「さあご飯も炊けたし、お父さんは遅いから先に夕食にしましょう」
 母親の幸子がそう言って翠に食卓の用意をするようにうながした。当然、高志も手伝う。それを見てゆきも習う。
「一家の主が夕餉に居なくても構わないのですか?」
 ゆきは翠に聞かれないように小声で質問した。ゆきの疑問は尤もだろう。ゆきの居た時代は、まず一家の主が先で次が家族、そして最後が奉公人となっていたのが当たり前だったからだ。但しこの時代の深山家は奉公人は仕事優先の考えから家族や主とは別な部屋で食べていた。仕事の内容では早く食べて仕事に戻る必要のある場合もあり、そんな時に従来のやり方では食事にありつけなくなるからだった。深山家は代々がこの地域の長だったので効率を考えてそうなったのだ。
 そんなゆきの疑問に幸子は小声で
「あら、私がお爺さん。つまり宗十郎の息子ね。その人から直接聞いたけど奉公人は奉公人で別に自由に食べていたそうじゃない」
 そうゆきに逆に問いかけると
「そうなんですが、他の家では従来のやり方でしたので」
「今はそんな時代じゃないし、そもそもウチは深山よ」
「ああ、そうでした。でもご主人は一人で食べるのはかわいそうですね」
 ゆきがそう言うと幸子は
「大丈夫、私が付いてるから」
 そういってウインクした。ゆきはそれが何の意味かは良く判らなかったが、何となく納得した。
「今日の献立は何?」
 食卓の良い用意をした翠が台所に戻って来て質問した。幸子は
「今日は肉じゃがと鶏の唐揚よ。それにゆきちゃんが作ってくれたお味噌汁」
 食卓には大皿にレタスを敷いた鶏の唐揚が山と積まれていた。その横には大きな底の広い鉢に肉じゃががよそられていた。他には胡瓜と大根の糠漬けだった。
 各自の席には取皿と小鉢が置かれていた。ゆきはその光景を頭に刻む。彼女にとっては何でも初体験なのだ。
 ゆきが幸子の指導でそれぞれにご飯と味噌汁をよそう。そして
「いただきま〜す」
 の合図で軽く手を合わせてから食事が始まった。
「ゆきちゃんは『肉じゃが』は好き?」
 翠の質問にゆきは
「はい、好きです。これはじゃが芋ですよね」
 取り敢えず無難な返事をする
 食後になって幸子はゆきに
「じゃが芋のこと知っていたの?」
 そう尋ねると
「はい、昨年から宗十郎様が試験的に栽培してみようと言うことになり、深山家でも作ったのです。でもこれほど大きくはなりませんでした」
 そう言って明治の初期でもじゃが芋が栽培されつつあった事を話した。食事中でも
「じゃが芋に人参と玉ねぎ、そして牛肉を入れて煮たものよ」
 幸子が説明をすると
「牛の肉ですか!」
 そう言って驚いた。翠は少し変だとは思ったがビーガンの可能性も考えた。
「ゆきちゃんは肉は苦手?」
 翠が突っ込むと
「いえ、食べてる人もいました。でも私は初めてです」
 やっぱりビーガンなのかも知れないと思った。
「食べてみたら?」
 幸子に進められて口に入れたのだった。
「どう?」
 家族三人が見守る中ゆきは
「美味しいです! これは美味しいです!」
 そう言って目をパチクリさせた。
「肉も美味しいですが、じゃが芋が堪らないです。それに複雑な味がします。肉の旨味に鰹の風味やネギの甘みもします。これは?」
 ゆきは玉ねぎを知らない。日本で栽培が始まったのは明治四年だからだ。バレると困るので、幸子が食後にゆきに、こっそりと説明をした。
「これは玉ねぎと言って普通の長ネギの親戚なのよ。生の時は辛いけど火を加えるとその辛味が甘みになるの。同じネギだからそこは同じなのよ」
 それを聴いてゆきは感心をするのだった。
 その後、翠が幸子に
「ねえ。今朝はウチにホームステイの人が来るなんて言ってなかったじゃない。どうして急に決まったの?」
 そんな質問をする
「別に怒ってる訳じゃないけど、決まっていたなら知っていたかったな。だって楽しみじゃない」
 幸子は翠のことだから、そこを疑問視するだろうとは思っていた。
「それはね、今朝あなた達が学校に行ってから友達から電話があったのよ」
「なんて?」
