もうかなり昔の事になる。
最近連載を終えたという峠を攻める漫画が登場する前の話だ。
俺と悪友の謙治は18歳で車の運転免許を取り、謙治は親が公認会計士をしているので親の車を乗り回していたし、俺も親の仕事を手伝っていたから家の車を乗り回していて、共に1年もすると大分運転にも慣れて来た。
こうなると、実際は兎も角、気持ちだけは上手くなった積もりでしるから、どこかへ行きたくなる。
そんな俺らにうってつけだったのが、ちょっとした山道や峠を攻める事だった。
こういう事はかなり早くから各地で行われていたらしい。

東京の東に住む俺らにとっては、そう言う場所は近くには無い。
一番近いのが茨城の筑波山だった。
今では電車も通り、秋葉原まですぐに来られるが、当時は常磐道さえ開通しておらず、国道6号線だけが頼りだった。
その当時、東京から車で6号線を下って筑波山までは2時間半は掛かった。
俺らは通常交代のドライバーも入れて3~4人で筑波に峠を攻めに行ったのだった。
そのころは規制なんかありはしないので、深夜の山道は走り放題だった。
それでも事故を防ぐ為に、毎週集まって来ていた連中でルールが作られた。

1、走行は深夜12時を過ぎてから行う。
2、2本ある登山道は片道走行として、表は下り、裏の登山道は登りとする事。
3、朝の3時を過ぎたら走行禁止とする。
4、発車の間隔は5分は開けること

大体こんなものだったと思う。
俺も謙治もルール作りに参加した。
表の道が下り専用になったのは、こっちの道が傾斜が緩やかだから、ドライバー次第で速度も技も工夫できるからだ。
逆に登りになった裏の道は傾斜がきつい。
パワー重視で登っていくのだが、そこでパワースライドやドリフト走行が見られる。
すぐに評判になり各地から走りに来たり、それを見る観客がやって来たりした。

謙治はこれに、夢中になりバイトをして金を貯め三菱のギャランGTOという車を中古で購入した。
謙治はなぜか三菱党で、GTOがあこがれの車だったのだが、この頃は排ガス規制ですでに生産されてはいなかった。
謙治はあちこちの車屋を回って程度の良いのをやっと手に入れたのだった。
そして、足周りを強化したり、エンジンを分解掃除したりと、知り合いの車屋さんに頼んで随分お金を掛けて整備したのだった。
俺は親が使っているブルーバードSSSに乗っていたが、この車は排ガス規制で牙を抜かれた狼の様で走らない事おびただしかった。

その日は、夕方になり謙治が急に「走りに行こうぜ」と誘って来た。
平日だったが、最近では土日はかなりの車が集まる様になってきたので、沢山走りたい奴は平日にくる事が多くなっていた。
「あした大学は?」
そう俺が訊くと
「もう単位はとってしまったから、ゼミだけだから大丈夫だ」
俺は親の仕事を手伝っていただけだから自由が利いた。
「じゃ、行こうか」
話は簡単に決まってしまった。

夜の九時のなると謙治は俺の家にGTOを横づけた。
「運転してみるか?」
そう言う謙治に甘えて運転させて貰う。
なるほど、名車と呼ばれただけの事はあると思った。
俺のSSSとはハンドルの切れが違う。
それに、規制前のエンジンはストレス無く吹きあがって行く。
パワーの出方も素晴らしい。
「やはり違うな!まるで自分の手足みたいに動くな」
そう俺が感想を言うと謙治は喜んで
「だろう!天下の三菱の傑作クーペだぜ」
まあ、正直GTOはクーペと言うよりハードトップと呼んだ方がふさわしいと思うのだが……

俺は結局、筑波までの道のりをGTOの運転をして、楽しんでしまった。
ウチのSSSとは違うと思い知ったのだ。
裏の登山道の入り口に車をつけると、上の方でライトの明かりが見え隠れしている。
何台かはもう来てるのだろう。
時計を見ると12時を少し回っていた。
平日という事もあり、途中で飯を食べたのでこの時間になったのだ。
運転を謙治と変わり、俺は助手席に座る。
「いいか?」
と謙治が訊くので「ああ」と答えると謙治はスロットルを目一杯踏みしめて行く。
「グオーン」というエンジンの音、タイヤが空回りして焦げる匂い。
1速にギヤを入れサイドブレーキを外し、クラッチをゆっくりと接続させて行く。
歯車が噛み合ったと思った刹那、GTOは「キユルキユル」という音と煙立をて、ゴムの焼ける匂いを残しながら坂道を猛然と登り始めた。
シフトチェンジを繰り返していると、瞬く間に最初のカーブが迫って来る。
そこをべた足でスロットルを踏みしめたまま通過していく。
高速コーナならヒール・アンド・トウで速度をコントロールしていくが、こんな登り坂のそれも最初のコーナではベタ足だ。

