d0063149_21351474 東京卸売市場足立市場(通称千住市場)は国道四号線の千住大橋に袂にある。正面を国道、脇を隅田川が流れている。今は荷物の入荷は全てトラックだが、その昔は国鉄や東武線の貨物の引き込み線があったりして、鉄道貨物や隅田川を利用した船なども使われていた。
 泰造はハンドルを握ると車を首都高の新富町の入り口に向けた。
「高速使うの? 奢ったねぇ」
 美菜がちょっとした驚きを伴って半場呆れている。
「そんなに時間変わらないんじゃない」
「そのちょっとが惜しい」
 泰造はそれだけを言うと黙って運転に集中した。
 車は首都高六号線の堤通で降りて、左折して堤通を千住方面に向けた。空いてる今の時間なら五分程で千住市場に到着する。
 築地と違うのは、ここは元は野菜のやっちゃ場もあったのだが、手狭になったので、やっちゃ場だけが足立の花畑に移動したのだった。だから今はこの場所は魚河岸だけが使用している。その為敷地に余裕があり場内の裏手に駐車場があるのだ。その一角に車を駐める。この場所も泰造がいつも駐める場所だった。
「ねえ、聞き込みしかしないの? 何か買わないと訊きづらく無い?」
「そうか? そんな事考えていなかったな」
 こんな時、美菜は意外と気を使うのだった。

 千住は築地ほど大きくは無い。場内の大きさが築地の半分強ぐらいだが、仲買の世代交代が進み廃業してる店がある。手広くやっている所はその廃業した権利を買い取って店舗を広げているのだ。泰造が行く「三上」や「中島水産」も広く使っていた。その中には無論「村上」も含まれていた。
 泰造は「中島水産」に顔を出した。痩せてはいるが陽気そうな男が店に居た。
「あれ、今日は築地に行ったと思いましたよ」
「いや、その帰りなんだ。ちょっと良いかな?」
 泰造の言葉に何かを感じた「中島水産」の支店長は裏の通路に泰造を呼び
「どうしたんすか? なにかありました?」
 そう言って泰造の顔色を伺った。この男は泰造が料理の世界では只者では無い事を良く知っている。
「いやね、隣の『村上』なんだけどさ。少し前に築地から移動して来た奴がいるだろう?」
「ああ。ほら、あの茶髪の奴ですよ」
 支店長の指差す方向を見ると、赤い髪をした中肉中背の若い男がホースで鮪を解体する調理台に水を掛けて鮪の血を落としていた。その脇では別な作業員が備え付けの電動のこぎりで冷凍鮪を柵取りしていた。今はこうしないと売れないのだと「三上」でも言っていた。
「あいつか?」
「どうしたんすか?」
 泰造は言うまいか迷ったが、横から美菜が
「あのね、『花村』の親父さんが行方不明なんですって。何か知ってる?」
 そう喋ってしまった。
「お前!」
 怒ったが後の祭りである。仕方ないと思ったが、支店長は意外な事を口にした。
「え? 『花村』のオヤジさんなら昨日も見ましたよ」
「は? そんな事無いだろう。だって娘さんが探してるし」
「いや、ちゃんと見た訳では無いですが、あれは……確かにオヤジさんじゃ無いかなぁ」
 千住市場に出入りしているなら何故店に連絡をしないのだ。それに確認しなかったが、優子の言った事は本当だったのだろうか? 仕入れに来る婿さんに確認しておけば良かったと後悔した。
「何処で見たんだ?」
「ほら、市場の正面入口の脇に松尾芭蕉の碑があるでしょう? 旧道沿いの」
「ああ」
「その碑の向かいに雑居ビルがあるでしょう」
 今は場外の店も無いがその昔は場外の店が出ていたビルだった。
「三階建ての?」
「そうです。誰かと車から降りて、あそこに入って行くのを見たんです。確認した訳じゃ無いけど、確かにあれは『花村』のオヤジさんでした……思い出したけど、その車を運転していたのも顔は見なかったけど茶髪だったなぁ。あいつかも知れないすよ」
「いや、ありがとう」
 泰造は礼代わりに真蛸を買った。その足で、先程オヤジさんを目撃したと言うビルに向かう。
 歩いても場内からさほどは掛からない。泰造の記憶では確かあのビルは誰も出入りしておらず。ビルの所有者も解体費用が掛かるので放置しているとの事だった。何の為にオヤジさんはこんなビルに出入りしているだろうか?
「鍵が掛かってるし、誰か出入りなんかしている雰囲気じゃ無いけどね」
 美菜がビルの入口のドアのノブをガチャガチャしながら泰造に報告する。
 確かに美菜に言われなくとも、誰も人の出入りがある雰囲気では無い。窓は泥が付着しており、窓の金属の縁は錆びて塗装も落ちていた。ビルの壁のヒビも修繕した感じは伺えなかった。
「確かにな……やはり見間違いだったのかな?」
「ねえ、優子さんて今でも店を手伝っているの?」
「そりゃお前、末の優子さんと長女の愛子さんの姉妹で、更に幼くて亡くなったけど、その上にも居たんだ」
「店をやってる婿さんて優子さんの旦那さん?」
「あ……違う! 確か婿さんは愛子さんの……」
「ねえ、もしかして、優子さんは今は店を手伝っていないんじゃ無いの。だから連絡先を店じゃ無くてわざわざ携帯にしたんじゃ無いかしら」
 泰造は確かに美菜の言ってる事もありだと思った。
「じゃあ、婿さんと愛子さんはオヤジさんの行方を知っていると言うのか?」
「だから市場でも騒がないんじゃ無いの?」
「帰ろう。帰って仕込みして『花村』に電話してみる。オヤジさんの行方を知ってるのかどうか」
 泰造と美菜は駐車場に戻り、蛸が車に積まれているのを確かめると店に向って車を走らせた。