京都の冬は、寒さが嵐山から降りて来るような気がしてとても寒いです。神山よりも寒いかも知れません。ここに来て六年目ですが、でも今年は一番暖かい冬になりそうです。
 それはお正月に学内で折木さんに出会ったからです。それは、わたしにとって運命的とも思える出来事でした。
 学内での仕事を終えた折木さんとわたしは一緒にお茶をすることにしました。こんなことなら先程研究室でお弁当など食べなけれな良かったと少し後悔しました。折木さんは
「朝が遅かったからお腹は未だ空いていないんだ。お前はどうなんだ?」
 そう言ってわたしのことを気遣ってくれました。
「実はお弁当を食べたばかりなのです」
 そう返事をすると
「じゃあ夕食は一緒に出来るかな?」
 そう尋ねてくれたので、わたしは嬉しくなり二つ返事をしました。
「はい、喜んで!」
 一緒に並んで歩きます。思えば高校時代はわたしが自転車を押して、二人で部活の後など薄暗くなった道を歩いたものでした。
 手が触れると折木さんはわたしの手をそっと握ります。わたしは手袋をしていたのですが急いで脱ぎます。折木さんは手袋をしていませんでした。
 「千反田、手が冷えるぞ」
 そう言ってわたしの手を自分のコートのポケットに握ったまま入れてくれました。ただ、それだけなのに、わたしの心はときめいてしまいました。記憶が確かなら高校時代も幾度か同じようなことをしてくれた事を思い出しました。
「暖かいです。前も同じことをしてくれたのを思い出しました」
「そうだったかな。あの頃は随分ドキドキしたものだが、人間て変わらないものなんだな。今でもちょっと心がときめいているよ」
 それはわたしも同じです。気持ちがあの頃に戻ってしまいました。
 街を歩いていても昨日まではカップルに目が行ってしまいましたが、今は気になりません。それはわたしには折木さんが居てくれるからです。
 行きつけの喫茶店に入ります。マスターが「おや」って言うような顔をして迎えてくれました。
「あけましておめでとうございます。今年もどうぞご贔屓に願います」
 マスターが挨拶をしてくれます
「あけましておめでとうございます。こちらこそ宜しくお願い致します!」
 そう返事を返します。奥の何時もの席に座るとマスターに
「今日はダージリンをお願いします。折木さんは何にしますか」
 そう尋ねます。折木さんはブレンドを頼みました。マスターが注文した持って来て置いてくれます。
「今日は何か嬉しいことがあったのですね」
 そう言ってくれました。
「判りますか?」
「はい、あなたの注文するもので判りました。紅茶は楽しい気分の時に飲むものですから」
 わたしと同じ考えでした。静かに笑って頷きました。
「いい感じの店だね。それに良い豆を使ってる」
 折木さんはそう言ってコーヒーを口に運びます。わたしは再会してから殆ど何も折木さんの事を知らない事に気が付きました。
「折木さんは今はどちらにお勤めなんですか?」
「会社自体は前と変わらないが、一年半の研修と試用期間を経て昨年の後半に関西支店に配属になったんだ。だから今度の会も俺が担当になったんだ。尤も担当と言っても単なるスタッフの一人だがな」
 では、折木さんは、随分前から京都に居たのだったと始めて知りました。
「京都にずっと居らしたのですか?」
 わたしの質問の意味を理解した折木さんは
「お前が大学に居るのは判っていたが、おいそれと顔を出せる訳じゃなし、こういうのは一種の運命だからな。それに俺はふられた方だからな」
 そうでした。わたしは今日出会えた喜びを忘れてはなりません。
「ではアパートは市内なんですか?」
「ああ、ここからバスで三十分ほどの所さ。お前はこの近くなのか」
「はいここから歩いても、そう遠くありません」
 この時、わたしは素晴らしいアイデアを考え付きました。
「あの、良かったら夕食はわたしが何か作りますから、折木さんのアパートで一緒に食べませんか?」
 完全に考えついた勢いだけで言ってしまいました。折木さんは一瞬驚いていましたが
「そうか、それなら二人だけになれるしな。人の目を気にすることもない。でも明日も研究室に行くのだろう? そっちはいいのか?」
「はい、明日は共同研究している者が帰省から帰って来るので、わたしは休みなんです」
 思えばこれもあからさまでした。まるで『明日休みだから今晩はあなたの家に押しかける』と言っているのですから。でも折木さんは笑って
「じゃあ、ついでに掃除もお願いするかな」
 そんな冗談を言うのでした。

 喫茶店をマスターに見送られながら、バス通りを歩いて行きます。かなり冷えて来ているはずですが不思議と寒くはありませんでした。通り沿いにあるスーパーで買い物をします。折木さんの好きな献立にしました。
「千反田の手料理なんて本当に久しぶりだな。楽しみだよ」
 そんな事を言ってくれますが、一人暮らしを始めてからは、ろくなものを作っていません。腕が落ちていなければ良いのですが……。
 バスで三十分と言っていましたが、それほど掛からずバス停に着きました。バスを降りると
「荷物を持とう」
 そう言って先程スーパーで買った品物の袋を持ってくれました。わたしはまた折木さんのコートのポケットに手を入れます。折木さんは左手に持った荷持を右手に持ち替えて、空いた左手をわたしが入れているポケットに入れてわたしの手をギュと握ってくれました。この時何故かわたしは心の底から嬉しさと安心感を感じたのでした。
 
 アパートは思ったより広く、充分に二人でも住める程の広さでした。
「一人では広すぎるとは思ったのだが、結構安くてな。ここに決めてしまった」
 そんな部屋の広さをわたしが見たのはきっと心の何処かで、折木さんと一緒に暮らせたらどんなに良いだろうと漠然と考えていたせいだと思います。
 わたしが料理を作ってる間に折木さんは部屋を片付けていました。でも、元々それほど散らかっていた訳ではありません。手持ち無沙汰を解消する感じでした。
 二人だけの食事が始まりました。この空間には二人以外は誰も居ません。わたしと折木さんだけです。昨日まではこんな事になるなんて全く思ってもいませんでした。
「俺も明日は休みなんだ。今日は泊まってくれると嬉しいな」
 それが何を意味するのかは、さすがのわたしでも判ります。あの時、わたしが別れの言葉を口にした時、折木さんは何も言わずわたしの好きにしてくれました。そんな折木さんに求められているのは心が震える程嬉しいのです。
 食事が終わり、片付けをします。この時わたしは重要なことを思い出しました。着替えを持っていないことを思い出したのです。そのことを言うと
「洗濯すれば良いよ。全自動だから乾燥までやってくれる。それから先は野暮だから言わないがな、とりあえず新品のバスローブはあるから」
 そうですね。折木さんのアパートに伺うと決めた時にもうこうなるのは判っていた事でした。お互いにそれを望んでいた事も判っていました。
 
 枕元の僅かなスタンドの灯りがぼんやりと二人を照らしてくれています。わたしはベットで折木さんの胸に抱かれながら、幸せを噛み締めていました。
「千反田、落ち着いたら一緒になろう……いいだろう?」
 わたしは、折木さんに口づけをします
「約束の口づけです。前の時は別れの口づけでした。もうそんな事は言いません。こんなわたしで良かったら宜しくお願い致します」
 折木さんはわたしの言葉を耳にして、もう一度強く抱きしめてくれるのでした。


                       <了>