右に左に謙治はハンドルをコントロールしていく、段々速度が出て来るとカーブでわざと後輪を滑らせる様な事をする。
いわゆるドリフト走行だ。
これは下り坂だけでは無く登りでも行うのだ。
そして、最初の走行が終わった。
俺はストップウオッチで時間を測っていた。
「どのくらいだった?」
謙治が訊くので俺は
「9分40秒」
「かあ~、1分も遅いじゃんか」
「仕方ないだろう、最初だし、こんなもんだろう、それに後ろ滑らせ過ぎだ」
自分でも判っていたのだろう、それ以上は言わなかった。

薄暗い駐車場には知った車と顔がいた。
「珍しいじゃん平日に来るなんて」
一人がそう言うので、謙治が
「最近は土日はギャラリーが多すぎて」
そう言うとその男も
「全く、あまり有名になると警察の規制が入って来るからな」
そう言って憂いた顔をした。
俺が「そうなったらどうする?」
そう訊くとその男は
「他に行くしか無いかな。もっと田舎にね」
そう言って笑った。それを聴いて謙治が
「ここも相当田舎だけどね」
それを聴いてそこに居た10人ほどが皆笑った。

「ああ、そうそう、変な噂があるから一応耳に入れておくよ」
先程の男が俺達の所にやって来て
「下りのゴールから登りの入り口までの道でなんか見たヤツが居るそうなんだ。見間違いかも知れないけど。無視したほうがいいってさ」
そう真面目な顔をして言うのだ。
「なんかって、何? お化けとか?」
「まあ、そのたぐい、だから見間違いだと思うけどね。一組はそれを怖がって、今日は辞めると言って帰って行ったけどね」
あくまでもその男は真面目に話してるので俺と謙治は「判った。ありがとう!」
そう言って礼を言った。
いったい何が出るというのだろうか……

「下りは、走るか?それとももう少し休むか?」
謙治がそう訊いてきたので俺は
「1回ぐらい走るかな」
そう言って運転席に座った。
その間にレストハウスの自販機でコーラを買って来て1本を俺にくれた。
「サンキュー」
礼を言って開けて口をつける。
甘い刺激のある感触が口内を満たす。
「それじゃ行きますか」
俺は短く言うと車を静かに動かした。
先程の連中はすでに先に降りて行ってしまっていた。
レストハウスの駐車場には俺達だけだ。

ヘッドライトが闇夜を照らしてその行き先を見据えている。
都会じゃ良く判らないが、この様な明かりの乏しい場所に来ると車の明かりの有り難さが良く判る。
その明かりの先に降りて行く道が照らされている。
俺は静かにその入口に車をつけた。
静かに車の鼻先を下りのコースに入れる。
下りは登りの様に、スロットルペダル全開という訳には行かない。
ちなみに俺らが良くアクセルというのは間違いで、正しくはスロットルペダルという。
アクセルというのは、本来はアクセルワークと言い、必要なタイミングに必要な分だけ、
正確にタイヤへ駆動力を与えてあげる事を言う。
つまり、車のコントロールをスロットルペダルの踏み加減でコントロールすることをアクセルワークと言って、それを省略したのがアクセルと言ってそれが定着したのだ。
だから本来の意味で勘違いしない様にするためにスロットルと言うのだ。

カーブで速くまわるには、アウト・イン・アウトと呼ばれるコーナーワークと
スローイン・ファストアウトと呼ばれるスピードコントロールが重要になる。
アウト・イン・アウトとはカーブを回る時のコース取りで、初めはコナーに入る時はコーナーの外側から入り、真ん中では内側、そしてコーナーを抜ける時は再び外側にハンドルを切る事を言うのだ。
これによって、最短距離でコーナーを抜けられるのだ。

もう一つのスローイン・ファストアウトとは、コーナーに入る時は低速で速度を落として安全に入る。
これはコーナーでも見通しが悪い箇所等があるために、最初は低速で入り、コーナーを抜ける時は先が見通せるので速度を上げて抜けるのだ。
実際はコーナーの先端を車の鼻先が抜けたら、スロットル全開で行くのだ。
まあ、これは俺たちがこうやってコーナーを速く走る時の走り方なのだが……

車は良いエンジンの音をさせて下って行った。
GTOのハンドル感覚は素晴らしく、まるでラック&ピニオンを思わせるしっとりとしていて、ダイレクトな感覚がたまらなかった。
実際はボール&ベアリングに違い無いのだが……
高速コーナーを抜けると次はタイトなスプーンカーブだ。
スプーンカーブとはその名の通り、スプーンの様な形状のカーブの事を言う。
俺はそのコーナーをリアタイヤを滑らせてドリフト走行しながら抜ける。
「おお!ごきげんだぜ」
助手席で謙治が陽気に叫ぶ。
右、左、右また左とハンドルを切り、スロットルペペダルの操作で高速で各コーナーを抜けて行く。
そして、最後の直線を全速で駆け抜ける。
謙治が時計を止めるのが視界に入ってた。
「時間は?」
「7分45秒」
「30秒切れなかったか」
「久しぶりなら上出来だよ」
一気に緊張感が抜けて行く。
この感覚も実はたまらないのだ。

