清掃委員会の男子のメンバーに連れられてて市立に戻ってみると、翠ちゃんと背の高い若い男の人が居た。グレーのジャケットを羽織った伊神さんだった。
「どうしてここに居るのですか? 僕、未だ連絡していませんけど……」
 ぽかんとした僕の頭を人差し指で軽く突付きながら
「違うよ。明日の創立五十周年記念式典の打ち合わせに僕も出るから、今日のうちに戻って来たんだよ。そうしたら翠が大変だと言うからやって来たのさ」
「明日の打ち合わせに伊神さんが出るのですか?」
 僕の隣に立って腕を掴んでいた柳瀬さんは、本当に驚いたみたいだ。
「ああ、記念式典ではOBを代表してスピーチをすることになっているからね」
「OBを代表してスピーチですか!」
 僕は心の底から驚いてしまった。だって、卒業して二年、伊神さんだって二十歳の青年だ。OBなら他にも有名な人が大勢居る。それなのに選ばれたと言う事は……
「まあ、市立始まって以来の秀才と呼ばれた成績なら仕方ないんじゃない」
 柳瀬さんはそう言って僕の腕をぎゅうっと握った。それを見て翠ちゃんが
「見て下さい。いつもああなんです。ああやって仲の良い所を見せつけるんですよ」
 そう、伊神さんに言いつける。
「はは、翠それは仕方ないだろう。あの二人はもう二年以上もああやってるんだから」
 ちょっと、それはよして下さいよ。誤解を生む言い方じゃないですか。僕がそう言いかけると柳瀬さんが
「だから、翠ちゃんは誰か別な男の子を探した方が良いわよ」
 そう言って僕を後ろから抱きしめる。柳瀬さん胸が背中に当たりますよ……
「ああ、もう、離れて下さい!」
 翠ちゃんの怒りが最高潮に達した時に伊神さんが
「とりあえず、西口に行ってみようよ。校内の見取り図が本当に無くなったのか見てみようじゃないか」
 どうやら伊神さんは翠ちゃんから経緯を聞いたみたいだ。恐らく伊神さんのあの頭の中では既に解決に向けて動き出してるのかも知れない。
 伊神さんの言葉でさすがの翠ちゃんも冷静な何時もの感じに戻ったみたいだ。柳瀬さんを見ると僕に向かって軽く舌を出した。その仕草を見てちょっと心を奪われる自分を意識してしまった。

 西口に来て見ると昇降口の所に掲げられていた校内の見取り図が無くなっていた。確か校舎を上から見た見取り図を各階ごとに書いた平面図だったはずだ。改めて見たことなぞ無いのでうろ覚えなのだが……
「ふ~む。綺麗さっぱり無くなってるな……そうか、そう言う事か」
「え、伊神さん。もう何か判ったのですか?」
「まあ、大凡だがね」
 僕は信じられなかった。今さっきここに到着して、翠ちゃんから状況を訊いただけで、この事件の真相を見抜いてしまうなんて……やはり記念式典でOBを代表してスピーチするだけの人なのか? と思ってしまった。
「じゃあ、すぐに取り戻しに行きましょう!」
 翠ちゃんが伊神さんに言うと
「焦らなくても明日の夕方には戻ってると思うよ」
 伊神さんの言葉に僕と柳瀬さん、それに翠ちゃんが驚き、翠ちゃんが
「それって犯人の言葉と同じじゃ無いですか!」
 そう言って実の兄に迫った。柳瀬さんは
「実は、犯人は伊神さんじゃないの」
 そんな事を言ってニヤついている。僕は柳瀬さんに
「冗談ですよね。まさか本気?」
 ドキドキぢながら耳打ちで囁くと
「冗談かも知れないけど、もしかしたら……」
 そんな事を言って僕を惑わせた。まさか、柳瀬さんも判ったのだろうか?
「兎に角、今日はこれ以上事件は進展しないから、家に帰った方が良い。本番は明日だからね」
 伊神さんの言葉を僕は全く理解出来なかったが、これまで事件関係で伊神さんの予想が外れた事は無い。従うより仕方無かった。帰り際に翠ちゃんが
「でも学校側はこの事知ってるのでしょうか?」
 その言葉に伊神さんは
「さあ、それが問題だよね」
 そう言ってニヤリと笑ったのだった。

