会が終わって打ち上げがあるのは何時ものことだが、今日は少し雰囲気が違っていた。メンバーの中に文師が怒って帰ってしまったことが頭にあったからだ。喬一郎が小艶に
「アニさん。この会もどうなるんですかねえ。まさか終わりとか?」
 心細げな喬一郎に小艶は
「ま、大丈夫だとは思うよ。乾先生の後に圓城師と文染師が何か話していたからね」
「何を話していたのでしょうか}
 喬一郎が疑問を口にすると、斜め前に座っていた白鷺が
「師匠は文染師に色々と言ったらしいですよ」
 白鷺は圓城の目的を予め聞かされていたらしい
「色々とは?」
 小艶も興味を持って尋ねる
「一言で言えば『ぼやき居酒屋』じゃ無くて『さよならエニー』をやれば良かったと言ったそうですよ」
「『さよならエニー』って自身の披露興行の時にネタ降ろしをした新しい噺ですよね」
 さすがに喬一郎も知っていた。
 そこへ圓城が遅れて顔を出した。
「いや文染さんを東京駅まで送って行っていてね」
 そう言ってニヤリと笑った圓城の表情を見て喬一郎は
「今白鷺アニさんから聞いたのですが、『さよならエニー』をやってれば良かったと」
 そう尋ねると圓城は
「ああ、そう言ったよ。当たり前じゃないか。芸の出し惜しみはするなと言ったんだ。こっちは皆真剣にやってるんだ。多少実験的な事もやってるけど、これからの新作は今まで通りじゃ駄目だとも言ったな」
 注がれたビールに口をつけると
「俺の噺もそうだけど、今の新作の殆どは古典の手法、構成から抜け出していない。新しいことを語っているように見えて、その実、手法は古典そのものなんだよ。一見新しそうに見えても実は古典で既に使われていた手法だと言う事も数多くあった」
 圓城の言葉に喬一郎は
「でも、古典に使われていない手法というのは、もはや……」
 そう食い下がると
「そう、新しい手法は並大抵ではない。でもいつかは作らなかればならない。それまでは」
「それまでは……?」
 その場に居た、喬一郎、小艶、白鷺が声を揃える。
「古典落語のエキスを新作にも導入するんだよ」
 圓城の言葉に一同は声も出ない
「我々が作っている新作落語は、基本的は古典の否定から始まっている。でも実際は古典落語の手法から抜け出せていない訳だ。ならいっそ、新しい手法が見つかるまでは、古典のエキスを導入しようと言う試みさ」
 それまで聞いて喬一郎は自分のやり方に自信を持った。
「古典落語の中には、何時の時代でも変わらない普遍的な価値観が流れている。今までの我々の噺はそれを否定する事から生まれていたが、その選択肢が笑いの幅を狭めてしまっていたと言うことなんんだ」
「全く新しい考えですね」
 小艶が考えながら呟くと
「最終的には文染師も理解してくれたよ」
 そう言ってグラスのビールを空けた。
 翌日の夕刊には第二回の「革命落語会」の模様が記事として載せられていた。神山が書いた記事ではなかったが、内容は神山の考えと、そう隔たってはいなかった。
「昨夜の『革命落語会』は新しい試みが多く試された。普通の落語会であれば、結果を重視する余り、ネタに新鮮味がなく今までウケているネタに走りがちだが、この日のネタはそれぞれが持ち味を出して新しい試みが幾つも試されていた。結果としてみればそれが全て上手く行ったとは言い難いが、この会の目的とすれば大した問題ではないのだろう」
 凡そそんな内容だった。神山はそれを読みながら自分だったら、もう少し辛口に書いたと思った。神山と佐伯はその後、圓城と文染が話した事を知らない。仙蔵にも自分が感じた事を伝えていた。
 
 浅草の昼席の楽屋には喬一郎が入っていた。昼席のトリである。中日を過ぎて新作が二日、古典が三日となっていた。この芝居には仙蔵が仲入りで出ている。通常ならその後の仕事もあり帰ってしまうのだが、六日目の今日は残っていた。目的は喬一郎に会う為である
「おはようございます」
 喬一郎がが楽屋に入って見ると二間続きの楽屋の奥に仙蔵が座っていた。
「おうご苦労様」
「あ、仙蔵師匠」
「なんか色々とあったらしいな。聞いてるぜ」
 仙蔵の言葉に喬一郎は
「まあ、それで……今日終わったらお時間ありますか?」
「そう来ると思っていたんだ。だから暇な今日は残っていたんだよ」
「ありがとうございます!」
  その日、喬一郎は「幇間腹」をやって高座を降りた。そして仙蔵と二人夕暮れの浅草の街に消えて行った。この夜二人が何を話したのかは、当人のみが知るところとなった。