あれは僕が中学一年生の時だった。
 その頃、僕は母方の叔父の家に夏になると遊びに行った。夏休みのうち半分ほどを緑に囲まれた山深い叔父の家で過ごす事が多かった。
 勿論、長逗留するのは僕だけで、母も父も弟さえも二、三日で東京の家に帰ってしまった。
「明彦は田舎が好きなんでしょう」
 僕だけが取り残される理由を問うた時の母の答えだった。言っておくが僕は特別田舎が好きな訳ではなかった。なかんずく、田舎の夜になると窓いっぱいに群 れる蛾や見たこともない虫が鳥肌が立つほど嫌いだった。その頃の僕は休みにはゲームをしたり、録画しておいたアニメを見たりするのが休みを過ごす日常で、 太陽の下、表で遊ぶ等と言う事は考えもしなかったのだ。
 その年も夏休みになると家族四人で叔父の家に遊びにやって来たが、二泊もすると何時も通り僕だけを残して三人は帰って行った。帰り際に二歳下の弟が
「にいちゃん、二学期までには帰って来てね」
 そんな事を言って僕の顔を見ないで車に乗り込んだ。その時はその意味が全く判らなかった。退屈な田舎暮らしが、また続くと思っていただけだった。
 叔父の家には二つ歳上の女の子が居る。明美と言って田舎には珍しいくらいの美人で、中学でもマドンナ的存在だという。だが、僕にとっては従姉妹であり、この家で唯一の同じ価値観で話せる人間だった。
「明、明日、瀧に行こうよ。久しぶりに明と一緒に泳ぎたい!」
 元より、嫌な訳はなく、毎年この先にある滝壺で泳ぐのも楽しみだったのだ。それは色々な意味でだった……

 翌朝、早くに起こされて、叔父の自転車を借りて明美と一緒に走りだした。明美は白いシャツに赤いスカート姿だった。赤と言っても何回も洗濯して色あせて しまった赤だった。明美にとって普段着、それもどちらかと言うと下の方の服だったのだろう。夏の風を受けて明美のシャツの前が膨らんだ。下は何も身に付け ていなかった。僕はそれを横目で見ながら明美は水着を着ないで泳ぐのだろうか? と不安半分、妄想半分で自転車を漕ぎ続けた。夏の朝は既に太陽によって充 分泳ぎたくなる温度に達していた。
 滝壺に通じる小路に自転車を乗り捨てて草むらを下に滑り落ちるように歩いて行くと程なく瀧の音が聞こえて来る。
「ご~ご~」
 唸るような瀧の音に少しばかり胸がワクワクする。
 すぐに滝壺の場所まで辿り着いて荷物を草むらに置く。着替えようとバッグから水着を取り出そうとしたら、横で明美がいっぺんにシャツとスカートを脱ぎ捨て滝壺に素裸のまま飛び込んだ。
「あー気持ちいいよ! 海パンなんか履いてないで明も早く来なよ。気持ちいいよ。どうせ誰も見ていないんだから」
 誰も見て無くてもお互いが見ているじゃないか。と思ったけれど、履きかけた水着を放り出して自分も裸のまま滝壺に飛び込んだ。海とも違う勿論都会のプールなんかとは比べ物にならない清涼感で胸までいっぱいになった。
「気持ちいいな」
「でしょう! 裸のまま泳ぐと気持ち良いのよ。自分もこの自然の一員になった気がするの。そうすると誰に肌を見られても気にならない」
 確かに、そう言い切ってしまえるほどの気持ちよさだった。でも僕はそこまで気持ちが徹底しておらず。つい明美の方を見てしまう。勿論いやらしい気持ちでだ。
「ふふふ、明、見たいんだ……いいわよ。見せてあげる」
 明美はそう言ったかと思うと勢い良く水から立ち上がった。豊満な胸をした明美の体から沢山の水の粒が滴り落ちた。僕は明美から視線を動かす事が出来なかった。
「明の中には虫がいるんだよね。女の子の裸を見たいと言う虫がいるんだよね」
「そ、そんなの男だったら誰でもそうだよ」
「じゃあ、やっぱり虫がいるんだ……でも、あたし、その虫嫌いじゃないよ」
 僕は偉そな事を口にしていても、明美の裸から目を逸らす事が出来なかった。それどころか僕の中の虫は増々大きくなってしまっていた。
「見せてあげたから、もうお終い」
 明美はそう言うと瀧の水が落ちている傍まで泳いで行った。僕より泳ぎの達者な明美はスイスイと瀧のすぐ傍まで行くと
「明も来なよ。瀧のしずくが頭から掛かって気持ちが良いよ」
 だが僕は明美の言う通りにはしなかった。前に、あそこまで行って溺れかけた事があるからだ。
「やめておく。いつかみたいに溺れたら嫌だから」
「勇気がないのね。そうだよね。あたしが裸見せてあげても何もしないんだものね」
 その言葉に反論は出来なかった。実はたわわな胸に触りたかった。でもそんな勇気は少しも持っていなかった。僕が持っていた「スケベの虫」は思ったより小さかったのだ。