 それぞれの家の位置関係を述べておくと、市立に一番近い場所に住んでいるのが柳瀬さんで学校の裏と言った感じで正門まで五分とかからない。
 次が伊神さんと翠ちゃんが住んでいる伊神邸で大体歩いて十分程だ、僕が一番遠くて十五分ほど掛かる。だから僕が最後は一人になってしまうのだが、伊神さん翠ちゃんと別れて歩き出すと後ろから肩を叩かれた。振り向くと柳瀬さんだった。
「どうしたのですか?」
「うん、明日は講義があるから早くは来られないから、少しゆーくんと話がしたくてね」
 先ほどのまでの感じとは若干違うので僕が戸惑ってしまった。春の暖かな風が流れるように柳瀬さんの髪をひらひらとさせている。若干憂を帯びた眼差しが僕にとってはドキドキもので、思わず抱きしめてしまいたい衝動に駆られてしまった。
「話って何ですか?」
「うん、あのね。大学に行くようになって、新しい友だちも出来て、講義は面白いし、充実してるんだけど、心の中に隙間があるのね。何なのだろうと考えたら、大学にはゆーくんが居ないと言う事だと気がついたの」
 柳瀬さんは僕より半歩遅れて歩いている。何時もは僕をぐいぐい引っ張っていく感じだったのに……
「思ったの。何で一年早く生まれちゃったのかな、って……去年までがどんなに楽しかったかって……」
 柳瀬さんから今までこんな事を言われた事は無かった。僕だって、ここに柳瀬さんが居たらと何度思ったかその数は知れない。
「だからね。演劇サークルに入る事にしたの。ゆーくんが居ない心の空白をそれで塞ぐ事にしたんだ」
 は? 話が違う方向に行ってしまった感じだが……
「演劇サークルですか?」
「そう、楽しそうだから」
「それが僕と関係あるんですか?」
「だから、入ったのはゆーくんのせいよ」
 何処で繋がっているのか僕には全く判らなかった。
「明日は夕方なら来られるから、それまで伊神さんに真相を話させては駄目よ。いい?」
「判りました」
 つい思わず返事をしてしまった。
「じゃ、ダーリンまた明日ね」
 柳瀬さんは僕の頬にキスをし、甘い匂いを残して走って去って行った。僕は突然の事に体も気持ちも固まってしまった。心臓が破裂するほど高鳴っている。今夜眠られるだろうか……

 翌日、正午過ぎに教育委員会のお偉方や来賓の方が見えられ、会議室で記念式典に向けた会議が開かれた。
 三時過ぎには終わり、全員が帰ったみたいだったが、一人だけ残っていた。そう、それは伊神さんだった。僕を呼ぶ声がしたのでその方を見ると柳瀬さんが小走りにやって来た。反対方向からは翠ちゃんもやって来た。その後ろには清掃委員会の面々も居る。
「さて、揃ったみたいだね。では真相を述べさせて戴こうかな。ミノくん例のモノを」
 伊神さんに呼ばれたミノこと三野小次郎が演劇部の後輩と一緒に校内の見取り図を持って出て来た。
「ミノ、お前が犯人だったのか?」
 僕の強い口調にミノは頭を左右に振りながら
「違う違う! 全く違うよ。俺は今さっき校長に『これを持って元の場所に掲げて欲しい』って言われたので演劇部の後輩と一緒に持って来た所さ。
「校長のカズヲが……じゃあ犯人はカズヲ?」
 困惑した柳瀬さんに伊神さんは
「まあ、とりあえず元の場所に掲げてくれないか。それを見てからだ」
 一体何だと言うのだろうか? 見取り図は元と同じはずだが……
 ミノと演劇部の後輩が協力して昇降口の上に掲げられた見取り図を見て柳瀬さんが
「あ、無くなってる!」
 思わず声を出した。それに釣られて僕も見取り図を見て驚いた。芸術棟が消えているのだ。
「これで犯人の目的が判ったかな?」
 伊神さんは構えているが僕には動機が全く判らない。何故芸術棟を消す必要があったのだろうか?
 伊神さんは皆を前に最初から解説をしていく。
「まず、最初の絵画を持ち去ると言うのは、この犯行を誤魔化す為のフェイクだよ」
「何故、そんな事をする必要があったのですか?」
 疑問を呈する僕達三人に伊神さんが解説をしていく。
 
