「ねえ、この予告状おかしくない?」
 百目鬼先生が書いた絵画に貼りつけられた「予告状」を見ていた柳瀬さんが呟いた。
「おかしいとは何ですか?」
 翠ちゃんが柳瀬さんに並ぶように立つ。舞台女優としてでも引き立つ柳瀬さんに比べ,
翠ちゃんはお兄さんの伊神さんには似ず小柄だ。だが目鼻立ちがとても整っているのは伊神さんと同じで一般的に見ればかなり可愛いと言えるのではないだろうか? 美しい女性二人が並んでいるのを眺めるのも悪くはないと思った。
「だって、返すならこんな予告状要らないでしょう? そう思わない。こっそり持って行ってこっそり返せば良いと思わない?」
 柳瀬さんの言葉に翠ちゃんも
「それはそうですね。では犯人は他に何か目的があったのでしょうか?」
「だから、本当はここに注目を集めておいて他に目的があると思う方が自然だと思わない?」
 確かにそうだと僕も思った。第一この絵に何の秘密めいた所があると言うのだろう? 只の校舎を描いた俯瞰図しか見えなかった。
「あれ、この絵おかしい!」
 三人で絵を見ていた中で柳瀬さんだけが何か気がついたようだった。
「何がおかしいのですか?」
 僕は柳瀬さんが見つめている絵の部分を凝視した……そして僕も気がついた。
「これ、描かれていない……」
 一人翠ちゃんだけが判らず首を傾げている。
「何がおかしいのですか? 私には判りません」
 無理も無いと思った。入学して間もない翠ちゃんには判ろうはずが無いのだ。
「気がつかない? 校舎を描いたものだけど、描かれていない建物があるのよ」
 柳瀬さんが優しく導くとさすがに気がついたようで
「ああ、芸術棟が描かれていないのですね」
 そうなのだ。本来芸術棟がある場所には木が植えられているだけだった。
「どうして描かなかったのでしょうか?」
 芸術棟で起こった悲惨な事件は改めて言う間でもないが、今から二十五年ほど前に市立の女性教師が惨殺された。その事件の真相に迫った仙崎先輩はやはり犯人によって殺され、その遺体は当時改修中だった芸術棟の壁に塗りこまれてしまったのだ。
 それから暫くは秘密は伝説となり「市立三怪」と呼ばれていた。
何故なら、犯人は当時の臨時教師だったからだ。それを偶然とは言え僕が壁から崩れ落ちて来た仙崎先輩の遺体を発見し、事件の真相を解き明かしたのだった。尤も真相にたどり着いたのは伊神さんだが……
「私はもう卒業してしまったから噂としてだけど、市立は創立五十周年を迎えるでしょう、その記念事業として芸術棟を立て直しするという計画があるそうよ。だから取壊す予定に入っているのじゃ無いかしら」
「だから描かなかったと?」
 翠ちゃんは柳瀬さんに喰い付くように尋ねている。
「まあ、判らないけどね。それは描いた百目鬼先生に尋ねれば判ると思うわよ」
 確かにここで論じても判る事ではない。そう思っていたら、先ほどの「清掃委員会」の者が百目鬼先生を連れて来た。
「先生これなんです。こんな予告状が貼りつけられていたのです」
 予告状をしげしげと眺めていた百目鬼先生はニヤリと笑って
「面白いじゃないか、犯人の好きにさせたら良い。どうせすぐに返すと書いてあるじゃないか」
 そう言って問題ないと言う見解を述べた。でも、それって教師として絵の作者として余りにも無責任ではないだろうか?
「先生、責任感がなさ過ぎでしょう」
 清掃委員会の誰かが呆れて言うと百目鬼先生は
「どうせただのイタズラだよ。実際にやりはしないし、何時持っていくとも書いていないだろう」
 そう言って完全なイタズラだと決めつけた。でも、僕はイタズラなら、それこそ黙って持ち去って黙ってまた置いておくと思うのだ。それよりも気になる事がある。尋ねようとした時に柳瀬さんが
「先生、どうしてこの絵には芸術棟が描かれていないのですか?」
 そう尋ねた。そうなのだそれが僕も一番知りたい事だった。恐らく翠ちゃんも同じだと思う。
「それは、柳瀬君も聞いた事あるかも知れないが、創立五十周年の記念事業として古くなった芸術棟を立て直す計画があるんだ。この絵は長くこの学校に掲げられるハズだから、取り壊してしまった建物を描く訳には行かないと考えたんだ」
「でも、新しい建物が建ったらどうするのですか?」
 僕の質問に先生は
「葉山、美術部長としてそれは問題発言だぞ。単に書き足せばいいだけだろうが」
「あ、そうでした」
 何という事だろうか、僕は油絵の基本的な事さえうっかりと忘れていた。
「まあ、明日は来客があるからこの予告状は剥がさせて貰うよ」
 百目鬼先生はそう言って予告状を簡単に剥がしてしまった。その様子を見ていた翠ちゃんが
「明日の来客って今の話に関係があるのですか?」
 先生は、まさか翠ちゃんがそんな事を訊くとは思っても見なかったのだろう、少し驚いて
「天童、お前がそれを気にするか?」
 半分呆れながらも渋々と
「創立五十周年の祝賀会の打ち合わせの為に市の教育委員会から来客が来るんだよ。だから余計にこの絵に今の芸術棟を描く訳には行かなかったんだ」
「そうでしたか……ありがとうございました」
 まあ、実際只のイタズラの可能性もある訳で、今更気にしても仕方ないと考えてしまったのだ。だが、それは甘い考えだったと後で気がつく事になる。

「ねえ、帰りにお茶していかない?」
 翠ちゃんが帰った後で、校門の所から柳瀬さんが僕に声を掛けた。
「柳瀬さん……」
 正直言うとあのままあっさりと帰ってしまっては少々物足りない気もしたのだ。
「いいですよ。僕も喉が乾いていた所でしたから」
「じゃあ、ゆーくんの奢りね」
「ええ、柳瀬さん年上じゃないですか」
「一つ年上の嫁は金の草鞋を履いて探せ、と言うことわざ知らないの?」
「いや、それは……」
「大丈夫、ゆーくんに奢って貰ったツケは体で返すから」
 その刺激的な文言で思わず転びそうになった。それを見て柳瀬さんは嬉しそうにしている。結局近くのファミレスに入って柳瀬さんがチョコパフェ、僕はアメリカンコーヒーを頼んだ。奥の席に向かい合わせで座ると柳瀬さんが
「百目鬼先生、何か知ってるわね。何か隠してる」
「やっぱり、そう感じましたか? 僕もそう思ったのです」
「さすが、ゆーくんね。私の夫になる人だわ」
 全く一々言う事が刺激的で困る。
「それと、私は創立五十周年記念の事と無関係じゃ無い気がするのよ」
 それは僕も同じ気持だった。その後、二人で色々と考えてみたが、結論は出ず。僕たちはファミレスから出た時だった。市立の方から先ほどの清掃委員会のメンバーの一人が顔色を変えて走って来る所にぶつかった。
「ああ、いいところに居てくれました。大変なんです。西口にあった校舎の見取り図が持ち去られていて、犯人からは『気が変わった。こちらを預からせて戴く』って張り紙が貼ってあったのです」
 僕と柳瀬さんは顔を見合せた。
「ゆーくん。犯人はイタズラじゃなかったのよ」
「どうもそうみたいですね」
 僕と柳瀬さんは清掃委員会のメンバーに連れられてもう一度市立に戻ったのだった。