調理師学校では栄養学とか公衆衛生とか、あるいは食品衛生学とかその他諸々の食に対する学問の授業がある。それは専門的で中には本当にここまで必要とされているのか? と疑問に思うような内容もあるが、一応国が決めた基準をクリアしていなくてはならない。
 尤も、僕が入学した学校は、他の専門学校よりも進んでいて、知識の分野では国の基準を上回る内容を教えている。それはこの学校が本来は栄養士を育成するために作られた学校であることから来ている。
 昼間部は一年。僕の通っている夜間部は一年半となっている。昼間の部は判らないが夜間部は半年毎に試験がある。各科目のペーパー試験と調理の実習試験だ。調理は、日本料理、フランス料理、中華料理、そして製菓と四科目ある。それにこの調理の科目も驚くなかれ、ペーパー試験があるのだ。噂だとフランス料理の試験はフランス語で書かれていて、答えもそれでなくてはならないらしい。大体英語だってろくに出来ないのにフランス語なんて無理だろう。そう思っていたら飯岡さんが
「大丈夫だよ。料理の基礎的な用語だと思うよ。例えば『アッシェ』とかさ」
 そんな気楽な事を言っていた。ちなみに『アッシェ』はみじん切りのことだ。その位なら何とかなると思った。フランス料理の最初の時に先生が黒板に色々な料理用語をフランス語で書いてくれたからだ。皆、それをノートに書き写している。
 実技試験で最大の難題は日本料理で、厚焼き玉子を先生が見ている前で拵えるのだ。分量が決められていて。手順も教えられた通りでなくてはならない。
「試験前は卵をたくさん買って練習しなくちゃならないわね」
 節子さんもそう言っていた。門倉さんは
「私卵焼きは得意なんだけど、これは勝手が違うから大変よ」
 やはりそんな事を言っていた。
 僕はと言えば、厚焼き玉子なんて作ったことが無い。先生の実演を見て頭の中に手順を叩き込んだ。
 家を探すとやはり料理屋だけの事はあり、卵焼き器は幾つもあった。他の人は恐らく合羽橋か、東急ハンズで買っているのかも知れない。僕はその中で一番大きさが学校で使うのに近い大きさの卵焼き器を出して来た。それはかなりの時代もので、かつ長い間使われていなかったので表面がはげていた。
 このような時は、油を引いて焼きを入れるのだ。「焼きを入れる」とはフライパン等の金属の鍋等を使えるようにするために、薄く油を引いて火に掛けるのだ。すると鍋からはやがて白い煙が昇るようになる。これを暫くの間放置するのだ。煙が少し治まって来たら次の油を引くのだ。これを何度も繰り返して、鍋の表面に膜を作るのだ。この作業をすると、炒め物をしても食材がくっつかなくなるのだ。
 休みの日、僕は朝から卵焼き器にこの作業をした。初めての事だったが、良い出来だったと思う。
 今から思えば日本料理だけが個人の試験で、他の料理は各班ごとの共同作業だった。出来が悪ければ班の皆が落第をする。そう言うシステムだった。
 試験は九月の終わりに行われる。だから夏休みは僕は家の仕事の合間に卵焼きの練習をした。家の手伝いをして貰える金額のかなりの部分が卵に消えた。
 その被害を被ったのが家族だった。毎日僕が作った厚焼き玉子を食べさせられたからだ。後に祖母は
「これまで食べてきたのと同じぐらいの量を食べさせられた」
 と言い、他の者は
「暫く卵は見たくない」
 そう言ったほどだった。
 厚焼き玉子の焼き方は、卵焼き器に油を引いて火に掛ける。温まって来たら、お玉一杯ほどの卵に出汁と砂糖が溶けている溶液を流し入れる。卵焼き器を回してむらなく流したら、焼けて来るので、すぐに向こう側の端を箸で押さえて手首を返して卵の生地を最初は三等分に折りたたむ。卵焼き器の向こう側半分が空くのでその部分に油を引いて折りたたんだ生地を向こう側に流す。そしてこちら側に油を引いて、次の溶液を流し込む。今度は箸で先程の生地を持ち上げその下に新しい溶液を流し込むのだ。あとは焼けて来たら半分に折りたたむ。この繰り返しで溶液が無くなるまで続けるのだ。焼けたなら、お皿に取っても良いし、巻き簾に巻いて丸く加工しても良い。大切なのは手首を使って生地を返せるかだ。これはフランス料理のフライ返しにも通じるので料理人としての基本中の基本となる。これが出来ないなら料理の道は変えた方が良い。
