氷菓の二次創作の休筆宣言をしてから未だ二ヶ月なのですが、この間、沢山の方からメッセージやコメントを戴きました。私の様な者に本当にありがとうございました! その中 でも新作の事を書いて下さった方がかなりいらっしゃいました。いつも出来の悪い拙作でしたが、そんな事を言われたのは始めてでしたので、本当にありがた かったです。
 そこで、秋から冬の頃にでも投稿出来れば良いと思い、少しずつ書いていました。大凡半分ほど書き上がったのですが、ここに来て個人的な事情により、すぐには最後まで書く事が出来なくなってしまいました。ボツにする事も考えたのですが、 ある方に相談した所「ここまででも良いので公開した方が良い」とアドバイスを受けました。
 そのうち時間が出来ましたら後半も書いてみたいと思います。

第1話 「初めての同期会」

 夏の香りのする風に吹かれながら駅からの帰り道を急ぐ。東京に住み着いて三年になり、やっとこの街の喧騒にも慣れてきた。そうなると不思議なもので、最近、神山の夢をよく見る。色々な神山が夢に出て来るのだが、最後は悲しそうな女性の影で目が覚める。自業自得……それ意外に言葉が見つからない……

 アパートの郵便受けを覗くと、普通の手紙の封書よりやや大きめの封筒が投函されていた。宛名は勿論俺、折木奉太郎。差出人を見ると「姉より」とだけ書いてある。部屋に帰り封書を開封するとメモと葉書が入っていて、メモの方を読むと

『高校の同期会の知らせが来たから転送したわよ あんた、誰にも住所教えていないの

 そんな意味の言葉が走り書きされていた。

「知ってる奴が幹事じゃないんだろう」

 独り言を口にしながら葉書を読むと、どうや神高を卒業して初めての同期会のお知らせらしかった。

 神山高校を卒業して早三年の月日が流れている。大学に進学した者は三年になっている。今年の秋からは就職戦線に嫌でも飛び込まなければならない。その前に同期会を開いて旧交を温め合おうと言う趣向らしかった。

 薬缶に水を入れてガス台に掛ける。火を点けて湯が沸くまでの間に同期会の期日と幹事の名前を読んで行く。

 期日は七月二十五日だった。会場は俺たちが神高を卒業してから立てられたホテルで、時間は午後一時開始としてあった。その他に会費なども書いてあり、参加の場合は書かれている捨てメールに返信して欲しいとあった。昔みたいに返信はがきで、と言う事ではなかった。続けて幹事の名前を見ると、その中に里志と伊原の名前があった。

「あいつら幹事だったのか……正月に会った時は何も言っていなかったのにな」

 また独り言を呟いて苦笑する。そう言えば最近独り言が多くなったと実感した……

 沸いた湯をコーヒーカップにドリップバッグをセットしておいた上に静かに注ぎ込む。泡が膨らみ膨張していく。更にその上から湯を注いで行く。何も無かった部屋がモカの香りで包まれる。並々と注がれたコーヒーを口にする。熱さと苦味と酸味が口の中で調和してゆっくりと体内に降りて行く。今の俺の至福のひと時だ……


 高校を卒業した古典部四名の進路だが、里志と伊原は県内の大学に進学して、今では神山は離れたものの大学の傍で一緒に暮らしている。千反田は京都の大学の農学部に進学した。「生雛祭り」で言った事を実行したのだ。「皆が豊かになる方法」を千反田なりに求めた結果だった。

 あの日、俺は確かに意識したはずだった。千反田の想いを受け止めて俺なりの答えを返してやるはずだったが……結局言えなかった。いや、あの千反田の背負ってる荷物を一緒に背負う気構えが足りなかったのだ。

 言えなかった……想いは遂に口にする事が出来なかった。結局、何も言えぬまま、卒業した。実は千反田の気持ちは薄っすらと判ってはいた。心の底では「千反田の想いに答えてやりたい」と想いながらも口にする事は出来なかったのだ。

 卒業の後で千反田は俺が告白してくれる事を望んでいたのかも知れないが、俺はそれも口には出来なかった。その時の千反田のどこか寂しげな眼差しは忘れる事が出来ない。

 謝恩会の二次会の後で千反田をタクシーに乗せた時に千反田が俺に紙切れを握らせた。その時はそのままタクシーを走らせてしまったのだが、後でその紙切れを開いてみると携帯の番号が書かれてあった。恐らく京都に行くので携帯の契約を結んだのだと理解した。俺も携帯を持つ事になったからその辺の事情は理解出来た。