その後、散々泳いで明美の裸を見せつけられてから叔父の家に帰って来た。
「お互い内緒だからね」
 明美はそう言うと自分の部屋に行ってしまった。僕は仕方ないので、自分が寝起きしている客間で夏休みの宿題をすることにした。叔父の家に長逗留していても、普段過ごしてることは家でやっている事と余り変わりはない。只、少しばかり環境が違うだけだと僕は思った。
 昼食を食べ終わると明美は友達と逢うと言って出かけて行った。僕は明美が着ていた服から、友達と言うのは彼氏だと思った。それに明美の目が普段の目とは 違っていたからだ。僕は、その間も宿題をすることにする。一日でも早く終わらせたかったからだ。僕は東京に帰れるだけの交通費は持っていた。叔父の家の事 情等から両親が迎えに来る前に自分だけで帰った事があり、それ以来母親は交通費だけは僕に残しておいてくれたからだ。
 そのお金を取り出して眺めながら
『今年はこれを使ってやろうかしら?』
 などと思うのだった。
 ある年だった。急にホームシックになった僕は叔父からお金を借りて、黙って家に帰った事があった。暗くなった表から玄関を開けようとすると、楽しそうな 両親と弟の会話が聞こえて来た。それは僕が居る時には決して聞く事が出来ない楽しそうな団欒の会話だった。僕は結局家に帰らずに、朝まで公園に居て、始発 でまた叔父の家に帰った。叔父は帰って来た僕を見て驚いたが詳しい事は何も聞かずにそのまま家に入れてくれた。それ以来僕は常に家では他所者だと思ってい る。

 夜になり明美が帰って来た。田舎で嫌なのは夜になると網戸いっぱいに虫が集る事だった。見たこともない大きな我や得体の知れない昆虫が窓の網戸いっぱいに停まっていて、始めてそれを見た時は本当に鳥肌がたってしまって身震いが止まらなかった。
「明は怖がりだね」
 明美が言った言葉だ。怖がりなんじゃない。得体が知れないから気味が悪いだけだ。そう返答したら明美は「同じ」だと言ってせせら笑った。
 同じなんかじゃない。僕はホラー映画など見ても全く怖くないが虫が、それもあんなに沢山集まっているのが気味が悪いと言ってるのだ。
 明美の部屋の窓にも数えきれない程の虫が集っている。明美はそれを見ながら
「ねえ、朝のこと驚いた? あたしがいきなり裸になって」
 真顔でそんな言われも返答に困る。
「あたしの裸見て興奮した?」
 興奮はしたのだ。だが緊張の方が勝って肉体的な変化は無かったのだ。それを明美に言うと
「ねえ、面白い事教えてあげようか?」
「なあに、面白い事って?」
「前に、いきなり家に帰った事あったでしょう? あの時一晩で帰って来たよね。訊いたら家に入らずに公園で一晩過ごしていたって……」
「うん。そうだよ」
「もしかして、その時自分が他人じゃ無いかって、思わなかった? そんな感じを受けなかった?」
 明美の言っている事は本当で、実はそう思っていた。
「あたしの名前とあんたの名前に同じ「明」の字が付いてるのって偶然だと思う? 何も感じ無かった?」
 すぐに言ってる意味は判った。でも、なんて返事をしたら良いのだろう? 『そうです』なんて軽々しくは言えない。だが『知らない、思わない』等とも言い切れない自分が居る。どうしようか……答えあぐねていたら
「聞いた話だけど、あたしと明は実は姉弟なんだって。事情があってあんたは伯母さんの家に貰われて行ったそうよ。そうしたら弟が生まれたんだって……本当かどうかは知らない。聞いたの……」
「誰から?」
「それは言えない。約束だから……でも言われたの。あんたが悩んでいたら本当の事を教えてあげて、って……」
 もしかしたらとは考えない事も無かった。あの日玄関で感じた日からずっと思って居たことだ。
「姉弟だから裸見せたの?」
 何だか酷く損をした気分だった。
「嘘よ! みんな嘘! あたしのイタズラの虫のせいよ!」
 明るく笑う明美だったが、僕は笑え無かった。多分、それは本当の事だろうから……
「今日は、彼氏とセックスして来たのか?」
 明美は、その言葉に少し驚いて
「セックスはしてないけど、どうしてあたしが彼氏と逢ったと判ったの?」
 驚いている明美に僕は
「さあね。もしかしたら血のせいかもね」
 そう返答すると明美が嬉しそうに笑った。
            
                               了