車は亀岡市に入っていた。あと少しで到着する。助手席の千反田は夢中で外の景色を眺めている。
「綺麗なところですねえ」
「ああ、京都も嵐山を抜けてこのあたりまで来ると中々風光明媚と言っても良い景色が広がっているからな」
「宿に着くのが楽しみです」
 そう言ってニコリとした。

 最初は思いつきに近かった。ゴールデンウイークが近づいても千反田は研究所に通い詰めている。
「連休ぐらい休めないのか?」
 俺の疑問に千反田は申し訳なさそうに
「すいません。共同研究の相方が連休で帰省するので、わたしは休めないのです」
 そう言って悲しい顔をした。もとより千反田を責めた訳ではない。正直に言うと俺も連休は仕事が入ってしまって休めないので、千反田の都合を尋ねたのだった。
「そうか、それでは仕方ないな」
「でも、連休が終われば今度は交代でわたしが休めるのです」
 千反田はそう言って目を輝かした。
「そうか、三日ほど休めるか?」
 俺はこの時、休めると言ってもせいぜい二日程度だと思っていた。
「三日なら安めます。もっと休めるかも知れません」
 だから千反田がこのような事を言ったのが意外だった。
「そうか、ならば二泊三日で温泉にでも行こうか?」
 この時は軽い気持ちだった。俺も連休中の出社で代休になっていたからだ。どうしても行きたいと言う事より、こんな事を言ったならば千反田が喜ぶだろうと考えたのだった。それに千反田には陣出に帰りたくない訳があると思った。
 やはりと言うか千反田は本気にした。俺もそれならそれで良いと思っていた事は事実だった。
「ほんとうですか!行きたいです!」
 この時久しぶりに千反田の目の輝きを見てしまった。結局行くことになったのだが、行く場所は実は密かに考えていた。
 観光と言うよりも千反田と一緒に温泉で疲れを取り除いてリフレッシュするのが目的だからそれほど遠く無くても良い。会社の同僚にも尋ねて、京都の奥座敷とも言える「湯の花温泉」に決めた。そこに宿を取った。決め手は景色の良さと温泉の良さだった。露天風呂付きの部屋があるのでそれを申し込んだ。二人で誰にも邪魔されずにゆっくりとしたかった。
 部屋は洋室もあったのだが結局和室にした。部屋付きの風呂以外にも色々なお風呂があると言うのも売りだった。
 交通の不便な場所なのでレンタカーを借りようとしたら、同僚が車を貸してくれた。
「お土産よろしくな!」
 そんな冗談付きだったが、俺がこの春から千反田と一緒に暮らしている事を知っているので貸してくれたのだ。
 千反田が山の景色に見とれている間に車は宿に到着した。荷物を降ろしてから駐車場に車を駐める。
「予約している折木ですが」
「いらっしゃいませ。ご用意出来ております」 
 カウンターでチェックインを済ませると、仲居さんが部屋まで案内してくれた。
「こちらでございます」
 案内された部屋は十畳ほどの部屋に次の間が付いていて、そこには炬燵があった。きっと冬には炬燵にあたりながら酒でも飲んで外の景色を堪能するのだろうと思った。
 山の景色には神山で慣れているが、ここはまた格別の景色だと思った。仲居さんは
「今頃の時期でも夜は冷え込みますから、炬燵をご所望ならすぐにご用意出来ます」
 そう言ってくれた
「そうですか、冷え込む様ならお願いします」
 千反田がそう言ってポチ袋をそっと仲居さんに渡した
「あら、ありがとうございます!」
 仲居さんは、部屋についている露天風呂の案内をしてから、礼を言ってお茶の用意をして下がって行った。入れてくれたお茶を飲みながら
「一休みしたら風呂に入ろう。小さいが露天風呂付きなんだ」
 そう言うと頬を少し赤く染めて