 俺の進学先は東京の大学になった。理由はやはり東京は数多くの大学があるので、学ぶにしても選択の幅が広がると思ったからだ。最初は色々な学部を考えていたが、気がついてみると「農業経営」を中心に選んでいる自分に気が付き苦笑した。想いは断ち切れていなかったと気がついた。ならば、千反田の傍に居てやれなくても、何処かで繋がっている事が出来るならばと今の学科「農業経営学科」を選択した。どうって事はない、三年経った今でも俺は想いを残していたのだ。だから、千反田に逢えるならと僅かな期待をしてメールに「参加」と書いて返信した。

 偽善かも知れない……千反田の携帯の番号を知りながら、この三年間一度も掛けたことは無かった。それなのに今更逢ってみたいだなんて悪い冗談としか思えないのでは無いかと感じた。

 だが、この三年間で俺なりに判って来た事もある。色々な情報を取り寄せて千反田が迫られている問題も知る事が出来た。今なら……淡い期待だろうか……

 コーヒーを飲み終えてもう一杯ドリップをする。そういえば千反田はコーヒーは全く駄目だったと思い出した。

「カフェインのある飲み物を飲むと凄い事になってしまうのです」

 そう言っていた。アルコールを飲むと、どうなるのかは偶然にも判ったがカフェインに関してはついぞ判らなかった。だが、後で気がついたが、あいつが良く飲んでいたココアにだってタップリとカフェインが入っている……恐らくは気のせいだとは思うのだが……

 思わず普段思い出さぬ事まで思い出してしまった。苦い思いと一緒にコーヒーを飲み込むとメールの返信があった。見ると伊原からだった。どうやら俺に宛てた葉書には伊原のメールが書かれていたらしい。文面を読むと

『参加受付ました。 折木、当日は楽しみにしてるわよ。それからちーちゃんも参加する見込みだからね。楽しみにしていなさいよ』

 こんな事を書いて来るのは、全く幹事として越権行為では無いだろうかと感じた。

 千反田に逢えたら何を言おう……どんな事を話そうか……そう思いながら眠りに着いた。


  夏休みになりバイトの都合をして休みを都合三日つけて神山に帰って来た。帰郷そのものは他の大学生とそう変わり無く帰って来ていると思う。文系は理系と違って研究と言うものは無いからだ。勿論文系のレポートや論文はあるが、それは極端に言えばそれを書くのは何処でも構わない。理系の研究は研究室に縛られるのとは、そこが違っていた。

 朝一番の新幹線に乗り名古屋で乗り変えて東京から都合四時間弱、俺は神山の市街に降り立っていた。半年ぶりの神山は僅かに湿った風が吹いていた。何処で雨でも降っているのかも知れない。空を見ると曇っていて、この後雨が降ってもおかしくない空模様だった。

 目的のホテルは目立つ場所に立っていたからすぐに判った。この時は、何も無ければ明日の夜に東京に帰るつもりでいた。

 実家に帰ると姉貴が

「おかえりなさい  同期会行くなら、もっとお洒落してから行きなさいよ。えるちゃんも来るんでしょう

 そう言って早くも先制攻撃を加えられた。先日、里志から千反田が参加するという事は伝えられていた。正直、逢えると思うだけで心が弾む。ゲンキンなものだ。それだけ想っているなら、何故電話のひとつも掛けてやらなかったのか 甘りにも自分に都合が良く虫の良いと自分でも思う……

 姉貴に言われた通りで、自分では割合きちんとした格好をしたつもりになって鏡を見ていたが、細かい指摘を姉貴から受けて修正された。

「三年も放ったらかしておいたんだから、ちゃんとして来なさいよ」

 変な激励を受けて家を後にした。

 ホテルに到着して三階のホールに向かう。会場の入口には「神山高校第◯期同期会」としてあった。確かにここで間違い無かったと一安心する。入り口から会場の中を見てみると準備中で、幹事が忙しく動いていた。その中のひとりが俺の姿を見つけて近寄り

