かって、俺が自分を見詰直したことが無いと言ったのは千反田だった。それは心ならずも当たっている。だから俺は、その時に上手い反論が出来なかったのだ。
 その千反田に、自分が特別な感情を抱いている事に気が付いたのは、高校二年の春先の「生き雛まつり」でのことだった。それまで俺は、そんな感情は、俺には生まれつき持ち合わせていないと思っていたから少なからず驚いた。結局俺も人の子だったという訳だ。
 それ以前からも色々と千反田に関して係わっていたが、思い直すとそれからが、より積極的になったと思う。
 マラソン大会での事。合唱祭での事。それらに係る事によって俺は千反田の視線で物事を考えるようになった。それは否めない事実だ。
 千反田に相談されると、まずアイツにとって最善の方法を考えるようになっていた。世間の事情は二の次だった。勿論、最善というのは全てに於いて上手く行くという意味を含む。
 高三になると、それまで以上に深く係る事が多くなった。自然と二人だけで居る時間が長くなる。お互いの気持が確認されると、それまで以上の関係をお互いに求めるようになるのに時間は掛からなかった。この関係が永遠に続くと、その時はお互いが思っていた。
 進学に当たっては随分悩んだ。俺の「アイツの隣に立っていたい」という想いを達成するには、学びたい学科が関西の大学には無かったのだ。学問としても新しい分野でもあり、積極的に取り上げている大学も少なかったのだ。だから関東の大学を選択した。千反田にとっては意外な選択だった様だが、同じ日本の中だから、関係を保つ方法は幾らでもあると考えたのだ。
 最初は俺が京都まで出向いた事も幾度かあった。その費用を捻出するためにバイトもした。だがそんな不均衡な関係が長続きする訳もなかった。お互いの途中の何処かで落ち合うとか数回に一度は千反田が東京まで来るとか方法は色々とあったと思う。でも俺はそれを選択しなかった。
 結論から言えば、俺は千反田の夢である「陣出の人々にとって有効な作物を見つけたい」という想いを邪魔したくなかったのだ。農学部は研究の多い学部だと聞いた。ならばそれに集中して欲しかった。
 千反田が俺のそんな想いを知っていたかどうかは判らない。千反田は人の気持に関しては俺よりも敏感だから薄々は気が付いていたのだと思う。だから一年の頃は交流があったのだが二年になり実験が始まると俺が京都に行く回数はめっきりと少なくなった。電話を掛けても留守電の事が多く、メッセージを残しても、返事は数回に一度という感じだった。自然と電話の回数も減って行った。
 別れの相談をした訳では無い。そんな会話をした記憶も無い。だが俺と千反田の関係はゆっくりと遠くなって行った。
 四年になる頃には、年賀状程度のやり取り程度になってしまっていた。そして千反田は京都に本社のある種苗会社に就職した。俺は東京の中堅商社に就職をした。
 それからのことは殆ど知らない。俺と千反田の関係が繋がったのは、年賀はがきの返信に「相談に乗って貰いたいことがあります」
 と書かれていたことが切っ掛けだった。それは自身の離婚の相談だった。里志や伊原から千反田が結婚したとは聞いてはいたが、俺自身、その現実から逃げていたのだ。
 里志と伊原の結婚式は内輪でやったので、友人を招待したパーティーをやったのは少し遅れてからだった。実はその時期俺は日本にはいなかった。入社早々半年だが海外に行っていたのだ。だからこの時も千反田には逢っていない。
 暫くぶりに逢った千反田は大人の女性になっていた。それはそうだろう二十代半ばになれは大人の女性として最も輝いている時期だ。地味で質素なワンピースを着ていたが、それが返って千反田の美しさを際ただせていた。
 色々と話を聞いたが二人の関係は最早修復不可能に思えた。例え、妥協しても直ぐに破局が訪れると思ったのだ。
「今日はありがとうございました。折木さんのアドバイスをもう一度よく考えて結論を出したいと思います」
 千反田はそう言って帰って行った。俺はその姿を見送りながら俺の中に湧いた卑しい想いを必死で打ち消してした。それは千反田の離婚を俺が望んでいるという考えだった。
 俺は千反田が離婚して、俺ともう一度関係が復活すれば良いと思っていたのでは無いかという考えだった。そんなはずは無い。俺は高校生の頃のように千反田が、自分に良いようにと考えて、アドバイスしたのだと思い込む事にしたのだった。
 千反田の勤務している会社の社風は結構ハードだそうだ。どちらかと言うと体育会系の感じだと言う。だから旦那は千反田に家庭生活よりも研究を優先して欲しかったのだろう。それは理解出来た。だが千反田は妻としても、しっかりとやりたかったのだろう。アイツの考えは大凡理解出来る。それに千反田としてみれば妻の立場は、簡単には放棄出来ないという想いもあったろう。所詮相容れない考えだったのかも知れない。
 結局、千反田は離婚と言う道を選択した。決断した後に俺に連絡があった。俺はただ
「そうか、お前が考えた末の結論ならそれで良いと思う」
 そう返事をしただけだった。正直、この時自分の中に湧いた卑しい想いはこの時はすっかり俺の中から消えさっていた。この頃俺は短期だが海外に在ったからかも知れなかった。
 その後半年かけて協議離婚が成立して、更に残務処理にようやく片が付くたのだった。

「ねえねえ、やっぱり二人は昔みたいに戻ったほうが自然じゃ無いのかな」
 同期会の二次会で十文字と仲の良かった女子が俺に言った言葉だ。そうしたら十文字が
「そうね。人は神の前では誰でも平等だからね」
 そんなことを言うので俺は
「それは宗旨が違うだろう」
 そう突っ込むと十文字が
「宗教差別はしない主義だから」
 そう言って皆を笑わせた。千反田が
「いつか聴いた言葉ですね」
 そう言って嬉しそうにしていたのが印象的だった。
 千反田の嬉しそうな笑顔を見て、もう一度こいつにこの表情を取り戻させてやりたいとこの時思った。
 その後、三次会に行く者と、家で家族が待ってるので帰宅する者とに別れた。里志と伊原が
「僕たちは子供を預けているので今日はこれで失礼するよ。ホータローと千反田さんが神山に居るうちにまた逢おうよ」
 そう言って来たので俺も千反田も了承した。
「それじゃまた」
「ちーちゃん、折木またね」
 二人がそう言って夜の街に消えて行った。気がつけば俺と千反田だけとなった。
「どうする。まだ家に帰るのは早いな」
「折木さんは、どちらに帰られるのですか?」
 そう尋ねて来た千反田に
「実家は姉貴が嫁に行った時に処分してしまった。親父は転勤になったしな。姉貴は名古屋に住んでるから親父も定年したらそっちに行くと思う。だから俺はビジネスホテルに泊まろうと考えているんだ。
「予約はしてあるのですか?」
「いいやこれからだ。神山のビジネスホテルなんて予約なんか必要ないだろう。空き室ばかりだろう」
「父の話ですと、最近は観光客が多くて、そうでも無いみたいですよ」
「そうか、それなら何処かで夜明かしをしてもいいな」
 俺がそう言ったら千反田は
「久しぶりですから今夜は折木さんとお話がしたいです」
 そう言って俺の夏物のスーツの袖口を掴んだのだった。