わたしと折木さんは高速を名古屋に向かって走っています。季節はもう秋になっていました。神山の稲の取り入れまではもう少しありますが、早稲はもう刈り入れが済んでる所もあります。
 今回、車で向かう事にしたのは神山での足の確保と時間を有効に使う為です。わたしも折木さんも運転は出来るので交代でなら、長距離でも苦にならないと思ったのです。
「千反田。実は隠し玉も持って来たんだ」
「隠し玉ですか?」
「そう。お前にも関係のあるものだ」
「関係のあるもの……。それってわたしが研究に関わったものですか?」
「まあ、そういうことさ。楽しみにしてくれ」
 折木さんが何をしようとしているのかは判りませんでしたが、わたしはその明るい表情を見て希望が湧くのでした。
 やがて車は千反田邸に到着します。わたしが先に降りて玄関に立ちます
「只今帰りました。今回は折木さんをお連れしました」
 奥から父と母が出て来ました。
「初めまして折木奉太郎です」
 折木さんが自己紹介をして頭を下げます
「えるの父親の千反田鉄吾です。こちらは母親です」
「宜しくお願いします」
 その後、客間に通されました。そしてお茶を母が運んで来ます。わたしは母に呼ばれて控えの間で一緒に様子を伺うことになりました。
「早速だが本題に入らせて貰うことにしたい」
「こちらも望むところです」
「このレポートは良く出来ている。確かに我々『千反田農産』の弱点が書かれている。よくこれほど調べたものだね」
 父はやはり感心したようでした。
「わたしは関東支店に勤務していますが、中部にも支社はあります。そこには神山を担当する者も居ます。その者は幸いに自分の後輩でした。その彼から情報を提供して貰い分析したのです」
「そうか農協繋がりか。確か農協は君の会社と取引があったな」
「そうですね。神山農協はウチのお得意様でもあります」
「だが、それだけではあるまい」
「それはそうです。貰った情報を分析し、他の地方でも起きてる事象を神山にも当てはめました。今現在、日本の農業は分岐点に差し掛かっています。今までのやり方では大きく後退してしまうでしょう。特に農産品の輸入自由化は待ったなしです。早急にそれらに対処しなくてはなりません。その点で『千反田米』が好評な神山は遅れていました。その中でもここ陣出地区は特にそれが目立っていました。だからとりあえずシステムの変更をした方が良いと提案したのです」
 折木さんはそこまで語るとお茶を一口飲みました。
「懐かしい味ですね。高校時代、毎日のようにこのお茶を飲んでいました」
 折木さんはそう言って遠い目をしました。
「しかし、ここに書かれているだけの変更で済むのかね」
「取り敢えずです。本格的な変更には時間も費用も掛かります。それまでは待てませんから」
 父は改めてレポートに目を通しています。
「今回のは、特に角費用は掛かりません。でも時間は待ってくれません。収穫ももうすぐでしょう。変更するなら今の内です。刈り入れが済んでからでは遅いです」
「そうか、それなら君の提言通りにシステムの変更をしよう。だがもし効果が無かったらどうする」
「そうですね。効果が無くても金銭的な損害は起きないと思いますが、その時は千反田……もといお嬢さんを諦めます」
「二言は無いな」
「男に二言はありません。でも効果があった時には……」
「効果があった時?」
「そうです。その時には新たな提案があります」
「新たな提案? そんなものまで考えているのかね」
「勿論です。俺とお嬢さんの仲が上手く行くならどんな事でも考えますよ」
「どうやら本気なのだな」
「本気でなければここまで来ません」
 折木さんは車で言った事を話すみたいです。わたしも興味があります。
「それはこれです」
 そう言って折木さんは、ポケットから取り出したビニール袋から何かの種のような籾のようなものをテーブルの上に広げました。父がしげしげと見てそれを摘みました。わたしはそれが何か直ぐに判りました。
「これは小麦だな」
「そうです。小麦です。これをこの陣出で栽培するのが次の提案です」
 折木さんの言葉に父は
「馬鹿な。ここ神山では小麦は育たん。例え育ったとしても今の米の時期と重なるから無理だ」
 そう言って否定しました。でも折木さんは
「普通の小麦なら、その通りです。でもこれは違うのです。これは『農林10号』という早稲でしかも耐寒耐雪性が強い品種をお嬢さんの会社が更に改良したものです。無論彼女も関わっています。通常小麦は本越年生の植物です。秋に種をまいて越年させ、春に発芽し夏に収穫するのが基本形なのです。これは、発芽のためにある程度の低温期間が継続する必要があるためでした。でも品種の改良や突然変異などによって耐寒耐雪性が強い品種が誕生しました。今日持って来た小麦は米の収穫後に籾を撒きます。そして冬のうちに発芽します。その後はゆっくりと発育して行きます。途中で雪が降っても発育は止まりません。そして収穫は5月上旬です。これなら陣出の田植えの時期である5月下旬から6月に間に合います。勿論休耕田を活用すれば、苦労は少なくて済みます」
