思いがけない事と言うのはあるもので、この事が俺と千反田の関係に影響を与えるとは当初は思ってもいなかった。
 年末も控えた十二月のある日、学校はとうに冬休みに入っていて、俺は惰眠を貪っていた。普段から早く起きて高校に通っているのだ。休みの時ぐらいは寝かせて欲しかった。だが、それを許してくれるほど我が家の主は優しくなかった。
「奉太郎。ここにゴミ袋出しておくから、あんたもゴミがあったらこの袋の中に入れておきなさいよ。わたしは、ちょっと出かけてくるからね」
 未だ十時だというのに起こされてしまったのだ。あくびをしながら階下に降りると、やけに大きなゴミ袋が居間に鎮座していた。
 中を除くと恐らく姉貴の部屋の要らない書類らしきものが大量に捨てられていた。俺は普段から余りこのたぐいは溜め込まない主義だが、ゴミなら多少あった。ゴミ袋ごと持って部屋に戻る。
 部屋の中で要らないものを袋に投げ捨てていたら、当たりどころが悪かったのか、姉貴のゴミの一部が袋から出てしまった。その中にB5サイズの能率手帳があった。我が姉貴はどんな事を書くだろうかと思いそれを捲ってみたのだが、どうやら昨年俺が高校入試の頃に海外に行った記録と言うかメモらしかった。あの旅行は確かアジアから中東を経て東ヨーロッパまで横断したのだった。確かインドのベナレスから手紙が来た。俺を古典部に入れさせる手紙だった。
 偶然と言うか捲った所が丁度ベナレスについて書かれた所だった。手帳にはベナレスに入った日時が書かれていた。そのページに気になる文言を見つけた。
『ベナレス市内で見つかれば良いが、見つからない時は領事館に相談』あるいは
『ここはヒンドゥー教最大の聖地なのでそちらも調べる事』
 等と書かれてあった。この文言が本当だとすると姉貴はベナレスに誰かを探しに行った事になる。
 インドと聴いて一番に思い出させるのは千反田の伯父の関谷純だ。千反田の言う事ではインドで行方不明になったと言う。まさか……。
 いや単なる偶然だろう。インドは広い。姉貴の用事と関谷純が行方不明になった国がたまたま一致しただけだと考えた。
 俺は先を捲った。そこには
『ガンジス河の南北約6kmに渡って伸びる河岸のガート(階段状の防波堤)で身を清め、市内の寺院に参拝すると言う。このガートも、500kmの間に、大小合わせて70以上もありるそうだ。その何処かで身を清めたのだろうか?』
 姉貴は明らかに誰かの行方を探しに行ったのだと判る書き込みだった。次のページには
『インド各地から多い日は100体近い遺体が金銀のあでやかな布にくるまれ、この地に運び込まれて来る。あるいは、インド中からこの地に集まり、ひたすら死を待つ人々も居る彼らは彼らはムクティ・バワン(解脱の館)という施設で死を待つそうだ。そこに記録があるのだろうか』
 もう間違い無かった。誰かを姉貴は探しに。あるいは足跡を探して行ったのだと思った。その事を鑑みても俺は関谷純の事が気になっていた。千反田は単にインドで行方不明になっていたと言っていたがもう少し詳しい事情は知らないのだろうか? 
 例えばもし関谷純が行方不明になった場所がベナレスなら、姉貴は何故それを知ったのか? またどうして行方を探す様な行動を取ったのだろうか?
 時計を見ると未だ十一時前だった。千反田に電話をしてみる事にした。年末で忙しいだろうが、少しでも事情を訊きたかった。
 千反田の家に電話をしてみると千反田本人が出た
「はい千反田です。あら折木さん。どうしたのですか? 昨日も逢ったのに」
 そうなのだ。ここの所毎日のように千反田と逢っている。逢うこと自体が嬉しくて仕方ない。一線は未だ越えていないが、時間の問題かも知れない。
「千反田。実は尋ねたい事があるんだ」
「はい。どんな事でしょうか?」
「いや電話では不味い事だ。お前の伯父の関谷純に関する事だ」
「伯父の事ですか……」
「ああ」
 電話の向こうの千反田は明らかに動揺していた。
「今日は逢えないかな?」
 俺の頼みに少し間があってから
「お昼に市内に出かける用があります。その後で良ければ時間がありますが」
「それでいい。俺もそれまでにお前に尋ねる要点を整理しておく」
「折木さんがそこまで言う伯父に関する事って何だか不安です」
「詳しくは逢ってから話すが、関谷純が行方不明になった場所は判っているのか?」
「はいバラナシです」
「バラナシ……」
「英語だとベナレスですね」
「なんだって!」
「もう時間なので続きは後で……多分お家にお邪魔出来ると思います」
 千反田はそう言って電話を切った。
 関谷純が行方不明になった場所がベナレスなら、姉貴はやはり関谷純の足跡を探してその場に行ったのだろう。他には考え難い。でも何故、姉貴はそんな事まで知っていたのだろうか? 
