新年も「小正月」と言われる十五日を過ぎると正月気分は全くと言って良いほど無くなってしまう。
「今年は何時もより寒い気がするのだけどねえ」
 母が縁側に出て、咲き出した梅の花を見ながらつぶやくように言う
「まあ、そんな気はするわね。でも統計を取ってみると、そんなに変わりは無いと思うけどね」
「気持ちの問題よ。あんたは、そういう感覚が鈍いのよね。育て方を誤ったかしらね」
 母が手にした湯のみには梅干しと白湯が入っていて、箸で崩して少しずつそれを口にしている。
「お父さん似なのよ」
 確かに、昔は今よりさほど寒く感じなかった事も事実だが、わたしは自分たちが歳を取ったのも原因だと思っていたのだ。
「ねえ、小正月に煮た小豆、餡子にして凍らせてあるのでしょ。それでお汁粉しない?」
 我が家では小正月には小豆を焚く。小豆粥にする習慣が残っていて、今でもそれを行うのだ。その残りを粒餡にしておくのだ。
「いいわね。お昼はそれにしましょうか」
「熱々でね」
 母の楽しみそうな声が聞こえて来る。毎年の事なのだが、寒い日には不思議とお汁粉が食べたくなるのだ。それもお餅をいれた奴が。
 冷凍庫から餡が入っているタッパを出して電子レンジで解凍する。ついでに真空パックのお餅も食べるだけ封を切って取り出しておく。
「幾つ食べるの?」
「二つね」
 自分の分と四つ出して、焼くためにガス台に焼き網を乗せてお餅を乗せる。解凍した餡を鍋に入れて火に掛ける。少しだけ水を入れる。完全に溶けたら更に水や砂糖を入れたりして味を整える。
 お餅が膨らんで来たので箸で摘んで鍋に移して行く。もうすぐ熱々のお汁粉が出来上がる。
 湧き上がったので火を止めて、お椀によそって行く箸をお盆に乗せ、冷凍庫から壺漬けを出して小鉢に入れて一緒に持って行く
「お待ちどう様」
「わあ、美味しそうね。お茶は入れておいたわよ」
「熱いうちに食べましょう」
 お汁粉は甘さも塩加減も丁度良かった。甘さと熱さが体に染み渡る気がした。口にお汁粉を含むと小豆が口の中で軽く潰れる感触が心地よかった。
「ちょうど良い塩梅ね」
 母も今日の味には満足してくれたようだ。お餅も柔らかく煮えていて、表面のカリッとした感じも心地よい。
「ね、覚えている? あなたね。子供の頃チョコレートなんかは食べられたけれど、餡子とか和菓子が全く食べられなかったのよね」


 そう言われてみれば幼稚園の頃はそんな感じだったかと思いだした。
「よくそんな昔の事覚えているわね」
「当たり前よ。続きがあるのよ」
 思わせぶりな母の表情に、お汁粉を食べたがったのは、この話がしたかったのだと理解した。
「どんな続き?」
 わたしの言葉に母は嬉しそうに話し出した。
「あれは、あんたが幼稚園の年長さんの時だった。小学校に入学するのでランドセルなんかを東京のデパートに買いに来た時だったわ。お父さんは仕事だったか ら平日だったと思う。帰りに一休みしたくなって、デパートの近くにあった有名な甘味処のお店に入ったのよ。今のように気軽に入れる喫茶店なんかも少なかっ たし、女のわたしとあんただけだったから、ちょっと怖かったしね」
 それを聞いて、そんな感じが当時はしていたと思いだした。そう、女だけで気軽に入れるのは甘味処だけだったと聞いた事があった。
「入って何を頼もうかと思ったけど、あんたは和菓子が苦手だったから、アイスクリームを頼んだのよ。わたしはお汁粉を頼んだの。出て来たお汁粉を見てね、 『自分も食べてみたい』ってあんたが言い出したのよ。わたしは、どうせ一口ぐらい食べてみるだけだと思ったから、食べさせたのよ。どうしたと思う?」
 その時の事はぼんやりだが覚えている。ランドセルを買って貰ったのが嬉しくて、早く小学校に通いたいと思ったからだ。
「半分ぐらい食べたのだっけ?」
「嘘よ、全部食べたのよ。仕方ないからもう一つ頼んだのよ」
「アイスクリームは?」
「二人で半分ずつ食べました」
 そうか、そうだったのかと思った。記憶ではアイスとお汁粉が混ざり合って、小豆味のアイスクリームを食べたと思っていたのだ。人の記憶は時にいい加減だと思う。
「それからよ、あんたが急に和菓子を食べるようになったのは」
 今では、洋菓子も好きだが和菓子はもっと好きになっている。繁華街に行って気分が高揚していたのだろうか? きっと普段と違った感じがしたのだろう。
 甘さに慣れた舌に壺漬けの程よい加減が美味しい。甘さと醤油の混ざった感じがお汁粉に合うと思った。


「庭の梅、良く咲いたわね。今年も豊作かな」
「楽しみね」
「漬けるより、食べる方でしょう!」
 冗談を言うと母が嬉しそうに笑う
「当たり前じゃない。今年の実も何時かは食べるのよ。わたしが死んだら仏壇に梅酒の梅お供えしてね。約束だから」
「シワシワの方? それとも」
「皺の無い方よ。当然でしょう」
 やはり母の食べる事に対する気持ちは変わらないのだと改めて思った。

 朝大学に行った息子がもう帰って来た。
「お腹すいたけど、これから図書館に行くから簡単に食べられるもの無い?」
 そんな事を言って台所をウロウロしている。わたしは
「お汁粉ならあるわよ。お餅を入れて食べる?」
「お汁粉かぁ。じゃあ、お餅三つね」
 作ってやると、ふうふうしながら食べる。
「たまにはいいね。俺、酒も甘いのも両方平気だから」
「お父さん似なのね。わたしは、お酒より甘味だからね」
「ごちそうさま、頭脳労働には甘いのが良いそうだよ。これで図書館での勉強が進めば良いけどね。じゃ、行って来る」
 息子が、そう言い残して出て行った。振り向くと母がちょっとがっかりした顔をしている。
「どうしたの?」
「もう少し食べようかと思っていたら、全部たべられちゃった」
「あとで小豆買って来るから、明日も食べましょう」
「そうね。それなら我慢する。今度も大納言にしてね」
 笑った母の顔が先ほどの息子の顔に重なって見えた。