今日からこのブログで新作を連載して行きます。不定期更新になるかも知れません。
よろしくお願い致します。

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 東京の郊外に出来た新しい撮影スタジオ「丸山スタジオ」。緑の多いこのスタジオで宝見公造は新しい映画の撮影に臨んでいた。午前の撮影が延びて少し時分時を過ぎていた。
「おいADさんよ。いくら昼飯だからって、この弁当は無いだろう。他になかったのかい」
 公造が手にしていたのは撮影時の昼食でスタッフやキャストに配られる弁当だった。
「でも、焼き肉の『角牛』ですから。評判良いんですよ」
 弁当担当のADはそう言って、この弁当が、それほど酷くは無いと言いたげだった。
「他の皆は判らないけど、俺はゴメンだね。返すから」
 そう言ってADに弁当の包をそっくり返した。
「でもお昼はどうすんですか?」
「午後の俺の出番まで未だ時間があるだろう、この辺りぶらついて来るから」
 そう言って撮影所の外に向かった。その後ろ姿に向かってADが
「この弁当どうしましょうか?」
 そう問いかけると公造は
「そんなの知るか。お前が二つ食べても良いし、家に持って帰ってもいいだろう。兎に角俺は御免だ」
 公造はそう言いながら、鉄格子の門を守る守衛さんに挨拶をして外に出て行った。
「全く、他のものならまだしも、牛肉の焼き肉弁当だぜ。冷めてしまった牛肉なんか食べる価値が無いだろうさ。しぐれ煮以外なら牛肉は温かいうちに食べるもんだ。特に焼き肉なんか賞味温度が高いんだからさ。弁当なら豚にすれば良かったんだ。豚なら冷めても食べられる」
 公造は、世界的に名を馳せた映画監督である赤澤学の晩年にその作品でデビューを果たし。その個性と演技力で映画界を驚かせたのだった。
 出演した作品での演技力は高く評価され、その後ハリウッドからもオファーがあり。その作品は日本人でありながらアカデミー賞の助演男優賞を受賞したほどだった。
 それ以来日本の映画界でも重要な役を演じている。そんな彼も五十路を過ぎた。でも唯一の趣味の食道楽は相変わらずだ。だから食べ物に対する拘りは強い。ADもそれは知っていたので、わざわざ「角牛」の焼き肉弁当を用意したのだろうが、裏目に出た。
 スタジオを出た公造は街を適当に歩いていた。スタジオの周りには民家が立ち並んでいて、少し歩けば飲食店がありそうだった。
「ま、何か店があるだろう。冷めた弁当よりマシだろうさ」
 そんなつもりだった。程なく住宅街の外れに一軒の定食屋を見つけた。入り口がアルミサッシで出来た何処にでもある普通の定食屋だった。幾人かの男がサッシの扉を開けて店から出て来ていた。
「『丸山軒』だってさ。ランチタイム終わりかな?」
 腕時計を見ると午前の撮影が延びたので、通常ならランチタイムが終わりそうな時刻だった。公造は暖簾を仕舞われてはならないと、急いで店に飛び込んだ。
「いらっしゃい。もうランチタイムが終わるので碌なものが出来ませんけど。それで宜しければ」
 調理場から顔を出したのは白衣に調理帽を被った四十過ぎの店主と思われる男だった。
「何が出来るんだい」
 公造の問に店主は
「そうですね鯖味噌定食なら直ぐに」
 そう言うと、調理場の奥に居た女の子が
「それお昼に私が作った奴だよ。売っちゃうの?」
 そう言って口を尖らせていた。その光景を見て公造は
「なんだい。この店はそのお嬢ちゃんが作ったものを客に出すのかい。まかないなんだろう」
 そう言ってこの店も期待で出来ないと思い始めていた。
「何言ってるの。私が作ったのよ。不味いはずが無いじゃない」
 そう言って店のホールに出て来た女の子は、中肉中背の十代を思わせる子だった。
「やけに自信があるんだな。君が作ったのか」
「そうよ。これでも調理師の資格は持ってるわ」
 その子がそこまで言った時に店主が
「彩果。そこまでにしなさい。お客さんすいませんね。別なものを出しますから」
 そう言って繕ったが公造が
「いや、そこまでこのお嬢ちゃんが言うなら食べさして貰おうかな。但し、俺は食道楽なんだ。味の評価は正直に言わせて貰う」
 そう言った時にこの人物が俳優の宝見公造だと気がついた感じだった。
「ああ、何処かで見た事があると思ったら俳優さんだったのか」
 彩果と呼ばれた子は相手が宝見公造だと判っても動じなかった。
『ほうモノを知らないのか動じないのか』
 公造はそう考えた。すると彩果と呼ばれた子が
