週末の事だった。金曜日の授業が終わると飯岡さんが僕と節子さん、それに門倉さんに
「呑んでいきませんか? 明日仕事ですか?」
 そう提案した。僕は特別用事は無かったし、家の仕事も明日は暇なことを確認していた。節子さんも
「明日は事務所休みだから良いわよ」
 そう返事をした。門倉さんは少し考えてから
「まあ、いいか。私が店に出なくてもスタンドは回るでしょう」
 そんな事を言って結局四人とも一緒に呑みに行くことが決まった。
「何処に行くの? 飯岡さん良い店知ってるの?」
 門倉さんが興味深そうに尋ねると
「そうだな。新しい居酒屋形式の店が出始めたんだよ。今日はそこに行って色々と参考にしようと思ってね」
 この頃、今ではすっかり定着している居酒屋がチェーン店化し始めた事だった。
「それは面白そうね」
 節子さんがすぐに賛同した。
「翔太くんは?」
「僕は何も知らないから、何処でも良いです。皆さんにお任せします」
 そう言って、繁華街でもある隣の街に歩いて行くことになった。電車に乗れば返って時間が掛かるからだ。 
 十分ほど歩くと小綺麗な黄色い看板の店が見えてきた。
「あそこですよ」
 飯岡さんの言葉に節子さんが
「何がお薦めなの?」
 食べ物の事を尋ねる。すると飯岡さんは
「大抵のものならメニューに乗っていますよ。それに、そこでは酎ハイがあるんですよ」
「酎ハイ? なぁにそれ?」
 さすがに門倉さんも知らないみたいだ。
「焼酎を炭酸で割ってレモンのスライスを入れたものです。飲み口が良く飲みやすいんですよ」
 今でこそ、何処の店でもあるが、この頃は焼酎とかホッピーは皆が知っている飲み物とは言えなかった。ビール、日本酒、それにウイスキー等が主流で焼酎は安酒場で呑まれるお酒と言う感覚だった。
 それが、焼酎に色々な風味の飲料を混ぜる事で飲みやすさが受けて、次第に広まって行った。
 店に入ると週末だからか結構混んでいた。飯岡さんは常連らしく店の人に片手で指を四本立てて見せていた。すると店長らしき人が
「奥の席が空いてますから」
 そう言って店の奥の仕切られた一角を指差した。
「丁度よい場所が空いていたね。あそこは個室みたいなものだから邪魔が入らないから丁度よいよ」
 僕と節子さんと門倉さんは飯岡さんに従って奥の一角に陣取った。すぐに店員がお通しを持って注文を訊きに来た。
「俺は酎ハイかな。皆は何にする?」
 飯岡さんが尋ねると門倉さんが
「じゃあ私もそれを飲んでみるわ」
 そう返事をして節子さんも
「私も試しに飲んでみる」
 そんな事を言ったので僕だけ生ビールとは言い難くなってしまった。
「じゃあ僕もそれで」
 結局四人が酎ハイを飲む事になった。すぐに運ばれて来たのはビールの中ジョッキに透明な液体とレモンのスライスが浮かべられたものだった。炭酸が入っているらしく細かい泡が立っていた。
「それじゃお疲れ様。カンパイ!」
 それぞれがジョッキを握った手を伸ばして軽く重ねた。
「ああ、美味しい。飲みやすいわね」
 門倉さんが真っ先に感想を言うと節子さんも
「ホント、飲みやすいわね」
 そんな事を言って結構な量を喉に流し込んだ。僕はと言うと元々お酒は飲めない方なのだが、これは飲めそうだった。
「確かに僕でも飲めそう」
「だろう。これからはこれが主流になるよ。将来は俺の店でも出すつもりなんだ」
 飯岡さんはもう自分の店を開く事を考えているみたいだった。
「さて何を食べるかな」
 テーブルに置かれたメニューには本当に色々なモノが載っていた。少しでも飲食業を知っている僕からすると、こんなに多くのメニューは仕込むのが大変だろうと思った。
「私、おでんがいいな。大皿で取って皆で突けば良いしね」
 早速、門倉さんが注文をする。飯岡さんはやはり焼き鳥だ。節子さんは少し迷って半片のチーズ焼きを頼んだ。僕は唐揚げにした。それと皆でつつくのに野菜サラダを注文した。