「折木、今日はちーちゃんと、きちんと決着つけなさいよ。伸ばすにもほどがあるからね」

 挨拶の言葉も無しにいきなり俺に寸鉄を食らわした。三年経っても相変わらずだと思った。もっとも、こいつとか里志とは何回か会っているのだがな……

「ちーちゃん、本当は卒業の時にあんたの告白を待っていたのよ。それが、何も言わないから、今まで時間だけが無駄に過ぎてしまって……」

 伊原の言う事は尤もで、今の俺には何も言えた義理は無い。そもそも本当に今日、千反田は来るのだろうか それを伊原に言うと

「来るわよ。ちーちゃんだってあんたに逢いたいんだから」

 変なもので、そう言って貰えると俄に嬉しくなるゲンキンなものだ。


 定刻通りに同期会は始まった。色々な旧友と再会して旧交を温めたが未だ千反田の姿は見つけられなかった。里志に尋ねたところ、同期三百五十名のうち二百名が参加しているのだという。そうは簡単に見つけられないと思った。

「折木君久しぶり」

 振り返ると十文字だった。

「やあ、久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「もう、えると逢った

「いや、未だ見つけられない」

「おかしいわね来てるはずなんだけど……探して来るわね」

 その言葉だけ残して十文字は人混みの中に消えて行った。

 会場は基本的には立食形式になっていて、会場の隅に幾つかのテーブルと椅子が用意され、疲れた者や座って食べたい者らが利用していた。その部屋の隅でも特に目立たない場所に、俺が先ほどから探している人物が座っていた。

「折木くん、える、あそこに座っているわよ。早く行って来なさい ぐずぐずしていると誰かに取られちゃうわよ

 十文字に気になる言葉を言われて、はやる心を抑えて静かに足を向ける。段々と心臓の鼓動が早くなって来るのが自分でも判る。

 五メートルほど傍に近づいた所で千反田が俺に気がついて立ち上がって会釈をした。三年ぶりに見る千反田は卒業の頃より一段と美しくなっており、長い髪は相変わらず艷やかで、その表情からは、僅かに残っていた幼さは影を潜め、大人の落ちつきと憂いさを兼ね備えていた。ありきたりだが『綺麗だな』そう口から言葉が溢れた。

「久しぶり……元気そうで何よりだ」

 三年ぶりに逢ったのだ、もう少し気の効いた言葉を掛けても良かったと思ったが後の祭りだった。

 千反田は俺の言葉を頷きながら聴いて、静かに

「本当、お久しぶりでした。折木さんもお元気そうで何よりです。今日は心の底からお逢いしたかったです」

 憂いを帯びた瞳が怪しく輝くのも以前の通りだと思った。

「大学は大変だろう 理系だから実験が大変なんじゃないか

「そうですね。でもそれは判っていた事ですから……それよりも折木さんは学問の方は進んでいますか

「ああ、大学では『農業経営論』を学んでいる」

 それを聴いた時に僅かに千反田の顔に陰りが出た。

「農業……経営……ですか……そうですか……」

 テーブルに座る千反田の隣に座る。

「隣、座っても良いかな

「どうぞ」

 千反田はソーダのようなものを飲んでいて、俺に水割りを持って来てくれた。

「ありがとう」

 礼は言ったが、話が続かなくなって来たので、一気に話を本題に入って行く事にする。

「千反田、これは俺の言い訳と詫びだが、三年前、卒業の時に俺は遂にお前に言葉を掛けてやる事が出来なかった。あの時、俺にはお前の背負ってる余りにも大きな荷物を一緒に背負う覚悟が出来ていなかった。いつか、覚悟が出来たら、その時告白しようと思って逃げてしまったんだ。だから今日は、その時の詫びを言いに来たんだ」

 俺の言葉を頷きながら聴いた千反田は。視線を俺から外して

「それは判ります。あの時折木さんにわたしの本音を話したのも折木さんだけにはわたしの気持ちを理解して欲しかっただけなのです。でも一緒に居てくれるなら……等と甘い夢も見ました。でも現実は陣出はもう惨憺たる有り様なのです。こんな現状にある環境に折木さんに来てくださいとは言えません」

 千反田の言葉は俺の想像外だった。

「誤解しないでください。わたし、折木さんのことをお慕いしていました。これは本当です。この三年間で一層その想いは強まりました。だからこそ陣出に折木さんを迎える事なんて出来ないと思いました。不幸になるのはわたしだけで沢山だからです」