 そこまで考えて俺はある事が頭に浮かんだ。それは「神山令嬢倶楽部」の事だ。神山の名家旧家の令嬢だけが入会を許される秘密倶楽部。当然千反田も入会していた。本来なら我が折木家はその資格が無いが姉貴の場合は何かの繋がりで入っていたのでは無いだろうか? もしそうならあそこに入っていれば色々な情報を得る事は出来るはずだった。この前の時はまさか折木家には縁の無い話なので全く考えていなかったのだ。
 千反田を待つ間にポイントを押さえておく。ます、ベナレスで本当に行方不明になったのか? 次にその詳細。さらに「神山令嬢倶楽部」の事だ。
 それらがどう繋がって行くのか、それを考えていた。
 
 昼を過ぎた頃に家のチャイムが鳴った。出て見ると千反田だった。オフホワイトのコートを着ていた。
「こんにちは折木さん。昨日も逢ったのに今日も逢えるなんて嬉しいです。折木さんお一人ですか?」
「ああ、姉貴は出かけている。それでとんでもない事をかんえたんだ。ま、上がってくれ」
「それじゃお邪魔させて戴きます」
「今日は何で出て来たんだ? バスか?」
「はいバスです。今日はバスで帰ります。雪も降っていませんし」
 先日の事を言っているのだろう。あの日から俺と千反田の関係はかなり縮まった。千反田の気持ちも良く判ったし。俺の気持ちも理解してくれたと思った。
 上がってコートを脱ぐとリブニットのタートルネックのセーターを着ていた。
「この前の折木さんの丹前と同じ葡萄色です」
 体に密着したそれは千反田の体の線を露わにしていた。まあ千反田の胸に関してはそのボリュームも既に判ってはいるのだが、やはり制服姿を見慣れた目には眩しい。
「よく似合ってる」
「嬉しいです」
 その笑顔を見るならこれぐらいは言わないといけない。
 リビングに通して座らせ。この前と同じダージリンを入れて出す。
「ありがとうございます! 表は寒かったので温かい飲み物が嬉しいです」
 千反田はそう言って口を付ける。
「美味しいです」
「それは良かった。ところで実は、姉貴が俺達が高校に入る頃にベナレスに行っているんだ」
 俺の言葉に千反田は驚きの顔をして
「それは本当ですか! 供恵さんは何故あんな所まで行ったのでしょうか?」
「それを考えていたんだ。その為の情報をお前から訊きたい」
「はい折木さんの為なら何でもお話します」
 千反田は笑顔で紅茶を飲んでいる。その姿に見惚れながら
「関谷純は本当にベナレスで行方不明になったのか?」
「わたしが知る限りでは領事館からそのように連絡があったそうです」
「でも最初は確かマレーシアに向けて旅立ったと聞いているが」
 俺は千反田の向かい側に座って続きを訊く
「わたしが関谷の家から聴いた限りではマレーシアからタイに渡り、そこからバングラデシュを経由してインドに渡ったどうです」
「どうしてそこまで判ったのだ」
「伯父が滞在していたホテルの部屋にパスポートが残されていたそうです。そこから足取りが判ったそうです」
「そうか、では失踪するまでは連絡があったのか?」
「それは殆ど無かったそうです。たまに手紙が来るぐらいで、それも『これから何処何処んに行く』程度だったそうです」
 関谷純の足取りに関してはそれで判った。残りは
「もう一つ訊きたいのだが、ウチの姉貴は『神山令嬢倶楽部』と関わりがあったのか?」
 多分、あったのだろうとは思っていたが千反田の答えは俺の想像を上回っていた
「供恵さんは会員だったそうです。この前伺いました。何でも入須家の推薦で入ったそうです。『神山令嬢倶楽部』では強力な会員の推薦があれば例外的に家柄に関係なく入会出来るのです。供恵さんはそれは素晴らしい活躍をなされたそうです」
 多分そんな事だと思った。
「じゃあ、もしかして関谷家も会員なのじゃないか」
「はい関谷家も旧家ですから」
 やはりそうだ。姉貴と関谷家とは「神山令嬢倶楽部」を通じて旧知の間柄だったのだ
「折木さんそれはどのような意味なのですか? わたし気になります!」
 千反田の瞳の色が変わった。
「俺の想像だが、姉貴は関谷純の足跡を調べる事を関谷家から直接頼まれたのではないかと言う事さ」
「まさか……ではもしかして伯父が生きてる事もあるとか?」
「全く無いと言う事ではないと言う程度だがな……僅かだが可能性が考えられる」
 そうなのだ。全ては姉貴に問い正す事が大事だと思うのだった。