「火を入れ直すから少しだけ待っててね」
 そう言って調理場に戻った。代わりに水を入れたグラスを持って出て来た店主が
「すいませんね。なんせ何時もこうで。幾つになっても子供なんですよ」
 そう言って謝ると奥から彩果が
「お父さん、お客さんに謝るのは不味いものを食べさせてしまった時でしょ」
 そんな親子のやり取りを眺めて公造が
「よっぽど自信あるんだな。でも今日でその鼻っ柱が折れるかも知れないな」
 そう言って笑っていた。
「大丈夫。期待は裏切らせないから」
 調理場の中から彩果がそう言って不敵に笑った。そして、公造の前に四角いお盆が滑るように出された。お盆の上には中皿に鯖の味噌煮。針生姜が乗せてある。それと胡瓜の一夜漬けのお新香と、ご飯の丼に葱と和布の味噌汁が付いていた。
「どうぞ」
 彩果がそう言って下がると、公造はテーブルに置いてある箸立てから一膳割り箸を抜き取った
「ほう。こんな店は普通は元禄なんだがこの店は天削か、大したものだ」
 そう言って公造は天削の箸を二つに割った。一般的には定食屋とかラーメン屋あたりでは元禄箸と呼ばれる箸を使う事が多い。天削箸はそれより高級な扱いだった。そしてグラスの水を一口飲むと、グラスをしげしげと眺めた。
『この水。超軟水だな』
 料理を作る上で軟水の方が旨くなると言われている。その水を使っているなら少しは期待しても良いかと思い直してした。
 そして湯気が立っている鯖味噌煮に箸でほぐして口に運んだ。その瞬間公造の表情が変わった。
『何だこれは……これが鯖味噌なのか。とんでもない味じゃないか』
 驚いて二口目を口に運ぶ
『鯖が普通の鯖じゃない。しかも、この味噌のタレが抜群だ。脂の乗った鯖の臭みを抑えて旨味だけを引き出している。甘さ、味噌の濃さ。生姜やゆずの隠し味も完璧じゃないか』
「俺は随分鯖を食べて来た。だがこれは全くの別物だ」
「おじさん。感想が口に出てるよ。気に入って貰えたんなら嬉しい」
 そう言って彩果は引っ込もうとするので
「ちょっと待った。これは本当に君が作ったのか。お父さんに手伝って貰った訳じゃないのか?」
 公造がそう問い正すと彩果は
「失礼ね。上物の鯖が手に入ったからお昼に食べようと思って煮たのよ。未だあるから良いけど、特別な限定品だからね」
 そう言って少しだけ口角を上げた。
「上物ってこの時期だと『葉山の根付きサバ』か?」
「うん。でも鯖って鮮度が落ちやすいから刺し身じゃ無く味噌煮にしたの。『鯖の生き腐れ』って知ってるでしょ」
「なんて贅沢なんだ。『葉山の根付きサバ』を刺し身以外で食べようなんて発想が恐ろしいな。普通の人間だったら鯖味噌にしようなんて考えつかない。発想がぶっ飛んでる」
「そう。鯖は鮮度が落ちやすいから日を跨ぐと刺し身ではキツイわ。ならば味噌煮が一番美味しさを逃さない食べ方じゃない?」
「確かにそうだ。焼いても旨味が落ちるし、シメ鯖でもそうだ」
「他にいい方法があれば、それにしたけど、私の頭の中にはこれが最善だったのよ」
「まあ言われて見れば納得なのだがな。それに鯖味噌だけじゃない。ご飯も炊き方が完璧だし、この味噌汁も鯖味噌とは違う味噌を使っている。味が濃い。たかが鯖味噌定食にどれだけの手が入っているんだ」
 公造の言葉に彩果は
「味噌汁の味噌は自家製よ。鯖味噌の味噌は仙台味噌と信州味噌の白味噌に西京味噌をブレンドしたのよ。でもそんなの当たり前じゃない。鯖味噌定食だろうと生姜焼定食だろうとお客さんを満足させなかったら調理師として失格でしょう」
 そう言って公造を見た。
「そうだ。確かにその通りだよ。君は若いのに凄いな。料理の本質が判っている。歳は幾つだい」
「食物高専三年の光本彩果(みつもとあやか)よ。誕生日が来てないから未だ十七だけどもう直ぐ十八になるわ」
「食物高専って何んだい」
「食物高専は五年制の学校で、卒業すると料理師と栄養士の資格が取れるわ。短大卒扱いの高専よ」
「そうか、航空高専とか工業高専とかと同じなんだな。改めて自己紹介しよう。俺は俳優の宝見公造(たかみこうぞう)だ。今はこの先の『丸山スタジオ』で映画の撮影をしてる。撮影中は毎日顔を出す。旨いものを食べさせてくれ」
 そう言った公造に彩果は
「あ~明日から学校があるから土日だけかな、私の料理を食べられるのは。でも、お父さんも腕効きだから期待してて」
 そう言って笑った。
 この時が二人が出会った最初だった。

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