「千反田、それでも俺は構わないと言ったら……俺もこの三年で色々な事を学んだ。日本の農家が抱えている問題についても色々と学び、対策も自分なりに考えてみた。だから、前よりもお前の役に立てると思って今日はここに来たんだ。」

 俺が覚悟の事を言うと千反田は悲しそうな瞳をして

「ごめんなさい わたし、すでに、お付き合いしている方が居るんです

「え……」

「両親や親戚の勧めで……」

 千反田はそれだけを言い残すと俺の隣から立ち上がり人混みの中に消えて行った。俺は黙ってその後ろ姿を目で追うだけだった。いや、動こうにも体の力が抜けて動けなかったのだ。

 甘かった……俺は己の甘さを呪った。そうなのだ千反田ほどの女性なら婿になり手は腐るほど居る。それも名家の御曹司ばかりだろう。俺みたいな平民の家の出で「何処の馬の骨」かも判らない者では無いだろう。

「終わった……全ては遅かったのだ」

 俺は再び自分の甘さを痛感したのだった。

「ホータローどうしたんだい

 気が付くと里志が隣で心配そうにしていた。

「何だか気の抜けた顔だったからね。どうしたのかと思ってさ」

「千反田にふられた。千反田には既に交際している人物が居るそうだ。全ては遅かったよ。それとも三年前の報いかな……ははは、ザマはない」

「ホータロー、千反田さんが何を言ったのかは知らないが、千反田さんは今でも待ってるはずだよ。誰かと交際しているなんて何かの間違いだと思う」

「それが、そうでも無かったんだな……」

 俺の言葉を耳にして里志は何処かへ連絡をしていた。その通話が終わると

「ホータローは何時帰る予定なんだい

 意味ありげに尋ねるので

「予定では明日の夜だったが、もう、今夜でもいいし、これからすぐに東京に帰りたいくらいだ」

「いや、それは駄目だよ 予定通りにしておいてくれ いいね 動いては駄目だからね

 それだけを言い残すと里志も人混みの中に消えて行った。何をしに行ったのか判らないが俺は千反田本人の口から直に聞いたのだ。間違いは無いはずだ……

 馬鹿な話だ。何時かはあいつの傍に立って、支えてやりたいと思い、今の学科を選択した。あの時は言えなかった事を今度逢ったら言おうと思っていた。みんな自分に都合の良い考えばかりだった。時は再び戻っては来ないんだと、改めて思い知らされたのだった。



 梅雨が明けると本格的な夏がやってきます。特にここ京都の夏は神山とは違い暑さが身に染みます。神山などは昼間暑くても夜になると涼しい風が吹くのですが、ここではじわっとした暑さが夜を包み込みます。

  先日到着した同期会の葉書をワクワクしながら拝読しました。その時懐かしい顔が脳裏に浮かびます。摩耶花さんや福部さんとは一年に一~二度お会いしていま す。かほさんとも昨年のお正月にはご挨拶をしました。何せ理系の農学部なもので実験がつきまとう為、休みでも研究室に出向く事がかなりあります。通常の事 なら出る事は出来ませんが、今回はどうしてもお逢いした方がいますので、葉書に書かれたメールに「参加」の旨を書いて送信しました。

 そうです。わたしが逢いたい方は折木奉太郎さんなのです。

 三年前の卒業式の後、契約したばかりの携帯番号をメモ用紙に走り書きして、お別れの時に渡しました。それは、勿論僅かな期待を込めてのものだったのですが、未だに一度も掛かって来てはいませんでした。

 判っていた事でした。私の背負っているものを知った時、誰でもわたしとの係わり合いを避ける事が日常だからです。でも折木さんは、私が考えている事を正直にお話しました。それは、

「わたしの全てを理解して欲しい」

 と言う望みと同時に、

「わたしと係わり合いになると不幸になりますよ。それを判ってください」

 と言う想いからでした。

 摩耶花さんや福部さんから折木さんが何を考えているかは、それとなく教えて戴きました。その結果は折木さんは、わたしの為に進学先を農業経営関係に絞っているとの事でした。

 嬉しかったです。想いを寄せる方が自分の為にその一生を捧げてくれるかもしれない そんな事まで思い、わたしは増々折木さんに想いを寄せるようになりました。

  でも、それと同時に、現実に神山の陣出で起こっている農業の崩壊を見て行くと、ここの将来があるとは思えませんでした。高齢化から来る後継者不足。農協の 解体や外国との交渉による経済環境の変化と農業への影響。そして天候の目まぐるしい変化による環境変化。どれを取っても千反田家一人では立ち向かえ出来な いものばかりでした。そんな事を考えると自然と答えは見つかっていました。

