泰葉はワクワクしていた。何故なら、この春に地方の高校を卒業して、東京の大学に進学するために東京に出てきたばかりだった。憧れの都会にやっと出て来たと言う想いだった。
 住んでいる場所は大学からさほど遠くない場所で、二つ年上の従姉妹のあかねの所だ。あかねは先日このアパートに引っ越して来たのだが、如何せん一人では部屋の数も家賃も負担だった。
 既に社会人として働いているあかねだが、思ったより家賃が負担になっていた。そこへ従姉妹の泰葉が大学に合格して東京に出て来ると聞いたのでルームシェアを申し出たのだ。
 泰葉の親としても一人暮らしでは色々と心配だが、東京の生活に慣れたあかねなら安心出来ると考えたのだった。あかねも家賃や光熱費や水道代が半分になるので助かったのだ。
 泰葉とあかねは田舎では良く行き来していたし、従姉妹でも特に仲が良かったので一緒に暮らすには打ってつけで何の不安もなかった。

「それじゃ泰葉、わたし仕事だから先に出るね、。戸締まり宜しくね」
「判った! いってらっしゃい~」
 泰葉はあかねを送り出すと自分も大学に行く準備を始めた。大学は始まったばかりでオリエンテーションが終わってやっと科目を選択したばかりだった。今日から講義が始まるのだった。
 鍵を掛けて大学に行くために最寄りの駅まで歩いていく。東京に出て来たばかりの時は上手く電車に乗れるか心配だった。なんせ泰葉の実家のある町では駅はあるものの一両編成のディーゼル車が日に五本ほどしかやって来ない。反対の方向も数えても日に十本だ。
 殆どは朝と夕に振り分けられており、午前十時を過ぎると午後二時過ぎまで全くやって来ない。だから泰葉は雨が降らない限り高校には自転車で通っていた。
 町には高校生が遊ぶ様な施設などは全く無く、町内で唯一あるスーパーのイートインコーナーで紙コップに入った甘いコーヒーやコーラを飲むのが関の山だった。
「あ~早く卒業してこの町を出たい!」
 それだけが望みだった、だからこうして春になり東京に出て来たのは、まさに新天地に降り立った気分だったのだ。
 アパートから駅までの道のりも田舎の町とは違う。道の両側は家かビルが立っていて田圃や畑なぞありはしない。街の空気も肥やしの混じった匂いなぞしない。何処からか花の香りさえ漂っているのだ。
 東京に出て来て直ぐに泰葉はあかねに代官山に連れて行かれた。そこは泰葉の常識を覆す様な街だった。
 街並みが映画やドラマで見る風景と全く同じで、歩いている人々も自分とは住む世界が違うのだと思った。
 それに、見たことも無いお洒落な店ばかりで、そのガラス越しのテーブルに向かい合って座ってお互いを見つめ合ってる男女などは実際にこのような人が居るとは信じられなかった。
「こんな世界があるんだ……」
 それが正直な感想だった。それと同時に
「こんな所はわたしなどが来てはイケナイ場所だ」
 そう感じた。案内してくれたあかねは、完全にこの街に馴染んでいた。二年前は自分と同じで田舎の高校生だったのに、今では都会のOLになってるのが驚きでもあった。
 ぼおっと街並みを見つめていたら、あかねが
「大丈夫だって、泰葉もすぐ馴染むから」
 そう言って笑っていたのが印象的だった。

 駅に着いて定期券をかざして改札を通り抜ける。田舎の駅では駅員さんが切符を鋏でパンチを入れてくれたものだった。
 最初は戸惑ったものの、すぐに慣れて今では何とも思わずに使っている。代官山の街もそうやって馴染んで行くのだろうかと思う。でも自分にはあの街は似合わない感じがした。何だか人々が地に足を付けていない気がしたのだ。
 まあいい。当分は大学とアパートの二箇所を行き来するだけだと思った。そのついでに近所のスーパーやコンビニで買い物をすれば良いと思った。
 ラッシュ時を過ぎたとは言え、未だ電車は人が多い。座る事なぞ考えられない状態だった。でもこれにも既に慣れた。立って揺れる事も何とも思わなくなった。
 大学は楽しい。色々な地方から出てきた同級生と話をするのは楽しい。色々地方出身の子と話して感じるのは、田舎なら何処もそれほど変わりが無いと言う事だった。そこに妙な安心感を抱いた。
 昼になったので生協で何か買おうと向かう。学食で食べても良いが今日はいいお天気なのでキャンパスのベンチで友達と一緒に食べたかった。
 パンと飲み物を買ってレジに並んでいると、隣のレジに並んでいる男子学生と目が合った。その途端お互いに声を出していた。
「水島くん!?]
「神城さん?」
 神城と言うのは泰葉の名字だ。泰葉が「水島」と呼んだ学生は、泰葉が中学の時の三年間だけ同じクラスメイトになった男子だった。
 その頃泰葉の町では大掛かりな公共工事があり、その仕事に従事する為に家族で転校して来たのが水島だったのだ。
 泰葉の町の中学一年に転校して来たのだった。東京からの転校生と言う事で注目の的になった。
「やはり東京の子は違うわね」
「垢抜けているわね」
 そんな噂を絶えずえず耳にした。泰葉も姿形は兎も角、身のこなしや仕草などはやはち違うと思った。
 水島も明るい性格で積極的にクラスに馴染むようにしていたので、泰葉ともすぐに親しくなった。
 一緒に図書委員もした事もあるし、水島がインフルエンザで休んだ時はプリントを家まで持って行ってあげたりした。そんな行為を繰り返すうちに泰葉は水島に好意を持つようになった。だがそれだけだった。告白する勇気を遂に持てなかったのだ。それに都会の子の水島が自分の様な田舎の子に興味を持つとは、どうしても思えなかったのだ。
 だから卒業と同時に東京に帰る事になった水島に泰葉は満足な、お別れの言葉も告げる事が出来なかった。その事は泰葉にの心に未練として残っていた。それだからでは無いがとうとう高校の時は彼氏が出来なかった。幾つか告白されたのだが、どうしてもその気にはなれなかった。だから東京で、同じ大学で水島と出会った事が驚きだったのだ。この時泰葉心の片隅で「運命の出会い」があるならこんな事では無いかと考えた。

「中学以来だね。まさか神城さんがこの大学に進学してるとは思わなかったよ」
「水島くんもこの大学に進学してるなんて……」
「僕はこの大学の付属高校に進学したから、ここには通い慣れているんだ」
 二人は、キャンパスの庭のベンチに座って話をしていた。一緒にお昼を食べる友達の「頑張りなよ!」と言う変な声援を受けて水島と一緒にお昼を食べる事にしたのだった。
 水島は泰葉が想像していた以上に眩しく見えた。あの頃以上の笑顔。あの頃と変わらない気の使い方。泰葉は自分の長年の想いは氷解して行くのを感じるのだった。