それは居酒屋から高級フレンチまで多種多彩に及ぶ。そしてチェーン店化するのだ。
 俺の務めていた店もその一角に並んだ訳だが、今は名前は同じでも経営は近代的になっている。仕入れも本社のサーバーにログインして発注する仕組みになった。小僧の頃から河岸(市場)の仕入れに同道していた身としては本来とは思えないがこれもご時世なのだろう。
 だが翌日到着する食材は一級品だ。それだけが救いでもある。
 店が終わると店長に呼ばれた
「高梨くん。終わったら話があるんだ」
「はい。片付いたら顔を出します」
「頼んだよ」
 店長は事務の業務全般を主に行っており、店でもレジのところに顔を出す以外はバックヤードで仕事をしている。毎朝の打ち合わせ以外では余り顔を合わせない。
「店長、高梨です」
 バックヤードの部屋のドアを開けながら声を掛けた
「ああ、入ってくれ」
 言われたまま部屋に入る。部屋には数台のPCとモニターが並んでいる。
「座ってくれ」
 店長の眼の前の椅子に座る
「話って何ですか?」
 直接切り出すと店長は
「実は、今度出来る店の調理の責任者として赴いて欲しいんだ。本社からの直接の要請でね」
 俺の店での今の地位は、調理部門では二番目となっている。フレンチならスーシェフという地位だ。だから責任者として赴くというのは栄転でもある。
「俺がご指名ですか?」
「ああ、本社の人事部も色々と査定して君にと言って来たんだ」
「そうですか、俺と組む店長は誰ですか?」
 店長は総合的な責任者で、この会社では普通事務方が就任する。
「甘利勘太郎という者だ」
 甘利の名は聞いたことがあった。色々な店を担当しては、その店を地域一番店にしているやり手の男だ。歳は俺とそう変わらないはずだった。
「甘利さんですか。ではその店は経営が苦しい見通しなのですか?」
 俺は当然そう思ったのだが店長は
「いいや、そうじゃない。今までに無い新しい形態の店だそうだ」
 そう言って自分と俺にお茶を煎れてくれた。
「あ、すいません」
 礼を言ってお茶に口を着ける。
「新しい形態って?」
「俺が聴いた限りでは、日本料理と寿司のハイブリッド店だそうだ」
「そんなの今までもあったでしょ」
 ウチのチェーンでは無いが他のチェーンならある。
「普通の寿司じゃない、高級回転寿司店との融合した店だそうだ」
「は、回転寿司?」
「だそうだ。それも安い寿司じゃなくて高級だそうだ」
「高級ですか……」
「まあ、新しい形態なので、腕のある料理人が欲しいというので、実は俺も推薦していたんだ」
「それ勝手ですよ!」
 俺の意見を無視して推薦などされては堪らない。
「まあ、正直俺も通るとは思ってなかったんだ」
 正直、そんなところだと俺も思った。
「ウチだって高梨くんに抜けられるのは辛い。でも君も、もう責任者の地位に就いても良いと思うけどな。何より料理の腕では会社の誰もが認める存在だから」
 店長はそう言ったが俺はまだまだだと思ってる。でも歳を考えると責任者になるのも悪くはない。
「でも俺は寿司に関してはそれほどでもありませんよ」
 「そこは寿司は寿司職人がやるから監督だけで良いそうだ。おかしなものが出ないか監督してくれれば良いそうだ。料理の方は専門だから大丈夫だろう」
 まあ、店長の言う事は間違いない。俺も少しなら寿司を握れる
「その場所は何処なんです?」
「高鷲町だ」
 高鷲町は古くから繁華街として発展して来た場所だ。いわば一流地だ。これは本社が本気なのだと思った。
「いつからですか?」
「準備もあるから週明けの月曜から行って欲しいということだ。地図と住所はここだ」
 そう言って店長は店の概要を書いたものと地図と住所が書かれた紙を俺に渡した。こうして俺は新しい店に赴くことになったのだが、そこで驚くべき事実に遭遇することになる。
 週明けの月曜日、俺は指示された新しい店に赴いた。店の場所は駅からオフイス街に通じる道に面した通りにある新しいビルの地下だった。
 出勤時間の午前10時少し前に店に着くと、店の通用口は開いていた。ドアをゆっくりと押し開き中に入る。すると一人の男がそこに居た。直接の面識は無いものの、この男の顔は知っていた。確か店長の甘利勘太郎だ。彼は俺に気がつくと
「高梨さんですね。高梨三郎さんですね。この度この店の店長を仰せ付かった甘利勘太郎です」
 甘利勘太郎という男は弁舌爽やかな男だと思った。当分の間、俺はこの男と組んで行かなくてはならない。
「高梨三郎です。よろしくお願いいたします」
「いえいえ、こちらこそお世話になります」
 型通りの挨拶を交わし本題に入る
「開店まで二週間です。それまでにやる事は本当に多いのです。調理器具の搬入。うつわ等もそうです。それから開店に向けて店の飾り。そして食材の仕入れと準備ですね。これらを順番にやって行かなくてはなりません」
「人手の方はどうなっています?」
「はい、寿司の方が今のところ五名で、日本料理の方がやはり五名です。他ホールは社員が三名でほかはアルバイトで賄います」
「そうですか、ではその十三名が準備に参加出来るのですね」
「それが、前の店の都合もありまして、参加出来るのはホール三名、料理三名、寿司三名なのです」
 まあ、各店の都合もあるから開店前二週間の今現在で全員が揃うとは思っていなかった。
「それじゃ急がないと駄目ですね」
「そういうことです。それと……」
「それと?」
 俺の問に店長の甘利は
「寿司と料理の両方で一人別に入る予定です」
「寿司と料理の両方と言う事は寿司職人で板前ということですか?」
「言い換えれば、そうです。それも女性です」
「女性!」
 日本の古い風習では女の板前や寿司職人は嫌われて来た。それは女性の手が温かいというイワレのない考えからだった。今では女性の寿司職人は数多くいるし、中には女性しか居ない店もあるほどだ。
 日本料理の世界では寿司の世界より早く男女平等が進んで来たのは事実だが、両方を出来る職人というのは男女を含めて初めてだった。並の板前なら寿司ぐらい握れるが、それを普通は公にはしない。俺は直感で何か普通ではないものを感じた。
「その女性は、いつ頃参加出来るのですか?」
 俺の質問に甘利店長は
「それがもう来てるんだ。入り給え」
 甘利店長が声を書けると、バックヤードのドアを開けて一人の女性が入って来た。少し背が高く百六十五はあると思った。髪を短くしていて、化粧もしてなさそうだった。そでれいて清潔感に溢れていて、明るい感じもした。見た目はかなり良い印象を持った。
「はじめまして、珠姫香織(たまきかおる)と申します。これからよろしくお願いいたします」
 珠姫香織はそう言って頭を下げた。これが俺と珠姫香織との最初の出会いだった。