共幻文庫第9回短編コンテスト落選作「お星様とギタ」ーを、色々な方のアドバイスを受けて改稿してみました。
その上で「星の砂ショート・ショートコンテスト」に応募しましたが落選しました。

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 純ちゃんは世間では殆ど知られていないロック歌手だった。橘純平(たちばなじゅんぺい)、通称「純ちゃん」だ。アコースティックギターを抱えて切れの良い演奏しながら歌うスタイルだった。
 知られていないと言ったのは、メジャーデビューしてないからで、ライブハウスで演奏する時は何時も満員だった。その殆どが女の娘で溢れかえっていた。
 ステージで見せてくれる表情やその姿は私達を熱くさせてくれた。誰かが
「純ちゃんは艶っぽいわよね」
「抱かれたい!」
 と言っていたのが耳に残った。私はそんな事今まで考えた事なかったが、ステージの純ちゃんが色っぽい人だと言う事には納得した。
 私は純ちゃんがライブハウスに出演する時は必ず行って前の壁際で見ていた。たまにだが純ちゃんの汗が飛び散って来たりして、そんな時は何かときめいたものだった。
 周りの娘は夢中で声を上げていたけれど、私にとっては純ちゃんの汗の匂いが宝物だった。
 そんなある日、私は純ちゃんのライブハウスでの演奏が終わるのを通用口で待っていた。所謂『出待ち』で、ひと目でも姿を見たかったからだ。
 通用口から出て来た純ちゃんはギターを肩に掛けて重そうな鞄を持っていた。通用口の脇にある自販機を見ると飲み物を買うために荷物を一端降ろしてポケットを探り始めた。その姿を見て私は今買ったばかりのミネラルウオーターを差し出して
「あのう、水ならこれどうぞ。今買ったばかりですから」
 そう言って恐る恐る差し出した。
「え、ああ、ありがとう! いいの?」
「はい、よければ飲んで下さい」
 私の言葉に純ちゃんはキャップを捻って美味しそうにミネラルウオーターを飲み干した。近くにいる純ちゃんからは何か特別な匂いを感じ私はドキドキした。
「ああ、旨かった。値千金だね酔ってないけど」
 純ちゃんは少し古い表現で水の美味しさを表現した。やはりシンガーソングライターだから言葉にもこだわるのかなと思った。
 飲み干してからポケットを探っていた純ちゃんは少し困った顔をして
「今細かいの無かったと気がついたよ。代金どうしようか?」
「そんな、いいんです! お金なんて要りません」
「そうも行かないよ」
 困った顔で暫く考えていた純ちゃんは
「じゃあ一曲ここで弾くから聴いていて」
 そう言って肩のギターを降ろして、傍にあったベンチに腰掛けると自作の曲を弾き始めた。今日のライブでは歌わなかった曲だった。それは偶然だったかも知れないけれど、私が一番好きな曲だった。気が付いたら一緒に口ずさんでいた。少しばかり残っていた他のファンの娘達も一緒に口ずさんだ。
 うらぶれたライブハウスの通用口が暖かい雰囲気に包まれた。曲が終わると一斉に拍手が起こり、純ちゃんは笑顔で一礼した。
 名前を尋ねられたので「陽子」と自己紹介した。嬉しくなり、涙を見られないように見上げると夜空には綺麗なお星様が光っていた。
 それから、私は前よりもライブハウスに通うようになった。純ちゃんもあの日以来、私の姿を見かけると声を掛けてくれるようになった。周りの娘から随分と羨ましがられたっけ。

 高校が早く終わった私は学校の帰りに評判のパスタ屋さんに友達と行くことにした。午前中で終わった学校の帰りに食事をして帰ろうと相談が纏まったのだ。
 十二時を大分回っていて会社の人はもう食べ終わった時刻だったらしく、お店はテーブルの上に食べ終わったお皿が並んでいた。それをお店の人が片付けていた。
 人が足りないのか、ホールの人だけではなく、厨房の人も一緒になって片付けていた。その白衣を着た人に見覚えがあった。丁寧にお皿を重ねて行き、テーブルもきちんと拭いていた。
 その人はギターを抱えて歌ってる夜の艶やかな姿ではなく、地味なそれでいて誠実な仕事ぶりがステージの姿とダブった気がした。
「純ちゃん……」
 口に出してはならないと思ったが反射的に出てしまった。私の声を耳にして白衣の純ちゃんは思わず顔をこちらに向けた。
「陽子……ちゃん」
 後で知ったのだが純ちゃんはこのお店の厨房でアルバイトをしていたのだった。
「マイナーレーベルで何枚か出しているぐらいじゃ食べて行かれないからね」
 後で純ちゃんが私に言った言葉だ。
 純ちゃんは数枚、マイナーレーベルから出していたが売上は期待出来なかった。今から思うと、その頃だったのだろう、随分と色々なオーディションを受けていたみたいだった。
 結果は、どれも駄目だったのだろう。お店に通うようになった私はロック歌手の純ちゃんではなく、パスタ店のアルバイトの純ちゃんと付き合うようになった。普段の純ちゃんからは厨房の匂いがした。それも私は好きになった。
 交際と言っても手を繋ぐのにも数回のデートを重ねないと出来ないような初な関係だった。
 そんな交際をしていたある日、喫茶店で思いつめたように告白された。
「真剣に付き合ってくれ! 歌は諦めて真面目に料理に精を出すよ」
 真面目な顔で言われ。正直戸惑った。私は、ロック歌手のこの人を追いかけてここまで来たのだろうか? それともコック見習いのこの人を追いかけていたのだろうか? 直ぐには答えは出なかった。
「嬉しいけど少し考えさせて」
 一週間の猶予を貰った。その間にも純ちゃんはライブハウスに出演した。勿論いつもの場所で見ていた私。相変わらずカッコイイ! やはりステージの純ちゃんは特別だと思った。でもライブが終わる頃に突然純ちゃんは、いきなり引退宣言をした。これは驚きだったし、周りの女の娘は半狂乱になる娘もいた。
 でも、私には再度のプロポーズに聞こえた。本当は直ぐにでも結婚に向けて歩き出したいと思っているのでは無いかと感じていたのだが……この時、私は決断した。いいや決断出来たのだ。純ちゃんは私の
「もっと頑張れば時代の波に乗って売れるかもよ」
 そんな言葉に
「時代なんてものは所詮たまたま巡ってくるものであって、追いかけるだけ無駄だよ。俺は別なものを追いかける事にしたんだ」
 公園でギターを爪弾きながら私に言ったけ……。

 あれからどのくらい経ったろう。今夜も綺麗なお星様が出ている。夫が店を閉めてから使い古したギターを出して来た。
「さて、星が綺麗だから一曲歌うかな」
 店の窓際の席に腰掛けて「ピーンピーン」とギターをチューニングする。
「ところでリクエストは?」
 私は、あの夜の曲をリクエストする。今でも私の一番好きな曲。
「お安い御用さ!」
 私は店の灯りを少し落として彼の周りだけが明るくなるようにする。
「はじめていいよ!」
 その声で曲を弾き始める。あの頃と変わらない歌声、そして演奏……。
 歌手として時代は巡って来なかったけれど、こうして店も持てた。
 そして今夜は私だけの為のコンサート。
 涙が溢れないように見上げると窓の外の夜空には綺麗なお星様が光って、私だけのスターを艶やかに照らしていた。


                                                     <了>