戦争が激しさを増していました。暮らしは段々苦しくなり、嫌でも自分達にとって不利な状況になっているのが判っていました。そんな不安な気持ちが人々の心に入り込み世情も荒廃し始めていました。
 そんな時でした。窓の外では飼い犬のポチが吠えていて、私は来客でも来たのかと窓から家の門の方を覗くように見ました。すると、ポチが懐かしい人に甘えていました。その様子を見て自分も心が浮き立つのを感じました。
 私は食べかけのチョコレートを銀紙に包むと、冷蔵庫にそれをしまって玄関に向かいました。今時チョコレートなどとは贅沢ですが、父の仕事の関係で何とか手に入れてくれたのです。勿論秘密です。恐らく今時この近所でチョコレートがある家などは私の所しかないでしょう。
 家の中でも暖房が効いていない廊下では息が白くなるほどです。節約の為暖房も最小限にしています。寒さを感じる指先に息を吹きかけると、少しだけ指先が甘い香りになり暖かくなりました。
 程なく呼び鈴が鳴って玄関の引き戸が開けられる音がしました。
「ごめんください……ああ、もう出迎えてくれていたんだ。お久しぶりです」
「ようこそいらっしゃいました。ポチの喜ぶ声で、もしかしたらとは思いました。遠い所へようこそ。さあ、上がって下さい。ここは寒いですが、部屋の中は温かいですよ」
 遠来のお客様にスリッパを出すと、彼は荷持を抱えながら私の後に付いて来てくれました。
 応接間に彼を通して、とりあえず座って貰い、私は台所で紅茶を入れる準備をします。無論この紅茶も秘密です。同じように父が持って来てくれたものなのです。
 先ほどまで自分が口にしていたチョコレートの残りを、おしゃれな入れ物に入れて並べて彼の前に置きました。
「何もありませんが……」
「いえ、とんでもないです。それにしてもこのご時世に良く……ああ、お父様のおみやげですね」
 父とも面識のある彼は事情を理解してくれました。そして、出された紅茶をひと口飲むと
「ああ美味しい! 紅茶にチョコレートなぞ久しぶりです」
 そう言って彼は笑ってから、本題に入りました。自分の鞄を明けて一通の白い封書を出します。
「これが、お兄さんの手紙です。最前線に行く前の晩に自分の兵舎に来まして、『妹の麗子に渡して欲しい』と言われました。どうぞ、お渡しします」
「ありがとうございます! 不躾ですが、開封して読んでも構いませんか?」
「どうぞ、そのためにお持ちしたのですから……」
 優しい彼の言葉に甘えて、鋏で封を切り便箋を取り出します。開くと、そこには懐かしい兄の文字が並んでいました。内容は、自分がこれから戦地に向かう 事。そこは最前線である事。必ず生きて帰って来るつもりだが、万が一の場合には両親の事を頼むと書いてあり、お前も早く良い人を見つけて結婚して子供を作 れと続いていました。
「ありがとうございます! 兄はもう戦っているのですね」
 私の言葉を紅茶を飲みながら聴いていた彼は
「そうですね。士官ですから最前線といっても、本部に近い場所で指揮を取ることになると思います。この戦いを上手く納めれば、我が軍も状況が良くなります。そうすれば、さらなる昇進が待っている事でしょう」
 正直、彼はそう言ってくれましたけれど、私の想いは違っていました。私は、兄には昇進の事よりも例え敗戦して捕虜となっても生き延びて帰って来て欲しい と思っていました。それだけを望んでいるのです。でも、今のこの状況では、そんな事は口が裂けても言えません。誰も心の中に秘密として守っているのです。 それは目の前の彼も判っている事でした。彼は、私の正面に座り直すと、真剣な眼差しで
「お兄さんは立派な軍人でもありますが良き兄でもあると思います」
 彼の言い方に私の心に想ってる事も理解してくれているのだと判りました。彼の表情を見ると、微笑んでくれています。それで全てが判りました。
「お兄さんは、あなたを悲しませる事は望んでいないと思います。私も今月の末には、お兄さんとは違う方面ですが前線に赴きます」
 そこまで言うと一旦言葉を区切り、意を決したように