『折木さんを犠牲には出来ない。将来性のある折木さんをわたしと一緒に陣出に閉じ込めてはいけない……』

 そう結論づけていました。だから、折木さんが卒業の時でも何も言ってくれなかった時も「仕方ない」と思っていました。でも、やはりそれだけでは割り切れなかったのだと思います。それがあの携帯の番号を伝えた事に繋がったのだと自分を慰めました。

 あの日以来、折木さんとお話したことはありません。だから、もし、お逢い出来るなら、陣出の現状をお話してあげたいと思っています。それが楽しみでもありわたしの義務でもあると思うのです。

 当日は研究の観察も他の方に頼みました。どうしても神山に帰りたいのです。そして折木さんにひと目でも良いからお逢いしたいのです。大事な事を告げる為に……


 同期会の会場では程なく折木さんと再会出来ました。そして以前の釈明をして、わたしの力になりたいと言ってくれました。

  折木さんの嬉しい、余りにも嬉しい言葉でした。本当は嬉しくて嬉しくて堪らないはずなのに、今の陣出の悲惨な状況に愛する人を巻き込む事は出来ないので す。好きだからこそ、折木さんは巻き込みたくありません。この悲惨な状況を受け止めるのは、わたしひとりで沢山だと思ったのです。だから、心にも無い事を 言ってしまいました。

 本当は今まで色々なお話がありました。でも、陣出の状況を察知した相手側はさっさと手を引いてしまいました。もう、千反田家に婿に来てくれるような名家の人は居ないのです。


 でも、自分の言った言葉に後悔はしていません。ああ言えばきっと折木さんはわたしとは係わり合いの無い人生を歩んでくれるはずです。そんな事を思いながら二階の喫茶室でアイスココアを飲んでいると、携帯を手にした摩耶花さんが上の会場から降りてきました。

「ああ、ここに居たんだ。聞いたわよ。どうしてあんな事を言ったの ふくちゃんから聞いて驚いたわ。第一、先日の人とは縁が無かったって言っていたじゃ無い」」

 摩耶花さんはわたしの向かいに座りレモンスカッシュを頼みました。

「摩 耶花さんの心配も尤もだと思います。でも好きな人に苦労はさせたくありません。未知の苦労を背負う折木さんを、わたしが見たく無いのです。陣出の農家は、 泥船と同じです。色々なしがらみが身動きをさせなくしているのです。泥船と言うことが判れば、他の人は逃げることができます。別の新しい地域に行く事も出 来るでしょう。でも、その頭の千反田家は、その泥船に乗った陣出の人々と一緒に沈むしかないんです。だから折木さんを、そんな事に巻き込みたくありません でした」

 わたしは、摩耶花さんだからこそ言える心の底にある本音を語りました。すると摩耶花さんは頼んだレモンスカッシュを口にしながら

「ちーちゃんは、間違っている そんなのちーちゃんの一方的な想いじゃない ちーちゃんは男って言うものが判っていない  わたしはこの三年ふくちゃんと一緒に暮らして来たわ。最初は、ふくちゃんの事は全て理解しているつもりだったけど、それでも色々な事で衝突したわ。そして 沢山喧嘩もしたわ。でもね、何時もふくちゃんの事を信じていた。『この人は絶対わたしを裏切らない』そう思って信じて来た。やっと、最近になって喧嘩は 減ってきたけどね。同じだと思う。ちーちゃんは折木の事信じて無いんだと思う。折木はきっと、泥まみれになりながらも、ちーちゃんと一緒の泥船に乗りたい んだと思う。きっと、たとえやった事が成果が出なくても後悔はしないと思う。折木ってそういう奴だよ。忘れた

 摩耶花さんから心のこもった忠告に心が動きます。わたしは間違っていたのでしょうか

 わたしの心に住んでいる折木さんは、きっと困難な状況になっても切り抜けるだけの手腕を持った方でした。わたしはいつの間にか折木さんの思い出を大事にする余り、物事の本質を見失ってしまっていたみたいです。摩耶花さんの言葉でかっての想いが蘇りました。