 夏の暑い間。僕は海やプールにも行かずに家でガス台の前で一生懸命に練習した。そのおかげで手首を使って返すコツは判って来て。ちゃんと出来るようになった。後は、本番に弱い僕だから先生の前で上がらない事だけだった。

 九月になり二学期が始まった。節子さんと逢うのは久しぶりだった。たまに連絡を取っていたが、彼女は事務所の先生が海外に長期旅行に出かけてしまったので、その間事務所は休みで実家に帰っていたのだ。だから東京の僕とは、逢う事は出来なかった。
「ひ・さ・し・ぶ・り!」
「ホント、久しぶりにですね」
「なぁに。何か冷たい感じ」
「え、そうですか。そんな事ないですよ。東京に帰って来たら連絡くれるかと思っていました」
「そう、それは悪かったわね。でも電話で話した感じでは、連日、卵焼きの練習していたみたいだし。翔くんは私とは違って将来は家を継いで板前になるのでしょう? ならばここはちゃんと練習しないと駄目だと思ったの。デートなら試験が終わってからでも出来るでしょう」
 確かにその通りだった。試験が終わるまでは色恋に狂ってる暇は無いのが本当だった。
 九月の末になり試験が始まった。最初はペーパー試験が最初で、一日二課目ずつ済ませて行く。内容はかなり高度だが、結局は暗記する科目が多い、食中毒の事など教科書を殆ど丸暗記しないと駄目だった。
 ようやく、ペーパー試験が終わった。心配だったフランス料理の試験は確かに全問フランス語で書かれていたし、答えも半分は記号を選択。もう半分がフランス語の単語を書くものだった。どれもフランス料理の時間に先生が黒板に書いたものだった。全問とは行かなかったが殆どを書くことが出来た。
 そして試験の後半である実技の試験が始まった。フランス料理と製菓の組み合わせだった。二つの班が共同して作業に当たる。僕たちの班は節子さんが居る班と共同になった。失敗すれば連帯責任となる。
 フランス料理の課題は「デミグラスソース」を作る事。製菓は「スポンジケーキ」を作る事だった。
 僕たちの班が「デミグラスソース」を、節子さんの班が「スポンジケーキ」を焼く事になった。
 結果だが「デミグラスソース」は何とか及第点を貰ったが「スポンジケーキ」は温度を間違えて少し焦がしてしまったのだ。結果は不合格となった。二つの班全員が一週間後まで各自それぞれ「スポンジケーキ」を焼いて、提出日に先生に提出する事となった。レシピは黒板に書かれてありその分量で作らねばならない。
「御免ね!」
「すみません」
 節子さんの班長さんが僕たちにも謝ってくれたが、終わってしまった事は仕方ないと思った。自分の家で焼けば良いと思ったら僕は返って気が楽になった。
 そしていよいよ、日本料理と中華料理だった。中華料理は切り方の試験だった。これは簡単だったが、その代わりに卒業時に「中華料理」と言うテーマで論文を提出する事となった。これはこれで大変だったのを覚えている。
 そして日本料理の試験となった。五人ずつ前に出て先生の前で厚焼き玉子を焼いて行く。僕は思ったより緊張しなくてスムーズに出来た。手首の返しは完全に身につていたからだ。
 結果から言うと僕はクラス五十人中トップだった。皆が終わると、その場で先生が点数と順位を言ったので判った。
 最後に名前を呼ばれた時にはクラスの目が一斉に向けられた。正直恥ずかしかった。
「風間はきちんと手首の返しが出来ていた。箸は添えてるだけできちんと出来ていた。中々のものだったよ」
 その言葉が嬉しかったの言う間でもない。凡そ、人から褒められる事なぞ今まで一度も無かったからだ。この日からクラスで僕を見る目が少しずつ変わって来たのをその時の僕は未だ知らない。
 そして、問題が起きた。