「元々ホームステイを受け入れる事になっていたのだけど、旦那さんが倒れたので受け入れられなくなったって。それが倒れたのが昨夜遅くだったそうよ。だから今更ホームステイの協会に連絡して変更なんて出来ないし、どぅしようと思ったら、ウチが思い浮かんだそうよ。ウチは使っていない部屋が沢山あるから、ウチなら置いてくれるかもと思い連絡したんだって」
「それでOkしたんだ」
「そうよ。そうしたらこんなにカワイイ子が来たと言う訳」
「そうか、そりゃ大変だものね。確かにウチは部屋だけは無駄に余ってるからね」
 そう言って翠は夕食の片付けを終えるとゆきに
「ねえ、用事が終わったら私の部屋に来て!」
 そう言うのだった。
 その後片付けが終わるとゆきは高志に教えられて翠の部屋に赴いた。高志が
「この家は基本的に昔のままだから、ゆきちゃんでも戸惑うことは無いと思うよ」
 そう言われて家の中を観察すると、壁紙や襖の模様や畳の部屋が板の間になっていたりと、少し変わってはいるものの基本的な間取りは同じだった。ゆきは、そこにも不思議さを感じた。自分の居た頃より遥かに先の年代なのに、同じ家がそのまま使われている事が不思議に感じたのだった。
 ゆきは翠に言われた通りに翠の部屋を訪れた
「ごめんください}
「あ、入って!」
 翠に言われた通りに部屋に入る。翠の部屋は八畳ほどの広さで板張りである。そこに机とベッドがある。尤もゆきはベッドを見るのは初めてだった。翠は椅子を出すとゆきに進めた
「ありがとうございます!」
 そう言ってゆきが腰掛けると翠は傍まで寄って来て
「ねえ、ゆきちゃん。私には本当の事言って!」
「本当の事?」
「そう、まさかお母さんが言ったホームステイの事だけど、あれは私でも信じられないわ。ゆきちゃんはもしかして過去から来たんじゃ無いの。あの納戸の開かずの扉から来たんじゃ無いの?」
 お見通しだとゆきは思った。バレているなら仕方ないと考えた
「誰にも秘密にして貰えますか?」
「それはもう!」
「実はそうなんです。明治初年から来ちゃったんです」
 そう言って今までの経過を説明した。
「そうか。そうだったんだ。それは大変だったわね。私もゆきちゃんを歓迎するわ。でもさっき言った、お姉さんが欲しかったというのは本当の事なのよ。だからこれから宜しくね」
 翠がそう言って手を出すとゆきは戸惑った
「この手は? 握るんですか?」
「ああ、そうか握手は無かったんだ。今はね仲良くする時に手と手を握り合うのよ。これを『握手』と言うのよ」
「握手ですか。覚えます!」
 そして翠はゆきを呼んだ本当の用事を言った
「ゆきちゃんは今は着物だけど、今の時代は余り着物を着ないのよね。洋服を着てるの。だからゆきちゃんも外に出かける時は洋服の方が良いと思うんだ」
「洋服ですか。私着たこと無いんです」
「私のお古だけど、綺麗なのがあるから取り敢えずどうかなと思ってね」
 翠はそう言って、自分のタンスからアイボリーのワンピースと水色のブラウスに紺のスカートを出した。
「どうこれ、私が一二回着たものだけど、ちゃんとクリーニングじゃない洗濯してあるから」
 ゆきは自分がこの洋服を着た姿を想像して目が回る感じがした。
「ちょっと着てみて。手伝ってあげる」
 翠にそう言われて、ゆきは帯を解いて襦袢姿になった。
「それも脱がないと」
「でもこれ脱ぐと腰巻きだけになります」
 ここに来て翠はゆきには下着も必要なのだと思った。そこにいきなり母親の幸子が
「やれやれ、まだ時間が早いから私と一緒に買いに行きましょう。取り敢えず着替えは必要だわ」
「お母さん! 聴いていたの!」
「声が聞こえるわよ。アンタがあんな説明で信じるとは考えていなかったし、ゆきちゃんの食事の態度が、余りにも驚きの連続だったから、信用してないとは思っていたのよ。さ、買いに行くわよ」
「何処に行くの?」
「近所のGUよ。あそこなら若い子の着るものなら下着から全部揃うからね」
「私も一緒に行く! ゆきちゃんに選んであげる」
 その言葉にゆきは着物を着なおして三人で一緒に出かけるのだった。