 わたしは迷っていました。迷って間違った選択をしていました。迷って危うく一生の選択を誤るところでした。

「それに、折木はきっと素晴らしい改革案を持ってちーちゃんを救ってくれると思う。悔しいけどアイツはそれだけの器だと思ってるわ。ちーちゃんはどう

 高校時代に幾つもの事件を鮮やかに解決して来た能力はきっとこれからの出来事にも有能だと思いました。

「摩耶花さん。折木さんは未だ居ますか

「大丈夫 ふくちゃんに確かめたら、未だ会場に居るそうよ。早く行って来なさい

 わたしは摩耶花さんの言葉を受けてエレベータで会場に向かいました。



 里志には悪いが、この場所に一分足りとも居たくは無かった。やはり今日これから東京に帰ると決めた。暫く神山にも戻って来たくはなかった。

 エレベータの前まで来ると二階で止まったままだったので階段で一階まで降りて行く。表に出ると湿った風が俺を包み込んだ。タクシーにホテルの玄関で乗り、実家まで帰る。すぐに着替えて神山駅に向かうつもりだった。

 やはり、「後悔先に立たず」と言う言葉通りだと認識する。昔の人は上手い事を言ったものだと感じた。

「あら、早いわね。もう終わったの

 姉貴が驚いて尋ねるので

「着替えて二次会に行くんだ。そのついでに最終で帰るから」

「何だ急なのね。何かあったの

「いいや、バイト先から急遽連絡が入って明日の遅いシフトは入る事になったんだ。だから今日帰る事にしたんだ」

 姉貴にはそう言うと一応は納得してくれた。いや、実は嘘と見抜いていたのかも知れない。

「じゃあ、また来るから」

 そう言い残して駅に向かう。今からなら六時半頃に名古屋に到着する特急に間に合うはずだった。

 駅に着く頃に空が泣き出した。どうやら空も俺に同情してくれるらしい……




 エレベータに乗り三階を目指します。ゆっくりとした動作に、もどかしさを感じながら扉が開くのを待って飛び出すように歩き出し、折木さんを探します。すぐに福部さんを見つけ折木さんの居た場所を尋ねると

「ああ、ホータローなら、あそこに……あれ……いない

 何処を探しても折木さんの姿はありませんでした。

「何処に行ったのかな まさか……悲観して帰ってしまったのでは……」

 二階から摩耶花さんが上がって来て

「どうしたの 折木は何処へ行ったの ちゃんと見張っていたんでしょう」

「それが、ちょっと目を離した隙に居なくなってしまったんだ」

「まさか……なんで見張って居なかったの

「ゴメン、居るように言ったから大丈夫だと思ったんだよね」

 福部さんが摩耶花さんに謝っていますが、問題はそんな事では無いんです。わたしが悪いのです。本当は嬉しくて堪らないのに、あんな事を言ってしまったから……きっと折木さんは悲観して何処かに行ってしまったのだと思うのです。

「駅よ きつと駅に行けば間に合うかも知れないわ。でも、わたし達は幹事だからここから動けない。ゴメンちーちゃん

「大丈夫です これからわたしだけでも駅に行ってみます

 持ってきたバッグを抱えると、わたしは玄関まで行き待っていたタクシーに乗り「神山駅までお願いします」と頼みました。

 動き出した車の後部座席に座りながらも、わたしは自分の愚かさを呪うのでした。今はただ「どうか間に合って欲しい」と願わずにおられませんでした。

 駅前でタクシーを降りて急いで走り出します。既に駅に特急列車が入線しているのが判ります。わたしはあの列車に折木さんが乗っている感じがしてなりませんでした。

「間に合って欲しい」

 と思いながら走って行きます。入場券を買っている間に発車のベルが鳴り出しました。改札を通ってホームに駆け上がります。そして一番後ろの車両から折木さんが乗っているのか、ホームから窓越しに確認していきます。

 でも扉が締まりゆっくりと列車が走り出しました。わたしは足を早め列車の速度以上で確認していきます。でもそれも僅かでした。あっという間に列車はわたしを追い越してホームから走り去って行ってしまいました。

 遂に折木さんに再び逢う事は叶わなかったのでした。

 わたしは、列車の汽笛を聞きながらホームに跪き、去って行く特急列車を見送っていました。そして、何があっても東京に行く事を決意したのでした。


   第一話 終わり