目をつぶっていた節子さんが口を開いた。目は閉じたままだ。
「門倉さんもしかして泣き上戸なのかしら?」
 僕は、その時初めて泣き上戸とはかくあるものかと認識した。怒り上戸と酔うと説教を始める人とか酒乱は見たことがあったが、泣き上戸と言うのは初めてだった。
「そうかも知れませんね」
 僕の答えを聴いた節子さんはベットから起き上がった。薄明かりの中で浮かび上がったシルエットはそれは素晴らしいものだった。
 節子さんは壁に掛けたハンガーからスェットの上下を手に取りそれを着ると隣の部屋の門倉さんの所に行き
「どうしたの? 騙されちゃったの?」
 そう優しく門倉さんの肩のあたりを擦りながら尋ねる
「そうなの。私騙されたのよ」
「それ、誰にも言えなかったの?」
「うん、そうなの。だって、悔しくて悔しくて……私、お金も身も心も捧げたのに、あいつは遊びだったのよ」
 門倉さんの声は半分以上泣き声になっている。言葉の合間に泣き声が入る
「あんあんあん。私、初めての人だったの。だから夢中になって……馬鹿みたいでしょう。私馬鹿なのよ」
 段々嗚咽と言う感じになって来た。僕も只見ているだけには行かなくなった。僕もベットを降りて門倉さんの所に行き、後ろから門倉さんを抱きしめた。
「翔太くんありがとうね。今夜はその胸で泣かせてくれる?」
 とんでもない事を言うと思い節子さんを見ると『仕方ないわね』と言う感じでいる。それから門倉さんは向き直り僕の胸で泣き始めた。ぼくは仕方なく門倉さんの背中に手を回す。そのまま小一時間も経った頃だろうか、イビキを嗅いて寝ていた飯岡さんがいきなり起きて
「そんなにその男が良かったのかい?」
 泣いている門倉さんに尋ねたのだ。
「寝ていたのじゃなかったの?」
 節子さんが驚いて尋ねると飯岡さんはむっくりと起きて
「こんなにわんわん泣かれたなら寝ていられないよ」
 そう言うと門倉さんを自分の方に引き寄せて抱きしめた
「今夜は俺が抱いてやるから我慢しな」
 飯岡さんはそんな事を言うと、それまで泣いていた門倉さんは泣き声で
「だって飯岡ちゃん私の好みじゃないもの」
 そう言って満更でもない表情をした。
「と言う事で悪い」
 飯岡さんは僕たちと自分たちの部屋を仕切ってりつ襖を閉めてしまった。僕は節子さんの方に向き直る
「まあ仕方ないか。これで収まれば良いとしましょうか」
 確かに飯岡さんと門倉さんの問題だから他の人には何か言う権利は無いのかも知れない。でも部屋の主としては何も感じないのだろうか。そんな僕の気持ちを判ったのか節子さんは
「それも含めて仕方ないじゃない。これで二人が上手く行ったら私たちキューピットよ」
「節子さんはキューピットと言っても良いけど僕は全く違いますよ」
 可愛らしいキューピットと僕とでは全く似つかわないと思った。
 そんな感想を口にすると節子さんはベッドの上から僕の手を引き、ベッドの上にあげた。
「そんな事無いわよ。あなたはあの会場で一番光っていたわ。だから私は声を掛けたのよ」
 その目が真剣なのは薄明かりの中でもハッキリ判った。
「そんな事言ったら本気にしますよ。子供をからかうと火傷するかも知れないですよ」
 それが本心だったのかは今でも判らない。でもあの時僕は真剣だった事は確かだった。
 再びベッドに二人で横になる。節子さんはスェットを着たままだ。襖の向こうからは始めは泣き声が聞こえていたがやがてそれが甘い声に変わった。それが何を意味するのかぐらいは判ったが、それが本当の事なのかは判らなかった。只抱き合ってキスぐらいすれば聞えるような感じだったからだ。でも、それが節子さんの何かに火を点けてしまったみたいで、
「スェット脱いじゃおうかな」
 そんな意味深な言葉を口にした。
「脱いだら僕止まりませんよ。最後まで行っちゃうかもです」
「あら、もう知ってるの?」
「いいえ、未だ知りません」
「なんだ。じゃあ……」
「じゃあ?」
「このまま寝ましょう!」
「え?」
「だって、翔くんとそうなるなら、二人だけでもっとゆっくりした所でちゃんとしたいしね」
 確かにそれはそうだと思った。
「それが私の本気の気持ちよ。翔くんは?」
「そうですね」
 それしか言葉に出来なかった。本当は心臓が張り裂けるように鼓動が速くなっていて、頭もズキンズキンと脈打っていた。節子さんの甘い香りが鼻をついて、僕は正直おかしくなりそうだった。
 横になって節子さんの顔を間近で眺めていると不意に口が塞がれた。生暖かい感触が口の中を襲う。僕は口づけをされたのだった。
 呆然としている僕に節子さんは
「初めてだった?」
 黙って頷いた。
「じゃあもう一度。今度はゆっくりと感じて」
 再び暖かく柔らかな感触が襲った。僕は今度はその感触をじっくりと味わった。そしてキスは良いものだと思った。
「今度は別な場所でね。今夜はこのまま」
 それから僕と節子さんは抱き合って朝まで眠った。

 翌朝、やけにすっきりした表情で飯岡さんと門倉さんが襖の向こうから顔を出した。
「おはよう!」
「おはよう。昨夜は迷惑かけて御免ね」
 それを聴いて節子さんは仕方ないと言う表情をした。
「これからどうするの」
 そう二人に尋ねると飯岡さんが
「今日は京子を仕事を休ませて俺の家に連れて行くよ。俺の家ならゆっくりと寝られるし、それに昨夜のやり直しをするつもりだ」
 それを聴いて、昨夜は二人の間には僕と節子さんと同じような事しか無かったと思った。門倉さんが少し嬉しそうな表情で
「私たち交際することにしたの。結婚前提でよ」
 そんな事を言った。それは驚きだった。節子さんも
「決めちゃったの?」
 そう言って驚いている。飯岡さんが
「付き合って色々と相性が良ければ結婚すると言う事さ」
 そう說明をした。
「そうか、上手くやんなさいね」
 節子さんがそう言って二人を応援した。
 やがて二人は支度を整えると節子さんに礼を言って部屋を後にした。僕と節子さんの二人だけになった。
「コーヒー飲もうか?」
「いいですね。夜明けのコーヒーじゃ無いですがね」
「それは今度よ」
 節子さんはそう言って片目をつぶってみせた。