 それを聴いた時の父の驚きようは普通ではありませんでした。
「君はそんなことまで考えていたのかね」
「勿論です。俺はお嬢さんを愛しています。高校時代に交際をしていましたが、その後疎遠になってしまいました。彼女が他の男性と結婚したと聞いた時は、正直心の底から落胆しました。そして自分が如何に彼女を愛していたのかを悟ったのです。もう二度とあのような想いはしたくありません。だから今回のことで自分の能力を最大に発揮して提案したのです」
「そうか、それは理解した。しかし新しい品種とはいえ小麦とは意外だった」
「国産小麦は今や人気商品です。麺類やパンの材料として引く手あまたです。国産小麦は以前のものはグルテンの含有量が少なく、麺類以外には向かないと言われていましたが、今の品種は外国産以上の品質です。それに政府の保証もありますから一時の人気に左右されることがありません。野菜などだと一時の流行で価格が大きく変わりますが政府が関わる小麦なら安定して収入が入ります。陣出の人々としても将来の色々な計画を立てやすいと思うのです」
「君の考えは理解した。取り敢えずこのシステムの変更をしてみよう。結果がどうなるか楽しみだ」
「上手く行くことを祈っていますよ」
 最後に折木さんは、そう言って立ち上がりました。今から三ヶ月後とは暮からお正月です。上手く行けばまた折木さんと初詣が出来るのですね。そう思うと胸が熱くなりました。
 それからは摩耶花さんや福部さん。それに十文字さん達と逢って色々な話をしました。中でも十文字さんは
「あの折木くんが、鉄吾さん相手にそこまでやったんだ。本当に本気なのね。良かったね、える!」
 そう言って一緒に喜んでくれました。でも結果は三ヶ月後なのにです。

 その後、お正月に折木さんは父に呼ばれました。それも一般の新年の挨拶の客様が見える元旦ではなく、身内が集まる二日でした。それが何を意味するのかは、わたしでも判ります。
 結果だけを言うと折木さんの提言で会社の利益が向上したそうです。父はそれを高く評価しました。お正月に呼んだのは例の小麦の話の続きもする意味もありました。


 お正月の二日に呼ばれるということは身内に紹介する意味もあります。それがどのような意味を持つのか、わたしにも判ります。でも折木さんはそこで小麦の話の続きをするつもりです。
 と言うのも、九月に折木さんと父は話をしたのですが、その後に折木さんの提唱したシステムに変更した途端、効果が出始めたので、父は小麦のことを真剣に考え始めました。そして、わたしを通じて折木さんにコンタクトを取ったのです。電話での会話でしたが、稲の刈り入れが終わったばかりの田圃と休耕田に、それぞれ一枚の田圃にあの小麦を試験的に蒔いてみたいと話したのです。
『そうですか。それならウチから試験用の籾を提供しますよ』
『無償提供かね?』
『勿論です。ウチとしても実際の栽培のデータが欲しいですからね。だから経過をウチの者に観察させて戴きますけどね』
『それは構わんが、収穫した小麦は?』
『それはそちらでご自由に使ってください』
『そうか、判った』
『撒く日時が判ったら連絡ください。俺が行ければ行きますし、最低でも担当の者をやらせます』
『本音では君が来てくれれば幸いだがな』
 凡そこんな会話がなされたそうです。神山に向かう車の中でわたしは折木さんに
「小麦。育っていれば良いですね」
 そう言うと折木さんは
「もう発芽はしてるそうだ。雪が降っても順調に育っていると連絡が入っている」
「籾を撒く時は、わたしの会社からも指導員を派遣しました」
「あれは助かった」
「ウチとしても将来がかかった商品ですから」
「確かにな。その意味ではウチの会社も同じだ。これが上手く行けば、千反家を始め陣出の農家、俺の会社、そしてお前の会社の三者にとって大きな成功になる。大事な試験栽培なんだ」
「そうですね。わたしも研究をしていた時のことを思い出しました」
 やがて車は高速を降りて神山に向かって行きます。陣出の坂を登ると実家が見えて来ました。陣出に入ると折木さんは、試験栽培をしている田圃に車を向かわせました。
「見ろ、順調だ。このまま行けば良いな」
 窓の外の田圃には雪の間に青い麦の芽が見えていました。
「ウチの会社で試験栽培した時よりも順調です」