見ると、俺らの後ろから一台ゆっくりと降りて来る車があった。
トヨタのセリカクーペだ。
さっきの奴らの車のはずだった。
その車は俺らの横に止まると
「途中で見させて貰ったけどいい走りだったね」
そう言って褒めてくれた。
「ありがとう!もう少し走れると思ったんだがね」
そう俺が言うと先程の男が
「あれだけ出来れば何処へ言っても肩身の狭い思いをすることは無いよ」
そう言って笑っていた。
「俺達はもう少し走りたいから先に行くね」
男はそう言ってセリカを走らせて闇に消えて行った。
ここの表の入り口から裏の入口まで賞味15分は掛かる。
これは正規の県道を走った場合だが、俺達はもう一本裏側の道を走る。
そうすると8分で行くのだ。
あいつらもその道を行った。

俺たちも何時もの様にその道を進んでいた。
真夜中なのでヘッドライトが浮かぶ範囲以外は何も見えない。
遠くに小さな交差点が見えて来た。
この近道で唯一の交差点だ。
交差点というより単に道が交わっただけの場所という感じだ。
だが、ここには街灯があり、青白く光っていて周りりを照らしていた。
その交差点を過ぎると又、真っ暗な道となる。両側は雑木林が延々と続いている。

もう5分以上は続けて走っていた。そろそろ県道に出る交差点が見えて来ても良いはずだ。
そこはさっきの場所とは違いオレンジの街灯があったはずだった。
しかし、見えて来ないのだ。
「道を間違えたか? まさかな、1本道だ間違うハズが無い」
そう呟きながら運転をしている。
謙治はさっきから黙ったまま一言も口を開いていなかった。
「なんか変だな」とは思っていたが口には出さないでいた。
でもそれも限界だと思った時に前方に明かりが見えて来た。
だがそれはオレンジでは無く青白い蛍光灯の明かりだった。
「さっきの交差点だ」
思わず呟いた。間違い無い、ほんの5分前に見た景色だった。
思わず我慢出来ずに隣の謙治を見ると謙治も俺を見て
「ここさっきの場所だよな?」
そう俺に呟いた。俺は
「道間違えてしまったかな?」
そう行って今度は交差点を左に曲がって走り出した。
そうなのだ、俺の思い違いで道を間違えただけなのだ。
俺は完全にそう信じていて、さっきよりもスロットルを踏む力が強くなっていた。
真っ暗な雑木林の中を俺たちは先ほどよりも早い速度で走り抜ける。
未だか?と思っていると謙治が
「あ、明かりだ」
そう言うので俺も一瞬だが安堵した。
だがそれは先程の蛍光灯の明かりだった。
「ここ、またさっきと同じ場所じゃんか」
謙治が呆れた様に俺に言う。
「初めとは違う道だぞ」
そう俺が言うと謙治も
「ああ、それは俺も判ってるよ」
そう言って謙治は車の外に出て見る。
そこは真っ暗な闇が支配する世界だった。
「おい、気味悪いから中に入れよ」
俺はそう謙治に言うと謙治は中に入って来て
「今度はここを右に行ってみよう」
そう言ったので俺も賛成をした。
いくら何でもどの道を行っても同じ場所に出て来るなんてありえないと思ったからだ。
スロットるを踏みしめ俺は今度は慎重に車を動かす。
この道も両側は雑木林で囲まれている。
やがて、また明かりが見えて来た。
そこは……先程の蛍光灯の街灯の下だった。
呆然とする俺たち。
「いったいどうしたんだ? 狐か狸に化かされたのか?」
俺は誰に言う出もなく、ひとりでに呟いていた。

気がつくと謙治の様子がおかしい。
「どうした?」と訊いても何も言わない。
俺は仕方ないので又、車を動かした。
今度は地図を出して確かめ、間違い無く真っ直ぐだと確信して先に進んだ。
程なく行くと道の脇で白い着物を着た女の人が立っているのを発見した。
その人の横を通り抜ける時に謙治が
「なあ、あの女の人にも載ってもらおうぜ、そうすれば今度は何も起こらないかもよ。俺たち呪われてるのかもよ」
そう言うのも一理あるので俺は車を止めて、後ろを振り返った。
ところが行き過ぎたのか、車からは良く見えなかった。
「ちょっとバックするか」
俺はそう言ってギヤをRに入れてスロットルを踏んだ。
ウニューンウニューンという音を出して車は後ろへ進む。
先程の場所と思しき所へ着いたが、そこには誰も居なかった。
未だ、白い布でも木に掛かっていれば見間違いと言う事もあっただろう。
だがそこには誰も居なかったのだ。
不意に謙治がおかしくなった。
「でた! 出たんだよ!幽霊だ!俺たち幽霊に取り憑かれたんだ!」
深夜の闇を引き裂く様な大きな声で絶叫すると、謙治は今度は薄笑いを浮かべるのだった。

その後、俺は明るくなるまでそこに留まり、その後家に帰った。
謙治はその後、診療内科で治療を受けている。
そう言えば、あれから、筑波に行っても、あの夜合った10人とは二度と会えないままだ。
他の知り合いに訊いてもようとして行方は判らない。
もしかしたら、永遠にいまでも、あの道を廻っているのかも知れない……