俺と千反田もとい、えると一緒になって二年が過ぎようとしていた。える自体は千反田家の本業である農業そのものは継がなかったが、旧家としての千反田の家は継ぐことになった。父親の鉄吾さんの考えでは、えるを千反田の軛から解き放して自由に人生を過ごして欲しかったみたいだが、肝心の後継者が見つからない。それはそうだと思う。江戸の初め頃からこの地方を納めていた千反田家という大きな存在を簡単に継ごうという者が見つかるはずもなかった。
 現在は形だけだが、俺が養子に入り千反田家を継いでいる。千反田家の用事などは主に鉄吾さんが行っているが、常に俺が帯同している。所謂顔を繋ぐということだ。そのうち俺が表に出ることになるのだろう。
 その俺達夫婦に待望の第一子が誕生した。長女で名を「めぐみ」と名付けた。えるは乳の出も良く母乳で育てることにした。実はそのことで意外な一面を発見してしまったのだ。
 それは授乳にあった。普段の千反田家の家の中はえるの母親と祖母、それにえるとめぐみと女性しか居ない。朝夕はそこに俺と鉄吾さんが加わる程度だ。だからと言う訳ではないが、めぐみがお腹を空かせると所構わず授乳をするのだ。
 ご存知の方もいると思うがえるは決して胸の小さな方ではない。むしろ大きい方だと言える。誰かが「隠れ巨乳」だと言ったが、正にそうだった。その点では非常に好ましかったのだが、出産して授乳するようになると乳が張って今までよりかなり大きくなっていた。それを家の中だと所構わずに出すのだ。
 それが悪いという訳ではない。家族しか居ないのだから我が子がお腹を空かせれば授乳するのは当たり前のことだ。白くて大きな乳房に娘が吸い付き、ごくごくと飲んでいる姿は親としても好ましいのは言うまでもない。
 それを微笑みながら家族が見ている……それも理解出来る。だがだ、俺の中に何かモヤモヤしたものが湧いているのも確かなのだ。めぐみが泣くとえるはすぐに白く大きな乳房をポロッと出して授乳する。それが当たり前なのだが、何かそこに釈然としない感情が芽生えているのも事実なのだ。当然、えるは俺がそんな感情を持っていることなぞ知りはしない。
「どしたのですか奉太郎さん。最近何かお悩みですか? 何か悩みがあるなら仰って下さいね。夫婦の間に隠し事は無しですよ」
 えるは授乳しながら俺にそんなことを言う。別に隠しごとをしてる訳では無い。何か判らないものが俺に湧いてるだけなのだ。
「昼間はめぐみのものですからね」
 俺の視線をどう勘違いしたのか、意味あり気な表情を浮かべた。
「別に、それはそれで楽しみだけど、そうじゃない」
 俺は何を言っているのだろうか……。
「でもこうやってお腹を痛めた子が、すくすくと育って行くのを見ると早く二人目も欲しくなりますね」
 えるは微笑みながらそんな事を言う。確かに二人目を作るのは吝かではない……そうじゃない! そうでは無いのだ。そこまで考えて、この道では先輩に当たる里志夫婦が思い当たった。
 それから暫くして里志夫婦が遊びにやって来た。伊原はえるとめぐみと楽しそうに話してる。二人には沙也加という女の子が居るのだが、今日は保育園に行っていて今日は連れて来ていなかった。俺は里志を別室に呼び出した。
「どうしたんだいホータロー。二人だけで話なんて何かの悪巧みかい」
 奥の座敷で二人だけになると里志はそんな冗談を言った。
「悪巧みではないが女性陣が居ると話しずらい事なんだ」
「へえ、それは何かな。ホータローがそんなことを言うなんて珍しいね」
「実はな……と言うよりお前の時はどうだったのか教えて欲しいんだ」
「僕の時?」
「ああ、確か沙也加ちゃんも母乳で育てたんだよな」
「そうだよ。尤も最初の半年ぐらいかな。それからは混合栄養で、一年を過ぎる頃は人工栄養に切り替えたけどね」
「そうか、それでも最初の半年は母乳だけだったんだな」
「ああ、そうだよ。それが?」
「ああ、伊原もとい奥さんは主に何処で授乳していた?」
「場所? そうだね。家の中なら何処でもだね。仕事場が一番多かったかな。仕事しながら授乳させていた事もあったからね」
 そこまで聴いて福部家は姑と一緒に住んでる訳では無かったと思った。でも確か漫画家の井原花鶴にはアシスタントが居たはずと思った。
「仕事場でも授乳していたのか?」
「ああ、アシスタントは女性だから別に気にもしなかったよ。はは〜ん、大体判ったよ。ホータローは千反田さんが何処でも授乳するんで、そのあたりがモヤモヤしてるんだね」
 図星だった。こいつも経験があるのかと思った。
「僕の場合は昼は会社に行ってるから知らないけど。実家でも平気で晒していたよ。摩耶花も授乳の時は凄く大きく張っていたからね。僕も嬉しかったけど本人が一番喜んでいたかな」
 そんなものなのか。それで良いのか……。そんな思いの俺に里志は
「まあ千反田さんは元からある方だからホータローも余計に気にかかるんだろうけど、誰も変な目で見てはいないって。心配無用だよ」
 そうだろうか……まあ普通はそうか。
「ホータローのそのモヤモヤは嫉妬だよ。嫉妬から来るものだと思うよ。自分だけの千反田さんであって欲しいという思いから来る」
 嫉妬と言われ妙に腑に落ちた感じがした。
「お前は感じなかったのか?」
 俺の質問に里志はニヤッと笑いながら
「僕の場合は既に摩耶花は多くの人に自分の才能を分け与えていたからね。読者にとって摩耶花こと井原花鶴は読者のものでもあったからね」
「お前はそれで納得したのか?」
「納得も何も、僕は売れっ子漫画家を娶る事に納得したのだから」
 そうか、里志の場合はまた俺とは違っていたのかと思った。
「千反田さんだって、来客中は自分たちの部屋か何処かでするんだろう?」
「まあ、そうだが」
「なら何も問題はないじゃや無いか。恐らく千反田さんは誇らしい気持ちもあると思うよ」
「誇らしい?」
「ああ、だって子供を生むという事は連綿と続いて来た家系を絶やさないことだからね。それこそ、千反田家のような旧家にとっては、大事な事なのだと思うよ」
「そうか」
 里志の考えを聴いて納得した自分が居た。三人が居る部屋に帰ると伊原もとい里志の奥さんが
「ふくちゃん。ちーちゃんたちは二番目の子を作るそうだから、わたし達も頑張りましょう!」
 それを聴いた里志は苦笑いをするのだった。
 それから二年後に我が家に長男が誕生した。

                                                                             <了>