今年の神山の夏は暑いのでしょうか。それともそれほどでは無いのでしょうか?
 何も感じることが出来ずに夏休みが過ぎて行きました。さすがに家の人々もわたしの様子の変化に気が付き始めました。わたし自身はそれほど様子が変わったとは意識していなかったのですが、家の跡取りという立場が変わってしまった今、それまでとは心の持ちようが変わるのは仕方ないことだと思っています。
 それにしても考えるのはあの時の事だけです。雨の降る中バスに乗ってわたしを迎えに来てくれた人。今となっては家族以上にわたしの心情を理解してくれていてる人。 
 その人の名は折木奉太郎。神山高校の同級生で同じ古典部員であり、わたしが一番心を許せる人です。

 今日は古典部の集まりがあります。秋の文化祭で販売する文集「氷菓」の編集会議です。既にテーマは決まっていて各自が原稿を書いてるはずです。今日はその進行状況の報告です。
 テーマは神山高校と神山市の歴史についてです。神山高校の存在や卒業者が神山の街とどのように関わって来たのかを各自が自由に書くのです。わたしは、わたしの家の者で神山高校の卒業者が数名居ますが、彼らが神山とどのように関わって来たかを書くことになっています。資料は揃いましたが、どうしても書く気にならず、まだ原稿は手付かずなのです。
 折木さんや福部さん。それに摩耶花さんや大日向さんも原稿を書きます。編集は摩耶花さんが大日向さんと一緒に行い来年以降に備えます。
 古典部の部室である地学講義室の扉を開けると折木さんが一人でいつもの席に座っていました。その姿を目にして心が安らぐのを感じます。自分でも表情が緩むのを自覚します。
「こんにちは折木さん」
 声を掛けると折木さんは読んでいた本を脇に置いて振り返り
「おう千反田か。どうだ少しは落ち着いたか?」
 折木さんはわたしの状態を酷く気にしていました。その具合は家族以上と言っても良かったでしょう。
「落ち着きはしましたが、まだ先の事を考える余裕はありません」
 正直に己の心を伝えます。それが折木さんに対するわたしの誠意だと思うからです。今日こうして少し早く来たのも実は折木さんと二人だけで話がしたかったからです。多分、下校時にも話をすることは出来るでしょう。でも、誰とも会う前に折木さんと話がしたかったのです。そして恐らく折木さんは、わたしがそう思っている事を見抜いて早く来てくれると思ったからです。やはりそうでした。
「そうか仕方ないか、今になって急にだからな」
「いまさらなんです。いまさら翼をくれても飛び方が判りません」
「そうだよな」
「家を継がなくても良いと言われても、わたしはやはり千反田の娘なんです。それは変わることがありません。だから……」
「何をしても良いとは思えないか」
 やはり折木さんは判ってくれていました。嬉しくて目の奥が熱くなります。思わずハンカチで目頭を抑えます
「どうした。大丈夫か? 家の中でそんなに辛い立場なのか?」
「違うんです。この世界にたった一人だけでも自分のことを理解してくれる人が居ると思うと」
「まあ頼りないかも知らんが俺はお前の味方だからな」
 前にも言ってくれた事ですがやはり、ハッキリと言ってくれると嬉しいです。でも……。
「折木さん。これからは味方以上の存在になって欲しいと言ったら軽蔑しますか?」
「それは……」
 そこまで言いかけた時でした。教室の扉が開き
「あ、ちーちゃんもう来ていたんだ。折木も早いじゃん」
「こんにちは~ あ、お二人は早いですね」
 摩耶花さんと大日向さんが入って来ました。
「おう伊原と大日向か、里志はどうした?」
 折木さんが摩耶花さんに尋ねると
「ふくちゃんは手芸部に何か提出物があるからと寄ってから来るって」
「そうか、里志は両方だから大変だな」
「それはそうだけど、だからといって昨年みたく原稿が遅くなるのは許さないからね」
 摩耶花さんはそう言って笑っています。わたしは「許さない」という言い方が二人の信頼の深さを表していると思い少し羨ましく感じました。わたしは折木さんにあのような言葉は使えませんし折木さんも、わたしには言わないと思います。
 そんな事を考えていたら福部さんがやって来ました。
「遅れてゴメン。早速始めようか」
 その言葉で編集会議が始まりました。今年はそれぞれが順調に進んでいる事が確認出来ました。一番遅れているのがわたしのようでした。

「それじゃ、今度は二学期の前ね」
「それじゃ失礼します」
「じゃホータロー、千反田さんまたね」
 三人が手をひらひらさせて帰って行きました。また二人だけになります。少しぼおっとしていたら
「どうした?」
 眼の前に折木さんの顔がありました。思わず少し引きます。
「何でも無いのですが、さっき摩耶花さんが福部さんの原稿の事で遅れるのは許さないと言っていました」
「ああ、あいつらしいと思ったよ。昨年は大変だったからな」
「わたしは羨ましいと思いました」
「羨ましい?」
 折木さんは判らないという表情をしています。
「だって、そう思いませんか? 古くからの友人とは言え、人の前であのような言い方をするという事はどれだけ二人の絆が強いのだろうかと思いました」
 わたしの言葉を折木さんは聴いて少し考えてから
「図書室で最初に伊原に会った時の事覚えているか?」
「はい覚えています。神高ベストカップルだとかどうとか」
「いや、そうじゃなくて、里志は伊原の事なんて呼んでいた」
「摩耶花と呼んでいました」
「そう、その通り。それで判らないか?」
「何がですか」
 わたしが折木さんの真意を理解出来ていないので折木さんは説明をしてくれました。
「暑いな。窓を開けよう」
 窓を開けると夏の風が入って来てカーテンを揺らします。
「あの時、二人はまだ交際していなかった。伊原の告白を受けていたが里志はそれを拒否していたんだ」
「そうでした」
「そんな関係なら普通はどう呼ぶ?」
「ええと……伊原とか名字かあだ名かですか?」
「まあ通常はそうだろうな。言っておくが里志は俺たちとは小学校は違う。中学で二人は出会ったんだ」
「あ……」
 わたしは今まで折木さんが摩耶花さんと小学校以来の付き合いなので福部さんも同じと思っていました。
「つまり中学の三年間で、二人は心の中を慮る(おもんばかる)程の関係を築いていたと言う事なんだ」
 折木さんの言いたい事は判りました。摩耶花さんと福部さんは交際する前からお互いの心情を深く理解していた仲だったと言う事なのです。
 風の入って来る窓辺に立ちます。折木さんがそっと後ろに付いてくれます。
「わたしのお願い聞いてくれますか?」
「お願い?」
「はい。貰った翼の飛び方を一緒に考えてくれますか?」
 ここ数日思っていた事でした。わたしの一番大事な人だからお願いしたのです。
「ああ、俺で良かったら一緒に考えよう」
 折木さんはそう言って後ろからそっと抱きしめてくれました。嬉しさと恥ずかしさで体温が上がるのが判ります。でもこの状態が何時までも続けば良いと思うのでした。


                          、<了>