「それでもし、生きてこの戦争に決着が着き、理不尽な戦いを終わらせる事が出来て、自分が帰って来られたら……本当は軍人として生きて帰って来る。なんて言えない事ですが、その時は僕と結婚して戴けませんか。結婚するなら、以前から、あなたと決めていました!」
 正直、びっくりしました。でも不思議な事に、その言葉は意外ではありませんでした。私は兄の友人である彼に恋心を抱いていました。そして、彼も私を思っ てくれることを望んでもいました。彼は、私の兄に対する思いをすぐに察してくれました、そんな彼ですから私の思いが通じたのだと判ったのです。彼も私も、 お互いの事を想う気持ちは心にしまって置かなくても良くなりました。本当に心の底から嬉しかったです。でも……。
「もし、生きてお戻りになれなかったら私はどうなるのですか?」
 そんな返事をするとは思ってもみなかったのでしょう。彼は目を見開いた顔をしていました。そんな彼に私は訴えます。
「どうか約束して下さい! 必ず生きて帰って来ると……例え捕虜になっても何時かは生きて帰って来ると」
 私の何ひとつ無い本当の心でした。それを聞いて、私の気持ちが真剣だと判った彼は
「判りました。必ず生きて帰って来ます。生きて帰ってあなたを妻に娶ります」
 真剣で、強く言ってくれて、それを聴いた自分の頭の中が痺れて行くのが判ります。嬉しさで何も考えられなくなってしまいました。広げてくれた彼の腕の中 へ、崩れるように飛び込みました。正直、一度で良い思い切り抱きしめて欲しかったのです。でもそんな想いは嫁入り前の娘として秘密にして心にしまっていな ければなりませんでした。彼はそれを理解してくれて、答えてくれたのです……つかの間の幸せな時間が過ぎて行きます。
 私は、テーブルの上のチョコレートのかけらを、口に含んで彼に口移しにします。彼は驚きながらも受け取ってくれ、もう一度私を強く抱きしめてくれました。
「正直驚いた。あなたが、まさかこんな大胆な事をするなんて……」
 それを聞いて、自分の頬が真っ赤になるのが判ります。自分でもそう思いました。
「今のが初めてでした。最初は好きな人と決めていましたから……」
 後から考えると良くそんなことが言えたと思います。きっと高揚感で自分自身が判らなくなっていたのでしょう。
「これを持って行って下さい」
 以前、お守りを二つ手作りしました。ひとつは兄が出向く時に持たせ、もうひとつは彼に渡せたら良いと思っていたのです。じっと機会があればと待っていました。
「ありがとう! 大切にするから……」
 お守りを懐にしまうと、今度は彼の方から求めて来たのでそれに答えます。今度はチョコが無いのに先ほどよりも甘く感じました。
「もう帰らないと……時間迄に兵舎に帰らなければなりません」
 彼が時計を確認します。
「出来ればお手紙下さい。でもご自身のご無事が何よりです」
「ありがとう! 決してあなたを泣かせるような事はしませんよ」
 玄関を出て門の外まで見送りに出ます。ポチが先ほどと同じようにはしゃいでいます。
「ご武運を……」
「今度来る時はあなたを娶る時です」
 そう言って去って行く彼の後ろ姿を見送りながら佇んでいると、頬に冷たいモノが当たりました。空を見上げると空から白い結晶が落ち始めています。白くぼ やける視界の中を彼が去って行きます。今度お見えになる時は桜の花が咲く春でしょうか? それとも太陽が照りつける夏でしょうか?
 降り落ちる雪を眺め、来年の冬迄にはと思いました。

 地球が外の星からの攻撃を受け始めて早三年になろうとしていました。未知の敵との戦いは激しさを増すばかりです。
 地球防衛軍士官学校の同級生の兄と彼は今、地球防衛軍の士官となっています。激しさを増す前線に若い彼らが赴いて行くのでした。
 恒星の外で戦う彼らの無事を……
 でも、私は願うのです。例え人から何と言われようと、自分の愛しい人の無事を願わずにはおられないと……。

                                                 了