 最初のジョッキを直ぐに飲み干した飯岡さんと門倉さんは、二杯目の酎ハイを頼んだ。飯岡さんはホッピーも注文した。飯岡さんは濃いのを注文した様だった。ホッピーで割るのだろうか。少し飲み方が気になった。
 話が弾んで楽しい雰囲気となった。僕も節子さんも二杯目を頼んでいた。
「もう少し何かお腹に入れた方が良いよ」
 飯岡さんが注意をしてくれた。確かに空腹にいきなりお酒を入れたからだ。その言葉に従って厚揚げ焼きを注文した。厚揚げにかつを節がたっぷりと乗せられているやつだ。
 二杯目も半分ぐらい減った時だった。何だかテーブルが自分の座っている場所からやけに遠く感じるようになった。隣の節子さんも先程までは僕にくっつく様に座っていたのに今は手を伸ばさないと届かない所に座っている。
『これはおかしい』
 とすぐに感じた。酔っているのだろうか。正直僕は、お酒なんか余り飲んだ事が無いのだ。酔うと言う事は楽しい事だと僕の先輩諸氏は言っていたけど、正直僕は余り楽しくは無い状態だった。躰も何かフラフラしている気がするし、皆の声も遠い所で話している感じがした。この時僕は自分が酔ってる状態だと把握した。
「どうした風間ちゃん」
 その声をした方に振り向くと、飯岡さんが彼方の方角で僕の事を心配していた。でもその質問にすぐには答えられない僕。
「翔太くん大丈夫? 何だかおかしいわよ」
 節子さんも心配してくれる。門倉さんが遠くからグラスに入った水を差し出してくれた。
「ほら水飲んで」
「ありがとうございます。何だか皆さんが遠くに居る感じがして……」
 やっとそれだけを口にして門倉さんが出してくれた水を飲んだ。誰かが「酔い覚めの水値千金」と言ったが、酔い覚めでは無いものの、確かに酔った時の水は美味しかった。
「少し横になった方が良いよ」
 飯岡さんがそう言って場所を開けてくれた。
「すいません。二杯しか飲んでいないのに」
「二杯じゃないわよ。未だ残っているわよ。それより変な心配しないで休んでいなさいね」
 門倉さんに言われて確かにその通りだと実感した。実に情けないと思った。その後は眠ってしまったのだろう。暫くして、顔に冷たいものを感じて気がついた。
「あ、起こしちゃった?」
 節子さんが冷たいおしぼりを額に乗せてくれたのだった。
「ありがとうございます。本当に申し訳ないです」
「いいのよ。そんなこと気にしなくて」
 節子さんはそう言って、僕の頬を右手で撫でてくれた。柔らかい感触が僕を少し現実に戻してくれた。
「二人は?」
 門倉さんと飯岡さんの事が気になった。確か二人共お酒に強いと記憶していた。
「もう二人で盛り上がって大変」
 節子さんが、そう言って二人の方角に視線を移した。僕は節子さんに手伝って貰って起き上がって二人の様子を見ると、お互い陽気な声で何かを話している。どうやら飯岡さんの故郷の静岡の話らしかった。
「静岡も秘境があるんだよ」
「へえ~何処なの?」
「静岡は県の北部が南アルプスに掛かっているから、井川だとか山の方は本当に秘境なんだ。熊も出るしね」
「へえ~そこは温泉あるの?」
「ああ、あるよ。井川温泉って言って素晴らしい温泉があるんだ」
「今度皆で一緒に行こうよ」
「そうだね」
 二人の間では旅行の計画も進んでいるみたいだった。飯岡さんは門倉さんに酎ハイを勧めている。どうやら僕が眠っている間に焼酎をボトルで取って、飯岡さんはホッピーで、門倉さんはサワーで割って飲んでいるみたいだった。
「ね、盛り上がってるでしょう。私だけ残されてしまったのよ。翔太くんが居なかったから」
 節子さんはそう言って僕に怪しい視線を向けるのだった。飲み会はこの後更に盛り上がり、最後は大変な事態になる事を僕も他の皆も未だ知らない。