「もしかしたら、ここが栽培に適しているのかもな。改良したとは言え、麦はある程度の寒冷な気候は必要だからな」
 この田圃は、わたしには希望の田圃に見えました。やがて実家に到着します。以前とは打って変わって父が真っ先に出迎えてくれました。
「おめでとう。お帰り。麦の様子を見て来たかな」
「おめでとうございます!はい。しっかりと見て来ました」
「そうか。折木君の言った通りになりそうで、わたしとしても嬉しいよ」
「あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します」
「ああ、おめでとう。みな君の言った通りになってるよ。本当に感心した」
「いえ、本当に大事なのはこれからです」
「そうだな。ま、今日は正月だ。祝おうじゃないか。上がってくれたまえ」
 父の言葉に従って家に上がります。広間ではもう宴席の準備が出来ていました。
「そう言えば、もう元旦にいい子してなくても良いのか?」
 折木さんがそんな冗談を言います
「はい、一度は家を出た者ですから」
 そうなのです。姓が千反田に戻っていても、わたしは一度はこの家を出た者なのです。それだけは忘れてはならないと思っています。
 やがて、特に親しい親族も加わって、正月の宴が開かれました。父は午後からは挨拶回りに出ます。それもあるので比較的早い時間です。その席で父が爆弾発言をしました。
「親族、家族の皆、少し聴いて欲しい」
 その言葉で皆が父の方を見つめます
「今日は、折木奉太郎君にもこの席にお出でを願ったのですが、彼は我が娘のえるの高校時代の同級生です。そして現在、二人は交際しております。ご存知のように、えるは一度は結婚生活に失敗しました。でも折木君はそれを気にしないと明言してくれました。わたしは彼と関わって月日は短いですが、彼が誠実でしかも有能な人物であることが判りました。わたしは二人の結婚を認めようと思います。そして出来れば、この千反田を継いで欲しいと思うようになりました」
 まさかの発言です。わたしは
「お父様、その話は……」
「なんだ、お前は折木君と一緒になりたくないのか? 折木君は二度とお前を離したくないと語っていたぞ」
 どうやら、父はわたしの知らない間にも折木さんと連絡をとっていたみたいです。
「いえ、その……」
「どうなんだ?」
 父がわたしにここまで問い詰めるのは初めてかも知れません
「わたしは出来れば折木さんと一緒になりたいです!」
 とうとう言ってしまいました。しかも身内と親戚が居る席でです。
「わあ! えるちゃんおめでとう!」
 皆が一斉にお祝いの言葉を言ってくれます。でも一つ気になることがあります
「折木さん。お父様が家に向かい入れると言っていましたが、それは……」
 わたしの質問に折木さんは苦笑いをしながら
「実はこの前から婿入りを言われていてな。今日返事をすることになっていたんだ」
 そんなこと全く知りませんでした
「わたしはお嫁に行くとばかり思っていました」
「嫌かい? なら再考するけどな」
 嫌ではありません。でも余りにも急なことなので考えが追いつきません。でも……。
「もしそうなれば嬉しいです」
 それだけ言うのがやっとでした。
「なら決まりだ」
「折木君良いのかね?」
「はい、依存はありません。でも一つお願いがあります」
「お願い? 何だね」
「はい、将来ですが千反田農産の中にラボを作って欲しいのです。規模は小さくても構いません。千反田には、一緒になっても研究を続けて欲しいのです。それがやがて陣出の将来に繋がりますから」
 折木さんの言葉を聴いた父は
「全く君と言う男は、本当に先のことまで考えているのだな」
「性分なんです」
 その言葉に宴席の皆が笑いました。わたしは、心の底から喜びが湧き上がりました。わたしの選んだ人が、父を始め皆に受け入れられた事が誇らしかったです」

 その夜は当然実家に泊まりました。父が
「今夜からはお前の部屋に泊まって貰いなさい」
 そう言われました。その言葉が何を意味するのか……。
 すると部屋に入ってから折木さんが
「今夜は寒いから布団はひと組で良いな」
「そうですね。二人で抱き合っていれば暖かいですね」
「何も身に付けていなくてもか?」
「そんな……イジワルです」
 そうは言いましたが結局その夜は、何も身につけることなく朝を迎えました。
 その次の日は摩耶花さんを始め友達と旧交を温めました。帰る時に父が、そっとわたしに耳打ちしました
「孫が先でも怒らんぞ」
 それを聴いて真っ赤になったわたしを折木さんが不思議そうな顔で見ていました。


                               <了>