「最初にそれを聞いた時は正直、恥ずかしと思いました。でも二人だけならとも考えました。温泉と言うと高校時代に古典部四人で合宿に行きましたね。楽しかったので今でも鮮明に覚えています」
 千反田にとっては良い思い出かも知れないが、俺にとっては、余り良い思い出は無い。
「そう言えばあの時、折木さんは湯あたりをしたのでしたね」
 やはり覚えていたみたいだ。目が笑っている。
「ああ、そうだった。部屋で寝ていたらお前が心配して来てくれたな」
「そうでした額に手をあててみると、未だ熱かったのを覚えています」
 そうだった。あの時千反田が余りにも接近したので、俺は緊張したものだった。
「あの時は一人で寂しかったでしょう」
「まあ、寂しいと言うより自分自身が情けなかったな」
「でも、その後首縊りの幽霊騒動もあり一緒に色々調べて楽しかったです」
「そして兄弟の事もだろう?」
「そうですね。わたしは一人っ子ですから兄弟が欲しかったですね。でも、このまま折木さんと一緒になれば、わたしには素晴らしい姉が出来ます」
「素晴らしいは余計だと思うぞ」
 そう言って二人で笑った。
「さ、風呂に入ろうか」
「はい、そうですね」
「先に行っているからな」
 そう言って浴衣に着替えて部屋に続いている露天風呂に通じる扉を開けた。初夏の心地よい風が体を包む。手前の小部屋で浴衣と下着を脱いで露天風呂に入って行った。湯をすくって体に掛けると程よい熱さが気持ちよかった。
 湯船に入ると外の山々が一望出来る。来て良かったと思った。両手で湯をすくって顔に浴びると温泉に入っていると言う気が湧いて来る。その時扉の開く音がした。千反田が入って来たのだ。
「入りますね」
 そう言って一糸まとわぬ姿でこちらに歩いて来る。この時の千反田の美しさは俺の言葉では表現出来ないと思った。この美しい人を俺は独占出来るのだと言う喜びは他に例えられない。
 長い髪はタオルで包んでいて、うなじの美しさが際立っていた。白い肌が午後の陽を浴びて輝いている。素直に言葉が出た
「綺麗だよ。明るい場所だと一層実感出来るよ」
 俺の言葉に千反田はすぐに反応して
「そんな、恥ずかしいです。毎日の事で見慣れているではありませんか」
「それはそうだが、今日は本当に美しいと思ったのさ」
 千反田はかけ湯をすると湯船に入って来た。
「こちらへおいで」
 そう言って手を引くと千反田は俺の両腕の中に落ちた。後ろから抱えて腕を伸ばして豊かな胸をまさぐると
「エッチです折木さん。未だ明るいし、それにここでは……」
 そう言って慌てる千反田に
「抱きしめるだけだよ。このまま一生このままで居たい気持ちさ」
 千反田が首だけを振り返り俺の目を見詰める。その口に自分の口を重ねる。
 唇を離すと僅かに糸が引いた。
「わたし怖いぐらいです。こんなに幸せで良いのでしょうか?」
「良いんじゃ無いか。今までならこの時期は陣出に帰らないとならなかっただろう? 農繁期だからな。猫の手も借りたい時期だ」
 千反田は俺に体を預けるように保たれて来て
「そうなんです。今は実家に帰ってもプロの農作業をする人が大勢居て、わたしなんかが居る場所はありません。だから帰りたくなかったのです」
 千反田の気持ちは判っていた。それだからこそこの旅行を考えたのだ。
 手の中に収まりきれない膨らみの感触を楽しむと
「わたしおかしくなりそうです。今日はわたしが湯あたりしてしまうかも知れません」
「そうなったら今度は俺が朝まで介抱してあげるさ。それに、そうはさせないから安心しろ」
 山々の間の陽はゆっくりと傾き始めていた。俺はこの時が本当に何時迄も続けば良いと思っていた。


 p-matu2                     <了>