「市立の五十周年事業で本来は芸術棟は解体され新しく建て替えられる予定だった。しかし、昨年あのような事件が起こり、警察の捜査や等によりすぐには解体 出来なくなってしまった。これを憂慮したのが校長先生だった。校長は「五十周年の記念式典」の打ち合わせに来た市の教育委員会のメンバーに事件の事を話題 にしたく無かったのだ。それは無くなった仙崎さんの事を今更のように蒸し返したくなかったからだ。
 教育委員会のメンバーは芸術棟の建て替えも知っているが、真相を詳しく知る者は居ない。だから校長は話のネタになるような校舎の見取り図を隠しておきたかったのだった。
 幸い、今芸術棟は塀に囲まれ正門から入って来た場合は見る事が出来ない。でも見取り図を見た者が話題にすれば、否応なく校長は対応しなくてはならない。それだけは避けたかったのさ」
 伊神さんの言葉に今度は校長先生が顔を出した。
「先生、今兄が言った事は本当なのですか?」
 翠ちゃんの問いかけに校長は苦しげに僕たちに言った。
「ああ、その通りだよ。長い間市立の生徒や職員を苦しめて来た事件はもう解決したんだ。一時は新聞にさえ載る事件だったが、もう過去の事だ。犯人も犠牲者 も全てが市立の関係者だったなんて悪夢以外の何物でもない。創立五十周年を迎えるに当たり過去の事は話題にして欲しくなかったんだ」
 僕には校長の気持ちが良く理解出来た。あの事件の中心に居た僕にとっては理解出来るものだった。
「騒がせて済まなかった。実際絵画には今回、指一本触れていないし、教育委員会が帰ったので、こうして見取り図を修正して返しにやって来た所だった」
 校長が元の市に見取り図を返して事件は決着したかと思った。清掃委員会の連中も帰り、ミノも演劇部の後輩と一緒に帰って行った。だが伊神さんは僕と柳瀬さんそれに翠ちゃんの三人を職員室に連れて行き菅家先生を誰も来ない会議室に呼び出した。
 人気の無い会議室に菅家先生はやって来た。その姿は何故か僕にはさっぱりとしか感じに思えた。伊神さんは皆を座らせると菅家先生に向かって
「校長は先生を庇ったのですね。本当は二十五年前に当時の臨時教師によって殺された仙崎さんの同級生で交際していた、あなたを庇っていたのですね」
「判っていましたか……本当は、教育委員会のメンバーが芸術棟の建て替えが伸びた事に関して、調査をしてくるのが怖かったの。仙崎くんを噂に晒す事はしてはならないと……あの事件はもう蒸し返してはならないと思ったの。遺族の方もひっそりと暮らしているのに……」
 由井博と言う臨時教師によって当時の教師鹿島玲子先生が殺された。そしてその真実を知った仙崎さんまでもが刃にかかって亡くなった。事件は多田刑事に僕 たちが告発して解決をしたが、犯人の由井は既に亡くなっていたのだ。無念だったかも知れないが一応の解決を見た事で当時の同級生で鹿島先生の事も知ってい る菅家先生はひっそりとしておきたかったのだ。それが遺族に対する礼儀だと思ったからだそうだ。でも大事にならなくて良かっっと僕は思っている。
 そこに百目鬼先生も登場した。
「先生、どうして……」
 僕の質問に百目鬼先生は
「葉山、あの正面玄関の俯瞰図だが、お前本当に判らなかったのか?」
 僕には先生の言ってる意味が判らなかった。あの絵には疑惑のあるような事は無かったはずだ」
「先生、彼は完全に騙されてしまっていますよ」
 伊神さんの言葉に百目鬼先生は
「もう一度あの絵を見て来い」
 言われた僕たちと伊神さんに百目鬼先生は正面玄関にやって来た。そしてあの絵を見て見るとそこには「芸術棟」がちゃんと書かれてあったのだ。
「どうして……」
 呆然とする僕に伊神さんが
「葉山くんはクリーニングと言う事を知ってるはずだがね」
 その言葉で僕は全てを理解した。最初から芸術棟は書かれてあったのだ。今回の事で見られない様に上に木を上書きして芸術棟を消してしまったのだ。あの時、最初に絵を見た時に僕だけは気が付いても良かったのだ。
「葉山、美術部長としては落第だぞ。油絵は後からでも加工出来る」
 そうなのだ。確かにそうなのだ。僕が迂闊だったのだ。
 結局今回の事は学校側があの事件を関係無い者に知られ無いように細工した事件だった。それは、被害者のプライベートを大事にしたいと想う心からだった。今でも先生方からは被害者の方は同士でもあるのだと思った。仲間の事は大事にしたいと……
 公務員としては皆落第かも知れないが、人情としてはありだと僕は思った。そして、その先生方に教わる僕たちは幸せだと想うのだった。

 そして、あの後味の悪い事だったあの事件が、こうしてまた僕達に降りかかって来るとは思わなかった。
「さて、解決したからには、ゆーくんにチョレートパフェ奢って貰いましょう。当然私と翠ちゃんの分もよ」
 事件が解決して帰り道、柳瀬さんが怪しい目つきで僕に近寄る。翠ちゃんも
「今度は部活以外で葉山先輩と二人になりたいです」
 そう言って近寄って来る。その時、親友のミノがやって来た
「葉山、どうした? ちゃんと解決したか? ところで、赤の水彩絵具貸してくれないかな? 小道具の色が剥げちゃってさあ」
 ミノの言葉を聞いて僕は赤の絵の具を掴むと、ミノの手を掴んで走りだした。
「おい、どうしたんだ? そんなに急がくても」
「そっちは、そうでもこっちは事情があるんだ」
 僕を先頭に、ミノ、柳瀬さん、翠ちゃんが後を追って来る。その後ろでは伊神さんが笑って」いる。果たして僕は逃げきれるだろうか?

                              この項 了